続・晴耕雨読

本や映画などについて.

2018年8月15日 (水)

戦争協力俳句

 先日書いた記事《俳句の性善説 (おいおい) 》について少し補足しておく.
 私は当該記事の末尾に次のように書いた.

余談だが,夏井先生が《私も良い句ができたなと思ったら、高浜虚子の句と一言一句同じだったことがある 》と発言したその虚子こそ,桑原武夫が「言葉遊び」として指弾した俳人なのだ.そしてこの発言が,私が先週の「俳句の才能査定ランキング」を観て第二芸術論争を想起した所以である.

 補足とは,夏井いつき先生は《高浜虚子の句と一言一句同じだった》に続いて次のように発言したこと.

私もいよいよ高浜虚子のところまできたなと思いましたね

 この言葉でわかるのは,夏井先生が高浜虚子を高く評価していることだ.
 夏井先生は私よりも七歳も年下なので,日中戦争から沖縄戦を経て,昭和二十年 (1945年) 八月十五日に終わったあの戦争 (歴史的には大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した翌九月二日を指すことが多い) について関心があるのかどうか知らぬが,私たち戦争後すぐに生まれた世代は,自分たちの父親,母親の青春を,人生を大きく狂わせたものとして,あの戦争に無関心ではいられなかった.
 戦争に対して私たちが抱いた関心には色々な側面があるが,戦争責任の問題はその一つであった.
 戦争責任を問うとはどういうことか.それは,国体護持のために,戦争終結の和平条件として,戦地にいる兵たちを連合軍に労働力として提供することや,沖縄を割譲することなどを意図していた昭和天皇の卑劣さを後世に伝えることである.
 それはまた,例えば特攻隊隊員たちに《諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する 》と言ってフィリピンから四百機の特攻を出撃させ,パイロット全員を戦死させておきながら,自分は敵前逃亡した陸軍中将・富永恭次の名を語り続けることである.(《 》は Wikipedia【富永恭次】から引用)

 私よりも若い人たちでも,昭和天皇や卑劣な軍人たちの戦争責任については理解してもらえることと思うが,忘れられがちなのは,一般人でありながら戦意高揚の旗を振った者たちの戦争責任である.
 私が別稿の連載「母子草」で童話作家小川未明の卑劣振りを何度も書いたが,俳句の世界では高浜虚子が未明に相当する.
 小川未明は,軍部と直接の関係を持っていたわけではないが,状況証拠からすると,高浜虚子は戦時中,積極的に軍部と協力した疑いがある
 戦時中,いささかでも反戦傾向のある俳人が検挙投獄の弾圧を受けた中で,ひとり虚子は日本文学報国会の俳句部代表として戦争協力に努め,もって虚子の率いるホトトギスが俳句界を席捲したのであった.虚子の行動の陰湿さは,小川未明よりもタチが悪いと言うべきかと思われる.
 桑原武夫は『第二芸術』(講談社学術文庫,1976年初版第一刷) の「まえがき」で次のように書いている.

戦争中、文学報国会の京都集会での傍若無人の態度を思い出し、虚子とはいよいよ不敵な人物だと思った。

 Wikipedia【第二芸術】に,桑原武夫は《俳句に対するそもそもの非好意的な態度》と記されているが,その非好意的な態度は,上の引用箇所にあるように,戦時中の虚子ら戦争協力俳人たちに対する反感によるものであったろう.
 夏井いつき先生が高浜虚子を高く評価するのは一向に構わぬが,しかしそれはホトトギス社の黒歴史を容認することなのである.

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2018年8月10日 (金)

母子草 (十六)

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* 前回の記事は《母子草 (十五) 》 
 
 この連載もそろそろ終わりに近づいた.藤沢衞彦作「母子草」の作品評価を始めよう.
 ここで連載前回の末尾を再掲する.
戦後,小川未明は軽々と転向したが,藤澤教授は戦後を,戦前戦中の未明のミニチュアとして生きたのである.そしてこれこそが,上笙一郎が『児童文学研究=北邙の人たち』(日本児童文学協会編『戦後 児童文学の50年』,p.113) の中で,藤澤教授を指して《世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》と書いたことなのである.
 
 藤沢衞彦教授の世界観や人生観の古さは,自ら「標準語の使用」を明らかにしていることに示されている.
 現代日本ではもはや「標準語」は死語である.戦前の日本史に明るくない世代の人々が,標準語と共通語とを混同している場合があるが,かつて明治政府が富国強兵策の一環として国を挙げて取り組み,あるいはまた昭和期戦前の政府が海外植民地 (特に朝鮮) 統治のための道具として用いた「標準語」を話し,読み書きした人々は既に世になく,標準語は言語としては忘れ去られた.従って標準語は,単語として残っているが実体はない.それがどのようなものであったかは,《母子草 (十一) 》の註に記した.
 ここでは藤澤教授の童話「母子草」から一部を引用してみよう.(便宜のために全文を最後に掲げる)
 
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。』
毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 
 藤澤教授の童話「母子草」の中で,主人公小雪はもちろん,話に登場する村人も小雪の母親を「お母さま」と呼んでいる.この「母子草」は戦後の昭和二十四年に書かれた作品であるにもかかわらず,明治時代に標準語の基礎となった東京山手の中流家庭 (官吏や会社員など比較的富裕な層) の言葉である「お母さま」が用いられているのだ.現代の私たちからすると,違和感を持たざるをえない.
 また「母子草」は,戦後の口語文の文学作品としてはあまり用いられない「であります」調 (一般には軍隊言葉として知られている) と「です・ます」調を混在させて書いている.ここで指摘しておかねばならないのは,「であります」調は小川未明が多用した表現であったということである.未明の「であります」調については,古谷綱武氏は「小川未明論」(『日本人の知性』〈学術出版会所収) で次のように書いている.
 
