続・晴耕雨読

本や映画などについて.

2019年9月14日 (土)

考証『ツバキ文具店』(二) /工事中 9/14更新

 祖母が亡くなったあと『ツバキ文具店』に戻ってきた雨宮鳩子が最初に請け負った代書は,封書の手紙ではなく暑中見舞い葉書の代筆だった.代書屋の仕事としては,本業とは言い難いものだ.
 暑中見舞いや年賀状,転居や退職の挨拶葉書などを印刷所に発注することは昔からあるが,これが不都合なのは,通信面の印刷に最低料金がある (例えば最低枚数が二百枚だと,五十枚でも二百枚でも同一料金となる) ことと,宛名は手書きにせざるを得ないことだ.しかし印刷枚数が百枚,二百枚程度であれば,PCの葉書印刷ソフトとプリンタがあれば,通信面の文面を相手によって一枚一枚すべて変えることもできるし,フォントもデザインも自由自在なので,個人で挨拶状を作成するならこれが一番よろしい.
 ところが皆がPCとプリンタを持っているわけでもない.そこでそのような人のために「手書き代筆サービス」という業者が実際に存在する.通信面の文章原稿と宛先リストを用意すれば,手書きで挨拶状を作ってくれるというものである.(業者の例)
 さて鳩子が受注した暑中見舞い葉書の代筆は,「手書き」ということだけを代行する業者の代行サービスではない.顔見知りの魚屋の奥さんから,葉書の通信面の文章もデザインも丸投げ
……
  
《こんなつなぎ言葉を使っていませんか? 「なので~」》
https://allabout.co.jp/gm/gc/422410/
「……。なので~」と話をつなげていく例をよく耳にします。意味は通じても、文章言葉や改まった場では向かない言い方です。つい使ってしまいがちな「なので」も、ときには言い換えることで違和感がなくなります。
執筆者:井上明美
手紙の書き方ガイド


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2019年9月12日 (木)

考証『ツバキ文具店』(一)

 手紙とは狭い意味では封書であるが,広義には葉書,あるいは郵便物ではないメモや回覧物などの形も含むと事典にある.街角にある普通の郵便ポストの場合,左側の投入口には「手紙・はがき」と書かれていて,これによれば手紙と葉書は区別されている.
 恩師や知人に宛てて書く狭義の意味の手紙は,前回書いたのがもう十年前だったか二十年前のことであるかも覚えていないくらい,長いこと私は書いていない.問い合わせ状などのビジネス的な文書は稀に書くが,それもメールで済むものであればメールにしてしまう.
 葉書は頂き物の礼状が主だ.
 話が横に逸れるが,私が会社員だった頃,年末の忙しい時に賀状をたくさん書くのが面倒くさいので,通信面には定型文を書き,年末に「○○年元旦」などと嘘の日付を書いて投函していた.
 それが,遅ればせながら六十五歳を過ぎてようやく正直者の真人間になった私は,元日の朝に年賀状を書くことにした.前年の旅行のこととか思ったことなどを盛り込んだ文章を小さな字でミッシリと書き,日付を「○○年元旦」として元日にポストに入れるようにしたのである.
 このようにすると,相手のところには一月四日あたりに着くことになるのだが,世の人々は元日に届かない年賀状を不愉快に思うとみえて,二年ほどで私宛の年賀状は激減した.中には,顔を合わせたときに「年が明けてから年賀状を書くとは失礼な!」と文句を言う人もいたのには笑った.そうこうしているうちに,頼まれて媒酌人をしてあげた数人の元部下たちですら今では音信不通になり,同僚や元部下で今でも年賀状で近況を知らせてくれる人はわずかになった.年賀状というものは,やはり嘘の日付で書くのが喜ばれるらしい.しかし私は元旦に賀状を書くのを改めるつもりはない.元日の朝に賀状を書き,文末の日付を元旦とするのはなかなか気分のよいものだと思うからである.
 閑話休題
 小川糸さんの『ツバキ文具店』(幻冬舎;平成二十八年に初版:幻冬舎文庫;平成三十年に初版) は,鎌倉を舞台にしたちょっと変わった小説だ.主人公の女性である鳩子は,亡くなった祖母が遺した小さな文具店 (ツバキ文具店) を営んでいるが,副業で「代書屋」もしている.その代書屋も,祖母から受け継いだものという設定である.
 とはいうものの,現代日本に代書屋という職業は存在しない.ここでWikipedia【代書屋】から下に引用する.
 
代書屋(だいしょや)、代書業(-ぎょう)は、本人に代わって書類や手紙等の代筆を行う職業。
日本では、江戸時代に非公認の代書業として公事師や奉行所公認の代書業として公事宿があったとされる。明治政府は近代司法制度導入に伴い1872年(明治5年)に司法職定制代書人制度を定め、今日ではそれを引き継いだ司法書士と行政書士が存在する。
近世以前においては識字率が低く、すべての人が手紙や書類を書けるわけではなかったため、教養のある者が代筆することは一般的であった。また識字率が向上した後にも、専門書類などの作成には代書人が用いられた。
日本での役所等への手続書類の代書に関しては、前述の1872年(明治5年)に司法職定制代書人制度が法制化され、裁判所関連機関提出書類については今日の司法書士制度になり、また一方で行政機関等提出書類と権利義務事実証明書類については、明治30年代後半の警視庁令、各府県令や1920年(大正9年)内務省令代書人規則等で法制化され、それを引き継いで1951年昭和26年に行政書士法が制定され、今日の行政書士となっている。
 
 上の記述によれば,江戸時代からあったとされる代書屋は,明治時代に制度として明確化され,現代の司法書士と行政書士に引き継がれているという.すなわち本来の代書屋は,行政関連文書や司法関連文書など公的な性格を有する文書を代筆する職業だったわけである.もちろんこれには資格が必要だ.
 一方で,ツバキ文具店の主人である鳩子が有償で何を代書しているかというと,不要不急の挨拶程度の内容の手紙とか,借金の申し込みを断る手紙など,全く公的な性格を持たない手紙である.
『ツバキ文具店』の読者は,まずそのような手紙の代筆が職業として成立するのかどうかに強い疑問を抱かざるを得ない.
 上記のWikipedia【代書屋】には近世以前のこととして,無学で読み書きのできない者に代わって,教養あるものがこの種の手紙を代筆するのは普通であったと書かれている.ところが,近世に入ると一般庶民の学問教養レベルが飛躍的に向上する.Wikipedia【寺子屋】から下に引用する.
 
寺子屋の起源は、中世の寺院での学問指南に遡ると言われる。その後、江戸時代に入り、商工業の発展や社会に浸透していた文書主義などにより、実務的な学問の指南の需要が一層高まり、先ず江戸や京都などの都市部に寺子屋が普及して行った。1690年代頃から農村や漁村へも広がりを見せ始め、江戸時代中期 (18世紀) 以降に益々増加し、幕府御用銅山経営、西江邸内には江戸中期創建の手習い場が現存している。特に江戸時代後期の天保年間 (1830年代) 前後に著しく増加した。1883年に文部省が実施した、教育史の全国調査を編集した『日本教育史資料』(1890-1892年刊 二十三巻) による開業数の統計では、寺子屋は19世紀に入る頃からさらに増加し、幕末の安政から慶応にかけての14年間には年間300を越える寺子屋が開業している。同資料によると全国に16560軒の寺子屋があったといい、江戸だけでも大寺子屋が400-500軒、小規模なものも含めれば1000-1300軒ぐらい存在していた。また経営形態も職業的経営に移行する傾向を見せた。幕末に内外の緊張が高まると、浪人の再就職 (仕官) が増えた事により、町人出身の師匠の比率が増え、国学の初歩である古典を教える寺子屋も増えるなど、時代状況に応じて寺子屋も少しずつ変化を遂げて行った。
寺子屋にて指南された学問は「いろは」は方角・十二支などからはじまり、「読み書き算盤」と呼ばれる基礎的な読み方・習字・算数の習得に始まり、さらに地理・人名・書簡の作成法など、実生活に必要とされる要素の学問が指南された。教材には『庭訓往来』『商売往来』『百姓往来』など往復書簡の書式をまとめた往来物のほか、漢字を学ぶ『千字文』、人名が列挙された『名頭』『苗字尽』、地名・地理を学ぶ『国尽』『町村尽』、『四書五経』『六諭衍義』などの儒学書、『国史略』『十八史略』などの歴史書、『唐詩選』『百人一首』『徒然草』などの古典が用いられた。中でも往復書簡を集めた形式の書籍である往来物は特に頻用され、様々な書簡を作成する事の多かった江戸時代の民衆にとっては実生活に即した教科書であり、「往来物」は教科書の代名詞ともなった。
 
 上に《「往来物」は教科書の代名詞となった 》とあるように,江戸時代には都市部庶民だけでなく農山村の者でも手紙の読み書きができるのが普通になった.こうして手紙は,相手と自分 (差出人) との間に誰も介在しない内密の通信手段 (私信) となった.そして明治の中頃には大日本帝国憲法で信書の秘密が保障されるに至り,公的な性格を持たない手紙 (公開しない文書) は,自分で書くものだということが私たちの常識となった.
 現実は以上のようであるが,『ツバキ文具店』は,もしも現代に,近世以前のような私的な手紙の代書屋が存在したとしたらどんなことになるだろう,という物語である.
 この種の空想物語を作り上げるには,かなりの作家的力量が必要とされるに違いない.物語の細部にいささかでも破綻があれば,小説ではなくリアリティのない単なるヨタ話になってしまうからだ.例えば宮部みゆきが描く江戸時代の怪異譚が小説として成功しているのは,彼女の緻密な筆力があるからである.
 それでは小川糸『ツバキ文具店』が小説として成功しているかを,以下に読み解いてみよう.

