新・雑事雑感

主に時事的話題です.

2018年6月21日 (木)

雑話

[埋め種]
 今日の更新原稿が落ちそうなので,埋め草の雑話をアップする.「埋め草」は昔は「埋め種」と書いた (「言い種 <いいぐさ>」と同じ用法) のだが,今はネット上に見当たらなくなってしまった.
 
[股下]
 グンゼの公式通販ページとかユニクロの通販とかで,丈短めのパンツ (一例) が最近のトレンドらしい.夏だからね,短めパンツと,ソックスではなくフットカバーをして靴を履けば足元すっきりしていいなあ,と思って購入したのだが,私にはぴったりサイズだった.
 
[45 ピース]
 私はジムで汗を流したあと,いつも藤沢銀座通りのダイエーに寄り,食料を買って帰る.
 ダイエーの建屋は一階にKFCが入っていて,先週からだと思うが,水曜日限定のキャンペーンとして,オリジナルチキン 9 ピースを千五百円で販売している.
 昨日,その 9 ピースバレルを買ってきた.
 一回の食事に 2 ピース食べるとして,二日間もフライドチキンを食い続けるのである.さすがに飽きるかも知れない.
 知人からのメールに,五人の家族全員が,仕事帰りに 9 ピースバレルを買ってきたとあった.こういう悲劇があちこちで発生しているだろう.
 
[父の日]
 MS IME は,「母の日」は一発変換するが,「ちちのひ」は「父の被」になるので単語登録した.
 その「父の日」に,そう遠くない所に住んでいる娘がプレゼントを持ってきてくれた.
「事務グッズだよー」と言うので,私の文房具好きをわかってるんだなー,と思いつつ,ラッピングを開けたら,中に入っていたのは,マイクロファイバーのスポーツタオルだった.ジム用品であった.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月20日 (水)

『母子草』ノート (9)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
* 前回の記事《『母子草』ノート (8)
 
 磯田道史氏著の一般向け新書や文庫などを読んでいると,平明な文章だから私たち読者はどんどん読み進んでしまうのだが,実際には氏の著作は史料の深い検討の上に書かれているのだろう.
 私は理系の人間で,歴史学は全くの門外漢だから,前回の記事で紹介した論文『古代竹生島の歴史的環境と「竹生島縁起」の成立』(大川原竜一著) を読んで,歴史学の研究レベルの仕事はこのように進めるものなのだなと感じ入った.
 中でも,おおそうなのか,と思ったのは,この論文の初めのほうに書かれている次のことである.
 
かつて桜井徳太郎氏は、(中略) 「一つの縁起が成立し伝承されて行く過程には、かならず変化の歴史が伴って」おり、「縁起伝説の歴史的変化を跡づける作業が重要な意味をもってくる」と述べている。また達日出典氏は「縁起は、その寺院の内部事情の変化や寺院をとりまく外的条件変化に伴い、常に書き換えられるものであることを前提に置き、広く寺院史の中に、縁起の形態 (内容構成) を系統的にするべき」と指摘している。
 歴史学の分野においては、虚飾・潤色彩られる縁起の物語的要素を史実と混淆することなく実証的に考察を加えて、縁起それ自体の史料的価値を分析しなければならないのは当然である。けれどもその一方で縁起を制作した寺社の意図のみならず、それらを要望した時代的背景や信仰の担い手・受容層が存在したことは事実であり、地域的固有性、信仰上の差異や担い手などによって多種多様な内容構成をもつ寺社縁起も、寺社の歴史的環境やその発展、また縁起制作当時の宗教的・思想的背景に位置付けることで、その時代性を考える「史料」として対象化することができる。
》 (文中の下線はブログ筆者による)
 
 論文著者の大川原氏は,上に引用した立場で竹生嶋縁起を批判的に考察している.(前回の記事に私は,日本大百科全書ニッポニカに書かれている竹生嶋縁起の解説に関して《この解説は記述が不完全で,竹生嶋縁起が二つ存在することは指摘しているが,そのあとの記述は,その二つの文献の内容をごちゃ混ぜにしている》と書いたが,大川原氏は《竹生島縁起群》としている.二つよりも多いらしい)
 
 その考察の中から,私が知りたいこと (竹生島信仰の歴史) を抜き出すと,以下の通りである.
 
[1]竹生島信仰の始まり
 護国寺本『諸寺縁起集』所収の竹生嶋縁起 (以下,承平縁起と呼ぶ) は,承平元年 (931年) に書き起こされ,天暦元年 (947年) と永祚元年 (989年) に追記がなされた.
 この縁起には,島名の由緒が書かれており,大川原論文によれば次のようである.
 