むやみやたらに「あります」でむすんでいる文章のまずさ、明治の雄弁術が現代に生きのこっているようなその目ざわりなかたさは、それがそのまま頭のかたさであるが、現代の評価にあてれば、欠点とよんでいいものである
 
 これはまことに的確な指摘であり,《「あります」でむすんでいる文章のまずさ 》は,そのまま藤澤衞彦教授作の童話にも当てはまる.
 著名な童話作家であった奈街三郎 (1978年12月23日没) は昭和四十八年 (1973年) に,藤澤衞彦作「母子草」をほぼ丸ごと剽窃して奈街三郎名義の「母子草」(『幼年みんわ かなしいはなし』〈偕成社〉所収) を発表したが,これは完全なコピーではなく,姑息なことに,原作中の「お母さま」を「おかあさま」と平仮名にし,かつ「であります」を「です・ます」に書き換えている.剽窃者は剽窃者なりに,いくら何でも童話に軍隊言葉は馴染まないと考えたのであろうか.
 実際,藤澤衞彦作「母子草」から派生した戦後の童話作品には,奈街三郎らが剽窃して発表した二作品も含めて,標準語で書かれたものは一つもない.標準語で書かれたのは藤澤衞彦作「母子草」だけである.
 なぜ藤澤教授が,戦後になっても大日本帝国の残滓である標準語で童話を書こうとしたのかは,今となってはわからない.
 しかし推測できる理由が一つある.それは,藤澤衞彦教授が昭和二十四年,童話集『母子草』巻末に掲げた後書き《父兄方へ 》 (前回の記事《母子草 (十五) 》に掲載した) を読めば明らかなように,藤澤教授の童話は子どもに向けて書かれたものではないことである.
 藤澤教授は,戦前の標準語教育を受けた「父兄」を対象にして童話を書くことを意図したのであり,従って,戦後の普通の子どもが理解できる言葉ではなく,標準語を用いて書いても何ら問題はないと考えたのだろう.これは小川未明が,子どもではなく大人に鑑賞されることを期待して童話を書いたのと同じ姿勢である (小川未明《今後を童話作家に 》;青空文庫).そして未明ら明治生まれの童話作家たちの作品は,戦後になってから登場した児童文学者たちによって「子ども不在の童話」として厳しく否定されたのであった.
 
 藤澤衞彦作「母子草」には,標準語の使用の他にも,いくつかの問題点がある.
 その一つは,この作品では童話の基本的な作法が守られていないことである.次回はそのことについて述べる.
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「母子草」全文
底本:『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行初版第一刷)
 
 小雪は、いつものように、湖のほとりに立って、はるかむこう岸をじっとみつめているのでした。
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。さぞ、ご不自由でございましょう。小雪の年期 (やとわれて働くことを約束した年數) も、あと三年ですみます。それまではお母さま、どうかおたっしゃにおくらしください。』
 毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
 人の一心の、なんで通じないことがありましょう。ふるさとでは、小雪のお母さまも、
『小雪、小雪、私のかわいい小雪よ、どうかたっしゃでいておくれ。せっかくお前がご奉公に出てまでととのえてくれたお藥も、どうしたことか、ききめがあらわれず、私はめくらになってしまったけれど、私はお前の美しい心がよく見えます。神さま、どうか、小雪の身の上がしあわせでありますように。』
 やさしい小雪のお母さまも、毎日いくたびか湖とわが家のあいだをいききしては、小雪のいる他國 [ルビ=よそぐに] はあの方角かと見えぬ目でのぞんでは、涙をながしておりました。今まで三年のあいだに、こうしてながしたお母さまの涙は、まあどのくらいだったでしょう。それにもおとらない小雪の涙は、きょうもまた湖のほとりに来て、とめどもなくながされるのでした。
 はるばると廣い大きな近江の湖、その湖の上には、きらきらと美しい太陽の光が波にてりはえて、なんともいわれぬ美しいながめでしたが、小雪には、やっぱり悲しい湖でありました。
 いつものように、草かりかごをそこへおろすと、小雪は、じっとふるさとの方をながめて、
『お母さま、きょうは私の身の上に悲しいことが起こりました。あと三年でお母さまにおあいできると、指おりかぞえて待っておりましたのに、きけば、ここでは、その年期が約束通り守られないらしいのです。きょう、七年たったお友だちが、なんとかりくつをつけられて、また三年のびました。私も三年たったら、うまくお母さまのもとへかえれるかどうか、あやしく思われます。でも、にげてはいかれない湖のお國です。ああ、私はお母さまがこいしい。…… ふるさとこいし、母こいし。』
 小雪は、うたって泣きました。
 するとそのとき、ふしぎにも湖の中に、『ふるさとこいし、母こいし。』という文字が、波の上にありありとあらわれました。見ているうちにその文字は、だんだんのびて、ふるさとの方へひろがっていきます。ゆめではないかと、小雪が見ていますと、その文字のみちを、はるかに通ってこちらに来る一人の女の人、それは湖のはなれ島におまつりしてある、べんてんさまでありました。
 べんてんさまは、やがて、なぎさ近くまでおいでになって、手まねで、小雪について来いと申されます。小雪が文字のみちをつくづく見ますと、それはなんと、たくさんのお魚がもりあがって橋をわたしているのでした。みちびかれるままに、小雪は、べんてんさまについて、魚の橋をわたっていきました。そして、長い長い橋をつかれもせず、なつかしいふるさとの岸までたどりつきました。
 ふと見れば、いつのまにやら、べんてんさまのおすがたが消えていました。小雪が岸につくと、そこからわが家の方にむかって、二列になってはえている、ふしぎな草が目につきました。ついぞ見なれぬ草なので、村人にたずねますと、
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 とこたえてくれました。小雪はその草のみちをたどって、なつかしいお母さまのもとにかえりました。
 皆さんも初夏のころ、あぜみちや野みちをいくと、小さい黄色い花をつけた、くきの長い草を見つけることでしょう。これこそ、この母と子の、やさしい心によって生まれ出た、記念 (かたみ) の母子草だということです。

