続・晴耕雨読

本や映画などについて.

2021年7月 3日 (土)

指パッチンの人 /工事中

 中野京子先生の近刊『そして、すべては迷宮へ』(文春文庫,2021年3月) に,早川いくを『へんないきもの』の短い書評が載っていた.この書評の初出は「CREA+20」(2012年12月) で,かなり前の文章である.
 書評では『へんないきもの』は「バジリコ」から出版されたと紹介されているが,現在は新潮文庫に入っている.
 その新潮文庫の末尾ページには《この作品は平成十六年八月バジリコより刊行された》とある.
 
 さて『へんないきもの』の中に,《ポール牧攻撃 テッポウエビ》という節がある.

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2021年5月12日 (水)

また逢う日まで

 政府広報がテレビ放送している《新型コロナウイルス感染症 感染再拡大防止にご協力ください》という動画がある.
 
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 まずこの動画は,室内で若い人たちが飲食と会話を楽しんでいるところから始まる.
 一般家屋の室内だから,当然ながらアクリル板のパーティションはない.
 普通に考えれば,マスクをしていない状態で食事をする人と,マスクをして会話をする人とは,ソーシャルディスタンスをとる必要があるのだが,そういう感染対策の配慮はしない頭の悪い人たち,という設定なのだろう.
 
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 上の画像のキャプションは《飲食は少人数、会話はマスク》だが,飲食と会話が同じテーブルを囲んで行われるのはちょっとまずいだろう.
 
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 で,おしゃべりに疲れたのか,換気が必要だと思ったのか,女性の一人が窓のところに行き,ガラス戸を開ける.
 
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 窓から外の空気が室内に入ると,彼女の後ろからカレと思しき青年が近寄り,彼女に肩掛けを掛けてあげる.
 
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 カレの優しさに,微笑む彼女であった.よかったよかった.
 とはならないのである.
 自分が不織布マスクをしていても,マスク不着用の人の顔に,こんなに接近してはいけないのだ.
 五月の大型連休中に観光地に密集していた若い人にテレビ局がインタビューしたところ,「自分はマスクしてるから感染しない」という誤解が広まっているらしい.小池都知事も,マスクの効果について若い人たちのあいだに,過大な期待をする誤解が生じていると警告していた.
 マスク着用の上で,さらに密を避けるという意識が必要だ.そういう意味で政府広報がこんな動画をテレビで放送してはいけないと思う.
 
 そんなことを言ったら,恋人どうしのキスはどうすんだよ,という詰問が 馬鹿者 若者からあるかも知れない.
 そう.恋人どうしでもキスは禁止すべきなのである.
 欧米であれだけ感染が拡大してのは,キスとハグの習慣が大きな原因であると言われている.誰が言っているかというと,私だが,実際にイタリアでは (私はイタリア語がわからないので,報道と法令の原文を引用することができないのであるが),昨年の感染爆発の際にハグとキスを禁止する法令が施行された.
 フランスでも同様の規制が行われたようだ.
 彼女の唇にキスできないくらいならコロナになったほうがマシだとお考えの貴兄,自暴自棄になってはいけない.
 次善の策があるのだ.
 下の画像は,日本映画史上に残る不滅のキスシーンである.
 監督は今井正.主演は戦後邦画のトップスターだった岡田英次と久我美子の『また逢う日まで』である.
 
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(パブリック・ドメイン;From Wikimedia Commons; File:Mata au hi made 2.jpg)
 
 この小さな画像ではこの二人が何をしているのかわかりにくいが,岡田英次は雪の降りしきる窓の外にいて,室内の久我美子と窓ガラス越しに接吻をするのだ.これは日本映画史上,最初の接吻シーンである.
 窓のガラス越し.これなら感染対策は完全だ.
 燃える心があれば冷たいガラスなど,いかほどの障害であろうか.
 日本が破局に向かって進んでいく戦争のさなか,このような愛もあったのだと若い人たちに知ってほしいものだ.
 
