外食放浪記

藤沢近辺であれを食いこれを食べ.自炊のことや思い出話もむりやりここに.

2019年4月17日 (水)

ドライカレーについて

 私の高校生 (昭和四十年入学) 時代以前は,まだ日本の外食マーケットは黎明期にあった.郷里の前橋市でも,市中心部の繁華街にはデパートや洋服店,電器店などの商店は並んでいるが,家族で食事するようなレストランはあまりなく,デパートの食堂の他には大きめの中華料理店「来々軒」が人気だった.来々軒の息子が中学の同級生だったので特に店名を明記したが,他意はない.
 その他には,小さなシャレた洋食屋さんがあり,裕福な家庭の子女は,普段からここでプレーンオムレツなんぞを食っているらしかった.小学校六年のときの同級生で練炭会社社長の息子がいて,彼は上品な家庭環境が災いしてかクラスの中で浮いていたのだが,彼は私と仲良くなりたかった (私は児童会長だったのだ) ようで,昭和三十六年のある日この店に私を連れて行って,プレーンオムレツを御馳走してくれた.それは天上の美味であり,そして私が初めてナイフとフォークで食事した料理であった.
 その洋食屋さんの店先にはメニューを書いた看板が立て掛けてあり,そこに書かれていた献立を今でもそっくり覚えている.それはこうだった.
 
エビピラフ  エビの入ったチャーハンのようなもの
カニピラフ  カニの入ったチャーハンのようなもの
ドライカレー カレー味のチャーハンのようなもの
 
 この献立のピラフは,たぶん正しい意味のピラフではなく,書かれている通り「チャーハンのようなもの」だったに違いない.というのは,客が注文するたびにピラフを炊いていたのでは時間と手間がかかって仕方ない.仕込みである程度の量のピラフを拵えておき,オーダーがあった場合に,結局のところ炒めて「チャーハンのようなもの」にしたと思われるからである.今なら電子レンジがあるから,「チャーハンのようなもの」はせずに済むだろうが.
 ここで私が特に記したいのは,昭和三十年代から昭和四十年前後の昔,「ドライカレー」はチャーハンのようなものであったということである.
 それから何年かが経って昭和四十三年,大学に合格した私は上京した.田舎の学校の生徒だった時は,肉屋のコロッケとかパンの買い食いとかを除けば,飯は基本的に家で食うものだったが,一人暮らしの大学生の食生活は,自炊もしたが,かなり外食の占める比率が高くなった.朝は主に立ち食い蕎麦だが,喫茶店のモーニング・サービスのこともあった.昼はほとんど大学の生協食堂で食べたが,学友と洋食屋で食うこともあった.昭和四十年代の東京で「ドライカレー」は「ナポリタン」と並ぶ洋食屋の定番献立だったが,その東京の「ドライカレー」も,チャーハンのようなものであった.
 ここで Wikipedia【ドライカレー】を読んでみよう.以下に抜粋引用する.
 
現在、以下のスタイルのカレーライスが、ドライカレーと呼ばれている。
挽肉とみじん切りにした野菜を炒め、カレー粉で風味をつけ、スープストックで味付けをして煮詰め、平皿に盛った飯に載せた料理。一種のキーマカレー。(挽肉タイプ)
カレー風味の炒飯。家庭で簡単に作れる「ドライカレーの素」や、冷凍食品が各社から発売されている。「カレーチャーハン」とも呼ばれる。(炒飯タイプ)
生の米とカレー粉を具材と一緒に炒め、炊き上げたもの。カレーピラフ。(ピラフタイプ)
 
 この記述の後に,《1910年ごろ、日本郵船の外国航路船「三島丸」の食堂が、はじめてドライカレー(挽肉タイプ)を提供したといわれている 》とあり,「ドライカレー」は明治時代から存在したということになる.しかし,このブログで横須賀海軍カレーの大嘘を暴いたように,カレーに関する伝説は信用ならぬものが多い.Wikipedia【ドライカレー】が《といわれている 》としている根拠は,産経ニュースの記事《船上の伝統 ドライカレー 「欧風ダイニング ポールスター」》(2017.11.19 12:02) だが,記事の最初に日本郵船三島丸のカレー料理「ロブスター&ドライカリー」は,
 
12ミリ角程度の牛肉を、カレー粉やタマネギ、ニンニク、ショウガなどとともに炒め、約6時間かけてじっくり仕上げる
 
と書いておきながら,続いて
 
日本郵船の船で機関長を務めた、日本郵船博物館の堀江誠館長代理は「客船では牛肉をかたまりで買うので、固い部分をミンチにしたのが始まりのようです。コックが『ドライカレーはステーキよりもたくさんの肉を使わないといけないんだ』とぼやいていましたが、『他の料理より食べ残しがずっと少ない』とも自慢していました」と話す。
 ひき肉を使うのは、ドイツのハンバーグがヒントになったらしい。船は揺れることから、液状ではないカレーが好まれたという説もある。
 
 これは一体どうしたことだ.ロブスターが行方不明なのも問題だが,それよりも日本郵船博物館の堀江誠館長代理という人は《12ミリ角程度の牛肉》を挽肉だというのである.こんないい加減な人物の言うことを真に受けて記事にした産経新聞記者といい,それを読みもせずに出典として挙げた Wikipedia【ドライカレー】の編集者といい,全くもって大間抜けのコンコンチキとしか言いようがない.《船は揺れることから、液状ではないカレーが好まれたという説もある 》という説明は,横須賀海軍カレー関係者が主張していることと酷似している.横須賀市当局と市内のカレー屋たちは「カレーシチューは軍艦の中では器からこぼれてしまうので,小麦粉でトロミをつけたのが日本のカレーの始まりだ」と主張しているのである.
 大体において,「○○はウチが元祖」という話は,味噌煮込みうどんの山本屋本店とか木村屋總本店のアンパンなどしっかりした根拠のあるものもあるが,大抵はヨタ話だと思ったほうがよい.
 産経の記事にある「ポールスター」というレストランは,三島丸でカレー料理が供されていたことを根拠にして「ドライカレーはウチが元祖」と強引に主張しているといったところが事実であろう.ばれない嘘をつきたいなら,サイコロ切りにした牛肉のカレー風味料理がいつの間に挽肉料理になってしまっているという,いい加減な辻褄を合わせてからにせいと言いたい.

