かつて「名代」は中学生レベルの語彙だった
SmartFLASH《「名代富士そば」の正しい読み方「知らなかった」がSNSで話題に「福岡市出身者なら読める」と胸を張る意外な理由》[掲載日 2025年7月11日] から下に引用する.
《東京を中心に神奈川、埼玉、千葉の1都3県で100店舗以上を展開する、立ち食いそばチェーン店の「富士そば」の正式名称は「名代富士そば」だ。
その「名代富士そば」の公式Xが、7月9日に投稿した内容が話題になっている。
《勘違いされている方も多いですが… ×めいだい富士そば ○なだい富士そば》
「名代」は、正しくは「なだい」と読むことをアナウンスしたのだ。
この内容が投稿されると、反応が相次いだ。《ずっと『めいだい』だと思ってた》というポストに対して、公式Xは《実は「なだい」でした》と返答。《毎回そうだったってなるので定期的に教えてほしい》に対しては、《定期的にポストいたします》と丁寧に対応。《初めて知りました!(そもそも地方民なので、店舗に行ったこともなければ見たこともないですが)》に対しても、《東京近辺にお越しの際は是非お立ち寄りください》との“神対応”を見せた。
《みょうだいだと思ってました。。。》についても、《実は「なだい」なんです、、、》と繰り返し回答をポスト。そして、公式Xはさらに《なだい、、なだいです!!!》と強調していた。
その後も《知らなかった!》《勝手にみょうだいって呼んでました...。》などと「なだい」の読み方を知らなかったというポストが続いた。しかし、そのなかでこんな投稿があった。
《福岡にある「名代ラーメン亭」も同じ読み方なので覚えました!》
福岡市出身で東京在住の60代の男性会社員は「富士そばはたまに食べますが、もちろん『なだい』と読んでいました」と胸を張り、こう続ける。
「JR博多駅の地下街に昔からある、博多ラーメンのお店『名代ラーメン亭』の読み方が『なだい』なんです。ここは、博多駅にあるラーメン名店街『博多めん街道』ができるはるか昔から博多駅地下街にあって、駅に近くて便利なうえ、何しろリーズナブルで、普通においしいです。
なので、福岡市で暮らした経験があって、それから東京に移ってきた人なら、おそらく富士そばを『なだい』と普通に読める方が多いと思います」
グルメライターが補足する。
「『名代ラーメン亭』さんは、1967年創業の老舗とんこつ博多ラーメン店で、博多駅地下街の開業時からあるそうです。以前は市内のほかの場所にもお店を出していましたが、いまは地下街の店舗のみです。朝9時から開店しているため、地元の方だけでなく、出張族や観光客もよく利用しています。
うえやまとち氏のグルメ漫画『クッキングパパ』にも登場したことがある有名店です。『名代』は『みょうだい』の読み方では、代理の人などという意味ですが、『なだい』と読むと、評判が高いとか、有名な、という意味になります。名代ラーメン亭さんも名代富士そばさんも、それにふさわしい名称ではないかと思います」
今後も、店名の頭に名代(なだい)とつける飲食店は続くのだろうか。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
「名代富士そば」「名代ラーメン亭」等に用いられる単語「名代」の読みが「なだい」であることは,昭和ならば常識であった.
昔の中学生や高校生はとにかくよく辞書を引いたから,「名代」は中学生でも知っている程度の基礎的語彙であった.
なぜなら「なだい」は日常生活でよく耳にする言葉だったからである.
私が「なだい」という言葉を知ったのは,NHKラジオの浪曲番組で二代目広沢虎造の「石松三十石船」を聴いたことによる.あれは多分中学二年生のときだったろうか.
当時のテレビはまだ草創期のメディアであったので,コンテンツの広さも深さもラジオにとてもとても及ばなかった.
テレビ放送は朝のニュースのあとは休止し,夕方からまた始まったのに対して,ラジオは一日中放送をしていた.
庶民の情報源はラジオが基本で,ラジオ放送はまず第一にニュースだった.
次に歌謡曲や欧米のヒット曲やジャズを流す音楽番組.そしてラジオドラマや素人のど自慢大会,はたまたクイズ番組などなど.
私は学校から帰ってきて宿題をする時はラジオを点けっぱなしにしていたのだが,そのあたりの時間帯は寄席の浪曲,講談,落語をよくやっていた.
私は落語が好きだったので,いわゆる「昭和の大名人」の記憶が鮮明だが,浪曲や講談もうっすらと覚えている.
例えば二代目広沢虎造の「石松三十石船」(YouTube《広沢虎造 石松と三十石船 曲師・森谷初江》) の出だしは次の通り.
《旅行けば駿河の道に茶の香り
流れも清き太田川 若鮎躍る頃となる
松の緑の色も冴え 遠州森町良い茶の出どこ 娘やりたやお茶摘みに
ここは名代の火伏の神 秋葉神社の参道に産声あげし快男児
昭和の御代まで名を遺す遠州森の石松を 不弁ながら務めます》
余談だが,実はこの浪曲の出だし (浪曲界では「枕詞」という) は,静岡県周知郡森町で茶業を営む株式会社島商店の初代社長が作詞して虎造に献じたものである.(同社のサイトに解説《浪曲「石松金毘羅代参 三十石船」枕詞誕生秘話》あり)
ただしオリジナルは冒頭の一節が《秋葉路や花橘も茶の香り》であったが,虎造が推敲して《旅行けば駿河の道に茶の香り》と直し,これがラジオ放送にて虎造節として一世を風靡したのである.
