新・雑事雑感

主に時事的話題です.

2018年8月15日 (水)

戦争協力俳句

 先日書いた記事《俳句の性善説 (おいおい) 》について少し補足しておく.
 私は当該記事の末尾に次のように書いた.

余談だが,夏井先生が《私も良い句ができたなと思ったら、高浜虚子の句と一言一句同じだったことがある 》と発言したその虚子こそ,桑原武夫が「言葉遊び」として指弾した俳人なのだ.そしてこの発言が,私が先週の「俳句の才能査定ランキング」を観て第二芸術論争を想起した所以である.

 補足とは,夏井いつき先生は《高浜虚子の句と一言一句同じだった》に続いて次のように発言したこと.

私もいよいよ高浜虚子のところまできたなと思いましたね

 この言葉でわかるのは,夏井先生が高浜虚子を高く評価していることだ.
 夏井先生は私よりも七歳も年下なので,日中戦争から沖縄戦を経て,昭和二十年 (1945年) 八月十五日に終わったあの戦争 (歴史的には大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した翌九月二日を指すことが多い) について関心があるのかどうか知らぬが,私たち戦争後すぐに生まれた世代は,自分たちの父親,母親の青春を,人生を大きく狂わせたものとして,あの戦争に無関心ではいられなかった.
 戦争に対して私たちが抱いた関心には色々な側面があるが,戦争責任の問題はその一つであった.
 戦争責任を問うとはどういうことか.それは,国体護持のために,戦争終結の和平条件として,戦地にいる兵たちを連合軍に労働力として提供することや,沖縄を割譲することなどを意図していた昭和天皇の卑劣さを後世に伝えることである.
 それはまた,例えば特攻隊隊員たちに《諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する 》と言ってフィリピンから四百機の特攻を出撃させ,パイロット全員を戦死させておきながら,自分は敵前逃亡した陸軍中将・富永恭次の名を語り続けることである.(《 》は Wikipedia【富永恭次】から引用)

 私よりも若い人たちでも,昭和天皇や卑劣な軍人たちの戦争責任については理解してもらえることと思うが,忘れられがちなのは,一般人でありながら戦意高揚の旗を振った者たちの戦争責任である.
 私が別稿の連載「母子草」で童話作家小川未明の卑劣振りを何度も書いたが,俳句の世界では高浜虚子が未明に相当する.
 小川未明は,軍部と直接の関係を持っていたわけではないが,状況証拠からすると,高浜虚子は戦時中,積極的に軍部と協力した疑いがある
 戦時中,いささかでも反戦傾向のある俳人が検挙投獄の弾圧を受けた中で,ひとり虚子は日本文学報国会の俳句部代表として戦争協力に努め,もって虚子の率いるホトトギスが俳句界を席捲したのであった.虚子の行動の陰湿さは,小川未明よりもタチが悪いと言うべきかと思われる.
 桑原武夫は『第二芸術』(講談社学術文庫,1976年初版第一刷) の「まえがき」で次のように書いている.

戦争中、文学報国会の京都集会での傍若無人の態度を思い出し、虚子とはいよいよ不敵な人物だと思った。

 Wikipedia【第二芸術】に,桑原武夫は《俳句に対するそもそもの非好意的な態度》と記されているが,その非好意的な態度は,上の引用箇所にあるように,戦時中の虚子ら戦争協力俳人たちに対する反感によるものであったろう.
 夏井いつき先生が高浜虚子を高く評価するのは一向に構わぬが,しかしそれはホトトギス社の黒歴史を容認することなのである.

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2018年8月12日 (日)

恋人つなぎ

 昨日の夕刻,ジムで筋トレしたあと,サラダにするカット野菜とか夕食の材料を買いに,藤沢駅北口のダイエーの方向に歩いていたら,前方から私よりもかなり年上かなと思われる男女が歩いてきた.様子からすると,きっと御夫婦に違いないと思った.
 向かって右側が男性で,左手で杖をついている.左側が女性で右手で杖をついている.
 その二人は,杖を頼りに,ゆっくりと一歩一歩を歩いていたが,二人は,あいている方の手を「恋人つなぎ」していた.
 なんというか,とてもいいものを見た気がして,私もちょっとよい気分になった.

 その夜のテレビ番組『世界一受けたい授業』で,オキシトシン (Oxytocin) の話題が取り上げられた.
 オキシトシンはヒトに幸福感をもたらすホルモンとされている.詳しいことを知らなかったので Wikipedia【オキシトシン】を読んでみたら,恋人同士が手をつなぐ行為はオキシトシンの分泌を大幅に増加させるのだそうだ.
 ペットをなでることもいいらしい.私は膝の上に愛犬を乗せてなでながら,あの老夫婦がこれからも幸せでありますようにと祈った.

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2018年8月11日 (土)

半田付け プルプル感はいけません

 昔話をする.
 小学生の頃,父親の同僚で,趣味でラジオやテレビを製作する人が近所に住んでいた.私はその人のお宅に行っては,電気回路の初歩を教えてもらったり,ラジオの組み立てを見せてもらったりした.
 その当時は真空管が実用部品とされていた最後の時期にあたり,半田付けに使う半田ゴテは消費電力が60Wくらいの大きいもので,銅製のコテ先は銃弾のような形をしていた.
 話は少し横に逸れるが,この銃弾型のコテ先は,実は電気回路の配線だけでなく,簡単な板金工作にも適しているのだが,真空管ラジオとか真空管アンプの製作にだけに使うのであれば,ヤスリで削って加工してから使うのが普通だった.どんな形に削るのかは機会があればお見せしたいが,これはまあ滅びた伝統技術だ.今は秋葉原に行けば使いやすい形状で温度調節もできる高性能の半田ゴテが簡単に手に入る.
 さて程なくして真空管の時代が終わり,半導体の全盛期を迎えると,半田付けのやり方はすっかり変わってしまった.熱に弱い半導体をダメにしないように半田ゴテの消費電力は30~40W程度に小さくなり,小型化し,プリント基板の配線に便利なようにコテ先の形状は細い棒状になったのだった.(上級者が愛用する先端が尖ったものもある)

 一昨日,テレビ番組『プレバト!』で,半田付けのシーンが放送された.
 名人フジモンが次の句を詠んだのである.

