続・晴耕雨読

本や映画などについて.

2020年1月18日 (土)

小川と娘

 ジョン・エヴァレット・ミレーは1852年,戯曲『ハムレット』の登場人物のオフィーリアが溺れて死ぬ様子を描いた.
 

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(『オフィーリア』,パブリックドメイン;Wikimedia File:John Everett Millais - Ophelia - Google Art Project.jpg)

 テレビ東京の新美の巨人たち 35歳で早世…奇跡の物語!三橋節子『花折峠』×奥貫薫》(1月11日放送) をたまたま観たら,夭逝した画家の三橋節子を取り上げていた.
 私は三橋節子についてほとんど知るところはなかったのだが,番組中で紹介された絵のいくつかは既視感があった.
 彼女の代表作の一つが『花折峠』である.この作品は,引用できる画像がないようなので,テレビ画面を撮影した画像を下に示す.
 
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『花折峠』は創作民話を材に取った作品だという.テレビ画面で『花折峠』を観たとき,私は瞬間的に『オフィーリア』を想起した.
 もちろん『オフィーリア』と『花折峠』ではモチーフが全く異なるのであるが,「あ」と思ったことは確かである.
『花折峠』は大津市立の「長等創作展示館・三橋節子美術館」が所蔵している.訪ねてみたいと思った.
 
 ちなみに,創作民話「花折峠」の作者は中野隆夫というかたである.

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2020年1月16日 (木)

鉄の道 (補遺)

 昨日の記事《鉄の道》の末尾を再掲する.
 
スキタイの東端から製鉄の遺跡を辿ってユーラシア大陸を横断していくと,アルタイ地方に至る.
 スキタイは文字を持たなかったため,従来は謎に包まれていたが,現在は版図の精力的な発掘が行われており,かなり詳しいことがわかってきたらしい.同時代のギリシャの記録などから著しく野蛮な民族だと思われてきたが,非常に高度な金属文化を持っていたようだ.
 このスキタイからさらに東方へは二手に分かれて製鉄技術が伝播したという.

 
 この箇所は,誤解のないように,もう少し詳しく書く必要があった.以下の画像は,テレビ画面をカメラ撮影した画像をトリミングしたものである.
 まず,ヒッタイトが発展させた製鉄技術は,ヒッタイトが興亡したアナトリア地方 (下の画像の黄色い円形部分のあたりにある;現在のトルコ共和国のアジア部分) からコーカサス地方 (黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と,それを取り囲む低地からなる地域) を経て,スキタイの版図の西端に伝えられた.
 紀元前七世紀から前二世紀にかけて繁栄したスキタイの版図の西端から東方に,ほぼ同じ緯度の地帯に製鉄炉の遺跡が分布している.
 
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 製鉄炉が分布する地帯は,下の画像に示されているように,現在のカザフスタンからモンゴルにかけて,北の森林地帯と南の砂漠地帯の間に広がる草原地帯である.
 
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 この中央ユーラシアに紀元前四世紀に勃興したのが匈奴である.(下の画像)
 

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 匈奴が遺した製鉄炉を発掘調査している愛媛大学の笹田准教授は,匈奴の製鉄技術は西方 (スキタイ) から伝播したものだという.(下の画像)
 
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 冒頓単于が率いる匈奴の,鉄製の矢じりを付けた矢を騎射する騎馬軍団は,前漢皇帝・劉邦 (高祖) の軍を圧倒した.Wikipedia【冒頓単于】に次の記述がある.
 
紀元前200年、40万の軍勢を率いて代を攻め、その首都・馬邑で代王・韓王信を寝返らせた。前漢皇帝・劉邦(高祖)が歩兵32万を含む親征軍を率いて討伐に赴いたが、冒頓単于は弱兵を前方に置いて、負けたふりをして後退を繰り返したので、追撃を急いだ劉邦軍の戦線が伸び、劉邦は少数の兵とともに白登山で冒頓単于に包囲された。この時、劉邦は7日間食べ物が無く窮地に陥ったが、陳平の策略により冒頓単于の夫人に賄賂を贈り、脱出に成功した(白登山の戦い)。
その後、冒頓単于は自らに有利な条件で前漢と講和した。これにより、匈奴は前漢から毎年贈られる財物により、経済上の安定を得、さらに韓王信や盧綰等の漢からの亡命者をその配下に加えることで勢力を拡大させ、北方の草原地帯に一大遊牧国家を築き上げることとなった。これには、成立したての漢王朝は対抗する力を持たず、劉邦が亡くなった後に「劉邦が死んだそうだが、私でよければ慰めてやろう」と冒頓単于から侮辱的な親書を送られ、一時は開戦も辞さぬ勢いであった呂雉も、中郎将の季布の諌めにより、婉曲にそれを断る内容の手紙と財物を贈らざるを得なかった。
冒頓単于は更に月氏を攻め、更に西方へ追い立てた後、前174年に没した。
その後も東アジア最大の国として君臨していたが、前漢王朝が安定し国が富むに至り、武帝はこの屈辱的な状況を打破するため大規模な対匈奴戦争を開始する。しばらく一進一退が続いたものの、前漢の衛青と霍去病が匈奴に大勝し、結局、匈奴はより奥地へと追い払われ、その約60年続いた隆盛も終わりを告げた。
ただそれまで部族単位での略奪と牧畜が産業だった遊牧民に、国家という概念と帝国型の社会システムを根付かせたことは大きく、後のモンゴル帝国へとつながることになる。
 
 筆者が受験勉強をしていた頃の高校世界史 (五十年前 ^^;) では,上の引用文のように,匈奴が前漢を圧倒したのは冒頓単于の卓抜した軍事的才能によるとしていたが,それだけだったろうか.上記引用文中の「白登山の戦い」だが,Wikipedia【白登山の戦い】には次のように書かれている.
 
楚王項羽を滅亡させて中国再統一を果たした皇帝劉邦は、匈奴へ備えるために韓王信を馬邑(現在の山西省朔州市朔城区)に派遣するが、匈奴の脅威を間近で見た韓王信は匈奴との和平を唱えた。これを裏切りとみられた韓王信は、匈奴に投降した。韓王信の軍隊を加えた匈奴は40万の大軍で太原へ攻め込んできた。
 
 引用文中の,韓王信が目の当たりにした匈奴の脅威とは,匈奴軍の局地戦戦闘力,武器の殺傷能力ではなかったか.
 番組の放送においては,その点を匈奴軍が開発した鉄製の矢じりを用いて説明した.(下の画像の )
 
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 下の画像の字幕説明は「この矢じりは一段目の刃で相手のよろいを貫き 二段目の刃で致命傷を負わせる目的で作られました」
 
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 下の画像は実験したところ.匈奴の鉄製矢じり (赤い) は,当時の鎧と同じ厚さの銅板 (青い) と羊の肉を易々と貫通した.
 
