外食放浪記

藤沢近辺であれを食いこれを食べ.自炊のことや思い出話もむりやりここに.

2017年4月20日 (木)

横浜中華街 山東

 会社員時代の同期の男から,横浜辺りで昼飯を食おう (酒を飲もうという意味) とのメールがあった.
 彼は東京が生活圏で,滅多に横浜まで来ることはない.横浜なら私に土地勘があるから店は私が選ぶことにし,ミシュランガイドの横浜・川崎・湘南版 (2015年) を探すと,安くてよい店として中華街の「山東」が掲載されていた.私には勝手知ったる横浜中華街であるが,「山東」に入るのは初めてなので,この店に決めて返信.

 石川町北口改札で待ち合わせ,西門から善隣門へ抜け,中華街大通りを東へ歩く.聘珍樓の手前の薬局の角を左折すると「山東一号店」(本店) がある.その向こうに「山東二号店」があり,二号店のほうが店構えは大きい.
 私たち二人のすぐ前を歩いていたグループ客が,ぞろぞろと一号店に入った.入口ドアから中を覘くと店はかなり狭く,グループ客で満杯になりそうだったので「二号店に行こう」と店の前を通り過ぎたら,ドアが開いて後ろから「だいじょぶよー」と声を掛けられた.グーループ客は二階に案内したから,一階でよければ客はいなくて空いていると言う.
 席に着くと店員さんがメニューを持ってきたが,そもそもの目的が酒だから,あれこれ料理を選ぶのは面倒くさい.
 それでメニューには記載がなかったが「ランチのコースはありますか」と訊いたら,二千円でできるとのこと.料理はそれに即決して,「あと,紹興酒をボトルでください」と注文した.時刻はちょうど午後一時で,「山東」では本格的な昼酒客は少ないらしく,店員さんの顔には少々驚いたような色が浮かんだ.
 そりゃそうだろうね.中華料理店は居酒屋じゃないのだから.
 でも,仕事に追われて老後の趣味を持てなかった団塊の爺たちが,今や定年で暇を持て余しているこれからの時代は,料理店においても昼酒がニッチからメジャーになりつつある.場合によっては朝酒のビジネス展開すらありうるとも言われている.誰が言っているかというと私だ.
 新しい日本の昼酒黎明期を目前に,私たち二人が,横浜中華街のミシュランガイド掲載店「山東」にとって黒船であるかも知れぬ.時代の夜明けを「山東」従業員の皆さんと共に寿ぎたい.

 さて前菜盛り合わせ (かなり盛りがよい) と瓶ビール一本でまずは乾杯し,それから直ちに紹興酒に移行する.
 ネットで下調べした情報では水餃子が「山東」のウリであるらしい.確かに,なかなかの美味であったし,他にも定番中華料理である海老のチリソースなども結構なお味であった.
 料理がうまいと話しも弾む.
 だが昔会社員だった人々は,仕事がらみの昔話をすると,現役のときの社内序列,地位がどうであったかを避けて通れぬことが多い.
 だから負け組の会社員だった私は昔話が嫌いだ.ヾ(- -;) こらこら
 それで私たちはこの日,病気の話で大いに弾んだのである.ヾ(- -;) おいおい
 ガンだの心筋梗塞だの,お互いの術後経過を話し終えたあとは,北朝鮮問題に話題が移ったのであるが,私たちが飲み食いを始めてからずっと隣のテーブルにかなり年輩の御老人がいて,私たちの話に耳を傾けていた.
 初めは客かと思っていたのだが,そのうち御老人が料理を運んできたりしたところをみると,どうやら「山東」の人のようであった.かといって,オーナーは女性だと公式サイトに書かれているから御主人ではなさそうで,よくわからない.

 結局この日の午後一時から日暮れるまで延々六時間,私たちは紹興酒のボトルを何本も空にして飲み続けた.料理はランチコースに少し追加したかも知れぬが記憶がない.
 そろそろ帰ろうと勘定を済ませて道路に出ると,御老人が玄関の外に出てきて手を振って見送ってくれた.私たちは酔った勢いで,ありがとうござましたーおいしかったでーすと大きな声を上げ,「山東」を後にしたのであった.

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 横浜の中華街には,中小規模の店で時として極めて接客態度の悪い店があり,そんな店に入ってしまうと大変に不愉快な思いをすることがある.
 ことがある,どころではなく,三十年ほど前は小さい店の半分は中国式接客の無礼な店だったと思う.釣銭を放り投げてよこすとかね.
 「海員閣」は漫画『美味しんぼ』で傲慢な店として描かれたことで知られているが,その程度の店は他にいくつもあった.
 私の経験では,ある日家族揃って某店 (今はもうない) に入り,ランチを注文したあと「薬を飲みたいのでお水をください」と言ったら,ふてぶてしい顔付きの女店員に「水だってただじゃないよ.うちはお金払えばお茶だすよ」と言われたことがある.
 また関帝廟通りに面したS風楼なんか,初めて入った時に店員の無礼な態度にカッときて,皿を叩き割ってやろうと思ったくらいだ.こんな店に「食べログ」で高評価点を付けてありがたがっている連中の気が知れない.
 横浜中華街は,飲食店の接客の点で非常に低水準であり,そんな有様だから,ミシュランガイドに掲載されているのは「山東」一軒しかない.
 これまで大切な食事の際は,そこそこ安心できる老舗の大きな店を選んでいたのだが,小さな店でも「山東」のように良いところがあるとわかったのは収穫だった.また寄せてもらいます.ごちそうさまでした.

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2017年4月19日 (水)

髑髏島の巨神 (三)

 インドシナの地に米国がゴ・ディン・ジエムを大統領として傀儡政権を樹立したのが1955年,南ベトナム解放民族戦線の結成が1960年,これに対抗したケネディ政権が南ベトナム派遣軍事顧問団を大幅に増強して戦争が泥沼化していく様相を見せ始めたのが1961年.
 トンキン湾事件 (1964年8月) のあと,ケネディ政権を引き継いだジョンソン大統領は,北ベトナムとの戦闘に関する無制限の指揮を執る権限につき議会の承認を得た.そしてジョンソン大統領は陸軍を戦争に投入するなど大規模な介入を開始し,結果,アメリカは泥沼のベトナム戦争に突入していった.
 このような経過で,宣戦布告なしに,いつ始まったのかあいまいな戦争が始まった.

 しかし南ベトナム解放民族戦線の結成を起点に取れば十三年後の1973年 (昭和四十八年) 1月23日,北ベトナムのレ・ドゥク・ト特別顧問とヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官は,和平協定案を仮調印した.
 同27日,南ベトナムのチャン・バン・ラム外相,アメリカのウィリアム・P・ロジャーズ国務長官,北ベトナムのグエン・ズイ・チン外相,南ベトナム共和国臨時革命政府のグエン・チ・ビン外相の四者間でパリ協定が調印された.