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2018年7月24日 (火)

橋本忍逝く

 名優加藤剛が亡くなったのは先月の十八日だが,報じられたのは今月九日だった.
 続いて日本映画史上に屹立する脚本家橋本忍の訃報は先日の二十日であった.
 この二人の名を聞けば何を措いても『砂の器』だが,橋本忍の逝去を報じたウェブニュースの中に『砂の器』を挙げていないものがあったので私は驚いた.
 またふとしたことから閲覧したブログ《鶴の一声》の記事《524 橋本忍という脚本家 》   に

先日のブログで、加藤剛・加藤嘉の「砂の器」のことを書いたが、その脚本家が橋本忍さんだったことを、今回亡くなってから知った。
 その他にも、羅生門・七人の侍・隠し砦の三悪人・ゼロの焦点・日本の一番長い日・風林火山・どですかでん・日本沈没・八甲田山・八墓村・影武者など、多くの優れた邦画の脚本を手掛けていたことも合わせて知った。

と書かれているのを見て,今の若い映画ファンは,私と同世代の映画ファンとは全く異なるものなんだと知った.

『砂の器』(1974年製作) は,松本清張作品の映画化を多く手掛けた野村芳太郎監督の力量は言うまでもないが,何よりも脚本を書いた橋本忍と山田洋次,音楽監督の芥川也寸志と主題曲『宿命』(註) を作曲した菅野光亮,そして俳優としては刑事役の丹波哲郎と,放浪する父子の父を演じた加藤嘉の映画であると言っていい.物語上の主人公は和賀英良を演じた加藤剛だが,実質的には脇役である.
 この作品が公開された時,私は劇場で繰り返し観た.そして主題曲LP『宿命』を買って繰り返し聴いた.私にとって『砂の器』は,橋本忍の名を記憶に刻むと共に,この作品で映画の観方を学んだという点で,邦画最優秀作品である.
 昔購入したLP盤の『宿命』は手放したが,デジタルリマスター版『砂の器』とそのCD『宿命』は大切に持っている.
 昨日,久しぶりに『砂の器』を再鑑賞した.そして泣いた.
 映画や音楽は人生の一部になり得る.私は『砂の器』のストーリーにも泣いたが,この映画の公開当時まだ若かった私の人生の,過ぎ去った数々の思い出にも涙したのであった.
 
(註) ちなみに,この動画中,放浪する父と子が峠を越えて見下ろす先に広がる有名なシーンのロケ地は,後に世界遺産となった越中五箇山の相倉合掌造り集落である.当時はあまり世間に知られていなかった五箇山をロケ地に選んだのは山田洋次ではなかろうかと私は想像している.放浪を回想する部分のシナリオは山田洋次であるからだ.

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2018年7月14日 (土)

母子草 (十五)

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* 前回の記事《母子草 (十四) 》 

 前回の記事に山中恒「児童文学は、いま……」の一部を引用したが,同一箇所の一部を再度引用する.

さて、一般的な概念からすれば、<児童文学>といえば、グリムやアンデルセン、日本でいえば、小川未明、浜田広介あるいは坪田譲治、新美南吉、宮沢賢治といった作家たちの作品のことで、それは「世俗的なものと隔絶された美しい郷愁のファンタスティックな山野に花咲く童心のロマンの世界である」という思い込みがあって、そうした世間一般の思い込みの庇護のもとに、あるいはその善意にまぎれて、なにやらやってきたのが、この国の<児童文学>とよばれるものなのである。
<児童文学>に対する、この一般的な思い込みはかなり強固なもので、ついでに<児童文学者>とよばれる人たちに対しても、<童心の求道者>といったふうな聖職者イメージがついてまわる。これは<児童文学>をふくめて、児童文化というものが教育文化に従属していると目されている証拠でもある。