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 これに対して漢軍は,青銅製の小さい矢じりを用いていた.匈奴の矢じりに比較して,見るからに殺傷力が低いと考えられる.
 この当時の漢には強力な鉄製武器を製造する技術がなかった.しかも匈奴は,王宮に武器を製造する工場が併設される「鉄の軍事国家」であった.
 
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 鉄と青銅.武器性能の優劣のために漢は匈奴に屈した.しかし漢においてもやがて製鉄技術の革新が行われた.
 
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 中国における製鉄の始まりについては,永田和宏『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』(講談社ブルーバックス,2017年) によれば,次の短い記述だけである.
 
中国には製鉄法は紀元前600年頃に伝わり、銑鉄が作られ、鍬や鎌、鑿などが鋳造で作られ、紀元前512年には鉄の大釜が鋳込まれた。一方、鋼はルツボ法で作られた。溶鉱炉は春秋時代初期に出現した。しかし、これで作った鋳鉄は質が悪く、悪金と呼ばれ、農具に使われた。
 
『人はどのように鉄を作ってきたか …… 』はつい三年前の出版であるが,ヒッタイトからスキタイに伝わった製鉄技術は全く書かれていないし,匈奴と漢の抗争における鉄と青銅の武器の優劣にも触れていない.この書籍では漢にどこから製鉄法が伝えられたかもわからない.いかに「鉄の道」の考古学が最近の学問分野であり,最新の知見に満ちたものであるかが知れる.
 この事情はWikipediaでも同じで,Wikipedia【鉄器時代】でも,わずかに次のように書かれているに過ぎない.
 
中国においては、殷代の遺跡において既に鉄器が発見されているものの、これはシュメールなどと同じくそれほど利用されていたわけではなく、主に使用されていたのはあくまでも青銅器であった。本格的に製鉄が開始されたのは春秋時代中期にあたる紀元前600年ごろであり、戦国時代には広く普及した。鉄器の普及は農具などの日用品から広がり、武器は戦国時代まで耐久性のある青銅器が使われ続けた。例えば、秦は高度に精錬された青銅剣を使っている。
 
『人はどのように鉄を作ってきたか …… 』もWikipedia【鉄器時代】も,中国で製鉄が始まったのは紀元前600年頃であり,作られた鉄は武器を作れるような品質ではなく,農具に使われたとだけ述べている.
 ところがごく最近,愛媛大学の研究グループがその後の中国の製鉄技術の発展を明らかにしている.
 
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 愛媛大学アジア古代産業考古学研究センター長・村上恭通氏によれば,中国では高炉を用いて大量の鉄が生産できるようになった.(下の画像)
 
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 しかしこの鉄は脆いため,武器には使えなかった.(下の画像)
 
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 そこで発明されたのが炒鋼炉であった.炒鋼炉は,高炉で作った銑鉄を脱炭素して鋼にする炉である.
 
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 炒鋼炉は明代の技術書『天工開物』に描かれている古代の鋼精錬法であるが,村上恭通氏らは漢代に作られた炒鋼炉の跡を発掘した.こうして漢は鋼の武器を鍛えることができる技術を手に入れたことが判明したのである.
 
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 漢の武帝は即位するや匈奴に反撃を開始した.番組は,漢軍は鋼の大型武器「」を用いることで匈奴との戦闘において優位に立ったと説明した.
 
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 Wikipedia【匈奴】には次のように書かれている.
 
匈奴で軍臣単于(在位:前161年 - 前127年)が即位し、漢で景帝(在位:前156年 - 前141年)が即位。互いに友好条約を結んでは破ることを繰り返し、外交関係は不安定な状況であったが、景帝は軍事行動を起こすことに抑制的であった。しかし、武帝(在位:前141年 - 前87年)が即位すると攻勢に転じ、元朔2年(前127年)になって漢は将軍の衛青に楼煩と白羊王を撃退させ、河南の地を奪取することに成功した。
元狩2年(前121年)、漢は驃騎将軍の霍去病に1万騎をつけて匈奴を攻撃させ、匈奴の休屠王を撃退。つづいて合騎侯の公孫敖とともに匈奴が割拠する祁連山を攻撃した。これによって匈奴は重要拠点である河西回廊を失い、渾邪王と休屠王を漢に寝返らせてしまった。さらに元狩4年(前119年)、伊稚斜単于(在位:前126年 - 前114年)は衛青と霍去病の遠征に遭って大敗し、漠南の地(内モンゴル)までも漢に奪われてしまう。ここにおいて形勢は完全に逆転し、次の烏維単于(在位:前114年 - 前105年)の代においては漢から人質が要求されるようになった。
太初3年(前102年)、漢の李広利は2度目の大宛遠征で大宛を降した。これにより、漢の西域への支配力が拡大し、匈奴の西域に対する支配力は低下していくことになる。
その後も匈奴と漢は戦闘を交え、匈奴は漢の李陵と李広利を捕らえるも、国力で勝る漢との差は次第に開いていった。
 
 以上がNHKスペシャル《アイアンロード ~知られざる古代文明の道~》を解説した記事《鉄の道》への補遺である.
 
 しかし,視聴者は,ここで大きな疑問を持たざるを得ない.
 番組の放送では漢の武器「鋼鉄製の戟」が漢の勝利の要因であるかのように説明していたが,これは納得しがたい.
 戟には長短の種類があるが,いずれにせよ漢の時代よりも古くからある近接戦闘武器である.冒頓単于の匈奴軍が劉邦の漢軍を圧倒したのは,白登山の戦いが典型だが,騎馬民族たる匈奴の戦術が,騎射のヒット・アンド・アウェイだったからである.ヒット・アンド・アウェイで戦う限り,遠隔戦闘武器である弓は絶対に近接武器に負けない.負けるとすれば,白兵戦に持ち込まれたときである.
 
