続・晴耕雨読

本や映画などについて.

2018年9月11日 (火)

江戸期の妻たちの戦争

 杉浦日向子『杉浦日向子の江戸塾』などを読むと,如何に初期の江戸が男ばっかりの都市であったかがわかる.例えば十二軒の長屋があるとすると,女房がいるのはそのうちの一軒か二軒で,あとはすべて独身者だったという.
 こうなると当然,力関係は女房が強いということになる.『杉浦日向子の江戸塾 笑いと遊びの巻』の,杉浦日向子と林真理子の対談から下に少し引用しよう.
 
杉浦 かかあは人間を超越して、床の間に飾って日夜拝んで磨いておくような縁起物なの。持ってるだけで幸せというようなね(笑)。だから、上座に座るのは、"かかあ"のほうです。
 
 しかも,妻子を食わせるのは男の甲斐性であるが,女も仕事をしている場合は,その収入は女房のものだったらしい.
 もしも亭主の稼ぎが悪いと,女房はほかに男を作って,亭主を離縁してしまう.おもしろいのは,その際に亭主は,女房に三行半を強制的に書かせられてしまうという点だ.つまり三行半は,離婚証明書なのであり,これがあれば女は意気揚々と再婚できるのである.
 形式的には男が女房に三行半を書いた格好であるが,実際には妻に離縁されたかわいそうな元亭主は,着の身着のままで長屋を出ていくのだという.長屋に住む権利は,かかあのものなのだ.w
 男が女にプロポーズして所帯をもつとき,男は櫛をプレゼントするのだそうだ.そして離縁のとき,女は元亭主にその櫛を投げつけるのだという.男はその櫛を質に入れて,その日一泊の宿賃にするというから情けない.
 従って,こんなことにならぬよう,亭主は常に女房殿の顔色を伺いながら,決して妻の逆鱗に触れぬようにしていた.
 基本的に江戸では,朝に一度炊飯するだけで昼と夜は冷や飯を食う習慣であったが,この朝の飯炊きは男の役目だった.あったかい飯と味噌汁ができたら,まだ寝ている女房を起こして飯を食わせ,それから仕事にでかけた.
 江戸の女の全員がそうだとは限らぬだろうが,中には,長屋に魚を売りに来た若い男をつまみにして昼間から酒を飲んだりするキッチンドリンカー女房もいたらしい.これは『杉浦日向子の江戸塾』で,杉浦日向子と北方謙三,宮部みゆきの鼎談にある話.
 江戸時代,かくも女が男を尻に敷いていたというのだが,女同士の争いというのがすごい.
 平安時代から家康晩年の慶長年間あたりまで,我が国には「後妻打ち (うわなりうち) 」というものがあった.
 詳しくは Wikipedia【後妻打ち】を読んで頂くとして,これは夫婦が離縁したあと,男が一ヶ月以内に後妻を迎えたときに行われる.女の面子を潰された格好の前妻は,多いときは百人くらいの応援の女を引き連れて,後妻の家に討ち入りに行くのだ.
 このときに前妻は,後妻に対して,討ち入りすることを事前に通告するが,後妻は逃げたりしたら一生の大恥であるとして,断固これを迎え撃つのである.
 下記の引用は Wikipedia【後妻打ち】に書かれている文献からであるが,なかなかユーモラスである.
 
百弐三拾年以前の昔は、女の相応打と云ふ事ありし由、女もむかしは士の妻、勇気をさしはさむ故ならん、うはなり打と云に同じ、たとへば妻を離別して五日十日、或は其一月の内また新妻を呼入たる時はじめの妻より必相当打とて相企る、巧者なる親類女と打より談合して是は相当打仕りては成まじと談合極ける時、男の分は曽てかまふ事にあらず、
扨手寄のたとへば五三人も有之女に、親類かたより若く達者成女すぐりて借、人数廿人も三十人も五拾人も百人も身代によりて相応にこしらへ、新妻のかたへ使を出す、此使は家の家老役の者を遣す、口上は御覚悟可有之候、相当打何月何日可参候、女持参道具は木刀なりとも棒なりともしないなりとも道具の名を申遣す、木刀棒にては、大に怪我有之故、大方しない也
新妻かたにても家老承て新妻へ申達、新妻おどろき何分にも御詫言可申と申も有、また左様によはげ出し候得ば、一生の大恥に成ほど御尤相心得待可申条、何月何日何時待入候と返事有之、其後男の分一切かまはず最前申遣使一度男にて其後男出会事不有之法也、
扨其日限に至り離別の妻乗物にのり、供の女は何ほど大勢にても、皆歩行にてくゝり袴を着、たすきを懸髪を乱し又はかぶりものにて或は鉢巻などし、甲斐甲斐しく先手にしないを持、腰に挿、押寄る也。門を開かせて台所より乱入、中るを幸ひに打廻る也、鍋釜障子相打こわす、其時刻を考へ新妻の媒と待女郎に来る女中と先妻の昏礼の時女郎良したる女中同時に出会、真中へ扱ひ様々言葉を尽し返、供の女ども働に善悪様々あり、
昔は相当打に二度三度頼まれぬ女はなし、七十年計り已前、八十歳斗のばゝ有しが、我等若き時分相当打に、拾六度頼まれ出しなど語りし、百年斗已前は透と是なし。
》 (文中の下線はこのブログの筆者が付した)
 
 台所から乱入して鍋釜を打ち壊すあたりが,台所を追われた前妻の,女の意地であろうか.
 下の画像は,歌川広重が後妻打ちを描いた浮世絵.(右上の画題に「往古」とあるように,広重の時代には,この慣わしは廃れていた)
 最大規模なら双方で二百人に達する女たちが,杖やザル,しゃもじや箒などを持ち,髪振り乱して戦う様子だ.右三分の一の部分に,山椒のスリコギを武器にした女 (前妻だろうか w) がいるが,これはもう凶器に近い.ほとんど戦争だ.w
 
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(出典;Wikipedia【後妻打ち】,パブリックドメイン画像)

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2018年8月29日 (水)

母子草 (十七)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
* 前回の記事は《母子草 (十六)
 
