続・晴耕雨読

本や映画などについて.

2020年9月11日 (金)

無名の樺太犬の物語

 フジテレビ《世界の何だコレ!!ミステリー》は,同工異曲の番組がいくつかある中で,私が好きなものだ.MCは雨上がり決死隊の蛍原徹と,きゃりーぱみゅぱみゅちゃんだが,МCなのにきゃりーちゃんは顔を出しているだけで,ほとんど何もしない.しかしかわいいからそれでよい.
 それはそれとして,一昨日の放送の目玉は,南極の昭和基地に置き去りにされたが奇跡的に生き延びたカラフト犬のタロとジロの話題だった.
 番組の紹介記事に下のように書かれている.
 
映画『南極物語』にもなった、タロ・ジロ奇跡の生還物語。南極地域観測隊・越冬隊の引き継ぎが、悪天候のため上手く行かず、15頭のカラフト犬が南極に置き去りにされてしまった。だが、その1年後、タロ・ジロの2頭だけが無事に生還、隊員と奇跡の再会を果たしたのだ。だが、この生還劇には専門家にも長年解決できなかった大きな謎があった。「なぜ幼き、2頭のタロ・ジロだけが極寒の南極で生き延びることができたのか」奇跡の再会から60年…当時の越冬隊員で犬係を務めていた北村泰一氏が、犬たちへの償いの気持ちをこめ“長年の謎”の解決へ動き出した。そして導き出された答えには、もう1頭の犬の存在が!?あの極寒の南極で一体何が起きていたのか…スタジオも感動に包まれた、驚きの結末とは?
 
 私は全く気が付かなかったのだが,六十年も前のタロとジロの物語に,新たなエピソードを加える書籍が半年前に出版された.『その犬の名を誰も知らない』(嘉悦洋著,北村泰一監修:小学館集英社プロダクション,2020年2月20日) である.
 一昨日の《何だコレ!!ミステリー》は,この本を下敷きにして再現VTRで構成したものである.
 きゃりーちゃんは感動して涙ぐんでいたが,タロとジロと南極越冬隊を遠い思い出に持つ爺さんの私も目頭が熱くなった.
 テレビを見終えるなり『その犬の名を誰も知らない』をAmazonで注文しようと思ったら,既に目ざとい転売屋の活躍するところとなっていた.
 しかしそうであるなら電子書籍で私は構わないのでKindle版を買った.
 団塊高齢者の,とりわけ愛犬家の諸兄,これは懐かしくも胸熱くする物語だ.一読をお勧めする.

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2020年9月 9日 (水)

リアルプリンセスから「眠り姫」

 見逃したNHK《リアルプリンセス》の再放送 (総集編42分版,9月8日) を観た.最初の放送は「第1回 眠り姫」(8月21日 夜10時45分~) 「第2回 ラプンツェル」(8月28日 夜10時45分~) だった.番組サイトはここWikipedia【リアルプリンセス】の記述冒頭を下に引用する.
 
『リアルプリンセス』は、日本の女性小説家6人によるアンソロジー短編小説集。『asta*』(ポプラ社)2016年2月号から2017年1月号に連載され、2017年1月にポプラ社より刊行。加筆・修正を経て2019年4月にポプラ文庫より文庫化された。古今東西の数あるプリンセス・ストーリーの中から作家自身が選んだ童話6作品を題材に、舞台を現代に置き換え、現代に生きる女性の物語として描く。
 
 原作になったアンソロジーは読んでいなかったが,NHKの番組宣伝をチラと見て気になっていたのである.
「眠り姫」の広末涼子さんの朗読と静止画に近いアニメーションの効果は凄く,久しぶりに,引き込まれるようなミステリーの醍醐味を味わった.
 テレビ作品がよすぎたので,むしろ原作は大したことないんじゃないかとひねくれたことを考えたが,思い直してポブラ社の文庫本を注文した.
 第3回の放送はあるのだろうか.番宣はやっていないが.



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2020年5月30日 (土)

続・せいやのエブロン

 三ヶ月近く前の記事《「せいやのエプロン」》[掲載日 2020年3月8日] に《料理が全くできない霜降り明星・せいやが,料理の先生について学ぶという冠特番「せいやのエプロン」(テレビ朝日,3月7日放送) が面白かった 》と書いた.
 面白い企画だったし,料理の先生 (藤田貴子さん) と霜降り・せいやの取り合わせが抜群によかったので,レギュラー番組にならんかなーと思っていたら,テレビ朝日《マツコ&有吉 かりそめ天国》[放送日 2020年5月29日] の中で単発の続篇が放送された.
 今回の料理は「南禅寺蒸し」(茶碗蒸しの一種) で,料理初心者にはかなりハードルが高いもの.藤田先生は,せいやに「わかりやすく教える」なんて気はないから,そこが爆笑ものだ.いやー,ぜひ続けて欲しいよ,この企画.


