趣味の工作とDIY

手先を動かすと痴呆防止にいいと聞いたもんでハア.

2020年12月17日 (木)

テレビの不調?が直った!

 先日 (12/7) の記事《テレビの不調に悩む》に書いたテレビの不調原因が判明した.
 私の家のリビングにあるテレビは六年前の古い40インチの東芝レグザで,もうそろそろ耐用年数切れに入ろうかというものだ.
 経験上,テレビは十年もてば大当たりだと思う.逆に冷蔵庫とか洗濯機は,十年以内に壊れたら大外れだと思う.
 安いBTOパソコンは五年で確実に故障する.今まで数十台のパソコンを自作したりBTOを購入して使ってきたが,五年以上の使用に耐えたものはない.
 ただし,NECの製品は耐用年数が長いという説があるが,私は確かめていない.
 寿命の来たパソコンを調べてみると,電源部の故障が多い.使われているケミカルコンデンサが容量抜けを起こして電源出力が不安定になるのだ.(再起動を繰り返す故障の原因は必ずこれだ)
 あとはマザーボード上の素子が壊れたのが原因とみられる.
 
 それはともかく,話はうちのテレビである.
 不調の状況は,一日に数回,不定期にテレビ音声が「音飛び」「音割れ」状態になり,視聴できなくなることだ.ただ全く正常に一日を終わることもある.この現象に「再現性がない」のには困った.トラブルシューティングできないからである.
 ネット情報を調べてみると,地デジアンテナやブースター,分配器などは屋外の過酷な条件 (特に夏季の高温) 下に設置されている場合,十年はもたないらしい.そりゃそうだろあなあ,と思う.筐体を手で触ると火傷するくらい熱くなるのだから.
 そこで思い切って,地デジアンテナ (八木式ではなく平面型デザインアンテナ),それに接続しているブースター,さらにそれに接続してある分配器を新品に交換した.ケーブルも交換できる箇所は交換した.
 
 ところが件の現象は治まらなかった.
 そこで「もしや」と思ってレグザのHDMI端子に繋いであるHDMI切替器 (サンワダイレクト HDMI切替器 400-SW019) を外して,テレビから離してみた.
 するとピタリと「音飛び」が起こらなくなったのである.
 元に戻すと,再び「音飛び」が起きるようになった.
 これでテレビ不調の原因が確定した.HDMI切替器の故障であった.テレビのアンテナ入力から液晶ディスプレイ出力までの回路のどこかに,HDMI切替器が発するノイズが障害を与えるのだろう.たぶん電子レンジが出すノイズと同じ高周波ノイズだと思う.
 
 HDMI切替器を別機種の新品に交換しても,切替器をテレビに接続している限りは,同じ現象が起こる可能性がある.
 だとすると,今回のノイズ障害に対する根本的対策はHDMI切替器を使用しないことだ.
 この切替器にはPCとBDプレイヤーを繋いでいたのだが,切り替えは頻繁にやるものではないので,必要に応じてHDMI中継ジョイントを用いて手動で接続を切り替えることにした.これで一件落着である.

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2020年12月 7日 (月)

テレビの不調に悩む

 地デジ放送が始まったのは2003年 (平成十五年) だが,その前に電気屋さんに来てもらって,拙宅の屋内のテレビ受信系を点検してもらった.
 すると,私の陋屋は古いので,屋根の上の八木式アンテナから屋内に同軸ケーブルを引き込んだあとの,壁の中の配線が地デジに耐えられないだろうという診断 (信号減衰が大きい) だった.しかし壁を壊してまで屋内配線をやり直すのは,気が進まなかった.
 そこで屋根の上のアンテナを地デジ用に交換したあと,和室居間の壁に穴を開け,この穴を通じて,アンテナからの同軸ケーブルを引き込むことにした.
 つまりそれまでは各部屋の壁にアンテナ端子があったのだが,和室居間しかテレビを視聴できなくなったのである.
 あとは一階のリビング (実は飼い犬が住んでいる部屋) と二階の私の居室にテレビがあるが,これは二階の窓の外にあるベランダ (洗濯物を干したりするアレですな) の支柱にデザインアンテナを固定 (当然,屋根上よりかなり低い位置) し,そのすぐ近傍 (同軸ケーブル長さ50cm) にブースターを取り付けた.次にアンテナのUHF出力をブースターに接続し,その出力を分配器で二経路に分けた.
 ブースターの電源は二階の居室に置いて,その直流出力を「すきまケーブル」を経由でアルミサッシの外に出し,ブースターに接続した.
 もちろん分配器は通電型のものである.
 ここでアンテナに簡易型のレベルチェッカーを繋ぎ,レベルが最大になるようにアンテナの方向を調整した.
 すべて終了してからテレビ二台をオンにすると,どちらも良好な受信状態だった.以上はDIYでやった.屋根の上に昇るのは素人はやらぬほうがいいが,ベランダで工事ができるのなら自分でやったほうがよい.勉強になるし.
 
 こうして六年が過ぎた.
 ところが先月の下旬あたりから時々,テレビの音声が「音飛び」するようになった.
 暫くすると,著しいブロックノイズが入るようになり,音声だけでなく画面も不調になった.
 困ったのは,この「時々」という現象である.
 録画予約の場合,後で再生したときにブロックノイズが激しくて全く視聴不可能のことがあった.
 ノイズが激しくなる時間帯があるわけではなく,また天候も無関係のようである.
 アンテナレベル (*註) を調べると,快調な時はTBSが58dB (少し不安定だが視聴に問題はない),テレビ朝日が77dBで安定,NHKなど他の局は80dBで安定している.
 (*註) 一般にアナログ伝送の場合はS/N比と呼び,信号(signal) / 雑音(noise) である.デジタル伝送の場合はそもそも信号強度が存在しないので,搬送波強度(carrier) / 雑音(noise) を用いてC/N比という.単位はデシベル dBを用いる.
 