 さて,キーマカレーと「ドライカレー」の混同・誤用はいつの頃に生じたか.
「キーマカレー」という言葉が世間一般で用いられるようになったのは,私が妻を得た昭和五十年代初めのことだったと記憶している.その妻が「ドライカレーです」と言ってある日の食卓に出したのは,私には初見のキーマカレーだった.料理そのものは現在の日本で「キーマカレー」と呼ばれているものだったが,それを当時は「ドライカレー」と呼んでいたのである.もちろんインド料理で「キーマカレー」とは「挽肉のカレー」ほどの意味であり,どのようなものかは,料理するインド人によって千差万別である (と料理本にある) が,一般的には Wikipedia【キーマカレー】に掲載されている下の写真のようなものである.挽肉と少量の野菜を加熱調理して,アンコ状態にしたものだ.下に引用した画像ではトーストしたパンが皿に載っているが,白飯でもバターライスでも,あるいはナンでもいい.何でもいい.ヾ(--;)
 で,その日の夕食,これを食べた私は「全然ドライじゃないね」と言った.批判したわけではないのに,文句をつけられたと思った彼女は,その後二度とこの料理を作ることはなかった.
 そんなことはどうでもいい.要するに,昭和五十年代に,「キーマカレー」を「ドライカレー」と呼ぶ誤用が行われていたのである.
 
Paubhajiindia_1
(オリジナルソースを明記した上で,Wikimedia Commons “Paubhajiindia.jpg” から縮尺して引用;出典ウェブページ)
  
 前置きが長くなった.ここで正調「ドライカレー」を拵えてみる.
 まず,玉葱の中くらいのやつ半分をみじん切りにする.人参もほぼ同量,ピーマンは普通の大きさのを二個,いずれもみじん切りにする.
 この三つを一緒くたにじっくりと中火で炒める.玉葱はよく炒めたほうがおいしいし,人参とピーマンは,加熱が足りないと挽肉と合わせた時に食感がよろしくないからである.もちろん量的なことはテキトーでいい.人参嫌いの向きは敢えて人参を食うこともない.
 彩のことでいうと,みんな同量に近いときれいに見える.下の写真A参照.
 
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(写真A)
  
 野菜をよく炒めたら,これに豚の挽肉百グラムを投入してさらに炒める.挽肉はすぐに火が通るから,硬くならぬよう,あまりだらだらと炒めないのがよろしい.下の写真Bを参照.
 挽肉はあまり割合を多くすると,なんだか「何を隠しましょう私は,実はキーマカレーです」という顔付になって,昭和四十年代のレトロ感が薄れるので,肉が食いたいなら素直にキーマカレーを作って頂きたい.
 
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(写真B)
 
 実は,一人前の量は作りにくいので,調理写真は二人前の外観である.
 具材を炒め終えたら味付けをする.カレー粉だけであると旨味に欠けるので,粉末の鶏ガラスープも使うが,チューブ入りのカレー風味調味料でもよい.私はグリコの「カレーマジック」を使った.これはマイルドとスパイシーの二種類があるので,好みで選べばよい.使用量も好みだが,上の具材量で,大さじ二杯くらいか.味付けしたら半分を冷凍にしておくか,氷温なら数日は保存できるので野菜サラダのトッピングに使える.
 次に米飯を炒める.白飯を百五十グラムから二百グラムをレンチンし,バターと和えてバターライスにし,これをフライパンに具材に投入して,カレー粉をふりかけて加熱しながらよく混ぜ合わせる.
 カレー粉はS&Bの赤い缶でもいいが,ここはひとつシャレて,評判のよいインデアン食品株式会社の INDIAN CURRY POWDER は如何だろうか.成城石井とかカルディコーヒーファームなんかで入手できる.確かめていないが紀ノ国屋にもあるかも知れない.
 ちなみにこのカレー粉の製造者は インデアン食品である.ブログ記事《カルディで買えるカレー粉「インディアン カレーパウダー」でチキンカレーを作る!》に書かれている「インディアン」ではない.
 
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 上は出来上がりの写真だ.インデアン食品のカレー粉はS&B赤缶よりも色がきれいなような気がする.だがまあそこは好みで選択して頂きたい.ということで,副菜に温野菜を添えて,いただきます.

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2019年3月26日 (火)

戸塚 「そば処 しら石」

 数年前に「成熟そば」の話をどこかで知った.
 その時は変な言葉だなと思った.成熟と熟成はどう違うのか.蕎麦が成熟するってのは日本語として違和感があるぞ,と思った.
 日本の国語辞典中,最も信用できる日本国語大辞典 (日国) にある「成熟」の語義によると,
 
(1) 果物や穀類が十分にみのること。よくうれること。また、人の心やからだが十分に成長すること。
(2) 上達すること。熟練していること。熟達。
(3) 情勢や機運などが最も適当な時期、あるいは充実した時期に達すること。
 
とある.次に「熟成」の意味はどうかというと,
 
(1) 十分にでき上がること。また、機会が熟すること。成熟。
(2) 化学物質、配合原料、中間的な半製品などが、特定条件のもとで内部から自然に化学反応を進め、必要とする物理的または化学的性質を獲得していくこと。食品工業、窯業、肥料工業、ビスコース工業などでいう。
(3) 動物体の蛋白質、脂肪、グリコーゲンなどが、酵素や微生物の作用により、腐敗せずに適度に分解され、特殊な香味を発すること。なれ。
 