短夜や 付録ラジオの半田付け

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 このシーンはイメージ映像であるから,プリント基板がラジオのそれでないのは構わない.しかし,映っている半田ゴテがイケナイ.これは板金工作もできる消費電力の大きいものだ.しかも,出演した子役の少年は,一度も半田付けをした経験がないとみえて,デタラメなことをしている.これは半田付けではない.プリント基板の上で無意味に半田を融かしているに過ぎない.
 このシーンを撮影したスタッフも半田付けという作業を一度も見たことがないのだろう.だが,見たことがないなら,ネットを探せばいくらでも資料画像がみつかるのに,それをしないというのはどういうことなんだろう.

 しかしもっとダメなのは,夏井先生の評言だ.
 この句から「半田のプルプル感」と言ったのだ.

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 真空管ラジオだろうがプリント基板の電子回路工作だろうが,半田付けは可及的に少量の半田しか使ってはいけない.
 融けた半田がプルプルするくらいに盛ってしまうのは,通称「イモ半田」といい,半田付けのやり方の初歩すら知らぬ者がやってしまう大失敗なのである.
 すなわち夏井先生は半田付けの実際を見たことがないに違いない.見たことがないのは無理からぬことであるが,ならばなぜネットで資料を探して勉強しないのか.夏井先生の「半田のプルプル感」は,自分が見たこともないことを,さも知っているかのように語っているわけで,つまりこの言葉にはリアリティというものが全くない.これは俳句批評遊びである.

 いやあ『プレバト!』は毎週毎週,ツッコミ所満載で,最上のエンタメ番組であるなあ.
 ちなみに半田付けの動画で楽しいのはコレ

(上の画像は録画データを加工したものではなく,引用に供するためにテレビ画面をカメラで撮影し,それをトリミングしたものである) 

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2018年8月10日 (金)

母子草 (十六)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
* 前回の記事は《母子草 (十五) 》 
 
 この連載もそろそろ終わりに近づいた.藤沢衞彦作「母子草」の作品評価を始めよう.
 ここで連載前回の末尾を再掲する.
戦後,小川未明は軽々と転向したが,藤澤教授は戦後を,戦前戦中の未明のミニチュアとして生きたのである.そしてこれこそが,上笙一郎が『児童文学研究=北邙の人たち』(日本児童文学協会編『戦後 児童文学の50年』,p.113) の中で,藤澤教授を指して《世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》と書いたことなのである.
 
 藤沢衞彦教授の世界観や人生観の古さは,自ら「標準語の使用」を明らかにしていることに示されている.
 現代日本ではもはや「標準語」は死語である.戦前の日本史に明るくない世代の人々が,標準語と共通語とを混同している場合があるが,かつて明治政府が富国強兵策の一環として国を挙げて取り組み,あるいはまた昭和期戦前の政府が海外植民地 (特に朝鮮) 統治のための道具として用いた「標準語」を話し,読み書きした人々は既に世になく,標準語は言語としては忘れ去られた.従って標準語は,単語として残っているが実体はない.それがどのようなものであったかは,《母子草 (十一) 》の註に記した.
 ここでは藤澤教授の童話「母子草」から一部を引用してみよう.(便宜のために全文を最後に掲げる)
 
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。』
毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 
 藤澤教授の童話「母子草」の中で,主人公小雪はもちろん,話に登場する村人も小雪の母親を「お母さま」と呼んでいる.この「母子草」は戦後の昭和二十四年に書かれた作品であるにもかかわらず,明治時代に標準語の基礎となった東京山手の中流家庭 (官吏や会社員など比較的富裕な層) の言葉である「お母さま」が用いられているのだ.現代の私たちからすると,違和感を持たざるをえない.
 また「母子草」は,戦後の口語文の文学作品としてはあまり用いられない「であります」調 (一般には軍隊言葉として知られている) と「です・ます」調を混在させて書いている.ここで指摘しておかねばならないのは,「であります」調は小川未明が多用した表現であったということである.未明の「であります」調については,古谷綱武氏は「小川未明論」(『日本人の知性』〈学術出版会所収) で次のように書いている.
 
むやみやたらに「あります」でむすんでいる文章のまずさ、明治の雄弁術が現代に生きのこっているようなその目ざわりなかたさは、それがそのまま頭のかたさであるが、現代の評価にあてれば、欠点とよんでいいものである
 
 これはまことに的確な指摘であり,《「あります」でむすんでいる文章のまずさ 》は,そのまま藤澤衞彦教授作の童話にも当てはまる.
 著名な童話作家であった奈街三郎 (1978年12月23日没) は昭和四十八年 (1973年) に,藤澤衞彦作「母子草」をほぼ丸ごと剽窃して奈街三郎名義の「母子草」(『幼年みんわ かなしいはなし』〈偕成社〉所収) を発表したが,これは完全なコピーではなく,姑息なことに,原作中の「お母さま」を「おかあさま」と平仮名にし,かつ「であります」を「です・ます」に書き換えている.剽窃者は剽窃者なりに,いくら何でも童話に軍隊言葉は馴染まないと考えたのであろうか.
 実際,藤澤衞彦作「母子草」から派生した戦後の童話作品には,奈街三郎らが剽窃して発表した二作品も含めて,標準語で書かれたものは一つもない.標準語で書かれたのは藤澤衞彦作「母子草」だけである.
 なぜ藤澤教授が,戦後になっても大日本帝国の残滓である標準語で童話を書こうとしたのかは,今となってはわからない.
 しかし推測できる理由が一つある.それは,藤澤衞彦教授が昭和二十四年,童話集『母子草』巻末に掲げた後書き《父兄方へ 》 (前回の記事《母子草 (十五) 》に掲載した) を読めば明らかなように,藤澤教授の童話は子どもに向けて書かれたものではないことである.
 藤澤教授は,戦前の標準語教育を受けた「父兄」を対象にして童話を書くことを意図したのであり,従って,戦後の普通の子どもが理解できる言葉ではなく,標準語を用いて書いても何ら問題はないと考えたのだろう.これは小川未明が,子どもではなく大人に鑑賞されることを期待して童話を書いたのと同じ姿勢である (小川未明《今後を童話作家に 》;青空文庫).そして未明ら明治生まれの童話作家たちの作品は,戦後になってから登場した児童文学者たちによって「子ども不在の童話」として厳しく否定されたのであった.
 