 小川未明ら,戦前から既に名声を得ていた童話作家たち,あるいは彼らと同世代である藤澤衞彦教授らの作品を読んでみた正直な感想は,この作家たちは現実の子どもたちと一緒に遊んだりして触れ合ったことがないのではないか,ということである.
 彼らの作品は,書斎の中で子どもたちの親に対して,あたかも「こういう美しく正しい童話を貴君の子らに読み与えたまえ」とでも言うような「上から目線」で書かれているのだ.そして童話作家業界は,彼らの稚拙な作品,例えば未明の「赤い蝋燭と人魚」を褒め上げ,明治文壇からの落ちこぼれである小川未明 (未明が童話に専念したのは,Wikipedia【小川未明】によれば《一説には師の逍遥から小説家としての限界を指摘されたからとも言われる 》) を担いで一種のギルドを形成した.戦前は左翼のフリをしていた未明が,戦争が始まるや掌を返して戦争協力の旗を振り,戦後になったら身を翻して民主主義を標榜するという恥知らずぶりをさらけ出しても,幇間作家たちは再び未明を担いでギルドの存続を図ったのである.この思想的節操のない童話作家ギルドの徒弟たちの中には,戦後になって入党した日本共産党員もいたというから驚きである.(山中恒の指摘による)
 しかし戦後に登場した鳥越信古田足日らは,未明ら戦前派作家たちの作品を,作品論として否定し去った.また山中恒ら少数の人々は,戦争協力者小川未明の人間性までも批判するに至り,ここに未明神話は崩壊した.
 また石井桃子ら戦後の児童文学者たちは,共著『子どもと文学』(福音館書店,1967年初版) の中で童話作家批評と児童文学論を展開し,優れた童話作家として宮沢賢治と新美南吉を挙げ,これと対比する形で,児童文学界の三種の神器とまで賞賛されていた小川未明,浜田広介,坪田譲治の三人を批判している.また同書において,児童文学者,翻訳家として活躍した渡辺茂男は,童話で大切なことは,子どもたちにわかりやすいことであるとし,その手本は昔話であると述べたあと,次のように書いている.
 
では、子どもの文学として、これほどたいせつな、基本的な要素をふくんでいると見られる昔話について、もう少しくわしく考えてみましょう。
 昔話では、一口にいえば、モノレール (単軌条) を走る電車のように、一本の線の上を話の筋が運ばれていきます。大人の小説でよく使われる回想形式とか、あるいは、物思いにふけるとか、つまり、一本のレールから話の筋がはずれて、あちらこちらをぶらりぶらりすることがありません。もちろん、モノレールの電車でも、山を越え、トンネルをくぐるように、昔話の中でも、話の道筋に起伏はあります。このモノレールは、一つの話の中の、時の流れと考えればよいでしょう。時の流れに沿って出来事が連続していて、一つの出来事と次の出来事との間に、もとにもどって読み返しを必要とする複雑さもありません。なぜなら、昔話は、口伝えに語られたからです。一人の聞き手が「じいさんや、いまんとこ、ちっともどって話してくれや」といえば、話し手も他の聞き手も興をそがれてしまいます。むずかしい文学作品を読む場合に、読者は、話が混線してくると、数行なり数ページなりあとにもどって、混線した糸をほぐすことができますが、耳で聞いた昔話では、それができませんでした。それゆえに幼い子どもにもわかる、はっきりした形式になったのです。

 
 この記事の読者の便宜のために,この記事の末尾に藤澤衞彦作「母子草」全文を掲載し,以下,その中から適宜引用する.
 まず,上に述べた渡辺茂男の童話作法は,現在の私たちには「なるほど」と納得できることであるが,渡辺茂男が本書『子どもと文学』でそれを強調しなければならなかった理由は,《幼い子どもにもわかる、はっきりした形式 》を守らない作家がいたということだろう.
 その観点で藤澤衞彦作「母子草」を読んでみると,まさに《大人の小説でよく使われる回想形式とか、あるいは、物思いにふける 》という形になっている.
 この話は,時代もどこの土地の話であるかも語られずに,いきなり冒頭で《湖のほとりに立って 》いる主人公「小雪」の「物思い」から始まる.小雪がなぜ年期奉公に出ているかのもわからない.
 続いて母親の回想で,ようやく小雪が,母親の眼病の薬を買うために年期奉公に出たことが語られる.
 そのあとずっと,どこかわからぬ湖のほとりの話 (村か町なのかもわからない) が進行するのだが,それで押し通すのかと思っていると,《はるばると廣い大きな近江の湖 》とあり,これが琵琶湖のほとりであることが判明する.
 こうしてみると,藤澤衞彦作「母子草」は,親が幼い子どもに話して聞かせることを全く想定していないことが明らかである.果たしてこれを童話と呼んでいいのか,疑問が湧く.
 これは,次の諸点についても言える.
(1) 「他國」を「よそぐに」と読ませるのはいかがなものか.童話なら,漢字を用いてルビをふったりせず,単に「よそのくに」でいいではないか.
(2) 「悲しい湖」とした意図が不明である.いかにも文学的にひねくった余計な修辞である.
(3) 「湖のお國です」も同様.近江の別称は確かに「湖国」であるが,これは大人でも知らない人は多いだろう.
(4) 「『ふるさとこいし、母こいし。』小雪は、うたって泣きました。」と原文にあるが,インド映画でもあるまいに,なぜここで小雪は唐突に歌うのか.泣くだけでどうしていけないのか.その歌はどんなメロディなのか.子どもに話して聞かせる親は「ふるさとこいし,母こいし」をどのように歌っていいか困るではないか.
(続く)
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「母子草」全文
底本:『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行初版第一刷)
 小雪は、いつものように、湖のほとりに立って、はるかむこう岸をじっとみつめているのでした。
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。さぞ、ご不自由でございましょう。小雪の年期 (やとわれて働くことを約束した年數) も、あと三年ですみます。それまではお母さま、どうかおたっしゃにおくらしください。』
 毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
 人の一心の、なんで通じないことがありましょう。ふるさとでは、小雪のお母さまも、
『小雪、小雪、私のかわいい小雪よ、どうかたっしゃでいておくれ。せっかくお前がご奉公に出てまでととのえてくれたお藥も、どうしたことか、ききめがあらわれず、私はめくらになってしまったけれど、私はお前の美しい心がよく見えます。神さま、どうか、小雪の身の上がしあわせでありますように。』
 やさしい小雪のお母さまも、毎日いくたびか湖とわが家のあいだをいききしては、小雪のいる他國 [ルビ=よそぐに] はあの方角かと見えぬ目でのぞんでは、涙をながしておりました。今まで三年のあいだに、こうしてながしたお母さまの涙は、まあどのくらいだったでしょう。それにもおとらない小雪の涙は、きょうもまた湖のほとりに来て、とめどもなくながされるのでした。
 はるばると廣い大きな近江の湖、その湖の上には、きらきらと美しい太陽の光が波にてりはえて、なんともいわれぬ美しいながめでしたが、小雪には、やっぱり悲しい湖でありました。
 いつものように、草かりかごをそこへおろすと、小雪は、じっとふるさとの方をながめて、
『お母さま、きょうは私の身の上に悲しいことが起こりました。あと三年でお母さまにおあいできると、指おりかぞえて待っておりましたのに、きけば、ここでは、その年期が約束通り守られないらしいのです。きょう、七年たったお友だちが、なんとかりくつをつけられて、また三年のびました。私も三年たったら、うまくお母さまのもとへかえれるかどうか、あやしく思われます。でも、にげてはいかれない湖のお國です。ああ、私はお母さまがこいしい。…… ふるさとこいし、母こいし。』
 小雪は、うたって泣きました。
 するとそのとき、ふしぎにも湖の中に、『ふるさとこいし、母こいし。』という文字が、波の上にありありとあらわれました。見ているうちにその文字は、だんだんのびて、ふるさとの方へひろがっていきます。ゆめではないかと、小雪が見ていますと、その文字のみちを、はるかに通ってこちらに来る一人の女の人、それは湖のはなれ島におまつりしてある、べんてんさまでありました。
 べんてんさまは、やがて、なぎさ近くまでおいでになって、手まねで、小雪について来いと申されます。小雪が文字のみちをつくづく見ますと、それはなんと、たくさんのお魚がもりあがって橋をわたしているのでした。みちびかれるままに、小雪は、べんてんさまについて、魚の橋をわたっていきました。そして、長い長い橋をつかれもせず、なつかしいふるさとの岸までたどりつきました。
 ふと見れば、いつのまにやら、べんてんさまのおすがたが消えていました。小雪が岸につくと、そこからわが家の方にむかって、二列になってはえている、ふしぎな草が目につきました。ついぞ見なれぬ草なので、村人にたずねますと、
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 とこたえてくれました。小雪はその草のみちをたどって、なつかしいお母さまのもとにかえりました。
 皆さんも初夏のころ、あぜみちや野みちをいくと、小さい黄色い花をつけた、くきの長い草を見つけることでしょう。これこそ、この母と子の、やさしい心によって生まれ出た、記念 (かたみ) の母子草だということです。
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2018年8月22日 (水)