 ここで山中恒は更に指摘すべきであった.《<児童文学>に対する、この一般的な思い込み》は,児童文学者自身のものでもあったのだと.
 児童ではない一般の大人たちが,児童文学者は「童心の求道者」「聖職者」であると思い込んでいたとしても別にどうということもないのである.むしろ問題は,児童文学者は教育者であり聖職者であると,児童文学者自身が思い込んでいたこと,言い換えればその思い上がりと傲慢にあったと私は考える.
 その思い上がりと傲慢の最悪な例が,小川未明の『日本的童話の提唱』と題した小論であろう.そこから一部を引用する.(初出は昭和十五年 <1940年> の『新日本童話』,竹村書店;著作権の保護期間は終了している)

今日ほど慌だしい時代の変遷はない。導く者も、導かるるものも、年齢の差こそあれ、同一の目的と理想に向かって反省し、情熱をもって進まなければならぬ。日本の当面する事業は、人類史上に類例を見ないほど偉大なものだ。
 もとより外国の場合とか、理論とかが役立つものでない。新しい現実は常に理論を飛躍する。破壊と建設の複雑な渦中にあっては、現実を直観して、伝統的精神の中から体系を見出し新たなる建設的指導理論をつくるよりほかに道はない。この旗幟の下に児童を動員する。
 そして、先ずこの度の聖戦の意義について知らせることである。幾百万の生霊を犠牲にして、支那四千年の文化を破壊してまで何で、戦わなければならなかったか、すなわち支那の無自覚なる、欧米に依存して東亜を危うくしたためだ。
 先ずその思想を打破して、東亜を解放しなければならなかったからである。これがため、われらの父も兄も犠牲となった。祖先の意志と、祖国の観念を消滅しようとする将来の敵たる共産主義に対しては、各自の光栄ある歴史と民族を擁護するために、東洋諸国同志は、協力してこれに当たらなければならぬ。これが戦線に立つ父兄の志であった。
 今の子供は、この志の承継者である。日本の子供は、始めて前途に輝かしい目標を与えられた。これを見ても日本は、兄たるべきである。日本の子供は兄たるの資格を有しなければならぬ。その徳においても、識見においてもそうであらねばならぬ。仮に、支那四億の民衆と、わが一億の同胞と比較して見ても、その数において大差がある。これを心服せしめ、指導することも、偶然ではあり得ない。
 先ず日本の子供に、強き人格をつくることである。相手を信ぜしめるためには、何よりも『真実』ということが大切である。戦後における彼我の成人間の感情は容易に解消さるべくも思われない。子供の時代にいたって解消融和し、始めて明朗が期せられる。そこに日満支も各自の特色と技能を発揮し、有機的に結合して、政治に、経済に、ゆるぎなき秩序を形成し、渾然たるところの、東亜の文化が生まれるのである。
 今は、正にアジアの夜明けで、全くの童話時代だ。文芸における童話の使命も、亦この時代にあるのだ。まことに無限な童話ロマンチシズムの時代である。
 母や、祖母の愛で、子供たちに語られた昔のお伽話は、商品主義の産物でなかった。それであればこそ感化力の偉大なるものがあった。
 たとえば舌切り雀も、桃太郎も、その他いろいろのお伽噺は封建時代の導徳感と離して考えることは出来ない。勧善懲悪、因果応報を教え、また克己忍従、主従の義理、憐憫の徳を教えた。

 この檄文のごとき文章の中で小川未明は,唐突に何らの説明もなく

世界無二の有難い国体と精神は、自らにして人類を救済するに足りる

と言い出して,これから強引な独断で

支那の無自覚なる、欧米に依存して東亜を危うくした
その思想を打破して、東亜を解放しなければならなかった
今の子供は、この志の承継者である。日本の子供は、始めて前途に輝かしい目標を与えられた。これを見ても日本は、兄たるべきである。日本の子供は兄たるの資格を有しなければならぬ
支那四億の民衆
を心服せしめ、指導する

と続けて,未明らが提唱した「童心主義」によれば純真無垢のはずである児童たちを支那侵略に動員せよと,大人たちに訴求した.
 しかしその文章全体には論理の構築がなく,根拠を示さない断定ばかりが続いている.そもそも《世界無二の有難い国体と精神》自体が論理の産物ではないのだから,これを信奉する小川未明がこんな雑駁な文章を書くのは当然なのであった.

 児童文学界における小川未明という人間とその作品の権威は虚構にすぎなかった.しかし同世代の童話作家たちの無責任と権威主義のために,石井桃子他『子どもと文学』 (福音館,1967年) によって未明の作家としての無能が指摘され,「未明神話」が崩壊するまでに実に戦後二十年以上を要したのであった.
 さらに,『子どもと文学』に続いて山中恒は『児童読み物よ、よみがえれ』(晶文社,1978年) で,未明らの「童心主義」が子ども不在の無意味な観念であることを喝破し,また後に『戦時児童文学論』 (大月書店,2010年) で小川未明はもちろんのこと,浜田広介と坪田譲治についても戦時中の姿勢を徹底的に批判した.最近では,未明について転向論の切り口から,増井真琴 (『小川未明の再転向』) によって未明の人間性批判が行われている.
 だがここで私は,『日本的童話の提唱』全文にわたって顕著な,日本民族の優位性を自明のこととする未明の思い上がり,独善性を指摘したい.
 戦争協力者小川未明の独善的ナショナリズムは戦時中に顕著になったもので,戦後は掌を返して民主主義者を装うのであるが,しかしこの独善的ナショナリズムは戦後,日本の童話界に遅れてやってきた藤澤衞彦教授によって継承されたと考えられる.
 そこで『日本的童話の提唱』と対比するために,藤澤衞彦教授が昭和二十四年,『母子草』巻末に掲げた《父兄方へ》を再掲する.(前に《母子草 (十一) 》で引用した)

