歳を取ると時の流れが早いとか,子供時代は時間がゆっくりに感じられるとか言うけれど,最近はそんなことはどうでもよくなった.
時の経つのが早かろうが遅かろうが,あと五,六年もすれば私はきっと男の平均死亡年齢に達するだろうから,先のことなんか考えても意味がないからだ.
高齢者の生活というものは,意味のないことは考えもせず,あれこれ日常のことをしているうちに夜が来て,朝になってまた夜が来るだけである.
なぜそんな状態かというと,老人の時間はメリハリがないからだ.
人は生まれてから暫くすると脳に長く残る記憶が生じるようになり,やがて幼稚園に入って三年経つと小学校に上がり,それから一年生,二年生,三年生と学年が上がって六年経つと中学生になり,三年経ったら高校に入り,次は大学とか社会人になるとかして人生を前に進んでいく.
生きていくということは,そのようなステップを記憶していくということだ.
私たちはそうやって三十歳,四十歳,五十歳と年齢を重ねて,来し方を振り返って「三十一の時に結婚して,二年後に娘が生まれて,あの時は嬉しかったなあ」という思い出にしみじみとしたりする.
自営業のひとは死ぬまで仕事に励んだりしているが,私みたいにリタイアした元会社員は,何か趣味事をしても,何もせずにボーッとしても大して変わり映えしない.
こういう生活の句読点は何かというと,訃報とか葬式かも知れない.
年賀状が途絶えてから暫くすると,故人のご家族から挨拶の葉書が届く.
会社員時代の親しかった友人が若死にしたり,あるいは世話になった先輩たちが一人また一人と亡くなると,それが生活の句読点になる.
時折故人を思い出して,ああ,あいつが死んでからもう五年が経ったのかと思う.
その三年後に,ああ,あいつが死んでからもう八年が経ったのか,と思うのである.
それがなければ,ただもう静かに時が過ぎていくのである.
私の場合は,長いこと一緒に暮らした犬が二年前の十月二十七日に逝って,それが一年という月日の起点になった.
その時に書いた記事を下に再掲する.
**************************************************
[看取り] (2013年10月27日掲載)
今朝,四時五十分に愛犬が息を引き取った.十七歳一ヶ月だった.小型犬に多い気管虚脱で今週明けから呼吸困難になって寝続けていた.
それでも意識が持ち直すと,起き上がってペットシーツのところに行って排尿し,水を飲んだ.
よく頑張ったが,深夜に容体が急変し,携帯酸素ボンベを使用して呼吸を助けるも甲斐なく,逝った.
泣けて泣けてたまらぬ.

[通夜] (2013年10月27日掲載)
十七年も一緒に暮らした愛犬が未明に逝った.
容体が深夜に急変してからずっと横にいて,間歇的に携帯酸素ボンベを口に吹き付けて呼吸を楽にしてあげたのだが,10リットルのボンベはすぐ空になる.用意しておいたボンベをすべて使い切ったのが未明の四時過ぎ.
すると暫くして,ハッハッと荒い息が,やがてゆっくりになり止まった.
私は嗚咽を,歯を食いしばって堪え,彼女が生を終えた時刻を記憶した.
そして彼女の四肢を整えた.死後硬直が始まる前に遺体の形を整えるのがよい,とネットの記事に書かれていたからである.
適当な大きさの段ボール箱を物置から探しだして,老いてからはずっと上に乗っていたラグを箱に入れ,彼女を横たえて,その上に好きだった毛布を掛けた.
市の斎場に電話をして,小動物の個別火葬の予約を取った.合同火葬はいつでもやってもらえるのだが,遺骨はもらえない.
個別火葬は予約制だが,遺骨を骨壺に納めて戻してもらえる.
それから,昼前に街に出かけて花を買ってきた.カットフルーツのメロンも買った.
実は,彼女はメロンの甘い果肉部分ではなく,果皮に近い白いところを好んで食べたのだが,そんなのは売っていないので,その代替だ.
花は,段ボール箱の中の毛布の上に置いた.
箱の上に,彼女がまだ若かった頃の写真と,毎日使っていた皿に果物を置き,水の器と並べて置いた.