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 こう考えると,武帝の時代に漢が匈奴を撃退できた要因は,単に戟が青銅製から鋼製に変化したことではあり得ない.青銅製だろうが鋼鉄製だろうが,近接戦闘武器としての性能に大差があろうはずがない.だとすれば,匈奴の側に,戦闘力が低下する要因があったと考えるのが妥当だ.第一に考えやすいのは,消耗品である矢じりを大量に生産できなくなった可能性である.次に,良馬が戦闘で消耗減少し,あるいは馬の生産力が低下し,歩兵で戦うように戦術が変化したのかも知れない.
 そこでハタと思い起こされることがある.
 番組中,匈奴が製鉄に必要とした大量の炭はどこから調達されたかについて,全く説明がなかった.スキタイの製鉄は中央ユーラシア北部の森林地帯で炭が生産されたと説明された.
 それと同じであれば,匈奴はモンゴル北部の山岳地帯で炭を作ったのだろう.
 だがしかし,番組の中で視聴者が見たモンゴル北部山岳地帯は下の画像のようであった.
 
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 見渡す限り,草とわずかな灌木しか生えない荒涼たる岩山とハゲ山.騎馬民族の王国が栄えた時代の,製鉄に使われた森林はどこにいったのだろう.
 もしかすると,匈奴は鉄の武器のために森林資源を枯渇させてしまったのだろうか.
 その結果,彼らの鋼鉄生産量は大きく減少し,軍事力の低下と共に匈奴の王国は歴史の流れの中に消えたのかも知れない.
 ともあれ,「鉄の道」の全体像を明らかにするには,この地における製炭と消費の歴史を明らかにせねばならないように思われる.
(この稿おわり)

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2020年1月15日 (水)

鉄の道

 NHKスペシャル《アイアンロード ~知られざる古代文明の道~》がおもしろかった.
 遥かな古代,シルクロードの北側に,西アジアと極東を結ぶもう一つの「文明の道」があったという内容だ.
 私が高校生の頃に勉強した世界史では,鉄器文化 (Wikipedia【鉄器時代】) の発祥はヒッタイトだということになっていたと思う.
 
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(ヒッタイトの位置)
 
 文化というレベルの話としては,現在でもその認識でよいと思われるが,製鉄法そのものはヒッタイトが興る遥か以前から知られていたというのが現在の定説だろう.Wikipedia【鉄器時代】から下に引用する.
 
鉄の利用は鉄器時代の開幕よりもはるかに古く、紀元前3000年ごろにはすでにメソポタミアで鉄は知られていた。ただしもっとも初期には融点が高いために鉄鉱石から鉄を精錬することはできず、もっぱら隕鉄を鉄の材料としていた。その後、エジプトなどでも出土例がみられるが、精錬の難しさや隕鉄の希少性などから利用は多くなく、武器や農具としての利用は青銅を主としていた。
最初の鉄器文化は紀元前15世紀ごろにあらわれたヒッタイトとされている。ヒッタイトの存在したアナトリア高原においては鉄鉱石からの製鉄法がすでに開発されていたが、ヒッタイトは紀元前1400年ごろに炭を使って鉄を鍛造することによって鋼を開発し、鉄を主力とした最初の文化を作り上げた。ヒッタイトはその高度な製鉄技術を強力な武器にし、オリエントの強国としてエジプトなどと対峙する大国となった。その鉄の製法は国家機密として厳重に秘匿されており、周辺民族に伝わる事が無かった。しかし前1200年のカタストロフが起き、ヒッタイトが紀元前1190年頃に海の民の襲撃により滅亡するとその製鉄の秘密は周辺民族に知れ渡る事になり、エジプト・メソポタミア地方で鉄器時代が始まる事になる。》(文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 引用文中の着色箇所「海の民の襲撃によってヒッタイトが滅亡した」というのは信憑性がないようだ.というのは,Wikipedia【ヒッタイト】には
 
紀元前1190年頃、通説では、民族分類が不明の地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされたとされているが、最近の研究で王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたことが明らかになった。
 
と書かれていて,これが最近の説であるらしい.
 ともあれヒッタイトによって高度に洗練された製鉄技術は,王国の滅亡後,スキタイ (紀元前七世紀~前二世紀) の東端の地方に伝えられた.
 
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(スキタイの版図)
 
 スキタイの東端から製鉄の遺跡を辿ってユーラシア大陸を横断していくと,アルタイ地方に至る.
 スキタイは文字を持たなかったため,従来は謎に包まれていたが,現在は版図の精力的な発掘が行われており,かなり詳しいことがわかってきたらしい.同時代のギリシャの記録などから著しく野蛮な民族だと思われてきたが,非常に高度な金属文化を持っていたようだ.
 このスキタイからさらに東方へは二手に分かれて製鉄技術が伝播したという.番組放送では駆け足になってしまったが,中国大陸で鉄の農機具が開発普及し,その結果として農業の生産性が極めて高くなった.そこら辺のところをもっと詳しく知りたかったが,この放送は続編が『歴史秘話ヒストリア』で二月に放送されるらしい.これは是非とも見逃さぬようにしなければ,と思った.
[鉄の道 (補遺) に続く]

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2019年12月25日 (水)

エコバッグ

 番組名と放送日をメモしていない (たぶんテレビ東京『勝手に自慢していいですか』だろう) ので,雲をつかむような話なのだが,たまたまオンにしたテレビ画面に女性タレントたちが出演していて,成城石井のポテトサラダをほめまくっていた.彼女らの話によると,すぐ売り切れてしまうとか.
 そんなにおいしいポテトサラダならば是非とも食べてみたいと思い,一昨日の午後,藤沢駅北口の「さいか屋」地下の成城石井に立ち寄ってみた.
 もう売り切れているかと思いきや,そんな気配は微塵もなく,棚に積まれていた.
 拍子抜けしつつも一パックを買い求めて帰宅した.
 食べる前の外観観察だが,まずジャガイモ以外の具材が非常に貧弱である.ほとんどイモだと言っていい.
 そのジャガイモは,あらかた潰してあり,マッシュポテト状態であった.
 食べてみたら,食感はザラついていて,洋ガラシの風味もタマネギの味もなかった.
 要するに,ダイエーとかの食品売り場で販売されている安価なポテサラと同レベルだった.
 それじゃあ,あのテレビタレントの女性たちの絶賛はなんだったのか.
 不思議に思って「成城石井 ポテトサラダ」で検索してみた.
 すると,クックパッドに《食べ飽きない味・・ 成城石井のポテトサラダを目指して作りました。》という投稿があった.
「目指す」という表現がすごい.成城石井はポテサラ界の最高峰なんだろか.私のような爺にはわからないが,女性たちはこういうイモ感の強いポテサラが好きなんだなと思った.
 