 藤澤衞彦作「母子草」には,標準語の使用の他にも,いくつかの問題点がある.
 その一つは,この作品では童話の基本的な作法が守られていないことである.次回はそのことについて述べる.
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「母子草」全文
底本:『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行初版第一刷)
 
 小雪は、いつものように、湖のほとりに立って、はるかむこう岸をじっとみつめているのでした。
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。さぞ、ご不自由でございましょう。小雪の年期 (やとわれて働くことを約束した年數) も、あと三年ですみます。それまではお母さま、どうかおたっしゃにおくらしください。』
 毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
 人の一心の、なんで通じないことがありましょう。ふるさとでは、小雪のお母さまも、
『小雪、小雪、私のかわいい小雪よ、どうかたっしゃでいておくれ。せっかくお前がご奉公に出てまでととのえてくれたお藥も、どうしたことか、ききめがあらわれず、私はめくらになってしまったけれど、私はお前の美しい心がよく見えます。神さま、どうか、小雪の身の上がしあわせでありますように。』
 やさしい小雪のお母さまも、毎日いくたびか湖とわが家のあいだをいききしては、小雪のいる他國 [ルビ=よそぐに] はあの方角かと見えぬ目でのぞんでは、涙をながしておりました。今まで三年のあいだに、こうしてながしたお母さまの涙は、まあどのくらいだったでしょう。それにもおとらない小雪の涙は、きょうもまた湖のほとりに来て、とめどもなくながされるのでした。
 はるばると廣い大きな近江の湖、その湖の上には、きらきらと美しい太陽の光が波にてりはえて、なんともいわれぬ美しいながめでしたが、小雪には、やっぱり悲しい湖でありました。
 いつものように、草かりかごをそこへおろすと、小雪は、じっとふるさとの方をながめて、
『お母さま、きょうは私の身の上に悲しいことが起こりました。あと三年でお母さまにおあいできると、指おりかぞえて待っておりましたのに、きけば、ここでは、その年期が約束通り守られないらしいのです。きょう、七年たったお友だちが、なんとかりくつをつけられて、また三年のびました。私も三年たったら、うまくお母さまのもとへかえれるかどうか、あやしく思われます。でも、にげてはいかれない湖のお國です。ああ、私はお母さまがこいしい。…… ふるさとこいし、母こいし。』
 小雪は、うたって泣きました。
 するとそのとき、ふしぎにも湖の中に、『ふるさとこいし、母こいし。』という文字が、波の上にありありとあらわれました。見ているうちにその文字は、だんだんのびて、ふるさとの方へひろがっていきます。ゆめではないかと、小雪が見ていますと、その文字のみちを、はるかに通ってこちらに来る一人の女の人、それは湖のはなれ島におまつりしてある、べんてんさまでありました。
 べんてんさまは、やがて、なぎさ近くまでおいでになって、手まねで、小雪について来いと申されます。小雪が文字のみちをつくづく見ますと、それはなんと、たくさんのお魚がもりあがって橋をわたしているのでした。みちびかれるままに、小雪は、べんてんさまについて、魚の橋をわたっていきました。そして、長い長い橋をつかれもせず、なつかしいふるさとの岸までたどりつきました。
 ふと見れば、いつのまにやら、べんてんさまのおすがたが消えていました。小雪が岸につくと、そこからわが家の方にむかって、二列になってはえている、ふしぎな草が目につきました。ついぞ見なれぬ草なので、村人にたずねますと、
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 とこたえてくれました。小雪はその草のみちをたどって、なつかしいお母さまのもとにかえりました。
 皆さんも初夏のころ、あぜみちや野みちをいくと、小さい黄色い花をつけた、くきの長い草を見つけることでしょう。これこそ、この母と子の、やさしい心によって生まれ出た、記念 (かたみ) の母子草だということです。

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2018年8月 9日 (木)

林先生,その説明,お見事ではありません

 医療分野や,健康と栄養に関する話題を取り上げるテレビの情報番組で,もっとも信頼性が高いのは,しかるべき医師の監修の下に制作されているNHK『ドクターG』(不定期放送) であろう.
 ところが同じNHKでも,健康情報を頻繁に取り上げる『ガッテン!』は,過去に学会などから放送内容について抗議を受け,厚労省から口頭注意されて謝罪にまで追い込まれたことがある.
 誤情報の流布というよりもテレビ番組の大不祥事の一つとして記憶されているのは,フジテレビ系列で放送されていた『発掘!あるある大事典』だが,その司会者だった堺正章は現在,日本テレビ系列の『世界一受けたい授業』に出演している.しかしこの番組はまだそれほど社会に害悪を流していないようだ.
 その手のクリティカルな話題は取り上げないので毒にも薬にもならぬエンタメに過ぎないテレビ東京『ソレダメ!』は,過去にあまり問題を起こしたことはない.
 誤情報の流布,ほとんどフードファディズムの域にあるという点で最悪なのは,予備校講師にして雑学芸人である林修先生が出演するテレビ朝日『林修の 今でしょ!講座』である.この番組は精神衛生に悪いので,今はもう私は決して観ない.
 これよりはマシだが,時折とんでもないことを放送するのが,やはり林修先生の毎日放送系列『林先生が驚く 初耳学』だ.
 先日の日曜日 (8/5) に放送された『林先生が驚く 初耳学』で《医師が患者に,効き目のない薬を出すことがあるが,その理由は何か》という出題がなされた.
 
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 この問題に対する林先生は「知っている」と答えたが,その答えの概略は次の通り.
 
『人間は,有効成分を含まないものをも薬だと思って服用すると効いてしまうことがある.
これを「プラシーボ」あるいは「プラセボ」と言う.また「偽薬」とも言う.
必要でない薬を欲しがる患者にプラシーボを処方すると,薬をもらったという安心感でいい方向に繋がっていくので医師が敢えて処方するケースがある』

 
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 番組ではこの解答を司会者が「林先生,その説明,お見事です」と正解にしたが,実はこれが大間違いなのであった.
 大きな間違いとは,林先生がプラシーボの意味と倫理的問題点をよく理解していないことが露呈したのに,司会者が正解としてしまったことと,正解の解説として放送されたVTRとテロップに,エンタメ番組だからといって看過してはならぬ重大な誤情報が含まれていたことである.以下,この問題について解説する.
 