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パリ和平協定への調印を行うアメリカのロジャーズ国務長官
(Wikipedia【ベトナム戦争】から引用;パブリックドメイン画像である)


 同29日,ニクソン大統領は米国民に「ベトナム戦争の終結」を宣言した.
 戦争が最も激しかった時に五十四万人に達したアメリカ軍は,終結宣言の時点で二万四千人になっていたが,宣言後に軍の撤退を開始し,二ヶ月で撤退を完了した.
 しかし軍事顧問団は引き続き南ベトナムに駐留したままであり,ベトナム戦争の完全な終結には,まだ1975年4月30日のサイゴン陥落まで待たねばならなかった.陥落の前日29日から30日まで,南ベトナムのラジオから季節外れの「ホワイト・クリスマス」が流れる中 (ブログ筆者註;《私のクリスマスソング 》),在留アメリカ人1373名と南ベトナム人その他の5595名が撤退する作戦が完了した旨の報道を,学生時代に東京におけるベトナム反戦運動を目にした私は感無量で聞いたことを思い出す.

 さて『キングコング:髑髏島の巨神』は,映画中で明示されていないが,ニクソン大統領の戦争終結宣言の日から始まる物語である.
 特務研究機関モナークの一員であるウィリアム・ランダは,前年に打ち上げられた地球観測衛星ランドサット1号 (ランドサット計画初号機) が太平洋上に発見した未知の島・髑髏島の資源開発のための地質調査を行いたいとしてウィリス上院議員を説得し,協力を得ることに成功した.
 しかし実は資源開発調査とは真っ赤な嘘であった.ランダは髑髏島の地底は空洞になっていて,そこに太古からの生物が棲息しているとの仮説を立てており,それを証明する調査をしたかったのであった.これは十九世紀以来の疑似科学「地球空洞説」を疑わせるチープな設定だが,疑似科学がどうのこうのと目くじらを立てたのではそもそも怪獣映画は成立しないので,これは問題ない.『キングコング:髑髏島の巨神』に限らずすべてのファンタジーは,私のような頭の中が子供の大人向けなのである.おい.
 さて,ランダはウィリス上院議員を騙して,軍の協力を取り付けた.南ベトナムから撤退中の戦闘ヘリ部隊に,ランダらの調査団一行を髑髏島へ輸送してもらい,さらに偽りの「調査」に協力をしてもらうのである.

 その戦闘ヘリ部隊に指名されたのが,プレストン・パッカード大佐の部隊であった.
 パッカード大佐は調査団輸送任務の前に,彼の個室で物思いに耽る.
 私は前回の記事の最後に《ではパッカード大佐は本当にバカなのか.私は違うと思う.バカなのは脚本を書いたやつなのである》と書いた.
 物思いに耽るパッカード大佐の姿に観客が期待する人間像は様々であろうが,例えば次のような設定はどうだ.

 長きにわたったベトナム戦争の体験が,パッカード大佐を戦闘マシーンに変えた.敵を殺すことが自分の存在価値と化したのである.
 そんなパッカードは本国への帰還を前にして自己喪失感を抱く.戦場こそが俺の居場所だ.帰国して,本国で死んだように生きるのは嫌だと.
 こうした思いのパッカードは,髑髏島でヘリ部隊が壊滅したとき,至福の高揚感を覚える.俺は,神の如き巨大なコングと戦って,この島で死ぬ.死に花を咲かせる.散華.それが自分の生き方なのだと決意する.
 例えばであるが,パッカードを上記のように性格設定し,丁寧に心理描写をすれば,今作『キングコング:髑髏島の巨神』と全く別の作品になったであろう.

 あるいは大佐にまで昇った優秀な軍人としてパッカードを描いてもいい.コングと自分の部隊の戦力差を正確に判断し,緻密な作戦計画を立て,母艦の米軍本隊の救援の元に,最後にコングに勝てぬまでも,調査団と残存部隊全員を母艦へ生還させるとしてもよい.それも一つの物語となるだろう.

 ところが本作におけるパッカード大佐は,軽火器とナパーム弾でコングに勝てる気になっている.
 私たち日本人は,ゴジラを頂点とする巨大怪獣の装甲の堅さを知っている.昭和二十九年のゴジラ初登場以来,陸自61式戦車の90mmライフル砲はゴジラの皮膚にかすり傷すらつけることができなかった.空自の戦闘機に搭載の空対地ミサイルも,陸自の地上発射型各種ミサイルもゴジラの敵ではなかった.
 最近ようやく『シン・ゴジラ』において,米軍爆撃機が放った大型貫通弾で初めてゴジラに傷を負わせることに成功するも,その直後に爆撃機隊はゴジラのレーザー光で全滅したのである.
 かつてその無敵無敗のゴジラを海に沈め,悠々と南海の彼方に泳ぎ去ったキングコングを相手にほとんど丸腰で立ち向かうパッカード大佐の姿を見て私たちは,前のめりの姿勢でスクリーンを凝視するのではなく,「あーあ,そんなんじゃ勝てねーよ」と呆れてシートに背を預けるしかないのである.
 案の定,パッカードはいとも簡単に死ぬ.愚かすぎて観客は全然同情できない.(笑)

 話を,スクリーンに描かれた南ベトナムの米軍基地 (たぶん現タンソンニャット国際空港の辺りだろう) に戻す.
 パッカード大佐役で名優サミュエル・L・ジャクソンが,撤退作戦でごった返す基地のシーンに登場した時,観客は何を思ったか.
 多くのサミュエル・ジャクソンのファンは,紫色のライト・セイバーを振るってクローン大戦を生き抜いたジェダイ最強の戦士,メイス・ウィンドゥとパッカード大佐とを重ね合わせるのではないだろうか.
 しかし凡庸な脚本家と映画監督は,パッカード大佐を道化師にしてしまった.この一点だけでも,『キングコング:髑髏島の巨神』は凡作怪獣映画と呼ばれて然るべきなのである.
(続く)

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2017年4月15日 (土)

髑髏島の巨神 (二)

 映画『キングコング:髑髏島の巨神』は,伏線らしい伏線がない非常に単純なストーリーである.ある一つのシーンが暗喩するものが何であるかについて考察したり,巧妙に隠されたオマージュを探し出したりする必要はない.観客はコングの戦闘アクションを手に汗握って観ていればいいだけである.つまり有体に言えば,凡庸な映画作品である.

 ではこれが,根底からダメな,箸にも棒にもかからぬ駄作かというとそうではなく,きちんとしたシナリオでちゃんとした監督が撮れば,よい作品になったかも知れないのである.て,全然だめじゃん.

 以下の文章に関して参考までに「あらすじ」は Wikipedia【キングコング:髑髏島の巨神】 を,映像については《映画『キングコング:髑髏島の巨神』予告編》を参照して頂きたい.

 『キングコング:髑髏島の巨神』には暗喩はないが,誰でもすぐわかるオマージュはいくつも出てくる.
 この映画のネタバレサイトが揃って指摘しているのが,『地獄の黙示録』へのオマージュだ.ただし,オマージュというのは,過去の別作品に対する映画監督の敬意を表すものであるから,ただ単に似たようなシーンがあったり,映像表現の模倣が行なわれているだけでは,オマージュとは言い難い.
 そのような本来の意味でのオマージュではないと私は思うが,まず《映画『キングコング:髑髏島の巨神』予告編 》に,米軍戦闘へり UH-1 の編隊飛行の映像,とりわけスタートしてから三十六秒後 (0:36/2:23) 近辺で,夕日を背にして編隊の行く手にコングが立ちふさがるシーンがある.
 次に尺が二分二十二秒の《地獄の黙示録特別完全版 日本版予告編 Apocalypse Now Redux Japan Trailer》の,スタート後一分二十六秒 (1:26/2:22),画面に原題 "Apocalypse Now Redux" が浮かび出るシーンを見て頂きたい.
 明白に前者は後者を意識したものであることがわかる.
 つまり『キングコング:髑髏島の巨神』は,『地獄の黙示録』と同じベトナム戦争の末期に時代を設定しているので,とりあえず『地獄の黙示録』を想起させるシーンを撮ってみましたということだろう.
 しかし,ただそれだけなのである.私たちが『キングコング:髑髏島の巨神』を観て困ってしまうのは,この作品に『地獄の黙示録』と似たような戦闘ヘリ編隊の飛行シーンがあるというだけで,それ以外に,共通の世界観とか,そういったものが欠片もないことである.

