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2026年6月 7日 (日)

乙武洋匡氏の覚悟

 スポニチアネックス《乙武氏「社会の役に立てないなら自然淘汰されていくのが最適」の声に愕然…「頭から離れそうにありません」》[掲載日 2026年6月6日] から下に引用する.
 
《作家・乙武洋匡氏(50)が6日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。一部ユーザーの投稿が「頭から離れそうにありません」とし、思いを記した。
 乙武氏は「どう見ても不利なカードで生まれてきた本人が、『私は配られたカードで勝負する』と言ってのける気概は大事だと思う。ただし、社会の側や、特に政治に携わる人が、『配られたカードで勝負しろ』と当事者に言うのは筋違いだし、無責任ですよね」と私見を展開する。
「『どんなカードが配られても公平に勝負ができる社会』理想論だと言われるのはわかっていますが、あくまで私はそうした社会に少しでも近づけていきたいと思っています」とつづっていた。
 すると「社会の役に立てないなら自然淘汰されていくのが最適だと思う」といったコメントが寄せられた。これに乙武氏は「『社会の役に立てないなら自然淘汰』『社会の役に立てないなら自然淘汰』『社会の役に立てないなら自然淘汰』今日一日、この言葉が頭から離れそうにありません。時代が違えば、生まれた瞬間に“淘汰”されていてもおかしくなかった身として、『私に何ができるのか』、問い続けていきたいと思います」と返していた。》
 
 いうまでもなく乙武氏のXに《社会の役に立てないなら自然淘汰されていくのが最適だと思う》というコメントを投稿したのは「社会の役に立たないために自然淘汰される」側の人間である.
 なぜなら社会における強者はそんなことは言わないし,言う必要がない.
《社会の役に立てないなら自然淘汰されていくのが最適だと思う》は,明日にも淘汰されるかも知れない社会底辺の弱者が自虐してつぶやく呪詛である.
 それがわかっているから,乙武氏は反論しない.反論せずに,淘汰されていく弱者のために《『私に何ができるのか』、問い続けて》いくというのである.
 
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