 しかし,我が家のテレビは突然なんの前触れもなく,安定していたNHKなどのレベルが40dB前後に急降下し,画面全体がブロックノイズに覆われてしまうのだ.そしてまた突然に元通りの良好な受信状態に復帰する.
 家電や機械の故障にしろ,建築物の老朽化・崩壊にしろ,不可逆的に進行する.「テレビの故障をそのままにしておいたら自然に直った」ということは絶対に起きない.この現象を大仰に言い換えると,高校生なら物理の授業で耳にする「熱力学第二法則」に基づく「エントロピー増大の法則」だ.福岡伸一先生は「秩序があるものはその秩序が崩壊する方向にしか動かない」と表現している.(ただし,これは確からしいが完全に証明された法則ではない)
 テレビを構成している部品と回路はすべて秩序だっている.すなわち故障は不可避である.そして軽微な故障は大きな故障へと進行する.
 だとすると,私の家のテレビが,ある時はきれいに受信できるが,またある時はブロックノイズのために視聴不能となる現象は,テレビの真の故障ではないことになる.
 私がこれまでにオーディオ・アンプやラジオ受信機,PCを作ったり修理した経験上,この種の不安定な見かけ上の「故障」は,断線寸前の状態とか接触不良が原因の可能性がある.
 これが厄介なのは,肉眼ではわからないことだ.テスターで導通テストを行って断線寸前や接触不良の箇所を特定しなければならない.
 断線寸前がプリント基板上で起きていたら,もうお手上げだ.
 トラブル・シューティングする気力が起きないので,現時点で私は,アンテナ,ブースター,分配器とそれらを結ぶ同軸ケーブルを総取り換えしてしまおうかなーと思っている.
 
 ところで,地デジの受信に関しては,不安定な受信状態 (快調な時もあるのに,突然不調になる) に悩んでいる人がかなりいて,ネットの質問掲示板に投稿がいくつもある.
 この質問に対して,「アンテナが向いている方向に高い建物が立っている」とか「強い風のためにアンテナの向きが変わった」と回答する者がいる.
 馬鹿である.
 高いビルが一日のうちに建ったりなくなったりすると言うのだ.
 アンテナが,自分であっち向いたりこっち向いたりするというのだ.
 超常現象かよ.w

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2019年7月17日 (水)

クラシック・レイディオ (七)

 前回の記事《クラシック・レイディオ (六) 》の末尾を再掲する.
 
上の説明書には色々なタイプのIFTについて説明がされている.これらが現在もオークションで入手できるかどうか私は知らない.
 さて次回は,この骨董品IFTがちゃんと動作するものかどうか,確かめてみる.
 
20190716k
 
 ディップメーターでIFTの共振周波数が確認できたのは,二本のIFTのうちの一本だけ,それも二次側のLC同調回路だけだった.この劣化は想定内で,劣化の原因であるコンデンサーを全部新品に交換してしまおうと思ったのだが,アルミケースから同調回路を取り出してみると,今はもう製造されていない旧式のコンデンサーである所謂「キャラメルマイカ」(湿度が高いと劣化するとの説がある) が使われており,その表面になぜか静電容量値がプリントされていないことがわかった.
 そこでハンダ付けを外して静電容量を測定しようとしたのだが,大昔の製品のせいかハンダの融点が高い上にハンダをこってりと盛ってあり,手持ちの普通のハンダ吸収線では融けたハンダを吸い取れず,どうにも始末が悪い.
 
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(ハンダ吸収線)
 
 IFTのコイルは極細のリッツ線を巻いてあり,これをウッカリ切断してしまったら,もう修復は不可能だ.それで乱暴だが,コンデンサーのリード線をニッパーで切断してしまった.
 
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(IFTのコイルと,切断して取り外したキャラメルマイカコンデンサー)
 
 LCRメーターで測定したところ,コンデンサーを取り外した側のコイルのインダクタンスは1.246mH,コンデンサーの静電容量は104.2pFであった.
 
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(愛用の安物LCRメーター;誤差は数%ある)
 
 誤差を含むこの測定値をそのまま使って共振周波数を求めると,442kHzである.仮にこのIFTの設計値が1.25mHと100pFであるとすると,その共振周波数は450kHzとなる.目標値455kHzの1%程度に収まっており,たぶんこの値が設計値だとしていいだろう.コンデンサーには,99pFなどという中途半端な製品はないからである.そこで,新品のマイカコンデンサー (100pF) を買って交換することにした.
 ちなみに,コイルとコンデンサーの数値から共振周波数を計算してくれる《LC共振の周波数 》という大変便利なウェブコンテンツがある.世の中には奇特なおかたがいるものであるなあと感謝.
 次回は,骨董品ラジオから部品取りをしてみる.

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2019年7月11日 (木)

機械翻訳前の文章を知りたい

 スーパーヘテロダイン方式のラジオを製作すると,簡易型信号発生器 (一般にテストオシレーターと呼ばれている) を用いて調整をしなければならない.私は昭和の香り高いアナログ式テストオシレーターを所有しているのだが,周波数を目盛版から目で読み取る関係上,周波数の有効数字が二桁しかない.周波数の有効数字が二桁というのは,例えばダイヤルの目盛りで455kHzに合わせても,実際には454kHzとか456kHZかも知れない,ということである.(テストオシレーターは下の写真で,台湾製)
 
20190715i
 
 そこで精度の高い周波数カウンターを購入した (下の写真;これは中国製で,有効数字は四桁である) のであるが,テストオシレーターと周波数カウンターを接続するのにBNC端子付き同軸ケーブルという被服電線を使用する.
 
20190715j
 
 それをアマゾンで見繕っているときに,《uxcell RG58 BNC - BNC同軸ケーブル 50オーム 50 cm長さ 同軸延長ケーブル 1個入り 》という商品を見つけた.“uxcell”がメーカー名で,中国製品である.その商品説明を下に引用する.
 
《・完全にBNCオス同軸ケーブルにRG58 BNCオスを組み立て
 ・RG58 / U定格50Ω低インピーダンス同軸、95%編組カバレッジ
 ・高品質のニッケルメッキコネクタ本体と金メッキ真鍮コンタクト
 ・放送、ビデオ伝送、ビデオ監視に最適
 ・RG58は細いRG316またはRG174から作られたケーブルよりはるかに少ない減衰を意味します。特に重要な人がいる場合は、それほど落ち着かないでください。
20200324b
 この箇条書き説明文の,最初の四項目は日本語に妙な箇所はあるが,言いたいことは理解できる.
 しかし最後の項目《特に重要な人がいる場合は、それほど落ち着かないでください。》は一体どういう意味なのであろうか.
 日本のアマゾンにおける中国製品の見分け方は割と簡単で,商品説明の日本語が,上記の同軸延長ケーブルのようにブロークンであるからすぐわかる.そしてこの手の製品は大抵は低品質である (*).
 逆に言うと,日本語の商品説明が明解正確であると,中国製かどうか見分けるのが難しい.しかしこのような製品は高品質のことが多いから,無問題ではある.
 さて想像するに,粗製中国製品 (若い反中国青年諸君は,これを中国ではなく「中華」と呼んでいる) の商品説明は,中国語→(機械翻訳)→英語→(機械翻訳)→日本語という方法で作成されているものと考えられる.《完全にBNCオス同軸ケーブルにRG58 BNCオスを組み立て 》なんてのは,元の英文がおよそ想像できる.
 しかし,だ.《特に重要な人がいる場合は、それほど落ち着かないでください。》は皆目,元の英文が想像できない.わかる人がいたら,ぜひご教示を頂きたいものである.
 