ひと夏の物語

 先月末の週刊文春 (8/2 号) の連載書評「私の読書日記」の担当は,歌人の種村弘氏だった.
 その書評は次のように書きだされている.

ひと夏の物語が好きだ。子供たちが、大人には見えない不思議な世界をくぐり抜ける冒険をする。そして、季節の終わりとともに、すこしだけ、けれども決定的に以前とは変わった自分に気づく。そんな物語の系譜がある。
 どうしてか、その魔法の季節は夏と決まっているようだ。ひと春の物語やひと秋の物語やひと冬の物語というのは、あまり耳にしたことがない。

 この書評で取り上げられたのは,高橋源一郎『ゆっくりおやすみ、樹の下で』(朝日新聞出版),『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』(暮しの手帳社),内田善美『星の時計のLiddell』の三冊.いずれも読んでみたいと思わされる,いい書評だった.

 少年少女のための小説ではないが,《風立ちぬ、いざ生きめやも》で知られる堀辰雄『風立ちぬ』の第一章「序曲」は,夏の終わりの物語である.

ひと冬の物語というのは、あまり耳にしたことがない 》と種村氏は書いているが,児童文学における「ひと冬の物語」としては,C・S・ルイス『ナルニア国ものがたり』の第一作『ライオンと魔女』が有名かと思う.

 児童文学の範疇を離れれば,私はモネの『日傘をさす女』に夏を感じる.モネの息子にとって,この時に父モネの写生のモデルになった思い出は「ひと夏の物語」だったのではなかろうか.
 余談になるが,モネ以前の画家は,家の外で下絵を描くとしても,油絵に仕上げるのはアトリエに帰ってからであったそうな.
 モネは,郊外の陽光の下に画架を立て,そこで油彩の写生をした最初の画家であると書いた人がいた.それを可能にしたのは,チューブ入りの油絵具だという.それ以前は,描く時に粉末の顔料を油で練って用いたから,風の吹く屋外では描けなかったのだ.これにはなるほどと思った.

 ともあれ,絵画における「ひと夏の物語」の最高傑作はこれだろうと思う.
 
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(Wikipedia から引用;パブリックドメイン画像)

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2018年8月20日 (月)

J.ボンドは人生を二度生きる

 私は英語が不得意だ.英語を必要とする人生ではなかったからである.
 いや,もちろん英語で書かれた自然科学論文は読める.学会誌の編集委員会からの依頼で,その学会の英語論文誌に投稿された論文の査読もやってきた.
 だが英字新聞を読むのはだめだ.出てくる時事用語や政治経済用語がわからぬからである.その意味では,米国のテレビニュースもチンプンカンプンである.(泣)
 とはいっても今更,英語の勉強なんかしたくない.字幕版のイギリス映画やアメリカ映画で,俳優の台詞が聞き取れればいいや,と思っている.私の英語は,映画のためのものである.
 
 そんなわけで,映画の話題を取り上げたブログを流し読みするのが私の暇つぶしなのだが,《阿呆は二度死ぬ 》と題した記事を読んで大笑いした.
 このウェブページの筆者は,次のように書いている.
 
「007は二度死ぬ」、この映画の原題は「You Only Live Twice」であり、原題と邦訳で意味が反転している。生を死に反転させることで原題の意味を残しつつ、より日本語らしい表現になっているのではないか。これこそ流石、翻訳の妙だと褒めておこう。
取りあえず「you  only live once」を「暗黒街の弾痕」と訳すよりマシな気がする。
  だがここで「二度死ぬ」とはどういう意味なのだろうか。

 
 《だがここで「二度死ぬ」とはどういう意味なのだろうか 》と書いた後,グジャグジャとわけのわからぬことを綴った挙句に,
 
人は二度死ぬ、いや訂正しよう、「人は無限に死に続ける」。人はその身が朽ち果てるまで、他者の記憶の中で死に続けているのだ。
 他者の「中での」自己の死に無頓着で、主観からしか死をとらえられない阿呆は僅か2度しか死を感じることがない。いや、それとも無限の死を感じ続ける者こそが真の阿呆なのか。結論は死んでみなければわかるまい。
 阿呆は死ぬまで直らないのだから。