倭根子天皇 (孝霊天皇) の時代のこととして、気吹雄命・坂田姫命・浅井姫命の三神が天降り、近江国坂田郡 (承平縁起本文では「坂田評」) の東方に下座した気吹雄命と、同じく浅井郡の北辺に下座した浅井姫命が勢力を競い争った伝承である。のちに浅井姫命が北辺を去って海中に下った音が「都布々々」といったことから島の名 (「都布夫嶋」) として名付けられ、さらに年月を経て竹篠が生え出たことから「竹生島」の漢字が当てられたという、いわゆる地名起源伝承になっている。
 
 欠史八代と呼ばれ,実在したとしてもかなり創作性が強いとされる孝霊天皇は,在位期間を機械的に西暦で表現すると五世紀前半の天皇であることになる.浅井姫命が沈んだ島であるから当然竹生島には浅井姫命が祀られたに違いないが,しかしその社である都久夫須麻神社 (竹生島神社) の名が初めて記された史料は,遥か後代の延喜元年 (901年) に成立した『日本三代実録』の,元慶三年 (879年) の記事であると大川原論文はいう.
 ここで特筆すべきは,承平元年 (931年) に成立した竹生嶋縁起 (承平縁起) には,浅井姫命は登場するが,奈良東大寺大仏造立の実質上の責任者として著名な行基は,天平十年 (738年) に竹生島を訪れ,小さな仏堂 (これが竹生島の宝厳寺の開創とされる) を建てて四天王を祀ったとだけ記されていることである.
 しかるにこれが後世になって大きく変容し,伝説化した行基が竹生島に弁才天や十一面観音を祀ったことに書き換えられてしまうのである.(竹生島と行基の関係については後述する)
 ちなみに承平縁起は,竹生島に千手観音を祀ったのは,天平勝宝五年 (753年),近江国浅井郡大領の浅井直馬養 (あざいのあたいうまかい) という人物であるとしている.
 上記のことをまとめれば,竹生島信仰は,現代では弁財天が本尊であるが,初期には弁才天ではなく,土着神の浅井姫命と千手観音の信仰から始まったのである.
 
 ちなみに,宝厳寺観音堂の千手観音は秘仏であるが,その他に聖観音像も祀られている.私は竹生島に行ったことがないので見ていないが.
 この拙文は,中島千恵子氏が採話し再話した近江の民話「母子草」は,近江の被支配階層庶民の信仰に関わるものではないかという私の仮説に基づいて進めているのであるが,「竹生嶋の弁才天信仰」の勉強と並行して進めている「湖北の観音信仰」に関して集めた資料『特別展 湖北の観音 ―― 信仰文化の底流をさぐる』(長浜市長浜城歴史博物館他編,サンライズ出版,2012年) に,列品解説として次の記述がある.(p.150)
 
木造聖観音立像 一躯 平安時代 (後期)
      像高 六七・五
      竹生島宝厳寺蔵 (長浜市早崎町)
  琵琶湖に浮かぶ竹生島宝厳寺に伝わる聖観音像。竹生島は弁才天信仰で広く知られるが、平安時代後期に制定された「西国三十三所観音霊場」の札所としても、早くから信仰を集めた島である。本像は、左手に蓮華を執り、右手をかざす通形の聖観音の像容を示す。左右対称的な表現、静かで穏やかな相好、量感を抑えた体躯、浅い衣文表現など、平安時代後期、十二世紀中頃の作風を示す。

 
 仏像彫刻の様式は,非常に詳しく研究されており,専門家が《十二世紀中頃の作風を示す》と鑑定したのであれば,間違いなくそうであろう.現代にまで伝えられたその聖観音が,制作されたのは十二世紀だとしても,竹生島に安置されたのはいつなのか,一言書いて欲しかったと思うのは私だけではあるまいと思う.
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月19日 (火)

死語

 先日,うちの近所を歩いていたら,歩道橋の上の方から盛大な音を立てて男が落ちてきた,w
 見たところ,スマホを見ながら階段を下りているときに足を踏み外したのだと思われた.
 だいじょぶですか,と私は駆け寄ろうとしたのだが,スーツ&ネクタイ姿のその男は,私が丸っきり視界にないかのように,足を引きずりながらヨロヨロと去っていった.なおもスマホ画面を凝視しながら.
 
 テレビが日本社会に普及し始めた時,今はもう団塊世代以上の年寄りしか覚えていないだろうが,大宅壮一が「一億総白痴化」と喝破した.
 あれから六十年,今また再び「一億総白痴化」の幕が開けた.
 まずは今日,スポーツ報知の見出しが長すぎる記事《宝田明、エスカレーターで押され転倒 流血姿をスマホ撮影され…衝撃告白に「事件じゃん」「失礼」と怒りの声 》が衆目を集めた.
 
 記者は上のように書いたが,だがしかし,スマホを凝視しつつ《「事件じゃん」「失礼」と怒りの声》を上げたとされるネットユーザーたちは,いざその現場に居合わせたら,老人の介抱なんぞそっちのけで,スマホ撮影し,ネットにアップするに違いない.運悪くその現場にいなかった者たちが妬みゆえに《「事件じゃん」「失礼」と怒りの声》を上げているに過ぎないと私は考える.
 