 ついでに成城石井の人気商品という検索を行ったら,スコーンがおいしいという記事がいくつも見つかった.そこでスコーンを買ってきた.紅茶味のものだ.
 原材料はとてもナチュラル志向で「小麦粉,牛乳,バター,加熱練乳,卵,砂糖,紅茶,食塩,香料,ベーキングパウダー」と書かれていて,添加物は香料とベーキンクパウダーだけであった.
 さすがだっ成城石井!と絶賛しつつ三分の一ほどを口に入れたら,小さなスコーンの塊が瞬間的に口中の唾液を全部吸い取り,それでもなお飽き足らずに粉塵化し,私はゲホゲホとむせた.
 ネット情報を子細に検討したところ,皆がみんな成城石井のスコーンをおいしいと言っているわけではなかった.中には,味はイマイチだが《オーブンやトースターで焼くと、表面がサクサクで中身のパサパサ感はさほど気にならなくなりますよ!》と書いている人がいた.
 そこで残りをオーブントースターで焼いてみた.
 粉塵化はさらに度を増した.
 高齢者は誤嚥による肺炎が死につながる.このスコーンは若い人にだけおすすめだと思った.
 
 上のように書いてはみたが,成城石井をディスる意図は全くない.レトルトのグリーンタイカレー (PB) は同種の他社製品を圧倒しておいしいと思うし.成城石井オリジナルのエコバッグは私のお気に入りだ.ペラペラ感がなく,じじいがコレを手に提げて白菜とかを買い物していても落魄感が漂わない.
 これが紀ノ国屋のエコバッグだとそうはいかない.ヨーカドーやイオンでこれを使用するのは場違い感が甚だしくて,紀ノ国屋でお買い物するときの専用だと思われる.だけど私の場合は,鎌倉まで行かないと紀ノ国屋はないからめんどくさい.
 私の娘とエコバッグの話になったとき,上司の部長も紀ノ国屋のエコバッグを欲しがっているが二の足を踏んでいるらしいと言っていた.
 誰しも考えることはおなじなんだなあ.にんげんだもの.
Ninjin_damono

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2019年12月22日 (日)

スカイウォーカーの夜明け

 海外の映画界で活躍している日本人が何人もいる.
 ディズニーの実写版『シンデレラ』で,あの豪華なブルーのドレスを飾ったたくさんの蝶が,お若い宮本遥香さんの作品であることはよく知られている.宮本さんの他では,特殊メイクの辻一弘氏が超有名だ.Wikipedia【辻一弘】には《子供の頃に『スター・ウォーズ』を見て映画に興味を持った 》と書かれている.
 AERA dot.に《45歳で転職 「スター・ウォーズ」で活躍の日本人は元証券マン!》が掲載されている.(2019年12月21日 11:30)
 この記事に
 
「スター・ウォーズ」最後の3部作では、2次元のデザインをコンピューターを駆使して3次元に立体化する「モデラー」という仕事で、日本人が大活躍した。ミレニアム・ファルコンなどを担当した成田昌隆さんは、異色の経歴を持つ56歳だ。
 
とある.
 成田氏も高校生の時に『スターウォーズ』を観たことが,この道に進むきっかけになったのだそうだ.
 続三部作でミレニアム・ファルコンのモデリングを担当した人は四人だというから当然,エンド・クレジットには成田氏の名が載っているはずだが,続三部作の完結編『スカイウーカーの夜明け』では,字が小さすぎて見つけられなかった.
 
 その『スカイウォーカーの夜明け』を観たのは昨日だ.
 SFファンタジー映画史の金字塔である『スター・ウォーズ』の完結編とあって,辻堂のシネコン「109シネマズ」の中に入ると,通路にキャンペーン・ガール (最近の言い方を知らない ^^;) のお嬢さんたちがズラリと並んで,アンケートを配っていた.「好きなキャラクターは?」「この映画をみようと思ったのはなぜですか?」といった質問のもの.
 
 映画評論家などの関係者は試写を観てネット上に批評を書いているが,その一つに「『スカイウォーカーの夜明け』はファンにおもねったストーリーだ」というのがあった.
 私はそうは思わないなあ.続三部作の第一作『フォースの覚醒』,同第二作『最後のジェダイ』と,じわじわと引っ張ってきた完結編『スカイウォーカーの夜明け』のクライマックスは,思わず胸が熱くなるシーンもあり,完結編で初めて明かされる事実もあり,娯楽映画の作法としては絶賛されてもいいと思う.
 全九部作を合わせて「スカイウォーカー・サーガ」と呼ぶが,まさにこれは「遠い昔,遥か彼方の銀河系」を舞台に戦い続けたレイア姫=レイア・スカイウォーカーの物語であった.そのレイアの古い友人であるマズ・カナタがレイアに別れを告げる最後の台詞が胸にジンとくる.
 そしてラストシーンの数分間.完結編の制作が発表された時から『スカイウォーカーの夜明け』の「夜明け」って何?と言われてきた.「夜明け」つまりタイトルの"The
 Rise"という言葉自体が伏線だろうとは容易に想像されたが,その伏線が,ラストシーンの最後の最後にきっちりと回収された.見事である.あたかも制作開始時に既にラストシーンができあがっていて,それに向けて物語を収束させたかのような完成度だ.上映館内には小学生くらいのお子さんを連れたお父さんが何人もいたが,「"rise"っていう言葉の意味はね,…」とぜひ解説して欲しいと思った.
 
 今は劇場公開中だから,『スカイウォーカーの夜明け』の詳しい批評は避ける.劇場公開が終わったら,またこの記事の続きを書くことにしようかと思う.
 今後,スカイウォーカー・サーガに続く新しいサーガが予定されているようだが,年が明けると後期高齢者になる私がどこまでこの映画を観続けていけるか,心もとない.しかし『最後のジェダイ』のラストシーンに登場した少年 (『スカイウォーカーの夜明け』には出てこない) が,次のサーガに再び現れるような気がする.そこまではなんとか映画館に足を運びたいものである.

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2019年12月20日 (金)

アイギス

 神話伝説の世界を下敷きにしたファンタジー小説とかゲームをやっていると,名前が付けられた武器,特に剣が出て来る.例えば英国のアーサー王伝説には聖剣エクスカリバーがあり,『指輪物語』にはグラムドリングオルクリストスティングの三つが登場する.
 これに比較すると,伝説的な防具はあまりない.『指輪物語』にはミスリル製の帷子が出てくるが無銘だ.名のある防具で私が知っているのは,ギリシャ神話の「アイギス」ただ一つである.アイギスの物語は次のような話だ.
 