 とはいうものの,こんなんじゃいやだという向きもあろう.
 そういう我儘な貴君には,自治体が指定する薄手半透明ごみ袋を頭からかぶってキスすることをお勧めしたい.かなり変態じみているが,みんなコロナが悪いのである.

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2021年1月17日 (日)

戦国の食文化

 テレビを点けると,毎日のように食べ物に関する番組が放送されている.
 レストランやパン屋にタレントが出かけて行き,「まいうー」とか言うだけのことが多いが,林修先生が登場して「○○を食べると血液がサラサラになることが期待されます」とウンチクを語ることもある.
 林先生は「血液がサラサラになることが期待されます」とは言うが,「血液がサラサラになります」とは決して言わない.なぜかというと科学的根拠が乏しい (牽強付会なものが多いし明らかに嘘なのもある) からである.
 つい先日も「納豆を食べると免疫力の向上が期待されます」と言っていた.彼は一種の宗教家であり「期待されます」の伝道師だ.
 NHK《ガッテン!》は,林先生の番組よりは多少マシで,科学番組ではなく娯楽番組として視聴しておけばよいのだが,先日の大特番《《お取り寄せ不可!? 列島縦断 宝メシグランプリ 2021》は時間つぶしの娯楽にすらならなかった.
 今回の《宝メシ…》では,番組冒頭で,六人しか住んでいない離島の漁師が蛸を干して食っているのを紹介したのだが,ただそれだけなのだ.
 かつて沢山いた島民が,なぜ高齢者六人にまで減ってしまったのか,とか,本土側との食文化的交流を歴史的に調べてみるとか,干し蛸を作る地方は全国にどのように分布しているか等々,日本の食文化についていくらでも掘り下げた番組作りはできただろうに,干し蛸を料理人や評論家が食って,ただそれだけなのだ.こんな番組を作っていると菅首相が放送に介入するぞと言いたい.
 
 さて「食文化」の研究というと大仰だが,そんなことはない.私たちの身の回りの食べ物を取り上げて,それにまつわる歴史を調査・考察すれば,それが立派な研究になる.
 食文化的考察という点で,黒澤はゆま『戦国、まずい飯!』が滅法おもしろい.刊行されてから一年近くなるのに,私はこの本を知らなかった.
 著者は歴史小説作家で,この本では文献にある戦国武将のエピソードを多数紹介している.しかしそれだけに終わらず,実際に戦国時代の料理や食材を再現して実食しているところに感心した.
 例えば「ほしいい」だ.
 よくある間違いなのだが,「ほしいい (干し飯,糒)」には色々なものがあるのに,現在の災害時非常食として市販されているアルファ化米と混同されることがある.「ほしいい」とアルファ化米は乾燥工程に大きな違いがあるのだ.
 糒の最も洗練されたものは道明寺粉で,これも糒なのである.しかし洗練されているだけに製造に手間暇がかかる.
 そこで著者は,戦国時代の雑兵たちが作ったであろうやり方で「ほしいい」を作って食べてみた.この顛末が「第四章 干し飯」に書かれているが,話のオチもスマートで,楽しい読み物になっている.戦国小説のファンにおすすめの一冊.巻末の「参考文献/参考論文」が親切で貴重だ.

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2021年1月11日 (月)

芋づる式

『北村薫のうた合わせ百人一首』を読んでいたら,横山未来子の
 
 はつなつの、うすむらさきの逢瀬なり満開までの日を数へをり
 
があり,これに続けて北村は

はつなつ――と聞くと、川上澄生の版画「初夏の風」を思い出す。白緑の風が、婦人の周りを吹いている。画面には、こう彫られている。
  かぜ と なりたや
  はつなつの かぜ と なりたや
  かのひと の まへに はだかり
  かのひとの うしろより ふく
  はつなつの はつなつの
  かぜ と なりたや
 
