食品の話題

定年まで食品会社の技術者として生きてきました.食品科学や食品の法律,食品事件など.

2017年9月28日 (木)

かわいそうな大磯の中学生 (三)

 昔の女性雑誌は誌名に「婦人」「主婦」がついた.
 昔の女性誌というのは,百科事典にあたってみると『主婦の友』『主婦と生活』『婦人倶楽部』『婦人画報』『婦女界』『婦人之友』などだ.
 余談だが,このうちの Wikipedia【主婦の友】に《創刊号の記事は、新渡戸稲造「夫の意気地なしを嘆く妻へ」》とある.東京女子大学初代学長にして,かつてはその名を知らぬ者はなかった程の思想家,新渡戸稲造が女性誌にそんなことを書いていたのか.しかもその文章の題から『ウチの夫は仕事ができない』を連想して,老人 σ(--;) はへなへなと腰が抜けた.
 それはそれとして,女性の有職率が高まり,専業主婦が大きく減った時代に,上記のような大正時代からの婦人雑誌は,若い女性セグメントのニーズに応えることができず,購読者数は大きく減少した.
 そして女性誌業界は,古めかしい婦人雑誌に代わって登場した『クロワッサン』と『オレンジページ』二誌に代表される生活情報誌と,その他のどうしようもない低レベル芸能情報誌に二極化した.
 ただし男性向けの雑誌も,同じ頃に『週刊文春』『週刊現代』『週刊ポスト』など出版社系雑誌の読者層と,『アサヒ芸能』読者層に二極分化はしているのだが,両読者層には画然たる違いがあり,決して重なっていない.普通の会社員であれば,仮に何かの理由があって『アサヒ芸能』を購入したとしても,開いて記事を読む時は人目を憚るようにし,誰にも見られないように暗がりで読まねばならない.この際,肘を左脇の下から離さぬ心構えでやや内角を狙い,えぐり込むように読むべし.
 つまり『週刊文春』などは正確な意味で週刊誌ジャーナリズムであるが,『アサヒ芸能』は別称「広〇〇〇団××組の機関誌」であり,普通の意味での情報誌ではないからである.通勤カバンの中に入れておくのは厳禁だ.(笑)
 ところが女性誌では,生活情報系の『クロワッサン』や『オレンジページ』と,その他の芸能人情報分野の女性週刊誌の読者層が重なっている.これは男性誌との大きな違いだ.
 だからというわけではないが,芸能人情報系女性誌にも,ごく稀にちゃんとした記事が掲載されることはある.
 最近の一例は《<まずい給食問題>「人間の食べ物じゃない」(生徒) VS「おいしい」(製造元責任者)》だ.(週刊女性2017年10月10日号掲載)
 この記事の中から一部を引用する.

同じ業者での異物の混入は相模原市内の中学校でも発見された。'16年度には28件、今年度に入って9件の異物混入が報告されている。同市教育委員会は、
「'16年度に生徒に提供した給食数は26万3千食です。そのうち異物が混入していたのが、28件。これが多いか少ないかという議論は難しい」
 これに対し工場の責任者は、
「誠に申し訳ないという気持ちです。しかし異物混入に関しては、他社さんもゼロではないはず。永遠の課題といったところですね。容器も教育委員会が用意したものですので、臭いと言われても……」
 と、どこか他人事というか対岸の火事というか。
 食品加工工場などの衛生管理のコンサルタントを行うジャパン・フードセイフティードクター株式会社の池亀公和代表取締役は、
「混入の件数も間違いなく多い。ちょっと考えられない。大手スーパーなどでは、異物などが入っている不良率は、100万食作って3個というぐらい厳しいんですよ。よほど管理がずさんなのではないでしょうか」
 とバッサリ切り捨てる。

 この箇所の《大手スーパーなどでは、異物などが入っている不良率は、100万食作って3個というぐらい厳しいんですよ》は,今回の事件で全国紙やテレビなどマスメディアではどこも言及しなかったが,事実である.これを書いた記者は,取材相手の選択と記事のポイントが的確で,朝日や読売のおざなりな記事の記者よりずっといい仕事をしている.

異物などが入っている不良率は、100万食作って3個というぐらい厳しい》は,業界用語で 3ppm というが,これは実は包装の不具合など一切合切の品質不良を合わせた数値で,セブンでもローソンでもイオンでもヨーカドーでも,実際上,異物混入は許されないといっていい.(とはいえこれはメーカーと量販店あるいはコンビニの力関係によるので,中堅どころのスーパーと中小食品会社の場合は 10ppm が管理目標だったりすることはある)

 従って,相模原市教育委員会が《給食数は26万3千食です。そのうち異物が混入していたのが、28件。これが多いか少ないかという議論は難しい》と言っているのは,彼らが如何に世間知らずかということを示している.これは難しい議論ではなく簡単なことなのだが,食品業界の人間にちょっと聞けばすぐに教えてもらえることを,何も調べずにマスコミの取材に答えて世間に恥をさらしているのである.こういう怠惰な精神の教育委員会で,相模原市の学校教育は大丈夫か.大磯の教育委員会といい勝負をしているぞ.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月21日 (木)

かわいそうな大磯の中学生 (二)

 昨日のテレビ報道その他によれば,神奈川県大磯町の中学校の給食に異物混入が多発している問題で,大磯町の中崎久雄町長は,原因が特定されるまでは給食業者を変更しない考えを示した.
 どういうことかというと,弁当給食の導入以来これまでに判明した異物混入事故は84件だが,弁当製造工場側が製造ラインでの混入を認めたのは15だけで,残りは責任を認めていないことが背景にある.
 生徒の保護者がSNSで発信した情報によると,ある教育委員会関係者は,異物混入は生徒による「ヤラセ」というかマッチポンプであるとの認識を持っているという.弁当業者には責任がない,悪いのは,自分たちが弁当に異物を入れておきながら騒ぎ立てている生徒たちだというわけだ.

 だが長年食品工場の衛生管理を指導してきた経験からして,弁当業者が責任を認めた15件の異物混入だけで,もう十分にこの業者は給食製造を受託する資格がないと私は断定する..
 東京には会社を相手に弁当を製造配達する業者が大変に多く激しい競争をしているが,一年半で15件も異物混入事故を起こしたら,全顧客が取引をやめるに違いないし,場合によっては保健所に届けるであろう.保健所の指導を受けたとか,営業停止を命令されたなどの評判が立てば,それで弁当屋商売は終わりである.