である.
 では「成熟そば」とは何かというと,狭義には秋に収穫して脱穀してから半年近く低温で保存されたソバの子実 (「丸抜き」という) を指すが,広義にはそれを挽いた蕎麦粉,さらにはその蕎麦粉で打った蕎麦を意味しているらしい.
 草本植物全般に言えるかどうかよく知らないが,栽培作物では,それが有限伸育性であるか,無限伸育性であるかが重要である.
 有限伸育性とは,イネが代表的な作物で,開花すると茎や葉の成長が止まり,光合成した貯蔵物質を種子に集中する性質のことである.この場合は,一本の稲穂の米粒全部同時に完熟するのみならず,同時に栽培されてきた他の個体も同時に完熟する.イネにはこのような性質があるので,期が熟したら田圃の稲を一斉に稲刈りできるわけだ.
 これに対して無限伸育性の作物は,開花して結実しても,その植物個体の成長は止まらない.また新たな開花と結実が生じる.その結果,普通のトマトを見ればわかるように,一本の茎に赤く熟した実とまだ緑色で熟していない実がついている状態となる.従って無限伸育性の作物は,全部の実が熟したところで一斉に収穫するということができない.トマトのように熟したものを順に一つ一つ収穫していくことになる.実はこれは,ある種の野菜にとっては有利な性質で,収穫時期の幅が広くなる (店頭に出回る期間が長い) のである.
 余談だが,ダイズのように品種によって有限伸育性のものと無限伸育性のものが存在する作物がある.この場合のように品種に関しては有限伸育性型,無限伸育性型と呼ぶことがある.有限伸育性型のダイズは種子が大粒であり,収穫される種子の数は少ない.無限伸育性型のダイズは種子が小粒で,収穫できる種子の数が多い.言い換えると,結実した種子の数が多いから小粒になるのである.実際は用途によって,この二種類の作付けを仕分けている.日本に米国から輸入されている大豆は搾油用であり,小粒の品種である.
 さて「成熟そば」のことに戻る.栽培作物のソバは,無限伸育性なのである.これを私は,農学部出身のくせに,この歳になるまで実は知らなかった.知識がないことの言い訳にはならないが,実際のところ,収穫期のソバ畑を目で見たことはなかったからである.
 で,ソバはトマトと異なって,ああいう作物だから,熟したものを順に収穫するということができない.一斉に収穫せざるを得ないのだが,都合の悪いことに,後から結実した種子が完熟するまで待っていると,先に成った実が地面に落ちてしまうのである.すると結果的に収量が減ってしまう.そのため,秋の最大収量の時期に収穫されたソバの子実 (玄米と同様に玄蕎麦という) には,完熟した粒と未熟の粒が混在することになる.いわゆる「新蕎麦」は,このような状態の玄蕎麦を挽いて作った蕎麦粉を打った蕎麦なのである.
[註;玄蕎麦の構造は,一番外側に黒い殻 (果皮) があり,その内側に甘皮 (種皮),内部に胚乳部・子葉部 (胚芽) がある.玄蕎麦から殻を取り除いたものを「抜き」とか「丸抜き」と呼び,この状態で保蔵する.製粉業者はこの丸抜きから数種類の蕎麦粉を篩分しながら製造するが,子実のどの部分が含まれているかで蕎麦粉の色や風味が異なる]
 例えば米の場合,言葉の定義からいうと新米とは,それが収穫されてから,次年度産米が収穫されて市中に出回るまでのものをいう.次の年の米が出回ると新米から古米に呼び方が変わるのである.
 しかし私たちの習慣では,秋に収穫された米が新米と呼ばれるのはせいぜい年内である.なぜかというと昔は,米の保蔵技術が低く設備 (温度管理できる倉庫) もなかったため,年を越すとどうしても品質劣化が進み,食味が明らかに低下したからである.高齢者は記憶しているように昔は,夏場の米は品質が悪かったから,一層新米の旨さが引き立ったものである.しかし現在では保蔵条件が進歩したから,一年中おいしい米が食えるようになった.ありがたいことである.
 実は蕎麦も米と同じなのである.いわゆる新蕎麦は,ソバの子実が晩秋に収穫 (ちなみに北海道産が一番早く出回り,かつ北海道が最大産地であるため,蕎麦にはハシリがなく,一気に旬が到来する) されてからせいぜい年内の蕎麦をいう.理由は米と同じで,昔は年を越した蕎麦の実は品質が低下したからである.ところが,保蔵技術が格段に進歩した現在では,新蕎麦よりも,むしろ年を越して二月から三月あたりの蕎麦のほうが旨いじゃないかという説が,蕎麦職人の中から現れた.
 神奈川県川崎市の「幸町満留賀」と同市「石臼挽きそば 長寿庵」の二店の店主たちが上の説を提唱し,年を越してから製粉した蕎麦粉の蕎麦,すなわち「成熟そば」が美味であるとする宣伝活動を始めた.そして次第にこの説に賛同する店が増えてきたのが現状である.
 ただし,現時点では「成熟そば」は少数派である.老舗の名店は新蕎麦を善しとして,「成熟そば」には無関心ではないかと思う.
 また,「成熟そば」には食品科学的エビデンスがない.あくまでも経験的かつ感覚的な話にすぎない.私見だが,「成熟そば」は食品科学分野の恰好な研究テーマになるのではなかろうか.「成熟そば」が旨いという説が事実なら,これは「丸抜き」状態の蕎麦子実において一種の追熟現象が起きているのかも知れない.あるいは香気成分の化学的変化が生じている可能性も考えられる.とすると,「追熟そば」または「完熟そば」が日本語として正しいのであるが,オリジナリティを尊重して,本稿では「成熟そば」としておく.現役の食品科学研究者がこれに関心を持って,「丸抜き」の追熟あるいは完熟現象を科学的に解明してくれないものかと思う.
 
 というわけで,今年も「成熟そば」の時期がやってきたのだが,つい先日,横浜市戸塚区と藤沢市が接する辺りで「成熟そば」と染めた幟を見つけた.箱根駅伝第三区のランナーたちが,右手に藤沢バイパス入口を見ながら藤沢橋交差点へ向かって走る地点だ.この幟は,造酒屋が新酒の時季になると軒に杉玉を下げるのと似ていて,「成熟そば」をお出しできる時季となりました,との意味であると言う.その幟を立てていたのは,「幸町満留賀」や「石臼挽きそば 長寿庵」とは違ってほぼ無名の「そば処 しら石」という店である.川崎まで蕎麦を食いに出かけずに済むのはありがたい,と私は早速店に入った.
 普通の蕎麦屋なら客で混雑が始まる午前十一時半の少し前だったが,店内に先客は一人もいなかった.だが,掛かってくる電話に出る女将さんと思しき女性は「一時間待ちです」と答えていた.どうやらこの蕎麦屋は,店に来る客よりも出前が中心の店のようであった.
 私は天ざるを注文したのだが,できあがるのに二十分近くを要した.厨房は出前をこなすのに大忙しであるのだろう.
 やってきた蕎麦には海苔が載っていたが,これは邪魔なので,まずは海苔だけを食べてしまい,続いて蕎麦を数本,口に入れて噛んでみた.そして「おお,なーるほど」と膝を打った.確かに,新蕎麦とは異なる風味があったのである.「成熟そば」説は事実だろうと私は思う.実際に私は,蕎麦つゆなしで半分ほどを食べてしまった.残り半分にはほんの少しの蕎麦つゆを付けて食べたから,蕎麦つゆは天ぷらのために使ったようなものだった.出前中心でやっている無名店でも馬鹿にはできないなあと感じた次第である.
 ただ一つ,文句がないことはない.エビの天ぷらがいわゆる「蕎麦屋の天ぷら」で,衣がサクッではなく,バリバリに固い.もしかすると薄力粉に重曹を加えているのかも知れない.つまり温かい天ぷら蕎麦用に揚げる衣と区別がされていないのだ.しかも衣をできるだけ大きくなるように揚げている (いわゆる「花を咲かせる」だ;動画はここ) ため,前歯で噛むとバキと煎餅のような音がした.w
 蕎麦は旨かったが,天ぷらは落第点である.この店で蕎麦を賞味する場合は,蒸籠だけにするのがお勧めである.言うまでもなく,かけ蕎麦や温かい種ものは,蕎麦の旨味もへったくれもないので,富士そばでよろしい.w
 