 というのはもっともらしい前フリで,私の本意ではない.実をいうと書きたいことは,白いワンピースの女に突き倒されたときの宝田明のセリフ《失敬な。失敬だな、辞めて下さいっ》 (スポーツ報知の記事から引用) である.
 久しぶりに聞いた「失敬な」である.
 倒れた宝田明に群がったヤジ馬どもは,意味がわからなかっただろうなあ.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月16日 (土)

激辛チャンピオン

 朝日新聞DIGITAL (掲載日時,2018/06/15 20:05) が伝えたところによれば,一昨日 (6/14) 国立沖縄高専教員大野良和 (住所;沖縄県宜野座村惣慶) は,名護市世冨慶の国道329号で,酒気帯び状態で乗用車を運転し,対向してきた乗用車に衝突して,対向車に乗っていた三人に軽傷を負わせた.
 沖縄県警名護署の発表によると,《呼気検査の結果、基準値の約2・5倍のアルコールが検出された。大野容疑者は自動車運転処罰法違反容疑は認めているが、酒気帯び運転については「コーレーグース (島唐辛子を泡盛に漬け込んだ調味料) は飲んだが、酒は飲んでいない」と否認しているという。》 (上記の朝日新聞記事から直接引用)

_
(Wikipedia【コーレーグス】から引用.引用フリーの画像である)

 コーレーグスは辛い.ものすごく辛い.辛すぎるから調味料扱いだが,本質的には泡盛である.だから大野容疑者の言い分《コーレーグースは飲んだが、酒は飲んでいない》は酔っ払いの屁理屈なのだが,屁理屈にしてもすごい.炭酸水で割ってアルコール濃度をビール程度に下げたくらいでは,まだ激辛であると想像される.何か罰ゲームでもやらされたのか.w

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月14日 (木)

日本語の作文教育の成果 (補遺)

 注文した『放送で気になる言葉 2011』(日本新聞協会新聞用語懇談会放送分科会編) が届いたので読んでみた.それで昨日の記事《日本語の作文教育の成果 》に少し補足する.

 同書の第一節「誤用に気をつけたい言葉」のうち「文法的な誤り」(p.25) に以下のように書かれている.

「すべき」は本来文語で、古めかしい感じを免れないから、口語を基調とする放送の用語としてやや堅苦しい。しかし、もちろん誤りではない。口語の「する」に文語の「べき」をつけた「するべき」も、混用ではあるが許容されると考えるのが妥当だ。
 「すぐにも決断すべき問題」
 「あのとき実行するべきだった」
などと、ふだんの会話でもよく使われる。
 問題は、この「すべき」「するべき」を言い切りの形に使うことだ。テレビ画面の文字表示にも次に×印で示すような用法がしばしば見られる。
  ×政治献金は禁止すべき → ○政治献金は禁止するべきだ
  ×市場開放を促進すべき → ○市場開放を促進すべきだ
 言い切りのときには「すべし」とするのが正しいのだが、あまりに文語的で使いにくい。といって連体形の「すべき」で代用することはできない。口語体の言い切りとしては「すべきだ (すべきである)」と「だ (である)」をつけて終止形にすべきである。

 以上のように,新聞用語懇談会放送分科会は『放送で気になる言葉 2011』で,「べき止め」に関する従前の見解を堅持していることがわかった.
 しかし,私見だが,NHKを除く放送各社は,この《口語体の言い切りとしては「すべきだ (すべきである)」と「だ (である) 」をつけて終止形にすべきである》を全く無視している.
 また,テレビに登場するタレントでは,林修先生が「べき止め」推進の先頭に立っていると私は思う.

 国語辞典には,言葉は時と共に変化する,として,言葉の誤用に寛容なものがいくつもある.そのうちに「べき止め」は,「連体止め」の用法に「特に理由もなく行われる連体止め」が設けられ,許容されてしまうかも知れない

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本語の作文教育の成果

ことば会議室》というブログに《2004年03月30日 「べき止め」について(水月)》と題した記事が掲載されている.
 この記事は,《ことば会議室》主催者が,〈新聞の見出しにおける「べき止め」は文末に連体形を置いているのではなく,「べきだ」の「だ」を省略した形である〉との意見を述べ,数人の人たちがこれにコメントを書き込んでいる内容である.
 そのコメントの一つについて,以下に一部引用する.
 