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2020年5月21日 (木)

テレビの名作をもう一度

 コロナ禍のおかげで,テレビ各局の番組が軒並みに総集編みたいなことになっている.
 普段は芸人たちの刹那的なお笑いを見て「わはは」と笑っていたが,既視感のある再編集ビデオを何週間も見てくると,さすがに嫌になってくる.
 それなのに各局とも,かつて名作との評判をとったドラマやノンフィクションものを再放送しようとしない.なぜだろう.権利関係の問題があるのだろうか.
 しかしNHKの古い作品はアーカイブにあるはずで,これは再放送に何の不都合もないはず.事実,小出しにして放送しているのだから,もっと大々的にやって欲しい.
 日本テレビの『ノンフィクション劇場』あたりは,旧作を放映すれば私のような老人たちの絶賛を浴びると思う.ああ,あの「老人と鷹」をもう一度観てみたいものだ.
 ドラマならもちろん東芝日曜劇場の名作を再放送してもらいたい.とりわけ「女と味噌汁」「僕の妹に」「うちのホンカン」は高齢者たちが高視聴率を保証するだろう.東芝がウンと言わないのだろうか.

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2020年4月27日 (月)

疫病にて人の死に行く

 NHK教育《日曜美術館「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」》[放送日 2020年4月19日] は良質のコンテンツだった.
「疫病をこえて」はまず国宝法隆寺金堂釈迦三尊像から語り始めた.
 
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(法隆寺金堂釈迦三尊像;パブリックドメイン,Wikimedia Commons File:Shakyamuni Triad Horyuji2.JPG)
 
 国宝法隆寺金堂釈迦三尊像は,聖徳太子 (番組の中では厩戸皇子ではなく聖徳太子と呼んだ;下記の[*註1]を参照のこと) 逝去の翌年に止利仏師が造ったとされる.蓮弁形光背の裏面には造像の由来についての銘文が記されている.Wikipedia【法隆寺釈迦三尊像】からその銘文の大意を下に引用する.
 
西暦621年にあたる年の12月、聖徳太子の生母の穴穂部間人皇女が死去。翌年(622年)正月22日には太子も病に臥し、膳妃も看病疲れで並んで床に着いた。これを憂いた王后王子等と諸臣とは、太子の等身大の釈迦像を造ることを発願。太子の病が治り、長生きすることを望み、もしこれが運命であって太子のこの世での寿命が尽きるのであれば、極楽浄土に往生されることを望んだ。しかし、2月21日に膳妃が、翌日に太子が相次いで亡くなった。所願のとおり623年3月に釈迦像、脇侍像と荘厳具(光背や台座)を造り終えた。作者は司馬鞍首止利仏師である。
 
 このように聖徳太子本人,母と妻の三人が倒れた病は,諸説はあるが,天然痘 [*註2] だとするのが定説である.すなわち日本仏像美術の源流である法隆寺釈迦三尊像は,ウイルスの流行による災厄から生まれたのである.
 天然痘は,わが国には六世紀に中国・朝鮮半島からもたらされた.初めて天然痘に感染した人々は激甚な被害を受ける.人口の半分を失う可能性があるのだ.人はそれくらい大きい被害の代償として集団免疫 [*註3][*註4]を獲得するのだが,その効果は長持ちしない.人は,飢饉や大災害がないとしてもやがて寿命が尽きて死に,人口が未罹患の世代に交代すると集団免疫は失われる.こうして天然痘は繰り返し繰り返し人類を襲い続けた.世界史的にはローマ帝国で数百万人が死んだ.北米には部族が全滅した先住民があった.中南米ではアステカとインカの二大帝国が滅んだ.極東の小国日本が天然痘ウイルスに滅ぼされなかったのは,六世紀半ばのエピデミック [*註5] に,ある程度の人口が生き残ったからである.
 