 ところが中崎久雄町長と教育委員会は,原因が特定されるまでは給食業者を変更しないという.
 原因が特定されるまで給食業者を変更しないという理由は,上に述べたように弁当への異物混入は生徒たちがやったことだと,町長と教育委員長が考えているからに他ならない.
 ここで異物混入の調査について簡単に説明しよう.
 食品会社に消費者から異物混入のクレームがあった場合,その消費者から届けられた混入異物の調査を行う.
 異物が金属や樹脂片などであれば,高度の分析設備と鑑定技術を有する機関があるので,そこに依頼して分析してもらう.
 虫の場合は,食品工場の衛生管理と指導を受託する民間会社が鑑定技術を有しているので,日頃から指導を受けているそれらの会社に頼んで鑑定してもらう.虫の場合は生きているときに混入したのか死んでから混入したのかが大変重要なので,普通は鑑定技術を持っている会社に依頼する.
 異物混入事故の件数のかなりの部分を占めるのは人の毛髪で,これの混入経路の調査はかなり難しい.なにしろ髪の毛一本ではできる分析あるいは調査がかなり限定されるからだ.
 教育委員会が持っている混入異物の資料をネットで見た限りでは,今後,大磯町や弁当業者たち食品衛生の素人が寄ってたかって調べても,異物の混入経路が判明するのは期待薄である.

 大磯町立中学校の弁当給食に混入した異物の混入原因を調査すると町長は言うが,これまでに工場側が認めた15件もの異物混入事故は,この業者には学校給食を受託する能力がないことを示している.
 業者に給食受託の能力がない.これが異物の混入原因に他ならない.調べるまでもなく明らかなのである.
 そして問題の解決方法は,この業者との契約を破棄することしかない.
 一部でつぶやかれているように,当該業者と中崎久雄町長の間には何らかの関係があるのではないか.そうでもなければ,異物混入原因が判明するまで,生徒の健康よりも業者との取引を優先するということの説明が困難である.
 町長が狙っているのは,時間稼ぎだろう.弁当業者との取引をそのまま継続して,騒ぎが沈静するのを待つつもりと思われる.

 昨日の記事には書かなかったが,実は綾瀬市にある弁当工場から大磯の中学校までの配送は,チルドではなく19℃以下の常温配送であるという.
 有体に言えば,弁当工場で異物混入を防止するのはたやすいことである.
 どうすればいいかは,教科書に書かれているくらいだし,勉強して書かれていることを実践すれば,異物混入は容易に根絶できるのである.なぜかというと「異物」は目に見えるからだ.
 ところが目に見えない「異物」があって,それはつまり食中毒菌などの病原微生物である.病原微生物の制御はなかなか難しい.
 難しいが,食品衛生の基本に忠実であれば,できないことではない.現に例えばコンビニ弁当を作っている業者などはきちんとやっている.
 しかるに件の業者は,異物混入を多発させる不潔な弁当屋のくせに,夏場に綾瀬から大磯まで弁当を常温配送するなどは信じがたい暴挙である.いい度胸をしているし,それを許している大磯町教育委員会には呆れて言う言葉もない.よくまあこの夏に中学校で集団食中毒が起きなかったものだと思う.幸運としか言いようがない.
 大磯町立中学校生徒の保護者の皆さんは,子供たちが食べている給食弁当の菌の数 (一般生菌数という) を調べたほうがいい.調べてくれる機関は保健所が紹介してくれるだろう.
 今日も明日も大磯の中学生たちは,愚かな町長のおかげで,食中毒の危険に毎日さらされているのだ.まことにかわいそうである.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月20日 (水)

かわいそうな大磯の中学生 (一)

 先日来,神奈川県大磯町が町立中学校二校に昨年一月から導入した配達弁当方式 (業者委託の米飯給食) の給食に,異物混入の多発と多量の食べ残しが出ている問題が,マスコミやネットで物議を醸している.

 関西の料亭経営者らが政府農水省と結託して我が国の食文化の伝統を歪曲し,日本の料理の観光資源化を目論んでカッコ付の「和食」をユネスコ無形文化遺産に登録して以来,国民栄養に関する見識のない各地の教育委員会で米飯給食が推進されている.
 私は学校給食で米飯を主食とすることに強い反対意見を持っているのだが,このブログ記事では米飯学校給食の是非は取り合えず論じないとしても,もし学校で米飯給食を行うならば,児童生徒の健康栄養に責任を持って米飯給食の提供を実施できるよう学校に衛生的な給食設備を作り,食品衛生の専門家を配置して実施する必要があると考える.パンのほうが米飯より衛生管理が行き届き易いためアウトソーシングが容易で,かつ献立の栄養設計もパン食のほうが容易であり,米飯給食はその逆だからである.

 しかし,なにしろ教育委員会という組織には学校給食に関する知識も見識もないらしく,実際には各地の低レベル (非衛生的) な給食弁当業者 (要するに非衛生的ということは委託費が安いということ) に丸投げをしているのが実情であるようだ.
 報道では,大磯町立中学校に給食弁当を導入するにあたっては,業者選定のために,同町教育委員会による競争入札が行われたという.
 しかし大磯町が,学校給食の弁当を委託製造する業者を競争入札で選定したということ自体が,同町教育委員会の頭のレベルの低さを示していると指摘せねばならない.
 集団給食業者の給食受託費と提供される給食の衛生度は,トレードオフの関係にある.
 つまり当然ながら厳しい衛生管理はコストを押し上げ,そのコストを下げるには業者の高い技術力が必要になるのだが,給食業者の技術力の水準を評価するには,受託費の競争入札は不適当なのである.給食業者を選定するに際しては,当該業者の食品衛生技術力をまず第一に考慮しなければいけない.これは集団給食の基礎だ.
 また,大磯町中学校の給食に異物混入が多発し,大量の食べ残しが発生していることをネットで告発した生徒保護者らがつぶやいたところによれば,大磯町から中学校給食を受託した給食業者 (大磯町から遠く離れた綾瀬市の「エンゼルフーズ」) の決定は,大磯町長の独断によるとの黒い噂がある.
 この噂は大磯町の町政の問題であるから,ここでは横に置いて触れないことにするが,そもそも大磯町の中学校に学校給食が導入される当初から問題含みであったらしい.

 給食業者の問題はそれとして,報道によれば,大磯町の中学校給食は献立作成を教育委員会にいる栄養士が担当しているらしい.
 しかし栄養士というのは管理栄養士と異なり,修業年限二年乃至四年の栄養士養成施設を単位取得卒業すれば都道府県知事の免許を受けてなれるのである.管理栄養士が,管理栄養士修業年限四年の管理栄養士養成施設を卒業して管理栄養士国家試験に合格して厚生労働大臣の免許を受けた者であるのに比較すると,成長期の子供たちの食事設計を担当させるにはいささか心許ない.
 案の定,その担当者は何か心得違いをしているようで,学校給食なのに病院給食のような減塩献立を作成しているのだそうだ.
 それがために生徒たちからは「まずい」と酷評され,これが大量の残飯が発生する理由の一つになっているとのことである.
 私がテレビで見たある日の中学校給食弁当は,テレビカメラがアップした映像は実に情けない貧相なものであった.
 おかず入れの容器に,いわし団子 (つみれ) が二つほど入ったカレー汁が少量 (カレースプーンに三杯くらいか) 入れてあり,これが「主菜」らしい.副菜として大豆の煮豆がやはり少し.あとは野菜のお浸しか和え物のように見えるものがこれまた少し.
 飯は弁当箱に白飯が詰め込んである.おかずは少ないのに米飯だけは量が多い.
 おかずも飯も,弁当業者が綾瀬市にあり,大磯まで配達するまでに冷たくなっているという.しかも減塩だ.
 私が報道画面を見て思ったのは,昭和三十年代の私の小学校時代の学校給食より貧相なこんな昼飯を,今の子供たちが喜んで食うわけがないということだった.
 しかも,大磯町の中学校の給食弁当は,まずくて栄養的に貧相なだけではない.異物が混入しているのである.中学生徒の保護者の声 (SNS) によると,これが大量の残飯が発生する理由の二つ目であるという.

