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2025年10月25日 (土)

日本の庶民女性が「着た切り雀」を脱したのは昭和二十九年のことだった

 昨日のNHK《チコちゃんに叱られる》は,ゲストが当代きっての美女のお一人である若村麻由美さんであった.
 下はそのときの画面を撮影して加工した画像である.
 
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 ここで注目すべきは,お召し物の柄が帆立貝をモチーフにした伝統柄であること (これはチコちゃんが番組中で解説した) の他に,白地の半襟を細くしか見えぬように着付けていることだ.
 この着付けは現代風であって,例えば江戸時代に長屋暮らしをしている町人の娘の場合,半襟は黒地一択だろう.これは時代劇の時代考証でお馴染みだ.
 ある意味では消耗品である半襟とはいえ,頻繁に洗濯はしないから黒地にするのである.
 裏を返せば,暮らし向きのよい商家の娘であれば,黒地ではなく華やかな半襟を付けるのが時代劇のお約束だ.
 
 ところが明治維新ののち,半襟の着付けに流行りが生じた.
 襦袢に幅の広い半襟を付けて,その半襟を大きく見せるのである.
 下の画像はNHK《ばけばけ》の一場面から,ヒロインの姿を撮影して加工したものである.
 
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 明治期に流行した着付けは,上の写真にあるように,かなり幅広の半襟を襦袢に付け,それを大きく見せている.
 ちなみにヒロインは,生活力のない父親がバブリーな商売に失敗して以降,一家共々,洗うが如き赤貧の只中にあり,一張羅 (衣服を一つしか持っていないこと) の着物を舌切り雀の語呂合わせで「着た切り雀」(後述) にしている.
 その着物は洗いざらしで襟から裾までヨレヨレであり,襟には芯が入っていないから,波打っている (画像中に矢印で示した).
 この着物の様子で,ヒロインが貧窮の極みにあることをドラマの演出は表現しているのだ.
 この《ばけばけ》の時代考証は評判がいいが,それはこんなところに現れている.
 ちなみに,諸兄ご承知のように,和服の洗濯は「洗張 (洗い張り)」といい,和裁の技術のない素人には困難である.
 
 さてヒロインは外国人を夫にしてから赤貧を脱するのであるが,それが《ばけばけ》のオープニングに使われている静止画 (下の画像はドラマのオープニングをカメラで撮影して加工したもの) に示されている.
 
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 上の写真を一瞥してすぐお判りであろう.半襟は柄を染めた高級品であるし,着物の襟にはきちんと芯が入っている.
 これは,この時期のヒロインは外国人 (モデルはラフカディオ・ハーン) に嫁いで暮らしが裕福になったことを着物の様子で示しているのだ.
 
 さて本題.
 上に「着た切り雀」と書いた.
 実は私は小学校低学年の頃,《ばけばけ》のヒロインと同じく洗うが如き赤貧の只中にあったために「着た切り雀」だった.
 私の父親 (大正八年生まれ) は戦時中に戦艦長門 (終戦時に横須賀港で中破し,アメリカ軍に接収され,ビキニ環礁の核実験の標的にされて沈没) の機関兵 (階級は兵曹長) だったが,南方で肺結核を患い,新潟の海軍病院に入院療養していた.
 敗戦で廃止された海軍病院を 追い出されたとき 退院したときに父は,年若い看護婦をかっさらって 看護婦と結婚して群馬県に 逃げた 落ち延びた 移り住み,刑務官の職を得た.その看護婦が私の母 (昭和元年生まれで昭和四十六年没) である.
 
 私の父母は,所帯を持った時に,下着の替え以外の衣服を所有していなかった.
 父は海軍病院を出たとき,越中褌一丁と,海軍支給のドンゴロス (本来の意味は「コーヒー豆などの輸送に使われるブ厚く丈夫な麻袋」だが,海軍で使われた暗緑系のカーキ色をした木綿製の寝具を嘲ってそう呼んだ.寝具というよりカーペットに近い) を持っていただけだと,のちに母から聞いた.
 そこで夫婦は先ず,飯を炊くための羽釜と,汁を作るための鍋を買った.
 飯は近郷の農家に行って玄米と大麦を分けてもらった.
 汁の具にする里芋の茎はバラックのような公務員長屋の敷地を使って栽培した.
 次に洗濯たらいと洗濯板.石鹸を買った.
 昭和二十年の夏.こうして一人の旧日本兵と妻の戦後が始まった.
 
 私の母とその同世代の女たちにとって,最も手強い家事は洗濯であった.
 夫に加えて子供が二人三人と増えていくと,家族五人の洗濯物を洗うのは,とてつもない労働であった.
 いきおい,着替えることはできる限り減らさざるを得なかった.
 さらには貧しい故に家族みんな衣服は少なく,何日も同じ服を着続けた.
 こういう事情で,昭和の下層庶民はみんな「着た切り雀」だったのである.
 
 しかし,昭和二十八年 (1953年) に三洋電機がパルセーターを回転させる「噴流式電気洗濯機」を世に送り出し,この改良型であり洗濯槽の底面にパルセーターを設置する「渦巻式電気洗濯機」を昭和二十九年 (1959年) に松下電器が発売するや,毎日の洗濯に人生を押しつぶされていた日本女性の運命が変わった.(ちなみにこの最初期型渦巻式洗濯機はパナソニックの「ものづくりイズム館」に展示されているが,同館は今年末に閉館する)
 
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パブリックドメイン画像;Wikimedia Commons File:《ローラー式絞り機付き、洗濯機昭和30年代後半.jpg
 
 上の画像は Wikipedia に掲載されている写真で,メーカー名不明であるが,私の記憶ではこれこそが松下電器製の渦巻式電気洗濯機である.
 体力はあるが家事が嫌いな母の命令で私は「絞り機」のゴムローラーを回す係をやらされていたから,この洗濯機をよく知っている.
 
 で,戦後すぐに「暮らしの手帖」創刊号で花森安治が提案した「直線裁ち」の簡単服が大流行し,この簡単服と松下電器の渦巻式電気洗濯機が,明治期以来の汗臭くてヨレヨレの和服の「着た切り雀」だった女性たちを清潔な生活へと解放した.
 《ばけばけ》の時代の女性たちから隔たること半世紀であった.
 
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