憧憬と敬虔の念のそぞろ湧く日本傳承童話の泉、それは、日本の歴史と共に古くこの國土に秘められ、日本民族のみに恵まれた泉である。
 そこに、わが民族精神は眞實に傳統せられ、そこに、わが民族詩情の影は、誇りかにうつる。
 思想的にも、本質的にも、わが國民性的特徴の豊かな、純日本所産の貴物 (註;「貴物」には「とうともの」とルビが振られている) である日本傳承童話の蒐集整理研究のために、私は、日本學士院の推薦により、有栖川宮記念學術奬勵資金を、高松宮殿下からいただくことになりました。感激その仕事に没頭、努力『學術上有益なる研究竝 (註;読みは「ならび」) に其の發表を補助』せらるる御志に答えねばなりませぬ。
 日本傳承童話の蒐集整理研究は、もとより、文獻と傳承とによる日本傳説と日本童話の蒐集整理研究であって、その業は容易でないが、積年かけて集大成し、完了を終生に期待する。
一、本集は、その傳承童話を、原話の形式にこだわらず、ひたすらに、直ちにこどもたちに與える讀物として、標準語表現によって發表すべく念願したものの、第二集である。
一、蒐集整理の數は、先ず、第一期約二百二十話を、こん後一箇年間に整理發表するもので、全十二巻の選集とし、「日本傳承童話の整理研究」を別巻とする。
一、發表の童話は、美しくて良い童話のみを選ぶ。美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い。この美しい良い傳承童話は常に歴史的藝術を含んでいる。想像的所産と考えられる童話も、嚴密に言えばその構成要素のうちには、常にそれが以前集められた若くは傳統された知識、精神を材料としていることが認められる。このきまりの上に所産された眞の日本のこどもへの文化寶としての純日本傳承童話は、日本民族の心的動向としての特徴を、そのお話のなかにただよわす。
一、美しい、良い、正しい傳承童話は、次代への文化寶として、他の國家、他の民族の持てるものとは特異なものを含む。形態としても、日本傳承童話は、この國、この民族の上にととのえられた、特性を持つものが少なくない。
 どうぞ、この童話のもつ特徴を、こどもたちに知らしてくださるよう、願う。
         藤澤衞彦

 この文中で藤澤教授は「国体」と書くのはさすがに憚られたようだが,民族精神,民族詩情,わが國民性的特徴,純日本所産,日本民族の心的動向などと国粋主義を露わにしている. 国粋主義は戦時中の小川未明の姿に他ならない.
 さらに付け加えると,未明は戦時中の座談会で《正しいものは同時に美しいものであり、美しいものは同時に正義である》と語っている.(出典;上野瞭『ネバーランドの発想』(すばる書房,1974年)
 これは藤澤教授が《父兄方へ》で《美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い》と書いたことと呼応している.
 すなわち,戦後の小川未明は軽々と転向したが,藤澤教授は戦後を,戦前戦中の未明のミニチュアとして生きたのである.そしてこれこそが,上笙一郎が『児童文学研究=北邙の人たち』(日本児童文学協会編『戦後 児童文学の50年』,p.113) の中で,藤澤教授を指して《世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》と書いたことなのである.
(続く)

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2018年7月12日 (木)

『氷の王国』と『しっぽの声 2』

 昨日の記事《南の魔女はオススメ》の末尾を再掲.
 
実は『スノーホワイト』の続編『スノーホワイト/氷の王国』も中古品を買ってあるが,これは公開時からボロボロに貶された作品だ.しかし映画は観てみなければわからないから,実際に観てから評価したい
 
 ほんとに映画は観てみなければわからない.前作『スノーホワイト』は駄作だった (王女なのに,口を半開きにしっぱなしで知性も気品も感じられないスノーホワイトを演じたクリステン・スチュワートは,この作品で第33回ゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞を獲得した w ) が,『スノーホワイト/氷の王国』はとりあえず映画になっている.映画の口コミサイトでボロボロに貶されているのが不思議だ.みんな映画のどこを観ているんだ?
 この映画を観た人たちのレビューに「肝心のスノーホワイトはどうしたの?」というのがあるが,その疑問は,邦題しか見ていないからだ.原題は前作が“Snow White & the Huntsman”で今作は“The Huntsman: Winter's War”だから,別にスノーホワイト (白雪姫がモデル) が登場しなくても構わないのだ.むしろこの二作の主人公は“the Huntsman”なのだということが原題に示されている.つまり“Snow White & the Huntsman”は“The Huntsman: Winter's War”のプロローグであると同時にエピローグでもあるのだ.
 実は最初の構想は「スノーホワイト三部作」だったのだが,スノーホワイト役のクリステン・スチュワートが,監督のルパート・サンダースと不倫したため,二人とも企画から降板し,スピンオフ作品として構想されていた“The Huntsman: Winter's War”が代わって第二作に浮上したという経緯があったのである.
 そういう大人の事情があったので,三部作構想は頓挫してしまったのかも知れない.
 しかし“Snow White & the Huntsman”と“The Huntsman: Winter's War”のいずれにおいても「魔法の鏡はどこからきたのか」という伏線が回収されていない.もし第三作が作られるとすれば,魔法の鏡の由緒を巡る物語になるだろう.
 