(*) 中国製品すべてが低品質であるというのではない.中国は日本を凌ぐ工業国家であるからして,例えば小さな電気部品にしても優れた製品が作られているに違いない.実際に私は,アマゾンで購入した電気部品が中国製にもかかわらず極めて高い品質であるのに驚いたことがある.
 だがアマゾンあたりに出品されている中国製品の多くは劣悪なものばかりである.そして大きな問題は,日本ではもう優秀な電気部品を作る小企業が絶滅しつつあるということだ.
 笑い話のようなことを一つ.抵抗器やコンデンサは両端にリード線が付いており,これに日本製 (実際の製造地が海外であっても) は錫メッキ銅線を使うが,中国製は単なる鉄の針金だったりする.磁石にくっつくので,買った後で騙されたと悔しい思いをする.w
 だが他国を批判するのは控えたほうがいいも知れない.私が生まれた頃の日本製品は,劣悪粗悪品の代名詞だったのだ.大根をサイコロ状にカットして黄色く着色し,甘く味付けしたものを缶詰にして「パイナップルの缶詰」と称してアメリカに輸出したことがあるのだ.
 昭和三十五年,それまで「牛肉大和煮缶詰」と称して売られていた日本製缶詰のほとんどは中身が馬肉や鯨肉だったことがバレて問題になった.偽装は日本が本場なのである.

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2019年7月 8日 (月)

クラシック・レイディオ (六)

 昭和三十年代に,通信系機器のパーツや通信機を製造していた富士製作所 (ブランドは“STAR”) というメーカーがあった.他にも幾社か通信機器パーツを作っていたメーカーはあったが,私の少年時代は既にトリオ商事 (春日無線電機商会,後のケンウッドの前身;ブランドは“TRIO”) と富士製作所の二社がシェアを分け合っていた.富士製作所は後に通信機部門だけが八重洲無線に買収されて,会社としては消滅した.ケンウッドも業界再編成の波に呑まれ,ブランドだけを残して,今はない.
 二十年近く前,秋葉原の内田ラジオにボッタくられて買ったIFT (\8500) は,STARの[A2s・B2s]である.中古ではなく箱入りの未使用品だが,その付加価値を考慮しても高すぎると思う.しかし当時は骨董パーツ屋と,ネットオークションとの競争原理が働いていたわけではないから,私たち素人は売り手の言い値で掴まされることが多かった.
 下の写真の右側の箱はボロボロで,今にも崩壊しそうである.IFTは二本が一組 (ただし中間周波増幅が一段の場合;二段増幅の場合は三本が一組になる) であるが,黄色のリード線が上から出ている左端のものが,中間周波増幅段の入力部に置かれる.昔のラジオで中間周波増幅に使用されたST管「6C6」のグリッドが管球の上から出ているので,それに接続するために黄色のリード線が,シールドの意味も兼ねてIFTのアルミケースの上の穴から出されている.
 
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 中間周波増幅管のグリッドに接続される入力用のIFTと,その真空管のプレートに接続される出力用のIFTとでは,中に入っているコイルの一時側と二次側との距離が少し異なっている.そういう設計で作られているので,二つのIFTは区別して使用しなければいけない.骨董品のmT (ミニチュア) 管ラジオに使われていたIFTは,黄色いリード線が切断されているものがあり,知識のない者が無造作にラジオから部品取りしたIFTは,外観では区別できなくなっているので,注意が必要である.
 さて私が入手したこの製品は,たぶん昭和三十年代半ばに製造されたものではないかと思われる.一応,取説も著作物ではあるが,保護期間は過ぎているし,発行者自体が既に消滅しているからコピーしても大丈夫だろう.セピア色に色焼けした取説のコピーを下に掲げる.
 
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 左側のIFT (A2・B2) は特性図の谷底が広くなっている.これは音質を重視する一般のラジオ向け製品だった.
 右側のIFT (A2s・B2s) は谷がシャープである.これは近接した周波数の信号を分離するのに優れた特性で,通信機用の製品だった.
 
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 ラジオの製作は,当時は割とアマチュア愛好者の多い趣味だったので,上の取説の一番下に,作ったラジオの調整方法が親切に解説されている.
 
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 上の説明書には色々なタイプのIFTについて説明がされている.これらが現在もオークションで入手できるかどうか私は知らない.
 さて次回は,この骨董品IFTがちゃんと動作するものかどうか,確かめてみる.

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2019年7月 6日 (土)

クラシック・レイディオ (五)

 底ブタを開けると,筐体の中には電池ボックス (単三×6) が内蔵されている.ボックスにはナショナル・ハイトップ乾電池が入ったままになっており,もしかすると二,三十年もの間,ほったらかしにされていたのかも知れない.すべて激しく液漏れしていて,そのため乾電池の電極に接するボックス自体の金属部分が完全に腐食していた.
 ちなみにパナソニックの乾電池部門の資料によればハイトップ乾電池は昭和三十八年の発売である.ただし同部門の資料には昭和三十九年の発売だと書いた記事もあり,社内で統一がとれていないようだ.
 ハイトップ乾電池は後継のネオ・ハイトップと並行生産されていたような記憶があるが,いつ生産終了したのかは,わからない.いずれにせよ,このディップメータの私より前の所有者が,電池を入れたままにして使用しなくなってから何十年か経ったと思われる.想像を逞しくすれば,その人が亡くなって遺族が遺品を整理していたら何に使うのかわからない機器が出てきたので,遺品整理の専門業者に引き取ってもらった.その業者には,動作確認したり修理したりする専門的な知識がないので,「動作保証なし」でヤフオクに出品したところ,買い手 (私w) がいた.そんなところだろうか.メンテされていて動作が確認されているなら,もうちょっと高い値段で売れたと思われる.私が落札したディップメータは業者の出品だったが,ヤフオクをウォッチングしていると,個人が出品している場合もたまにある.その場合は「○MHzで発振を確認した」などとコメントが付いている.そういう機器は何万円かで取引されているようだ.とはいうものの,台湾製の新品が一万円台で販売されているから,骨董品的付加価値が含まれていることは間違いない.
 
