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2026年7月22日 (水)

藤沢で酢豚 [2] 萬福楼新館

 私は昭和四十三年に大学入試に合格し,その年の三月に上京して東京暮らしを始めた.
 父が前橋刑務所に勤務する刑務官だったので,刑務官の共済組合が運営している学生寮に入ったのである.
 その寮は「刑務共済組合桐和寮」といい,当時中野区にあった中野刑務所 (現在は移転したために跡地は公園になっている) の塀のすぐ北側に建てられていた.ただし中野刑務所が昭和五十八年に廃止されたときに同時に廃寮になったようだ.
 最寄り駅は,寮から歩いて数分のところにあった西武新宿線沼袋駅であった.
 桐和寮は朝夕の食事付きで,都内の大学に通っている学生たちは,いつもは寮の食堂で管理人夫婦が作ってくれる食事を食べていた.
 けれども日曜日の昼飯は,寮食がない.
 そこで寮生たちは沼袋駅まで行き,パン屋で食パンを買ってさらに肉屋でコロッケとかポテトサラダを買ってきて寮の自室で食べたり,あるいは沼袋駅のすぐ近くの大衆食堂「大陸」でラーメンなどを食べたりしていた.
 ちなみにウェブを検索すると,食べログに「大陸」の記事がある.(URLはここ)
 掲載されている内観写真を見ると,当時はテーブル席があったのだが,現在はカウンターだけである.
 私の記憶と店舗の内部が異なっているが,食べログのレビューに以下の投稿がある.
 
創業昭和36年、老舗町中華のカレーは欧風。『大陸』 -<カレー細胞>-
 沼袋の線路沿い、ぽつりとかかった赤のれん。
『大陸』
 割と新しめな店構えですが、実は1961年(昭和36年)創業の老舗町中華。同じ沼袋で移転しているようですね。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 私が桐和寮に住んでいたのはもう六十年近く前のことで,上に引用した食べログのレビューが正しければ,そして店舗が昔のままであれば築六十五年ということになってしまう.
 レビューに《割と新しめな店構えですが》と書かれているから,きっと老朽化したために近くに建て直して移ったのだろう.
 さて昭和四十三年当時の「大陸」では,餃子ライスが百円,野菜炒めライスが百十円,ラーメンは八十円で,この三つが桐和寮の貧乏学生たちのお気に入りだった.
 ちなみにこの年の五月にタバコのハイライトが一箱八十円に値上げされたと資料にある.ハイライトはどっちかというと会社員向けのタバコで,そうでない労働者の皆さんや学生にはもっと安い「新生」とか「いこい」が人気があった.
「大陸」の餃子は,近年の言葉でいうと野菜餃子で,微量の挽肉が入っていたかもしれないが,よくわからぬという食味食感だった.
 野菜炒めには,切手大の豚脂身がいくつか入っていたかもしれないが,よく覚えていない.
 ラーメンにはペラペラの焼豚が一枚入っていたかもしれないが記憶がおぼろだ.しかしシナチクとナルトとネギがトッピングされていたのは確かである.
 貧しい学生を取り巻く食事情はこんな有様だったから,炒飯,レバにら,肉野菜炒めは別格で,バイト代が入ったときのご馳走だった.
 そして,バイト代が入った場合でも口にできなかったのが,「大陸」の全献立の最高位に君臨していた酢豚三百五十円なのであった.
 今思えば,一週間ほど禁煙すればそのカネで酢豚は食べられたはずだが,そこはバカ学生の頭の辻つまの合わぬところなのだった.
 
 というわけで,私は大学を卒業して就職したとき,最初の現金支給の給料四万円を持って酒屋に行き,学生には垂涎の高級酒であったサントリーオールドを買い,次に大衆食堂に入って酢豚を注文した.
 しかし高嶺の花だった酢豚は,豚肉がごろごろ入ってはいたが,食べてみたら酢の味が強くてそんなにおいしいものではなかった.
 芥川龍之介の「芋粥」から下に物語の最後を引用する.
 
五位は、芋粥を飲んでゐる狐を眺めながら、此処へ来ない前の彼自身を、なつかしく、心の中でふり返つた。それは、多くの侍たちに愚弄されてゐる彼である。京童にさへ「何ぢや。この鼻赤めが」と、罵られてゐる彼である。色のさめた水干に、指貫さしぬきをつけて、飼主のない尨犬のやうに、朱雀大路をうろついて歩く、憐む可き、孤独な彼である。しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な彼である。――彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云ふ安心と共に、満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。晴れてはゐても、敦賀の朝は、身にしみるやうに、風が寒い。五位は慌てて、鼻をおさへると同時に銀の提に向つて大きな嚔をした。》(出典は青空文庫「芋粥」)
 
「大陸」の入り口は引き戸で,その左側には料理の食品サンプルが陳列されているショーケースがあった.
 その最上段に飾られていたロウ細工の酢豚を見るたびに,いつか酢豚を食べてみたいものだと思った私だが,しかし私にとって酢豚は「芋粥」だったのである.
 こうして私は酢豚を食べたいとも思わなくなり五十年近くが過ぎたある日,鶏の唐揚げと野菜を甘酢餡かけにした料理を食べた.
 たしか店は大戸屋で,酢豚の鶏バージョンだが,これがなかなかおいしかったのである.
 これ以後,たまーに私は酢豚を食べるようになった.
 ではあるが,数多い中華料理のなかで酢豚は,店によってあたりハズレが多い料理だと思う.
 海老チリを嫌いだという人は多くないと思うが,酢豚は値段が高いのに人気がないのはハズレが多いからだと私は思う.
 何人かで中国料理店に行って円卓を囲むと,海老チリの大皿はすぐ空になるが,酢豚が余りがちになるのは,誰しもハズレ酢豚だったらいやだからだ.w
 藤沢駅周辺でハズレ酢豚は,駅の北口にある萬福楼新館で食べることができる.
 ただしこの店では酢豚のことを「古老肉」という.品書きに「古老肉 (酢豚)」と書いてある.
 一説には「古老肉」とは古くなって傷んだ肉のことだというが,まさかそんなこともあるまいと思う.
 で,萬福楼新館の「古老肉」は小さめにカットした豚肉をカッチカチに硬く揚げてあり,非常に味が濃い.
 それなのに量は多いので途中で飽きる.
 ライスの盛りはいいが,あまりいい米を使っていない.
 こう書くと全然ダメ酢豚のようだが,一つほめてよいことがある.
 安いのである.ランチの定食なら,ザーサイと杏仁豆腐がついて八百五十円だ.
 素材の味なんかに関心はなくて「とにかく食い物は量だ」というかたにぜひお勧めしたい.
 
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