 さてプラシーボ (偽薬) には二つの意味がある.
 第一は,医薬品の評価を目的として行われる臨床試験 (=治験) において当該医薬品に対する対照として使用される場合 (プラシーボ対照という) であり,第二は臨床の場で患者の疼痛緩和などの治療を目的として使用される場合 (プラシーボ治療という) である.林先生は単にプラシーボと言ったが,正しくはプラシーボ治療と言わなければいけない.
 まず最初に,プラシーボ対照について.
 例えば,新しく開発された抗がん剤の治験に参加する患者群は,医師にも患者本人にもわからぬようにして本物の抗がん剤を投与される群とプラシーボを投与される群に分けられる.これを二重盲検法という.この場合,本物の抗がん剤を投与される群はいいが,プラシーボを与えられる患者はたまったものではない.本来なら与えられるべき治療の代わりに偽物の薬を投与されるわけで,治験中に病状が悪化して死亡したりなどしたら,その責任は誰がとるのかという重大な倫理的問題が生じる.
 そのため現在の治験における比較対照試験では通常,プラシーボ対照は行われず,類似の薬効を有する既承認薬が用いられる.
 次に,プラシーボ治療について.
 これは,既に医療の分野で確立された概念のように一般に考えられている「インフォームド・コンセント」に反する行為なのである.
 Wikipedia【インフォームド・コンセント】から概略を以下に引用する.
 
インフォームド・コンセント (英: informed consent) とは、「十分な情報を得た (伝えられた) 上での合意」を意味する概念。
特に、医療行為 (投薬・手術・検査など) や治験などの対象者 (患者や被験者) が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で (英: informed)、対象者が自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において合意する (英: consent) ことである (単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもインフォームド・コンセントに含まれる)。説明の内容としては、対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれている。また、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならない。
インフォームド・コンセントについて、日本医師会生命倫理懇談会は1990年に「説明と同意」と表現し、患者の自己決定権を保障するシステムあるいは一連のプロセスであると説明している。1997年に医療法が改正され「説明と同意」を行う義務が、初めて法律として明文化された。
》 (下線は当ブログの筆者が付した)
 
 プラシーボ治療は,患者本人は「効く薬」だと信じているのに,実際は無効な医薬品を与えるのであるから,インフォームド・コンセントとは真っ向から対立する行為なのである.
 また,林先生は《人間は,有効成分を含まないものをも薬だと思って服用すると効いてしまうことがある》と述べた (これをプラシーボ効果という) が,プラシーボ効果を疑問視する研究者は多い.
 Wikipedia【偽薬】から以下に引用する.
 
偽薬に一定の効果があるかどうかについては、疑問視する意見も常にある。2001年に New England Journal of Medicine に掲載された Hrobjartsson らの論文は、治療手段としての偽薬の効果が限られていると主張し、反響を呼んだ。この論文で著者らは、過去に行われた偽薬と無治療との比較試験100編以上の論文をレビューして、痛みの症状は偽薬によって若干改善されるが、それ以外では、偽薬が自覚症状や他覚症状を改善する証拠はなかったと述べている。
 
 上の引用のように,プラシーボ治療は科学的に確立したものではないため,米国では2004年に米国疼痛看護管理学会 (American Society for Pain Management Nursing) がプラシーボ治療に反対する声明文を公表したことを契機に,2005年に米国疼痛学会 (The American Pain Society) が,2008年には米国医師会 (American Medical Association)が相次いで治療においてインフォームド・コンセントを求めるガイドラインを示すに至った.
 ところが日本においては,医師や看護師のプラシーボ治療に関する倫理観が低く,田中 (東邦大学医学部看護学科) らは,論文『臨床における看護師のプラシーボ与薬の実態に関する全国調査』(日本看護倫理学会誌,Vol3,No.1,2011) において次のように述べている.
 
プラシーボ治療は当事者である患者はもちろん社会的にも公にされないまま、実際にはかなりの頻度で実施されていることが明らかになっている
 
 『林先生が驚く 初耳学』にVTRで登場した山下弘一という医師 (やました内科・脳神経クリニック院長,東京都) はプラシーボ治療を《確立された科学的なものなんですよ》と述べたが,これは事実に反する.
 
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20180809h
 
 実際には研究者間にプラシーボ治療に関する科学的なコンセンサスは存在せず,このことは Wikipedia【偽薬】に《少なくとも標準的な治療法とはなり得ていない状況といえる》と書かれている.(ネット上にあるプラシーボ治療に関する原著論文を私が読んだ限りにおいては,この Wikipedia【偽薬】の記述は妥当である)
 しかもプラシーボ治療には,科学的な問題の他に,インフォームド・コンセントに反するという大きな問題が存在するのである.従って上に示した山下弘一医師の発言は,いまだ見解が対立している状態にあるプラシーボ治療の問題を,あたかも解決済みであるかのように視聴者をミスリードする誤情報だと断じて差し支えない.
 
 私の体験について述べると,私はこれまでに四回,総合病院に入院して治療を受けたことがあるが,いずれの病院でも,医師が薬を処方すると病院所属の薬剤師が私のベッドまでやってきて,処方された薬の詳しい内容と服用方法の説明を行った.
 このようなインフォームド・コンセントのシステムがきちんと機能している病院では,プラシーボ治療は実施が難しい.薬剤師による薬の説明がないということは,その薬がプラシーボだということであり,プラシーボ治療であることが患者にバレてしまったのでは,そもそもプラシーボ治療の効果がないからである.
 すなわち《医師が患者に,効き目のない薬を出すことがある》プラシーボ治療が可能なのは,インフォームド・コンセントのシステムが機能していない病院 (例えば「○○クリニック」とでもいうような規模の w) で入院治療を受けている場合に限られるだろう.(医師法では,医薬品を患者に処方する際,処方箋を発行することがその暗示的効果の妨げになる場合には処方箋を交付する義務がない事が規定されている)
 通院患者の場合はどうかというと,処方箋には医薬品名が書かれているから,患者はただちにネット検索してその医薬品の効果効能を知ることができる.またその処方箋を持って行った先の調剤薬局では,通常,薬剤師による口頭で薬の説明が行われるか,またはその薬の説明が書かれた印刷物が薬と共に患者に渡されることになっている (薬の入った袋だけがポンと患者に渡されている次のシーンは実際と異なる) ので,林先生が言うようなプラシーボ治療は困難である.
 