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 上の写真ではそうは見えないが,真ん中の部品は底ブタで,電池ボックスのホルダーが付いている.この箱状のものに電池ボックスが収容される.電池ボックスはもう使い物にならないので,単三電池が六本入るボックスをアマゾンで探したら,一商品だけ出品されていたので注文した.
 また,ディップメータの前面パネルにはDC9Vを入力できるようにもなっている.普段の使用では,内蔵電池ではなく外部から供給するほうがいいだろう.暫く使わない時に電池の外し忘れをしやすいから,それを防ぐためだ.
 内部の基板の状態を目を皿のようにして (実際は天眼鏡を使ったw) 点検したが,電池から漏れた液が付着してはいないようであり,また回路のパーツも特に異常はないようだった.ということなら,いよいよ通電である.コイルは中波放送帯域をカバーするGコイルをディップメータ上部のソケット (ソケットは二つあり,コイルによって挿すソケットが指定されている) に挿した.外付けの電池ボックス (単三×6=9V) のDCジャックをディップメータ本体に接続した.
 
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 電源スイッチのポジションは,OFFとCWとMODであった.CWは無変調波,MODはAM変調波を意味していると思われた.そこでMODの位置にオンした.ソニーの携帯ラジオもスイッチ・オンにしてNHK第一放送を受信する.ディップメータのコイルをラジオに近づけ,周波数ダイアルをNHK第一 (東京) の594kHzの近辺でゆっくり回すと,ピーという音 (たぶん1kHZ) がラジオから聞こえて,NHKの放送に混信した.これでディップメータは発振していることが確認できたことになる.基板の回路に手を付ける必要はなかった.
 
 さてこのディップメータの使い道だが,詳しくは「グリッドディップ・メーターの使い方 万能測定器グリッドディップ・メーターの徹底的活用法」に書かれているように,昔は色々な用途があったのだが,ディップメータならではの使い道は,現在では一つだけである.現在では,円盤型ダイヤルで周波数を読み取るタイプの骨董品的ディップメータ (ダイヤルから読み取れる周波数の有効数字は二桁しかない) よりも,ずっと安価で,比較にならないほど精密度,正確度の高い測定器があるからだ.
 さて秋葉原辺りでラジオ部品を漁っていると,たまに中古の中間周波数トランス (IFT;スーパーヘテロダイン方式受信機の部品の一つ) が売られている.こういうIFTは骨董ラジオから部品取りしたものが多く,そのまま使えるものは珍しい.大抵はケースの中に入っているLC (コイルとコンデンサ) 同調回路のコンデンサが劣化しているか,あるいは調整ネジを回し過ぎて455kHzから大きく外れた周波数になってしまっている.このような中古IFTを使ってラジオを組み立てる際,要修理か否か,事前にチェックするのにディップメータが役立つのである.組み立てたあとでテストオシレータを用いて調整することが可能ではあるが,もしも不良品だった場合には良品に交換するのに大変な手間を食う.これに対して,回路に組み込んでいない部品の状態でIFTの良品不良品の判定ができるのは,ディップメータだけの特長であり,そして今ではこれだけがディップメータ特有の用途なのである.
 かなり前に,秋葉原パーツ街で有名な中古部品店だった内田ラジオ (既に閉店して久しい) で買ったIFTが,手持ちのラジオ部品の中にある.今のヤフオクの落札価格の二倍以上の値段で買ったものだ.ボラれたといっていい.高価だったから後生大事にしまっておいたが,ディップメータを入手したことだし,こいつの点検をやってみようと思う.

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2019年7月 3日 (水)

クラシック・レイディオ (四)

 我が国のラジオ放送の黎明期は,大正十四年三月二十二日九時三十分,社団法人東京放送局 (現在のNHK東京ラジオ第1放送) の京田武男アナウンサーによる第一声「アーアー,聞こえますか……JOAK,JOAK,こちらは東京放送局であります.今日只今より放送を開始致します」により始まった.この放送は芝浦にあった東京高等工芸学校の中に仮送信所を設けて行われた.
 
 当時,新しく登場した画期的なメディアであったラジオ放送を所管する官庁となった逓信省は,上記の東京放送局の放送開始に先立つ大正十二年 (1923年),東京,名古屋,大阪の三地域で放送を行うこととし,それぞれの地域で事業を行う三つの公益法人すなわち社団法人東京放送局,同名古屋放送局,同大阪放送局に放送事業を許可した.このような形をとったが,三法人は実質的に国家機関であった.
 東京放送局に続いて六月には大阪放送局も仮放送に踏み切り,さらに七月には東京放送局は愛宕山山頂に建設された送信所からの本放送を開始した.名古屋放送局も七月に本放送を開始したが,大阪放送局の本放送は大幅に遅れて翌年十二月であった.
 翌年,三放送局は統合され,社団法人日本放送協会が発足した.これ以後のラジオ放送は国策事業として推進されていくのであるが,当時の日本はラジオ放送事業のインフラ整備から始めねばならなかった.例えばラジオ放送用送信機は国産機がなく,米国ウェスタン・エレクトリック社製の放送用送信機が用いられた.しかしその送信電力は,わずか1kWであった.現在の首都圏民放局 (TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送) が100kW,NHK東京第1放送が300kWで送信されているのとはまるで比較にならない小規模な放送であった.
 しかも受信する側はといえば,信号増幅回路のない鉱石ラジオなのであった.もちろんこの頃既に電池管 (交流電源ではなく電池を使用する真空管) 式のラジオが米国で開発されてはいたが,ランニングコストが非常に高く,富裕層にしか手の出ないものであった.(資料;《大正時代の真空管ラジオ 》および《ラジオ放送開始から1928年まで -鉱石と電池式受信機の時代-》)
 そのため政府は当初,鉱石ラジオでの聴取を前提にインフラ整備に努め,全国各地に放送局を設置した.
 今の高齢者層には,昭和三十年代前半の児童学習雑誌の付録で鉱石ラジオを作った経験のある人がいるだろう.しかし私の郷里の群馬県では,鉱石ラジオは実用性のないものだった記憶がある.それは喩えて言えば,ホワイトノイズに埋もれた宇宙の果てからの異星人の呼びかけのような音だった.
 しかし間もなく真空管式家庭用ラジオは普及し,政府は国民に対する直接的な訴求手段を手に入れることができた.新聞というものが,そもそもの意義として国民の自由と民権の意識を基盤にしていたのとは異なり,我が国のラジオ放送は最初から政府の国家統治手段の側面を持っていたのである.
 先の戦争中は,ラジオ放送が新聞と並ぶ二大メディアであった.ラジオ受信機は民間会社が製造してはいたものの,戦局が厳しくなると物資の供給を受けるためにメーカーは苦労したという.当時の真空管式ラジオの名称が「国策一号」とか「愛国二号」などであるのは,国策協力のためだったらしい.
「ラジオと戦争」というのはなかなか興味ある話題で,それは真空管の歴史と密着している.例えば映画『史上最大の作戦』の中に,第二次大戦中のフランス人が,英BBC放送による歴史的な暗号ラジオ放送を真空管式ラジオで聴く場面が描かれている.これはWikipedia【ノルマンディー上陸作戦】で次のように記されている.
 