 
と締めくくっている.
 私が大笑いした理由は,この筆者は映画『007は二度死ぬ』を観たことがないくせに,映画の題名,しかも邦題について云々しているのが歴然としているからだ.
 「二度死ぬ」の意味は単純である.『007は二度死ぬ』の冒頭で,ジェイムズ・ボンドは敵の目を欺くための偽装工作として,香港で殺されたことにするからである.
 “ You Only Live Twice ”を直訳すると「あなた (ジェイムズ・ボンド) は二度しか生きない」である.言うまでもなく“ You ”はボンドだ.それを《人は二度死ぬ 》と書いては,映画を観ていないことがモロバレである.
 さてここで面白いのは,英文の小技というか,“ You Only Live Twice ”の構文である.つまり“ You ”+“ Only Live Twice ”という意味の構文に,“ You Only ”+“ Live Twice ”という意味を重ねて含みを持たせていることだ.
 つまり「ボンドは二度 (偽装死の前と後) しか生きない (=三度目の偽装死は通用しない)」に,「偽装死したりするのはボンドだけ」を重ねているのである.ところが語順を入れ替えて“ You Live Only Twice ”にする (これが一般的な構文) と前者の意味だけになる.
 
 ところが更に面白いのは,映画と原作小説とでストーリーが異なることである.
 イアン・フレミングの長編小説“ You Only Live Twice ”は日本が舞台であるが,いろいろあって,ボンドは宿敵ブロフェルドと対決し,ブロフェルドを殺害することに成功するが,その格闘で頭に受けたショックのために記憶喪失になってしまう.記憶を失ったボンドは,任務に協力してくれた海女のキッシー鈴木 (w) を愛し,一緒に暮らす.
 原作では,ボンドは英国諜報部員としての過去を喪失して,日本女性との愛の暮らしという二度目の人生を送るのである.
 それではこの“ only ”は何を意味しているのか.
 直訳は「人生は二度しかない」だが,原作のストーリーではボンドは女性と別れて再び諜報部員に復帰して生きることになる.三つ目の人生はなかった,ということなんだろう.
 
 映画のことに戻ると,ナンシー・シナトラが歌った『007は二度死ぬ』の主題歌の歌詞は,原作の内容にある「記憶喪失」とは離れた意味で,「愛に生きることは人生を二度生きること」としている.
 ところが,この動画《You Only Live Twice [日本語訳付き]  ナンシー・シナトラ 》では“ You Only Live Twice ”を《人生って二度ないわ》と和訳している.英語歌詞に「人生は二度しかない」と書かれているのに,どこをどう捩じ曲げれば《人生って二度ないわ 》になるのか.捏造もいい加減にしなさい.英語がわからないなら,こんな動画をアップしてはいけない.

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2018年8月15日 (水)

戦争協力俳句

 先日書いた記事《俳句の性善説 (おいおい) 》について少し補足しておく.
 私は当該記事の末尾に次のように書いた.

余談だが,夏井先生が《私も良い句ができたなと思ったら、高浜虚子の句と一言一句同じだったことがある 》と発言したその虚子こそ,桑原武夫が「言葉遊び」として指弾した俳人なのだ.そしてこの発言が,私が先週の「俳句の才能査定ランキング」を観て第二芸術論争を想起した所以である.

 補足とは,夏井いつき先生は《高浜虚子の句と一言一句同じだった》に続いて次のように発言したこと.

私もいよいよ高浜虚子のところまできたなと思いましたね

 この言葉でわかるのは,夏井先生が高浜虚子を高く評価していることだ.
 夏井先生は私よりも七歳も年下なので,日中戦争から沖縄戦を経て,昭和二十年 (1945年) 八月十五日に終わったあの戦争 (歴史的には大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した翌九月二日を指すことが多い) について関心があるのかどうか知らぬが,私たち戦争後すぐに生まれた世代は,自分たちの父親,母親の青春を,人生を大きく狂わせたものとして,あの戦争に無関心ではいられなかった.
 戦争に対して私たちが抱いた関心には色々な側面があるが,戦争責任の問題はその一つであった.
 戦争責任を問うとはどういうことか.それは,国体護持のために,戦争終結の和平条件として,戦地にいる兵たちを連合軍に労働力として提供することや,沖縄を割譲することなどを意図していた昭和天皇の卑劣さを後世に伝えることである.
 それはまた,例えば特攻隊隊員たちに《諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する 》と言ってフィリピンから四百機の特攻を出撃させ,パイロット全員を戦死させておきながら,自分は敵前逃亡した陸軍中将・富永恭次の名を語り続けることである.(《 》は Wikipedia【富永恭次】から引用)

 私よりも若い人たちでも,昭和天皇や卑劣な軍人たちの戦争責任については理解してもらえることと思うが,忘れられがちなのは,一般人でありながら戦意高揚の旗を振った者たちの戦争責任である.
 私が別稿の連載「母子草」で童話作家小川未明の卑劣振りを何度も書いたが,俳句の世界では高浜虚子が未明に相当する.
 小川未明は,軍部と直接の関係を持っていたわけではないが,状況証拠からすると,高浜虚子は戦時中,積極的に軍部と協力した疑いがある
 戦時中,いささかでも反戦傾向のある俳人が検挙投獄の弾圧を受けた中で,ひとり虚子は日本文学報国会の俳句部代表として戦争協力に努め,もって虚子の率いるホトトギスが俳句界を席捲したのであった.虚子の行動の陰湿さは,小川未明よりもタチが悪いと言うべきかと思われる.
 桑原武夫は『第二芸術』(講談社学術文庫,1976年初版第一刷) の「まえがき」で次のように書いている.

戦争中、文学報国会の京都集会での傍若無人の態度を思い出し、虚子とはいよいよ不敵な人物だと思った。

 Wikipedia【第二芸術】に,桑原武夫は《俳句に対するそもそもの非好意的な態度》と記されているが,その非好意的な態度は,上の引用箇所にあるように,戦時中の虚子ら戦争協力俳人たちに対する反感によるものであったろう.
 夏井いつき先生が高浜虚子を高く評価するのは一向に構わぬが,しかしそれはホトトギス社の黒歴史を容認することなのである.