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2019年3月25日 (月)

藤沢 TO THE HERBS

 世の中は,人々が仕事をすることで成り立っていることは言うまでもない.太古の昔,まだ人類が誕生する前,アフリカで樹上生活をしていたサルたちは,植物が豊富な環境に生きていたから,そこら辺の,手を伸ばせば届く枝になっている果実を取って食べていたに違いない.これは私たちの「仕事」の概念から外れる.彼らは働かざる者であった.
 現在は否定されているが,人類の起源について「イースト・サイド・ストーリー」と呼ばれる仮説があった.この仮説は,約千万年 - 五百万年前にアフリカに大地溝帯が生じたあと,この地溝帯の東側は気候変化で森林が消滅し,サバンナになったと主張した.密林が消滅した環境に生きるサルたちの中から,二足歩行をするものが現れた.Wikipedia【大地溝帯】は次のように述べている.
 
乾燥化によって木と木の間隔が広がったことにより、木から木への移動を行う際に地面に降りる必要が生じ、ついに直立二足歩行を獲得した
 
ついに直立二足歩行を獲得した 》とはまた随分と誤解を招く言い方だ.進化が「獲得する」などと「合目的」的に起こると考えたエンゲルスじゃあるまいし,ここは「直立二足歩行できるサルのみが生き残った」とするべきであろう.だが,この仮説は既に述べたように現在は否定されている.否定された説をイジッても仕方ないが,「イースト・サイド・ストーリー」という命名は,なんともセンスのないことであった.仮説の内容が,あの「ウェスト・サイド・ストーリー」と全く無関係であり,似ているのは「東側」という点だけのダジャレだからである.働かなくても食えるエデンの園を追われたアダムに喩えて,この仮説を「イースト・オブ・エデン」と名付けたら後世の人は大いに感心したであろうに.
 それはともかく,サルが手を伸ばせば届くところに食べ物があるのではなく,何らかの理由により人類が樹上生活を追われ,能動的に食物を探しに行かねばならなくなった時に,私たちの仕事=労働が発生したのである.すなわち無為徒食,働かずに食っている私はサルに近い.異なっているのは,私は時々買い物に出かけるという点である.
 そういう長い前置きをしておいて,藤沢駅の辺りに買い物に出かけたときのことを書く.
 まずは薬局で点鼻薬「アレルカットM」と目薬「サンテゴールド40」および痒み止め「ウナコーワクール」を購入した.サルには必要のない品物である.それから藤沢駅に隣接している商業ビル「リエール藤沢」の三階に入っている書店「ブックエキスプレス藤沢店」で,何か面白そうな本はないかと棚の間を逍遥した.私は新刊書でも古書でも通販で買うのが主だが,たまには書店に行かないと,本との出会いがなくなってしまうから,書店で時間をつぶすことは絶対に必要だと思っている.
 さて結局,買ったのは椎名誠『殺したい蕎麦屋』,東野圭吾『ラプラスの魔女』,勢古浩爾『定年バカ』の三冊である.
それからエスカレーターで一階に降りて,カフェの Becker's でカフェ・ラテのラージを買い,エスカレーターが見える窓際の席で『殺したい蕎麦屋』を読み始めた.この写真入りエッセイ集の最初は「さらば愛しき犬たちよ」で,これがしみじみとよかった.私は老人性の多涙症を患っているので,つい鼻の奥がジンとしてしまった.カウンターパンチをもらった気分だ.
「さらば愛しき犬たちよ」を読み終えて,窓の外に眼をやると,このビルの二階にあるレストラン「TO THE HERBS」の,メニューを載せた立て看板が,エスカレーターのところに出ていた.そういえば昼飯の時刻だったので,TO THE HERBS で何か食おうと考えた.
 TO THE HERBS は古くからある店だ.私がまだ若かった頃,この店でしょっちゅうピザとかパスタを食べたものだが,それももう二十年以上前の話だ.w
 Becker's を出て,その立て看板のところに行くと,ドリンクの無料サービス券が箱に入っていて,遠慮なくお取りくださいと書かれていた.つまりは五百円のドリンク付きの料理を五百円引きするクーポン券だ.それを一枚とって二階に上がり,店に入った.
 いつ改装したのか知らぬが,内装は昔よりオシャレになっている.席に着くと,黒いスーツをノーネクタイでカジュアルに着たフロア担当の男が来たので,私は「海の幸のペスカトーレロッソ」を注文した.食べる料理は立て看板を見て決めていたので,メニューは開かなかった.
 続いて「お飲み物は何にしますか」と彼が言うので,グラスワインの赤を頼んだ.料理は税抜き価格千四百八十円である.
 厨房に私のオーダーを伝えに行った黒服さんは,ややあってから戻ってきた.そして「念のために,ですが」とメニューを開いてペスカトーレロッソを指で示して「これでよろしいでしょうか」と言った.
 普通の店ではペスカトーレロッソというとロングパスタを使うが,この店の料理に使われているパスタは,太い筒状のショートパスタで,たぶんパッケリ (例えばコレ) だろうと思う.私はパッケリを食べたことがないので,どんなパスタか,食べてみようと思ったのである.ちなみにペスカトーレは複数の魚介を意味し,ロッソは赤,つまりトマトソースの料理だ.
 想像するに,この店のちょっとかわったペスカトーレロッソは,オーダーする客が少ないのではなかろうか.それで,私がスパゲッティのペスカトーレと勘違いしていないか,確認に来たのだろう.
 さてそれから十五分以上経って十二時になり,店内が私以外すべて女性客で満席になった頃,ペスカトーレロッソの皿がやってきた.
 パッケリは,茹で上げてから平らにつぶしてある.大きさは縦が五センチほど,幅が四センチくらいだろうか.穴の側から見ると,ちょうど小さなイカ焼きを横にカットしたようになっている.パッケリの中に詰め物をして調理することもあるらしい.イカ飯みたいになるのだろう.w
 フォークで刺して噛むと,かなり噛み応えがある.ロングパスタの,プツッと噛み切れる「アルデンテ」の食感とは異なり,さりとて固い弾力というのでもなく,ちょっと名古屋の味噌煮込みうどんに似た印象だった.具はアサリ,ムール貝とイカ,それに大小二種類のエビだった.トマトソースの具合もちょうどよく,お値段通りの一皿だった.これは,また来た時にリピートしようかなと思った.ごちそうさまでした.
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2019年3月14日 (木)