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2019年9月11日 (水)

アッパッパ

 小川糸さんの『ツバキ文具店』(幻冬舎文庫) を読んでいたら,p.47に《特に今日は、着る服がなくて、先代が生前によく着ていたノースリーブのアッパッパを引っ張り出して着ているから、余計に老けて見えるのかもしれない》とあった.
 アッパッパはもう死語 (資料) だと思っていたので,驚いて女性服の通販サイトを調べてみたら,アッパッパは立派に今も生きている言葉だった.でも,それほどお若いとは言い難い小川糸さんはともかく,彼女よりも若い二十代,三十代の女性たちは,アッパッパなんて実際に言うのだろうか.

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2019年9月 7日 (土)

能登の柚餅子

 先日の記事で紹介した映画『武士の献立』は,加賀と能登が舞台である.
 物語のクライマックスで登場する加賀の饗応料理の数々は素晴らしいが,映画のストーリーにおける伏線として使われているのはそれではなく,能登の柚餅子である.
* 春が幽閉されている真如院を訪ねた際に,偶々城下で柚餅子を買い求めて持参したところ,真如院が甚く喜んだ.
* 夫の安信と能登を旅した時に,春は柚餅子作りの様子を見た.
* 春が舟木家を出奔した時,真如院の墓に柚餅子をお供えした.
* 春は,迎えに来てくれた安信と共に加賀に戻る途中,柚餅子を作る村で再び柚餅子を買い求める.
* 春と安信は,道端の地蔵尊に柚餅子をお供えして真如院を供養する.
 このように,能登の柚餅子は真如院を象徴する小道具として何度も描かれる.
 
 実をいうと,私は能登の柚餅子を,小さく切り分けたものを食べたことはあるが,丸ごと全体を目で見たことがない.
 そこで今回,清水の舞台から飛び降りて能登の柚餅子を買い求めてみた.柚餅子総本家中浦屋の通販で一つ三千二百四十円,送料九百七円の合計四千百四十七円であった.
 届いた柚餅子は箱入りで,蓋を開けるとポリ袋に包装されており,想像よりも小さく掌にちんまりと乗るほどの大きさだった.
 
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 箱に同封されていたリーフレットには「薄くスライスしてチーズに載せて酒肴に」などと書かれていた.かなりなお値段といい,スライスして食べるところといい,からすみに雰囲気が似ている.安酒の晩酌に,ちょいとツマむというレベルの食べ物ではない.
 それじゃあ贈答用に使えるか.富裕階層の話は別として,一般人の中元歳暮の贈答用食品は一万円以下が相場だ.しかもそこそこの重さと箱の大きさが求められる.ところが能登の柚餅子はとても小さいので,これ一つでは宅配便では贈りにくい.受け取ったほうが「ナニコレ?」と思ってしまう.そこで三個か四個を詰め合わせるとすると価格は一万数千円となり,これなら同じ価格帯の高級な果物のほうが,頂戴する側としてはうれしいような気がする.
 つらつら思うに,これはやはり北陸旅行の御土産に適しているように思う.箱一つをポンと手渡して「はいお土産!」というのがよい.

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2019年9月 5日 (木)

雪ひら

 先日の記事《武士の献立 》の冒頭で,行平について次のように書いた.
 
私が行平のことを知ったのは,四十年ほど前に読んだ大橋鎮子さんの随筆に書かれていたからである.本が手元にないので確認していないが,たぶん『すてきなあなたに』の最初の一冊だったかと思う.

すてきなあなたに』について調べてみたら,第一巻は昭和四十四年 (1969年) から四十九年 (1974年) までの連載をまとめたものであった.昭和四十七年に就職した私が会社の独身寮にいた頃,『暮しの手帳』を購読していた.『暮しの手帳』は若い男の読む雑誌ではなかったが,その頃,少しばかりイラストを描くのを趣味にしていた私は,花森安治が描く『暮しの手帳』の表紙が好きだったのである.この雑誌の編集方針に共感していたし,花森安治その人に対する尊敬もあった.
 もちろん『一銭五厘の旗』は既に読んでいた.花森がすべての頁のイラストを描き,装釘も行った『すてきなあなたに』も出版されてすぐに買って読んだ.そして読み終えた本を,後に妻となった人に贈った.
 そんな思い出があったので,また読んでみようとネットで古書を買った.届いたのは平成八年 (1996年) の第三十六刷で,二十年以上も前の出版とは思えない美本であった.木端木口のパリパリした感じからすると,もしかすると新刊書店から出たものかも知れない.印刷用紙は全く変色しておらず,非常に高品質の紙が使われているようだ.
 
 さて『すてきなあなたに』を開いたら,大橋鎮子さんが行平のことを書いたエッセイはすぐに見つかった.タイトルは「雪ひら」だった.書き出しのところを引用する.
 
そのゆきひらに〈行平〉と、こんな字をあてることは、知りませんでした。
 雪のちらちらする夜、はねる炭火をよけながら、七輪に、あの分厚いおなべをのせて、ぷつぷつとおじやをつくった。お雑炊におもちを入れてあたたまった……。そんな記憶が、きっとひらりと舞って落ちる雪のひとひらに重なって、私はながいこと、〈雪ひら〉という字を当てていました。
 
 どうだろう.雪ひら.私は大橋鎮子さんのこの文章にうなずいて,二十数年も忘れずにいたのだった.
 その二十数年のあいだに,私の記憶の中で,おじやはお粥に変わってしまったが,それはたぶん私よりも上の世代の人たちから,お粥は行平で炊くのがおいしいと聞いたことがまざったのだろう.
 おじやと餅入り雑炊の他に,大橋さんは,〈雪ひら〉で作るものを挙げている.
  
あり合わせの大根やお芋を、しんみり煮きこんだり、気分をかえて、洋風のクリーム煮や、野菜のスープ煮をしてみたりしています。
 
 私はしたことはないが,塩昆布を煮き上げるのにもよいそうだ.詳しいレシピが「雪ひら」に書かれている.
 根菜の煮物もスープ煮も,どれも弱火で長いことコトコトと煮るのが,いかにも行平らしいのだと思われる.そのような煮物の作り方は,熱容量の小さな薄手の鍋には似つかわしくない.Wikipedia【鍋】の《雪平 (行平) 鍋 (ゆきひらなべ)》項目に書かれている説明は,昭和生まれの私たちからすると間違いなのである.