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(通常の調剤薬局では,薬剤師がトレーに処方箋と薬と,薬を入れる袋を載せてもってきて,処方箋を確認しながら患者に薬の説明を行い,それから薬を袋に入れる.このようにして患者に間違った薬を渡してしまわぬような手順が踏まれるのだが,これはインフォームド・コンセントの実行でもある.番組では上に掲載した画像のシーンが放送されたが,確認作業なしに,既に袋に入れられた薬を患者に手渡すような調剤薬局が仮にあるとすれば,私たちはそのような薬局を利用してはいけない)
 
 以上が『林先生が驚く 初耳学』で放送された「医師が患者に,効き目のない薬を出すことがあるが,その理由は何か」という出題が持つ重大な問題点の説明であるが,実はもう一つ,放送内容にもっと重大な問題点があった.次のシーンを見て頂きたい.
 
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 薬の知識がない上にスマホもパソコンも持っていない情報弱者の患者が何としてでも薬を欲しがった場合に「それじゃあビタミン剤でも出しておくか」と医師が意味なくビタミン剤を処方することは無害だからよしとしても,上のテロップにあるように無意味な抗生物質を処方するのはよほど悪質な医師の場合に限られるだろう.昭和の頃に,医師が無意味に抗生物質を投与した結果として薬剤耐性菌が蔓延したのを知りつつ,現代の普通の医師が意味なく抗生物質を処方するとは思えない.これは誤情報の域を超えた虚偽情報である.
 
[脚註 1] なお,上の数葉の画像は,録画データを編集したものではなく,引用に供するためにテレビ画面をカメラで撮影し,それをトリミングしたものである. 
[脚註 2] 最後に文献をいくつか紹介しておく.
プラセボの使用に関する倫理的ジレンマとそれを乗り越える試み

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2018年8月 7日 (火)

俳句の性善説 (おいおい)

 昔,私がまだ中学生であった頃のこと.父親が読売新聞を定期購読していたので,週に一度掲載される短歌と俳句の欄 (読売歌壇,俳壇) を私は楽しみにしていた.
 読売の縮刷版を調べていないから不確かではあるが,たぶん東京オリンピックの年,昭和三十九年 (1964年) のことだった.歌壇俳壇とは別ページの文芸批評欄に「第二芸術論争」に関する評論が掲載された.その評論の筆者が誰であったかは覚えていないが.
 第二芸術論争とは,フランス文学者の桑原武夫が昭和二十一年 (1946年) ,雑誌「世界」の十一月号に発表した論文「第二芸術論 ― 現代俳句について ― 」に始まる論争である.(講談社学術文庫に桑原武夫著『第二芸術』があり,これは絶版であるが現在も古書が入手できる.青空文庫には収載されていないようである)
 その論争がどのようなものであったかは,俳句の鑑賞はするが実作者ではない私が述べるよりも,当該論争を要領よく紹介している Wikipedia【第二芸術】と,桑原武夫をほぼ支持する立場で書かれているウェブコンテンツ《今もつづく「第二芸術論」の衝撃 》を紹介しておく.
 Wikipedia【第二芸術】は,

桑原の挑発的な論調もあってこの論文は俳人たちの間で多くの反論を引き起こした。主な論者は山口誓子、中村草田男、日野草城、西東三鬼、加藤楸邨などで、山口と桑原は毎日新聞紙上で「往復書簡」のやりとりをしている。反論側の要旨は俳句の党派性などの弊害をある程度認めつつ、桑原の鑑賞力の低さや俳句に対するそもそもの非好意的な態度を批判するもので、中でも中村草田男が激しい反論を行った。

としているが,第二芸術論争に関して中立的に述べた文芸批評が読売新聞に掲載された当時に中学生だった私にすら,草田男らの反論は的外れのように思われたのであった.
 しかしそれから五十余年を経た今の私には,俳句は作者の人生と無関係な処に成立するという桑原武夫の主張はいささか極論だと思われる.

 話は少し逸れるが,「無限の猿定理 (infinite monkey theorem) 」は広く知られている思考実験である.Wikipedia【無限の猿定理】の冒頭から少し引用しよう.

無限の猿定理(むげんのさるていり、英語: infinite monkey theorem)とは、ランダムに文字列を作り続ければどんな文字列もいつかはできあがるという定理である。比喩的に「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」などと表現されるため、この名がある。
この「定理」は、巨大だが有限な数を想像することで無限に関する理論を扱うことの危険性、および無限を想像することによって巨大な数を扱うことの危険性について示唆を与える。猿の打鍵によって所望のテキストが得られる確率は、たとえば『ハムレット』くらいの長さのものになると、極めて小さくなる。宇宙の年齢に匹敵する時間をかけても、実際にそういったことが起こる見込みはほとんどない。しかし、定理は「十分長い」時間をかければ「ほとんど確実」にそうなる、と主張する。

 上記が「無限の猿定理」についての超簡単な紹介であるが,《たとえば『ハムレット』くらいの長さのものになると、極めて小さくなる。宇宙の年齢に匹敵する時間をかけても、実際にそういったことが起こる見込みはほとんどない 》としても,猿をスーパーコンピュータに置き換え,これに適当なロジックで俳句を作らせたらどうなるか.
 膨大な時間を要せずに,コンピュータが正岡子規の「絶筆三句」すなわち

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
をとゝひの糸瓜の水も取らざりき
痰一斗糸瓜の水も間にあはず

をアウトプットする可能性には現実味があると思われる.
 だがしかし,コンピュータがそんなことをしても私たちは「はーそうですか,それで?」と言うだろう.
 またコンピュータの技術者は誰一人としてそんな愚かな試みはしないだろう.
 何となれば「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」は,正岡子規という人間の人生があってこそ初めて成立したものだからである.
 子規が世を去る前年の「柿くふも今年ばかりと思ひけり」もよく知られた句である.齢七十に近い私はこの一句にしみじみとした感慨を覚えるのであるが,私だけでなく老人の多くは同じ思いであろう.感銘とはそういうものである.
 話を第二芸術論に戻そう.坂口安吾は「第二芸術論について」で次のように書いている.