 ギリシャに長女ステンノー,次女エウリュアレー,末娘のメドゥーサという名の美しい三姉妹がいた.
 ある時,海神ポセイドンがメドゥーサに求愛し,メドゥーサがこれを受けたことが,アテナの怒りを買った.
 アテナはオリンポス十二神の一柱であり,また知恵と学芸と戦争の神であり,パルテノン神殿の女神にして主神ゼウスの娘である.
 アテナの怒りは,嫉妬したのだと,あるいはポセイドンとメドゥーサが事もあろうにアテナの神殿で愛を確かめる怪しからぬ行為に及んだからだともいわれる.そりゃ誰でも怒るわな.
 アテナはメドゥーサの顔を醜悪に変え,髪の毛を毒蛇にした.これに抗議した長女と次女もついでにメドゥーサと同様にした.ひどい.
 怪物に変えられてしまった三姉妹は,ゴルゴン (「恐ろしい女」という意味) と呼ばれ,山奥の洞窟に追われた.
 ところが,洞窟の傍らを通りかかった人間がメドゥーサと目を合わせると石化するようになったことから,怪物退治が行われることになった.
 ここに半神の英雄ペルセウスが登場する.ペルセウスがメドゥーサを退治した経緯をWikipedia【ヘルセウス】から引用する.
 
ゴルゴーン退治
ペルセウスはセリーポス島で成長したが、やがて、ディクテュスの兄でセリーポス島の領主であるポリュデクテースがダナエーに恋慕するようになり、邪魔になるペルセウスを遠ざけるためにゴルゴーンの一人メドゥーサの首を取ってくるように命じた。
ペルセウスはアテーナーとヘルメースの助力を受け、アテーナーから青銅の盾を授かり、ゴルゴーンを殺すのに必要な道具を持っているニュムペーたちの居場所を聞くためにゴルゴーンの妹であるグライアイ三姉妹の元に行った。彼女たちは生まれつき醜い老女で、三人でたった一つの眼と一本の歯しか持っていなかった。彼女たちが居場所を教えてくれないために、この眼と歯を奪って脅すことで無理やり聞き出した。そしてニュムペーたちから翼のあるサンダル、キビシス(袋)、ハーデースの隠れ兜を借りた。さらにペルセウスはヘルメースからは金剛の鎌(ハルペー)を授かったとされる。
一説には、サンダル、兜、およびキビシスはゴルゴーンの居場所を聞くために立ち寄ったグライアイ三姉妹の所有物で、ゴルゴーンの居場所を聞いたついでに奪っていったという説もある。また、翼のあるサンダルはヘルメースから与えられたともいわれる。そして西の彼方のオーケアノスの流れの近くに住むゴルゴーン姉妹を発見し、アテーナーに手を引かれ、メドゥーサの顔を見ないようにして、盾に映し出されたメドゥーサの姿を見ながら、剣でメドゥーサの首を取ることに成功した。》(当ブログの筆者による註;引用文中の「アテーナー」はアテナに同じ)
 
 メドゥーサを見た人間が石になってしまうのは,アテナがメドゥーサをそのような怪物にしたからである.メドゥーサがそうなりたかったわけじゃない.ペルセウスに酷い目にあわされたグライアイ三姉妹は,何も悪いことはしていない.ただ醜いだけだ.ひどい.
 という感想は横に置いて,メドゥーサを退治したペルセウスはアテナにメドゥーサの首を献呈した.そしてアテナはメドゥーサの首を防具のアイギスに嵌め込んだ,というのがペルセウスのメドゥーサ退治の顛末だが,ここでアテナの防具「アイギス」とは何か,が問題となる.
 一説は盾であるとし,もう一説は胸当てであるとする.それぞれの例についてWikipedia【アイギス】に載っている画像を引用する.
 
Athena
(アイギスを手に闘うアテーナー;パブリックドメイン,File:Athena1.JPG from Wikimedia)
 
 上の絵は十八世紀に描かれたもの.アテナの盾の真ん中にメドゥーサの顔がある.
 
Athena_20191220022501
(アテーナーの立像;パブリックドメイン,File:Mattei Athena Louvre Ma530.jpg from Wikimedia)
 
 上の写真は紀元前一世紀ローマ時代の複製彫刻.アテナの右肩から斜め掛けになっている胸当て (山羊皮製) が,この彫刻ではアイギスなのだろう.そこに小さくしたメドゥーサの顔が装着されている.
 この彫刻からおよそ二千年後にクリムト (1862年7月14日 - 1918年2月6日) が描いたアテナ (『パラス・アテナ』1898年,油彩) では,アイギスは蛇皮製で胸部だけのケープのような形のスケール・アーマーであり,胸元に大きなメドゥーサの顔が彫られている.(ネット上にある『パラス・アテナ』を写真撮影した画像は,パブリックドメインかどうか不明なので
,ここには掲げない.ただし検索すればどんな絵かは知ることができる)
 
 さて盾か胸当てか,いずれにせよアイギスはメドゥーサの首が装着されたため,戦いの相手を石化する能力を獲得し,防御力は完璧となったという.
 以上,神話の防具アイギスについて書いてきたのは,読み終えたばかりの中野京子先生の『運命の絵 もう逃れられない』に,クリムトの『パラス・アテナ』の解説が載っているからである.その解説の終わりに次の一節がある.

 
二〇一七年六月、静岡県の伊豆半島沖で、アメリカのイージス艦がフィリピンのコンテナ船と衝突。脇腹を大きく損傷して死傷者も出し、無敵のはずのハイテク艦は脇が甘かったのかと世界中を驚かせた。
 本作とどんな関係が?
 無敵の防具アイギス (Aigis) の英語読みはイージス (Aegis)。ギリシャ神話から名前も意味も拝借しているのだ。
 イージス・システムはアメリカ海軍が防戦用に開発したもの。イージス艦はこのシステムを搭載したハイテク艦艇で、索敵、状況判断、意思決定、反撃といった一連の流れを迅速に行う。
 先述のごとくアテナの戦争は護国のためであり、嫌われ者の軍神マルスが戦の攻撃的側面や負の部分を受け持っているのとは違う。しかもアイギスは完璧……のはずだったが、妙に脇が甘いのは、ケープ式だからか、それとも艦にメドゥーサの首が搭載されていなかったせいか。
 
 今年の一月に私は横須賀軍港に出かけ,イージス艦を遠くから見学するクルーズに参加した.その記録《記念艦三笠でカレーを (軍港クルーズ編) 》を読み返したらこんなことを書いていた.
 
イージスシステム搭載艦がイージス艦だ.改めて調べてみたら,Wikipedia【イージス艦】に《イージス(Aegis)とは、ギリシャ神話の中で最高神ゼウスが娘アテナに与えたという、あらゆる邪悪を払う盾(胸当)アイギス(Aigis)のこと 》とある.軍オタ諸君,喜べ! イージスはアテナの盾かと思ったら 胸当のことみたいだぞ! 君らは払われちゃう邪悪のほうかも知れないけどな! 私も払われちゃうかもな!
 