連合軍が徹底的にオーバーロード作戦を秘匿したにもかかわらず、ヴィルヘルム・カナリス海軍大将が指揮するアプヴェーア(国防軍情報部)は、オーバーロード作戦が開始される前兆として、BBC放送がヴェルレーヌの「秋の歌」第一節の前半分、すなわち「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」を暗号として放送するという情報をつかんでいた。これは「連合軍の上陸近し。準備して待機せよ」という、イギリス軍特殊作戦執行部(SOE)発でヨーロッパ大陸の対ドイツレジスタンス全グループに宛てられた合図の暗号放送であった。放送予定は当月の1日または15日。
アプヴェーアが見込んでいた通り、6月1日、午後9時のBBC放送ニュースの中のコーナー「個人的なおたより」でこの暗号は放送され、アプヴェーアは国防軍最高司令部(OKW)とカレー方面を防衛する第15軍司令部、西方軍集団総司令部、B軍集団司令部に警告を発する。第15軍は警戒態勢に入ったが、B軍集団麾下でノルマンディー方面を守備する第7軍はなんの連絡も受けなかった。OKWで連絡を受けた作戦部長アルフレート・ヨードル大将は陸軍参謀本部の第三課長レンネ大佐に警告の件を伝えたが、レンネ大佐は格別な措置をとらなかった。
「秋の歌」の最初の部分の録音を聞き終えると、マイヤーはただちに第一五軍の参謀長ルドルフ・ホフマン少将に報告した。「暗号の第一部が発せられました。どうやら何かが始まりそうです」と彼は言った。 — コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』62ページ
 
 また第二次大戦後のベトナム戦争では,北ベトナム軍がサイゴンに迫る中,既に南ベトナムからの撤退を決めていた米国は,サイゴン陥落前夜の1975年4月29日に,米軍放送でビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」を流すことで,在越アメリカ人にサイゴン脱出を呼び掛けた.歴史的に記憶されるべきラジオ放送は,おそらくそれが最後だったろう.そしてもうこの頃には,工業製品としての真空管式ラジオ受信機は市場から姿を消しており,その後の真空管式ラジオは趣味の対象として生き続けたのである.またメディアとしてのラジオ放送 (短波放送を含む) は二十世紀末にはインターネットに席を譲り,歴史の舞台から去ったことは周知の通りである.
 余談だが,昭和五十一年 (1976年)九月六日,旧ソ連のミグ25戦闘機が演習中に隊を離脱し,函館空港に強行着陸する事件があった.パイロットのベレンコ中尉が米国亡命を意図したのである.米国はベレンコ中尉の亡命を受け入れ,ミグ25の機体は自衛隊の協力下に百里基地 (茨城県) に移送され,ここで分解されて機体検査を受け,検査ののち機体はソ連に変換された.機密事項であるはずだが,なぜか検査の内容は後にリークされ,ミグ25に搭載されていた電子機器が真空管を使用したものであったことが世間の知るところとなった.
 テレビや新聞は当初,宇宙開発で米国と競争したはずのソ連科学技術の意外な後進性を笑ったが,ずっと後に専門家が指摘したところによれば,極地や成層圏など厳しい環境においては半導体よりも真空管のほうがタフなのだという.要は物の考え方であり,真空管電子回路を搭載したミグ25が別に「張子の虎」だというわけではないらしかった.軍事的なことの真偽は私にはわからないが,旧ソ連の真空管製造技術は大したものだったらしい.日本でも欧米でも真空管が作られなくなってから,旧ソ連が真空管の供給源である時代が暫く続いた.戦前生まれの無線技術者や音響技術者の座談記事を読んだことがあるが,不届きな業者が旧ソ連製の真空管に印字された型式表示を洗浄除去し,代わりに赤い“RCA”のスタンプ (米国製真空管ブランドの一つ) を押した製品が出回っていたようだ.だからといって粗悪製品ではなかったという.日本人のブランド信仰を衝いただけのことであった.
 閑話休題
 真空管がまだ実用品だった頃,日本の技術者 (三田無線研究所の茨木悟氏) が開発を推進し,アマチュア無線家の真空管愛好者にとって必携となった測定器があった.真空管回路を使用したグリッド・ディップメーターである.
 この測定器は,真空管が工業製品でなくなったあと,回路にトランジスタを用いた「ディップメータ」と呼ばれ (トランジスタにはグリッドがないからw) るようになり,暫くは命脈を保っていたが,それも今世紀の初めに製造停止となった.ディップメータの機能が他の測定器で代替可能となったからであった.
 私の真空管弄りは専らラジオとオーディオのアンプであり,アマチュア無線には関心がなかったから,製造が停止されてからのディップメータについてはどうなったか知らなかったのであるが,つい最近になってラジオの部品を集めているうちに,ディップメータがかなりの頻度で取引されていることを知った.アマチュア無線家にとって,ディップメータよりも優れた測定機器が新品で入手できるのにも関わらず,ヤフオクで八万円もの異常な高値で落札されたことがある.これはもう完全に骨董品扱いである.測定器としての現在の価値は,せいぜい一万数千円といったところだからである.
ディップメータの中身は単純な回路であり,自作可能である.ところが下の画像でディップメータ本体の下に並べてあるコイル群,特にラジオ放送の周波数範囲をカバーするコイルは,自作が困難である.
 それが数日前,上に書いた三田無線研究所製の,中波帯をカバーするディップメータ (下の画像;WB-200型) がヤフオクに出品されたのである.これは貴重品だ.出品者は個人ではなく,このテのジャンク品を扱う業者のようで,コイルは全部揃っていたが,取説は欠品しており,「動作は保証しない」だった.動作保証なしということは,動作しないということである.つまりこれは中古品以下のジャンクである.
  