俳句も短歌も私小説も芸術の一形式なのである。たゞ、俳句の極意書や短歌の奥儀秘伝書に通じてゐるが、詩の本質を解さず、本当の詩魂をもたない俳人歌人の名人達人諸先生が、俳人であり歌人であつても、詩人でない、芸術家でないといふだけの話なのである。

 私は,坂口安吾の意見に賛成である.俳人には,自分の人生を五七五の詩にしない (しようとせぬ) 人と,詩人と呼ばれるべき人々がいるのである.
 では,己の人生と無関係の処に成立する詩魂のない俳句とは何か.遊びである.
 遊びではあるが,それが悪いというのではない.後述のように,遊びにも意味はあると私は思っている.

 以上は長い前フリである.
 先週のテレビ番組『プレバト!』の名物企画「俳句の才能査定ランキング」を視聴して,私は第二芸術論争を想起したのである.
 番組内容は《東国原英夫の盗作疑惑について、俳句講師“この世界ではよくある話” ネットは賛否両論 》をお読み頂きたい.芸能記事であるが,過不足なくまとめられている.
 番組では講師の夏井いつき氏が,番組内で名人の位にある東国原英夫の句が地方紙の投稿句に酷似していることを指して

俳句を査定している俳人・夏井いつきは、句が似通ることは「俳句の世界ではよくある話。17音しかないので、類想類句は山のようにできる」とフォロー。俳句の世界の慣習は「すべて性善説で考える。わざと悪いことをしたって考えない。同じのがたまたまできたんですね(と解釈する)」と見解を述べた。また、類似した句が先に発表されていた際は、「それ以降その句を自分の句と主張しない」と対処法を教示。さらには「私も良い句ができたなと思ったら、高浜虚子の句と一言一句同じだったことがある」と話していた。

と擁護したが,この発言は重大である.もしも夏井先生の言う通りなら,俳句とは何とまあのんびりとしたいい加減なものなのだろうと考えざるを得ないからである.
 例えばこの文章の前半で述べたように,思考実験としてスーパーコンピュータに俳句を作らせる.ランダムに十七音を並べ,その中から俳句として意味あるものをアウトプットさせる.そうすると何万冊,何十万冊もの句集ができるだろう.その結果,夏井先生が今後どんなに工夫を凝らした俳句を作ったとしても,コンピュータが作った句集の中にそれと全く同じ先行作品が見出されるだろう.このような,自分の作る俳句がすべて先行作品の類想類句として全否定されるという局面に際して,夏井先生はそれでも《類想類句は山のようにできる》のが俳句というものであるから,「自分の句だと主張しなければいい」などと平然としていられるか.
 そうではなかろう.文章の芸術というものは,桑原武夫が極論したように,作者の人生と結びついて初めて芸術たり得るのである.(桑原武夫は,俳句には人生を盛り込めぬから,俳句は二流の芸術なのであるとしたが,それは言い過ぎである)
 もし自分の一句が己の人生から生み出されたものであれば,夏井先生はコンピュータ作の同一先行句に対して「これは私の句だ,私の作品だ」ときっぱり否定できる.機械に人生はないからである.同様に,夏井先生の俳句が言葉遊びではないとするなら,他の人の句と同じものになるはずがない.人には,同じ人生などないからである.言い換えれば,他人の句と同じものを作ってしまうというのは,それが言葉遊びであるからだ.今回の東国原の盗作疑惑の件は,言葉遊びとしての俳句のあやうさを示している.そして東国原を擁護した夏井先生には,創作のオリジナリティということに対する潔癖性が決定的に欠けている.それは先日ここに書いた私の文章《されどわれらが日々 》でも指摘した.

 とは書いてみたものの,私は毎週「俳句の才能査定ランキング」を楽しみに視聴している.この番組は,お笑い芸人たちに俳句芸人の夏井先生が「○○と懸けてなんと解く」と「お題」を出す形の,いわば寄席の大喜利と同種の遊びなのである.しかし遊びとしては,なかなか面白いので私は欠かさず観ている.w

 余談だが,夏井先生が《私も良い句ができたなと思ったら、高浜虚子の句と一言一句同じだったことがある 》と発言したその虚子こそ,桑原武夫が「言葉遊び」として指弾した俳人なのだ.そしてこの発言が,私が先週の「俳句の才能査定ランキング」を観て第二芸術論争を想起した所以である.
 子規は生涯に二万句以上の俳句を詠んだという.それらには他人の作品と同じ句はなかったのである.

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2018年8月 6日 (月)

自転車のチリンチリン

 背後から音もなく,しかも無言ですり抜けるように追い抜いて行った自転車に驚き,横っ飛びに避けたら,電柱に右手を強打した.
 骨にヒビが入ったため,右手を使う作業ができなくなってしまった.
 しかし昨日,ようやく固定が外されたので,またキーボードを打てるようになった.

 それで思ったのだが,かなり前から自転車に乗っている時に「チリンチリン」という警音を鳴らす人はいない.
 なぜかというと日本の道路交通法においては,第54条 (警音器の使用等) で,進路上にいる他の自転車や歩行者に進路を譲らせる目的で警音器を鳴らしてはならないとされているからである.
 私が被ったケガは,この条文に該当し,運転者 (女性だった) は正当なのである.
 まことに腹が立つ.運転者が声を出して前方の歩行者に警告する義務を課して欲しいが,それは現行法ではマナーの範疇である.自転車に接触されたわけではなく,自分が避けたことが原因のケガは,ケガをした方が悪いというのが現行道交法の精神である.後で調べたら,そういうことなのであった.くそっ.

 というわけで,また更新再開である.