 この問題を報じた今日の朝日新聞デジタルの記事《髪の毛・小バエ…異物混入84件 給食食べ残し問題 》に次のような箇所がある.(←数日でリンク切れになるが)

町は、味や冷たさのほか、異物混入による不信感も食べ残しの一因とみている。全員協議会では、議員から「異物の心配がある給食を今後も子どもたちに食べさせるのか」、「製造業者を代えるべきだ」との批判が相次いだ。野島健二教育長は「混入防止のため委託業者にすべての弁当を写真撮影させ、衛生管理を徹底させる」と  (町議会全員協議会において <←ブログ筆者註>) 述べた。

 作った全部の弁当の写真を撮影することが,どうして衛生管理の徹底につながるのか.
 ひょっとしたらこの教育長,馬鹿ではないか.こんな教育長だから生徒たちに異物入りのまずい弁当を食わせることになったのである.大磯町の中学校給食弁当を巡る事態はさらに混乱を深めるであろう.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月28日 (月)

羊頭狗肉ハム

 日本ハムの製品で「ヘルシーキッチン ZERO ロースハム」というものがある.
 商品説明ページはここ.  
 糖質制限ダイエットの流行で,清涼飲料水でもビール風味の飲料でも「糖質ゼロ」が大人気である.
 だがしかしこの「ヘルシーキッチン ZERO ロースハム」とそのファミリー製品群は,本来は豚肉製品であるべきところにもかかわらず,羊頭狗肉なのである.なんだそれは.(笑)

 商品説明には次のようなことが書かれている.

糖質0(※)で、一般のロース(日本食品標準成分表2010)に比べカロリーを25%カットしたロースハムです。しっかりとした肉の食感が楽しめます。糖質やカロリーが気になる方におすすめです。(※食品表示基準による。糖質は直接分析し食品表示基準に基づいて糖質0.5g(100gあたり)未満を0としています。)

 どんな会社でも,ブーム便乗の インチキ 商品を売る時は周到な逃げ道を用意しておくものだ.日本ハムが,件の商品名を「糖質ゼロ ロースハム」ではなく「ZERO ロースハム」としたところに,そのヘッピリ腰がよく露呈している.コーラかよ.
 どのくらいヘッピリ腰かというと,日本ハムは糖質がゼロだとは言っていないのである.

※食品表示基準による。糖質は直接分析し食品表示基準に基づいて糖質0.5g(100gあたり)未満を0としています。

 食品表示基準がそうなっているから,止むを得ず私たちは従っているのです,と言いたいのだろう.
 それでは次に原材料表示を読んでみよう.

豚ロース肉、豚肉、卵たん白、大豆たん白、食塩、乳たん白、豚コラーゲン、香辛料/調味料(有機酸等)、リ
ン酸塩(Na)、カゼインNa、酸化防止剤(ビタミンC)、発色剤(亜硝酸Na)、コチニール色素、甘味料(アセスルファムK、スクラロース、ネオテーム)、香辛料抽出物、(一部に卵・乳成分・大豆・豚肉を含む)

 比較のために,同社製「彩りキッチン ホワイト ロース」も原材料表示を引用する.

豚ロース肉、還元水あめ、卵たん白、大豆たん白、食塩、乳たん白、豚コラーゲン、ポークエキス/調味料(有機酸等)、リン酸塩(Na)、増粘多糖類、カゼインNa、酸化防止剤(ビタミンC)、発色剤(亜硝酸Na)、コチニール色素、香辛料、(一部に卵・乳成分・大豆・豚肉を含む)

 もう明らかである.
「ヘルシーキッチン ZERO ロースハム」は,安いハムの副原料 (注射針で注入する方法で原料豚肉の重さを二倍近くにまで水増しするために使用する) である「還元水飴」を甘味料 (アセスルファムK、スクラロース、ネオテーム) に置き換えたものである.
 こんなお手軽に糖質制限という付加価値をつけることができるのだから,食肉加工は気楽な商売であるなあ.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 5日 (水)

調味料容器二題

 少し前から「ヤマサ鮮度の一滴 超特選しょうゆ」を卓上で使っている.私見だが,これはかなりの優れものなので紹介したい.

 商品説明を引用しよう.

エアブロック弁により、開封後常温保存でも180日間鮮度キープできます。改良によりさらに注ぎやすく、注ぎ終わりの液切れもよくなりました。
びんより軽くペットボトルよりも樹脂使用量が少ないエコ容器、キャップがないので開け閉めのわずらわしさがなくスマートに使えます。

 商品容器はスタンディング・パウチタイプで,その注ぎ口にある《エアブロック弁》に私は感心したのである.
 スタンディング・パウチ容器を,例えば刺身とか,おひたしの上で傾け,少しパウチ容器に力を加えると,密着している二枚のフィルムでできているエアブロック弁が,内部の圧力でわずかに開き,醤油が滴々と流れ出る仕込みである.
 この弁は,二枚のフィルムが密着しているだけだが,何かしらの工夫がなされているようで,醤油を注ぎ終わると元の密着状態に戻り,外部と遮断される.
 容器外部の空気に晒されることが少ないという触れ込みのペットボトル醤油容器もある (ヤマサの商品では「ヤマサ鮮度生活 特選丸大豆しょうゆ」など) が,これはボトルが元の形に復元するときに外から空気を吸い込んでしまう.
 その際にピーヒョロロローと音を立てるのがうるさいのはともかくとして,空気を吸い込んじゃだめじゃん,と思う.
 ところがスタンディング・パウチ容器は復元力がないので,空気を吸い込まないのだ.
 そのせいだろうが,スタンディング・パウチ容器型が《開封後常温保存でも180日間鮮度キープ》なのに対して,ボトル型は《開封後、常温保存で90日間酸化を防いで、しょうゆの鮮度キープ》となっている.
 ボトルタイプでも使い終わるまで醤油が赤い色調を持続したのには感心したが,心なしかスタンディング・パウチ型のほうがさらに鮮烈な味わいのような気がしないでもないと言うにやぶさかではないとヤマサさんにお伝えください.ではまた.
 とはいうものの欠点がないわけではない.この容器は幼児には扱いが少し難しいかも知れなくて,テーブルの上にピューッと醤油をまき散らすおそれがあるような気がしないでもないと言うにやぶさかではないとヤマサさんにお伝えください.ではまた.