[*註1] Wikipedia【聖徳太子】から一部引用.何年か前のテレビ番組で「現在の中学・高校の教科書には聖徳太子という名称はなく,厩戸皇子と書かれている」と放送されたのを観た覚えがあるが,今はさらに,厩戸皇子という人名もなくなったようだ.(下の記述を参照のこと)
歴史家らから(厩戸皇子の存在はともかくとして)「聖徳太子」という呼称の人物像の虚構性を指摘されることは増え、学問的には疑問視されるようになっているので、中学や高校の教科書では「厩戸皇子(聖徳太子)」についてそもそも一切記述しないものが優勢になっている。(わずかに記述される場合でも、少なくとも「聖徳太子」という呼称はカッコの中でしか記述されない)》(引用文中の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
[*註2] Wikipedia【天然痘】から一部引用.
日本には元々存在せず、中国・朝鮮半島からの渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミックが見られたと考えられている。折しも新羅から弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇が仏教の普及を認めた時期と重なったため、日本古来の神をないがしろにした神罰という見方が広がり、仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下するなどの影響が見られた。『日本書紀』には「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられる(麻疹などの説もある)。585年の敏達天皇の崩御も天然痘の可能性が指摘されている。
[*註3] Wikipedia【集団免疫】
[*註4] NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版《感染症の「集団免疫」対策 なぜ英国は撤回したのか?》[掲載日 2020年4月12日]
[*註5] epidemic エピデミック (流行) は,特定のコミュニティ内で特定の一時期に感染症が広がること.(Wikipedia【パンデミック】)
 
 八世紀頃になると,中国から追儺 (ついな) の行事が宮中に伝わり,新年 (立春) の前日である大晦日に行われて年中行事化した.
 その当時は,疫病を目にに見えない鬼に見立てて,陰陽師らが鬼に供物を捧げ祭文を読み上げたあと,鬼を門外に追い払うという形であったが,
やがて九世紀になると鬼の扮装をした者を追い払うという仕方になり,鬼が可視化されるように変化した.
 平安時代 (十一世紀頃) には,宮中以外でも公家や陰陽師などが追儺の行事をする者が増え,各地の寺社でも節分の行事として行われるようになった. 
 
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(融通念仏縁起絵巻)
 
 上の画像は融通念仏縁起絵巻の一場面である.十四世紀に原本が描かれたこの絵巻は,平安時代後期の天台宗の僧で融通念仏宗の開祖である良忍の事績と念仏の功徳を説いた説話を描いている.番組で紹介された画像は清涼寺本といい,室町時代の制作で重要文化財.
 ここでは,
とある屋敷に人々が集まって念仏を唱えている.右半分は屋敷と人々.左側を拡大したのが下の画像だ.いずれも《日曜美術館「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」》の画面を撮影したもの.

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(部分拡大図)
 
 上の拡大図で,屋敷に押し掛けているのは鬼だ.妖怪や物の怪ではない.この鬼たちは疫病,おそらく天然痘である.
 門のところで鬼たちに応接しているのは,この屋敷の主人か家来か不明だが,念仏を唱えに集まった人々の名が記された巻紙を渡している.
 すると鬼の一匹が,名簿にある名に印を書き入れる.この印は,現代の言葉でいうと「抗体ができた」という意味で,もう疫病には罹患しないということになる.これが念仏の功徳である.仏の御加護があるから,人々は密集・密接しているが感染リスクはないのだ.
《日曜美術館》の解説によれば,疫病を鬼の姿に仮託したのは,目に見えぬものへの恐怖からだという.
 確かに,災厄にもいろいろあるが,地震や台風などの災害は一過性だし,特定地域の人口の半分が失われる事態は考えにくい.旱魃や冷夏で飢饉が起きて,たくさんの人々が餓死するにしても,空腹という体感があるから死ぬ理由がわかりやすいかと思われる.
 ところが疫病は違う.目には何も見えないのに,人々が高熱を発して倒れ,全身に膿疱が生じて死ぬ.そして病人死人の周囲に伝染流行し,次々に人々が死んでいく.一家が皆死ぬ.一村が全滅する.恐怖にかられて山に逃げて隠れるも,やがて発症して死ぬ.あるいは飢えて死ぬ.
 まるでこの世の地獄なのに,目には見えぬ.死ぬ理由がわからぬ.これほどの理不尽があろうか.
 そこで絵師たちはその恐怖を鬼の姿に描いた.それは疫病死というものを理解するのに少し役に立ったかも知れない.
 
 しかし,新型コロナウイルス感染症流行の只中にいる私たちには,赤い鬼や青い鬼には恐怖が感じられない.
 そこで昨今のテレビの,新型コロナウイルスを取り上げる情報番組,報道番組において,必ず登場するのは鬼ではなく電顕写真だ.
 