戸塚 菊屋食堂

 横浜市図書館へ出かけた帰り,東海道線下りを戸塚駅で降りて昼飯を食うことにした.戸塚駅は久しぶりだ.土地勘がないので,駅に隣接したショッピングモール (トツカーナ) の中をウロウロしてみた.この商業施設は,大きな雑居ビルというべきもので,おしゃれ感が皆無だ.元々戸塚駅の西口再開発にあたり,西口にあった雑多な商店群がノーコンセプトで移転入居しただけなので,オープン当初から既に寂れた雰囲気が漂っていた珍しいショッピングモールである.Wikipedia【トツカーナ】にもノーコンセプトのことを書かれてしまっている.w
 二階をぐるりと回ったら,細い通路が露地のようになったわかりにくいところに「菊屋食堂」という店があった.店名は大衆食堂みたいだが,U字型のカウンターの周りに椅子を配しただけの,食堂と呼ぶよりは狭い牛丼屋みたいなパッとしない店構えである.

『食べログ』を見ると,昨年夏に「ここもかちん」という人が,☆3.7と激賞したレビュー

圧倒的にビーフカレーを注文するお客様が多いです
カレーはコクがあって、ほんのり辛くまろやか。カレー専門店にはない上品さがある。そう、喫茶店のカレーなのに、ホテルのカレーのような
 
と書いている.ふーん,この店はカレーがウリなのかと思いつつ中に入ると券売機があった.カレーの「中」(七百円) と,「ここもかちん」氏に倣ってトッピングにメンチカツ (二百三十円) の食券を購入し,席に着くと,中年の愛想のよい女性が接客係だった.濃い色のカレーソースに似たダークブラウンのポロシャツが制服のようであった.w

 で,食券を彼女に渡すと,辛さはどうするかと訊かれたので,これまた「ここもかちん」氏と同じ「一辛」を頼んだ,辛さは甘口,普通,一辛,二辛があるみたいで,すると一辛は中辛に相当するのだろうと思ったからである.
 ランチタイムは,マカロニサラダと茹で卵が無料サービスだという.あと,コーヒー (ホットまたはアイス) またはスープも無料.
 さて,カレーだからすぐ出てくるかと思っていたのだが,接客係のおばさんが「いまメンチカツを揚げてますので少し待ってくださいね」と言った.へー,揚げ置きじゃないんだ,と感心した.そして,ちょっと長めの待ち時間ののちにカレーライスが私の前にやってきた.
 その皿を見て私は軽く後悔した.「中盛」の飯の量が大盛だったからである.見た目で飯茶碗に三杯はあり,普通のカレー屋のライスの二倍量はあったのだ.それにメンチカツがトッピングされている.食いきれるかなー,と不安になった.
 だが,自分が注文しておいて食い残すわけにはいかない.私は気合を入れて食い進んだ.

 食い終わっての感想だが,上に記した『食べログ』のレビューでは「一辛」について《ホテルのカレーのような》とあったが,それは嘘だと言わざるを得ない.どう褒めても☆3.4がいいところで,とてもホテルのレストランで供される一皿二千円以上はするカレーには遠く及ばず,どちらかというと酸味がある某業務用のカレーに近かった.
 菊屋は,店構えの見た目通り,大衆的なカレー屋であった.コストパフォーマンスはいいけれど,年寄りには向かない.頑張って平らげたが,食い過ぎて胸やけが止まらない.この店にもう来ることはないだろうが,ごちそうさまでした.

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2019年3月 6日 (水)

藤沢 富士そば

 藤沢駅の南口には,有隣堂書店,大きめのドラッグストア,小田急デパートなどがあるので買い物によく行く.その南口ロータリーの一角に昨年,富士そばが開店した.
 
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 富士そばは,蕎麦の品質からいうと「立ち食い蕎麦」系統の蕎麦屋なのに,イス席だ.こういう蕎麦屋は何と呼べばいいのか.「腰掛食い蕎麦」か.富士そばは,昔は立ち食いだったが,次第にイス席の店が増え,今では純「立ち食い」は数店舗を残すだけだという.
 東海林さだお先生が富士そばのファンであることはよく知られている.著書の中で富士そばの経営者と対談をし,その上さらに富士そばのメニュー全品を食ってみるという企画もなさっていた.先生が富士そばのファンであるという理由は,そのチープ感だ.チープ感とは何かというと,伸び切った麺だ.現在でこそ,女性客が気軽に入れるように店の外観内装は小奇麗になってしまったが,演歌がBGMであることと伸びた蕎麦は,富士そばの創業精神と言っていい.「打ち立て茹でたて」を標榜する立ち食い蕎麦屋のニューウェーブが登場した時も,富士そばは頑として創業の志を守ったのである.
 さて富士そば藤沢店がオープンしてからかなり経った.昼飯時になるといつも店の外に数人の列ができている.お,なかなか健闘してるなーと思っていたのだが,先日,店の横の歩道を歩きながら,何気なく窓から店内を見たら客席がかなり空いていた.でも入り口には列ができている.
 不思議なことがあるもんだと入口の前に立って入口の券売機を見たら,何を食べようかと客が悩んでいるらしく,なかなか券売機のボタンを押さない.ああ,こういう券売機の蕎麦屋では,あらかじめ何を食うか決めてから券売機の前に立たなきゃだめなんだよねー,と私は思った.列の後ろの客がイライラするからね.
 そんなことを考えていたら腹が減っているのに気が付いた.そこで私も列にならぶことにした.たしか富士そばはラーメンが昔の中華そば風で旨いと聞いたことがあるから,ラーメンを食うことにした.
 私の順番になり,券売機の表面のボタンでラーメンを探したのだが,なかなか見つからない.
 後ろの人はイライラしてるだろなーと思うと,余計に目があちこちさまよって見つからない.あーもう食うのやめて帰ろうかとおもった時,右から二列目の下から三段目に「昔ながらのラーメン」を見つけた.やれ嬉しやと安堵しつつ食券を買い,カウンターにいる元気のいいおばさんに食券を渡した.席に着いて待っていると,暫くして番号を呼ばれたので,ラーメンを受け取り,富士そばのラーメンを賞味した.
 食べながら思ったのだが,いつも富士そばの入り口で列を作っている人たちは,券売機の前で何を食べようかと思案していたのではなく,目的の食券のボタンを探しあぐねていたのだろう.私と同じように.
 私は,藤沢駅ホームにある大船軒でも,改札口の外にある「さがみ茶屋」でも,食券を買うのに迷ったことはなかった.それで何となく腑に落ちなかったので,昨日富士そばを再訪した.
 食べたのは,かけ蕎麦だが,食券を買うのにボタンの位置を少し探してしまった.探しながら「この券売機には何か違和感がある」と思ったので,ものはついでだから店員の目を気にせず,券売機の写真を撮った.