 この「鮮度の一滴」と同じ頃に購入したのが,オタフクの「キュッとさっぱりトンカツソース」だ.
 この商品は容器のことを特に訴求していないが,注ぎ口が秀逸である.
 私んちの冷蔵庫には,これまでキッコーマンの「キッコーマン デリシャスソース ウスター」は常備で,その他には「キッコーマン デリシャスソース 中濃」または「キッコーマン デリシャスソース とんかつ」を備えていた.
 しかしキッコーマンのウスターは,注ぎ口の穴が大きくて,ちょっと傾けすぎると,とんかつの上にドバーっとあふれ出て,せっかく和幸アシビシティビル藤沢売店で買ってきたサクサクのとんかつが,ウスターソースでびしゃびしゃになってしまう.
 中濃はまあまあだが,とんかつソースは,だーらーだーらーと,だらしなく出てくるので,「しっかりせんか!」とつい癇癪を起してキッチンの壁に激しく投げ当て,床がとんかつソースまみれになることがある.うそ.

 そこにいくとオタフクの「キュッとさっぱりトンカツソース」は注ぎ口の穴が小さくなっており,マヨネーズ容器のようなチューブに力を加えると,必要な分量のトンカツソースが速やかに出てくる仕組みになっている.これは快適だ.もっと早くからこれにすればよかった.
 これはもう日本のトンカツソース界に君臨するオタフクだけのことはある.さすがだと感心した.というか,キッコーマンがだめじゃん.

 余談ながら,キッコーマンはとんかつと表記し,オタフクはトンカツだと言う.おかげで私の単語表記は引きずられて不統一であります.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 3日 (月)

自分でも食べてみろっ

 今朝の飯のおかずに豆腐を食べた.
 商品の名称は「充填豆腐」で,四角く白いポリスチレン製の小容器の上面に貼られたポリエチレン製フィルムに「榛名山麓水仕込み のどごし 絹 味わいのある大豆でのどごしよく作りあげました」と書いてある.
 製造者は,株式会社光商 群馬工場 (群馬県北群馬郡榛東村広馬場3584-3) である.

 さて容器の上面に貼られた透明フィルムを,四角い容器との接着面から外に少しはみ出した端っこを指でつまんで剥がそうとしたのだが,いかに老人とはいえまだまだ若いモンに負けてはおられんと日々頑張っている私が,満身の力を込めても剥がれない.
 遂に諦めて,ペンチを工具箱から持ち出してきて剥がそうとしたのだが,部分的にベリッと小片化して剥がれてしまった.
 残ったフィルムを,何度も何度も悪戦苦闘して剥がし,なんとか中身を食べられるようにはできたが,なぜこんなに強力に容器とフィルムを接着せにゃならんのだ,おのれ株式会社光商群馬工場めそこへ直れ,と私は怒りにブルブルと震えた.

 たぶんこの豆腐は,鋭利なカッターでフィルムを容器の縁に沿って切り取らないと,豆腐を取り出せないのだが,高齢社会 (余談だが小池知事は,今や高齢化社会ではなく高齢社会であると持論を述べている) では,年寄りには可及的に刃物を使わせぬようにしなければいけない.障碍者に対する配慮のこともある.ユニバーサルデザインなんて,今や常識だろうが,株式会社光商群馬工場の社長以下は全く考えていないと思われる.

 おそらくこの株式会社光商群馬工場の社員は,自分ちの製品を食べていないのである.社員が会社を愛していれば毎日この絹ごし豆腐を食べるから,包装の欠陥に必ず気づくはずなのである.
 別の大手の豆腐製造業者の製品は,上面のフィルムの端に「ここから開けてください」旨のマークが印刷されており,その通りにすると実にきれいにフィルムが剥がれる.こうも見事に接着力が調整されていると,感心するし,ポリスチレンの容器とポリエチレンフィルムをきちんと分別してゴミ収集に出そうという気にもなる.
 株式会社光商群馬工場の社員は,製品の品質にもゴミの分別にもきっと無関心だろうと想像されるのだ.

 以上は豆腐の容器についてだが,樹脂製カップ入りのコーヒー飲料にも,ペンチを使用してもフィルムを剥がせないものがある (一例;製造者 トモヱ乳業株式会社,商品名 Caffè Latte 砂糖不使用 〈*註〉).
 加工食品製造業にとって,消費者志向の容器開発は極めて大事な課題である.ならば全社一丸となって愛社精神を奮い起こせと言いたい.
 で,件の豆腐だが,凝固剤の使用量過多だ.「のどごしよく作りあげました」は嘘である.そんなもんだろうね.

〈*註〉 トモヱ乳業のウェブサイトのコンテンツ「カップ飲料」に,この商品は掲載されて然るべきであるが,見当たらない.いかにいい加減な会社かよくわかる.この会社にして,この商品あり.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 9日 (日)

香り穏やかな酒

 私は若い頃の一時期,社会人枠で静岡大学農学部に在籍していたことがある.所属していたのは,現在は名称が変わってしまっているが,当時は農産製造学研究室といった.
 その研究室の少し先輩の卒業生で,いささか古めかしいお名前であるが,河村伝兵衛さんというかたがおられた.勤務先は県の工業試験場であった.
 河村さんをよく知る人たちは,河村さんとも河村伝兵衛さんともいわず,ただ単に通り名の伝兵衛さんと彼を呼んだが,私はほんの少し会う機会があっただけなので,以下は河村さんと書く.
 河村さんは,その性狷介にして孤高といったらいいのか,組織人としては不遇であったが,のちに静岡県の清酒業界に大きな影響を及ぼし,清酒業界にとどまらず県内の食品業関係者で河村の名を知らぬ者は一人としていないといわれるほど著名な研究者となった.
 河村さんの業績は,別名静岡酵母とか河村酵母とか呼ばれる酵母を分離確立したことである.
 その結果,かつて全国水準からすると低レベルと言わざるを得なかった静岡県の酒は,全国区の水準にまで押し上げられた.今では静岡県の清酒の銘柄を一つも知らない愛飲家はいないのではなかろうか.