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(アメリカ疾病予防管理センターが作成した新型コロナウイルスの外観図;パブリックドメイン,Wikimedia File:SARS-CoV-2 without background.png)
 
 上の図はCGだが,テレビ番組で毎日目にするので今や誰でも知っているのは透過型電子顕微鏡で撮影された画像だ.これは東京都健康安全研究センターのサイトに数葉の電顕写真が掲載されている.このうち,特に《細胞表面から出芽する新型コロナウイルス粒子を走査型電子顕微鏡にて撮影。(出芽の様子を見やすくするためにウイルス粒子をコンピューター上で青く着色しています)》はおぞましい.現代の悪鬼だ.
 パチンコ屋で呆けたように玉を打ち続けている愚か者たちはもう手の施しようがないから捨て置くとして,単に頭が悪いだけの故に,幼い子を連れて気晴らしに商店街を散歩したり,あるいは公園に集まっている若い人たちには,この電顕写真を見せてあげたい.あなたの体はこのようにして蝕まれるのだよと.彼らはウイルスを我が事として実感できていないのだ.だから,何とかして疫病の恐怖をわからせてあげたい.でも自分が感染するまではわからないだろうが.
 
 七世紀,法隆寺に釈迦三尊像を祀った人々は,天然痘で人が死ぬことを悪鬼の仕業ではなく,神罰あるいは仏罰と理解したようだ.
 それは自らの業であるから,静かに受容するしかなかったであろう.
 
 聖武天皇の御代に伊吉宅麻呂という者がいた.天平八年四月に遣新羅使の随行員として大使・阿倍継麻呂らと出航するが,現在の周防灘で嵐に遭い,漂流の末に豊前国下毛郡に漂着した.その後,宅麻呂は壱岐島まで渡るがここで疫病にかかり卒去した.
 宅麻呂への,作者不詳の挽歌が万葉集第15巻の歌番号3688番に採られている.
 
天皇の遠の朝廷と 韓国に渡る我が背は 家人の斎ひ待たねか 正身かも過ちしけむ 秋去らば帰りまさむと たらちねの母に申して 時も過ぎ月も経ぬれば 今日か来む明日かも来むと 家人は待ち恋ふらむに 遠の国いまだも着かず 大和をも遠く離りて 岩が根の 荒き島根に宿りする君

 秋になれば帰ってきますと母に告げて旅立ったけれど,月日が経っても新羅の国に到着せず,また故郷の大和にも帰らず,君はかの島に眠ったままなのか,と作者は悼む.
 この歌で「家人の斎ひ待たねか 正身かも過ちしけむ」は,疫病を鬼として捉えていない天平の世の時代性を表している.「家人」は「いえびと」と読む.後世の用例とは異なり,妻だけでなく一家の人たちと解する.「家の人たちの祈りが足りなかったのであろうか,あるいは本人に落ち度でもあったのか」ほどの意だろう.疫病死の原因を人の側に求めて受容するのである.死がまことに身近で,抗い難い
時代における諦念と言っていい.それだけに一層,「今日か来む 明日かも来むと 家人は待ち恋ふらむ」が切ない.
 
 現代の私たちは多くの場合,何の咎もない人が感染症で命を落とすことを受容しない.
 だが受容しようと説く少数の者は,人命と経済はバランスをとらねばいけないと言う.
 彼らは,感染症で死ぬ命と,不況で自殺する命は等価である [*註1] [*註2] と言う.感染症による死者を減らしても,日本経済が破綻して自殺する人が増えたら意味はないのだから,つまりは両者の死亡者合計で考えればいいのだと主張する.
 そんなことがあるものか.
 不況下の自殺は,防ぐことができる.人が経済的理由で自殺するのは,政治が彼らを救わないからだ.
 しかしワクチンも治療薬も存在しないステージの感染症死は,致死率という確率に従って生じる.防ぐことができない.
 死というものは数ではない.一人ひとりの人生と死は,一人ひとり異なる.そのことに目をふさぎ,死んだ人間の頭数でしか人の世を見ることのできない人間には,大和田獏さんが妻の遺骨を胸に抱いて振り絞った「悔しくて悲しいです」を,我が事として胸の底にしまうことは遂にできないであろう.
 
[*註1] サンスポ《三浦瑠麗氏、政府に苦言「コロナで死ぬ命と経済で死ぬ命は等価」「経済が死んだら終わり」》[掲載日 2020年3月15日 14:54] から一部を下に引用.
私達がどんなにうまく自粛したり、休校措置に対する対応を頑張っても経済が死んだら終わり。それは経済vs命ではなく、命vs命。コロナで死ぬ命と、経済で死ぬ命は等価なんです。
 
[*註2] 文藝春秋digital《「新型コロナウイルス」で事態を悪化させるメディアと野党|三浦瑠麗》[掲載日 2020年3月9日 16:30] から一部のスクリーンショットを下に引用.
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 ミュージシャンやアスリートやノーベル賞受賞者や,無名の市民たちが,危機感を持ってこの難局を乗り越えようとメッセージを発しているときに,三浦瑠麗は「危機感の感度を下げて日常生活に復帰しよう」と説く.安倍晋三ですら,そんなことは言わない.言っているのは三浦瑠麗と堀江貴文の二人である.
 