幼い頃は被毛の色がアプリコットだったのだが,十年くらい経ったらかなり薄い色になった.人間なら白髪なんだろう.
エアコンをオフにし,ホットカーペットのスイッチも切り,室温を下げた.
火葬は,亡くなった朝の翌日の予約が取れた.一晩だけだから保冷剤は入れない.
こうして十七年間の思い出を辿る通夜が始まった.
[火葬] (2013年10月28日掲載)
長年一緒に暮らした愛犬や愛猫が亡くなったあと,納骨するための霊園があちこちにある.
横浜市は,小動物を合同火葬にすると共同埋葬施設に納骨してくれるのだが,個別火葬の場合は飼い主が焼骨を引き取ることになっている.
それからあとは飼い主によって色々で,霊園に納骨する人もいれば,手元供養にする人もいる.
前々から決めていたのだが,私は死んだら自分自身を散骨にするので,愛犬もその時に一緒に散骨する.
その時まで手元供養にしておこうというわけだ.
個別火葬の予約は土曜日の午前十時だった.
予約電話をした際に係のかたの説明では「火葬の十分前には手続きをして欲しい」とのことだったので,早めに自宅を出た.公共交通機関利用が望ましいということなので,バスで行くのである.
自宅の近くのバス停からまず戸塚駅近くのバスセンター (戸塚バスセンター) に行き,そこで別のバス系統に乗り換える.
ところが道が混んでいたのか,最初のバス停で待たされたため,戸塚バスセンターに着いたのは九時半を過ぎてしまった.
このバスセンターで,目的地の戸塚斎場行きのバス系統に乗り換えたら完全に遅刻である.
そこでタクシーを使うことにしたら,ピタリの時刻に斎場に到着できた.
もちろん市営の斎場は人間の火葬をする施設で,犬や猫など小動物の火葬は本業ではない.
そのため事務所も火葬施設も,案内表示板がなければそれとわからぬくらいの簡素なものだった.
しかし係員のかたは親切で,丁寧に手続きの説明をしてくれた.
手続きをして待合室で待っていると,一時間もかからぬうちに火葬の係のひとが火葬施設のほうへどうぞと迎えにきてくれた.
部屋に入ると,机の上のステンレスの二つのトレイに遺骨が入れられていた.
一つのトレイには,頭骨と,人間でいえばのど仏に相当する骨と,肩甲骨など.
もう一つのトレイには,四肢の骨と肋骨,椎骨などが載せられていた.
その焼骨を入れる骨壺は大小を選べるようになっていたので,小さい壺を選んだ.
大きい骨壺は手元供養にはちょっと大きいように思われたからである.
係のひとが「小さい骨壺に入れるには,大きい骨をすこし砕くことになりますがよろしいでしょうか?」と言うので「お願いします」と答えた.
私が,愛犬の四肢と椎骨などの焼骨を割り箸で骨壺に入れると,係の人がそれを砕いた.
次に頭骨など砕かぬ焼骨を壺に入れた.
焼骨をすべて入れ終わると,係の人は骨壺にフタをし,フタが外れぬようにテープで封をした.
それから壺を銀色の六角袋 (骨壺カバー) に入れてくれた.
骨壺は,人間の葬儀では位牌を持つ喪主の次に故人と親しい人が持つことになっているが,私の愛犬は私一人で見送ったし,彼女は無宗教だったので位牌はないから,私が骨壺を持った.
すべて済んだあと,私は事務所の受付に戻り,親切に対応してくれた職員さんに礼を言ってから斎場を後にした.
小さな小さな軽い骨壺を手に持ち,誰もいないバス停でバスを待っている時に,また少し泣けた.
[我が犬の亡きあとばかり] (2013年11月1日掲載)
我が犬の亡きあとばかり悲しきはなし.
火葬を済ませた日の午後,胸の底に穴が開いたような気がして何だか茫然として,時折涙ぐんでいると,私の娘が陋屋に慰めにきてくれた.
私の犬は,娘が独立して家を出てから飼い始めた.しかし娘は近くに住んでいるので,割とよく訪ねてやってくる.