 昭和五十三年,河村さんは掛川の土井酒造場の杜氏であった故波瀬正吉氏と協同して,同酒造場の銘柄「開運」大吟醸の醪 (もろみ) から,一株の酵母を分離した.
 この酵母を用いた大吟醸酒は,土井酒造場と満寿一 (静岡市) の二蔵で試験醸造が行なわれ,昭和五十五年 (1980年) に国税庁醸造試験所全国新酒鑑評会で金賞を受賞する成功を収めた.
 この後,この酵母を河村さんは HD-1 (H は杜氏波瀬正吉氏,D は土井酒造場からとったものとされている.これが静岡酵母第一号である) と命名し,県内の多くの酒造会社に広めた.そして昭和六十一年 (1986年) の前記全国新酒鑑評会において,静岡県内から二十一蔵が出品したが,十七蔵が入賞し,その内の十蔵が金賞を受賞するという快挙を成し遂げた.
 これで静岡県の吟醸酒は一気に全国に知られるところとなったのであるが,その原動力は河村さんの酵母研究であった.
 ところが静岡県の酒造会社は恩人とも言うべき河村さんに正当に報いることがなかった.
 県内の有力蔵である土井酒造場磯自慢酒造は,公式サイトに河村さんの特設ページを作って顕彰しても良いくらいのものであるが,ここに河村さんの名は見えない.また静岡県酒造組合のサイトでは,静岡酵母が,河村さんが不遇の技術者人生を過ごした静岡県工業試験場の業績であるかのように記載されている.
 このような有様では,やがて河村伝兵衛さんの名は忘れ去られるのだろう.いつの時代でも技術者は縁の下の力持ちで終わるのがお約束なのであろうか.
 上のようなことを記したのは,昨日,河村さんの訃報を見逃していたことを知って驚いたからである.河村さんは昨年十二月六日に亡くなっていた.享年七十三.

 以上は長い前置きである.
 孤高の技術者河村さんを思い切り持ち上げておいてこう言うのはなんだが,実を言うと私は大吟醸酵母 HD-1で醸した酒が好きでない.一言で言うと,その果実様吟醸香は華やかすぎる.淡白な酒肴より存在感が勝ってしまうのでは,清酒として如何なものかと思うのである.
 その点で,私が気に入っているのは,会津の末廣酒造嘉永蔵の大吟醸「」である.
 この酒の穏やかな香りは,余計な主張をすることなく,例えばほうれん草のおひたしとか赤身とか,そんな肴の友にまことに適任である.震災後,私は酒を福島に出かけて買い込んだり,通販で取り寄せたりしているが,銘柄は暫くは「舞」でゆこうと思っている.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月 5日 (日)

藤沢 近江堂の団子

 藤沢駅の北口を出るとすぐにビックカメラのビルがあり,その横に「遊行通り」という道の入口があって,その先は藤沢橋交差点方向に続いている.
 ビックカメラのビルの東側,遊行通りに面して近江堂という和菓子屋さんがある.藤沢駅北口が現在のような姿に再開発されるずっと前からある古い店の一つだ.
 その近江堂に,先日の朝の十時少し過ぎ,銀行へ行く用事があったついでに何の気なしに入ってみた.この辺りは私が若かった頃からの馴染みの通りであるのに,どういうわけかこれまで近江堂に入ったことがなかったからである.
 それに,去年であったかテレビ東京で,人気のお笑いコンビ「さまぁ~ず」の二人が湘南を散歩するという番組があり,そのときに近江堂に立ち寄って菓子を買っていたのを思い出したこともあった.

 朝の十時過ぎに,開けたばかりの店に入り,壁際の棚と店内中央のテーブルに並べられた品をざっと見渡すと,この店の売り物は和菓子といっても高級な生菓子とか干菓子などではなく,いたって庶民的な菓子を商っているようだった.
 そして店の奥,入り口のドアの真正面にガラスの商品ケースがあり,大福や団子の類が置かれていた.直感的にこれはおいしそうだと感じられたので,粒餡の草餅と道明寺の桜餅を二つずつ注文した.
 ついでに「みたらし団子を三本ください」と言ったら「五本だとお得ですよ~」と言われたので,こうなりゃもう今日の飯は甘いものだと決めて,団子を五本買った.

 さてその日の昼飯と夕飯に,買ってきた餅と団子を食った.特にほめておきたいのだが,初めて買った近江堂の草餅は,蓬の香りが立っていておいしいものだった.蓬はもしかしたら今年採れたものかも知れない.
 余談だが,日本全国で食べられている草餅 (京都の生八つ橋や大宰府の梅ヶ枝餅など類似の菓子も含めて) は大変な量になるに違いない.それに使用する蓬も大量であろうと想像されるが,それは果たして自生しているのを採集したものだろうか,それとも畑で栽培したものであろうか.これについて Wikipedia には記載がない.
 調べがまだ行き届いていないのであるが,少なくとも回転焼きで知られる「御座候」のウェブサイトには,

「安全な原料を調達できないか?」
始まりは平成18年。もともと自生しているものが原料となることの多いよもぎでしたが、栽培工程のわかる安全な原料を調達できないものかと相談を受けたのがきっかけでした。
しかしよもぎは農作物として栽培されている事例がほとんどなく、何もかも手探りの状態で栽培に向けた調査、試験をスタートしました。

とあり,蓬は《自生しているものが原料となることの多い》こと,そして同社では原料蓬の一部を農家に栽培委託していることが書かれている.この記述からすると,おそらく個人商店の和菓子屋が使う蓬は,自生のものを地産地消しているのではないだろうか.

 で,その日の昼飯も夕飯も餅と団子を食ったのだが,食べきれないみたらし団子が二本余ってしまった.
 団子を入れてあるパッケージには「本日中にお召し上がりください」と書いたシールが貼ってあったが,すぐ腐敗するとかカビが生えるとかは考えにくいので,まあ大丈夫に違いないと食卓に置いておいた.
 翌日の昼,前日に食べ残したみたらし団子を食べて私は「おお」と感心した.
 というのは,前夜に食べたときにはちゃんと柔らかくおいしかった団子が,翌日にはデンプンが老化して明らかに固くなっていたからである.シールに「本日中にお召し上がりください」と書いてあった通りの品質であったから,「やるやるとは聞いていたがなかなかやるな近江堂」(←寛平ちゃんとか高田の純ちゃんが今でも言う半分死語化した昭和感溢れる台詞) というわけなのであった.

 近江堂の団子が,一日で味が落ちてしまったのに,私がなぜ感心したかというと,これが本来の団子だよな,と思ったからである.
 セブンやローソンはどうか知らないが,私の家の近くのファミマでは,山崎製パンの団子が定番になっている.
 ちなみに同社の商品情報ページをみると,

串団子 (たれ・あん・三色)
自慢のたれ・あん・三色、3本パックの団子
サッと程よく焼き目をつけた団子にとろりとしたタレをからめた「串団子 (たれ)」、あんの甘味がおいしいハーモニーを奏でる「串団子 (あん)」、彩りと香りのバラエティを楽しめる「串団子 (三色)」を取りそろえました。今日の好みで選んで、煎れたての緑茶といっしょに召し上がれ!

となっているが,実際に商品のパッケージに表示されている商品名は「串団子」ではなく「串だんご」である.ウェブを検索して調べてみたら,十年前の商品は包装にも「串団子」となっていたらしい.山崎製パンは,同社公式サイトを管理する部署の仕事が雑である.(笑)

 この団子については栄養成分表が掲載されているが,なぜか原材料表示が見当たらない.
 そこでパッケージに記載されている原材料表示を以下に示す.