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2018年8月10日 (金)

母子草 (十六)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
* 前回の記事は《母子草 (十五) 》 
 
 この連載もそろそろ終わりに近づいた.藤沢衞彦作「母子草」の作品評価を始めよう.
 ここで連載前回の末尾を再掲する.
戦後,小川未明は軽々と転向したが,藤澤教授は戦後を,戦前戦中の未明のミニチュアとして生きたのである.そしてこれこそが,上笙一郎が『児童文学研究=北邙の人たち』(日本児童文学協会編『戦後 児童文学の50年』,p.113) の中で,藤澤教授を指して《世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》と書いたことなのである.
 
 藤沢衞彦教授の世界観や人生観の古さは,自ら「標準語の使用」を明らかにしていることに示されている.
 現代日本ではもはや「標準語」は死語である.戦前の日本史に明るくない世代の人々が,標準語と共通語とを混同している場合があるが,かつて明治政府が富国強兵策の一環として国を挙げて取り組み,あるいはまた昭和期戦前の政府が海外植民地 (特に朝鮮) 統治のための道具として用いた「標準語」を話し,読み書きした人々は既に世になく,標準語は言語としては忘れ去られた.従って標準語は,単語として残っているが実体はない.それがどのようなものであったかは,《母子草 (十一) 》の註に記した.
 ここでは藤澤教授の童話「母子草」から一部を引用してみよう.(便宜のために全文を最後に掲げる)
 
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。』
毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 
 藤澤教授の童話「母子草」の中で,主人公小雪はもちろん,話に登場する村人も小雪の母親を「お母さま」と呼んでいる.この「母子草」は戦後の昭和二十四年に書かれた作品であるにもかかわらず,明治時代に標準語の基礎となった東京山手の中流家庭 (官吏や会社員など比較的富裕な層) の言葉である「お母さま」が用いられているのだ.現代の私たちからすると,違和感を持たざるをえない.
 また「母子草」は,戦後の口語文の文学作品としてはあまり用いられない「であります」調 (一般には軍隊言葉として知られている) と「です・ます」調を混在させて書いている.ここで指摘しておかねばならないのは,「であります」調は小川未明が多用した表現であったということである.未明の「であります」調については,古谷綱武氏は「小川未明論」(『日本人の知性』〈学術出版会所収) で次のように書いている.
 
むやみやたらに「あります」でむすんでいる文章のまずさ、明治の雄弁術が現代に生きのこっているようなその目ざわりなかたさは、それがそのまま頭のかたさであるが、現代の評価にあてれば、欠点とよんでいいものである
 
 これはまことに的確な指摘であり,《「あります」でむすんでいる文章のまずさ 》は,そのまま藤澤衞彦教授作の童話にも当てはまる.
 著名な童話作家であった奈街三郎 (1978年12月23日没) は昭和四十八年 (1973年) に,藤澤衞彦作「母子草」をほぼ丸ごと剽窃して奈街三郎名義の「母子草」(『幼年みんわ かなしいはなし』〈偕成社〉所収) を発表したが,これは完全なコピーではなく,姑息なことに,原作中の「お母さま」を「おかあさま」と平仮名にし,かつ「であります」を「です・ます」に書き換えている.剽窃者は剽窃者なりに,いくら何でも童話に軍隊言葉は馴染まないと考えたのであろうか.
 実際,藤澤衞彦作「母子草」から派生した戦後の童話作品には,奈街三郎らが剽窃して発表した二作品も含めて,標準語で書かれたものは一つもない.標準語で書かれたのは藤澤衞彦作「母子草」だけである.
 なぜ藤澤教授が,戦後になっても大日本帝国の残滓である標準語で童話を書こうとしたのかは,今となってはわからない.
 しかし推測できる理由が一つある.それは,藤澤衞彦教授が昭和二十四年,童話集『母子草』巻末に掲げた後書き《父兄方へ 》 (前回の記事《母子草 (十五) 》に掲載した) を読めば明らかなように,藤澤教授の童話は子どもに向けて書かれたものではないことである.
 藤澤教授は,戦前の標準語教育を受けた「父兄」を対象にして童話を書くことを意図したのであり,従って,戦後の普通の子どもが理解できる言葉ではなく,標準語を用いて書いても何ら問題はないと考えたのだろう.これは小川未明が,子どもではなく大人に鑑賞されることを期待して童話を書いたのと同じ姿勢である (小川未明《今後を童話作家に 》;青空文庫).そして未明ら明治生まれの童話作家たちの作品は,戦後になってから登場した児童文学者たちによって「子ども不在の童話」として厳しく否定されたのであった.
 
 藤澤衞彦作「母子草」には,標準語の使用の他にも,いくつかの問題点がある.
 その一つは,この作品では童話の基本的な作法が守られていないことである.次回はそのことについて述べる.
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「母子草」全文
底本:『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行初版第一刷)
 
 小雪は、いつものように、湖のほとりに立って、はるかむこう岸をじっとみつめているのでした。
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。さぞ、ご不自由でございましょう。小雪の年期 (やとわれて働くことを約束した年數) も、あと三年ですみます。それまではお母さま、どうかおたっしゃにおくらしください。』
 毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
 人の一心の、なんで通じないことがありましょう。ふるさとでは、小雪のお母さまも、
『小雪、小雪、私のかわいい小雪よ、どうかたっしゃでいておくれ。せっかくお前がご奉公に出てまでととのえてくれたお藥も、どうしたことか、ききめがあらわれず、私はめくらになってしまったけれど、私はお前の美しい心がよく見えます。神さま、どうか、小雪の身の上がしあわせでありますように。』
 やさしい小雪のお母さまも、毎日いくたびか湖とわが家のあいだをいききしては、小雪のいる他國 [ルビ=よそぐに] はあの方角かと見えぬ目でのぞんでは、涙をながしておりました。今まで三年のあいだに、こうしてながしたお母さまの涙は、まあどのくらいだったでしょう。それにもおとらない小雪の涙は、きょうもまた湖のほとりに来て、とめどもなくながされるのでした。
 はるばると廣い大きな近江の湖、その湖の上には、きらきらと美しい太陽の光が波にてりはえて、なんともいわれぬ美しいながめでしたが、小雪には、やっぱり悲しい湖でありました。
 いつものように、草かりかごをそこへおろすと、小雪は、じっとふるさとの方をながめて、
『お母さま、きょうは私の身の上に悲しいことが起こりました。あと三年でお母さまにおあいできると、指おりかぞえて待っておりましたのに、きけば、ここでは、その年期が約束通り守られないらしいのです。きょう、七年たったお友だちが、なんとかりくつをつけられて、また三年のびました。私も三年たったら、うまくお母さまのもとへかえれるかどうか、あやしく思われます。でも、にげてはいかれない湖のお國です。ああ、私はお母さまがこいしい。…… ふるさとこいし、母こいし。』
 小雪は、うたって泣きました。
 するとそのとき、ふしぎにも湖の中に、『ふるさとこいし、母こいし。』という文字が、波の上にありありとあらわれました。見ているうちにその文字は、だんだんのびて、ふるさとの方へひろがっていきます。ゆめではないかと、小雪が見ていますと、その文字のみちを、はるかに通ってこちらに来る一人の女の人、それは湖のはなれ島におまつりしてある、べんてんさまでありました。
 べんてんさまは、やがて、なぎさ近くまでおいでになって、手まねで、小雪について来いと申されます。小雪が文字のみちをつくづく見ますと、それはなんと、たくさんのお魚がもりあがって橋をわたしているのでした。みちびかれるままに、小雪は、べんてんさまについて、魚の橋をわたっていきました。そして、長い長い橋をつかれもせず、なつかしいふるさとの岸までたどりつきました。
 ふと見れば、いつのまにやら、べんてんさまのおすがたが消えていました。小雪が岸につくと、そこからわが家の方にむかって、二列になってはえている、ふしぎな草が目につきました。ついぞ見なれぬ草なので、村人にたずねますと、
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 とこたえてくれました。小雪はその草のみちをたどって、なつかしいお母さまのもとにかえりました。
 皆さんも初夏のころ、あぜみちや野みちをいくと、小さい黄色い花をつけた、くきの長い草を見つけることでしょう。これこそ、この母と子の、やさしい心によって生まれ出た、記念 (かたみ) の母子草だということです。