 『地獄の黙示録』はベトナム戦争の暴力の中で壊れた人間の精神を描いた作品ということに一応なっている.「一応なっている」というわけは,否定的な見解があるからだ.例えば村上春樹は次のように述べている.

公開当時、70ミリ版で3回、35ミリ版で1回見たという村上春樹は、評論『同時代としてのアメリカ』の中で次のように述べている。「『地獄の黙示録』という映画はいわば巨大なプライヴェート・フィルムであるというのが僕の評価である。大がかりで、おそろしくこみいった映画ではあるが、よく眺めてみればそのレンジは極めて狭く、ソリッドである。極言するなら、この70ミリ超大作映画は、学生が何人か集まってシナリオを練り、素人の役者を使って低予算で作りあげた16ミリ映画と根本的には何ひとつ変りないように思えるのだ」》 (Wikipedia【地獄の黙示録】から引用)

 この村上春樹の見解に私は同意する.今は『地獄の黙示録』を米国映画史上で重要な作品とする人も多いだろうが,公開当時は,見終わったあと,「で,ベトナム戦争の,何を描きたかったんです?」との評価がほとんどだったと記憶している.ストーリーは「反戦」とは無関係であり,別にベトナム戦争を背景にする必然性はないかと思われたからである.

 『地獄の黙示録』には狂気の軍人,カーツ大佐が登場するが,『キングコング:髑髏島の巨神』でも,髑髏島調査団を島へ輸送する任務を受けたヘリ部隊の指揮を執るパッカード大佐という人物が重要な役割を担う.
 パッカード大佐は,ヘリ部隊がコングのために壊滅したあと,コングに復讐するとして生き残った兵士と民間人を,私たちからみると無意味な対コング復讐戦闘に巻き込もうとする.
 ここがどうにも観客には理解できない点だ.
 映画中でパッカード大佐は「部下を殺された復讐だ」と語るのだが,そういうのは下士官の発想ではないのか.大佐という階級は上級の士官であるからして,戦闘においては,兵員を無駄に損耗することなく,最終的に勝利を収めるよう行動するのが任務ではなかろうか.
 例えば髑髏島から基地への帰還を支援する部隊が到着するのを待ち,軍上層部に怪獣の存在を報告し,キングコング打倒作戦を進言するなどすれば軍人として正しいであろう.
 ところがパッカード大佐は自分勝手な行動で兵士と調査団一行を危機に陥れながら,怪獣たちに手傷を負わせることもできずにあっけなく死んでしまうのである.
 観客としては,なんだよバカじゃないかこいつ,こんなやつに感情移入はできないよと思わざるを得ない.このバカみたいなパッカード大佐に比べると,髑髏島調査団の案内役として雇われた元英国特殊空挺部隊隊員のコンラッドのほうが余程軍人らしい冷静さを保って行動しているのである.
 ではパッカード大佐は本当にバカなのか.私は違うと思う.バカなのは脚本を書いたやつなのである.
(続く)

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2017年4月13日 (木)

髑髏島の巨神 (一)

『キングコング:髑髏島の巨神』(ワーナー・ブラザース配給) を観てきた.

 キングコング映画といえば,私が東宝の怪獣映画『キングコング対ゴジラ』を観たのは中学一年生,昭和三十七年の夏だった.この作品はゴジラ映画の中で歴代最高の観客動員数を記録したことで知られる.

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(Wikipedia【キングコング対ゴジラ】から引用;パブリックドメイン画像である)

 当時,北関東の片田舎の前橋市あたりでは洋画上映館は確か一つしかなく,邦画館はいくつもあった (70mmフィルムの上映館もあった.どや!) が,もちろん大人の鑑賞に耐える邦画の名画を上映する映画館は,中学生なんかが入れば不良の烙印間違いなしであり,子供向け映画は東宝の怪獣映画くらいなもんだったのである.
 しかし実をいうと私は,怪獣映画を観に行くと親を騙して,洋画を観始めたのが中学一年生になってからだった.同じ中学で一学年先輩の糸井重里さんは早熟で,前衛的な洋画を観て書いたレビューを自分でガリ版印刷のパンフレットにして校内で配っていた記憶がある.栴檀は双葉より,である.
 そんなこんなで,昭和三十七年は私の映画鑑賞歴中で思い出が深い年だ.

 『キングコング対ゴジラ』を観たのは記憶しているが,米国メジャー映画会社RKOが配給した本家初代の『キングコング』(1933年) は,リバイバル上映館で父親に連れていかれて観たのだろうが,クライマックスのエンパイア・ステート・ビルの場面をうっすらと覚えているだけだ.

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(Wikipedia【キングコング(1933年の映画)】から引用;パブリックドメイン画像である)

 Wikipedia【キングコング (1933年の映画)】には次のように書かれている.

当時はターザン映画を始めとする「ジャングルを舞台とした秘境冒険映画」や「実写の猛獣映画」が盛んに作られており、本作でもその趣向が大いに取り入れられた。本作でのコングも兇暴な猛獣として描かれており、敵対するものは容赦なく葬る。アンの衣服を剥がしてその臭いをかぐシーンなど、まさに「美女と野獣」のイメージで描かれている

 だが女性の《衣服を剥がしてその臭いをかぐ》のは野獣のイメージなのだろうか.
 諸兄も大いに納得することと思うが,女性の衣服の匂いをかぐという行為の底に,その女性に対する特別な感情が存在することがある.犬が飼い主の匂いをかぐのとは少し区別されねばならないのだ.
「女性の衣服の匂いをかぐ」のは文学的な象徴であり,たとえば小学生だった貴女が,ある日の放課後,教室に置き忘れたハンカチを取りに戻ったとしよう.
 廊下側の窓から教室の中を覘くと,クラスの女子の憧れの的で中島健人によく似た同級生の少年A君が,貴女のハンカチを鼻に当てて物思いに沈んでいるのが見えた.貴女は,A君がそのハンカチをずっと持っていて欲しいと思いつつ,くるりと踵を返して教室を後にするであろう.
 だがまた別の日,下校しようと校舎玄関の靴箱のところに行ったら,高須クリニック院長に似ていると言えなくもない少年B君が貴女の靴の臭いをかいでいたとする.
 その光景を目撃した貴女は,恐怖にかられて絶叫しながら,廊下の掃除道具ロッカーからモップを取り出し,B君を「死ねこの野獣っ」とばかりに殴りまくり蹴りまくるであろう.どっちが野獣だよ.(ちなみにこのように絶叫する女を映画ではスクリーミング・ヒロインという)
 ハンカチの匂いをかぐのも靴の臭いをかぐのも似たような行為であるが,一方は少年のほのかな恋情を意味し,もう一方は変態性欲と見做される.
 私はどちらかというと靴の臭いのほうが
 初代コングは果たしてただの野獣だったのか,ヒロインのアンをどう思ったのか,DVDを買って確かめてみようかと思ったが,よく考えるとくだらないのでやめた.