 話題変わって,今週月曜日の記事《しっぽの声 》に《刊行されたばかりの「2」も買うことにした》と書いたが,その「2」が届いたので早速読んでみた.
 ちょっと物語の展開がモタモタしている感が否めない.ただし,ストーリーに原作協力者の杉本彩さんの意向が反映されているのはよく理解できる.この話の流れから予想すると,きっと「3」では杉本彩さんと某動物愛護団体との軋轢 (これはよく知られている事実) が描かれるのだろうと思う.
 杉本彩さんの考えに同意しない人も多いのではないかと思うが,それでもこのコミックは,日本のペットマーケットの実際を知るために読んでみるのを薦める.

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2018年7月11日 (水)

南の魔女はオススメ

 私は,現役会社員だった頃は「定年後に時間ができたらのんびりと,本を読んだり古い映画をまた観たりして暮らしたい」と思っていた.
 ところが意外に,のんびりどころか時間が足りない.ブログの更新に必要な読書と,それとはまた別の関心からする読書とで,一日の時間のかなりを使ってしまっている.
 映画鑑賞の方は,仕事からリタイアした時に未鑑賞の名画のDVDをしこたま買い込んだのだが,その後の作品のソフトもあれこれ買ってしまうものだから,古典名画の映画鑑賞はなかなか進まない.
 今日も今日とて,状態のいい中古品が Amazon に出ていたので購入した『スノーホワイト』(2012年) と『オズ はじまりの戦い』(2013年) とをぶっ続けに鑑賞した.いずれも公開時の興行成績が高かった作品である.

『スノーホワイト』は Wikipedia【スノーホワイト】に次の記述がある.

『スノーホワイト』(原題: Snow White & the Huntsman)は、グリム童話『白雪姫』を原作とした、ルパート・サンダース監督、ホセイン・アミニとイヴァン・ドーハーティ脚本による2012年公開のダークファンタジー映画。アメリカ合衆国では2012年6月1日に劇場公開された。本作を3部作の1作目とすることを予定している。
日本では2012年6月15日に劇場公開された。観客動員数は29万人を突破し、週末興行成績は約3億7000万円超えにして初登場第1位を獲得している。

 というのだが,作品の質としてあまり感心しなかった.
 どうしてかというと,ヒロインのスノーホワイト (クリステン・スチュワート) が,常に口を半開きにしているからである.美しく頭のよい魅力的な少女には見えないので,感情移入ができないのだ.
 ナタリー・ポートマン (『スターウォーズ』のパドメ・アミダラ役) やエマ・ワトソン (『ハリー・ポッター』のハーマイオニー・グレンジャー役) のようなオーラが,クリステン・スチュワートからは感じられなかった.
オズ はじまりの戦い』はこれと対照的に,ヒロインである南の善き魔女・グリンダを演じたミシェル・ウィリアムズが素晴らしく魅力的だ.このファンタジー作品はお薦めである.

 実は『スノーホワイト』の続編『スノーホワイト/氷の王国』も中古品を買ってあるが,これは公開時からボロボロに貶された作品だ.しかし映画は観てみなければわからないから,実際に観てから評価したい.

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2018年7月 8日 (日)

しっぽの声

 私がこれまでに読んできたネコマンガもイヌマンガも,ほとんどは明るい内容の作品 (例外は涙腺崩壊必至の村上たかし『星守る犬』) だった.

 ところが最近,Amazon がしきりに『しっぽの声』を推薦してくるので,これまでに二冊出ているが,試しに「1」を購入してみた.このコミックは原作が夏緑,作画は ちくやまきよし,そして動物福祉活動家として知られる女優の杉本彩さんが原作者に協力している.
「あとがき」で,この本が出版されるに至った経緯を杉本彩さんが執筆していて,そこに次のようにある.

人間は動物を利用して動物からたくさんの恩恵を受けています。そのことを認めた上で、動物が命あるかぎり不快な思いをしないよう配慮する――動物福祉は、人が動物と関わる以上、最低限の責務でもあります。
 『しっぽの声』を初めて読んだ方は、その内容に衝撃を受け、にわかに信じがたいかもしれません。ですが、残念ながらこれが現実なのです。"漫画"を通じて、動物たちの声が多くの皆様の心にとどくことを願ってやみません。

 この文章に嘘はないと思う.刊行されたばかりの「2」も買うことにした.

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2018年6月23日 (土)

軍国主義アニメ

 小学生の私が初めてみたアニメ映画は,日本公開が昭和三十一年 (1956年) のディズニー映画『わんわん物語』だった.たぶん父親自身が観たかったので私を連れて映画館に行ったのだと思うが,すごいものを観たという感激を私は今でも覚えている.
 その次は東映の『白蛇伝』で,これは学校側が視聴覚教育の一つとして,校庭に大きな柱を二本立て,これに布を張り渡したスクリーンを作って生徒にみせた.抒情的な優れた作品であり,私はこれが日本製アニメの出発点だったと思う.