 お,この詩は読んだことがある.
 そう思ったのだが,版画「初夏の風」がどのようなものだったか思い出せない.
 ただちにウェブを検索すると,栃木県立美術館に収蔵されていた.(栃木県立美術館蔵「初夏の風」)
 こういうことがあると,ほんとにウェブのありがたさがわかる.
 北村薫は,横山未来子の歌集『水をひらく手』において「はつなつの…」の前に,北原白秋の随筆「桐の花とカステラ」を思う歌があると記す.
 もちろん (威張ってどうする --;) 私は『水をひらく手』を知らないし,白秋の「桐の花とカステラ」も知らない.
 そこで,もしかしたらと思って「桐の花とカステラ」を探してみた.
 すると,あるんですなあ,これが.青空文庫に.(青空文庫『桐の花とカステラ』)
 こういう読書をしていると,ほんとに青空文庫のありがたさがわかる.あとはゆっくりと古書の『水をひらく手』を探せばよい.
 ネット以前の世の中であれば,こんな具合にはいかない.「初夏の風」も「桐の花とカステラ」もよくわからぬままに読書中断と相成る.
 そういう点では,私が若かった昔,すらすら読み進めない本の場合は先へ読み進むために,図書館へ行ったり古本屋を漁る必要があったりして,つまり読書は大変な労力を要したのであった.ありがたい世の中になったものである.

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2021年1月10日 (日)

ポスト『深夜特急』

 昔,小田実という人がいた.世界を旅した体験記『何でも見てやろう』(昭和三十六年) で有名になったが,当時の海外旅行事情のためか,小田流の放浪旅に追随する青年はあまりいなかった.
 私と同世代である沢木耕太郎の『深夜特急』は,小田の旅行記よりも遥かに大きな影響を青年に与えた.私の書架にはスペースがないので,初版本を売り払ったあと,文庫を買い直して今も並べてある.そういう高齢者は多かろうと思う.
 沢木が実際にユーラシアを旅した時期と『深夜特急』刊行の時期は異なっているのだが,Wikipedia【深夜特急】に次のような解説がある.
 
刊行後は、バックパッカーの間でいわばバイブル的に扱われるようになり、80年代と90年代における日本における個人旅行流行の一翼を担った。その後、台湾で中国語版、韓国で韓国語版の翻訳が出版された。あくまで個人の旅行体験記なので、旅行ガイドとしての使用には不向きだが、1970年代前半当時の交通事情、宿泊事情などを知ることもできる。さらには、途上国の貧困さの一端も巧まずして表されている。
 
『深夜特急』は旅をする青年にとって,今もバイブルである.
 ところで,最近のネット上で評判の高い五箇野人のコミック『つかれたときに読む海外旅日記』を遅ればせながら買ってみた.
 読後,才能のあるコミック作者を見つけたと思った.笑いのセンスが,いしいひさいち や カマタミワ に似ている.
 この作者がどのような暮らしぶりの人か全くわからないが,ポスト『深夜特急』の世代といっていいかも知れない.
 

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2021年1月 3日 (日)

新年迎えてすぐ涙腺崩壊

 citrus《猫を連れてタクシーに乗ったら…運転手が語った愛猫とのエピソードに涙腺崩壊》[掲載日 2021年1月3日 7:00] に載っているネコ漫画を見て泣いた.
 ネコでもイヌでも,一緒に暮らしている人はみんな,これを見て泣くんじゃないか.
 私の老愛犬は,右目の白内障が進行してもう見えていない.左目もかなり白くなっている.
 今はまだごはんを喜んで食べているからいいが,ある日急に衰える,なんてこともあるそうだから安心はできない.
 そんなことを考え始めると雑煮も喉を通らない老人は,ペットの死と聞くとすぐ泣いてしまう.そのあと,どうやって生きていけばいいんだと.
 