 ところでリメイク作品であるパラマウント配給『キングコング』は,Wikipedia【キングコング (1976年の映画)】に下のように記述されている.

アンを単なるスクリーミング・ヒロインに終わらせず(悲鳴の回数は3作中最も少ない)、コングの優しさに気付いて心を開く女性として描く試みは、東宝の『キングコングの逆襲』 (1967年) の先例はあるものの、本国アメリカではこの1976年版が最初であり、コングが高層ビルに登って以降のショットのいくつかが2005年版に引用されている。

 つまりコングと人間の女性との感情の交流は,東宝『キングコングの逆襲』にオリジナリティがあるという.
 私はパラマウント版『キングコング』も『キングコングの逆襲』も観ていないので,上に引用した記述を読んで「へえ~」と驚いた.

 さて『キングコング:髑髏島の巨神』だが,これはシリーズ三部作の第一部なんだとか.
 私が先日いつもの辻堂のテラスモールでこれを観たとき,上映の終りにクレジットタイトルが延々と続いている最中,何人もの観客が席を立って出ていった.
 ところがクレジットが終ったところからラストシーンが始まったのである.こういうことがあるから,そのあと急ぎの用事がないのであれば,シアター内照明が点灯するまでシートに腰かけているのがいい.
 で,ラストシーンでは,このシリーズにゴジラ,モスラ,キングギドラが続いて登場することが示唆される.(ちなみにこのラストシーンで本作品の監修者が町山智浩だと明かされる)
 つまりこのシリーズは『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』にキングコングが加わったようなものになるらしい.
 大変に豪華で結構なことであるが,今作『キングコング:髑髏島の巨神』を観た限りの感想では,次作以降もありきたりの怪獣映画になるのではなかろうか.
 そのことについて次回の稿で少し説明をする.
(続く)

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2017年3月29日 (水)

大船 鴇

 昨年末,会社員時代の後輩たちと酒を飲む機会があった.
 午後一時ちょうどに,JR川崎駅のコンコース,改札を出た辺りで待ち合わせ,さあどこへ行きましょうかという段になってその後輩の一人が,「昼酒飲める店を探してあります」と言った.
 もう何年も前からだが飲食店業界では,団塊世代の爺さんたちの「昼飲み需要」にビジネスチャンスがあると指摘されてきた.
 実際にその通りになったようで,大昔は昼酒というと,東京でも赤羽であるとか湯島であるとかのディープなスポットに出かけたものであるが,昨今はあちこちの駅前飲食ビルに入っている小ぎれいな居酒屋で,堂々昼間から宴会を催すことができる.生きててよかっ

 で,昨年末の昼酒は川崎駅近くのビル地下一階の,客が五十人は入ろうかという居酒屋に入った.ここの主たる客層は二十代から三十代の若者といったあたりだろうか.しかし店内を見渡すと,ちらりほらりと年寄りが独酌する姿も見えた.

 我々の席に注文を取りにきたのは,かわいい顔をした小柄な娘さんで,笑顔できびきびと注文を受け,我々が刺身やら焼鳥盛り合わせなんぞを頼んで「とりあえずそれで」と言うと,彼女はオーダーを復唱した.
 そこまではごく普通の居酒屋風景であろうが,件の後輩が娘さんに「きみって出身はどこかな,福建?」と訊ねた.
 すると娘さんは「○○省です」と答えたのである.
 私は全く気が付かなかったのであるが,あとで後輩が言うには「だって,少し中国語訛りがあるじゃないですか.江分利さんはわかんなかったですか?」だと.

 昔のことであろうが,大陸中国のデパート店員とかホテル従業員の接客態度は極めて横柄で有名だった.
 私も経験があるが,客に対してニコリともしない女店員が無言で釣銭をこちらに放り投げて寄こすので,これが日本なら「店長を呼べ!」と怒鳴るのだがと悔しい思いをしたものである.
 そういう中国式接客は中国人の国民性であると一般に言われていたが,しかし香港では私はそんな屈辱的な目に遇ったことはないし,大陸でもうんと下層階級の人たちは割とフレンドリーだったし,あるいは私の経験した限りでは,超高級料理店の女性従業員はドレスのスリットがセクシーでとても好感度の高い接客であったから,横柄なのは国民性だと言っては間違いのような気がする.

 中国人のことはそれとして,日本人の中にも,飲食店の主人で極めて傲慢無礼なやつが希にいる.
 かつて日本経済新聞の特別編集委員を勤め,『全日本「食の方言」地図』(日本経済新聞社) などの著書で知られる野瀬泰申氏は,ネット上でかなり前に《野瀬泰申のチャブニチュード判定委員会》と題した連載をしていた.(チャブニチュードとは,飲食店で感じる「チャブ台をひっくり返したくなる怒りのエネルギー」を,おもしろおかしく五段階評価したものである)
 氏の飲食店評価は,出てくる食い物が単にまずいだけならチャブニチュード 1~2 であるが,これに接客態度の傲慢・横柄・不潔なんぞが加わると,とたんにチャブニチュード 4~5 となる.
 氏や私のような老人世代は「男は食い物のうまいまずいを殊更に言うんじゃない」という親父からの教育を受けて育ったから,大抵のまずいものはおいしく頂いてしまうのであるが,ただし客を客とも思わぬ接客は許しがたい.そういった怒りのツボが私と野瀬氏は似ているので,チャブニチュード判定委員会の連載を私は愛読していたものだ.

 ところで例のミシュランガイドのこと.
 東京の,政財界や芸能界の有名人が懇意にしているとかいう星三つの高級店は,庶民には無縁の世界のお話ではあるわけだが,ミシュランガイドの功績は,どこぞの鮨屋やラーメン店のように客に罵声を浴びせるような店は決して掲載されないということを私たちに再認識させてくれたことだろう.
 それはそれとして,東京を離れて横浜や鎌倉あたりにくると,ガイドブックに載っているが意外に敷居の低い店があり,しかもそのような店では料理が美味であることははもとより,上質の接客を受けられることをミシュランが確かめてくれているわけで,少しよい気分で食事をしようという時には,私はミシュランガイドに掲載されている店を推したい.

 話かわって先日,私の娘からメールがあり,私の誕生日にランチをしないかとの連絡であった.
 私が「父は初めてなんだが大船の鴇はどうだろう.ミシュラン掲載店だよ」と返答すると,すぐに予約を入れてくれた.
 当日は正月以来の息子も来てくれて,久しぶりの家族食事会と相なった次第.
 このは,稲庭うどんを食わせる至って庶民的な店である.店構えは立派だが,それが証拠に酒肴のお値段はそこらへんの居酒屋とさして変わらぬ価格帯である.こんな店が近所にあれば毎日でも昼酒をくらいに通いたいほどだ.
 さて予約した食事は十一品五千八百円のコースである.
 案内された個室の卓上に,献立をPCで印刷したものが置かれていた.これをスキャンしてここに掲載すれば一目瞭然なのだが,たぶんこれは著作物扱いになると思われ,そこで料理の一覧を以下に転載する.