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 今更だがこの券売機を見ると,横にボタンの色分けについて説明が書かれていた.だが一番上の三つは,この分類の例外になっている.理由不明だ.世の中では,決められたルールで何かを分類する時,きちんと整理された分類結果を提示したあと,例外を提示するのが普通だ.しかし富士そばは最初からいきなり例外を並べているのである.

「もり」「特盛り」「鴨せいろ」は同じカテゴリーだと思うが,ボタンが並んでいない.
「もり」と「特盛り」の違いは量が二倍だけだと思われるが,「盛り」と「特盛り」でもなければ,「もり」と「特もり」でもなく,「もり」と「特盛り」にしている理由がわからない.
 また,立ち食い系ではない普通の蕎麦屋では「盛り蕎麦を二枚」という風に注文するが,それを「特盛り」としている理由が謎だ.
「もり」と「鴨せいろ」は蕎麦つゆが異なるだけで蕎麦は同じだと思うが,「もり」を「せいろ」にしなかったのは何故だろう.「もり」を「せいろ」とし,「特盛り」を「特盛りせいろ」とすれば,「もり」「特盛り」「鴨せいろ」の三者間に見られる不統一は解消するのに.(つまり「せいろ」「特盛りせいろ」「鴨せいろ」とすれば,整然としている)
 
 ピンク色のボタン「昔ながらのラーメン」「煮干しラーメン」と「生ビール」「ハイボール」が同じカテゴリーなのは理解に苦しむ.私がラーメンのボタンを探しあぐねた理由がこれであった.
 まだある.下の画像は,今年の一月から一部店舗で販売開始された「ポテトチップスそば」である.(他店では「ポテトチップスそば・うどん」であるが藤沢店では蕎麦のみである.理由不明)
 
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 これは,かけ蕎麦にポテトチップスをトッピングしたもので,たぬき蕎麦などの種物と一緒の単品メニューだが,どういうわけかオレンジ色の「セット」に分類されている.しかも,一番右下に「追いポテチ」があるのが混乱に拍車をかけている.これはトッピングなのにオレンジ色の「セット」なのである.忖度すれば,「追いポテチ」は「ポテトチップスそば」専用のトッピングであるということかも知れない.「追い」という文言がそれを暗に示している.「ポテトチップスそば」と「追いポテチ」を一緒にすると「セット」になるという意味かも知れぬ.
 とすると,「もり」とか「かつ丼」や「カレーライス」の食券と「追いポテチ」の食券を一緒にカウンターに出すと,「お客さん,それは勘弁してくださいよー,本社の開発からダメだって言われてるんすー」と言われるのだろうか.ポテチをトッピングしたカレーライスは食べてみたい気がするが.
 
「ミニカレーセット」「カレーライスセット」「ミニカレー (単品)」「カレーライス (単品)」が,券売機の上の方にある「セット・ご飯類」と分離して,下の方に置かれているのは不思議だ.
 それよりなにより一番上の2番ボタン「カレーライスセット 620円」と,38番ボタン「カレーライスセット 620円」はどう違うのか.3番ボタン「かつ丼セット 720円」と4番ボタン「かつ丼セット 720円」は同じではないのか.
 まだまだ疑問は尽きないのだが,先を急ぐ.
 このように考えてみると,私がこの「欲しい食券がなかなか探せない券売機」に抱いた違和感は,(1) 品名の不統一,(2) 「セット」という分類に一貫性がない,(3) 配列に検索性が全くない (カテゴリーごとにまとまっていない) こと,などが原因であるようだ.
 ところで,それはそれとして,この券売機の最も重大な問題は,次のように書かれていることだ.
 
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 茹でたての蕎麦を食いたいのなら,私は普通の蕎麦屋に行くし,立ち食いなら小諸そばでもいい.しかるに富士そば藤沢店は「茹でたてのお蕎麦をお召し上がり頂く」という.驚きつつ,かけ蕎麦の食券をカウンターに置いたら,元気のいいおばさんが「お蕎麦を茹でる時間を頂きますので,少しお待ちくださいー」と言った.

 しかし私がカウンターが見える窓際の席に着いて腰掛けたとたん,食券番号を呼ばれた.ものの三十秒ほどしか経っていない.いくら何でもそれじゃ茹で時間が足りないのではないか.
 そう思いつつかけ蕎麦の丼を載せた盆を持って席に戻り,箸で蕎麦をつまみ上げたら,蕎麦が自重で切れて落ちた.伸びきって,もはや箸ではつまめないのであった.おばさんは「湯通しする時間を頂く」と言うべきところを,「茹でる時間を頂く」と言い間違えたのだ.券売機に書かれていた文言は,ただの書き間違いだったのだ.
 私は丼の縁に口をつけて,茶漬けのように蕎麦を掻き込みながら,茹でてから時間が経って伸びた蕎麦を温めるのが富士そばの流儀だ,初心を忘れてはいなかったのだと嬉しく思いましたとさ.よかったよかった.よくない.

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2019年3月 5日 (火)

糖質少なめカレーうどんもどき

 一年くらい前,スーパーでは,紀文の「糖質0g麺」はコンニャク関係製品の棚で定番商品だったが,今では定番落ちして置いていないスーパーが多い.低糖質・低カロリーでかなり優れた商品だったのに残念である.「低糖質食品」マーケットは潜在需要は大きいと思うのだが.
 そこで,もしかすると消えてしまうかも知れない「糖質0g麺」を惜しんで,カレーうどんもどきを拵えてみた.

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 作るにあたっては,レシピというほどのものはない.豚小間切とタマネギ,シメジ,ニンジン等でカレーを作るが,一人前という量は作りにくいので二人前を作る.
 半分は冷凍し,残りの一人前に麺つゆを適当量加えて,いわゆる「蕎麦屋のカレー」にすればよい.味の濃さとかトロミの具合などは,カレーパウダーや鶏ガラスープなどを使用し,お好みで調整する.