 上に紹介した漫画の作者である松本ひで吉には連作『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』があるが,私はまだ一冊も読んでいない.
 この連作の第一作は,世のネコ好きから,Amazonのレビューで☆一つの大ブーイングを喰らっている.
 しかし上の《猫を連れて…》は,ネコをディスっているようには全く思えない.この評価のくい違いはなんなんだろう.
 そこでまず一冊 (No.5) だけ注文してみた.
 
 今年の読書始めは,『戦国、まずい飯!』(黒澤はゆま,インターナショナル新書) が一冊目.『犬と猫…』が二冊目だ.

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2020年12月19日 (土)

ワンダーウーマン 1984

 昨日,『ワンダーウーマン 1984』が公開された.米国でのクランクアップは春で,劇場公開は六月のはずだったが,新型コロナウイルス感染症の流行が激化したため,その後の二度にわたって公開が延期され,米国ではこの十二月に劇場公開と配信を同時に行うことになった.
 日本では米国より一週間前倒しで公開に漕ぎつけたが,配信の予定はないようだ.
 前作の『ワンダーウーマン』は,アメコミヒーロー映画の中でもヒットした部類で,確かに楽しい痛快活劇だった.
 ということで続篇の本作だが,今日 (12/19) の映画館のシート予約状況を覗いてみたら,2DシアターもIMAXシアターも,エグゼクティブ・シートは満席だが,一般席はかなりすいている.というかガラガラ.
 これなら周囲の席とソーシャル・ディスタンスは確保できそうではあるが,しかし空調/換気はされているとはいえ,道を歩いたりスーパーで買い物するのとはわけが違う.二時間以上も同じ空間にいるのだから,感染リスクはゼロではない.映画館クラスターは報告されていないが,人数が少なければクラスター認定されないのだから,報告されていないだけの可能性はある.
 そんなことをグズグズ考えて,映画館に観に行こうかどうか迷っている.前評判はいいんだけどねー.

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2020年11月 8日 (日)

榊マリコの活躍

 人間はヒマを持て余すとなんでもやる.
 私は以前から,大河だろうが朝ドラだろうが,テレビドラマはほとんど観たことがない.
 ただし例外はあって,昔の《東芝日曜劇場》は観た.中でも中田喜子さんの《ぼくの妹に》と八千草薫さんの《うちのホンカン》と,池内淳子さんの《女と味噌汁》はよく観た.三人の女優さんが美貌だったからである.
 今は何もすることがないので毎日何時間でもテレビを観る.だがしかし長寿テレビドラマなのに,これまで一度も観たことのない番組があって,それはテレビ朝日の《科捜研の女》である.
 現在の女優さんのなかでも一際美しい沢口靖子さんのドラマを観ていないというのは,人としてけしからぬことである.
 そこでやおら前回と前々回の放送を録画して鑑賞してみた.以下はその感想である.
 
 京都府警科学捜査研究所 (科捜研) がこのドラマの舞台である.
 科捜研の職員には研究員と研究補助職員,および庶務等の職員がいる.詳しくは Wikipedia【科学捜査研究所】を参照のこと.
 科捜研研究員は警察官ではないため,捜査には携わらない.混同されやすいが,鑑識を担当する鑑識官 (鑑識課員) は都道府県警の刑事部鑑識課に所属する警察職員であるところが,科捜研研究員と違う点である.
 ところが《科捜研の女》のヒロインである榊マリコは,殺人事件の現場に出向いて職権外の鑑識をやるし,それどころか事件の捜査にも乗り出して難題を解決したりしている.
 かなりむちゃくちゃである.だが,これでよく京都府警がクレームをつけないものだと思う貴君は認識が間違っている.
 なぜなら,美貌のひとは何をしてもいいのである.
 それが証拠に,2015年に京都府警は,京都府警のイメージアップに大きく貢献したとして,科捜研の主任研究員・榊マリコ役を演じてきた沢口靖子さんに対して感謝状を贈呈したくらいである.
 ドラマのスートリーはどうでもよい.職権がどうのと細かいことを言うんじゃないっ.私は小一時間の間,榊マリコの活躍に見とれていた.次回も見よっと.