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 このジャンク品は,結局私が一万三千円と少しで落札した.完動品なら数万円の骨董価値があるだろう.
 私がこれに入札したのは,このタイプのディップメータはラジオの製作に役立つからだ.故障していても中身の修理はどうにでもなる.おそらく回路のコンデンサは劣化しているだろうから,これを新品に交換するだけでもいいし,何なら中の基板を全部作り直してもいい.重要パーツであるコイルと内蔵のバリコン,そして周波数を目盛ったダイアルの三点が揃っているから,まあまあ良い買い物である.
 ただし,このコイルは,そのままコルピッツ発振回路に接続しても動作しなかった.点検すると,コイルの根元にある接続ピン (本体のソケットに挿す部分) の表面が黒く酸化 (?) していた.そこでまずはこのコイルの修理から取り掛かった.
 下の画像は,コイル下部のピンを接写したものである.上側のピンは黒く変色していて,触るとガサガサとしていた.テスターでチェックすると,二本のピンは導通していないことが判明した.何かしらの皮膜に覆われているようなので,目の細かいダイヤモンドやすりを用いてピン表面を慎重に研磨した.下側のピンは,研磨して金属面を出したものである.結局,黒い皮膜が何なのかはわからなかったが,これで良しとして,七本のコイルの接続ピンをすべて研磨することにした.次は内部の点検である.
 
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2019年5月27日 (月)

クラシック・レイディオ (三)

 内田悟氏の個人サイト《ラジオ工房》に,《ラジオ少年製 3R-STD 真空管ラジオ 3球受信機の組み立て 》と題した記事があるのだが,これが丸々,原恒夫氏の「ラジオ少年」批判になっている.私は,内田氏の原氏批判はまことにその通りであると思う.内田氏は露骨には書いていないが,「ラジオ少年」の組み立てキットが実際には少年には組み立てできないものである以上,「ラジオ少年」はNPO法人を隠れ蓑にした営利事業者,単なる不親切なキット通販業者だと内田氏は指摘しているのだ.「ラジオ少年」のキットを購入したが組み立てられずに困った消費者が,内尾氏のサイトへ相談を持ち掛けているらしい.内尾氏は,いわば「ラジオ少年」による消費者被害を救済する破目に陥っているわけで,ネット上で公然と名指し批判に踏み切ったのは,よっぽど業腹だったからであろう.
 ま,内尾氏の怒りはよく理解できるのであるが,原氏の「ラジオ少年」が悪質な団体かというと,そうとも言い切れないのではある.というのは,「ラジオ少年」が頒布 (実態は販売) しているラジオのパーツで,真空管回路用IFT (中間周波数トランス) というものがあり,これが新品は世の中を探しても「ラジオ少年」製しかないのである.中古品がオークションで流通しているが,これはほとんどが経年劣化しており,よほどの熟練者でなければ修理して再生利用することができない代物である.つまりラジオ製作初心者は,「ラジオ少年」のIFTを買って使わざるを得ない.従って「ラジオ少年」は,そのIFTがある限り,真空管ラジオ製作趣味の世界での存在意義が揺るがないのだ.
「ラジオ少年」と内尾氏の対立は,私には無関係だとして放っておけばいいかというと,実はそうもいかない.内尾氏の原恒夫氏批判の中で最も厳しいのは,「ラジオ少年」製のトランスが設計不良だとの指摘であるが,実は私は,「ラジオ少年」のチョークトランス (電源回路に使う部品の一つ) を使ったことがあるのだ.その指摘の箇所を,テキストのみ下に引用する.
 
出力トランスは分解してみませんでしたが、噂によると鉄芯の組み方が電源トランスと同じだと言われています。
シングルの出力トランスはB電流が流れるので、直流磁化を防ぐため鉄芯の組み方にギャップを開けるのが常識です。
また200Hのチョークコイルも同様です。
EIの鉄心がそのまま組み立てられ、ギャップがあるのが正常です。
電源トランスの場合、EIが交互に組み合わされ、ギャップができません。
カバーを外せばわかります。
鉄芯を揃えて組み立て、間にパラフイン紙を挟んでギャップを作る。
逆に電源トランスの場合、ギャップは作らない。
分解してみると、噂通りEIのコアが交互に組み込まれています。
この方法は拙いです、直流磁化が防げない出力トランスです。
これが素人が設計したラジオ部品の正体です。
速やかに訂正することを望みます。
 
 書いてある技術的内容は「出力トランス (段間結合用チョークコイルも同じ) はEの形とIの形の鉄心を組み合わせるのだが,その組み合わせ方を間違えると,コイルを流れる直流成分の影響 (直流磁化) で周波数特性が劣化する」ということである.これはたぶん常識だ.
 この箇所の原文で内尾氏は,フォントサイズを大きくしてまで《これが素人が設計したラジオ部品の正体です》と罵っている.こともあろうに日本アマチュア連盟の副会長を名指しで,電気回路の素人だと断じているのだ.ここまでは「ラジオ少年」を「不親切な通販業者だ」程度に批判していたのだが,ここに至ってはもう「悪質な通販業者だ」と言っているに等しい.もはや喧嘩腰である.
 私は電気回路の素人だが,内尾氏の主張が正しいことはわかる.それで,以前「ラジオ」少年から購入したチョークコイルを,信用できる業者の製品に交換しようと結論したのである.秋葉原の春日無線に出かけたのは,それが理由であった.
 
