宗右衛門町のビル火災のニュースで昔を思い出した
昨日 (8/18) 午前9時50分頃,大阪市中央区宗右衛門町の雑居ビル (「一蘭道頓堀本館」などが入居) で火事が発生した.
この火事を現場中継した民放テレビの第一報では火災現場を「宗右衛門町で発生したビル火災」と報道したが,続くニュースでは他局も含めて「道頓堀で発生したビル火災」とした.
事件報道では正しい町名の「宗右衛門町」とすべきところを,この辺り一帯の通称「道頓堀」に変更した理由はわからない.
それはともかく,この火災を最初に報じた民放テレビ局の中堅女性アナウンサーはニュース原稿に書かれている「宗右衛門町」を「そうえもんちょう」と読んだ.
しかし大阪の人は「そうえもんちょう」とは言わない.ここはちゃんと地元の呼び方で「そえもんちょう」と言ってほしかった.
民放の女性アナが原稿をちゃんと読めないことには驚かないが,そんなことより私は,あのムード歌謡の名曲「宗右衛門町ブルース」がもう若い人には忘れられてしまっていることを残念に思った.この歌を知っていれば「そえもんちょう」と読むはずだからである.
昭和四十七年,コミックバンド「平和勝次とダークホース」は,北原謙二の「さよなら さよなら さようなら」(作詞:星野哲郎,作曲:山路進一) の歌詞を変えて漫才のネタにしていたが,これが評判となったので自主制作のシングル盤を制作し,有線放送で流れるようにした.
するとこれが年末から翌年にかけて有線で大ヒットし,レコードは二百万枚を売り上げた.
そしてこの大ヒットにより,大阪の繁華街「宗右衛門町」は全国に名を知られることになった.
YouTube《宗右衛門町ブルース (平和勝次とダークホース)》
昭和四十七年は,私が東京大学を卒業して豊年製油 (他社に吸収されて現在は存在しない) という会社に入った年である.
この会社の人事部は,前年の昭和四十六年夏に講座の教授室にやってきて「学生を一人いただきたい」と言った.
その当時の理系学部では,学生の就職先は教授が一手に仕切っていた.
そして学生を採用したい民間会社は,講座の教授に「学生を欲しい」と申し入れるシステムだった.
就職する学生側の完全な売り手市場で,筆記試験はナシで,社長面接だけで内定が出た.
だが豊年製油の人事部は,私の恩師に「研究所に配属する」と入社前に約束しておきながら,入社して半年経ったこの年の秋に私は静岡県の工場に飛ばされた.
当時の役員で,のちに社長になった嶋雅二という男が大の東大嫌いで,「東大出たやつは工場勤務で充分だ」と人事に横やりを入れたと,人事課長からあとで聞いた.この課長は役員にまで出世したが,引退する時に私のところにやってきて「いくら役員の嶋の指示とはいえ,君を騙した格好になったことはまことに申し訳ない」と謝った.
こんな事情で,同期入社の諸君は本社と研究所に配属されたが,私だけ工場でくすぶることになり,夜になると場末の飲み屋で飲んだくれる日々を送ることになった.
その昭和四十七年の年末,私が飲み屋で有線の「宗右衛門町ブルース」を歌ったら,これがウケた.
私が行きつけの店に顔を出すと必ずおねえちゃんやママに「宗右衛門町ブルース」を歌ってくれとリクエストされた.
そういうわけで「宗右衛門町ブルース」はその後も私のカラオケの持ち歌になった.
あれから半世紀.その「宗右衛門町ブルース」はもう過去の楽曲になったようだ.しみじみと感慨深い.

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