ちなみに《娘やりたやお茶摘みに》は単に語りの調子を整えるために入れた節である.
そこを敢えて説明すれば,《娘やりたやお茶摘みに》は「数えで十八の年頃に育ったうちの娘を茶農家の新茶摘みのアルバイトに行かせたい」ということ.十八歳は女性が一番かわいらしく見える年ごろで,俗謡に「鬼も十八
なぜかというと,絣の着物に菅笠という伝統衣装を着ての茶摘み仕事はなかなかに若い女性を魅力的に見せるから,それを森町の若い男衆が見染めて嫁に欲しいと言ってくるかも知れぬからである.
さて逐次解説の次は《名代の火伏の神 秋葉神社》だ.
虎造はチャキチャキの江戸っ子なので火伏を「しぶせ」と発音しているが,もちろん共通語では「ひぶせ」である.意味は「神仏が霊力によって火災を防ぐこと」と辞書にある.
《秋葉神社》は全国にあるが,ここでは森町の秋葉山本宮秋葉神社を指す.
この霊山を静岡県人は「秋葉神社」とは呼ばずに「秋葉山」と言う.読みは正しくは「あきはさん」だが,言いにくいので「あきわさん」と訛るひとが多い.多い,というより私の静岡在住の知人は全員が「あきわさん」と発音する.会社員時代に駿河と遠州に長く住んだ私もそう訛る.
で,「名代」の意味だが,精選版日本国語大辞典の項目「名代」には,語釈の一つとして《名に伴う評判。また、名高いことやそのさま。著名。高名。なうて。そうした品物や店をもいう。》とある.
この語釈に従えば,津々浦々の秋葉神社の本家本元は遠州森の秋葉山本宮秋葉神社であるからして,森町の秋葉神社を「名代」と称えるのは何の不思議もないことである.
そして言うまでもないことだが,森町の秋葉神社が防火の神として名高いのは,世間の人々がそう評判しているからである.
秋葉神社の関係者が「うちは評判いいですよ」と自ら宣伝しているのではない.よい評判というものは自然に客観的に生じるものなのである.
その点で「名代富士そば」はどうか.
昭和四十一年の創業時一号店が渋谷,二号店が新宿,三号店が池袋だが,現在の運営企業が経営を引き継いだ昭和四十七年以後は店名を「富士そば」とした.同四十九年に撮られた池袋店の写真では店名が「名代富士そば」ではなく「富士そば」となっている.
しかし西荻窪で開店した四号店では,暖簾に「NADAI FUJISOBA」と同時に「富士蕎麦」とも表記されていて,店名の「ゆらぎ」が見られるが「NADAI (名代)」を店名に使い始めたことがわかる.(資料:《現存する最古の店、西荻店で聞く富士そばの歴史》[掲載日 2019年4月18日])
上に「名代」の語釈を示したが,「著名」「高名」は第三者による評価である.本人の自己評価ではない.
とすると,東京の街中を歩けばどこでも立ち食い蕎麦屋がある昭和四十年代に,知名度が低い立ち食い蕎麦屋がわずか四店目で店名に「名代」を用いるのは,どうみても世間の評価による本来の「名代」ではなく,自称「名代」というべきだろう.
とはいえそれから半世紀が経ち,「名代富士そば」は複数の運営会社の店舗数が関東地方で百を超え,テレビ等のメディアに取り上げられることも多く,今はもう自称「名代」ではなくなったとしていいように思う.
それはそれとして,「名代」の読みには「なだい」と「みょうだい」があり,「名代富士そば」の場合は「なだい」と読むという話題はウェブ上に頻繁に登場する.
インターネット以前の頃から書籍や雑誌等で,「なだい」と読むのですよ,ということは何度も記事に書かれてきた.
それゆえにこの記事の冒頭に私は《「名代富士そば」「名代ラーメン亭」等に用いられる単語「名代」の読みが「なだい」であることは,昭和ならば常識であった.昔の中学生や高校生はとにかくよく辞書を引いたから,「名代」は中学生でも知っている程度の基礎的語彙であった.なぜなら「なだい」は日常生活でよく耳にする言葉だったからである》と書いたのである.
しかし昔は中学生程度の常識的語彙だった「名代」は,情報弱者 (知識弱者) が大勢を占めている現在は,もはや常識の範疇に入らなくなったようだ.
SmartFLASH《「名代富士そば」の正しい読み方「知らなかった」がSNSで話題に「福岡市出身者なら読める」と胸を張る意外な理由》には《今後も、店名の頭に名代(なだい)とつける飲食店は続くのだろうか》とあるが,そんなことはない.もうすぐ「名代」は死語になるからだ.
蛇足だが,「名代」には「みょうだい」との読みがあり,意味は「ある人の代わりを務めること.またその人.代理」である.
森の石松は親分である清水次郎長の代理として四国の金毘羅さんに参拝するのだが,広沢虎造の浪曲を聴けば,「名代」には「みょうだい」という読みのあることがわかる.
落語や講談,浪曲は昭和の昔は教養コンテンツだったのである.

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