日本新聞協会用語懇談会放送分科会発行の「放送で気になる言葉改訂新版」でも「口語体の言い切りとしては『すべきだ(すべきである)』と『だ(である)』をつけて終止形にすべきである。」
と書いてあります。新聞の見出しはまあしょうがないかな、と思いますが、本文の中では「だ」「である」を付けた方がいいでしょう。

 
 妥当な意見だと思うが,このコメントは十四年も前に書かれたものだ.昨今のメディアに氾濫する「べき止め」を見るに,ひょっとしたら現在の新聞界は,「放送で気になる言葉改訂新版」に示した「口語体の言い切りは終止形にすべきである。」とする見解を捨てているかも知れない.
 そこで現在手に入る「放送で気になる言葉」を探したら,楽天ブックスに「放送で気になる言葉 2011」の古書が出品されていたので早速注文した.すぐ届くだろう.
 その本の中に「口語体の言い切りは終止形にすべき。」と書かれていることを期待しているのだが.ww
 
 ところで,《ことば会議室》主催者は,新聞社の校閲担当者に好意的な見解を述べているのだが,新聞というメディアは《ことば会議室》主催者が思っているほどレベルが高くはないと私は考える.
 これは私だけの意見ではなく,碩学高島俊男先生が著書『お言葉ですが…』シリーズで何度も指摘していらっしゃることだ.
 例を一つ挙げる.《新聞記事の解読法 》というブログに《2018年02月25日 連体止めの失敗例 》と題した記事が掲載されている.このブログの筆者「さがみさん」は元新聞記者であるとプロフィールに書いてある.
 さてその冒頭に,次の記述がある.筆者「さがみさん」がこの記事を削除あるいは訂正した場合のために,画面のハードコピーを撮り,トリミングをした画像を用いて引用する.
 
20180612a
 
 引用箇所の終わりに《問題点は、いきなり「パキスタンのグワダル港」が出てきて、文末が「取得」と連体形で終わっていることです》とあり,「さがみさん」は「体言」のことを「連体形」だと思い込んでいることがわかる.つまり中学校レベルの国文法を理解していないのだ.これが新聞界の日本語レベルなのである.
『お言葉ですが…』シリーズには新聞記事の恥ずかしい日本語文章の例がいくつも書かれているから,御興味ある向きは同書をお読みいただきたい.
 
 さて,官僚の書く文章,特に会議資料の類には頻繁に「べき止め」が出てくる.
 下記の引用は,平成十年の厚生労働省「第28回年金審議会全員懇談会」において,同審議会の京極純一会長が,官僚の作成する文章に苦言を呈した箇所である.(余談だが,私は教養学部の学生時代に政治学の講義を履修したのだが,その講義の担当教官が京極先生だった.「べき止め」の用例を探している際に,思いがけず京極先生の名前が出てきたので,大層懐かしい思いがした)
 
「べき」で文章を止めて、べきであるか、べきでないか、わからない文章を並べる。これは現代の、若い世代の共通の文体です。今お話のありました「意見」で止める体言止めも現代の若い世代の文体です。これは日本語の作文教育の成果です。「べき」止めは多分「べきである」と読むようです。「意見」というのは「意見があった」という趣旨のようです。
 
 言うまでもなく《これは日本語の作文教育の成果です》は京極先生の皮肉であるが,「べき止め」は,官僚だけの文体ではなく,《現代の、若い世代の共通の文体です》と先生は断じていらっしゃる.
 そこで,その《日本語の作文教育の成果》を体現しておられる人物を紹介しよう.
 
20180611c
(上の画像は,6/3 放送の『林先生が驚く 初耳学』の一場面である.これは録画データの加工ではなく,テレビ画面をデジカメ撮影した画像データをトリミングしたものである)
  
 上の画像は,雑学タレントの林修先生である.普通の芸人なら「べき止め」を書いても一向に構わぬが,林先生は予備校の国語講師でもある.生徒にあるべき日本語の規範あるいは文章作法を示す立場にある.それがこの有様では,生徒がかわいそうではないか.
 
 私の中の日本語規範は,小学生の頃から現在に至るまでに読んだ書物によって作られた.明治から昭和までの立派な学者や文学者が書いた,それらの書物には「べき止め」がない.だから私も「べき止め」をしない.
「べき止め」が蔓延している現状ではあるが,自然科学系の学術論文誌に研究論文を投稿するとして,項目名や本文中に「べき止め」があれば,訂正を要求される.私が論文審査員なら,そんな論文は容赦なくリジェクトだ.学術の世界は規範で出来上がっているからである.
 
 林修先生がテレビで「べき止め」を多用しているのは,林先生の頭の中の日本語規範を作ったのが書物ではなくネット記事だからではないかと想像する.
 もし林先生が書物に拠って立つのでなければ,ここは一つ予備校を辞めて,テレビタレントに専念してはいかがであろうかと思う.私は,『初耳学』を毎週欠かさず視聴している林先生のファンであり,先生は雑学タレントとしては得難い人材だからである.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月11日 (月)

母子草 (十四)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
* 前回の記事《母子草 (十三)
 
 前回の記事に以下のように書いた.
 