 昨日から,櫻本富雄『ぼくは皇国少年だった』(インパクト出版会,1999年) を再読している.
 この櫻本氏の著書は,戦前・戦中に戦争協力者だったにもかかわらず,戦後はその過去を隠蔽し,あたかも戦争中に反戦姿勢を貫いたかのような嘘をつき続けた人々のことが書かれている.文化人の戦争責任を問うた評論集である.
 この書籍に評論「アニメ・桃太郎・海の神兵」が収められている.初稿は昭和五十九年 (1984年) で,これは戦中に製作された軍国主義宣伝アニメ『桃太郎 海の神兵』に対する批判である.
 私が冒頭に『白蛇伝』が日本製アニメのスタートだと書いたのは,私は『桃太郎 海の神兵』(と姉妹編『桃太郎の海鷲』) をクリエイターの作品であるとは認めないからだ.これは少国民を戦争に動員するために海軍省と大本営海軍報道部が作ったプロパガンダ映画だからである.
 私は知らなかったのだが,Wikipedia【桃太郎 海の神兵】に次の記載がある.

2016年、第69回カンヌ国際映画祭のクラシック部門に出品され、7月23日よりデジタル修復版がユーロスペースなどで上映。

『桃太郎 海の神兵』をカンヌ国際映画祭に出品するのは,ナチスのプロパガンダ映画をカンヌ国際映画祭に出品するのと大差ないと思うが,映画祭に出した時の評判はどうだったのだろう.調べているが資料が見つからない.

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2018年6月20日 (水)

『母子草』ノート (9)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
* 前回の記事《『母子草』ノート (8)
 
 磯田道史氏著の一般向け新書や文庫などを読んでいると,平明な文章だから私たち読者はどんどん読み進んでしまうのだが,実際には氏の著作は史料の深い検討の上に書かれているのだろう.
 私は理系の人間で,歴史学は全くの門外漢だから,前回の記事で紹介した論文『古代竹生島の歴史的環境と「竹生島縁起」の成立』(大川原竜一著) を読んで,歴史学の研究レベルの仕事はこのように進めるものなのだなと感じ入った.
 中でも,おおそうなのか,と思ったのは,この論文の初めのほうに書かれている次のことである.
 
かつて桜井徳太郎氏は、(中略) 「一つの縁起が成立し伝承されて行く過程には、かならず変化の歴史が伴って」おり、「縁起伝説の歴史的変化を跡づける作業が重要な意味をもってくる」と述べている。また達日出典氏は「縁起は、その寺院の内部事情の変化や寺院をとりまく外的条件変化に伴い、常に書き換えられるものであることを前提に置き、広く寺院史の中に、縁起の形態 (内容構成) を系統的にするべき」と指摘している。
 歴史学の分野においては、虚飾・潤色彩られる縁起の物語的要素を史実と混淆することなく実証的に考察を加えて、縁起それ自体の史料的価値を分析しなければならないのは当然である。けれどもその一方で縁起を制作した寺社の意図のみならず、それらを要望した時代的背景や信仰の担い手・受容層が存在したことは事実であり、地域的固有性、信仰上の差異や担い手などによって多種多様な内容構成をもつ寺社縁起も、寺社の歴史的環境やその発展、また縁起制作当時の宗教的・思想的背景に位置付けることで、その時代性を考える「史料」として対象化することができる。
》 (文中の下線はブログ筆者による)
 
 論文著者の大川原氏は,上に引用した立場で竹生嶋縁起を批判的に考察している.(前回の記事に私は,日本大百科全書ニッポニカに書かれている竹生嶋縁起の解説に関して《この解説は記述が不完全で,竹生嶋縁起が二つ存在することは指摘しているが,そのあとの記述は,その二つの文献の内容をごちゃ混ぜにしている》と書いたが,大川原氏は《竹生島縁起群》としている.二つよりも多いらしい)
 
 その考察の中から,私が知りたいこと (竹生島信仰の歴史) を抜き出すと,以下の通りである.
 
[1]竹生島信仰の始まり
 護国寺本『諸寺縁起集』所収の竹生嶋縁起 (以下,承平縁起と呼ぶ) は,承平元年 (931年) に書き起こされ,天暦元年 (947年) と永祚元年 (989年) に追記がなされた.
 この縁起には,島名の由緒が書かれており,大川原論文によれば次のようである.
 
倭根子天皇 (孝霊天皇) の時代のこととして、気吹雄命・坂田姫命・浅井姫命の三神が天降り、近江国坂田郡 (承平縁起本文では「坂田評」) の東方に下座した気吹雄命と、同じく浅井郡の北辺に下座した浅井姫命が勢力を競い争った伝承である。のちに浅井姫命が北辺を去って海中に下った音が「都布々々」といったことから島の名 (「都布夫嶋」) として名付けられ、さらに年月を経て竹篠が生え出たことから「竹生島」の漢字が当てられたという、いわゆる地名起源伝承になっている。
 