 平成二十九年○月○日
  本 日 の お 料 理

食前酒   日本酒 明鏡止水ラヴィアンローズ
先 付   平目煮凝り
         旨出汁ジュレ
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前 菜   平目湯葉けんちん鳴門巻き
         ずわい蟹べっこう餡 露生姜
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吸 物   小柱銀杏安平清まし仕立て
         新若布 口柚子
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向 付   生本まぐろ (奄美大島)
      活〆天然平目 (小田原)
      活〆天然ぶり (伊東)
      あおりいか (小田原)
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焼 物   天然ぶり照り焼き
         酢取り茗荷
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口代り   完熟トマトのコンポート
         梅酒ジュレ
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煮 物   佐賀農園有機栽培
         ふろふき大根
揚げ物   天ぷら盛り合わせ
         海老 いさき さつま芋 シシトウ
食 事   稲庭うどん冷または温をお選びください
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デザート  抹茶アイスと豆乳プリン
         抹茶ムース
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 以上のお料理になります。ごゆっくりお楽しみください。
                     鴇 店主  印

といった具合であった.(ただし料理の写真は娘が撮影したもの)
 私たちの部屋に料理を運んできてくれた年輩の女性はたいへんにフレンドリーで,食事会の趣旨が私の誕生日であると娘が述べたら,それじゃ記念にお写真をお撮りになりませんか,と言い,シャッターを押してくれた.
 食前酒からデザートに至るまで,この日はとても楽しく,私はいつになく日本酒を四合飲み,大船駅まで足元覚束ずというご帰宅となったのであった.
 鴇,よいお店である.ごちそうさまでした.

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2017年3月 5日 (日)

藤沢 近江堂の団子

 藤沢駅の北口を出るとすぐにビックカメラのビルがあり,その横に「遊行通り」という道の入口があって,その先は藤沢橋交差点方向に続いている.
 ビックカメラのビルの東側,遊行通りに面して近江堂という和菓子屋さんがある.藤沢駅北口が現在のような姿に再開発されるずっと前からある古い店の一つだ.
 その近江堂に,先日の朝の十時少し過ぎ,銀行へ行く用事があったついでに何の気なしに入ってみた.この辺りは私が若かった頃からの馴染みの通りであるのに,どういうわけかこれまで近江堂に入ったことがなかったからである.
 それに,去年であったかテレビ東京で,人気のお笑いコンビ「さまぁ~ず」の二人が湘南を散歩するという番組があり,そのときに近江堂に立ち寄って菓子を買っていたのを思い出したこともあった.

 朝の十時過ぎに,開けたばかりの店に入り,壁際の棚と店内中央のテーブルに並べられた品をざっと見渡すと,この店の売り物は和菓子といっても高級な生菓子とか干菓子などではなく,いたって庶民的な菓子を商っているようだった.
 そして店の奥,入り口のドアの真正面にガラスの商品ケースがあり,大福や団子の類が置かれていた.直感的にこれはおいしそうだと感じられたので,粒餡の草餅と道明寺の桜餅を二つずつ注文した.
 ついでに「みたらし団子を三本ください」と言ったら「五本だとお得ですよ~」と言われたので,こうなりゃもう今日の飯は甘いものだと決めて,団子を五本買った.

 さてその日の昼飯と夕飯に,買ってきた餅と団子を食った.特にほめておきたいのだが,初めて買った近江堂の草餅は,蓬の香りが立っていておいしいものだった.蓬はもしかしたら今年採れたものかも知れない.
 余談だが,日本全国で食べられている草餅 (京都の生八つ橋や大宰府の梅ヶ枝餅など類似の菓子も含めて) は大変な量になるに違いない.それに使用する蓬も大量であろうと想像されるが,それは果たして自生しているのを採集したものだろうか,それとも畑で栽培したものであろうか.これについて Wikipedia には記載がない.
 調べがまだ行き届いていないのであるが,少なくとも回転焼きで知られる「御座候」のウェブサイトには,

「安全な原料を調達できないか?」
始まりは平成18年。もともと自生しているものが原料となることの多いよもぎでしたが、栽培工程のわかる安全な原料を調達できないものかと相談を受けたのがきっかけでした。
しかしよもぎは農作物として栽培されている事例がほとんどなく、何もかも手探りの状態で栽培に向けた調査、試験をスタートしました。

とあり,蓬は《自生しているものが原料となることの多い》こと,そして同社では原料蓬の一部を農家に栽培委託していることが書かれている.この記述からすると,おそらく個人商店の和菓子屋が使う蓬は,自生のものを地産地消しているのではないだろうか.

 で,その日の昼飯も夕飯も餅と団子を食ったのだが,食べきれないみたらし団子が二本余ってしまった.
 団子を入れてあるパッケージには「本日中にお召し上がりください」と書いたシールが貼ってあったが,すぐ腐敗するとかカビが生えるとかは考えにくいので,まあ大丈夫に違いないと食卓に置いておいた.
 翌日の昼,前日に食べ残したみたらし団子を食べて私は「おお」と感心した.
 というのは,前夜に食べたときにはちゃんと柔らかくおいしかった団子が,翌日にはデンプンが老化して明らかに固くなっていたからである.シールに「本日中にお召し上がりください」と書いてあった通りの品質であったから,「やるやるとは聞いていたがなかなかやるな近江堂」(←寛平ちゃんとか高田の純ちゃんが今でも言う半分死語化した昭和感溢れる台詞) というわけなのであった.

 近江堂の団子が,一日で味が落ちてしまったのに,私がなぜ感心したかというと,これが本来の団子だよな,と思ったからである.
 セブンやローソンはどうか知らないが,私の家の近くのファミマでは,山崎製パンの団子が定番になっている.
 ちなみに同社の商品情報ページをみると,

串団子 (たれ・あん・三色)
自慢のたれ・あん・三色、3本パックの団子
サッと程よく焼き目をつけた団子にとろりとしたタレをからめた「串団子 (たれ)」、あんの甘味がおいしいハーモニーを奏でる「串団子 (あん)」、彩りと香りのバラエティを楽しめる「串団子 (三色)」を取りそろえました。今日の好みで選んで、煎れたての緑茶といっしょに召し上がれ!

となっているが,実際に商品のパッケージに表示されている商品名は「串団子」ではなく「串だんご」である.ウェブを検索して調べてみたら,十年前の商品は包装にも「串団子」となっていたらしい.山崎製パンは,同社公式サイトを管理する部署の仕事が雑である.(笑)

 この団子については栄養成分表が掲載されているが,なぜか原材料表示が見当たらない.
 そこでパッケージに記載されている原材料表示を以下に示す.

原材料名/醤油だれ (砂糖、醤油、昆布だし)、上新粉 (うるち米(米国))、砂糖、トレハロース、ソルビット、加工デンプン、グリシン、pH調整剤、調味料 (アミノ酸等)、カラメル色素、酵素、(原材料の一部に卵、小麦を含む)

 ここに表示されている原材料のうちで,デンプンの老化を遅延させ,翌日翌々日になっても団子の柔らかさを維持させる効果を有するものというと,まずトレハロースである.(トレハロース製造者である林原のURL はここ)
 原材料表示からは判断できないのであるが,食品添加物である「加工デンプン」 (多種多様な性質と効果の製品がある) も老化防止の目的で添加されているかも知れない.
(話が横に逸れるが,「加工デンプン」は我が国の食品添加物界における恥部,食品業界の暗部である.これについては稿を改めて詳述する必要があると常々思っている)

 山崎製パンの団子には,上に示したように各種の食品添加物が用いられている.
 私は,このブログで度々書いているように,食品添加物すべてを頭から否定する一部のインチキ評論家が大嫌いである.
 なぜかというと,現在の私たちが謳歌している豊かな食生活に食品添加物は寄与していると考えているからだ.
 しかし,食品添加物全部を肯定しているのではない.私が肯定する食品添加物は,消費者にメリットがあるものに限る.
 例として,みたらし団子を考えてみよう.
 みたらし団子は,日々の食生活の必需品ではない,たまに食べればいい嗜好品だ.町に買い物に出たついでに,思いついて和菓子屋に寄って,買って帰ればいい,そういう食べ物である.
 包装に「本日中にお召し上がりください」と書いたシールが貼ってあるだろう.その通りに,その日のうちに食べればいい.そういう食べ物である.
 実際に近江堂の団子は,翌日は固くなってしまったが,当日中ならおいしかったのである.