 長々と書いてきたが,実はこれは前フリなのである.これからが本題.
 春日無線で買い物を終えた私は,秋葉原駅に戻り,駅ビルに隣接して部品屋さんが並んだ長屋であるラジオセンターに行った.そしてかなりショックを受けた.ここには,抵抗器とコンデンサの専門店や,スピーカーユニットの専門店や真空管専門店などあったはずだが,軒並みシャッターを降ろして,シャッター商店街と化していたからである.
 特に,海外ブランドのコンデンサを販売していたCR屋さんがなくなっていたのには驚いた.ラジオであれば部品はありきたりのものでいいが,管球アンプの場合は,部品にこだわることが製作する楽しみの大きな要素なのである.多少のストックは持っているが,もうあれやこれやの貴重なパーツは手に入らなくなるのだろうか.だが,もう一軒,その手の高級部品を扱っていた店が東京ラジオデパートの中にあったはず.
 それで私はラジオデパートに足をむけたのだが,そちらも惨状を呈していた.狭い通路でタバコを吸いながら酒をのんでいる店員の前をすり抜けながらエスカレーターで館内の上下を見て回った…しかし昔と同じ佇まいで営業していたのは,キョードー真空管ただ一軒であった.
 駅に隣接するラジオ会館で,若松通商がいまだ健在なのは心強いが,かつて自作派の聖地であった秋葉原電気街は,陥落寸前なのであった.ニュー秋葉原センターの春日無線,ラジオセンターの東栄変成器,東京ラジオデパートのキョードー真空管,そして少し駅から離れてクラシックコンポーネンツとアムトランス.さながらドイツ軍の猛攻の前に,分散孤立しつつ戦う自由フランスのレジスタンス小隊を想起させた.意味わからぬが,そういうことだ.
 しみじみとした思いを胸に帰宅し,廃墟のごとき東京ラジオデパートに残るキョードー真空管のサイトを私は閲覧した.
 するとそこには次のような文言が記されていた.
 
キョードーでは、新旧・真空管をはじめ、真空管アンプ用トランスやその他周辺部品、真空管ラジオ、IFT、コイルなどのラジオ用部品、また、ビンテージオーディオに関する書籍やデータブックなども随時買取をしておりますので、どうぞお気軽にご相談下さい。

 昔に購入した真空管の中から使わないものを売りたい。
 ご家族が残されたものをまとめて処分したい。
 いろいろなものが混在して大量に残っているので手がつけられないままで処分に苦慮している。

 など様々な状況に応じて、なるべく依頼されるお客様が不安のないように順次お客様とご相談をさせていただきながらお話しを進めさせていただきますのでどうぞ、安心してご相談いただければと思います。
 当店のお客様はどなたも真空管のことをよくご存知のいわばベテランの方がほとんどですので お売りいただきました貴重な真空管は また再び真空管を愛情を持ってお使いいただけるマニアの方の手にお渡しすることができます。
 
 どうだろうか.この文章は,故人が残した真空管などのラジオ部品を誠意をもって引き取らせて頂きます,と言っているのだ.
 とりわけ《お客様とご相談をさせていただきながらお話しを進めさせていただきますのでどうぞ、安心してご相談いただければと思います 》には,在りし日のラジオボーイに対する敬意が感じられるではないか.ある日,キョードーを訪れた遺族は,息子が6WC5とか2A3を詰めた箱を持ち,その横に遺影を掲げた老未亡人が立っている.そんな光景が目に浮かぶようだ.
 その日,私がエンディング・ノートにキョードー真空管の連絡先を書き足したことは言うまでもない.

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2019年5月26日 (日)

クラシック・レイディオ (二)

 構想を練っている途中のクラシック・レイディオの部品を調達に,昨日,秋葉原へ出かけてきた.
 まず秋葉原駅の電気街口を出て左に行く秋葉徘徊コースを取った.駅の改札口を出てすぐのところは以前のままだが,そこを左に折れたら,通りの左側にあったファストフーズ店がなくなっていた.その代わり通りの右側に『コメダ謹製「やわらかシロコッペ」秋葉原店』が出店していた.あとで調べたら去年の秋にできた店だった.
 それはいいのだが,この通りが三差路にぶつかる信号の向かい側に磯丸水産があったので驚いた.これも調べたら,できたのは最近の話ではないらしい.いかに私の足が秋葉原から遠ざかっていたということだ.買い物に来たのでなければ,そのまま磯丸に入って昼飲みするところだが,それはやめた.
 磯丸水産の隣がニュー秋葉原センターで,その地下続く階段を降りると「喫茶室ルノアール ニュー秋葉原店」がある.秋葉原にはルノアールが幾店もあって,昭和通りに近い店「Cafeルノアール秋葉原昭和通り口店」はヨドバシカメラで買い物した帰りに立ち寄る.「喫茶室ルノアール秋葉原店」では,ドスパラ本店の周辺で買い物した帰りに一休みする.少しずつ店名を変えているのがおもしろい.
 さて何年か前まで,ニュー秋葉原センターの主は「国際ラジオ」だった.知らない人が見れば廃棄物置き場のような店だったが,これは戦後の秋葉原に誕生した「ジャンク屋」の最後の一軒だった.私も何度かここで買い物をしたことがある.
 しかし五年前に《「国際ラジオ」がひっそりと廃業 》したとのニュースが流れた.
 戦後の電気工作ファンたちは,廃棄物の民生用ラジオや軍需の放出品の中から使えるパーツを集め,同好の士以外には全く意味不明な機械を拵える趣味世界に遊んだ.
『スター・ウォーズ』に惑星タトゥイーンのジャンク屋が出てくる.壊れたロボットや,山賊部族がかっぱらってきた宇宙船の残骸が店に積まれていて,客はそのガラクタの中から自分に必要な物を探して買っていく.あんな風にしてこの国の戦前・戦中生まれの世代は,自分のR2D2を作っていたのである.
 だがその後,みんなが豊かになって,新品の部品を買って見栄えの良い作品を製作する時代がやってきた.かく言う私はその時代に育った.こうして秋葉原の「戦後」が終わったのだったが,国際ラジオは頑として営業を続けた.平日の売上なんか,はほとんどなかったのではないかと思う.若かった私が,たまに休日に店を覗くと,かなり高齢の男性が,私には用途が想像できない金属製の箱,その箱からは線材が何本か飛び出していたが,それを手に取ってしみじみと眺めていたりした.それはもしかすると,通信兵だったその人が満州の戦場で死守した通信機の部品だったかも知れない.
 それからまた時代が過ぎていき,戦前戦中生まれの世代がすべて逝ったあと,とうとう国際ラジオは店を閉めた.私が最後に訪れたのは,その隣にある「春日無線」に,真空管オーディオアンプの電源トランスを特注しに行ったときだったから,国際ラジオ閉店の一年くらい前だった.客は一人もいなかったが,時代遅れのラジオ爺である私は,少年柴田翔もこの場所に立ったことがあるかも知れぬと,少しばかり感傷的になったことを覚えている.
 書き出しからして話が横に逸れた.春日無線には,ラジオの電源に使うチョークコイルを買うためであった.
 
