今朝食べた飯のおかずも覚えてないのに /工事中
私は三ヶ月前に遂に後期高齢者となった.後期高齢者となってから三ヶ月経った.同じだ.しかし同じことを繰り返して言うのが年寄りなのだ.
さて高齢者は「前期高齢者」と「後期高齢者」に分類され,その違いの一つは,前者の医療保険が国民健康保険であるのに対して,後者は後期高齢者医療制度である点だ.
自治体の公式サイトには「国民健康保険は市区町村単位で保険料率が決まっているが,後期高齢者医療制度では都道府県単位で保険料率が決まっている」といった保険料のことしか書かれていない.
もう少し制度のことを説明すると,私のような75歳以上の老人の医療は,市区町村単位である国民健康保険とは異なって都道府県単位で設置されている後期高齢者医療広域連合の保険者となるのである.
このことの法的根拠は高齢者の医療の確保に関する法律である.
Wiikipedia【高齢者の医療の確保に関する法律】から下に引用する.
《高齢者の医療の確保に関する法律 (昭和57年8月17日法律第80号) は、国民の高齢期における適切な医療の確保を図るため、医療費の適正化を推進するための計画の作成および保険者による健康診査等の実施に関する措置を講ずるとともに、高齢者の医療について、国民の共同連帯の理念等に基づき、前期高齢者に係る保険者間の費用負担の調整、後期高齢者に対する適切な医療の給付等を行うために必要な制度を設け、もって国民保健の向上および高齢者の福祉の増進を図ることに関する法律である。1982年 (昭和57年) 8月17日に老人保健法として制定された。2006年 (平成18年) 6月21日に制定された健康保険法等の一部を改正する法律 (平成18年法律第83号) 7条の規定により、題名改正を含む大幅な改正が行われ、2008年 (平成20年) 4月1日に現在の題名に改正・施行。
法改正により同日から後期高齢者医療制度が発足し、75歳以上の老人医療は本法が定める後期高齢者医療制度へ、旧老人保健法で行われていた保健事業は健康増進法へ移行した。なお、本法における「前期高齢者」とは満65歳から74歳、「後期高齢者」とは満75歳以上の高齢者をそれぞれ指す。》
高齢者の医療を支えているのは現役世代だが,上に《前期高齢者に係る保険者間の費用負担の調整、後期高齢者に対する適切な医療の給付》とあるように適切な医療とその費用という観点からすると高齢者を一まとめにしてしまうのは乱暴なので,前期と後期の二区分を設けたのである.
それについてWikipedia【後期高齢者医療制度】から下に引用する.
《制度創設目的
75歳以上で区切った理由としては、以下の3つの心身特性に応じて、生活を重視した医療、尊厳に配慮した医療、後期高齢者及びその家族が安心、納得できる医療を行うためだとしている。
働き盛りと比べ老化に伴う生理的機能の低下により、治療の長期化、複数疾患への罹患、特に慢性疾患が見られる。
多くの高齢者に症状の軽重は別として認知症の問題が見られる。
後期高齢者は、この制度の中でいずれ死を迎える。
2002年の政府答弁では「老人保健法」では65歳以上としていた対象年齢をこの制度で75歳に引き上げる理由として「老人保健制度創設後約20年間の間に平均寿命や健康寿命の伸展や経済的な地位や高齢者自身の高齢者像の変化があったこと」に加え、70歳以上を対象と想定していた当時から今日までの間に財政的な事情が変化したこと」を挙げている。》
後期高齢者は,前期高齢者よりも (1)《治療の長期化、複数疾患への罹患、特に慢性疾患》が見られる,(2)《認知症の問題》がより深刻化する,そして後期高齢者は (3)《この制度の中でいずれ死を迎える》のである.
はっきり書いてないが,(1),(2) の結果,後期高齢者は前期のそれよりも現役世代に大きな負担をかけているわけだ.
それとは別に,(3) の《この制度の中でいずれ死を迎える》は,男の場合は言い換えれば「あなたもうすぐ死ぬから準備しなさい」ということである.現役世代のお世話になりっぱなしではなく,寿命という期限があるわけだ.(世の中のためには) よかったよかった.
女の場合は後期高齢者になってから平気で十五年くらい生きる (乳児が中学校を出るまでだから実に長い) ので《いずれ死を迎える》とか言われても「ああそうですか」と聞き流しておればいいのであるが,男は後期高齢者になったとたんに健康寿命が尽きて寝たきりとなり,六年の闘病で死ぬのだから切ない.
これまでに私はエンディング・ノートを書くくらいのインチキ終活はしたものの,しかし人生の終末をどこかしら他人事のように思っていた.
だがもうそれは終わりだ.死に支度を始めるのだ.
「毎日が死に支度」は,後期高齢者暦二十五年 (享年百) という寂聴先生の言葉だが,これは「いつ死んでもよい」という趣旨(という割に長生き) であって,世間の人の「終活」を意味してはいない.
むしろ「終活=死に支度」には「子どもに面倒をかけたくない」とか「葬式は家族葬にして安くあげよう」とかの前のめり欲まみれの姿勢があって,欲にまみれた「終活」は「毎日が死に支度」の境地の正反対だと思われる.
とはいうものの,我が子の視線に「死んだあとの迷惑のことを考えてね」という圧を感じないでもない.
そこで「毎日が死に支度」の境地のことはさておいて,まずは「終活」を始めるか.
いわゆる「終活」は「断捨離」と密接な関係がある.
「断捨離」は「終活」よりも広いジャンルの事柄だが,「断捨離」なしの「終活」は考えにくい.
そこでまず「断捨離」だ.
先日のNHKの番組であるファイナンシャル・プランナーが「生活の無駄部分は5%くらいが適当」と述べていた.
それを聞いて思ったのだが,私の身の回りにおける無駄で最も多いのが衣料品である.
買ってはみたが気に入らないとか自分には似合わないとかの理由で,ハンガーに吊り下げられた衣類が多いのだ.
それらを45リットルのポリ袋に詰め込んで捨てるための作業をしていたら,いつの間にかサイズが合わなくなった服が非常に多いことに気が付いた.
腹が出たのである.そして身長も少し縮んだようだ.
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