[補遺]
 飛騨地方には「さるぼぼ」というお守りが伝えられている.これは伝統的には赤い色の布で作るが,赤は天然痘除けの色であるという.
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2020年4月 8日 (水)

「励ます人」への補遺

 昨日の記事《励ます人》に,日本では絶対にありえないアイドルグループ w “The D-Day Darlings ”による“We'll meet again ”の歌唱がすばらしいと書いた.彼女らの容姿が,もう英国女性としか言いようのない雰囲気なので,「あんまりブリティッシュなので,動画を観てたらコーラが紅茶になっちゃったよ」というコメントがYouTubeに書かれている.
 そこで,活動歴は長いが一昨年になってコンテストで脚光を浴びた彼女たちの歌をもう少し紹介する.
 
White Cliffs of Dover
 改めて書くまでもない Vera Lynn の代表曲へのリスペクト.

Dam Busters
 戦記映画の名作『暁の出撃』 (1955年,イギリス) の主題歌.
 
I'll Remember You
 第二次大戦中のミュージカル映画の挿入歌.彼女らの同名のCDに収録されている.
 
Rule Britannia / Land of Hope and Glory
 Britanniaは英国を擬人化した女神.“Rule Britannia ”は古い (1740年) 英国愛国歌.
 “Land of Hope and Glory ”も愛国歌の一つで,準国歌ともいうべき歌.

Pack Up Your Troubles / It's a Long Way to Tipperary
 “Pack Up Your Troubles ”は第一次世界大戦時に作られた行進曲.
 “It's a Long Way to Tipperary ”も第一次大戦時から愛唱されている英陸軍軍歌.

Comin' in on a Wing and a Prayer
 第二次世界大戦中の米国流行歌.ソ連邦でもロシア語に翻訳して歌われた.

Run Rabbit Run
 第二次世界大戦中の英国流行歌.
 
Keep the Home Fires Burning
 第一次世界大戦時の英国愛国歌.


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2020年3月17日 (火)

わたしには秘密にしておいて

 このブログで何度も,終戦後に日本に入ってきた欧米の歌や映画のことを書いてきた.
 映画という文化は,シナリオを映像にするという作業においては昔も今も変わらないのだけれど,特に洋画ではこの七十年間に映像化技術の革命つまりCGが多用されるようになり,ジャンルによっては (例えばファンタジーやSFなど) 昔の作品はいかにも古色蒼然としてしまった.
 ところが音楽は,録音と再生の技術は高度に発展したけれど,そのために昔の音楽が古びるということがなかった.
 私が若い頃はLPレコードをターンテーブルに載せて針を静かに落とし,お気に入りのスピーカーから聞こえてくる音に聴き入ったものだが,いまやCDの時代も既に終わり,音楽は配信されてくるものになった.
 しかしそれでも私は,深夜に,古めかしい道具を使って1950年代の音楽を聴くのが好きだ.
 
 私が貯め込んでいる音源は,ほとんどが女性歌手のものだ.戦争が終わった極東の島国に生まれ育った少年たちは,イギリスやアメリカ,フランス,イタリアの歌姫たちに恋をしたのだった.
 私たち七十過ぎの世代が死に絶えたら,彼女たちが歌ったラブ・ソングも時の流れの彼方に消えていくのだろうと思うと,静かに切ない.
 その懐かしのラブ・ソングにもいろいろある.片想い,失恋,恋人の死…… ハッピーな歌はあまり思い出せない.それにそんな歌は聴きたくないし.
 片想いの歌なら,“Keep it a secret”を老人は忘れがたい.
 
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 オリジナルはジョー・スタッフォード (1952年録音) だが,その後にカバーした歌手によって,歌詞にわずかな異同がある.
 この歌のシーンは,お節介な女友達が「ねえねえ,彼がまた新しいコと一緒にいたわよ」とか「元カノとヨリがもどったのかしら,二人して飲んでたわ」とか言ってくるというのだ.ここで“if”は婉曲な言い方.遠回しに,彼女の無神経さを非難している.
 rendezvousは,ドアを開けて入ると,飲み物と軽食を出す小さなカウンターがあって,壁にはダーツの的がある.ジューク・ボックスが隅に置かれていて,フロアにはジルバかなにかを踊れる狭いスペースがある.そんな街の片隅にある店のことだろう.いかにも古い映画に出てきそうだ.
 “Painting the town”は口語.文章ではあまり使わないかも知れないが,辞書にはある.
 “Pay no attention and just let be”は,余計なお世話に少し腹を立てている描写だ.そして“But keep it a secret from me”の悲しい恋心.
 第二次大戦後に歌われた,もっともリリカルな片想いの恋の歌がこれだ.