 さあ,だとすれば,山崎製パンの「串だんご」に使用されているトレハロース (たぶん加工デンプンも) は,消費者にとって何の意味もない食品添加物ではなかろうか.
 然り.トレハロース以外にも,上述した表示に書かれているグリシンやpH調整剤などは,消費者のためではなく,山崎製パンの都合で使用されている食品添加物なのである.
 すなわち私の基準によれば,山崎製パンの団子は,消費者にメリットのない添加物を用いているのである.
 諸兄がお住いの町に和菓子屋がなければ仕方ないが,もし和菓子屋があるのなら,コンビニで団子を買わずに,その店で買おう.そしてその日のうちに食べよう,そのほうが旨いと私は断言する.きっと昔から人々が食べてきた団子の味がすると思うのである.

 終りにまたまた余談だが,後日の午前中に近江堂へ行き,豆大福を買った.開店直後に店頭に並べられたその大福は,実にとろけるが如くに柔らかった.
 これが時間経過と共に,食感がしっかりしてくる.そこで思ったのだが,十個くらい買って帰って一日中,二時間おきに豆大福を食い続け,その試験結果を基に「近江堂の大福はね,〇時に店に行って買うと旨いんだ」などと講釈を垂れてみたい今日この頃である.

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2017年2月26日 (日)

鎌倉 石窯ガーデンテラス (四)

 さて石窯ガーデンテラスのテラス席で前菜を楽しみ,パンを一つ手で割って食べているときに気が付いたのだが,女性従業員の一人が,各テーブルの客たちにさりげなく視線を送っていた.
 想像だが,客たちの食事する早さに目を配っているのではなかろうか.
 この日は,テラスの端にテーブルを三つつなげて歓談している年輩客のグループがいて,この人たちは話に花が咲くからどうしてもゆっくりと食べることになる.
 一方,私のように一人の客はそれに比べると食べるのが早いだろう.
 そういう客たちの状況に,女性従業員さんは心配りしていたのではないだろうか.
 実際,私がパンを一つ食べ終わったときにちょうどいいタイミングで,テラス席係の女性が私のところにやってきて「メインディッシュをお持ちいたします」と告げたのだ.
 もし客の様子を見ながら料理を運んでくるようにしているのだとすると,これはなかなかよいレストランではないかと思う.
 昨年十二月の記事《鎌倉のパエリア (十二) 》に書いたように,小町通りの Brasserie 雪乃下という店は,本来三十分かかる料理を十五分で席に運んできた.客よりも店の都合優先 (回転を速くしたいのだろう) が露骨であった.
 それがおいしいものなら文句はないが,ファミレスだってまだこれよりはいいぞというグレードの料理だったので本当に腹が立った.(《鎌倉のパエリア》は,外食放浪記カテゴリに一から十三までの連載が入っている)
 それに比べると,まあ暖かなテラスでのゆっくりとした食事ということもあっただろうけれど,この日の食事を私は気持ちよく楽しむことができた.
 で,運ばれてきたメインディッシュがこれ.

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 鴨のロースト一切れを半分に切って口にいれると,ソースのオレンジの風味がパッと口の中に広がって,口にはださないが「お,うまいじゃないか」と思った.
 付け合せの鎌倉野菜もちょうどいい焼き加減で,おいしい.
 みすぼらしいとしか言いようのない Brasserie 雪乃下の料理に比べると雲泥の差とはこのことだ.
 これから春になると鎌倉の町は大賑わいになり,天気がよかったりすると平日でも石窯ガーデンテラスには客の列ができるかも.それでもまた近いうちに昼食を摂りにきたいなと思ったことである.

 あ,このレストランのパンについての補遺を.
 コースについてくるパンにはバターがついていない.でも何もつけなくて十分においしい.
 店内の一角でパンを販売しているので,食事についてくるのと同じ大きさのパンの六種類詰め合わせと,クルミとレーズンの入ったパンを買って帰った.
 パンというものは,焼きたてを好む人が多いだろうが,翌日になって風味が落ち着いたものをオーブントースターで温めて食べるのもまたおいしい食べ方である.
 私はこのやり方で翌日まで待って食べたが,旨かった.天然酵母のパンは,腕の悪いパン屋に限ってナチュラルがどうの自然がどうのと偉そーな講釈を垂れて,しかしその割にうまくないのが多いが,石窯ガーデンテラスのパンは天然酵母ながら控えめな風味で,どなたにもお勧めできると思う.

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2017年2月25日 (土)

鎌倉 石窯ガーデンテラス (三)

 前回の記事に書いた舟田詠子著『パンの文化史』(朝日選書,1998;講談社学術文庫,2013) を取り寄せて読んでみた.
 するとこれ以上なく明快に,人類史上最古の醗酵パンは,新石器時代のトゥワン遺跡 (スイス) で発見されたものであることが詳述されていた.
 遺跡からパン焼き窯が発掘されたとかいう状況証拠ではなく,1976年に,五千年以上前に焼成された醗酵パンの実物が,スイスのビーラー・ゼー湖岸にあるトゥワン遺跡で出土したのである.
 トゥワン遺跡は下層,中層,上層の三層から成るが,中層から五千七百年前に焼かれた醗酵パンの断片が,上層からは五千五百年前の醗酵パンが完全な姿で見つかった.上層出土のパンは写真の画像も示されている.
 前回の記事に書いたように,Wikipedia【パン】に記載されている矛盾,すなわち醗酵パンの発祥の地に関して

(A)
トゥワン遺跡 (スイス) の下層 (紀元前3830-3760) からは「人為的に発酵させた粥」が発見され、中層 (紀元前3700-3600) からは「灰の下で焼いたパン」と「パン窯状設備で焼いたパン」が発見されている。粥状のものを数日放置すると、自然の出芽酵母菌や乳酸菌がとりつき、自然発酵をはじめ、サワードウができる。当初これは腐ったものとして捨てられていたが、捨てずに焼いたものが食べられるだけでなく、軟らかくなることに気付いたことから、現代につながる発酵パンの製法が発見されたと考えられている。

(B)
パンは当初、大麦から作られることが多かったが、しだいに小麦でつくられることのほうが多くなった。古代エジプトではパンが盛んに作られており、給料や税金もパンによって支払われていた。発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである。

 として,(A) 新石器時代の欧州内陸部と (B) 古代エジプトの二ヶ所が何の説明もなく併記されているが,(B) 説の《発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである》は明らかな間違いである.
 私も漠然と醗酵パンはエジプトに始まったと誤解していたので,蒙を啓かれた思いである.この原稿を書き始めたのは,テレビ番組に出てきた石窯ガーデンテラスで飯を食うかと思ったのがきっかけだから,一億総白痴なんぞと馬鹿にせずにテレビは観てみるもんだなあと思った次第である.