原材料名/醤油だれ (砂糖、醤油、昆布だし)、上新粉 (うるち米(米国))、砂糖、トレハロース、ソルビット、加工デンプン、グリシン、pH調整剤、調味料 (アミノ酸等)、カラメル色素、酵素、(原材料の一部に卵、小麦を含む)

 ここに表示されている原材料のうちで,デンプンの老化を遅延させ,翌日翌々日になっても団子の柔らかさを維持させる効果を有するものというと,まずトレハロースである.(トレハロース製造者である林原のURL はここ)
 原材料表示からは判断できないのであるが,食品添加物である「加工デンプン」 (多種多様な性質と効果の製品がある) も老化防止の目的で添加されているかも知れない.
(話が横に逸れるが,「加工デンプン」は我が国の食品添加物界における恥部,食品業界の暗部である.これについては稿を改めて詳述する必要があると常々思っている)

 山崎製パンの団子には,上に示したように各種の食品添加物が用いられている.
 私は,このブログで度々書いているように,食品添加物すべてを頭から否定する一部のインチキ評論家が大嫌いである.
 なぜかというと,現在の私たちが謳歌している豊かな食生活に食品添加物は寄与していると考えているからだ.
 しかし,食品添加物全部を肯定しているのではない.私が肯定する食品添加物は,消費者にメリットがあるものに限る.
 例として,みたらし団子を考えてみよう.
 みたらし団子は,日々の食生活の必需品ではない,たまに食べればいい嗜好品だ.町に買い物に出たついでに,思いついて和菓子屋に寄って,買って帰ればいい,そういう食べ物である.
 包装に「本日中にお召し上がりください」と書いたシールが貼ってあるだろう.その通りに,その日のうちに食べればいい.そういう食べ物である.
 実際に近江堂の団子は,翌日は固くなってしまったが,当日中ならおいしかったのである.

 さあ,だとすれば,山崎製パンの「串だんご」に使用されているトレハロース (たぶん加工デンプンも) は,消費者にとって何の意味もない食品添加物ではなかろうか.
 然り.トレハロース以外にも,上述した表示に書かれているグリシンやpH調整剤などは,消費者のためではなく,山崎製パンの都合で使用されている食品添加物なのである.
 すなわち私の基準によれば,山崎製パンの団子は,消費者にメリットのない添加物を用いているのである.
 諸兄がお住いの町に和菓子屋がなければ仕方ないが,もし和菓子屋があるのなら,コンビニで団子を買わずに,その店で買おう.そしてその日のうちに食べよう,そのほうが旨いと私は断言する.きっと昔から人々が食べてきた団子の味がすると思うのである.

 終りにまたまた余談だが,後日の午前中に近江堂へ行き,豆大福を買った.開店直後に店頭に並べられたその大福は,実にとろけるが如くに柔らかった.
 これが時間経過と共に,食感がしっかりしてくる.そこで思ったのだが,十個くらい買って帰って一日中,二時間おきに豆大福を食い続け,その試験結果を基に「近江堂の大福はね,〇時に店に行って買うと旨いんだ」などと講釈を垂れてみたい今日この頃である.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月19日 (木)

なべやき考 (大船 運ど運屋)

 昨日の記事《すきやき考》に私は次のように書いた.

以上をまとめて考察するに,江戸時代は貞享から元禄にかけて,鍋料理である「杉焼き」が料理屋でもてはやされた頃は,「焼く」には「煮る」調理も含まれていたと考えられる.
 翻ってみれば,和語「たく」は,「炊く」「焚く」の他に「焼く」とも書く.よく挙げられる用例は「護摩を焚く」「護摩を焼く」である.(共に「ごまをたく」と読み,後者は「ごまをやく」とは読まない)
 つまり「炊く」も「焼(た)く」も,便宜的に別の漢字を当ててはいるが,元々は同じ和語「たく」なのである.
 すなわち料理名の口語「すぎだき」を料理屋が「杉焼き」と書き表したために,次第に読みが「すぎやき」に変化したと考えられる.

 この論理を鍋焼きうどんに適用してみようというのが本稿の意図である.
 すなわち,元々は「鍋で炊いたうどん」料理は「なべだきうどん」であるが,この煮込みうどん料理を考案したうどん屋が品書きに載せる際に,「たく」に漢字「焼」を当てて「鍋焼き (なべだき)」と書いたために,いつしか客たちは「なべやきうどん」と呼ぶようになった.これが私の仮説である.
 以上,鍋焼きうどんについての考察終わり.昨日長々と《すきやき考》を書いたのは,実は本日の《なべやき考》のマクラだったのである.とはいえ短かすぎるのもなんだから,もう少し書き足す.

 鍋焼きうどんは,自宅で拵えようとすると色々な具を揃えるのがめんどくさいので,端から作る気が起きない.
 だったら蕎麦屋で注文して食えばいいようなもんだが,東京でも横浜でも藤沢でも,私が出向く辺りの町中で,蕎麦屋の熱い汁うどんを食うのは,私の苦手とするところだ.
 大阪人は東京のうどんを「人間の食いもんじゃねえ」と罵る (のがお約束だ) が,あの真っ黒けで極端に甘辛い汁はそう言われても仕方ないものだと思う.

 私の郷里の群馬県は,江戸期の昔から食い物には質素だったという.
 利根川流域は別として,赤城山麓から南に広がる地方,すなわち現在の関東平野北端に位置する県域は,陸稲耕作地帯だった.うまい米が採れなかった.そのせいで酒は臭い清酒しかできなかった.
 その代わり小麦栽培は盛んに行われ,うどんの質の高さには見るべきものがあり,福田赳夫元首相がよく郷土自慢していた.
 昭和の中頃の群馬.食い物に質素な一般庶民の家でうどんを打ったり,乾麺を茹でて食うときの汁は,煮干しで出汁を採った.蕎麦つゆでも,うどん汁でも味噌汁でも,すべて煮干しの出汁だった.煮干しは安価だったからである.
 蕎麦うどん用には,煮干し出汁に少しの醤油で味付けをした.砂糖や味醂は,贅沢品だったからとまでは言わないが,使わないのが上州の家庭では普通だったと思う.だから東京風の喉が渇くような甘辛さはなく,あっさりとしていて,蕎麦の味もうどんの味もしっかりとおいしく感じられたものだ.
 だがしかし時の流れは如何ともし難く,有名な水沢観音の門前街道のうどん屋も,昔は上州風の汁のうどんを食わせたのであるが,今ではすっかり観光地化してしまったせいで,東京からの観光客に迎合したのであろう,甘辛い汁や胡麻だれなどと妙なつけ汁が幅を利かせるようになり,中にはカレーうどんなどを出す店まであって,わけがわからぬ状態になり果てたのが残念である.

 東京の蕎麦の名店は別として,私が入口をくぐるような蕎麦屋は,うどんも商っている.
 そういう店で私が天ぷらを肴に酒をのんでいると,すぐ隣のテーブル席でデパートで買い物を済ませて立ち寄ったと思しき推定年齢五十七歳の御婦人が鍋焼きうどんを注文して食べたりする.
 その様子が否応なく目に入ってくるから鍋の中を何気なく見ると,立ち昇る湯気の中にメインは海老天か落とし卵,これに麩,蒲鉾,葱に椎茸が載った豪華な陣容で,この上なく美味のように見える.
 だがしかし,御婦人の箸でつまみ上げられたうどんは,甘辛く茶色に煮しめられていて,どう見てもまずそうだ.