 チョークコイルのことの前にまた話が横に逸れる.
 少し前にヤフオクに手を染めてから,ずっと骨董品のラジオやその部品の出品をウォッチしているのだが,非常に活発に取引が行われているので少々驚いている.これはきっと,仕事から引退した団塊爺さん婆さんたちが売ったり買ったりしているのに違いない.婆さん,と聞いて不審に思う向きがあるかも知れないが,私がラジオ部品を買った相手の一人は女性だった.このジャンルの趣味には女性もいるようなのだ.
 で,ヤフオクで取引されている骨董品のラジオは何に使うかというと,全くのジャンクは分解していわゆる「部品取り」をする.まだ使える部品を取り出して自分で使うのが普通だが,希少品の「お宝」であれば再びオークションに出す目利きの人もいる.この手の転売もヤフオクではよく見かける.
 骨董品ラジオのもう一つの用途は,修繕して再び放送が聴取できるようにすることだ.あまり知られていないが,老人の趣味として確立しているように思う.団塊世代を対象にした書籍も何冊か出版されている.(『定年前から始める 男の自由時間 真空管ラジオ・アンプ作りに挑戦!』,技術評論社;『真空管式スーパーラジオ徹底ガイド』,誠文堂新光社など)
 この趣味の世界で有名人が何人かいるが,『真空管式スーパーラジオ徹底ガイド』の著者である内尾悟氏はその一人だ.氏の個人サイト《ラジオ工房》も有名.
 内尾氏とは別のタイプの有名人に原恒夫氏がいる.この人はNPO法人「ラジオ少年」の代表で,一般社団法人日本アマチュア無線連盟 (JARL) の副会長でもある.「ラジオ少年」の公式サイトには同法人の事業理念が謳われ,真空管式ラジオの組み立てキットや測定器の頒布事業を行っているのだが,理念と事業実態との乖離を指摘する声がある.内田悟氏である.(三に続く)

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2019年5月 8日 (水)

クラシック・レイディオ (一)

 私は小学校高学年のときに,初めて真空管を見た.民生用トランジスタが量産されるようになる時代の少し前のことだった.普及し始めたテレビも真空管式で,テレビに使われていたのは性能が優れているミニチュア管 (Miniture Tube) であったが,歴史の古いST管 (Standard Tube) もアマチュアが製作する趣味的なラジオではまだ採用されていた.むしろST管より少しあとに開発されたGT管 (Glass Tube) や軍用に重宝されたメタル管 (Metal Tube) よりもその外観の点で,アマチュアのラジオ製作者には好まれていた.
 これらの真空管の他に,柴田翔『されどわれらが日々』(現在は文春文庫) に表題作 (芥川賞受賞作) と共に収められた「ロクタル管の話」には,ロクタル管つまりLOCTAL管 (Lock-in-Octal Tube) が登場する.この真空管は今でも,品薄と種類の少なさもあって,昔は少年だった人々に強い人気がある.柴田翔よりも若い世代の人間である私もその一人で,真空管ステレオアンプを製作するのに必要なロクタル管を,製作に取り掛かるその日のために大切にとってある.手が震えてハンダゴテを持てなくなる前に作りたいものだ.
 さて近々,私がラジオ少年時代に憧れたST管の六球スーパー (スーパー・ヘテロダイン信号増幅方式) のラジオを作ろうと思う.これまで私が製作してきたのは五球スーパーである.これは,数百kHz~千数百kHzの範囲にある商業放送電波をいきなり455kHzの固定中間周波数 (高周波であるラジオ電波と,音声周波数の中間だからそう呼ぶ) に変換して一段だけ増幅するという,いわば普及品のラジオである.これでも東京のラジオ局の放送を関東地方一円で聴取するには充分だが,その他の地方局の放送を聴くにはいささか力が足りない.それで昔は,周波数変換段の前に高周波増幅を一段行う方式が,高級品のラジオには採用されていた.真空管の数として六球になる.だから六球スーパーというのだが,これを昭和懐かしのST管で作って,私のラジオ少年の思い出に,われらがラジオの日々に,幕を引こうというのである.幕を引くという意味は,現在の商業ラジオ放送,つまり中波帯AM放送は廃止の方向にあるからで,それほど遠くない時期に,おそらくまだ私が存命のうちに,AMラジオは歴史的使命を終えるのだが,その前に,敗戦後の復興期日本で作られた最高性能の真空管式ラジオを製作して,その懐かしの音を耳に記憶しておきたいということなのだ.
 
 ところで私の電気工作部品箱には,六球スーパー用の部品である三連バリコンとコイルがない.これをまず調達しなければならないのだが,秋葉原でも入手難である.少し前にネット通販で叩き売りされていた骨董ラジオを買い,この中から部品取りをしようと思ったのだが,解体してみたらバリコン (バリアブル・コンデンサ) はサビなどの状態が悪くて,そのパーツを私の最後のラジオに使いたくはないなと思った.
 それで,バリコンをヤフオク (旧ヤフー・オークション) で手に入れることにした.骨董の三連バリコンの出品を何度か見送ったあと,商品写真で見る限り美品のバリコンが出品されたので,即入札し,セリ勝って手に入れることができた.それが下の画像のものである.
 
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 状態から判断すると,これはおそらく未使用品である.いい物が手に入ったので私は深く満足した.ただし出品者のコメントには,容量を実測したところ420pFであると書かれていた.標準は430pFであるから少し足りない.また,全波受信機用だったらしく,トリマー・コンデンサ (バリコンと並列に入れる容量可変の小型コンデンサ) が付いていない.そのトリマー・コンデンサとの兼ね合いで,容量が少し小さいのであろう.
 中波AM放送用の受信回路に使用するコンデンサは,バリコン 430pF+トリマー20pFが標準であったから,私が手に入れたバリコンに組み合わせるトリマー・コンデンサには少し容量を増やすなど細工しなければいけないかも知れない.
 さらに言うと,トリマー・コンデンサは,往時の真空管ラジオを偲ばせる陶板を絶縁体基板として使用したものが,もはや流通していない.あるのは,中国製の粗雑な造作の製品である.私は 習近平が嫌いなので 昭和レトロが好きなので,日本が技術立国を志した時代の高品質コンデンサをぜひとも使いたい.そこで,これもヤフオクから調達することにしたが,同じことを考えている人は他にもいるらしく,もう二度もセリ負けた.あまりに高価な価格で落札されているので勝てる気がせず,気弱になっている.w 
 秋葉原にはもうこの種のラジオ用ジャンクパーツを扱う店はない.最後の店が閉店した時にはニュースになったが,あれからもう数年経った.だが,もしかすると,クラシック真空管を販売している某店にいけば,棚の片隅の部品箱に眠っているかも知れない.久しぶりに出かけてみようかと思う.

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