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2020年2月13日 (木)

チコと鮫

 逃がした魚は大きい,という話とは少し違うが,見逃した映画はいつまでも忘れられない.
 私の場合の例の一つは『大砂塵』だ.昭和29年 (1954年) 公開だから,もちろん1950年生まれの私はリアルタイムでは観ていない.
 Wikipedia【大砂塵】から引用すると次のようだ.
 
『大砂塵』(だいさじん、原題・英語: Johnny Guitar) は、1954年 (昭和29年) 製作のアメリカの西部劇。原作はロイ・チャンスラーの小説、製作会社は西部劇を専門にしていたリパブリック・ピクチャーズである。
原題のジョニー・ギターとは放浪する主人公 (スターリング・ヘイドン) の名前だが、彼を巡る二人の女性が実質的な主人公であり、女性同士の決闘が公開当時話題となった。また、ペギー・リーが歌った主題歌『ジャニー・ギター』も世界的なヒット曲となっている。
 
 映画の役柄の場合は《ジョニー・ギター 》で,主題歌は《ジャニー・ギター 》と書き分けているところが,この記述の工夫だろう.
 私が中学生の頃,ケン田島さんという人がいた.TBSラジオの電話リクエスト番組のDJで,この種の音楽番組司会者の草分けの一人だった.この人は英国生まれのバイリンガルで,しかも声が落ち着いた低音であり,中学生の私にはとてもきれいな英語の発音だと思われた.
 ある夜の放送でケン田島さんはJohnnyの二通りの発音をしてみせた.そしてペギー・リーの歌のことを言う場合は片仮名で書くと「ジャニー」の方がそれらしく聞こえますと言った.ついでに当時の人気歌手Joanie Sommersの名を発音して,「女性の名の場合はJohnnyと同じ発音をしてはいけません」とも言ったのを記憶している.他局の日本人DJたちはJohnnyもJoanieも一緒くたにしていた時代であったが.
 それはともかく,一昨年,長らく絶版になっていた『大砂塵』のディスクが発売され,私はようやくこの映画を観ることができたのだった.今の高齢者で『ジャニー・ギター』を聴いてよく知っている人でも,『大砂塵』は未見の人が多いのではなかろうか.水を差すようだが,『大砂塵』は大した作品ではなかったと付け加えておきたい.
 
 さて,未見の作品がもう一つある.いや,あった.それが『チコと鮫』だ.これも一昨年の発売だが,私はついぞ気が付かなかった.つい数日前にディスクがあることを知って,Amazonに注文した.
 これは絶版になっていたのではなく,そもそも今回が初めてのディスク化らしい.注文したものが昨日配達されたので,早速鑑賞してみる.
 ところで『チコと鮫』は主題曲も超有名だ.サウンド・トラックはこれ.ところがこの曲はConnie Francisがカバーした“ My Happiness ” に似ていることでも有名なのだ.(YouTubeはこれWikipediaはこれ;サウンド・トラックよりも《不朽の名作 ~ チコと鮫 ~ 》のほうがわかりやすい)
 でも誰もこのことを突っ込まない.誰もこのことで映画『チコと鮫』を傷つけたくないんだろうと思う.
 さらには,伊藤アイコという昔々のマイナー歌手の「チコと鮫」という歌 (1963年リリース) があって,これはオリジナルが誰なんだか全く不明なカバーなのだが,しかし彼女の歌は不思議なことに高齢者の一部に根強い支持があるようなのだ.そして私も彼女の歌唱に郷愁みたいなものを持っている.そこで彼女がどうなったのか調べてみたら,《伊藤アイコさんについて》を発見した.いやあ,こういう記事を上げてくれるかたには,ただもう感謝するしかない.