 上の記事を書いた時は胸当てを,ゲームによく登場する「女性の胸を防御するセクシーな防具」だと勘違いしていた.例えば実写映画のワンダー・ウーマンのコスチュームみたいなやつだが,よく調べずに書いたことを反省している.(恥)
 ちなみに,上に引用した絵『アイギスを手に闘うアテーナー』をよく観ると,アテナは現代のレオタードに酷似した防具を着ている.この絵が描かれた十八世紀にこんな衣服があったとは考えにくい.画家の想像力というのは大したものだ.

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2019年12月19日 (木)

NHK『歴史探偵』の科学的考証の誤り

 テレビの娯楽番組に,しばしば御出演される歴史学者といえば,磯田道史 (国際日本文化研究センター准教授) 先生と,河合敦 (多摩大学客員教授) 先生のお二人だ.
 磯田先生はフジテレビ『新説!所JAPAN』の準レギュラーで,少し前 (2019年7月29日放送) に「本能寺の変で信長の遺体が見つかっていないのは何故か」というテーマで先生の説を紹介した.
 簡単にいうと,自害した信長の遺灰は本能寺 (事件当時の位置は現在の本能寺から少し離れた現在の中京区元本能寺南町である) から運び出され,阿弥陀寺 (現在は京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町だが,当時は上立売通大宮にあった) に埋葬されたというのが磯田先生の「新説」である.しかし磯田先生は「新説」だと番組で述べたが,実は従前から寺伝によれば,遺灰は本能寺から持ち出されて阿弥陀寺に埋葬されたという説はあるのである.Wikipedia【阿弥陀寺】には次の記載がある.
 
天正10年(1582年)、信長が本能寺で討たれると、清玉上人が自ら現地に赴いて信長の遺灰を持ち帰って、墓を築いたとされる。後に信忠の遺骨も、二条御新造より拾い集めて、その横に墓をなした。さらに本能寺の変の名の分からぬ犠牲者大勢も、阿弥陀寺に葬って供養したという。
 
 さらにWikipedia【本能寺の変】には,信長の遺骸に関する異説について,より詳しく次の記述がある.
 
また異説として、信長が帰依していたとする阿弥陀寺(上立売通大宮)の縁起がある。変が起きた時、大事を聞きつけた玉誉清玉上人は僧20名と共に本能寺に駆けつけたが、門壁で戦闘中であって近寄ることができなかった。しかし裏道堀溝に案内する者があり、裏に回って生垣を破って寺内に入ったが、寺院にはすでに火がかけられ、信長も切腹したと聞いて落胆する。ところが墓の後ろの藪で10名あまりの武士が葉を集めて火をつけていたのを見つけ、彼らに信長のことを尋ねると、遺言で遺骸を敵に奪われて首を敵方に渡すことがないようにと指示されたが、四方を敵に囲まれて遺骸を運び出せそうにもないので、火葬にして隠してその後切腹しようとしているところだと答えた。上人はこれを聞いて生前の恩顧に報いる幸運である、火葬は出家の役目であるから信長の遺骸を渡してくれれば火葬して遺骨を寺に持ち帰り懇ろに弔って法要も欠かさないと約束すると言うと、武士は感謝してこれで表に出て敵を防ぎ心静かに切腹できると立ち去った。上人らは遺骸を荼毘に付して信長の遺灰を法衣に詰め、本能寺の僧衆が立ち退くのを装って運び出し、阿弥陀寺に持ち帰り、塔頭の僧だけで葬儀をして墓を築いたと云う。また二条で亡くなった信忠についても、遺骨(と思しき骨)を上人が集めて信長の墓の傍に信忠の墓を作ったと云う。さら上人は光秀に掛け合って変で亡くなった全ての人々を阿弥陀寺に葬る許可を得たとしている。秀吉が天下人になった後、阿弥陀寺には法事領300石があてられたが、上人はこれを度々拒否したので、秀吉の逆鱗に触れ、大徳寺総見院を織田氏の宗廟としてしまったので、阿弥陀寺は廃れ無縁寺になったという。この縁起「信長公阿弥陀寺由緒之記録」は古い記録が焼けたため、享保16年に記憶を頼りに作り直したと称するもので史料価値は高くはないという説もあるが、この縁で阿弥陀寺には「織田信長公本廟」が現存する。ただし阿弥陀寺と墓は天正15年に上京区鶴山町に移転している。
 
 磯田先生は,従来からあるこの異説を「新説」として主張したのであるが,証拠は全くない.
 さすがに磯田説は大胆に過ぎると思ったか,昨日から始まった新番組のNHK『歴史探偵「本能寺の変」』は磯田説を完全に無視した.というか,磯田先生の関心は「信長の遺骸はどこにあるのか」であるが,『歴史探偵「本能寺の変」』にコメンテーターとして出演した河合先生は「信長の遺骸がどこにあろうと,それより大切なことは,遺骸が見つからなかったために光秀の謀反が短時日で終わったことだ」とのオーソドックスな歴史解釈の立場のみで番組の解説をした.両先生は関心のあるところが全然別なのである.だから河合先生は,阿弥陀寺にある伝「信長の墓」には触れなかったのだろう.
 この『歴史探偵』の第一回「本能寺の変」は,明らかに来年の大河ドラマ『麒麟がくる』の番宣を兼ねているわけで,如何に『麒麟がくる』のシナリオがちゃんとした考証の上に書かれているかを視聴者に見せようとした.
 昨日の放送では,光秀の進軍経路について,主流の説である山陰道経路つまり「丹波亀山城老ノ坂→山崎→本能寺」と,「明智越え」の言い伝え,すなわち「丹波亀山城→唐櫃越から四条街道→本能寺」の二経路を,進軍に要する時間で比較した.この進軍所要時間に関する考証の杜撰さ (例えば「刻」には前後一時間ずつの大きな誤差があることを無視した等) も専門家なら異議を唱えるに違いないが,それはともかく,明智の軍勢は本能寺に到着して奇襲をかけた.
 信長は,明智一万三千の軍に襲われては成す術なく,死を覚悟して本能寺建屋に火を放てと命ずる.
  
20191219a
画面説明1;助からぬと悟った信長が,手の者に「火を掛けいっ」と命ずる.すると床に油が撒かれる.
 
20191219b
画面説明2;次に室内の灯台が蹴倒され,撒かれた油に着火する.
 
20191219c
画面説明3;そして瞬くまに油は燃え上がった.
  