 鍋焼きうどんは,美味なのか,まずいのか.

 いずれ遠くないときに西の方角から鉦や太鼓を叩いてにぎやかに阿弥陀如来様御一行がお迎えに来てくださるであろう私は,そろそろこの問題に決着をつけ,そうしてから浄土へ旅立ちたいと思う.
 で,思い出したのが大船駅に近いところにあるうどん屋である.
 ある日,鎌倉へ散策に出かけた折の帰路,鎌倉駅から大船駅行のバスに乗ったら,大船駅前の商店街 (仲通り商店会) が狭いバス通りとぶつかる角にある「運ど運屋」という暖簾が目に入ったのだ.
 妙な店名だが,看板には「手打ちうどん」とあり.運送屋ではなくて歴としたうどん屋なのである.
 「食べログ」をみると,絶賛レビューが並んでいて,評価は驚きの星3.5 だ.
 レビューの一部をタイトルだけ引用列挙してみる.(斜体の部分)

商店街の昭和なうどん屋さん
大船で雰囲気のある「運ど運屋」さん
冷やし+カレー= 素晴らしいコンビネーション
最近は高級な店もありますが、大船の庶民派うどん屋と言ったらまずここをお勧めします。
気軽に入れるうどん屋
大船仲通商店街を象徴する下町風のうどん屋さん【再訪】
「けんちんうどん」ですが豚肉が入ってます
透明感があり、つるつるとした喉越しとモチモチとした食感の麺
大船うどんと名乗ってもいいと思う
きちんとした手打ちうどんが食べられるお店です
「うどんや」だと思ってたけどなぁ…で、確かめた!
面白い屋号のうどん屋
大船の手打ちうどん専門店 @ 運ど運屋
手打ちうどんがなかなか美味しい、運の字ふたつの運ど運屋でうんどんや。
いつも通り過ぎていました。 大船に来ていつか行こうと思っていました、うどん屋なのでうどんの付くセッ
幼時(むかし)鍋焼きうどんはご馳走だった
   この人↑のレビューから以下に少し引用する.
ということで注文したのは、このお店のメニューでも単品では一番高い「なべ焼うどん:980円」。しばらく調理に時間がかかったものの、提供されたそれは、まさしく私の幼い頃に頂いた懐かしい「ご馳走」でした。
鍋焼きうどんとは、かくあるべき、というビジュアルと味付けで、心の中までぽかぽかと温まって、お店を後にしました。

 「食べログ」という口コミサイトが信用できないことは,去年の事件 (「食べログ」は,レビュー者たちの評価とは無関係に,運営側の都合で恣意的に飲食店の評点が決定されていることが,飲食店主の告発で発覚した事件) で今や世間に広く知れ渡ってしまったが,その他にも,飲食店の法違反 (食品衛生法違反など) などネガティブ情報や,辛口評価は書いてはいけない規則 (書いたら削除される) があるなど,まあ随分なことをやっているサイトである.
 そんなわけだから,レビューにも信憑性に疑問符が付く.
 ではあるけれど,《幼時(むかし)鍋焼きうどんはご馳走だった》さんが《鍋焼きうどんとは、かくあるべき、というビジュアルと味付けで、心の中までぽかぽかと温まって》とまで書いているので,この「運ど運屋」で鍋焼きうどんを食べてみることにした.体がぽかぽかと温まる料理は私たちの身の回りによくあるが,心まで温めてくれる食い物は,そう滅多にあるものではない.

20170119a

 店を訪れたのは昼前の十一時半頃.既に席の半分に客がいて,小上がりに会社の上司と部下二人と思われる三人連れ,テーブル席には会社員三人のグループ,老夫婦一組,御婦人二人連れ (会話から察するに母娘らしい)などなどであった.人気のある店のようだ.

 私のテーブルに,薄手のガラスコップに注がれた熱い蕎麦茶が置かれ,店の人は「熱いから気を付けて」と言った.熱くて持てなかったから,気を付ける必要はなかった.熱いお茶は湯呑に入れて欲しいものだが,それは私の個人的希望に過ぎない.店の流儀にとやかく言うものではなかろう.
 さて鍋焼きうどん九百八十円也を注文して待つこと暫し,出てきた鍋は土鍋ではなく鉄鍋だった.そしてこれに薬味 (柚子の皮と葱) の小皿と椀が一つ付いて来た.
 具は,衣は大きいが海老の身は小さな小さな (人差し指くらいの長さ太さ) 海老天が一本,車麩ではない極く普通の麩一個,紅白蒲鉾各一枚 (五ミリ厚),椎茸一個,筍一切れ,葱,ほうれん草であった.
(この鍋焼きうどんの料理写真は,ここを御覧いただきたい)
 椀に汁とうどんを取り分けたのだが,箸で持ち上げたうどんが自重で切れそうだったので,慎重な取り扱いが必要であった.次に先ず汁を蓮華で飲んでみた.
 レビューに《鍋焼きうどんとは、かくあるべき、という 味付け》と書かれた汁の,あまりの甘辛さに私の口はひん曲がった.
 「食べログ」レビューで皆が絶賛したうどんを食べてみた.
 レビューに《きちんとした手打ちうどん》と書かれたうどんは,箸で切れそうな,腰抜けうどんであった.
 もったいないから具は全部食べたが,汁はほぼ全部残した.飲んだら血圧が上昇して収縮期 140 を突破すること必定と思われたからである.
 というわけで,これで私は今生の鍋焼きうどんは堪能した.心置きなく御仏のもとに参ることにする.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月18日 (水)

すきやき考

「すきやき」はどうして「すきやき」というのか.
 サントリーグループの企業サイトに《名物料理論》というコンテンツがある.ここに曽我和弘という人による《鍋に歴史あり、味付けには理由あり 》と題した寄稿がある.
 ここに書かれている曽我和弘氏のプロフィルは以下の通り.

曽我和弘 (そがかずひろ):出版プロデューサー・フードプランナー
グルメ雑誌「あまから手帖」など出版畑を歩いた後、'99年に (有) クリエイターズ・ファクトリーを設立。編集製作のほかに飲食店プロデュースやフードプランニングの分野にも進出し、数多くの繁盛店を世に出す。その他、文化人としても活動。辻学園フードコーディネーター養成講座、大阪料飲協会の講師を務めるなど、幅広く活躍。

 で,曽我氏の文章から一部を引用する.

そもそも、すき焼きとは、その名の如く農機具であった鋤で鶏や魚などを焼いたことから始まった料理である。

 こういう説を唱える人は多いのだが,この説を裏付ける文献が示された例を私は知らない.
 Wikipedia【すき焼き】を見てみよう.