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2018年7月24日 (火)

橋本忍逝く

 名優加藤剛が亡くなったのは先月の十八日だが,報じられたのは今月九日だった.
 続いて日本映画史上に屹立する脚本家橋本忍の訃報は先日の二十日であった.
 この二人の名を聞けば何を措いても『砂の器』だが,橋本忍の逝去を報じたウェブニュースの中に『砂の器』を挙げていないものがあったので私は驚いた.
 またふとしたことから閲覧したブログ《鶴の一声》の記事《524 橋本忍という脚本家 》   に

先日のブログで、加藤剛・加藤嘉の「砂の器」のことを書いたが、その脚本家が橋本忍さんだったことを、今回亡くなってから知った。
 その他にも、羅生門・七人の侍・隠し砦の三悪人・ゼロの焦点・日本の一番長い日・風林火山・どですかでん・日本沈没・八甲田山・八墓村・影武者など、多くの優れた邦画の脚本を手掛けていたことも合わせて知った。

と書かれているのを見て,今の若い映画ファンは,私と同世代の映画ファンとは全く異なるものなんだと知った.

『砂の器』(1974年製作) は,松本清張作品の映画化を多く手掛けた野村芳太郎監督の力量は言うまでもないが,何よりも脚本を書いた橋本忍と山田洋次,音楽監督の芥川也寸志と主題曲『宿命』(註) を作曲した菅野光亮,そして俳優としては刑事役の丹波哲郎と,放浪する父子の父を演じた加藤嘉の映画であると言っていい.物語上の主人公は和賀英良を演じた加藤剛だが,実質的には脇役である.
 この作品が公開された時,私は劇場で繰り返し観た.そして主題曲LP『宿命』を買って繰り返し聴いた.私にとって『砂の器』は,橋本忍の名を記憶に刻むと共に,この作品で映画の観方を学んだという点で,邦画最優秀作品である.
 昔購入したLP盤の『宿命』は手放したが,デジタルリマスター版『砂の器』とそのCD『宿命』は大切に持っている.
 昨日,久しぶりに『砂の器』を再鑑賞した.そして泣いた.
 映画や音楽は人生の一部になり得る.私は『砂の器』のストーリーにも泣いたが,この映画の公開当時まだ若かった私の人生の,過ぎ去った数々の思い出にも涙したのであった.
 
(註) ちなみに,この動画中,放浪する父と子が峠を越えて見下ろす先に広がる有名なシーンのロケ地は,後に世界遺産となった越中五箇山の相倉合掌造り集落である.当時はあまり世間に知られていなかった五箇山をロケ地に選んだのは山田洋次ではなかろうかと私は想像している.放浪を回想する部分のシナリオは山田洋次であるからだ.

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2018年7月14日 (土)

母子草 (十五)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】

* 前回の記事《母子草 (十四) 》 

 前回の記事に山中恒「児童文学は、いま……」の一部を引用したが,同一箇所の一部を再度引用する.

さて、一般的な概念からすれば、<児童文学>といえば、グリムやアンデルセン、日本でいえば、小川未明、浜田広介あるいは坪田譲治、新美南吉、宮沢賢治といった作家たちの作品のことで、それは「世俗的なものと隔絶された美しい郷愁のファンタスティックな山野に花咲く童心のロマンの世界である」という思い込みがあって、そうした世間一般の思い込みの庇護のもとに、あるいはその善意にまぎれて、なにやらやってきたのが、この国の<児童文学>とよばれるものなのである。
<児童文学>に対する、この一般的な思い込みはかなり強固なもので、ついでに<児童文学者>とよばれる人たちに対しても、<童心の求道者>といったふうな聖職者イメージがついてまわる。これは<児童文学>をふくめて、児童文化というものが教育文化に従属していると目されている証拠でもある。

 ここで山中恒は更に指摘すべきであった.《<児童文学>に対する、この一般的な思い込み》は,児童文学者自身のものでもあったのだと.
 児童ではない一般の大人たちが,児童文学者は「童心の求道者」「聖職者」であると思い込んでいたとしても別にどうということもないのである.むしろ問題は,児童文学者は教育者であり聖職者であると,児童文学者自身が思い込んでいたこと,言い換えればその思い上がりと傲慢にあったと私は考える.
 その思い上がりと傲慢の最悪な例が,小川未明の『日本的童話の提唱』と題した小論であろう.そこから一部を引用する.(初出は昭和十五年 <1940年> の『新日本童話』,竹村書店;著作権の保護期間は終了している)