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2019年9月 2日 (月)

武士の献立

 北國新聞創刊百二十周年記念作品として制作された映画『武士の献立』(2013年公開) は,浅草の料理屋の娘に生まれた春が加賀藩江戸屋敷に奉公に上がり,まだ幼いのに生まれつきの料理の才を発揮する場面から始まる.本作の時代背景は江戸時代の三大御家騒動といわれる加賀騒動である.
 加賀騒動は,六代藩主前田吉徳が,軽輩であった大槻伝蔵を側近に抜擢し,逼迫していた藩財政の改革に取り組んだことに端を発する.
 結局,吉徳の死後に守旧派の反撃で大槻伝蔵は失脚し,配流された越中五箇山で自害する.そして大槻伝蔵が思いを寄せていたとされる吉徳の側室,真如院もまた無実の罪を着せられて殺害されたのであるが,その真如院に女中として仕えたのが本作のヒロインの春だという設定である.
 映画『武士の献立』は六年も前の作品であるから,鑑賞した感想の記事はたくさんブログ等に書かれているが,ネタバレと称してはいるものは単なる粗筋を書いたものばかりである.そんな粗筋はWikipediaを読めばわかる.そうではなくて,調べなければわからない幾つかの点,調べてもわからなかったを幾つかのことを解説しながら,一度あるいは数度この映画を観た人のために,ノベライズ版『武士の献立』の誤りを指摘しつつ,以下に真のネタバレを記す.w
 
 映画は,ある日の夜分,風邪で体調すぐれぬお貞の方 (出家して真如院) のために,春が七輪で粥を炊く場面から始まる. 
 粥は,米から炊く方法 (炊き粥) と残り飯を炊き直すやり方 (入れ粥) がある.江戸時代は一日に何度も米の飯を炊くことはしなかった.上方では昼または夜に飯炊きをするが,江戸では朝に飯を炊く.加賀藩とはいえ江戸屋敷ではおそらく竈に薪で火を熾すのは朝だろうから,夜に粥を拵える場合は七輪に炭火で残り飯を炊き直すことになる.
 下の画像 (以下の画像はテレビ画面をカメラ撮影してトリミングしたもの) は,春が残り飯を水で洗っているところ.洗ってネバ (糊) を取り除かないと.おいしくないからだ.
 
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 水で洗った飯は行平鍋で炊く.行平鍋は,普通は単に行平と呼ばれる.銅を鍛造した片手鍋 (木製の柄が付いている) や,甚だしきはアルミをプレスしたチープ感あふれる片手鍋を行平と書いている書物や通販サイトがあるが,これは誤用である.正しくは下の画像のように注ぎ口と片手の柄が付いている土鍋の一種をいう.Wikipedia【鍋】には
 
雪平(行平)鍋(ゆきひらなべ)
和風鍋であり、蓋のない中程度の深さの片手鍋。汁の注ぎ口が左右両方に付いている場合が多い。煮物、茹で物、出汁を作る時など、鍋を利用する日本料理で使用される事が多い一種の万能鍋である。蓋は落とし蓋を利用する。本来は取っ手や蓋、つぎ口の付いた土製の鍋、あるいは銅製の鍛造鍋であったが、現在ではアルミ製の軽量な片手鍋であることが多い。鱗のように表面を覆うポリゴン状の模様は、本来は銅板を金槌で叩いて成型した跡である。廉価なプレス成型品でも、鍛造鍋に似せる装飾として模様を付けている。木製の柄がネジで固定されている物があり、これは取っ手が傷んだ場合に木製の柄だけを交換することが可能である。
 
と書かれているが,これは全くの誤りである.「本来は」も何も,行平と呼んでいいのは土製で蓋つきの片手鍋だけである.銅の鍛造片手鍋やアルミの安物は,単に片手鍋と呼べばいいのである.
 行平は,実用性からいうと一般的な形状の土鍋 (両手で持つ形) や,ツルが付いた鉄製の囲炉裏鍋より遥かに劣る.その理由は,行平に中身が入っている状態では片手で扱うには重すぎて,結局のところ両手で持たねばならないからであることが大きい.そのため次第に使われなくなり,いつの頃からか,日常の台所仕事の場から姿を消した.しかし明治以降,戦前に至る文学作品や料理本に「行平」とあるのは土鍋の行平のことである.
 私が行平のことを知ったのは,四十年ほど前に読んだ大橋鎮子さんの随筆に書かれていたからである.本が手元にないので確認していないが,たぶん『すてきなあなたに』の最初の一冊だったかと思う.
 大橋さんは,今の流行り言葉でいうところの「丁寧な暮らし」を読者に示した人だった.その人が粥は行平で炊くものだと書いている.私自身は行平を使ったことはないのであるが,おそらく行平で炊いた粥は格別においしいのであろう.
 さてテレビドラマは言うまでもなく,映画でも行平で粥を炊くという場面があるのは空前絶後,この『武士の献立』だけではないか.少なくとも私は『武士の献立』で初めてスクリーン上に行平を見た.映画『武士の献立』のオープニングに,日本の料理の伝統を象徴する行平を映し出したのは,朝原雄三監督の行き届いた演出だと思う.
 もちろん監督だけで映画はできないわけで,エンドクレジットを読むと,本作には舟木家に繋がる金沢の老舗料亭大友楼や料理専門家たちが指導監修に携わっている.また私は何度も繰り返して意地悪く粗を探す目で本作を鑑賞したが,時代考証にほとんど瑕疵はないと考える.
 ちなみに本作のシナリオを,作家の大石直紀がノベライズしている (小学館文庫『武士の献立』).大石は行平のことを土鍋と書いているが,それは不適当だ.大石は行平という名称を知らなかったのだろう.料理のことであれば『包丁侍 舟木伝内』(平凡社) が参考になるという.この本の著者であり歴史家である陶智子先生 (故人) は本作の料理考証を担当した人である.
 
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 さて,まだ幼かった春が加賀藩江戸屋敷へ奉公にあがったあと,実家である浅草の料理屋は火事で燃え,家族は焼死して春は天涯孤独の身となった.そんな春の料理の才能を見込んで,加賀藩台所方である舟木伝内 (実在の人物がモデル) は,跡取り息子の安信 (これまた実在の武士がモデル) の嫁に是非欲しいと談判する.下の画像はその際のワンシーンである.春が調理したアシタバ (明日葉) を賞味した伝内は箸を膳に戻すのだが,箸の先を膳の縁に掛けた (赤い矢印).現代の私達は,つい皿の縁に箸先を掛けてしまいがちなのであるが,実は膳の縁に掛けるのが正しいのである.その際の伝内 (西田敏行) の動作がさりげなく速やかで,ここは感心する場面だ.
 なお,この場面で伝内の懐紙は,通常よりもかなり大きいサイズである.映画『武士の献立』の時代考証はかなり行き届いていると思われるので,このような大きい懐紙が実際に存在したのだろうが,大きさや用途などを調べてもよくわからなかった.もしかすると縦にして懐に入れている可能性があるかもと思ったが,それにしても普通の男性用懐紙より大きいように見える.
 
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 下の画像は,伝内の妻である満 (余貴美子) の箸遣いのアップ.作法通りでとてもきれいだ.『武士の家計簿』に松坂慶子が武家の内儀役で出演しているが,箸をきちんと持てない上に懐紙の使い方も心得ない松坂に比べると,余貴美子は女優としての格が違うのが歴然としている.
 余貴美子は『シン・ゴジラ』で防衛大臣花森麗子を演じているが,その時の存在感ある演技と,本作における口の軽い御内儀の演技が好対照で,これには感服した.
 ところで一般に料理屋とか旅館で,食事が銘々の膳で供される場合,箸は紙の箸袋に収めた利休箸か,紙の帯で巻いた卵中箸ではなかろうか.外食ならばそういうことになるが,自宅での食事なら布の箸袋に各自の箸を入れておくことになる.下の画像で右手の下,飯碗の手前にある布がそれだ.ただし,この形の布製箸袋を通販サイトで探してみたのだが見当たらなかった.御存知の向きに御教示頂きたいものだ.
 
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 いたって好人物であるが口が軽い満の性格を描写しているシーンがいくつかあるが,春が加賀の舟木家に到着して義母の満に挨拶するときの場面がおもしろい.満は,春が出戻りであることに触れて「江戸では初鰹をありがたがるようだが脂の乗った戻り鰹を好む者もいます」と口を滑らす.加賀では北上する鰹も戻り鰹も出回らないわけで,見たこともない戻り鰹のことを知ったかぶりして出戻りの女に喩えてしまう満の性格がよく描かれている.
 この時に春は畳に目を落としたままムッとした表情をする.春が舟木家に嫁いだ時点では,春に料理の才能を認め,それ故に舟木の家の嫁に欲しいと懇願したのは伝内ただ一人であった.義母の満も夫の安信も,武家の嫁は跡継ぎを生めばよいのだとしか言わないのである.これは,加賀騒動が落着したあと,春が舟木家を去ることに繋がる大切な伏線の一つである.それを,下の画像のワンシーンで眉間にしわを寄せ,口をとがらせて心中の不満をかわいらしく演じた上戸彩さんに私は拍手する.貴兄も拍手しなさい.
 しかしあちこちのブログに書かれた映画批評をざっと一通り読んだ限りでは,この伏線すなわち江戸時代における武士社会の強固な身分世襲制と,武家に嫁いだ女性の地位役割について触れたものは見当たらない.この時の春の表情が,本作における上戸彩さんの演技中の白眉なのに,みんなスクリーンのどこを観ているのだろう.
 
