《とと姉ちゃん》に描かれた敗戦直後の暮し
朝ドラのNHK《あんぱん》の放送に平行して,《とと姉ちゃん》が再放送されている.
どんな番組を放送するかは「編成局」が決めるのだが,《とと姉ちゃん》再放送の意図はおそらく,《とと姉ちゃん》と《あんぱん》のテーマが共通しているからだろう.《あんぱん》と《とと姉ちゃん》再放送は,戦後八十年の企画に違いない.
いずれも「逆転しない正義とは」を描くのがドラマのテーマである.
花森安治と大橋鎭子は,国家が国民に対して大言壮語して掲げる「正義」に,雑誌「暮しの手帖」で立ち向かった.
同様に やなせたかし は,「アンパンマン」を対置したのである.
さて昨日放送の《とと姉ちゃん (90)》に,下の画像 (テレビ画面をカメラ撮影してトリミングした) のシーンがある.
これは,ヒロインの小橋常子が,木の鉢に入れた炭の粉を捏ねて,丸い握り飯かテニスボールほどの大きさに成形しているのである.

ナレーションでの説明がないので,還暦前の世代の人たちは,このシーンで常子が何を作っているのかわからないだろう.
何を隠しましょう,この炭の球は「炭団 (たどん)」である.
Wikipedia【炭団】には以下の説明がある.
《炭団(たどん)は、炭(木炭、竹炭、石炭)の粉末をフノリなどの結着剤と混ぜ、団子状に整形して乾燥させた燃料。冬の季語。
概要
木炭製造時には売り物にならない細かい欠片が大量発生する。さらに木炭を運搬する際には衝撃などで炭が砕け、炭俵や炭袋などの中には大量の炭の粉末が溜まる。こういった木炭の欠片や粉を集め、繋ぎの糊と練って手で丸く固めて成形したのが始まりとされる。火力は弱いが種火の状態で1日中でも燃焼し続けるため、火鉢やこたつ、煮物調理に向いていた。また一般家庭でも余った炭の粉を集めて自家製の炭団を造っていた。江戸期には塩原太助が木炭の粉に、粘着剤としての海藻を混ぜ固めた炭団を発明し、商業的に大成功した。
成型用のつなぎとしてふのり、ツノマタなどの海藻、ジャガイモのデンプンなどを用い、場合によっては火持ちを良くするため土なども混ぜ、大人の握りこぶしほどの大きさに丸めて固め、乾燥させて仕上げる。また、泥炭を球状に整形して炭化させた製品もあったようだ。
炭団は高度成長期に石油ストーブやプロパンガスが普及する前まで、一般家庭での暖房用や調理加熱用として火鉢やこたつで日常的に利用されていた。昭和30年代頃までは全国各地で製造されており、全国に炭団製造工場があったほか、山林地域の産業として重要な役割を担っていた。寒冷地で日常よく使うものであったことから、雪だるまの目に使うこともあった。戦後のエネルギー革命により、家庭からは姿を消してしまった。》
時代劇では,商家でも長屋でも,炊事には「へっつい」に薪をくべるか,七輪に木炭を熾 (おこ) している.
江戸時代は薪と木炭が主な熱源で,これに加えて補助的に炭団が使われた.炭団を使うシーンを私は時代劇で目撃したことはないが,それは炭団が補助燃料だったからだ.
炭団が補助燃料でしかなかった理由は,当然ながら,炭団の原料である木炭屑の発生量は,木炭製造量よりも少なかったからである.
木炭製造と流通において木炭屑が木炭よりもたくさんできるのであれば,木炭製造業の主生産物は木炭屑であることになってしまう.w
原料に量的制限があっては,炭団がメインの熱源になり得なかったのは理の当然だ.
やがて時代が明治になると,炭団の形は球状からブロック状に圧縮成形されるようになり,これは練炭と呼ばれた.
さらに練炭は,原料が粉末の木炭から石炭粉末に改良され,大正時代になるとレンコンのような穴のある円筒に圧縮成形された製品に改良され,燃焼効率が向上した.
そして練炭は,原料が石炭になったことで原料の量的制限がなくなり,大量生産されるようになった.
また練炭を,使いやすく小型に成形した豆炭が広く普及した.
だが敗戦直後,練炭や豆炭の生産が壊滅した状況下に,炭団が復活した.炭団は,上に掲載した写真のように,握り飯を拵える要領で,家庭で自給することができたからである.
しかし戦後の復興が進むにつれて,家庭における熱源は再び薪,木炭,練炭,豆炭,さらに灯油 (灯油コンロが普及して家庭の調理に使われた) となり,炭団は姿を消した.
Wikipediaには《戦後のエネルギー革命により、家庭からは姿を消してしまった》とあるが,私の記憶では,家庭における熱源がガスに置き換わる前に,炭団は使われなくなったはずである.
さて本題.
朝ドラ《とと姉ちゃん》では,昭和二十年,とと姉ちゃんこと小橋常子は木炭の屑を手で握って炭団を作った.
炭団を作るのには炭の粉を固めるための結着剤,つまり平たく言うと糊が必要だ.
伝統的な炭団製法では,糊には海藻のフノリ (布海苔) が主として使われたが,敗戦直後の物資不足の中でフノリが手に入ったとは思われない.
炭団に片栗粉 (実際には片栗のデンプンではなくジャガイモのデンプンだ) を使ったと書いているブログがあるが,工業製品である片栗粉が敗戦後の東京で容易に入手できたかは疑問がある.
しかし疑問解決のためにいくら調べても納得できる資料が見つからない.
そこで想像なのだが,常子が炭団作りに使ったのは「続飯 (そくい)」を湯で溶いたものではないか.(続飯の解説)
私ら年寄りが幼少のみぎり,母親たちは米粒一つも無駄に捨てることをしなかった.
日々の食事において,飯櫃 (おひつ) の内側に潰れてへばりついた飯粒は,こそげ落とし,乾かして使うまで保存した.
これを何に使うかと言うと,再びトロトロに煮溶かして,障子張りに使う.
米のデンプンはかなり優れた糊であり,奈良時代から紙や布,薄い板の接着に使われた米デンプン糊を「続飯」と呼ぶのである.
これなら,極度の物資不足の状況下でも,小橋常子たち家族は自給できただろう.
そして,やがて東京が少し復興し,市場でフノリや片栗粉が入手できるようになった頃は,もう炭団を自作する必要はなくなっていたはずである.
《とと姉ちゃん》には,瓶に玄米を入れて木の棒で突き,糠を除去する「瓶突き精米」のシーンも出てくる.