 欠史八代と呼ばれ,実在したとしてもかなり創作性が強いとされる孝霊天皇は,在位期間を機械的に西暦で表現すると五世紀前半の天皇であることになる.浅井姫命が沈んだ島であるから当然竹生島には浅井姫命が祀られたに違いないが,しかしその社である都久夫須麻神社 (竹生島神社) の名が初めて記された史料は,遥か後代の延喜元年 (901年) に成立した『日本三代実録』の,元慶三年 (879年) の記事であると大川原論文はいう.
 ここで特筆すべきは,承平元年 (931年) に成立した竹生嶋縁起 (承平縁起) には,浅井姫命は登場するが,奈良東大寺大仏造立の実質上の責任者として著名な行基は,天平十年 (738年) に竹生島を訪れ,小さな仏堂 (これが竹生島の宝厳寺の開創とされる) を建てて四天王を祀ったとだけ記されていることである.
 しかるにこれが後世になって大きく変容し,伝説化した行基が竹生島に弁才天や十一面観音を祀ったことに書き換えられてしまうのである.(竹生島と行基の関係については後述する)
 ちなみに承平縁起は,竹生島に千手観音を祀ったのは,天平勝宝五年 (753年),近江国浅井郡大領の浅井直馬養 (あざいのあたいうまかい) という人物であるとしている.
 上記のことをまとめれば,竹生島信仰は,現代では弁財天が本尊であるが,初期には弁才天ではなく,土着神の浅井姫命と千手観音の信仰から始まったのである.
 
 ちなみに,宝厳寺観音堂の千手観音は秘仏であるが,その他に聖観音像も祀られている.私は竹生島に行ったことがないので見ていないが.
 この拙文は,中島千恵子氏が採話し再話した近江の民話「母子草」は,近江の被支配階層庶民の信仰に関わるものではないかという私の仮説に基づいて進めているのであるが,「竹生嶋の弁才天信仰」の勉強と並行して進めている「湖北の観音信仰」に関して集めた資料『特別展 湖北の観音 ―― 信仰文化の底流をさぐる』(長浜市長浜城歴史博物館他編,サンライズ出版,2012年) に,列品解説として次の記述がある.(p.150)
 
木造聖観音立像 一躯 平安時代 (後期)
      像高 六七・五
      竹生島宝厳寺蔵 (長浜市早崎町)
  琵琶湖に浮かぶ竹生島宝厳寺に伝わる聖観音像。竹生島は弁才天信仰で広く知られるが、平安時代後期に制定された「西国三十三所観音霊場」の札所としても、早くから信仰を集めた島である。本像は、左手に蓮華を執り、右手をかざす通形の聖観音の像容を示す。左右対称的な表現、静かで穏やかな相好、量感を抑えた体躯、浅い衣文表現など、平安時代後期、十二世紀中頃の作風を示す。

 
 仏像彫刻の様式は,非常に詳しく研究されており,専門家が《十二世紀中頃の作風を示す》と鑑定したのであれば,間違いなくそうであろう.現代にまで伝えられたその聖観音が,制作されたのは十二世紀だとしても,竹生島に安置されたのはいつなのか,一言書いて欲しかったと思うのは私だけではあるまいと思う.
(続く)

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2018年6月16日 (土)

嘘は罪

 先程から,パティ・ペイジの「嘘は罪」を聴きながら,晩飯の支度を始めた.
 支度といっても,昼過ぎに藤沢の銀行に行ったついでにダイヤモンドビル地下の鶏惣菜屋「浜鶏」に寄って,網焼きチキンを一つと鶏腿の唐揚げを二百グラム買ったので,これを買い物袋から取り出し,大容量 (600ml) のステンレス断熱タンブラーに,近所のファミマで買った氷を目一杯入れ,酒を注ぎ,書斎 (笑) のパソコンの前に陣取るだけのことである.

 パティ・ペイジはいいなあ.進駐軍とか米軍極東放送とか,昭和三十年代のにおいがする.
 パソコンの iTunes をリピートモードにして,飽きもせず,繰り返し繰り返し「嘘は罪」を聴く.(YouTube はここ)

 パティ・ペイジは訛っていると私は思う.彼女はオクラホマの生まれ育ちだから,南部訛りかというと,そもそも私は南部訛りの米語がどんなものか知らないので,何とも言い難い.
 ただ,無理やり片仮名で書くと,他の歌手たちが“イッツ ア スィン トゥ テル (tell) ア ライ”と歌っているのに対して,パティ・ペイジは“イッツ ア スェン ツー ツェル ア ライ”と日本人の耳には聞こえるのだ.
 “ダイ (die) ”は同様に“(ダイ+ザイ)”と聞こえる.

 私は一度だけ,アメリカ南西部に行ったことがある.その時に,ホテルマンの南部訛りが全く聞き取れなくて往生した.それに比べればパティ・ペイジは訛っていないというべきかも.

 それはそれとして,「嘘は罪」を聴くときに相応しい酒はなんだろう.
 この歌の作詞作曲者であるビリー・メイヒュー (Billy Mayhew) は一発屋で,その人物像は全く知られていない.都会人なのか,カントリーの人なのか,誰も知らない.しかし一発屋にしては,あまりにもいい曲すぎる.誰か著名な作曲家が覆面で作ったのだろうか.

 名前が“Billy”だから男 (女性名のビリーはスペルが Billie) だろうが,歌詞は女心を歌っているとしか思えない.
 南部の大き目の酒場のフロアで踊る二人.男が「愛してるよ」と囁く.女は「愛してる,は本気で言わなけりゃ.嘘は罪よ」と言う.あたしを騙したら,死ぬからね,と.

 やはりここはバーボンかな.
 でもバーボンはいま切らしている.
 あるのは泡盛「久米島の久米仙」なので,島唄風に「嘘は罪」を歌うとどうなるか考えてみた.成底ゆう子さんはジャズは歌わないのだろうか.

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