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 下の画像は,安信が昇進を果たした翌日の早朝,春が南瓜の煮物を拵える場面である.ここで春は手で種とワタを取り除いたが,包丁の背でこそげ取るやりかたがいいらしい.手前に半分に割った南瓜があるが,これを見た限りでは日本カボチャである.当然だが.
 
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 下の画像にあるように,春は南瓜を小豆と一緒に煮た.これは奈良の郷土料理として知られている「(南瓜と小豆の) いとこ煮」だが,江戸生まれの春が作ったところをみると,江戸でも知られていた料理ということだろう.一説には,南瓜と小豆のいとこ煮は,神仏にお供えした南瓜と小豆を下げてから煮たことに起源があり,婚礼や法事の料理であるという.つまり春としては安信の昇進祝いに作ったのであるが,北陸地方の「いとこ煮」は,小豆を大根などの根菜や里の芋と一緒に煮るもののようで,どうやら春の心尽くしは,満には理解してもらえなかったようだ.だがそれは各地の風習であるから致し方ない.味が良いと満にほめられた春はうれしげに微笑むのだった.
  
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 話は先に進んで,この頃から安信はいわゆる加賀騒動に巻き込まれる.
 六代加賀藩主前田吉徳が,軽輩であった大槻伝蔵を側近に抜擢して進めようとした藩政改革は,吉徳の急死で頓挫し,加賀騒動が始まる.このあたりをWikipedia【加賀騒動】から引用する.
 
一方加賀藩の財政は元禄期以降、100万石の家格を維持するための出費の増大、領内の金銀山の不振により悪化の一途を辿っていた。
享保8年 (1723年)、藩主綱紀が隠居し息子の前田吉徳が第六代藩主となった。吉徳はより強固な藩主独裁を目指した。足軽の三男で御居間坊主にすぎなかった大槻伝蔵を側近として抜擢し、吉徳・大槻のコンビで藩主独裁体制を目指す一方、藩の財政改革にも着手する。大槻は米相場を用いた投機、新税の設置、公費削減、倹約奨励を行った。しかし、それらにより藩の財政は悪化が止まったものの、回復には至らなかった。さらに、悪化を食い止めたことを良しとした吉徳が大槻を厚遇したことで、身分制度を破壊し既得権を奪われた門閥派の重臣や、倹約奨励により様々な制限を課された保守的な家臣たちの不満はますます募り、前田直躬を含む藩内の保守派たちは、吉徳の長男前田宗辰に大槻を非難する弾劾状を四度にわたって差出すに至った。
延享2年 (1745年) 6月12日、大槻を支え続けた藩主吉徳が病死し、宗辰が第七代藩主となった。その翌年の吉徳の一周忌も過ぎた7月2日、大槻は「吉徳に対する看病が不充分だった」などの理由で宗辰から蟄居を命ぜられた。さらに延享5年(1748年)4月18日には禄を没収され、越中五箇山に配流となる。
 
 安信の親友である今井定之進は家禄没収の上で加賀藩追放の身となった.定之進と妻の佐与が旅立つ朝,春は二人のために弁当を拵える.映画中で全く説明されないが,薄焼きにした卵の上に薄く削いだ鱒 (鱒寿司と同じ) を載せ,これで酢飯を巻いたものである.これと同じものをウェブ検索したが見当たらない.市販はもちろん,家庭でも作られなくなった加賀の伝統料理なのだろうか,実に旨そうである.しかしこの巻き寿司をノベライズ版『武士の献立』は《定之進と佐与が加賀を離れることを昨夜話すと春は、何も言わずに押し寿司を作り始めた 》として,押し寿司に変えてしまった.著者は春が拵えた寿司を説明するのが面倒だったのかも知れないが,だからといってシナリオを勝手に改変するノベライズがあっていいものか.
 
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 加賀藩守旧派は大槻伝蔵一派を一掃するだけでなく,陰謀は真如院の身にまで及ぶ.同じくWikipedia【加賀騒動】から下に引用する.
 
その後、宗辰は藩主の座に就いてわずか1年半で病死し、異母弟の前田重煕が第八代藩主を継いだ。ところが延享5年の6月26日と7月4日に、藩主重熙と浄珠院への毒殺未遂事件が発覚する。浄珠院は宗辰の生母であり、重熙の養育も任されていた人物である。藩内で捜査した結果、これは奥女中浅尾の犯行であり、さらにこの事件の主犯が吉徳の側室だった真如院であることが判明した。これを受けて真如院の居室を捜索したところ、大槻からの手紙が見つかり不義密通の証拠として取り上げられ、一大スキャンダルとなる。寛延元年 (1748年) 9月12日、真如院の身柄が拘束されたことを聞いた大槻は五箇山の配所で自害した。寛延2年 (1749年) には禁固中の浅尾も殺害され、真如院と前田利和 (勢之佐) は幽閉されていたが、真如院は自ら絞殺を望んでその通りに殺されたという。大槻一派に対する粛清は宝暦4年(1754年)まで続いた。
 
 加賀騒動のスキャンダルとして世に知られた大槻伝蔵の不義密通事件は史実として疑わしいが,本作は歌舞伎や実録本によって世間に流布したいわゆる加賀騒動を一部取り入れ,吉徳の側室お貞の方と伝蔵は相思相愛の間であったという設定になっている.
 金沢城下で拘束されている真如院に会いたい思いが募る春に,満は軽率な行動をするなと命じる.しかし安信は春のために手はずを整え,そのおかげで春は真如院に密かに面会することができた.春は加賀に来て覚えた料理の数々を重箱に収めて持参するが,偶々城下で購った柚餅子も差し上げたところ,真如院は懐かしいと殊の外喜んだ.そして柚餅子がゆっくりと熟成されて作られることになぞらえて,春もそのような夫婦になれよと諭した.
 このシーンを大石直紀によるノベライズ版『武士の献立』は次のようにしている.
 
真如院は、重箱の横に並んだ小皿に目を留めた。柚餅子は小さい頃よく食べた。思わず笑みがこぼれる。
 
 だがこれはおかしい.《小さい頃よく食べた 》などという台詞は劇中にない.これは大石直紀が勝手にシナリオに書き加えたのだ.
 真如院は江戸の芝神明宮の神職の家に生まれた.能登の特産品が江戸市中にまで一般に流通していたとは考えにくいから,真如院が柚餅子を口にしたのは吉徳の側室となって加賀藩江戸屋敷に住むようになってからであり,国元からの献上品を食べたのに違いない.大罪人として幽閉された真如院は,藩主に寵愛されて何不自由なく暮らしていたかつての日々を,柚餅子を見て懐かしんだのだ.《小さい頃よく食べた 》は一体どこから引っ張り出してきたのだと言いたい.
 
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 大槻伝蔵は自害し,真如院は殺害された.こうして加賀騒動は,守旧派の勝利で幕を閉じた.
 守旧派を率いた重臣前田土佐守直躬は,八代藩主重煕の国許入りを祝って徳川家や近隣の大名を集めて饗応料理を振舞うことを企画した.そして舟木伝内が差配を勤めることになった.
 ところが大槻派の残党が前田直躬の殺害を図ったのである.安信もこれに加わろうとしたが,春は安信を死なせたくない一念で,安信の大小を持って逃げた.
 結局残党は全員が討たれた.ただ一人死に損なった安信は怒り心頭で,心ここにあらずの態で家に戻ってきた春を手討ちにしようとする.春は,安信が生きていてくれさえすれば,己は安信に討たれても構わぬと思った.そして安信が刀を振り下ろそうとしたその時,間一髪で満が止めに入った.この親不孝者と,泣き崩れる満の様子を見て安信の気勢が削がれた時に,出かけていた伝内が倒れたと知らせが入る.こうしてその場は大事に至らずに収まった.
 翌日,病床の舟木伝内は安信に,包丁侍の本分は刀剣ではなく料理で主君に仕えることにあると諭す.そして春と共に能登の食材と料理の調査をせよと指示する.能登にはまだ加賀に知られていない食材と料理があるだろう.それを用いて加賀藩饗応料理の完成度を高めたいというのが伝内の目論見であった.
 城下を出立した二人はまず日本海を左手に見て輪島に向かう.安信は,仲間の中で一人生き残ったことで心に深い傷を負った.そのわだかまりを抱えて黙々と歩く.春は,夢中でしたこととはいえ,そのために夫の心がもはや自分を離れてしまったのだと思いつつ,安信の後ろを離れて歩く.下の画像のシーンに,二人の心の距離が描かれている.本作のラストシーンでは,二人が仲睦まじく離れずに歩くのと対照的である.
 