という具合に再現VTRは描いたが,これが大嘘のコンコンチキなのである.
 なぜかというと,この当時の室内照明には植物油が用いられていたからである.
 簡単に説明すると,小皿 (灯明皿) に少量の植物油 (安価な荏胡麻油や高価な菜種油) を入れ,これを灯台に載せる.灯台とは,時代劇を見ているとよく登場するもので,百科事典 (小学館日本大百科全書「灯台」) に次の解説がある.
 
油が灯火に使われ始めたのはかなり古い時代からで、初めは細い棒を3本束ねて足を開き、その頂部に灯明皿を置いた結(むすび)灯台とよぶ簡単な作りのものを使用した。灯台の高さはほぼ三尺二寸(約97センチメートル)とされ、丈の高いものを高(たか)灯台、長檠(ちょうけい)といい、低いものを切(きり)灯台、短檠(たんけい)などとよんだ。屋内でこうした灯火具を使用していたようすは中世の絵巻物にも描かれている。平安時代以降、円型の台に長竿(さお)を立てその先端に蜘蛛手(くもで)をつけて灯明皿を置いた灯台が用いられるようになった。
 
 再現VTRで使われているのは,上の引用箇所にある高灯台である.
 灯明皿の油には短い灯心を浸す.油で濡れた灯心の先に点火すると,灯心の先端は高温になるため油は燃えるという具合だ.ここで重要なのは灯心の先のように高温にならないと,植物油は燃焼しないということである.
 ではよく報道される「てんぷら油火災」とは,どういう現象か.
 植物油は二百度以上に熱せられると一部が加熱分解して燃焼性のガスを発生する.三百度以上になると分解が激しくなって表面から分解ガスがどんどん揮発し,火種があると簡単に着火する.こうして着火した油の表面は,容易に油自体の着火温度である三百六十度以上になり,遂には植物油自体が燃焼を始める.
 つまり植物油を燃やすためには,非常に高温に加熱しなければならない.てんぷら鍋に入れた数百ミリリットルの油に火をつけるには,現在のガス器具でも強火でガンガンに数分間も熱する必要がある.植物油は,揮発性である白灯油のように簡単には着火しないのである.
 この事実は消防署員でも知らないことがある.防火訓練で鍋のてんぷら油にチャッカマンで火をつけようとして着火せず,困惑している消防署員を私は見たことがある.ただし正しい知識が書かれている消防関係のサイトもある.例えばここ
 
 今回の『歴史探偵』の再現VTRで描かれたデタラメは,実は昔からテレビ時代劇ではおなじみの真っ赤な嘘なのである.
 どうすれば火事になるか,あるいはならないか.これは調べれば簡単に得られる知識だ.それをせずに『歴史探偵「本能寺の変」』は,無知というよりも,番組制作に必要な誠実さを欠く思い込みで制作されたのだ.
 NHKには,首都直下地震時の火災を取り上げた体感 首都直下地震ウイーク パラレル東京』を制作した多数の優れたスタッフ陣がいる一方で, 消防署に電話一本をかけて火災のメカニズムを知ろうとする知恵もない連中が,『歴史探偵』みたいなエンタメ番組を作っているのだ.
 今回の放送で『歴史探偵』制作スタッフの力量が情けないものであることが,よくわかった.小言幸兵衛の如く,第二回以降の考証の誤りをイジルのが楽しみになってきた.おそらく来年の『麒麟がくる』も,考証もヘッタクレもない番組になるであろうが,それはそれで私の老後の楽しみになるだろう.w

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2019年12月16日 (月)

サーガの終わり

 日本テレビ「金曜ロードSHOW!」が二週連続で『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(12月13日),『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』 (12月20日) を放送している.今週の金曜に劇場公開される『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』に向けてのキャンペーンだ.
 第一作の公開から四十二年が経った.青年だった私は,もうすぐ古希を迎える老人となった.渥美清が主演した『男はつらいよ』の四十八作品よりも,私は『スター・ウォーズ』本編九部作のほうに自分の人生との同時代性を感じる.
 それがとうとう完結するわけで,感慨深い.ただ,このファンタジーの主たる骨格であった「スカイウォーカー家の父と子の物語」は前の新旧各三部作で終わっているわけで,今の続編三部作は,それから派生した「ジェダイの残影とフォースの物語」であるが.
 
 新旧各三部作に加えて続三部作から成るこの世界観は放棄されない (*註) ことが関係各方面から言明されている.
 
(*註) Wikipedia【スター・ウォーズシリーズ 】の「シークエル・トリロジー完結後の予定」から引用.
2018年2月3日、ルーカスフィルムはジョンソンの三部作とは異なる新シリーズを製作することを発表した。脚本・製作はテレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のデイヴィッド・ベニオフとD・B・ワイスが担当し、ボブ・アイガーは物語について「『スター・ウォーズ』シリーズのある時点に焦点を当て、そこから始まる物語になる」と語っている。
2019年5月7日、ウォルト・ディズニー・スタジオがタイトル未定の新作3本を2022年から1年おきに全米公開すると発表した。全米公開日はいずれもクリスマス前の週末で、第1作が2022年12月16日、第2作が2024年12月20日、第3作が2026年12月18日となる。
 
 ということは,今のところの推測だが,ルーカスフイルムでは「外伝」的なシリーズが制作され,ディズニーからはスカイウォーカー家のサーガに続く別の新しいサーガがリリースされていくということだろう.

 
 ところで,続三部作は,新旧の各三部作よりも謎解き要素が強い.例えばその一つは『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(原題は Star Wars: The Rise Of Skywalker) の「夜明け」(rise) とは何だ,ということ. 字義どおりに解釈すれば「フォースのダーク・サイドの時代が終わってライト・サイドの時代が始まる」ということになる.だがそれだけでは「スカイウォーカーの」(of Skywalker) というフレーズの説明がつかない.
 そもそもヨーダオビ・ワン・ケノービと異なって,アナキン・スカイウォーカーは確固としてフォースのライト・サイドに立つ者ではなかったので,銀河帝国初代皇帝パルパティーン (ダース・シディアス) の姦計によってダーク・サイドに堕ちた.しかし死の直前に,息子であるルーク・スカイウォーカーに対する「父としての愛」の力によって救われ,霊体となってフォースと一体化した.
 そのルーク・スカイウォーカーは,アナキンの能力を受け継いではいたが,史上最強のジェダイであったヨーダほどの指導力はなかった.双子の妹であるレイア・オーガナハン・ソロの息子であり,レイアからフォースを扱う能力を受け継いだ甥のベン・ソロ (カイロ・レン) の育成に失敗し,その自責の念から辺境に身を隠したのである.
 ルークは続三部作の魅力的なヒロインであるレイの訪問を受けたあと,ダーク・サイドに転落したカイロ・レンが君臨するファーストオーダーと,その母レイア将軍が率いる反乱軍との決戦場に現れ,最後のジェダイとしてカイロ・レンを諭したあと,実体を消してフォースと一体化した.
 こうしてスカイウォーカー家の嫡流は絶えたのであるが,そのスカイウォーカー家が rise するとはどういうことか.血筋として傍流ではあるがカイロ・レンが残っているから,これがライト・サイドに再転向してスカイウォーカー家が再興されるというストーリーはあり得る.そしてこれが The Rise  (of Skywalker) の意味だとの意見があり,私もそう思うが,果たしてどうなるか.
 