では,上笙一郎が指摘する《近代=現代の児童文学の観方、その基礎となる世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》について,検討してみよう.
 藤澤教授が《天皇の孫の初節供にあたり鯉幟の建て方を宮内庁から尋ねられたことを、この上ない名誉として、さもさも嬉しそうに話された》ことは,私は《古くてどうにもならない》とは思わない.自分が長年にわたり研究してきた分野の学識に関し,その第一人者として宮内庁に評価されれば誰だって嬉しく名誉に思うだろうからだ.
 私が思うに,藤澤教授の「古さ」はそんなところにあるのではない.それについては,作品に即して検討してみよう.以下に藤澤衞彦作品の童話「母子草」全文を掲載する.

 
 文学の世界で恥知らずを三人挙げよと言われたら,まず第一位は島崎藤村で確定である.藤村くらいになると,恥知らずを通り越してヒトデナシあるいはケダモノの域に達している.(参照;このブログの過去記事《偽善者あるいは犯罪者 》)
 
 第二位は,童話作家の小川未明である.未明は戦前,島崎藤村と同タイプのヒトデナシにしてアナーキストでもあった大杉栄と親交を結び,アナーキストとして文学活動をスタートした.ロクデナシがヒトデナシに共感したのである.
 そして大政翼賛会が発足するや,未明はそれまでの主義思想をかなぐり捨てて,戦争協力組織「日本少国民文化協会」を設立し,戦争協力の旗を先頭に立って振った.
 ここまではよくある転向の話である.未明の場合は軍部への協力ぶりが度を越していただけのことだ.当時は,わずかな人たちを除いて,国民の誰もが多かれ少なかれ戦争に協力したのである.あの村岡花子だって,「日本少国民文化協会」創立委員の一人だったのだ.だがしかし,未明の真骨頂は戦後である.戦時中の自分を,全くなかったことのようにして,己は反戦姿勢を貫いた人間であるとして振舞ったのである.そして,未明は戦後に設立された日本児童文学者協会の初代会長の席に着いたのである.
 それでも,小川未明の戦争責任について追求した人がいなかったわけではない.代表的な論考は山中恒の『戦時児童文学論』(大月書店,2010年) であるが,ネット上にも山中恒『児童読物よ、よみがえれ』(晶文社,1978年) の一節《児童文学は、いま……》や,増井真琴《小川未明と日本少国民文化協会:日中・「大東亜」戦争下の歩み》,同《小川未明の再転向 ――敗戦以後―― 》が公開されている.
 
 恥知らずの第三位は,『橋のない川』を書いた住井すゑだ.
 Wikipedia【橋のない川】に次の記述がある.
 
「『橋のない川』によって、人間の平等と尊厳を考えようとした若者は、とてつもない数にのぼるはずだ」(灰谷健次郎) と賞賛されることもあるが、「侵略戦争を扇動した西光万吉を美化した作品なのに、その問題点がまったく指摘されずにきた」(金静美)との批判の声もある。
 
 私も《『橋のない川』によって、人間の平等と尊厳を考えようとした若者》の一人であったから,雑誌『Ronza』(朝日新聞社,1995年8月号) の記事「戦後50年 文筆者、出版・新聞の戦争責任」(単行本としては櫻本富雄『ぼくは皇国少年だった―古本から歴史の偽造を読む』に収められている) で住井すゑの正体が白日の下に曝された時は,本当に呆然とした.
 『破戒』の島崎藤村も『橋のない川』の住井すゑも,「人間の平等と尊厳」を食いものにした人間のクズであった.
 
 以上の三人と比較して,「戦争と文学」「文学者の戦争責任」の観点からして藤澤衞彦教授はどうであったか.
 出版物,ネット上の記事を探しても,戦時中の藤澤教授に関しては何も資料が出てこないのである.おそらく藤澤教授は,小川未明のように声高に戦争協力はせず,黙々と研究生活の日々を過ごしていたのではなかろうか.
 だが,藤澤教授の「母子草」には,小川未明の影響が見て取れる.ここで山中恒の「児童文学は、いま……」から一部を引用する.
さて、一般的な概念からすれば、<児童文学>といえば、グリムやアンデルセン、日本でいえば、小川未明、浜田広介あるいは坪田譲治、新美南吉、宮沢賢治といった作家たちの作品のことで、それは「世俗的なものと隔絶された美しい郷愁のファンタスティックな山野に花咲く童心のロマンの世界である」という思い込みがあって、そうした世間一般の思い込みの庇護のもとに、あるいはその善意にまぎれて、なにやらやってきたのが、この国の<児童文学>とよばれるものなのである。
<児童文学>に対する、この一般的な思い込みはかなり強固なもので、ついでに<児童文学者>とよばれる人たちに対しても、<童心の求道者>といったふうな聖職者イメージがついてまわる。これは<児童文学>をふくめて、児童文化というものが教育文化に従属していると目されている証拠でもある。だから、日本の児童文学状況がそんなものではないということを語ると、人によっては目を剥いてそれはお前の被害妄想だとなじる。彼のイメージの中で<児童文学>の世界はそのようなものではないし、そのようなものであってはならないのである。彼のイメージの中の<児童文学>は、汚れなき童心をはぐくむという崇高な理念のもとに創作されるものであり、その創作者は汚れなき童心の共鳴者であって<児童文学>界で徒党を組んでゲバルなどというのは、とんでもないことなのである。
 確かに戦前の日本の児童文学の多くの作品は「童心主義のロマン」とよばれるにふさわしいものであったと思う。しかし、<童心>なるものに<主義>がつくほど科学的な思想体系など持ち合わせていなかった。童心への憧れは、むしろ極めて雰囲気的なもので、そのようなものとしてしか現象しなかった。
 小川未明を例にとるなら、彼はおとなの文壇への捲き返しに失敗し、世上「童話宣言」とよばれる『今後を童話作家に』(一九二六年・東京日日)というエッセイを書き、ひたすら<児童文学>の創作だけに専念するようになった時期は、昭和恐慌期であり、暗い世相のかげで天皇の統率する股肱は中国大陸へむけて軍靴をそろえていた。それこそ、どちらを見てもろくなことはなかった。そうした中で未明はひたすら<調和した美を求めて童心の世界へ>と埋没していった。しかし未明のいう童心の世界は、おとなの労賃の三分の一から六分の一の安い労賃でこき使われていた幼少年労働者である子どもの心の世界ではなく、未明がおとなの世界を見てみにくいと思う心に対置される美しいと想定された子どもの心であったのである。つまり未明自身の内なる世界にしか存在しない<童心>だったのである。