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 輪島から先,能登半島の先端にかけて揚げ浜式製塩 (下の画像) が盛んな村々があった.これは今でも石川県の文化財としてわずかに行われているようだ.ロケ地は株式会社奥能登塩田村と思われる.左奥の建屋には鹹水を煮詰める釜がある.
 
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 塩の味は,塩田ごとに異なるという.日本古来の製塩方法は,濃縮した海水 (鹹水) を釜で煮詰めて塩の結晶を得るのだが,煮詰める塩梅で塩の組成が違ってくるからであろう.安信と春は塩田を訪ね,作られている塩を舐めては帳面に記録していく.
 塩田を訪ねる旅の途中で春は,柚餅子作りを目にした.今は亡き真如院が,過ぎし日々を懐かしんだ,あの柚餅子である.
 下の画像,和紙に包まれて糸で吊り下げられているのが「輪島の丸柚餅子」である.これは,各地に在る一般的な和菓子の柚餅子と異なり,柚子を丸々一個使うところが他所の柚餅子と違う.元々は能登の柚餅子が全国に伝播しているうちに餅菓子に変化したのであろう.丸柚餅子は,いささかお値段は張るが能登土産として知られ,通販でも購入できる.(柚餅子の資料と通販は柚餅子総本家中浦屋)
 下の場面は,ラストシーンに繋がる伏線である.
 
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 安信と春は,能登漁師たちが使う「いしる」(魚醤) も調査をする.下の画像で安信が手にしている徳利に入っているのが「いしる」だ.鮑等の貝殻に魚介を入れて焼く能登の「貝焼き」は「いしる」で調味するものだという.無論「いしる」は工業生産品ではないから,漁家ごとに風味は異なったであろう.それもまた安信夫婦は帳面に書き留めて旅を続けた.
 能登の塩はともかく,「いしる」を耳にしたことのない人には,全く台詞のないままに進む下の場面は,何のことやら全くわからない.
 
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 下の画像は熟成中の「いしる」の樽.既に述べた鱒の巻き寿司と同じく,これについても劇中で全く説明がないが,映画の観客が物語を追体験することを欲するならば,映画に対して能動的に関わるべし (つまりわからないことは自分で調べよ!) というのが監督の姿勢なのだろう.文学作品も映画も同じだ.漫然とスクリーンを眺めていたのでは物語を理解できないという映画作法に私はむしろ好感を持つ.
  
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 時には野宿をしながらの長い旅は,女の身の春には辛かったであろう.しかし安信の調査を助けながら,足袋に血を滲ませながらも健気につき従ってくる春を見て,一度は凍りかけた安信の心は遂に融けた.春を,この妻をいとおしく思った.
 ちなみに邦画の名作『砂の器』で,石川県の寒村に生まれた本浦秀夫と父・千代吉が放浪の旅に出たのが能登であった.安信と春の二人が海岸を旅する光景は『砂の器』へのオマージュである.
 
 能登の旅から戻った安信は,伝内を後見にして加賀藩伝統の饗応料理の献立を作成した.それには能登の旅の成果を取り入れた.
 そして饗応の当日,安信は伝内に代わって差配を執った.
 だが伝内父子が城中で一世一代の技を揮っているとき,春は舟木の家を出た.あの日,舟木伝内は厨房の土間に膝をついて,安信を一人前の包丁侍にしてくれと春に頭を下げた.安信が立派にお役目を果たす侍になった今,自分の役目はもう終わったと思ったのである.
 真如院の墓前に柚餅子を供え,柚餅子のような夫婦になれませぬでしたと春は掌を合わせ,脚は北へ向かった.
 
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 それから暫く経った頃,舟木家から出奔した春は,能登の浜で海女相手の食い物商いをして暮らしていた.能登は,かつて夫と旅した思い出の地である.
 海女のために貝焼きを拵えていると,「うまそうだ」と懐かしい声がした.
 
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 安信は,春をみつけるまで戻るなと伝内に命じられたと言った.
 そして,満には,孫を生むのは春しかいないと言われたと.
 安信は,二人で能登を旅した時以来,春以外の妻は考えられなくなっていた.だから頭を下げた.俺と一生を共にしてくれと.
 
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 こうして安信と春の夫婦の絆は確かなものとなった.
 それからまた少しして,能登から金沢へ向かう街道に二人の姿があった.それは,春を安信と巡り合わせてくれた恩人であり,優しかった真如院を偲びながらの帰路であった.春は通りかかった村で柚餅子を購い,夫婦は路辺の地蔵尊に柚餅子を供え,供養とするのであった.
 ちなみに,本作における舟木安信のモデルは,加賀藩御料理頭に登った二代目舟木伝内すなわち長左衛門安信である.舟木家当主たちの書き遺した書物のうち,安信が著したとされる『料理の栞』は国会図書館にある.
 
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 邦画の楽しみ方は様々だろう.とりわけ時代劇は.
 よく言われることだが,海坂藩の武士たちは現代に生きる私たちなのである.そして,加賀藩の包丁侍も,その妻も,私たちなのだ.
 だとすれば,ある場合には,映画を作った者の意図を離れた鑑賞も許されるだろう.
 例えば,南洋諸島における玉砕で死に損なった兵士はその後の人生をどう生きたか.これは戦後の文学と映画のモチーフの一つとなった.
 例えば私と同世代なら,バリケードに立て籠もった友たちが大学を追われたあと,日常性に復帰したたくさんの安信たちはそれからあとをどう生きたか.
 老人は時代劇を観て,そんなことを考えるのである.

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2019年8月24日 (土)

群ようこ『れんげ荘』

 群ようこという作家はストーリー・テラーではないので,エッセイにしろ小説にしろ,彼女の作品世界は狭い.肉親との争い,広い意味での断捨離,ネコとの暮らし etc. が基調音になっている.『れんげ荘』は,会社勤めにほとほと愛想が尽きた中年の独身女性が,四十五歳で退職し,東京の都市部にある極端なボロアパートに引きこもり,貯えを取り崩しながら暮らすという話だ.一種の断捨離譚だが,モノを捨てるに留まらず,主人公は人間関係などのしがらみも整理してしまう.この小説のテーマは,そのような生活が可能かどうかということである.
 
 残念なことに,作者の群ようこには,最底辺の生活に関する知識も経験もないから,この小説にはリアリティがない.想像力と調査能力があれば,経験がなくてもリアリティのある物語を書けただろうが,群ようこにはその力がなかったということである.
 例えば小説の基本設定として,主人公は「月々十万円を銀行口座から引き出して生活し,無収入で三十数年間生きるだけの預貯金を持っている」とされているのだが,この「月々十万円を銀行口座から引き出して生活する」という設定の詳細が曖昧なのである.家賃と電気代.国民健康保険料,国民年金保険料,電話料金などは実際上,銀行口座からの引き落としとなるが,この種の経費のことは非常に重要なことなのに『れんげ荘』には一切書かれていないのである.十万円にこれらが含まれるかどうかで,主人公の持っているとされる預貯金額が大幅に異なってくるのだが,小説中ではこれが曖昧にされていて,「口座残高が八桁」とだけ書かれている.しかし簡単に「八桁」といっても,九千万円と五千万円ではエライ違いだ.
 
 作者の群ようこは,たぶん年金システムについての知識がない.健康保険は一種の税金だが,それを多分知らない.生活保護制度における「最低生活費」が東京都ではいくらに設定されているかも知らないに違いない.もし知っていればこんな空想貧乏小説は恥ずかしくて書けなかっただろう.(最低生活費については,弁護士などの専門家が解説しているサイトがある.関心ある向きはウェブを検索されたい)
 高齢の年金生活者にとっては常識だが,無職で生活をするに際して決定的に重要なのは住居費である.これと最低限の食費,年金保険料と健康保険料等々の義務的経費,年齢に並行して増加する医療費,厚労省が想定している「健康で文化的な生活」に必要なお金を合計すると,月々十万円では東京都の都市部では毎月五~六万円が不足する.しかし申請すれば様々な条件付きではあるが,不足分がいわゆる「生活保護費」として受給できるわけだ.
『れんげ荘』の主人公の生活は生活保護レベルの収入 (預貯金の取り崩し) しかないのに,姪に高価なアクセサリーを買ってあげたり,おいしいコーヒーを飲みに出かけたり,健康のためと称してオーガニックの野菜を買って食べている.そして崩壊寸前のボロアパートで一日中テレビを見て過ごしている.たぶんお金に困っていない群ようこの感覚では,こういう生活が月々十万円でもやれることなのだろう.
 