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2020年10月 4日 (日)

目ン無い千鳥

 今朝早く,テレビをオンにしたら歌番組をやっていて,大川栄策が「目ン無い千鳥」を歌っていた.大川栄策は私よりも一歳年上の団塊世代で今は七十一歳.昔はヒット曲を飛ばしたこともあったから,大抵の高齢者は名も彼の持ち歌の一つ二つ (例えば「目ン無い千鳥」と「さざんかの宿」) は知っているだろうが,そもそもが演歌歌手であるから,私より少し若い世代はもう大川栄策を知らないかも.
 その大川栄策のデビュー曲は「目ン無い千鳥」だった.作詞はサトウハチロー,作曲は古賀政男である.サトウハチローは詩人であるが,多くの童謡の作詞者であるとともに,流行歌の作詞では「リンゴの唄」と「長崎の鐘」で知られる.また古賀政男は歌謡曲の大御所重鎮であったが.しかしいま還暦くらいの人たちは,お二人の名前は「聞いたことがある」程度であろう.
 それはともかく,「目ン無い千鳥」という言葉の意味はそれほど知られてはいないと思われる.「目ン無い」の意味は「目の無い」そのまんまで,失明のこと,あるいは目隠しをしていることをいう.では「目ン無い千鳥」とは何か.
 
 昭和十五年 (1940年) に映画『新妻鏡』がヒットした.主演は山田五十鈴である.
 余談になるが主題歌「新妻鏡」(作詞:佐藤惣之助,作曲:古賀政男;歌唱は霧島昇と二葉あき子) が YouTube に掲載されていて,その背景動画に『新妻鏡』の断片映像が使われている.それならば元のフィルムはどこにあるのかと国立映画アーカイブの公式サイトで検索してみたが『新妻鏡』は出てこなかった.
 しかしブログ《日本映画ブログ ― 日本映画と時代の大切な記憶のために》の筆者氏は『新妻鏡 総集編』を実際に鑑賞したようで,次のように書いている.
 
この当時は総集篇を作ると元のネガを廃棄していたらしく、たぶん元の原版をみることは不可能な一本だろう
 
 実は昭和三十一年に池内淳子主演でリメイクされたのだが,これもフィルムの在処は不明である.
 映画『新妻鏡』の粗筋は上に紹介したブログに譲り,話を「目ン無い千鳥」に戻す.
 映画『新妻鏡』の主題歌は既に述べたように霧島昇と二葉あき子の「新妻鏡」であるが,挿入歌がもう一曲あり,それが「目ン無い千鳥」である.歌唱は霧島昇と松原操だ.
 松原操は,昭和十三年 (1938年) の伝説的大ヒット邦画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」を大流行させた歌手として知られる (新進歌手霧島昇とのデュエット).「旅の夜風」以後,霧島昇との共演が増えて親密となった松原操は霧島の子を身籠った.しかしそれでも浮名を流す霧島に結婚を迫り,昭和十四年に霧島と夫婦となった.つまり「目ン無い千鳥」は霧島昇夫妻のデュエットであった.
 昔の邦画の主題歌 (挿入歌) は,制作当時の流行歌を取り入れたり,あるいは逆にヒット曲を題材にして映画が作られることもあったのだが,「目ン無い千鳥」は映画『新妻鏡』のストーリーに沿って作詞された.上に示した《日本映画ブログ ― 日本映画と時代の……》に書かれている粗筋によると,ヒロインは結婚を目前にして事故で失明した.「目ン無い千鳥」の歌詞冒頭に「目ン無い千鳥の高島田」はそのことを意味している.言わずもがな,この高島田は日本髪「島田髷」の中でも格の高い「文金高島田」のことで,花嫁の髪型である.
 戦後に量産された演歌は,歌詞なんぞあって無きようなものだが,「目ン無い千鳥」の歌詞は『新妻鏡』の筋書きに沿っていたため,却って今では何のことやら意味がわからなくなってしまったのである.
『新妻鏡』の公開は昭和十五年だが,大川栄策によるカバーは昭和四十四年で,二十九年後である.こうなると歌っている大川栄策も,テレビの歌番組でこの歌を聞いている人も,古のメロドラマ『新妻鏡』を知らない世代だから,大川栄策がこの懐メロ曲のカバーでデビューできたのが不思議な気がする.
 さてこれで「目ン無い」が失明であることはわかった.次に「千鳥」とは何のことだろう.
 実は近松門左衛門の人形浄瑠璃『冥途の飛脚』にある「めんない千鳥 百千鳥 鳴くは梅川 川千鳥」が「目ン無い千鳥」の初出だと言われている.『冥途の飛脚』の粗筋は Wikipedia【冥途の飛脚】に譲るが,そこから少し引用する.
 