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2018年7月24日 (火)

橋本忍逝く

 名優加藤剛が亡くなったのは先月の十八日だが,報じられたのは今月九日だった.
 続いて日本映画史上に屹立する脚本家橋本忍の訃報は先日の二十日であった.
 この二人の名を聞けば何を措いても『砂の器』だが,橋本忍の逝去を報じたウェブニュースの中に『砂の器』を挙げていないものがあったので私は驚いた.
 またふとしたことから閲覧したブログ《鶴の一声》の記事《524 橋本忍という脚本家 》   に

先日のブログで、加藤剛・加藤嘉の「砂の器」のことを書いたが、その脚本家が橋本忍さんだったことを、今回亡くなってから知った。
 その他にも、羅生門・七人の侍・隠し砦の三悪人・ゼロの焦点・日本の一番長い日・風林火山・どですかでん・日本沈没・八甲田山・八墓村・影武者など、多くの優れた邦画の脚本を手掛けていたことも合わせて知った。

と書かれているのを見て,今の若い映画ファンは,私と同世代の映画ファンとは全く異なるものなんだと知った.

『砂の器』(1974年製作) は,松本清張作品の映画化を多く手掛けた野村芳太郎監督の力量は言うまでもないが,何よりも脚本を書いた橋本忍と山田洋次,音楽監督の芥川也寸志と主題曲『宿命』(註) を作曲した菅野光亮,そして俳優としては刑事役の丹波哲郎と,放浪する父子の父を演じた加藤嘉の映画であると言っていい.物語上の主人公は和賀英良を演じた加藤剛だが,実質的には脇役である.
 この作品が公開された時,私は劇場で繰り返し観た.そして主題曲LP『宿命』を買って繰り返し聴いた.私にとって『砂の器』は,橋本忍の名を記憶に刻むと共に,この作品で映画の観方を学んだという点で,邦画最優秀作品である.
 昔購入したLP盤の『宿命』は手放したが,デジタルリマスター版『砂の器』とそのCD『宿命』は大切に持っている.
 昨日,久しぶりに『砂の器』を再鑑賞した.そして泣いた.
 映画や音楽は人生の一部になり得る.私は『砂の器』のストーリーにも泣いたが,この映画の公開当時まだ若かった私の人生の,過ぎ去った数々の思い出にも涙したのであった.
 
(註) ちなみに,この動画中,放浪する父と子が峠を越えて見下ろす先に広がる有名なシーンのロケ地は,後に世界遺産となった越中五箇山の相倉合掌造り集落である.当時はあまり世間に知られていなかった五箇山をロケ地に選んだのは山田洋次ではなかろうかと私は想像している.放浪を回想する部分のシナリオは山田洋次であるからだ.

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2018年7月23日 (月)

極端から極端へ

 昨年の話であるが,朝日新聞に《「捨てないパン屋」の挑戦 休みも増え売り上げもキープ 》と題した記事が掲載された.(掲載日付 2017年3月22日12時53分)
 これは有料会員限定記事なので料金を払わないと冒頭部分しか読めないが,実は他のメディアに,この記事をパクッた記事があったことをあとで知った.
 ニッポン放送の『上柳昌彦 あさぼらけ』で放送された《業界の常識を打ち破る!『捨てないパン屋』を営む夫婦 「あけの語りびと」(朗読公開) 2017/04/26 06:00 》がそれである.
 朝日新聞がニッポン放送に文句をつけたかどうか知らないが,それはともかく,記事あるいは放送は,広島市の田村陽至さんと奥さんの芙美さんが二人でやっている小さなパン店『ドリアン』が業界で大きな注目を浴びているという話である.
『ドリアン』が注目をされているのは,ここ二年余りパンを一個も捨てていないからである.それを番組は次のように放送した.
 
暗いうちから早起きをして、精魂込めて焼いたパンも、売れ残れば廃棄するしかありません。けれども、作り方と売り方と働き方を変えることによって、『ドリアン』は、パン業界の常識を打ち破り、捨てないパン屋に生まれ変わってしまったのです。
 
『ドリアン』が現在どのような経営をしているかは,『ドリアン』の公式サイトに書かれていることと,ニッポン放送の記事を読んで頂きたい.
 さてニッポン放送『あさぼらけ』の番組紹介記事 (と朝日新聞の有料記事) は,『ドリアン』が「捨てないパン屋」であることを手放しで賞賛しているのだが,本当にそうか.
『ドリアン』は,菓子パンや総菜パンの製造販売をやめて,有機栽培の小麦粉とサワードウを用いて作る酸味の強いパンのみを製造している.日本のパンのマーケットでは非常にニッチな分野である.
 これは『ドリアン』の経営者自らが書いていることだが,このやり方はコストが著しく高いから,売れ残りを「捨て」ていたのでは経営が成り立たない.
 つまり『ドリアン』がパンを「捨てない」のは,売れる以上には作らずに利益を出そうとしたことの結果であって,目的ではない.そのところを『あさぼらけ』は誤解している.
 そもそも有機栽培の小麦粉は高価であるため,日本では富裕層が口にできる特殊な食料である.また全地球的規模で食糧問題を考えた場合,有機栽培は生産性が低く,問題の解決に役立つ農法ではない.
 さらに,酸味の強い伝統的な製法のパンを好む人は,日本ではごく少数派である.従って,現在,通販をしている他のパン屋が『ドリアン』と全く同じやり方で,この非常にニッチなマーケットに参入してきたら,『ドリアン』は小さなパイを奪い合う厳しい競争にさらされることになる.そうなれば,どっちのパンがおいしいか,という競争原理が働くようになるからである.
 
 記事によれば,『ドリアン』の現在の経営者は,親から店を継承した当時,以下のような状況だった.
 
田村陽至さんは40歳の三代目。実家の店を継いだのは、12年前でした。
張り切っていた田村さんは、店をリニューアル。
手作りの具にこだわった総菜パンや菓子パンをそろえ、流行りの天然酵母のパンも始めました。
店に並べた商品は40種類。田村さんは、夜の10時から翌日の夕方まで眠る間もなく働きづめだったといいます。
この努力の甲斐あって、評判の人気店にはなったものの、楽ではなかった経営。
何よりも辛かったのは、店の閉店後、廃棄処分にするパンの多さでした。
25リットル入りの袋がふくらんで行くのを見るたびに思ったそうです。
こんなに働いてるのに、なぜダメなんだ?