 辛味入りカレー汁 w ができたら,水切りした「糖質0g麺 平麺」を丼に入れ,電子レンジで加熱する.五百ワットで二分くらい.湯気が立っている麺にカレー汁をかけてできあがり.(上写真;実物はもっと湯気が立っているのだが,この写真はシズル感が足りない w)
 
 ちなみに,藤沢駅北口の商店街に「富貴堂」というカレーうどん専門店がある.ここんちのカレーうどんは,掛値なしに旨い.スパイシーなカレー汁は,そこら辺の蕎麦屋のカレーうどんと一線を画する.
 富貴堂は,ミシュランガイド (2015年 横浜・川崎・湘南特別版) で,ビブグルマン (安くてお勧めできる店) の評価を得たことがある人気店だ.昼飯時には店の外に列ができることもあるが,長い列ではないから気の短い人 σ(--;) でもダイジョブ.
 トッピングの種類も豊富でかつ大衆的だ.(食べログに品書きの写真が掲載されている)
 高齢者は糖質摂取を抑制するほうがよいが,たまには富貴堂のカレーうどんを食って,糖質まみれになってみるのもいいと思う.

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2019年2月24日 (日)

古希前年の祝い

 もうすぐ私の誕生日なので,娘がランチを御馳走してくれるという.店は茅ヶ崎の駅から少し歩いたところにある“La Table de Toriumi”を予約してくれた.
 娘はこの店をよく使っているという.以前は茅ヶ崎駅から遠かったのだが,駅の近くに移転してきたと言っていた.
 
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 私が頂いた献立は以下の通り.

[ 二月のランチメニュー ]
* オードブル
 Tout Petit pois!(全部プチ・ポワ!)
  イタリアのプッリャ州産グリーンピース,その鞘のジュレ,ムースに,名古屋コーチンの温泉卵を添えて.
 
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* 冬のスペシャリテ
 百合根の温かいスープに,帆立貝のラビオリとヒマラヤトリュフを.
 
* メインディッシュ
 豪州産仔羊骨付背肉のグリル,芽キャベツと新ジャガのソテーを,フキノトウのソースで.
 
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* 今月のデザート
 焼きたて熱々の林檎のショーソン・オ・ポム (つまりアップルパイ) とカルバドス酒のアイスクリーム.
 
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というラインアップに,食後のコーヒー,お茶菓子のマドレーヌが昨日の昼食であった.
 食前酒はジン・トニック,メインの肉料理にはグラスワイン (赤) にした.
 うむ,藤沢,茅ヶ崎界隈では Toriumi が一番旨い.全く文句ありません.ごちそうさまでした.古希になったらまた来ます.

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2019年1月27日 (日)

記念艦三笠でカレーを (補遺)

 昭和三年の五月,戦艦長門の昼食にカレーが出されたという嘘がまかり通っている.

 私は《記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 24) 》の中で,藤田昌雄『写真で見る 海軍糧食史』のp.113に掲載されている表《戦艦長門週間兵食献立 昭和3年5月の例 》は,捏造された資料に基づくものであると断定した.理由は,その表では同年五月二十七日の海軍記念日の戦艦長門における祝宴で,祝賀献立ではなく通常の食事が供されたことになっているからである.そのようなことは断じてあり得ない.
 そしてこの表では,五月二十四日の昼食として次のように記されている.

カレー 生牛肉・馬鈴薯・大根・甘藷・玉葱・カレー粉

 この引用箇所において,「カレー」は料理名で,生牛肉以下は食材名である.
 表《戦艦長門週間兵食献立 昭和3年5月の例 》自体が嘘であるから,その表中に書かれている「五月二十四日の昼食がカレーであった」というのも嘘である.しかし,このわずか一行の記述から,真っ赤な嘘の大風呂敷を広げた男がいる.青山智樹という男である.アマゾンに載っているプロフィル (抜粋) は以下の通り.
 
東京都武蔵野市生まれ。学生の頃より同人誌「宇宙塵」に参加。東海大学理学部物理学科卒業後、高等学校に理科教師として勤務。一九九二年長編SF「赤き戦火の惑星」で商業デビュー。
 
 青山は,『自分で作る うまい! 海軍めし』(株式会社経済界,2010年) という著書の中で,表《戦艦長門週間兵食献立 昭和3年5月の例 》中の《カレー 生牛肉・馬鈴薯・大根・甘藷・玉葱・カレー粉 》を基にしてビーフカレーライスのレシピを創作し,その創作料理を「戦艦長門の昭和3年5月24日のめしを再現した」としている.
 そして,この「再現メニュー」をブロガーたちが出典を隠して無断転用し,その結果,長門でカレーが食べられていたことになってしまっている.
 この『自分で作る うまい! 海軍めし』が流通している限り,「戦艦長門のカレー」という嘘は拡散し続けるだろう.青山智樹が作家であるなら,フィクションは小説だけにして欲しいものだ.
 
 高森直史という元自衛官のデマゴーグがいる.この男は,東郷平八郎が舞鶴鎮守府で肉ジャガを考案したという嘘話をデッチ上げ,舞鶴の町おこしを立ち上げた者たちの一人である.
 その高森が昨年,『海軍カレー伝説』(潮書房光人新社,2018年) を出した.「肉ジャガは海軍が発祥」の嘘はよく知られているところであるが,自分のついた嘘がばれていることを知らないらしく,図々しくもまたその虚説を本書中で繰り返し,逆に「カレーは海軍が発祥」は根拠がないと否定している.嘘吐きである上に裏切者だという呆れた男である.この男の『海軍カレー伝説』は,またまた「肉ジャガは海軍が発祥」というデマを拡散するだろう.困ったことである.
 
(連載終了)

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2019年1月26日 (土)

記念艦三笠でカレーを (軍港クルーズ編)

 記念艦三笠での「海軍カレー」昼食を済ませたあとは,横須賀軍港クルーズだ.船の発着場は「汐入ターミナル」というようだが, そこまではみんなで歩いて行く.途中に通称「どぶ板通り」商店街があるので,そこを観光したり,気に入ったものがあればショッピングしましょうとの意図である.しかし想像していたほどにはミリタリな服の店はなくて,結局素通りした.
「どぶ板通り」からまた少し歩くと,汐入ターミナルがあった.(下の画像)

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 クルーズ船の発着場で列を作って待っていると,やがて出航時間となった.船が接岸しているミニ桟橋のところで,長身スレンダー美女がお出迎えしてくれた.コスパよし
 実はこの美女が軍港クルーズのナビゲーターなのであった.出航ののち,彼女はマイクを持っていささかも途切れることなく,港内の艦船についての解説を続けた.FM放送局のDJのようで,実に恰好よかった.軍オタ諸君,喜べ! このクルーズはおすすめだ! 生きている艦コレだ!