 
 リンク先も含めると文章が長くなりすぎた.次回は,上の引用と藤澤教授の児童観を考察してみる.
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月10日 (日)

『母子草』ノート (8)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
* 前回の記事《『母子草』ノート (7)
 
 古書店にも色々あって,私がこれまで利用した本屋の一つは,注文すると翌日すぐ在庫確認して送金先を連絡してきた.それでその日に送金したら即刻入金確認して本を発送したとのメールがきた.
 ところが今回,「藤沢衛彦文庫」の目録が掲載されている『武蔵野』を注文した「M書房通販部」という東京八王子にある本屋は,注文の五日後に送金先を連絡してきた.待ちかねていたので即日送金したのだが,四日後に発送したとのメールがきた.そしてそれから三日経つのに,八王子からの荷物がまだ届かない.どうなってるんだこの本屋は,と怒りのメールを出しかけたが,途中でやめた.もしかするとM書房は老夫婦二人でやっている零細な古本屋で,通販部というのは推定年齢七十五歳の奥さんのことで,かすむ目をこらしながら一本指入力でメールを打っているのかも知れないから.
 と,ここまで書いたら『武蔵野』が郵送されてきた.
 その巻頭に「藤沢衛彦文庫の目録刊行事業と先生の略歴及び著作について」が掲載されていて,そこに次のようにある.
 
先生が六十余年間にわたって文献資料は、約二万数千冊ともいわれていますが、その一部の和書類に限り先生の御遺徳を忍ぶべく没後二十五年ぶりに日の目を見たことになります。
 
 「藤沢衛彦文庫」の目録は,全部で二万数千点と推定される文献資料のうちの一部,和書類の目録 (約四千冊) であるという.
 これが「江戸東京たてもの館」の展示棟にて展示されていると書いてある.
 目録の中身を検討してみると,特に分野を限定しているわけではなく,伝承説話の資料が数多く含まれている.日本近代文学館に遺族から寄贈された「藤沢衛彦文庫」(こちらも約四千冊) と性格が異なるもののようではなさそうだ.
 合計の和書八千冊か.その中から藤澤教授が童話「母子草」創作の参考にした近江の伝承に関する資料を見つけるのは,私の残りの人生では時間が足りないだろう.しかも目的の資料は四千冊の和書中ではなく,残りの一万数千点の資料中にあるのかも知れない.ここは潔く断念して,別の方向から考察を進めることにする.
 
 さて近江に伝わる「母子草の物語」について調査を始め,中島千恵子氏の再話による民話「母子草」を読んだ時に感じたのは,この民話は近江の被支配階級庶民の信仰に関わるものではないか,ということである.
 貧しい農家の娘が富裕な家に年季奉公に出るという民話「母子草」の設定からすると,この話は江戸時代中期 (Wikipedia【女中】を参照) 以降に発生したものと考えられる.では江戸時代,近江における庶民の信仰はどのようなものだったか.
 まずは Wikipedia【宝厳寺】から勉強してみる.宝厳寺は琵琶湖の竹生島にある寺院である.
 
竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた。延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、祭神は浅井姫命(あざいひめのみこと)とされていた。浅井姫命は、浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する神ともいわれるが、平安時代末期頃から、この神は仏教の弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになったようである。近世には宝厳寺は観音と弁才天の霊場として栄える一方で、都久夫須麻神社は宝厳寺と一体化し、寺と神社の区別はなくなっていた。
宝厳寺は奈良時代、聖武天皇の命により、僧・行基が開創したとされている。行基は出身地の河内国(大阪府南部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、行基が竹生島を訪れ、弁才天を祀ったのが起源とされているが、承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。同縁起によれば、天平勝宝5年(753年)、近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手観音を造立して安置したとある。

 
 上に引用した Wikipedia【宝厳寺】には《承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』 》と書いてあるが,琵琶湖に浮かぶ島は現在は竹生島と書くのが普通だが,論文等にはきちんと『竹生嶋縁起』と書かれていることが多いようだ.ミスタージャイアンツ長嶋茂雄を長島と書いては間違いであるのと同じである.
 それで私も,引用文以外の文章中では,島は竹生島と書くが,文献名は『竹生嶋縁起』と書くことにする.
 さて,Wikipedia には《承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には》とだけ簡単に触れているが,実は『竹生嶋縁起』は一つではない.
 ここで『竹生嶋縁起』を調べてみる.Wikipedia には【竹生島縁起】という項目自体がないが,しかしネット上には,二十五年ほど昔,小学館が出版した古い大部の百科事典である『日本大百科全書ニッポニカ』がデジタル化されて公開されている.(余談だが『日本大百科全書ニッポニカ』のCD版は確か Windows98版 が最後のアップデートだったと思うが,私は捨ててしまった;今なら Windows の互換モードで動作可能かも知れない.もったいないことをした)
 閑話休題.
日本大百科全書ニッポニカの解説

竹生島縁起
ちくぶじまえんぎ
 
滋賀県長浜市の都久夫須麻神社 (つくぶすまじんじゃ)・宝厳寺 (ほうごんじ) の縁起。智福嶋縁起とも表記する。護国寺本『諸寺縁起集』に、931年 (承平1) 成立と伝える縁起を収録するのが早い時期のもの。『群書類従』本には、1414年 (応永21) に普文が比叡山にて旧記を集めて撰したとの奥書があり、勧進帳の前文として著されたらしい。琵琶湖上への竹生島の出現とその出所に関するいくつかの口伝、島名・周辺地名の由来や仏教的注釈、738年 (天平10) の行基による四天王像安置から989年 (永祚1) の平惟仲の法華三昧田の施入に至る尊像堂舎の造立や神階授与・寄進などの年代記、十五童子が垂迹 (すいじゃく) した神社などが記される。北近江での気吹雄命 (いぶきおのみこと) と地主神浅井姫の争い、海竜が大鯰に変じて大蛇を退治した話、信仰の中心となる弁才天の霊験譚、中世の祭礼図にも描かれる六蓮華会の由来など、短編ながら多彩な内容を含んでいる。[藤原重雄]
『西田長男著「竹生嶋縁起」 (『群書解題 第6巻』所収・1986・続群書類従完成会) 』

 
 この解説は記述が不完全で,竹生嶋縁起が二つ存在することは指摘しているが,そのあとの記述は,その二つの文献の内容をごちゃ混ぜにしている.(理由は後述)
 どうもネット上の百科事典では隔靴掻痒である.そこでもう少し真っ当な文献資料はないかと国会図書館サーチで探したら,
 
大川原竜一著『古代竹生島の歴史的環境と「竹生島縁起」の成立』
   文学研究論集 / 明治大学大学院文学研究科編,JAIRO所蔵
 
が見つかった.
 JAIRO というのは日本国内の学術情報 (学術雑誌論文,学位論文,研究紀要,研究報告書等) を横断的に検索できる検索サイトで,ここに収められている文献はネットで手に入る.
 そこですぐDLして読んでみたら,これがわかりやすくて大正解の論文であった.
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

孤独と寝たきり (補遺)

 私は,下重暁子『極上の孤独』は読んでいないし,買う気もないのだが,五木寛之『孤独のすすめ』は読んだ.
 五木寛之という作家に,大学生の頃から私は好感を持ってきた.穏やかな人格の人だと思っている.
 その五木寛之にして,『孤独のすすめ』では都会の独居老人や,崩壊した限界集落で暮らす老人たちのことは視界に入っていない.せいぜいが施設に入居できる資産あるいは収入がある階層の高齢者たちを対象に「孤独でも大丈夫」と言っているに過ぎない.
 
Photo  
上図は「平成28年版高齢社会白書」から引用した.
 
日経新聞記事《東京の高齢者世帯、44%が一人暮らし 20年後
 
 上に独居老人人口の将来推計 (内閣府発表の公的資料) と,日経新聞の記事を資料として掲げた.
 以前からNHKは孤独な老人たちの「セルフネグレクト」や孤独死などの問題を報道してきている.(《クローズアップ現代 高齢社会》 など)  
 
 しかし先日放送された『ガッテン』 (昨日の記事《孤独と寝たきり》参照) では,「孤独が寝たきり危険度を上げる」と言うだけで,寝たきりにならない対策として「スポーツ」をするとか「友達と食事に行っておしゃべりする」などを示して,ある種の無責任に陥っている.
 なぜなら,スポーツにも会食にもお金が必要なのである.都市の底辺で,数万円の年金しか収入がないために閉じこもっている孤独な老人にどうせよというのか.崩壊した限界集落でどんなスポーツをせよというのか.
 