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2020年2月 2日 (日)

進駐軍放送

 音楽の趣味は人それぞれで,クラシック音楽一辺倒の人もいれば,還暦過ぎなのにAKB48をカラオケで歌う人もいる (私の会社時代の後輩だ ^^;).
 自分はどうかというと,ジャズに疎い.いいなあ,と思って購入し,時々は聴いているジャズ方面のCDはホントに少ないのだが,その一枚にジュリー・ロンドンの古いベスト盤がある.Wikipedia【ジュリー・ロンドン】にあるように,彼女の歌手としてのスタートは遅く,ファーストアルバム“Julie Is Her Name”を録音したのは1955年だった.私が中学生の頃,深夜放送で彼女の歌を毎日のように耳にしたのは1960年代前半だったから,今にして思えばその時の彼女はまだ三十代だったのだが,声質のせいか既にして大御所感を漂わせていた.
 さてそのベスト盤に“Dream”が収録されている.YouTubeはこれ.いかにも深夜に聴くに相応しい.
 ではあるけれど,ベスト盤全三十曲の収録曲のうちでこれがベスト中のベストかというと,はたしてどうでしょうか,という感じ.
 
 そう思っていたある日のこと,視聴者の人気が高くなっていたNHKの『サラメシ』を初めて観た.この番組のエンディングは「あの人が愛した昼メシ」というコーナーで,Wikipedia【サラメシ】には次のように書かれている.
 
あの人が愛した昼メシ
放送されるときは必ず番組の最後に放送するコーナーで、すでに故人となった著名人の愛したメニューを、その人の料理への思いとともに紹介するほか、その人の人柄や逸話を店主や料理人が語る。BGMはザ・パイド・パイパース(英語版)の「Dream」。
コーナー冒頭は故人の遺影を前面に映したタイトルバックに、中井の「あの人も、昼を食べた。」のナレーションで始まる。最後に料理と遺影が並べられたテーブルを映し、中井が「…御馳走様でした。今日も、お相手は、中井貴一でした」で締めて番組は終了となる。
 
「あの人が愛した昼メシ」の内容自体はさして特筆すべきものではないのだが,《すでに故人となった著名人 》が「占領下の日本を知っている世代」であるところに趣向がある.そしてその人たちが象徴するところの,かつてこの国にあって,今は過ぎ去った時代の空気感
と,BGMの“Dream”が絶妙なフィーリングで一致するのだ.(例えば最近の放送では,朝丘雪路や加藤剛だった)
 BGMをコーラスしているザ・パイド・パイパーズはWikipedia【The Pied Pipers】によると,1930年代後半に結成した当時のメンバーは女性一人と男性八人の構成だった.その女性というのが,後に一世風靡したソロシンガーのジョー・スタッフォードだった.
 その後,メンバーはジョー・スタッフォードと男性三人の構成に変わったが,彼女がソロ歌手として独立すると,女性ボーカルはJune Huttonに交代した.男性メンバーの入れ代わりはWikipediaに譲るとして,この時期にパイド・パイパーズは多くのヒット曲を出した.その一つに1944年に録音した“Dream”がある.彼らのコーラスのテイストはYouTube《The Pied Pipers - Dream》などで試聴できる.
 
 “Dream”が大ヒットしてザ・パイド・パイパーズのゴールドディスクとなった1945年.7月に米軍は沖縄を占領し,米軍直轄放送局AFRS (the Armed Forces Radio Service) を開局した.この短波局は太平洋上の島々の日本軍に対して降伏を促す放送を行った.
 二ヶ月後,戦後占領期の開始と共に米軍は同年9月12日にNHK東京放送会館の一部を接収して進駐軍放送WVTRを開局した.この中波放送局はその後,鹿屋,熊本,大分,別府,佐世保,小倉,大阪,仙台,札幌,沖縄,ソウル,釜山,マニラにも開局し,米軍基地関係者とその家族向けの英語放送を行った.この進駐軍放送は講和条約が成立して日本占領が解除された1952年にFEN (Far East Network,極東放送網)と改名された.
 戦争が終わる前,S盤レコードで米国の音楽を知ることのできたのは,一握りの人々だけだった.しかし進駐軍放送とFENによって占領下の日本大衆がジャズの洗礼を受けた.美空ひばり「東京キッド」の三番歌詞に「いつもスイング ジャズの歌」とある通り,子供たちもジャズを聴いて育った.その子供たち,言い換えれば「占領下の日本を知っている世代」の故人を偲ぶに,“Dream”は最もふさわしい曲だろう.
 私がザ・パイド・パイパーズの“Dream”を聴いたのはもちろん進駐軍放送ではなくFENだったが,今でも彼らのコーラスとジュリー・ロンドンの歌唱を聴き比べると,両者に十年の時の隔たりを感じる.郷愁というテイストの点で,数多の歌手たちがカバーした“Dream”は,遂にオリジナルを超えることができなかったように思う.
 AmazonのCD購入者のレビューを読むと『サラメシ』は,若い音楽ファンが“Dream”を知るきっかけになっているようだ.これはNHKのお手柄だろう.