 世の中には,低賃金の仕事しか見つけられずに生活保護を受けながら子供を育てているシングルマザーや,国民年金と生活保護だけが頼りの独居老人がたくさんいる.そしてそのような人々について書かれたルポルタージュは多いが,たぶん群ようこは読んでいない.彼女は作品中で森茉莉への憧れを滲ませているが,彼女の関心は森茉莉的生活であって,底辺の社会的弱者には向いていないのである.
 自分の身辺雑記なら空想小説に過ぎないと批判されることはなかろう.群ようこは,その種のエッセイや,あるいは未婚独身女性が憧れるおしゃれな小説 (『パンとスープとネコ日和』的な) を書くにとどめているのがいいと思われる.

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2019年8月20日 (火)

お箸の国の人なのに (十)

 アマゾンのプライムビデオで提供されている無料コンテンツに『武士の家計簿』がある.(2019年8月21日現在)
 この映画は磯田道史先生の『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』を原作 (映画の概要も同じWikipedia項目に書かれている) として,平成二十二年 (2010年) に制作された.監督は森田芳光.堺雅人,仲間由紀恵などの豪華なキャスティングで,そこそこのヒット作だった.劇場公開時,私は既に原作を読んでいたので映画館に足を運ばなかったのだが,無料ならば観ないテはない.
 この映画 (以下,単に『武士の家計簿』) の冒頭で,加賀藩御算用者・猪山家七代目の猪山信之 (中村雅俊) が家族と食事する場面がある.以下,画像はプライムビデオ画面をカメラ撮影し,トリミング等の加工を行ったものである.
 下の画像で正面奥は猪山家当主の信之,右側手前に座しているのが主人公である猪山家八代目猪山直之 (堺雅人),その正面は直之の妹の春 (桂木悠希),直之の右隣りは祖母「おばばさま」(草笛光子),春の左隣は信之の妻の常 (松坂慶子) である.なお,この家族構成は,原作とは異なっている.
 
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 団塊世代である私よりも一世代以上若い人たちはこのシーンを見てもどうも思わないだろうが,時代劇が身近であった今の高齢者は,この食事場面に時代考証上の疑問を感じるかも知れない.疑問というのは,膳の並べ方というか,家族の序列のことだ.
 私自身がこの目で武家の食事を見たわけではないのであるが,戦後の昭和でも格式の高い家庭では,家長と息子たちは床の間のある部屋で食事し,女性たちは敷居を隔てた次の間に膳を並べたようだ.岩村暢子さんの著書にそう書かれている.
 いわんや家父長制と男尊女卑の堅固であった江戸時代に,上の画像のような序列で膳を並べる食事シーンがあったとは到底考えられない.この膳配置では,家族の序列が信之,おばばさま,信之の妻,直之,直之の妹になってしまうが,元服を過ぎた一人前の嫡男である直之の序列は家長である信之の次であらねばならない.従って時代考証的に正しくは下図の配置である.信之と直之の膳は床の間のある部屋に置かれ,女性三人の膳は下座にあたる手前の部屋に置かれねばならない.女性三人の中で序列最下位の春は給仕係であるが,画面では春の脇に茶の土瓶と湯呑があるのに飯櫃が置かれていないのはおかしい.こういう細かいところを手抜きするとリアリティが失われるのだ.
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    信之
       直之
 
 ++++++++++++++++++++++++ 敷居
 
  常    おばばさま
       春 
----------------------------
 しかし上図のように膳を配置すると,家族団欒の様子を演出しにくいだろうことは容易に理解できる.実際にこのシーンでは,婿養子である信之の自慢話を遮って常とおばばさまが勝手に喋るのだが,森田監督は,時代考証的正確さよりも,テレビのホームドラマの手法で猪山家の食事場面を描写することを優先させたと考えられる.(参考資料;《食事シーンの演出作法 重要10か条》)
 しかし家族の序列の件は致し方ないとしても,このシーンには他に問題がある.それは手前の四人が畳の縁の上に正座していることだ.現代でも旅館に泊まった折に部屋で食事を摂る場合,膳は客の脚が畳の縁に乗らぬように置かれることになっている.すなわち下の場面では,手前の四人は,それぞれ後ろに三十センチくらい下がるのが正しい.これはドラマの演出意図を妨げるわけではないから,疎かにして欲しくなかった.
 
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 数年後,直之は,剣の稽古に通っていた道場の娘である駒 (仲間由紀恵) を娶る.下の場面は,その後の猪山家の食事の様子だ.直之の妹の春は他家に嫁いだらしい.
 手前の四人の位置が左右に離れて,各自の脚が畳の縁に乗っていないのは,これで正しい.正しいのは結構だが,それならばなぜ上に掲げた画像では四人が畳の縁に乗っていたのか.このように場面間の整合性がとれていないのは,時代劇の演出作法について何も考えずにテキトーに撮影しているからだ.
 しかしそれよりも大きな問題がある.それは,駒を嫁に迎える前には家族の序列で二番目であったおばばさまが突然,末席に座らされていることだ.おばばさまは猪山家先代の未亡人である.家族全体のうちの序列はナンバー・ツーで,女性たちの中での序列はトップのはずである.それが何の説明もなく,実の娘の常や嫁の駒よりも下座に膳を置かれている.そこは末席であり,給仕役が座る位置であるが,さすがにナンバー・ツーに給仕をさせるのはマズイと森田監督は思ったか,おばばさまの脇には土瓶も飯櫃もない.まことにその場限りの演出であり,テキトーこの上ない.
 こんな膳の配置になってしまった原因は,直之と駒の夫婦を隣り合わせに座らせたことである.直之と駒が,飯を食いながら見つめ合ったり手をつないだり腿をつねったりしてイチャイチャするというのなら話はわかるが,そのようなことはしないのである.となると二人が隣り合わせに座る意味が不明である.森田監督が時代考証を無視してでもホームドラマにしたかったのであれば,仲間由紀恵さんが堺雅人の腿をつねり,何か思い出すように頬を赤らめて「うふ」とか言って欲しかったと思うのは私だけではあるまい.私だけですか.そうですか.
 
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 以上のように,森田芳光監督という人は時代考証に無関心であることが歴然としており,映画『武士の家計簿』は時代劇として完全に破綻している.原作の『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』は,磯田道史先生が偶々入手した実際の武家の家計簿を題材にして,江戸末期の下級武士の生活を実証的に描いた作品である.ところが森田監督は『武士の家計簿』を,あちこち辻褄の合わない杜撰なホームドラマ化することで,原作の持つリアリティを台無しにしてしまった.まことに残念である.
 ちなみに,映画『武士の家計簿』と同じく実在した加賀藩の下級武士をモデルに描いた朝原雄三監督作品『武士の献立』には,つぎのシーンがある.
 
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 上に掲げた二つのシーンのうち,上は加賀藩台所方・舟木安信 (高良健吾),母の満 (余貴美子),妻の春 (上戸彩) の三人が食事する場面である.
 下は江戸詰めの舟木家当主・舟木伝内 (西田敏行) が加賀に戻った際の夕餉の様子である.
 いずれも武家における家族の序列に従って正しく膳が配置され,給仕役の春の脇には飯櫃と茶の土瓶が置かれている.まことに時代劇らしい行き届いた演出である.
 加賀藩の下級武士を描いた二つの映画が,片方は駄作になり,もう片方は佳作になった.映画はまことに監督の力量次第であるというよい見本だ.
『武士の献立』については稿を改めて感想を記すことにして,『武士の家計簿』の緩みきった細部描写を挙げる.箸と椀の作法のことである.
 下の画像は,猪山信之 (中村雅俊) の手元をアップにしたものである.見ての通り,右手人差し指の方向と親指の方向が直行している.これでは箸が平行に揃ってしまうから,箸先を大きく開閉できない.これは典型的なダメな箸の持ち方である.
 
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 上の画像で,左手の人差し指が飯椀の側面に添えられている.このようにする場合は,親指を椀の縁に乗せずに,人差し指と同じく椀の側面に添えなければいけない.親指を椀の縁に乗せる場合は,残りの指四本を揃えて椀の底を支えるように持つ.それが武士の食事作法である.
 もちろん中村雅俊が日常の飯を食う時にどんな箸と椀の持ち方をしようが中村の勝手である.しかし加賀藩士猪山信之が食事する際には,きちんと武士の作法通りに箸と椀を使わなければいけない.そんな自明のことを役者に指導できない映画監督は時代劇に手を出さぬがよろしい.
 事のついでに,当たるを幸いに主要なキャストの箸遣いを列挙する.まずは,おばばさま (草笛光子).
 画像中の赤い矢印で示した親指は,中村雅俊と同じ持ち方の間違い.正しくは人差し指の先端に添えられねばならない.彼女の年齢からすると,箸をまともに持てないのは少数派であったはずだが,遂に直す気がなかったということか.
 