 
 記事によると《店に並べた商品は40種類》というから,これは大手のベーカリー,例えば関東ではポンパドウルリトルマーメイドなどが店頭に並べている商品数に匹敵あるいは上回る.
 これは夫婦二人がアルバイトを使ってやっている街中の小規模なパン屋としては異常な多品種,品揃えである.
 消費期限が厳しい総菜パンや菓子パンでこんなことをすれば必然的にロスが増える.固定客数があまり増えないという条件下でどんどん品数を増やすことは,そのままロスの増加をもたらす.
 すなわち,売れる以上に生産すれば,ロスになる.
 この製造業の基本的なことを理解できずに《こんなに働いてるのに、なぜダメなんだ?》とは,何を言っておるのかと呆れざるを得ない.(『ドリアン』の経営者が実際にそう言ったかどうか,『あさぼらけ』が勝手にそう書いたかは不明だが)
 行き詰った『ドリアン』の経営者は極端から極端に方向を転じ,菓子パンと惣菜パンをやめて,富裕層向けのパンというニッチマーケットに参入したのである.
 有機小麦粉とサワードウを用いる『ドリアン』の現在の成功は,その商売がニッチマーケットであることによって支えられている.これを,朝日新聞の記事が書いているように環境問題的サステナビリティと結びつけるのは無理がある.実は朝日新聞は『ドリアン』を複数回取り上げて記事にしている.よほど「捨てないパン屋」というコンセプトが気に入ったとみえる.
 
 五種類とか十種類とかの惣菜パンをメインに,種類は少なくてもおいしいと評判を取ってきちんと安定した経営をしている「捨てない」パン屋は,あちこちの街にあるだろう.
 かつて鎌倉山の住宅街にあった伝説的なパン屋「ボンジュール」は,予約販売の食パンがおいしいので湘南一帯で大評判であったが,それは有機小麦粉もサワードウも使わない,普通の手頃な値段のパンであった.そして昼過ぎには食パンはもちろん,その他のフランスパン類も売り切れた.「ボンジュール」は売れる以上には作らなかったから,「捨て」ることはなかったのである.
 普通の暮らしをしている人々向けではないパンを売る『ドリアン』の成功を手放しで賞賛することは,かつての「ボンジュール」ような,私たちに親しい普通の街のパン屋さんはダメだと批判するに等しいと私は考える.
 
[追記]
『あさぼらけ』の記事中に次の文章がある.
 
輸入小麦に比べて、価格は4倍ほどもしましたが、具材を無くして原価を抑えました
具材が無いことで、日持ちが2週間も延びました。
》 (下線は当ブログ筆者が付した)
 
 (1) 『ドリアン』は菓子パンと惣菜パンの製造そのものをやめたのである.《具材を無くして原価を抑え》たのではない.もしかするとこの文章を書いた人間は,『ドリアン』にインタビューをしていないのではないかと疑われる.
 (2) サワードウで醗酵させると焼きあがったパンは乳酸のために酸性になるのでカビが生えにくくなり,イーストを使用したパンに比べて一般的に室温での日持ちが向上する.具材がないからではない.

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2018年7月22日 (日)

愛菜ちゃんに会える夏

 神戸新聞の記事《芦田愛菜 初舞台に1万人「こんなに楽しいものなのか」と笑顔 》をmsnが転載していた.(掲載日付 2018/07/21 13:13)
 記事に《女優の芦田愛菜が……初舞台を踏み、集まった親子ら約1万人を楽しませた 》とあるが,私もその一万人のうちの一人だった.初舞台とは知らなかったが.

 この日のライブショー『世界一受けたい授業 恐竜に会える夏』は,個人でチケットを手配したのではなく,クラブツーリズムの昼飯付きツアーを申し込んだのだ.

 しかしツアー企画としては不発だったようで,昼食会場である横浜プリンスホテル二階のレストラン「ケッヘル」前に集合した参加者は私を入れてわずか九名だった.というか,母と小学生の子という組み合わせが四組で,それに爺さん一人 σ(-_-;) が加わったツアーなのであった.
 
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 昼食はブフェであるが,内容はちょっと寂しいランチブフェだった.ツアコンダクタは「ローストビーフがオススメです」と言ったが,これが筋の多い堅い肉で,切れないナイフのせいもあって,えーっこれがオススメかよーとすごく残念な感じのローストビーフであった.パスタも中華も天ぷらもスーパーの総菜程度の質で,横浜プリンス「ケッヘル」のランチブフェは絶対にオススメしない.
 
20180721a
 
 昼食は残念なものだったが,肝心のショーがとても楽しかったから,昼飯のことは忘れて大いに満足だった.
 横浜アリーナを埋め尽くした親子連れはノリがよく,小学生たちはペンライトを大きく振って歓声を上げていた. 

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 このライブショーは,なによりも芦田愛菜ちゃんのかわいいことが最大のポイント.初舞台のせいか,共演者とのセリフの遣り取りに一瞬の間が開くこともあったが,それも御愛嬌だ.私には孫はいないが,ステージで歌い踊る愛菜ちゃんは,あたかも成長した孫のようであり,爺さんにとってこのライブは掛け値なく楽しかった.
 これから各地のアリーナで公演が行われるが,もしチケットを買ってみようと思われる爺さん婆さんには,最前列から十列目くらいまでをオススメする.恐竜が客席に乱入してくるので,絶対楽しいと思う.(私は 15列目の席だった)

20180721d

(カメラ撮影は,舞台上の大ディスプレイに撮影OKと表示された短時間の恐竜登場シーンにのみ可.その際,愛菜ちゃんを撮影したい場合は前の方の席で,コンデジではなく,それなりのズームレンズを装着したカメラを用い,あらかじめこのようなショーを撮影する条件にセットしておいて,撮影OKタイムまでバッグにしまっておくのがよい.撮影禁止タイムにカメラを手に持っていると,主催者側とトラブルになるかも知れない.またコンデジで後ろの席では,上の画像程度の写真が精一杯だろう)

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