そんな時,私の犬はいつも大喜びして懐いていた.
それで,娘は,私の犬の死を悲しんでくれた.
火葬の前日,愛犬の容体が深夜に急変し,未明に息を引き取った様子を娘に話し始めたのだが,途中で私の嗚咽が止まらず,話は終わりになってしまった.
離れて暮らしている息子にもメールで犬が死んだことを連絡したら,すぐプリザーブド・フラワーを送ってきた.
いつも愛犬のトリミングを頼んでいたトリマーさんにも,私の犬が死んだことを電話で知らせて,来月のトリミング予約をキャンセルした.
するとトリマーさんが,その日の仕事が終わってからだろう,大きなプリザーブド・フラワーを携えてやってきた.
親戚の女性でやはり犬を飼っている人からも造花が届いた.石ケンを素材にした花で,いいにおいがする.
それらの造花を眺めていて,私の犬の祭壇を造ろうと思った.
使用していないパソコン・ラックがあるので,それを祭壇に使おうと思う.
遺影には,私の犬が我が家にやってきた時の写真がいい.
[祭壇] (2013年11月10日掲載)
十七年間を共に暮らした犬が逝ってから二週間が過ぎた.
ご近所さんが花を携えてやってきて,慰めの言葉をかけてくれるとつい涙ぐんだりしていたのだが,それもようやく落ち着いた.
それにしても十七年,だ.
私は朝が早いので四時に起きると,私の犬も起きてくる.飼い主に似たのである.
それから前日のテレビ番組を録画で観たりしているうちに,私の犬はペットシーツに排尿を済ませる.
それを片付けてから,犬の食器を洗い,水の入れ物に新しい水を入れ,ドライのフードを皿に入れる.
私の犬は,老いても食欲は盛んだった.
しかし逝った日の前日の深夜に,夕方食べたものを吐き戻し,それから固形食を受け付けなくなった.
それでも犬用のちゅーると水だけは口にした.
命を終えた日の前日に流動食を二回食べたあと,夜中に容体が悪化して,それから六時間して逝った.
知人の犬は要介護の状態になってから二年間生きたという.弱っていく愛犬を見るのは辛かったとのこと.
それに比べると,私の犬は,まことにあっけなくも潔い生の引き際だった.
ああ,こんなことを書いているとまた目頭が熱くなってくる.
ともあれ,犬の食事とトイレの世話が私のルーティンだったから,それがなくなってしまうと,朝四時に目が覚めてからすることがない.
それで,祭壇の前でぼんやりしている.
[虹の橋] (2013年11月28日掲載)
飼っていた犬が逝ってからひと月が過ぎた.元気な頃の写真を見て涙ぐむようなことは,ようやくなくなったが,遺骨と写真と遺品 (よく着せていた服とかリードなど) を祭壇に置き,生花を一輪挿しに飾って生前を偲んでいる.どうやら深刻なペットロスにはならずに済みそうだ.
さて犬でも猫でも,人に懐く生き物を飼っている人たちによく知られている「虹の橋」という散文詩がある.
この詩は長らく作者不詳とされてきたが,NATIONAL GEOGRAPHIC"The ‘Rainbow Bridge’ has comforted millions of pet parents. Who wrote it?"(PUBLISHED FEBRUARY 23, 2023) に,作者が判明したとの記事が掲載された.(日本語版記事は3/6に掲載)
この記事によれば,作者である女性 Clyne-Rekhy が十九歳の時に看取った愛犬について書いた文章が‘Rainbow Bridge’だという.
その文章を NATIONAL GEOGRAPHIC の記事から引用する.
Rainbow Bridge
Just this side of heaven is a place called Rainbow Bridge.
When an animal dies that has been especially close to someone here, that pet goes to Rainbow Bridge.
There are meadows and hills for all of our special friends so they can run and play together.
There is plenty of food, water and sunshine, and our friends are warm and comfortable.
All the animals who had been ill and old are restored to health and vigor.
Those who were hurt or maimed are made whole and strong again, just as we remember them in our dreams of days and times gone by.
