昭和二十五年七月に《とと姉ちゃん》は
昨日昼のNHK《とと姉ちゃん》再放送を視聴していたら,昭和二十五年のシーンがあった.
下の写真は,雑誌「あなたの暮らし」が軌道に乗ったヒロイン小橋常子が,なじみの洋食と和食の店で新聞 (朝刊) を読んでいる場面だ.
なぜこの場面をブログ記事にするかというと,私はこの昭和二十五年の三月生まれだからである.

常子が読んでいる新聞は下の写真である.

この新聞は「毎活新聞」となっているが,実在しない.調べてはいないが,もしかすると毎日新聞が材料かもしれない.
新聞名は「毎活新聞」だが,日付が読み取れない.
ドラマのシーンがいつの設定なのか,この新聞から推理してみる.
主な見出しは以下の通りだ.
1「共産党の指令に踊る職安デモ」
「暴力化の様相」
「過激派が就労妨害」
「元町で十三名検挙」
2「銀行ギャング」
3「死んで世間にお詫び」
「金閣放火犯人の母親が自殺」
4「待望のナイトゲーム」
5「外米続々入港」
トップ記事「共産党の指令に踊る職安デモ」は知らなかったので,調べてみた.
まずWikipediaを検索してみたが,「職安デモ」という項目はない.
自分の生まれた年であるからよく知っているが,昭和二十五年 (1950年) は戦後の食糧危機や産業危機により,革命前夜のように世情騒然としていた時期であるが,六月二十五日に突如として朝鮮戦争が勃発し,米軍の後方基地となった日本が朝鮮特需に沸いた年である.
朝鮮戦争が始まる直前,都市部では大量の失業者が職を求めて示威行動を起こした.
新聞記事にある「職安デモ」は,Wikipediaにはないものの,その当時の労働運動に関して用いられた一般的な用語であろう.
当時は毎日のように各地で民衆デモが行われていたので,この記事から日付を推理するのは困難だ.
当時の労働事件については膨大な史料があるが,ここでは論文「失対労働者とその運動(1) : 戦後初期東京における失業対策事業と失対労働者運動 : 求職闘争(職安闘争・職よこせ)を中心に」(法政大学大原社会問題研究所) を紹介しておく.
ちなみに戦後暫くの間の労働運動を指揮したのは日本共産党であったが,1950年1月にソ連のスターリンによって日本共産党に武装闘争方針が持ち込まれ,その結果,日本共産党は徳田球一と野坂参三らの所感派と宮本顕治らの国際派に分裂した.
地下に潜行した徳田らのテロ活動によって国民の支持を失った日本共産党は国会議員がすべて落選し,これ以降,労働運動における指導的立場も完全に失った.
さらにちなみに日本共産党が分裂から回復したのは六年後の昭和三十年の六全協においてである.
この共産党分裂から六全協に至る五年間の左翼運動の状況は,柴田翔や高橋和巳など何人かの作家に強い影響を与えた.
次に注目すべきは記事3「死んで世間にお詫び 金閣放火犯人の母親が自殺」である.
金閣寺が放火されたのは七月二日の午前三時頃,鎮火したのは三時五十分頃であり,その日の夕刊に第一報が掲載された.
母親のことについてはWikipedia【金閣寺放火事件】に次の記述かある.
《母親が自殺
林の母親・志満子は2日のうちに、弟(47歳)とともに加佐郡河東村を発ち、山陰本線で京都市へと向かっている。理由は金閣焼失の報を聞いての見舞で、息子の犯行と知ったのは二条駅へ到着してからのことであったとされる。志満子は西陣警察署で息子との面会を試みたが、林は警部らの説得にも頑なに応じず、面会を拒んだ。志満子はその夜は西陣署で保護され、3日午後に花園駅から帰途に就いたが、同日17時20分ごろ、保津峡駅 - 馬堀駅間(南桑田郡篠村、現・亀岡市篠町)にて、弟が目を離した隙にデッキから保津峡へ飛び降り自殺を遂げた(49歳没)。》
犯人の母親の自殺は遅滞なくピンポイントで報道されるはずの事実だから,常子が読んでいるのは七月四日の朝刊であることになる.
そうすると記事4「待望のナイトゲーム」は,前日の七月三日夜にナイターが行われたことになる.
しかしWikipedia【1950年の日本】には次の記述がある.
《7月5日 - 後楽園球場にナイター設備が完成、プロ野球はナイター時代へ突入。》
またツギノジダイ《【7月5日は何の日】72年前、後楽園球場でプロ野球初のナイター》には次のように書かれている.
《72年前の1950年7月5日、東京・後楽園球場でプロ野球の公式戦、パ・リーグの毎日対大映の試合が夜間に行われました。プロ野球で初のナイター(ナイトゲーム)でした。
セ・リーグでは初めてのナイターは、同じ年の7月11日に後楽園球場で行われました。西日本対広島、巨人対松竹の変則ダブルヘッダーでした。》
ただし《1950年7月5日、東京・後楽園球場でプロ野球の公式戦、パ・リーグの毎日対大映の試合が夜間に行われました。プロ野球で初のナイター(ナイトゲーム)でした》の《プロ野球で初のナイター(ナイトゲーム)でした 》は間違いのようで,NHKアーカイブズ《プロ野球ナイター記念日》には次の記述があるほか,他の資料によってもプロ野球最初のナイターは1948年に横浜スタジアムで行われたのが事実だと考えられる.
《昭和23年 (1948年) 8月17日、神奈川県横浜市にあるゲーリッグ球場 (現在の横浜スタジアム) で日本初のプロ野球公式戦のナイトゲームが開催された。試合は巨人対中日で、午後8時8分に開始、3対2で中日がナイトゲーム初勝利を飾った。ゲーリッグ球場は日本初の夜間照明塔が設置された球場だったが、現在の設備と比べると10分の1程度の明るさしかなく、選手が怪我をするなどハプニングが続出した。》
さあ七月五日のナイター毎日対大映が載っているのは六日だから,そうなると常子が読んでいる新聞朝刊の日付は,七月四日か,あるいは六日なのか.
上の二つの記事は日付が近いが,記事2「銀行ギャング」を調べてみると,九月二十二日に「日大ギャング事件」という事件が派生している.
しかしこの事件は銀行強盗ではなく,現金輸送車から現金を強奪した事件であって,銀行に押し入る犯罪である「銀行ギャング」ではない.
その他の記事も日付を特定するにはこの年の縮刷版を調べるしか手立てはないようだ.
となるとおそらく,七月四日と六日の記事をコラージュしたのではないかと考えるのが妥当だろう.
昔のことだが,誕生日の新聞の縮刷版を図書館でコピーして持っている人がテレビで紹介されたのをみたことがある.
死ぬ前に私も調べてみようかな.終活の一つとして.
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