忠兵衛も「身に罪あれば、覚悟の上殺さるるは是非もなし。御回向頼み奉る親の歎きが目にかかり、未来の障りこれ一つ、面を包んで下されお情なり」と泣きわめきながら訴え、梅川ともども大坂へと引かれてゆくのであった。
 
 上は,主人公の忠兵衛が遊女梅川との逃避行の末に捕らえられた場面である.忠兵衛は役人に「目隠しをしてくれ」と懇願し,大阪にしょっ引かれていくのであった.
 目隠しをして目が見えない忠兵衛を近松は「めんない千鳥 百千鳥 鳴くは梅川 川千鳥」と描写したのであるが,関西では目隠しをする鬼ごっこを「めんない千鳥」と呼ぶことがあることから,「めんない千鳥 百千鳥」はそれに由来する表現だとの説を唱える人がいる.しかし鬼ごっこを「めんない千鳥」と呼んだのが先か,『冥途の飛脚』が先かの時代考証がなされていないので,この説は取るに足らない.むしろ逆かも知れないと思われる.
 では近松は,目隠しした姿になぜ「千鳥」を充てたのか.ウェブを調べると,「千鳥」は複数の人に対する呼称の古語「どち」が語源であると述べる人がいるが,全く用例が引かれていないので,独自研究に留まっていると言わざるを得ない.それに,三人称単数である忠兵衛を複数を意味する「どち=千鳥」と呼ぶのは変だ.
 私は,文芸の世界では千鳥は鳴くものとされていることに,近松の表現は基づいているという気がする.例えば,
淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ (万葉集)
しほの山さしでの磯にすむ千鳥 君が御代をば八千代とぞ鳴く (古今和歌集)
思ひかね 妹がり行けば冬の夜の 川風寒み千鳥鳴くなり (拾遺集)
淡路島 通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ須磨の関守 (金葉和歌集)
 近松は,捕らえられて泣く忠兵衛と梅川を,鳴く千鳥に喩えたように思う.ま,これも独自研究に過ぎないが.
 
 結論として,映画『新妻鏡』の挿入歌「目ン無い千鳥」の意味の話に限れば,それは近松の『冥途の飛脚』に由来する,とだけわかればいいだろう.これを御存知ない向きのために書き記しておく.
 しかしわかったところで,私の同世代がこの世を去れば,たぶん映画『新妻鏡』と歌謡曲「新妻鏡」「目ン無い千鳥」はすべてきれいに忘れ去られてしまう.映像芸術も音楽も,後世に長く残るものとそうでないものがある,ということである.

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2020年10月 3日 (土)

E.T. が懐かしかった /工事中

 昨夜の日本テレビ《金曜ロードSHOW!》で『E.T.』を放送した.懐かしい作品だ.日本公開は1982年の年末で,私はまだ三十そこそこだった.
 Wikipedia【E.T.】によると,

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