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 次は松坂慶子と桂木悠希.二人とも武家の女とは思えぬ飯の食い方である.
 
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 主演の堺雅人はどうかというと,箸はちゃんと持てていたが,椀の持ち方が見苦しく,それどころか,下の画像に示すように,芋に箸を突き刺して食うという狼藉を働いた.
 芋に箸を突き刺すという武士の作法にあるまじき行為を行い,しかも何やら意味ありげに芋を見るというアクションに,物語の進展上の何らかの意味 (これすなわち伏線である) があるかというと,全くそんなことはない.このシーンのあと,芋のことは全く出てこないのだ.
 つまりただ単に堺雅人は箸で芋を持てなかったのでそうしたようだ.ということは,このアクションは物語の進行上,全く無意味なのである.森田監督は,無意味なアクションを行うよう堺雅人に演技指示し,意味ありげに撮影して観客に見せたのだ.無意味な演技が増えれば,映画から緊張感が失われる.昔の映画監督の作品には,俳優の演技も大道具も小道具も,それしかあり得ないという緊張感があった.それを考えると,いかにこの監督が映画というものをナメているかがわかるシーンだ.
 
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 以上の役者たちは,時代劇に出演せぬがよかろう.
 ついでに言うと,日本の作法では,箸と筆記具特に万年筆の持ち方は同じである.箸が持てぬ者は金釘流と相場が決まっておる.
 鉛筆はデタラメな持ち方でも字を書けるが,その場合は適切な筆圧を加えることができないので,芯が硬いHBの鉛筆ではきれいな字を書けない.最近の小学校では4Bの鉛筆を使っていると聞くが,それは子供たちも教師も箸を正しく持てないことと関係している.
 箸を正しく持てない者は,万年筆をすぐに壊すだろう.筆記具のパイロットがCМに吉永小百合様のご登場をお願い致しているが,それは小百合様の万年筆の持ち方が正しいからである.このCМは,株式会社パイロットコーポレーションの見識を示すものである.残念なことに,私と同世代の人間でも,箸と万年筆を正しく持てる者は少数派になってしまったが,それだけにこれは貴重な映像である.




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2019年8月15日 (木)

真・眠れる森の美女

 先日,映画館で『天気の子』を観たのだが,本編上映が始まる前の予告編は今秋公開の『マレフィセント2』と『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』だった.そういえば日本でも大ヒットした『マレフィセント』を私は観ていなかったので,中古のブルーレイを買って鑑賞してみた.
 
 ディズニー・プリンセスたちの中で,やや存在感に欠けるのがオーロラ姫,『眠れる森の美女』のヒロインだ.この長編アニメは公開当時はあまりヒットしなかった.Wikipedia【眠れる森の美女】には次のように書かれている.
 
6年の歳月と600万ドルの費用をかけ、300人のアニメーター、セル画数100万枚。これはディズニー映画史上最も贅沢で豪華な長編アニメ映画である。だが興行収入は530万ドルにとどまった。ウォルト・ディズニーが、本作に注力出来なかった事が作品の質に悪影響を及ぼしたのではないかと指摘する論者もいる。しかし1970年、1979年、1986年の再公開で人気が高まり、ディズニーの大切な財産となった。
 
『マレフィセント』は,アニメ『眠れる森の美女』の実写版リメイクである.アニメでリメイクした場合は,様々な点でオリジナルとリメイクが競合することになるが,アニメと実写版なら共存できる.
 アニメ『眠れる森の美女』(1959年) は,白雪姫 (1937年),シンデレラ (1950年),ふしぎの国のアリス (1951年) に続くディズニー・プリンセスものの第四作で,ストーリーがいかにも古臭い.また,女性の受動的な描き方は,女性差別だと言われても仕方ないところがある.しかし最近のディズニー作品は,かつて女性差別のシンボルだと批判されてきたアニメのディズニー・プリンセスたちを,実写版化することで現代社会に up to date しようとしているかに見える.このディズニー映画の動きは最初に,アニメの実写化作品ではない『魔法にかけられて』で,ディズニー映画自身の過去の作品をパロディ化 (セルフ・パロディ) することで始まった.その路線上で,ベルもエラも,誰かが幸せにしてくれるのを待つだけのヒロインから脱却したのである.
『魔法にかけられて』以後,それまでの古臭いディズニー映画を,ディズニー映画作品が自ら嘲笑するときのキーワードが“true love's kiss”だ.(『魔法にかけられて』の主題歌“True Love's Kiss”の歌詞はここ)
 
 歌詞中の someone who was meant for you すなわち「あなたのために生まれてきた人」は,「赤い糸で結ばれている人」「運命の人」のこと.ロマンティックではあるが,ただの一目惚れを true love だと言い張っているのである.
 元祖 true love kiss はディズニーの『白雪姫』(YouTube 前半後半) だが,アニメ冒頭で,ボロを着て井戸の水汲みをしている白雪姫に王子様は一目惚れする.容姿の可愛らしい娘であれば,性格なんかはどうでもいいという王子様の頭の中身がまる見えだ.
 ちなみにグリム童話の『白雪姫』はもっと酷くて,Wikipedia【白雪姫】には《そこに王子が通りかかり、白雪姫を一目見るなり、死体でもいいからと白雪姫をもらい受ける 》なんて書かれている.そのため「本当はこわい」ブームの時に,王子様は本当は変態だとまで言われた.
 それはいくら何でも,と思われるが,一目惚れは一時の気の迷いであることが多い.そのため,おとぎ話の結びの決まり文句は“They lived happily ever after. ”であるが,これは“They lived happily ever after although they got married. ”の省略形であると言われる.誰が言っているかというと私だ.
 
『マレフィセント』は,この『白雪姫』型の true love's kiss を否定したものだが,『魔法にかけられて』のようなパロディではなく,いたって真面目なシナリオである.しかしさすがにアニメ映画史に傑作として残る『白雪姫』を,またディズニー・プリンセスの二枚看板である『シンデレラ』と『美女と野獣』をパロるわけにはいかなかったのであろう.そこでディズニー・プリンセスの中では影の薄いオーロラ姫を語り手に設定し「真・眠れる森の美女」として実写化されたのが『マレフィセント』なのである.
 その意図は達せられたと評価されるが,しかしこの作品は true love's kiss を否定するあまり,オーロラ姫の父である国王は,権力欲のためには平気で恋人を裏切る最低男として描かれている.またオーロラ姫はオーロラ姫で,父である国王を墜落死に追い込んでも心に何らの葛藤も呵責も覚えずに笑顔で女王の座に就いている.というわけで『マレフィセント』は,元々はおとぎ話なのに,まことに幼児教育的に好ましくない映画となっている.w

 そんなわけで『マレフィセント』を鑑賞した感想は「まぁまぁ」なのであるが,一つ不満がある.それはオーロラ姫にかけられた呪いのことだ.
『マレフィセント』以前のこととして,そもそもグリム童話でもディズニーのアニメでも,『眠れる森の美女』のお話には不可解な謎がある.それは,オーロラ姫にかけられた呪いの「糸車の針」とは一体何か,ということなのである.
 これについては,私は以前にも記事《蚕のこと 》の中で指摘したことがある.下にそれを転載する.
 
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蚕のこと  (以下,原文の一部を転載)
…  
 話は横に逸れるが,糸車については面白いことがあって,『眠れる森の美女』で主人公の王女は「指を糸車で刺して死ぬ」という呪いをかけられて長い眠りにつくのであるが,実は糸車には指を刺すような部分がないのである.
 ちなみに Wikipedia 【眠れる森の美女】から物語を抜粋してみると次のようである.
 あるところに子どもを欲しがっている国王夫妻がいたが,ようやく女の子を授かったので祝宴に十二人の魔法使いが呼ばれた.魔法使いはそれぞれ魔法を用いた贈り物をするが,その途中で,祝宴に一人だけ呼ばれなかった十三人目の魔法使いが現れて「王女は紡錘が刺さって死ぬ」という呪いをかける.まだ魔法をかけていなかった十二目の魔法使いがこれを修正し,「王女は紡錘が刺さり百年間眠りにつく」という呪いに変えた.呪いを取り消さなかったのは修正する以外に方法がなかったためである。
 王女にかけられた呪いを心配した王は国中の糸車を燃やさせてしまう.ところが王女は十五歳の時に一人で城の中を歩いていて塔の上に上ってしまい,塔の一番上で老婆が紡いでいた紡錘で手を刺し,眠りに落ちてしまう.塔は呪いによって茨が繁茂して誰も入れなくなった.
 さて百年後に,近くの国の王子が噂を聞いて城を訪れる.ここから先は黄金のパターンで,王子がキスをして王女は目を覚まし,結婚して幸せな生活を送ったとさ.よかったよかった.
 