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イージスシステム搭載ミサイル護衛艦あしがら

 イージスシステム搭載艦がイージス艦だ.改めて調べてみたら,Wikipedia【イージス艦】に《イージス(Aegis)とは、ギリシャ神話の中で最高神ゼウスが娘アテナに与えたという、あらゆる邪悪を払う盾(胸当)アイギス(Aigis)のこと 》とある.軍オタ諸君,喜べ! イージスはアテナの盾かと思ったら 胸当のことみたいだぞ! 君らは払われちゃう邪悪のほうかも知れないけどな! 私も払われちゃうかもな!
 上の「あしがら」は舷側方向から撮影したものだが,前方から見るとイージス艦は特徴的な姿をしている.下の画像は米軍のイージス艦 (アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦) だが,赤い矢印の六角形のところにイージスシステムが搭載されているのだそうだ.
 
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(米国艦 DDG-65;パブリックドメイン画像)

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(左) 海洋観測船しょうなん;(右) 艦載兵器実験艦あすか
 
 海上自衛隊の艦船は船首に識別番号が書かれている.識別番号が三桁の艦は護衛艦であり,四桁の艦はそれ以外の特殊な機能を有する艦だそうだ.クルーズナビゲーターの美女は,完全に各艦の番号が頭に入っているようだった.
 自衛隊の艦はグレーに塗装されているが,横須賀軍港に入港する友好国艦船の中には,特有の色の艦があるという.たまたまその日に停泊していた外国艦について「あ,あの色のは○○○の艦ですね!」などと説明してくれた.
 私は,その種のムダ知識 (軍オタではない者にとっての) をたっぷり頭に入れ,着岸したクルーズ船から降りて帰路の人となった.

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記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 25)

 前回の記事《記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 24)》の末尾を再掲する.
 
戦後,カレーライスが国民食となったのは,昭和十二年版『軍隊調理法』と,大陸の戦地から生還した陸軍兵士たちの手による.高齢者世代は,その過程を遠い目で思い出すのである.
 
 戦争中はカレー粉の製造に必要なスパイスは軍が独占していたが,戦後はこれが解放されて,市中にカレー粉が不自由なく出回るようになった.全国の家庭で同時多発的にカレーライスが食膳にのぼるようになった.だから,ある日突然に,カレーライスは横須賀が本家なんですと言われても,何言ってんのあんた,という感じであった.子供の頃,母親が作ってくれたカレーに「それって実は,お母さんの味ではなくて,横須賀の味なんですよね」とケチをつけられた気がして,おそらく今の高齢者たち全員から横須賀は嫌われたと思う.
 年金暮らしになった私は暇だから,「そこまで言うなら本家本場のカレーとやらを食ってやろうじゃないか!」と思って,クラブツーリズムの日帰りツアー「日本遺産認定記念 横須賀軍港クルーズと猿島 特別に記念艦三笠の中で海軍カレーの昼食」に参加したのであった.
 
 というわけで猿島観光から,記念艦三笠が固定されている横須賀新港へ戻ってきた私たちツアー一行は,ここで猿島を案内してくれた現地ガイドさんたちと別れた.
 
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 (↑) 船着き場から公園に入るとすぐに三笠が見える.(アクセス)
 
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 (↑) この階段から上甲板に上ると,すぐ中甲板へ降りる階段がある.中甲板の端に,きれいに復元された士官室があり,私たちはそこで昼食のカレーを食べることになった.
 
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 (↑) これがそのカレーライスだ.横須賀市内にあるセントラルホテルのティーラウンジ「ボンジュール」からの出前だという.これはツアーの企画で,三笠の中でレストランが通常営業しているわけではない.
「ボンジュール」では,グランドメニューではなく,要予約の団体専用カレーである.ホテルで食べる時はグリルした野菜を載せたライスと,カレーが別になっている.名称こそ「海軍カレー」だが,見ての通りの歴とした欧風カレーである.でも,牛乳とサラダを添えれば「海軍カレー」を名乗ってもいいのだ.w
 横須賀市内の他の店では,「海軍カレー」は千円少しの価格だから,「ボンジュール」のカレーライスは別格のいわゆるホテルのカレーだ.なるほどおいしい.ツアー参加者に地元の人がいて,これが目当てで参加したと言った.市内のカレー屋の「海軍カレー」は人気がないのだという.「あの値段で,あの程度の味のカレーならコスパ的にナシです.自分ちで作ったほうがよほどおいしいです」と言っていた.町おこし「海軍カレー」轟沈す.ww
(市内の店の「海軍カレー」がどんなものかという画像)
 
 食後,艦内を一通り観て回った.
 
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 (↑) 主砲の復元模型.その奥は艦橋.主砲模型は近くで見るとちょっとチャチ.昭和の特撮映画的な質感.
 
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 (↑) 上甲板にある日本海海戦の図.
 
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 (↑) 中甲板に展示されている三笠の艦首飾りと艦隊旗.いずれも本物.
 
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 (↑) 将官用の洗面台とトイレ,バスタブ.戦後,盗掘されたピラミッドの如く,家具調度品が盗まれて三笠は荒廃したが,復元に際しては海外からの寄贈を受けたという.
 
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 三笠を降りると,公園の端に売店があった.記念艦三笠観光の御土産が売られている.私はレトルトの「海軍カレー」を二つ買った.左側は横須賀市内の店「ウッドアイランド」の委託製造品.製造者は大阪市鶴見区にあるベル食品工業.店の献立を基にしてレトルトカレーなどを製造してくれる会社だ.右側は同じく横須賀市内の横須賀海軍カレー本舗のもので,同様にベル食品工業が製造している.
 ウッドアイランドのレトルトカレーを試食してみた.白飯は大塚食品の「マンナンごはん 百四十グラム」で,カレーは二百グラム.酸味を抑えた甘口のレトルトカレーで,レトルトカレーとしてはおいしい部類だが,なにしろハウスやエスビーなどの製品が二袋買える値段だから当然だし,じゃ二倍おいしいかというと,そういうことはない.リピートなしということで決定!
 横須賀海軍カレー本舗の……(中略)……じゃ二倍おいしいかというと (以下同文)

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