The animals are happy and content, except for one small thing; they each miss someone very special to them, who had to be left behind.
They all run and play together, but the day comes when one suddenly stops and looks into the distance.
His bright eyes are intent. His eager body quivers.
Suddenly he begins to run from the group, flying over the green grass, his legs carrying him faster and faster.
You have been spotted, and when you and your special friend finally meet, you cling together in joyous reunion, never to be parted again.
The happy kisses rain upon your face; your hands again caress the beloved head, and you look once more into the trusting eyes of your pet, so long gone from your life but never absent from your heart.
Then you cross Rainbow Bridge together.
この散文詩は各国語に翻訳されて人口に膾炙する過程で,あるいは断片的な引用を経て,少しずつ意味内容に変化が生じた.
元の文章では,この世で命を終えたペットたちは,天国のすぐこちら側にある「虹の橋」というところに行くのだとある.
その場所でペットたちは何不自由なく楽しくくらすのだが,たった一つの心残りは別れてしまった飼い主のことである.
しかしやがて,飼い主が死ぬと,ペットと飼い主は虹の橋のたもとで再会する.
そして"Then you cross Rainbow Bridge together"つまり,虹の橋のたもとで再会した飼い主とペットは一緒に虹の橋を渡るのだ.
ところがいつの間にか,原詩の意味が歪曲されて,「ペットは死ぬと虹の橋を渡る」という変化が生じた.
上に紹介した NATIONAL GEOGRAPHIC の記事の冒頭に次の油彩画が掲載されている.この絵が誤りであることを示すために,下にブラウザ画面のスクリーン・ショットで引用する.
上の絵は,画家 Stella Violano が2009年に描いた油彩である.
左の草地から飼い主の魂がやってくると,その姿を見つけたペットたちが,右側の花咲き乱れる美しい場所から虹の橋を戻ってきて,橋の上で再会するという光景が描かれている.
画家がそういうイメージで虹の橋を思い描いても別段悪いことはない (どう描こうと画家の勝手だ) が,原詩の内容と全く異なることは確かである.
しかし原詩に忠実な理解をするのであれば,天国の手前にある虹の橋の袂でペットは,橋を渡らずに飼い主が来るのを待っている.
そして飼い主が死んで虹の橋にやってくると,ペットと飼い主は再会し,それから二つの魂は一緒に虹の橋を渡って天国に行くのである.
さて私の犬が生を終えたあと,改めて虹の橋について検索すると,「ペットは死ぬと虹の橋を渡る」と理解している人が,かなりいることがわかった.
例えば,まいどなニュース《「急いでいる時に限って…」飼い主の足の上でゆっくりおやつを味わうハムスター「困らせるとこも可愛い」「かわいいは正義」》[掲載日 2023年11月17日] には以下の記述がある.
《飼い主さんがあぐらをかいた足の上でおやつを味わうハムスターの写真がX(旧Twitter)で話題になりました。
投稿したのは、飼い主の「エンタ治療院」さん(@entachiryouin)。ハムスターは、同治療院の初代広報担当だった『とと美』ちゃん(雌)です。飼い主さんによると、写真は1歳10カ月で虹の橋を渡ったという、とと美ちゃんと暮らしていた頃に撮影した日常のひとコマとのこと。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
上に引用した記事のように最近では,ペットの死を「虹の橋を渡る」と表現することが多いようだ.昔と違って,死んだペットは,飼い主が来てくれるのを待っていてくれないのである.
散文詩"Rainbow Bridge"の作者が,発表の最初から自らを著作権者であると明らかにして,他者による改変を禁じていれば,詩の内容の変化は避けられたと思われるが,しかし実際には著作権者不明のまま長い時間が過ぎた.もう虹の橋の意味の変化は,このままにしておく他はないようだ.
ではあるが,私は「飼い主がやって来る日を虹の橋のたもとで待っているペットたち」というイメージが好きだ.
私の犬も,私が虹の橋のたもとに逝く日を待っていてくれると思う.
**************************************************
(この[虹の橋]の項は,一部のわかりにくい箇所を修正した.
最近のコメント