今日ほど慌だしい時代の変遷はない。導く者も、導かるるものも、年齢の差こそあれ、同一の目的と理想に向かって反省し、情熱をもって進まなければならぬ。日本の当面する事業は、人類史上に類例を見ないほど偉大なものだ。
 もとより外国の場合とか、理論とかが役立つものでない。新しい現実は常に理論を飛躍する。破壊と建設の複雑な渦中にあっては、現実を直観して、伝統的精神の中から体系を見出し新たなる建設的指導理論をつくるよりほかに道はない。この旗幟の下に児童を動員する。
 そして、先ずこの度の聖戦の意義について知らせることである。幾百万の生霊を犠牲にして、支那四千年の文化を破壊してまで何で、戦わなければならなかったか、すなわち支那の無自覚なる、欧米に依存して東亜を危うくしたためだ。
 先ずその思想を打破して、東亜を解放しなければならなかったからである。これがため、われらの父も兄も犠牲となった。祖先の意志と、祖国の観念を消滅しようとする将来の敵たる共産主義に対しては、各自の光栄ある歴史と民族を擁護するために、東洋諸国同志は、協力してこれに当たらなければならぬ。これが戦線に立つ父兄の志であった。
 今の子供は、この志の承継者である。日本の子供は、始めて前途に輝かしい目標を与えられた。これを見ても日本は、兄たるべきである。日本の子供は兄たるの資格を有しなければならぬ。その徳においても、識見においてもそうであらねばならぬ。仮に、支那四億の民衆と、わが一億の同胞と比較して見ても、その数において大差がある。これを心服せしめ、指導することも、偶然ではあり得ない。
 先ず日本の子供に、強き人格をつくることである。相手を信ぜしめるためには、何よりも『真実』ということが大切である。戦後における彼我の成人間の感情は容易に解消さるべくも思われない。子供の時代にいたって解消融和し、始めて明朗が期せられる。そこに日満支も各自の特色と技能を発揮し、有機的に結合して、政治に、経済に、ゆるぎなき秩序を形成し、渾然たるところの、東亜の文化が生まれるのである。
 今は、正にアジアの夜明けで、全くの童話時代だ。文芸における童話の使命も、亦この時代にあるのだ。まことに無限な童話ロマンチシズムの時代である。
 母や、祖母の愛で、子供たちに語られた昔のお伽話は、商品主義の産物でなかった。それであればこそ感化力の偉大なるものがあった。
 たとえば舌切り雀も、桃太郎も、その他いろいろのお伽噺は封建時代の導徳感と離して考えることは出来ない。勧善懲悪、因果応報を教え、また克己忍従、主従の義理、憐憫の徳を教えた。

 この檄文のごとき文章の中で小川未明は,唐突に何らの説明もなく

世界無二の有難い国体と精神は、自らにして人類を救済するに足りる

と言い出して,これから強引な独断で

支那の無自覚なる、欧米に依存して東亜を危うくした
その思想を打破して、東亜を解放しなければならなかった
今の子供は、この志の承継者である。日本の子供は、始めて前途に輝かしい目標を与えられた。これを見ても日本は、兄たるべきである。日本の子供は兄たるの資格を有しなければならぬ
支那四億の民衆
を心服せしめ、指導する

と続けて,未明らが提唱した「童心主義」によれば純真無垢のはずである児童たちを支那侵略に動員せよと,大人たちに訴求した.
 しかしその文章全体には論理の構築がなく,根拠を示さない断定ばかりが続いている.そもそも《世界無二の有難い国体と精神》自体が論理の産物ではないのだから,これを信奉する小川未明がこんな雑駁な文章を書くのは当然なのであった.

 児童文学界における小川未明という人間とその作品の権威は虚構にすぎなかった.しかし同世代の童話作家たちの無責任と権威主義のために,石井桃子他『子どもと文学』 (福音館,1967年) によって未明の作家としての無能が指摘され,「未明神話」が崩壊するまでに実に戦後二十年以上を要したのであった.
 さらに,『子どもと文学』に続いて山中恒は『児童読み物よ、よみがえれ』(晶文社,1978年) で,未明らの「童心主義」が子ども不在の無意味な観念であることを喝破し,また後に『戦時児童文学論』 (大月書店,2010年) で小川未明はもちろんのこと,浜田広介と坪田譲治についても戦時中の姿勢を徹底的に批判した.最近では,未明について転向論の切り口から,増井真琴 (『小川未明の再転向』) によって未明の人間性批判が行われている.
 だがここで私は,『日本的童話の提唱』全文にわたって顕著な,日本民族の優位性を自明のこととする未明の思い上がり,独善性を指摘したい.
 戦争協力者小川未明の独善的ナショナリズムは戦時中に顕著になったもので,戦後は掌を返して民主主義者を装うのであるが,しかしこの独善的ナショナリズムは戦後,日本の童話界に遅れてやってきた藤澤衞彦教授によって継承されたと考えられる.
 そこで『日本的童話の提唱』と対比するために,藤澤衞彦教授が昭和二十四年,『母子草』巻末に掲げた《父兄方へ》を再掲する.(前に《母子草 (十一) 》で引用した)

憧憬と敬虔の念のそぞろ湧く日本傳承童話の泉、それは、日本の歴史と共に古くこの國土に秘められ、日本民族のみに恵まれた泉である。
 そこに、わが民族精神は眞實に傳統せられ、そこに、わが民族詩情の影は、誇りかにうつる。
 思想的にも、本質的にも、わが國民性的特徴の豊かな、純日本所産の貴物 (註;「貴物」には「とうともの」とルビが振られている) である日本傳承童話の蒐集整理研究のために、私は、日本學士院の推薦により、有栖川宮記念學術奬勵資金を、高松宮殿下からいただくことになりました。感激その仕事に没頭、努力『學術上有益なる研究竝 (註;読みは「ならび」) に其の發表を補助』せらるる御志に答えねばなりませぬ。
 日本傳承童話の蒐集整理研究は、もとより、文獻と傳承とによる日本傳説と日本童話の蒐集整理研究であって、その業は容易でないが、積年かけて集大成し、完了を終生に期待する。
一、本集は、その傳承童話を、原話の形式にこだわらず、ひたすらに、直ちにこどもたちに與える讀物として、標準語表現によって發表すべく念願したものの、第二集である。
一、蒐集整理の數は、先ず、第一期約二百二十話を、こん後一箇年間に整理發表するもので、全十二巻の選集とし、「日本傳承童話の整理研究」を別巻とする。
一、發表の童話は、美しくて良い童話のみを選ぶ。美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い。この美しい良い傳承童話は常に歴史的藝術を含んでいる。想像的所産と考えられる童話も、嚴密に言えばその構成要素のうちには、常にそれが以前集められた若くは傳統された知識、精神を材料としていることが認められる。このきまりの上に所産された眞の日本のこどもへの文化寶としての純日本傳承童話は、日本民族の心的動向としての特徴を、そのお話のなかにただよわす。
一、美しい、良い、正しい傳承童話は、次代への文化寶として、他の國家、他の民族の持てるものとは特異なものを含む。形態としても、日本傳承童話は、この國、この民族の上にととのえられた、特性を持つものが少なくない。
 どうぞ、この童話のもつ特徴を、こどもたちに知らしてくださるよう、願う。
         藤澤衞彦