さすがに爺さんの私でも「瓶突き精米」をしたことはない.
上の写真のシーンで,常子の妹はガシガシと棒を激しく突いていたが,それでは米粒はみんな割れてしまうだろうなあ,と思った.
そう思ったが,じゃあどれくらいの力で棒を突けばいいかはわからない.実際にやったことがないからだ.
たぶん今の後期高齢者でも「瓶突き精米」をしたことのある人はもういないのではなかろうか.
もう一つ.
常子の母が「水団 (すいとん)」を拵えるシーンがある.下の画像はそのテレビ画面をカメラ撮影してトリミングしたものである.

レシピサイトを調べると,現代的な「すいとん」は,いくつかの地方の郷土料理である「団子汁」とほぼ同義である.
それも,伝統的な「団子汁」ではなく,薄力粉に片栗粉を混ぜて流行りの「もちもち食感」にしたりしておる.
そういう最近流行の食べ物を否定するのは大人げないとは思うが,戦後に書かれたエッセイに登場する代用食 (米の代わりの食べ物で「節米食」ともいう) の「すいとん」は全く別物だということは,誰かが書き記しておくべきだと思う.
つまり戦中から敗戦直後に国民が食べた代用食「すいとん」は,もはや死語に近い「うどん粉」(国産品) とか「メリケン粉」(輸入品) と呼ばれた小麦粉で作るのである.
その「うどん粉」を水で捏ねて耳たぶほどの硬さの麺帯にしてしまうと「団子汁」になってしまう.
代用食「すいとん」では団子にせず,ホットケーキのタネのような,粉に多めの水を加えて,スプーンですくうとタラーっと流れるくらいの状態にする.
これを上の画像のように,鍋に沸かした具のない汁に木杓子を使って流し入れると代用食「すいとん」のできあがり.
「うどん粉」はグルテンが多いので,粉が少なくても固まってくれる.
なぜ粉を練って団子にせず,タラーっと流れる状態にするかというと,粉を節約して食いつなぐためである.
こういう代用食「すいとん」の作り方を《とと姉ちゃん》はよく時代考証して再現していたので,私は感心した.
炭団の自作シーンも代用食「すいとん」の調理シーンも,ナレーションで説明が全くされなかったので,現在の「すいとん」しか知らない人が《とと姉ちゃん》で描かれた代用食「すいとん」の調理方法を見たら,何を拵えているか理解できないだろう.
《とと姉ちゃん》の時代考証は,百点ではないがかなり上出来である.
| 固定リンク
「新・雑事雑感」カテゴリの記事
- 中華PCの広告で珍しいことがあった(2025.11.09)
- 邪悪な女 vs ケダモノ(2025.11.08)
- 日本語としておかしい(2025.11.07)

最近のコメント