 Wikipedia には各項目の記述内容を統括する責任者がいない.多数の執筆者が各自勝手な主張を正誤関係なく記述するため,その項目内部での矛盾も項目間の矛盾も修正されないことが多く,百科事典として,これが致命的に近い弱点となっている.執筆者たちの論争になった場合は「ノート」にその旨が書かれているからまだ助かるが,そうでない場合 (執筆者たちが書きっぱなしで放置状態の場合) は,記述が正しいかどうかを利用者が自力で調べ,判断しなければならないのだ.それはつまり百科事典としての意味がないということである.自分で調べられるなら,わざわざ百科辞典は読まぬよ.(笑)
 Wikipedia【パン】の場合がまさにそれで,《発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである》という誤りについて「ノート」には全く議論のあとが見られない.この項目の執筆者たちは誤りに気が付いていないのである.結局のところ,執筆者たちがこんな有様では Wikipedia【パン】の記述には信頼性がないと考えるべきであろう.

 さて醗酵パンの学術的議論については舟田詠子著『パンの文化史』に譲って先を急ぎ,石窯ガーデンテラスのパンのことに戻る.
 公式サイトの記載を再掲する.

石窯ガーデンテラスのパンの特徴
 ホップ種を使用しています
 ホップ種は、野生のイースト菌をうまく取り込みゆっくり時間をかけて酸味と苦みをマイルドにし、奥深い味を作り出します。毎日の自然環境がその日その日の味を作り出します。酵母と作り手が強調しながら時間をかけて、小麦の甘みとホップの酸味を引き出し、素朴で存在感のあるパンを作ります。

 ホップ種の説明をする.パン作りをする人は知っているだろうが,レストランを訪れる一般客は,ホップ種と言われても何のことやら理解できないからだ.
 ホップ種は「パン種 (ぱんだね)」の一種で,パン種はパンを醗酵させるために生地に入れる「醗酵の元」である.醗酵一般の用語としては醗酵種とかスターターともいう.(Wikipedia【スターター】の1.の語義〈発酵の開始のために加える微生物の集団を含んだもの〉参照)

 既に述べたトゥワン遺跡で発見された古代のパンが何をパン種に用いていたか不明であるが,それ以後の人類は自然界から様々なパン種を見出して使用してきた.
 これも詳しく紹介すると長い説明になるので,ウェブコンテンツ《世界の発酵種 》を紹介する.
 ホップ種については,このウェブページに次のように書かれている.

ホップス種
 ホップス種は現在のパン酵母が普及する昭和初期以前まで、酒種と並びパンの発酵に用いられてきました。ホップの煮汁にじゃがいも、小麦粉、りんごなどを加えて種継ぎを行ってホップス種が作られます。ホップに含まれる抗菌作用成分がホップス種の培養中に製パンに適さない微生物の繁殖を防ぎます。
 ホップス種を用いたパンの特徴は、ホップ特有の苦味といわゆるイースト臭の無い淡白な香りを持ちます。

 石窯ガーデンテラスのパン種が自家製なのかそれとも購入したものかはわからない.
 食べてみた印象は,クセのない風味で,まあまあおいしいパンだと言っていいだろう.
(続く)

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2017年2月23日 (木)

鎌倉 石窯ガーデンテラス (二)

 境内から坂道の舗装道路に出てすぐ,石窯ガーデンテラスの敷地入口になる.
 道路と洋館のレストラン建屋のあいだのスペースは,広いオープンカフェになっている.

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 ここで御年配の三人の人がアウトドア用の折り畳み椅子に腰かけて水彩の絵筆を走らせていた.ここから見た石窯ガーデンテラス洋館の玄関がちょっと「絵になる」からであろう.ちらと皆さんの描きかけの絵を見ると,揃ってなかなかの腕前のようであった.

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 玄関ドアを開けて中に入るとレジカウンターがあり,係の女性に「一人です」と告げると,店内の席とテラスのテーブルとどちらがいいですかと訊かれた.私は迷わずテラスがいいと答えた.この日はそれくらいよい陽気だったのである.
 案内されたテラススペースには,小さな庭に面して (その向こうにはイングリッシュガーデンがある) ゆったりと四人掛けテーブルが十席ほど並べられている.テーブルも椅子も,元はオイルフィニッシュだったのかウレタン塗料か何かで塗装してあったのか,全く判別できないくらいに風化して,いい雰囲気である.

 まぶしいくらいの日差しのテラスで席に着き,脱いだ上着とバッグを椅子に置いてメニュを開くと,献立は二種類だった.
 一つは「ガーデンコース」といい,メインディッシュに肉か魚の料理を選び,これに前菜とパン,コーヒーとデザートが付くもの.
 もう一つの献立は「パスタコース」で,いくつかのパスタから一皿を選び,これに同じく前菜とパン,コーヒーとデザートが付くものである.
 パスタコースは炭水化物定食の趣があるので,ガーデンコースを食べようと思い,メインディッシュには鴨のローストを選んだ.(おそらくメインディッシュは月替わりで季節の料理になるのだろうが,同レストランの公式サイトに掲載されているメニュは更新されていない)

 ほどなく前菜と,バスケットに入れられたパンが二つ,席に届けられた.配膳係のお嬢さんから前菜の説明は受けたのだが,忘れた.スープはサツマイモのポタージュで,あとは鶏のホイル焼きとエビのフリッター.それぞれにソースがかけてあるのだが,そのソース名を忘れたのである.

 パンは自家製で,というよりパンがこのレストランのウリのようで,公式サイトには次のように書いてある.

石窯ガーデンテラスのパンの特徴
 ホップ種を使用しています
 ホップ種は、野生のイースト菌をうまく取り込みゆっくり時間をかけて酸味と苦みをマイルドにし、奥深い味を作り出します。毎日の自然環境がその日その日の味を作り出します。酵母と作り手が強調しながら時間をかけて、小麦の甘みとホップの酸味を引き出し、素朴で存在感のあるパンを作ります。

 パンとは何かを一口で言うのは難しい.歴史的にも地理的にも,色んなパンがあるからだ.
 Wikipedia【パン】を見てみよう.