 この文中で藤澤教授は「国体」と書くのはさすがに憚られたようだが,民族精神,民族詩情,わが國民性的特徴,純日本所産,日本民族の心的動向などと国粋主義を露わにしている. 国粋主義は戦時中の小川未明の姿に他ならない.
 さらに付け加えると,未明は戦時中の座談会で《正しいものは同時に美しいものであり、美しいものは同時に正義である》と語っている.(出典;上野瞭『ネバーランドの発想』(すばる書房,1974年)
 これは藤澤教授が《父兄方へ》で《美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い》と書いたことと呼応している.
 すなわち,戦後の小川未明は軽々と転向したが,藤澤教授は戦後を,戦前戦中の未明のミニチュアとして生きたのである.そしてこれこそが,上笙一郎が『児童文学研究=北邙の人たち』(日本児童文学協会編『戦後 児童文学の50年』,p.113) の中で,藤澤教授を指して《世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》と書いたことなのである.
(続く)

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2018年7月12日 (木)

『氷の王国』と『しっぽの声 2』

 昨日の記事《南の魔女はオススメ》の末尾を再掲.
 
実は『スノーホワイト』の続編『スノーホワイト/氷の王国』も中古品を買ってあるが,これは公開時からボロボロに貶された作品だ.しかし映画は観てみなければわからないから,実際に観てから評価したい
 
 ほんとに映画は観てみなければわからない.前作『スノーホワイト』は駄作だった (王女なのに,口を半開きにしっぱなしで知性も気品も感じられないスノーホワイトを演じたクリステン・スチュワートは,この作品で第33回ゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞を獲得した w ) が,『スノーホワイト/氷の王国』はとりあえず映画になっている.映画の口コミサイトでボロボロに貶されているのが不思議だ.みんな映画のどこを観ているんだ?
 この映画を観た人たちのレビューに「肝心のスノーホワイトはどうしたの?」というのがあるが,その疑問は,邦題しか見ていないからだ.原題は前作が“Snow White & the Huntsman”で今作は“The Huntsman: Winter's War”だから,別にスノーホワイト (白雪姫がモデル) が登場しなくても構わないのだ.むしろこの二作の主人公は“the Huntsman”なのだということが原題に示されている.つまり“Snow White & the Huntsman”は“The Huntsman: Winter's War”のプロローグであると同時にエピローグでもあるのだ.
 実は最初の構想は「スノーホワイト三部作」だったのだが,スノーホワイト役のクリステン・スチュワートが,監督のルパート・サンダースと不倫したため,二人とも企画から降板し,スピンオフ作品として構想されていた“The Huntsman: Winter's War”が代わって第二作に浮上したという経緯があったのである.
 そういう大人の事情があったので,三部作構想は頓挫してしまったのかも知れない.
 しかし“Snow White & the Huntsman”と“The Huntsman: Winter's War”のいずれにおいても「魔法の鏡はどこからきたのか」という伏線が回収されていない.もし第三作が作られるとすれば,魔法の鏡の由緒を巡る物語になるだろう.
 
 話題変わって,今週月曜日の記事《しっぽの声 》に《刊行されたばかりの「2」も買うことにした》と書いたが,その「2」が届いたので早速読んでみた.
 ちょっと物語の展開がモタモタしている感が否めない.ただし,ストーリーに原作協力者の杉本彩さんの意向が反映されているのはよく理解できる.この話の流れから予想すると,きっと「3」では杉本彩さんと某動物愛護団体との軋轢 (これはよく知られている事実) が描かれるのだろうと思う.
 杉本彩さんの考えに同意しない人も多いのではないかと思うが,それでもこのコミックは,日本のペットマーケットの実際を知るために読んでみるのを薦める.

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2018年7月11日 (水)

南の魔女はオススメ

 私は,現役会社員だった頃は「定年後に時間ができたらのんびりと,本を読んだり古い映画をまた観たりして暮らしたい」と思っていた.
 ところが意外に,のんびりどころか時間が足りない.ブログの更新に必要な読書と,それとはまた別の関心からする読書とで,一日の時間のかなりを使ってしまっている.
 映画鑑賞の方は,仕事からリタイアした時に未鑑賞の名画のDVDをしこたま買い込んだのだが,その後の作品のソフトもあれこれ買ってしまうものだから,古典名画の映画鑑賞はなかなか進まない.
 今日も今日とて,状態のいい中古品が Amazon に出ていたので購入した『スノーホワイト』(2012年) と『オズ はじまりの戦い』(2013年) とをぶっ続けに鑑賞した.いずれも公開時の興行成績が高かった作品である.

『スノーホワイト』は Wikipedia【スノーホワイト】に次の記述がある.

『スノーホワイト』(原題: Snow White & the Huntsman)は、グリム童話『白雪姫』を原作とした、ルパート・サンダース監督、ホセイン・アミニとイヴァン・ドーハーティ脚本による2012年公開のダークファンタジー映画。アメリカ合衆国では2012年6月1日に劇場公開された。本作を3部作の1作目とすることを予定している。
日本では2012年6月15日に劇場公開された。観客動員数は29万人を突破し、週末興行成績は約3億7000万円超えにして初登場第1位を獲得している。

 というのだが,作品の質としてあまり感心しなかった.
 どうしてかというと,ヒロインのスノーホワイト (クリステン・スチュワート) が,常に口を半開きにしているからである.美しく頭のよい魅力的な少女には見えないので,感情移入ができないのだ.
 ナタリー・ポートマン (『スターウォーズ』のパドメ・アミダラ役) やエマ・ワトソン (『ハリー・ポッター』のハーマイオニー・グレンジャー役) のようなオーラが,クリステン・スチュワートからは感じられなかった.
オズ はじまりの戦い』はこれと対照的に,ヒロインである南の善き魔女・グリンダを演じたミシェル・ウィリアムズが素晴らしく魅力的だ.このファンタジー作品はお薦めである.

 実は『スノーホワイト』の続編『スノーホワイト/氷の王国』も中古品を買ってあるが,これは公開時からボロボロに貶された作品だ.しかし映画は観てみなければわからないから,実際に観てから評価したい.

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