 さらに,というかネット上のファンの最大の興味関心は,タイトルの意味よりも,レイは何者か,という謎である.
 制作サイドから,レイの親は一般人だ,ジェダイに繋がるような者ではないと言明されているのだが,疑い深いファンたちからは,レイはパルパティーンの孫であるとか,パルパティーンがレイの母親をフォースの力で妊娠させてできた子,つまりパルパティーンの実の娘であるという説まで出ている.従ってレイは,完結編で復活するパルパティーンの手によってダーク・サイドに堕ちるはずだと彼らは予想している.
 もっと アホ 凄いのは「レイはパルパティーンが万が一に備えてあらかじめ用意していたクローンである」という話だ.この説を主張しているいくつもの動画は,レイがダーク・サイドに堕ちるどころか,レイこそがラスボスだと言っている.
 中学生だか高校生だか知らんが,この説を唱えている連中は「クローン」の意味を知らない.顔面崩壊する前のパルパテイーンは割といい男だったはずだが,レイは若い女性だ.そんなクローンがあるもんか.w
 クローン説はともかく,仮にレイがダーク・サイドに堕ちて銀河を制圧する最強の悪役になんぞになったら,そのようなバッドエンドを世界中のレイのファンが受け入れるとは,とても思えない.
 
 で,『スカイウォーカーの夜明け』の公開を心待ちにしていたのだが,公開日である十二月二十日 (前日十九日に一部の劇場で限定公開) の,109シネマズの上映スケジュールを見たら,なんとまあ深夜〇時からのカウントダウン上映だけ (既に予約席は売り切れ) なのである.当日はこれ一回だけで他に上映はない.
 完結編を楽しみにしていた多くのファンは置き去りにされたわけだ.実質的な一般公開がどうなるのか,今朝六時の時点ではスケジュールは不明である.

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2019年12月12日 (木)

みをつくし料理帖

 NHKを観ていたら近々放送の『みをつくし料理帖スペシャル』の番宣をやっていた.これは以前放送された時代劇,『みをつくし料理帖』の続編らしい.
 時代劇といえば,私は,大河ドラマを昭和四十年頃までは観た記憶がある.
 第一作の『花の生涯』は,物語の終わりを少し観た.
 第二作の長谷川一夫が大石内蔵助を演じた赤穂浪士』(昭和三十九年),緒形拳が豊臣秀吉を演じた第三作『太閤記』(昭和四十年),やはり緒形拳が弁慶をやった『源義経』(昭和四十一年) は最初から最終回まで観た.特に『赤穂浪士』は大河ドラマ史上最高視聴率記録を持っている上に,庶民の忠臣蔵観を形作った傑作だった.私はいくつもの名シーンを覚えている.
 
 それ以来,映画の時代劇は好きだったが,テレビ時代劇は全くもってただの一作も観ていない.
 民放では,東野英治郎が主演した時代の『水戸黄門』を大衆食堂のテレビなどで目にしたことはあるが,もともと『水戸黄門』は筋書きが有るような無いようなものだから,記憶に残るというような性質のものではない.残念なことにお銀さんの入浴シーンはもっとあとのシリーズだったから,それも記憶にない.また『水戸黄門』以外の民放時代劇は全く観ていない.
 しかし『みをつくし料理帖スペシャル』の番宣をチラと見た感じでは,主演の黒木華さんが,すばらしく時代劇の雰囲気に合っているように思えたので,これはちょっと観てみようかなと思った.
 実は原作小説の『みをつくし料理帖』は,何年も前に一冊だけ本屋で手に取って買ったことがあるのだが,文庫本で十冊を超す長編だということを知らずに読み始めたためにストーリーがチンプンカンプンで,途中で読むのをやめたのであった.当然のことながら,長編小説と,短編あるいは中編小説を積み重ねて全体として長編になっている小説とでは物語の構造が異なっている.だから『みをつくし料理帖』の途中の部分を抜き出して読むということ自体が間違いなのであった.
 その伝でいくとNHKのドラマ『みをつくし料理帖』の続編と思われる『みをつくし料理帖スペシャル』は,それだけでは成立しないドラマだと思われる.
 それはNHKも承知していて,このあいだの日曜日に総集編を放送した.これを録画しておいて観始めたのだが,これが極端な切り貼り方で,連続ドラマだったときの放送を観ていない人には訳がわからないものだった.
 それならばいっそのこと小説を読もうと思い,まず第一作『八朔の雪』を読み始めた.『みをつくし料理帖スペシャル』は録画しておいて,原作を読了してからにすればいいという算段である.もちろんドラマと原作小説は少し違うだろうが,そのことを承知していればテレビドラマも楽しめるのではないかと思う.さあて,読書開始だ.

 

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2019年12月11日 (水)

別れ

 私の愛犬 (トイプードル) は,ほぼ一日中寝ている.一人で静かに寝ていることもあるが,私がテレビの前の安楽椅子に腰かけると必ず,膝の上に乗りたいとせがむので,床から拾い上げるとそのまま丸まって眠る.
 彼女の歳を人に例えると,私とほぼ同じである.片手の掌に載るほど幼かった犬に,それだけの歳月が経った.
 白内障で,右目はたぶん見えていない.左目の症状が進行するのはこれからだろう.
 
 私は犬でも猫でも好きだが,犬と長いこと一緒に暮らしているので,書架には犬マンガが多い.
 ひょんなことから昨日,おおがきなこ『いとしのオカメ』(サンマーク出版) を買って読んだ.愛犬との別れを描いたエッセイ漫画である.
 作者の筆は淡々と進む.次第に読んでいる私の涙腺がゆるみ始める.
 そして158ページの「そして今さっき 死んだ」のところで,とうとう泣いた.おいおい泣いた.
 漫画を読んで泣いたのは『星守る犬』以来のことだ.そして今も鼻水をすすっている.

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