基本的に、小麦粉やライ麦粉などに水・酵母 (イースト) を加えてパン生地 (en:dough ドウ) にし、それを焼いた食品を指す。発酵のための酵母と糖類 (砂糖など) をセットで加えることも一般的である。なお、出芽酵母を入れずに生地をつくるパンもあり、これを「無発酵パン」や「種なしパン」などと言う (その場合、出芽酵母で発酵させてから焼いたパンのほうは「発酵パン」と言う。)。無発酵パンとしては、生地を薄くのばして焼くパンがあり、アフリカ・中東からインドまでの一帯でさかんに食べられている。なお、生地を発酵させるのは主として気泡を生じさせ膨張させるためであるが、出芽酵母で時間をかけて気泡を生じさせる代わりに、ベーキングパウダーや重曹を加えることで簡便に気泡を生じさせるものもある。

 この定義のような説明について書く前に,歴史的なことを調べておく.
 終末期旧石器時代 (Wikipedia【亜旧石器時代】) に現在のシリア辺りでは気候の乾燥化によって野生のムギ類が減少したため,それまで食糧を採集に依存していた人々は農耕を始めたとされている.野生種から栽培種が選抜されたのである.(Wikipedia【テル・アブ・フレイラ】(現在から一万年ほど前のメソポタミア考古遺跡) を参照)
 この頃は,遺跡からの出土品から,麦を粉に挽いて粥にした食べていたと思われる.
 この時代から三千年ほど後の現在のトルコ共和国辺りでは,グルテンの多いパン小麦が栽培されていたようである.
 さらに時代が紀元前3700-3600年くらいになると,醗酵させた麦粥を焼いたものがスイスのトゥワン遺跡から出土している.
 この点について Wikipedia【パン】には矛盾したことが記載されていて,

トゥワン遺跡 (スイス) の下層 (紀元前3830-3760) からは「人為的に発酵させた粥」が発見され、中層 (紀元前3700-3600) からは「灰の下で焼いたパン」と「パン窯状設備で焼いたパン」が発見されている。粥状のものを数日放置すると、自然の出芽酵母菌や乳酸菌がとりつき、自然発酵をはじめ、サワードウができる。当初これは腐ったものとして捨てられていたが、捨てずに焼いたものが食べられるだけでなく、軟らかくなることに気付いたことから、現代につながる発酵パンの製法が発見されたと考えられている。

としておきながら,これにすぐ続いて次のようなことを記している.

パンは当初、大麦から作られることが多かったが、しだいに小麦でつくられることのほうが多くなった。古代エジプトではパンが盛んに作られており、給料や税金もパンによって支払われていた。発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである。

 古代エジプトは,トゥワン遺跡よりも数百年,時代が下る.
 醗酵パンが生まれたのは欧州内陸部なのか,エジプトなのか.
 実を言うと,Wikipedia【パン】のこの記述矛盾には,この原稿を書き始めてから気が付いた.私は古代エジプトが醗酵パン発祥の地だと思っていたのだが,どうなんだろう.
 学術的にはどうなのかを知るために急遽,いささか古い本だが舟田詠子著『パンの文化史』(朝日選書,1998;講談社学術文庫,2013) を注文して確認することにした.食文化に関する書物には時としてトンデモ本があるのだが,講談社学術文庫のブランドを信用しようというのである.
(続く)

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2017年2月22日 (水)

鎌倉 石窯ガーデンテラス (一)

 先月の八日,ふとオンにしたテレビで『帰れまサンデー〈冬の鎌倉2チームで最新グルメ&名所巡り旅!出会えるまで帰れない〉』(テレビ朝日) という番組をやっていた.
 出演者は,お笑いコンビ・サンドウィッチマンの男性チームと,女優の藤田朋子さんと浅香唯さんの女性チーム.
 二チームは別々の地点から鎌倉散策を開始し,あちこち歩き回りながら,偶然出会えたらゲーム終了という内容の番組で,その途中であちこちのお店やレストランが紹介されるのである.
 鎌倉は狭い観光地だから,ゲームを始めた途端に二チームが出会ってしまう可能性が高く,そうなったら「尺」が全然足りないので放送することができずにテレビ朝日としては大損をこくわけだから,そこはそれ,撮影スタッフがちょっと誘導するとか何かしらの工夫があるのだろう.
 視聴者は,ヤラセなどと無粋なことは言わずに《冬の鎌倉2チームで最新グルメ&名所巡り旅!》を楽しめばいいわけだ.

 さて,その鎌倉散策の途中,藤田朋子さんと浅香唯さんは金沢街道のほうに足を向け,道を歩いていた人にレストラン「石窯ガーデンテラス」が評判いいですよと教えてもらう.
 そして彼女たちは石窯ガーデンテラスでランチを摂ったのだが,ちょっといい雰囲気のレストランだなあとの印象だった.

 私はこれまで石窯ガーデンテラスに入ったことがなかったのでウェブ検索したところ,浄妙寺の境内に大正十一年に建築された洋館を改装したカフェレストランであると出ていた.いつの創業であるかはわからない.
 浄妙寺は足利義兼によって文治四年 (1188年) に創建された鎌倉五山第五位の古刹である.
 鶴岡八幡から浄妙寺へと辿る道は金沢街道で,道を東に暫く歩き,「岐れ路」信号を左に行くと町名は二階堂である.右というかそのまんま東というか,道なりに進むと雪ノ下四丁目,浄明寺 (ややこしい) 一丁目となる.
 バスで行くならバス停「二階堂」で降車するとすぐ坂東三十三箇所第一番,鎌倉三十三箇所第一番札所にして鎌倉最古の寺とされる杉本寺がある.この辺りは四十年前には鄙びた田舎で,杉本寺は朽ちかけたような風情であったのだが,今では人家も増えて,訪れる観光客も多いようだ.

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(Wikipedia【杉本寺から引用;パブリックドメイン画像)

「二階堂」の次のバス停は「報国寺入口」である.
 報国寺は,知る人ぞ知るデート寺である.なんだそれは.
 今からちょうど四十年前のこと,静岡県に住んでいる女性が毎週末に私を訪ねてくることになっていて,今でいう遠距離恋愛だが,彼女が来たときはいつも報国寺をデートコースにしたものだ.

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(Wikipedia【報国寺】から引用;引用フリー画像)

 まずは鎌倉駅で待ち合わせをし,金沢街道方面行きのバスに乗る.「報国寺入口」で降りるとすぐに山門がある.この寺の竹林にある茶店で抹茶を頂きながら,暫くあれこれの話をする.それからまた八幡宮へ戻り,若宮大路と小町通りの間の路地にあるレストランで食事するのが定番であった.
 ある日,駅へと戻る帰りのバスで,道路の舗装がデコボコになっているところで旧い車体のバスがガタンと弾んだとき,よろけた彼女が私の腕を両手で抱えるようにすがりつくということがあった.その胸の薄さ腕の細さに,私は「ああこの人をいつまでも守ってあげ (以下略).
 そういうわけで,報国寺から少し東に行くと浄妙寺がある.バス通りから山門が見えるし,鎌倉駅からのバスで行けばほとんど歩く必要もないのだが,なぜかこの寺はいつも報国寺ほど観光客 (カップル) が多くはない.庭があまり大したことはないせいだろうか.

 さて昨日は関東地方各地は強風が吹き荒れたらしいが,鎌倉市内は全く無風で暖かい散歩日和であった.
 時刻は正午の少し前,バス停から浄妙寺へ歩いて行くと,和装のカップルが手を繋いで山門のほうから来てすれ違った.男のほうはどうでもいいが,娘さんの振袖姿というのは実によいものである.花のつぼみがほころぶようなその笑顔をちらりと見ながら私は,お幸せに,とつぶやいた.男のほうは不幸せでも一向に構わぬから,どうとでもなるがよい.おいおい.

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 山門を入ると境内には人の姿少なく,年輩の御夫婦と思しき二人連れと,振袖を召した娘さん二人連れが,盛りをすぎた庭の梅を眺めていただけであった.どこかの大学で謝恩会でもあったのだろうか.この日はあちこちで振袖美人を見かけた.眼福眼福 (←おやじくさ)

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20170222c

 境内の左側のゆるい坂道を上がって行くと,寺域ではあるのだろうが,舗装された道路にでる.
 ここから少し上を見上げると石窯ガーデンテラスの屋根が見えた.
(続く)

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