 というのが『眠れる森の美女』のお話であるが,問題は紡錘 (スピンドル) である.上に書いたように紡錘には別段尖った部分はないから,どうすれば指に刺さるかがわからないのである.
 ここら辺のことは Wikipedia【糸車】の「物語の中の糸車」節にあるので,興味ある向きはどうぞ.
 またこの節には,
《英語の「spinster」という語は優れた紡ぎ手を指す古語だが、後に結婚しない女性のことも指すようになった(糸紡ぎの仕事で結婚しなくとも自活できるとの意味)。》
とも書かれている.
 少年の私が民家で見かけた糸を紡ぐおばあさんは,たぶん戦前の少女の頃から絹糸を紡いできた熟練の spinster で,だから誤って紡錘を指に刺して眠ってしまうようなことはなく,白馬の王子様にキスされることもなかっただろう.しかしやがてその spinster は,もう一つの語義とは異なって嫁ぎ,そして子や孫に恵まれ,老いたその日もゆっくりと糸車を回しながら糸を紡いでいたのだろう.私の記憶の中の糸車は,そういう光景の中にある.
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 上の文章は何しろ六年も前に書いたものなので,文中のWikipediaの記述も現在のものとは異なっている.そこでWikipediaから以下に直接引用する.ただし2019年8月17日時点で掲載されている記述内容である.
 
* Wikipedia【眠れる森の美女】の,呪いに関する箇所
祝宴に招待された12人の魔法使い達は、それぞれ「徳」「美」「富」など魔法を用いた贈り物を王女に授けるが、11人目の魔法使いが贈り物を終えた直後、突如として13人目の魔法使いが現れ、1人だけ祝宴に招待されなかった報復として、「王女は15歳になると、紡ぎ車の錘が指に刺さって死ぬ」という呪いをかけて立ち去る。王と王妃をはじめ城の人々が大騒ぎする中、まだ贈り物をしていなかった12人目の魔法使いが「この呪いを取り消すことはできないが、呪いの力を弱めることはできる」と言い、「王女様は死ぬのではなく、100年間眠り続けた後に目を覚ます」と告げた。
王女の運命を心配した王は、国民に命じて国中の紡ぎ車を焼き捨ててしまう。王女は順調に育っていくが、15歳になった時、一人で城の中を歩いていて、城の塔の最上階で一人の老婆が紡ぎ車を使い糸を紡いでいるのを見て興味を示し、紡ぎ車に近寄った途端に錘が手の指に刺さり、王女は深い眠りに落ちる(この老婆の正体は13人目の魔法使いであったとも言われる)。
 
* Wikipedia【眠れる森の美女 (1959年の映画)】の,呪いに関する箇所 
「16歳の誕生日の日没までに糸車で指を刺して死ぬ」という呪いをかけてしまう。
 
* Wikipedia【糸車】の,呪いに関する箇所
『眠れる森の美女』では、主人公の王女は「指を糸車で刺して死ぬ」という呪いをかけられ、死んだような眠りに陥る。この物語は多くの童話集に採録され、バレエや映画に脚色されているが、糸車には指を刺して死ぬほどの部分がないことから「指を糸車で刺して死ぬ」とはどういうことか、糸車の専門家の間で議論となってきた。ヨーロッパの非常に古いタイプの糸車はフライヤーやボビンにあたる部分がなく、「グレート・ホイール」同様に紡錘の部分で糸が紡がれていたため、繰り返しの使用で磨り減った紡錘は鋭くなる。このため、紡錘部分に指が刺さる危険があるのではという意見もある。また、糸巻き棒の先で刺したのではないかという推測もされる。
 
 Wikipedia【糸車】には,糸車の構造が図解されている (下図) のであるが,これは残念ながらグリム童話『眠れる森の美女』の時代よりも後の,十六世紀以降に考案された道具のようだ.
Ito_guruma
(Wikipedia【糸車】から引用;パブリックドメイン)
 
 古い型の糸車では,フライヤー(f) とボビン(m) がなく,その代わりに紡錘 (下図で,紡ぐ人の左手よりも下に描かれている道具;パブリックドメイン) が,上図のフライヤーとボビンと同じ位置に,同じ軸方向で取り付けられている.紡錘には,普通の使用状態では,指を刺すような尖った部分はない.上端はかぎ針になっていて,下端は独楽の足状である.
Bousui
(Wikipedia【紡錘】から引用;パブリックドメイン)
 
 さて『マレフィセント』では,オーロラ姫の指を刺した糸車は,どのように描かれているか.(下に掲載した画像はBDを再生したテレビ画面をカメラで撮影した)
 
20190816b
 
 (上の画像) 国王が国中の糸車を集めて破壊したスクラップの中から,呪いによって糸車のパーツが寄せ集められて魔法の糸車が召喚され,オーロラ姫を引き寄せる.国王は,集めた糸車を壊すだけでなく焼却してしまえば,呪いの糸車は召喚されなかったように思われるが…
 
20190817b
 
(上の画像) は謎の部品.は,を支えるための単なる横棒のように見える.本来ならばここに回転する紡錘が取り付けられているはずだ.
 
20190816c
 
 謎の部品の端には鋭く長い金属針が取り付けられている.私が調べた限り,謎の部品のような部品を有する糸車はこの世に存在しない.つまりこれは,オーロラ姫の指を刺すためにだけ作られた物体である.
 すなわち,魔女の呪いが「フライパンの針に指を刺して」であったなら,柄に部品が取り付けられたフライパンが召喚されて,オーロラ姫の指に刺さったであろう.
 こうして『マレフィセント』の制作陣は,従来から謎とされてきた「糸車の針」が一体何なのかという問題は無視して,「指を刺すための針を何の理由もなく取り付けた糸車」を強引に登場させることで,この難しいシーンを乗り切ったのである.
 しかし映画ファンとしては,やはり「オーロラ姫の指を刺した糸車の針」の謎に挑戦し,糸車を見たことのある者が納得できる解答を示して欲しかった.それが残念だ.

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2019年8月14日 (水)

モトをとりたくて (二)

 この記事の前に書いた《モトをとりたくて》に次のように書いた.
 
《(テレビドラマ『パンとスープとネコ日和』には) 無意味な小道具として野良猫が登場する.それは別に構わないけれど,シナリオも演出も,野良ネコの常識的な保護の仕方,家猫としての飼い方を全く知らないのが情けない.制作されたのは2013年だから,ネットにすでに猫動画があふれていたはずで,視聴者に「そんなことも知らないのかよ」と言われても仕方ない.
 
 明治の文豪から現代の猫マンガ家に至るまでの作家たちの中で,猫の描写をさせたら一番なのは群ようこだと私は思う.それなのに,テレビドラマ『パンとスープとネコ日和』に登場する猫「たろ」の存在感のなさは一体どういうことだろう.「たろ」がいなくても,このドラマは成立してしまうのだ.
「たろ」の描写に納得が行かなかった私は,ハルキ文庫の『パンとスープとネコ日和』を読んでみた.
 その前に一つ.
 奥付の前のページに,角川春樹事務所から単行本が出たのは《二〇一二年四月 》だとある.だとすると,作者がこの小説を執筆したのはおそらく平成二十三年 (2011年) のことだろう.ネット上の書評に,群ようこ『パンとスープとネコ日和』はテレビドラマのノベライズだと書いている人がいるが,どこからそんな話を仕入れて吹聴しているのだろう.原作はテレビドラマの二年前に書かれたものだと,一言書いておく.
 さて「たろ」のことだ.テレビドラマでは脚本家も演出家も猫についての知識経験がないと見えて,全く存在感がなかったが,群ようこの原作ではそんなことはなかった.きちんと彼女の猫ワールドに属する作品に仕上がっている.
 
「たろ」のことに限らず,テレビドラマのほうは原作の設定を変え過ぎだと思う.それが良い結果を生むなら結構なことだが,このドラマでは無意味なシーンを作ってしまったりして,悪いほうに転がってしまっている.群ようこの原作とテレビドラマと,どっちがよいかと世の猫好きに訊ねたら,百人のうちの百人が原作だと言うに違いない.
 やっぱりテレビドラマというのは,お手軽に作れるものなんだろう.それなりのものしかできないのは仕方ないと思う.

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