歴史
鋤焼
日本では幕末になるまで、牛肉を食べることは一般には行われていなかったが、別に「すきやき」と称された料理は存在していた。古くは寛永20年 (1643年) 刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。さらに享和元年 (1801年) の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年 (1804年) の『料理談合集』や文政12年 (1829年) の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった。他にも、すき身の肉を使うことから「すき焼き」と呼ばれるようになったという説もある。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という2種類の料理が、「すき焼き」の起源として挙げられている。

 なるほど.では「杉やき」とは何かを検索してみた.
 すると,スカパーやケーブルテレビの時代劇専門チャンネルで以前放送されていたという番組『料理昔ばなし ~再現!江戸時代のレシピ~』の公式サイトに,《杉の香り漂う上品な料理 はまぐり杉焼き 》というウェブページを見つけた.
 その説明に

雛祭りといえば「はまぐり」ですが、平安時代から伝わる『貝合わせ』に見られるように、はまぐりは古くから女子の貞操を表し、良縁を招く食べ物とされてきました。
今回は、そんな食材はまぐりの魅力を最大限に引き出すはまぐりの杉焼きをご紹介。
日本古来の調理法、石焼き、煎り焼きと並ぶ伝統の焼き方「杉焼き」の魅力をご堪能ください。

とあり,「杉焼き」の作り方が料理手順の写真付きで書かれているのだが,これを見て「どうも妙だ」と思う人が多いのではないか.
 なぜなら,水で濡らした杉板をガス火の上に載せても,杉板に水分がある限り,板の上は少し湯気が立ってちょっと熱い程度の温度であり,従って板の上のハマグリに火が通ることはあり得ないからだ.
 それが証拠に,

3.
その上にはまぐりを置き、杉の板ごと火にかけます。コンロを使用する場合弱火にします。また杉の板に火が燃え移る事があるのでご注意ください。

の横に添えられた写真をよく見ると,杉板は焦げ始めて今にも燃え上がりそうになっている.このあと火が付いてボーボーと燃える杉板の炎の中で,ハマグリはようやく口を開いたに違いない.
 よくまあこんな嘘を堂々と載せるものだと大笑いしてこのサイトのトップページをふと見ると,監修者はあの永山久夫センセーだった.さもありなん.(笑)

 もうちょっと信憑性の高い記事はないものかとさらに調べを続けると,平凡社世界大百科事典の【焼物】に記載があった.

《…… 江戸時代になると焼物の種類も多くなってくるが,貞享・元禄(1684‐1704)ころもてはやされた料理の一つに杉焼きがある。杉箱の中にみそを濃く溶いて煮立て,そこへタイ,カモなどの魚鳥や野菜を入れて煮るもので,杉箱の底にはのり(糊)で塩を厚く塗りつけて焼けないようにした。タイやカモの肉にほのかな木香(きが)をうつすというしゃれたもので,《日本永代蔵》はぜいたくきわまる料理という意味の〈いたり料理〉の一つにこれを挙げている

 さすがは平凡社世界大百科事典である.Wikipedia【すき焼き】の《古くは寛永20年 (1643年) 刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。》よりも具体的だ.この Wikipedia【すき焼き】に書いてあることだけでは,どうすれば杉板の箱で味噌煮が作れるのか皆目わからないが,世界大百科のように《杉箱の底にはのり(糊)で塩を厚く塗りつけて焼けないようにした》と書かれていれば,「おお,なるほどっ」と膝を打つことができるというものである.
 というわけで,あの永山久夫センセー監修による再現実験料理「はまぐりの杉焼き」は大嘘であることがほぼ確定である.(大笑)

 以上をまとめて考察するに,江戸時代は貞享から元禄にかけて,鍋料理である「杉焼き」が料理屋でもてはやされた頃は,「焼く」には「煮る」調理も含まれていたと考えられる.
 翻ってみれば,和語「たく」は,「炊く」「焚く」の他に「焼く」とも書く.よく挙げられる用例は「護摩を焚く」「護摩を焼く」である.(共に「ごまをたく」と読み,後者は「ごまをやく」とは読まない)
 つまり「炊く」も「焼(た)く」も,便宜的に別の漢字を当ててはいるが,元々は同じ和語「たく」なのである.
 すなわち料理名の口語「すぎだき」を料理屋が「杉焼き」と書き表したために,次第に読みが「すぎやき」に変化したと考えられる.

 このように考えてくると,Wikipedia【すき焼き】に書かれている

さらに享和元年 (1801年) の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年 (1804年) の『料理談合集』や文政12年 (1829年) の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった

は,実際にはどうだったのかという疑問が湧く.
 『料理早指南』などの江戸期の料理本は,料理屋で出される料理のレシピ集である.そのような店で粋人たちが《鋤のうへに右の鳥類を》焼いたり《使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱》したとは,私にはどうしても思われぬ.
 きっと,料理屋では,に似せた形に拵えた鉄板のようなもので肉を焼いて客に食わせたのだろうと考える.
 というのは,そもそも一般的に鋤は木製なのである.(鉄製の鋤も存在するが特殊である)
 例えば春日井市立紙屋小学校のサイトに,昔の農具が写真入りで紹介されている.大変よくできているので感心した.
 この一覧表の下から三段目に「鋤」の写真が載っている.これを見ればわかるように,鋤本体は木製で,先端が鉄の刃になっている.刃からU字状の枠が伸びていて,これで刃と本体が固定される構造である.
 冒頭に紹介したフードプランナー曽我和弘氏は《そもそも、すき焼きとは、その名の如く農機具であった鋤で鶏や魚などを焼いたことから始まった料理である》と言うが,どうすれば木製である鋤を火にかけて鶏や魚を焼くことができるのか.この人は鋤を見たことがないのではあるまいか.

 ちなみに Wikipedia【鋤】に次の記述がある.

すき焼き
なお、柄の取れた古い鋤を野外で鍋の代わりに使って鳥獣の肉や野菜を焼いたのが「すき焼き」の始まりといわれている。

 根拠文献を示さずに愚かなことを書くものである.
 江戸期の小作農にとって鍬や鋤などの農具は命の次に大切な財産であったに違いない.
 そんなことは考えなくてもわかることだ.
 木製本体と鉄製の刃を組み合わせた構造は,刃の部分が割れて壊れたら新しい刃を付け,柄が折れれば木製部分を取り換え,そうして祖父さまから孫の代まで大切に大事に使い伝えるに優れた工夫であった.
 《柄の取れた古い鋤》は修理したに決まっている.《鍋の代わりに》するわけがない.

 各地の郷土資料館などに展示された農具の,使い込まれ年季の入った様子を見れば,彼ら小作農の慎ましい暮しが偲ばれる.
 小作農たちにとって農具は,武士ならば刀に等しい.どうして百姓の魂を火にかけて肉を焼き,わざわざ鈍らせたりなんぞするものか.
「鋤焼き」の「鋤」は,江戸の料理屋が料理に野趣を添えるために鋤に似せて拵えた料理道具であったに過ぎないと私は考えるのである.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