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2020年1月25日 (土)

長屋の台所

 高田郁『みをつくし料理帖 八朔の雪』を読んでいたら,裏長屋の台所の造作が,江戸と上方では異なると書いてあった.
 
 話のいきさつを前にも書いたように,昨年末に放送されたNHKの『みをつくし料理帖スペシャル』がおもしろそうだと思って録画したのはいいが,この録画を楽しむには,前提として,原作を一通り読むか,あるいは連続ドラマとして放送された当時の映像を視聴するのがよさそうなのである.
 そこで連作『みをつくし料理帖』第一作の『八朔の雪』を読み始めた次第.するとこんなことが書かれていた.
 
澪が不思議に思う光景の一つに、江戸のおかみさんたちの炊事姿がある。俎板を板張りや畳に置いて、座ったまま調理するのだ。流しを使う際も座ったまま。江戸中の台所を覗き見たわけではないけれど、澪の知る限り、食べ物を商う店は別として、家庭では座って料理を作ることが一般的なようだった。澪を手こずらせる江戸の流しの低さも、このためなのだ。
 流し台の作り自体は、江戸も上方も大差ない。四角い木箱に四本脚。隅の排水口から水が戸外に流れていく仕組みになっている。ただ、江戸では流し台の位置が、板張りと平行になるほど低かった。座っての調理に使い勝手が良いためだろう。
 土間に立って料理することに馴染んでいる澪にとって、座ったままでの調理姿は、やはりどうにも馴染めなかった。

 
 これを読んで,思わぬ盲点を突かれた気がした.ヒロインの澪は,今は亡き主人の未亡人である芳と二人で江戸の長屋住まいであるが,私は長屋の造作は江戸も上方も同じだとばかり思っていたのである.
 江戸の長屋の実寸大再現模型は,深川江戸資料館江戸東京博物館にある.このうち,深川江戸資料館に常設展示されている長屋の台所を写した写真が江戸散策 第6回 台所をのぞけば、その時代が見えてくる》に掲載されている.その写真のうち「写真2」の右半分に写っているのが長屋の「流し」であるが,板敷き (板張り,板の間ともいう) の居住スペースより少し高い位置にあるだけだ.長屋の場合に限るが,「へっつい」の横にある「流し」の下にはあまり空間がない.料理する際は,板敷きに正座し,「流し」の上で調理したのである.『八朔の雪』には《俎板を板張りや畳に置いて、座ったまま調理するのだ》とあるが,少し実際と違うようだ.《俎板を板張り》に置いて調理したのは,キッチンに広い板敷きがある武家の家のことだと思われる.町人の住む,居住スペースが著しく狭い長屋の部屋では,調理は「流し」の上で一切をやったのである.
 
 次に,録画してある『みをつくし料理帖 総集編』の冒頭を少し観てみよう.
 下の画像は澪と芳の二人が住んでいる長屋である.(テレビ画面を撮影してトリミングした)
 澪 (黒木瞳さん) の後ろの土間に流し (赤↓) があるが,丈の高い脚が付いている.これなら立って調理することができるから,原作とは異なっている.
 さらにいえば,この部屋には不必要に広い土間がある.おそらくこれは,撮影の都合を優先してセットを作ったためである.そのため,貧しい澪と芳が,こんなに広い間取りの長屋に住んでいるというリアリティに欠ける結果になった.
 しかし,深川江戸資料館などで長屋の実寸模型を観るとわかるが,実際の長屋の部屋は中が狭すぎて,部屋の中のシーンを撮ると,ものすごい圧迫感のあるアップになってしまう.だから澪と芳の部屋のセットを広くしてしまったのは,やむを得ないとはいえる.
 ただし,山田洋次監督作品『たそがれ清兵衛』には,狭い部屋の中で撮ったリアルなシーンがあったと記憶している.すなわち下の場面は,テレビドラマにおけるカメラワークの妥協であろう.
 
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 ところで原作『八朔の雪』では,上方では「流し」の前に立って調理すると書かれている.だとすると上のシーンは江戸の長屋ではなく,むしろ上方の庶民の住居の様子に近いと言える.過密都市であった江戸の町人は非常に狭い長屋に住んでいたわけだが,それほど住宅事情が劣悪でない上方では,ちゃんとした土間のある家に庶民は住んでいたのかも知れない.
 
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 上のシーンは,澪が流しの前に立って出汁を取っている場面である.原作の時代考証とは異なるが,違和感はない.これはこれでいいのではないだろうか.

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