 下重暁子『極上の孤独』には「孤独は成熟した人間だけが到達できる境地」「集団の中でほんとうの自分でいることは難しい」「孤独を味わえるのは選ばれし人」「孤独を知らない人に品はない」などと書かれているらしいが,彼女には高齢社会の現実が全く見えていないのだと思われる.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月 9日 (土)

孤独と寝たきり

 昨日,テレビをオンにしてチャンネルを変えながら流し見をしていたら,下重暁子さんが登場していた.(フジテレビの『ノンストップ!』とかいうエンターテインメント帯番組)
 それを見ていて知ったのだが,下重暁子さんの著書がかなりの売れ行きなんだそうである.『家族という病』『家族という病 2』と最近刊の『極上の孤独』(いずれも幻冬舎新書) だ.
 へー,どんな本なんだろうと Amazon で『極上の孤独』を覗いてみたら,幻冬舎新書のベストセラー一位なのに,購入者レビューでは星一つが一番多いという最低のボロボロ状態になっていた.
 この本を読んだ人たちの感想をざっくりまとめると,「お前が言うな!」ということだ.w
 下重さんについては,大昔はアナウンサーだったことは知っているが,著書を読んでいないし,あまり知らない.
 それで簡単に調べてみたら,相当に恵まれた人生を過ごしてこられたようだ.いわゆるセレブで,現在も出版界で活躍しているのだから,全く「孤独」ではないのだが,その人が「孤独」を論じているところに,レビューで叩かれる理由があるみたいだ.
 『極上の孤独』は,たぶん五木寛之の『孤独のすすめ』がそこそこヒットしたので,二匹目の泥鰌を狙って書いたものだろう.
 そこで Amazon の《内容紹介》を読んだら,以下のことが書かれていた.

そもそも孤独でいるのは、まわりに自分を合わせるくらいなら一人でいるほうが何倍も愉しく充実しているからで、成熟した人間だけが到達できる境地でもある。「集団の中でほんとうの自分でいることは難しい」「孤独を味わえるのは選ばれし人」「孤独を知らない人に品はない」「素敵な人はみな孤独」等々、一人をこよなく愛する著者が、孤独の効用を語り尽くす。

 《孤独を味わえるのは選ばれし人》《孤独を知らない人に品はない》《素敵な人はみな孤独》は,『極上の孤独』からの引用だろうが,なんかこう傲岸不遜というか,叩かれる要素が満載だ.
 下重さんは自分のことを「選ばれし人」と思っているから《孤独を味わえるのは選ばれし人》なんて恥ずかしい言葉を書けるのだろう.
 《孤独を知らない人に品はない》も同じ.自分を上品だと勘違いしているから堂々とこんな下品なことを書くのだと思う.
 《素敵な人はみな孤独》はもっと酷くて,下重さんは,山口百恵さんや安室奈美恵さんを孤独だと書いているらしいが,レビューによると無根拠らしい.

 まあ,普通の人はこんな《内容紹介》を読んだら絶対に買わないと思う.ということは,この『極上の孤独』の内容紹介は,叩かれるのを承知の逆張りマーケティングなのだろうか.
 性格が悪い女性作家といえば,遠藤周作にそれとなく性格の悪さを書かれてしまった曽野綾子が筆頭で,その次は自分のゴージャスな生活を自慢たらしく書く林真理子だが,下重暁子もその仲間入り決定ですな.

 ところで,先日 (6/6) の NHK『ガッテン』で《筋肉&血管を強くする!世界が証明した“最強の寝たきり予防法”》と題した放送があった.私はこれを偶然観たのだが,おもしろい内容だった.番組のアブストラクトから一部を引用する.

世界的にインパクトを与えたのが、アメリカで発表された148研究(対象者およそ30万人)をメタ解析した研究結果です。長生きに影響を与える要因を調べたところ、肥満解消、運動、禁煙よりも「人とのつながり」が長生きへの影響力が高いことが分かったのです。日本の研究でも、「人とのつながり」が「運動」よりも寝たきりの危険度を下げることが明らかになってきています。

 孤独は寝たきりの危険度を上げる.この番組の内容はなかなか説得力があると私は思ったが,下重さんはどう思うだろうか.彼女は深くものを考えて本を書くような人ではないようだから,何も思わないだろうなあ.冒頭に書いたテレビ番組『ノンストップ!』で,彼女の著書から引用して番組側が作ったフリップがあったのだが,彼女は自分が書いたことを覚えていないようだった.自戒を込めていうのだが,思索に基づかずにテキトーに思い付きを本に書き殴ると,自分が書いた文章でも忘れてしまうのである.w

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