ここは名代の火伏の神
ハフポスト日本版《「名代富士そば」の正しい読み方に衝撃!「めいだい」じゃないの!?【2024年回顧】》[掲載日 2024年12月15日] から下に引用する.
《※2024年にハフポスト日本版で反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:5月11日)
関東を中心に駅中や駅前に店舗を構える「名代富士そば」。皆さんはこの店の正しい読み方をご存じでしょうか?
名代富士そばが5月11日、正しい店の読み方を公式X(旧Twtter)に投稿し、驚きの声が広がっています。
名代富士そばは「#間違えて覚えていたこと選手権」とハッシュタグを付け、「何回も言いますが『めいだい富士そば』ではなく『なだい富士そば』です!!!」と記した。
この衝撃の発表に「めいだいだと思ってた」「みょうだいだと思ってました」「あれほど行っているのに、知らなかった」など多くのコメントが寄せられています。
広辞苑(第七版)によると、名代(なだい)は「名高いこと。著名。有名」という意味。ちなみに、名代(みょうだい)は「人の代りに立つこと。代理。また、その人」という意味です。》
国語の辞書の欠点は,単語の「読み」を知らないと,引くことができないということだ.
ここで註釈すると「引く」とは,自分が知らない言葉やわからない言葉の意味を辞書を用いて調べることを「辞書を引く」という.
若い人は「検索する」という言葉は知っていても,「引く」を知らないかも知れないので敢えて書いて置く.
で,そこで便利なのが漢和辞典であり,漢和辞典を引くと言葉の「読み」を調べることができる.
しかし勉強が仕事である学生ならばともかく,社会人で漢和辞典を書架に置いている人は少ないだろう.(もしかすると国語辞典すら持っていないかも知れない)
なぜかというと,言葉の「読み」を調べるのであれば,Wikipediaが圧倒的に便利だからである.
Wikipediaは,言葉の意味を間違って解説していることは多々あるが,「読み」は,余程の超専門用語を別とすれば,ほぼ正確である.
若い人たちは全員がスマホ持ちだから,学習意欲さえあれば「名代富士そば」をWikipediaで調べて「名代」が「なだい」であることを知ることはできるが,しかしわざわざ「名代富士そば」をWikipediaで調べなくても昼飯を「富士そば」で食うことはできるわけだから,誤読しても無理はないと言えば言える.
第一,普通は「名代富士そば」ではなく単に「富士そば」とみんな呼んでいるからね.
私が「名代」を「なだい」と読むことがあるのを知ったのは,中学校に入ったばかりの昭和三十七年頃だったと思う.
生まれが貧乏なので,親に学習机なんぞというハイカラなものを買ってもらえなかった (なにしろ親子五人が六畳と三畳の二間に詰めこまれるようにして暮らしていた) 私は,普段は家族が飯を食うためのちゃぶ台で学校の勉強をしていた.
二宮金次郎よりは恵まれた環境であった.
そんなある日,ちゃぶ台で勉強しながら箪笥の上のラジオをオンにしたら,NHKで浪曲師二代目広沢虎造の十八番 (要らずもがなの註;「読み」は「おはこ」) であった『清水次郎長伝』が放送された.二代目は昭和三十八年に引退し,昭和三十九年没であるから最晩年の収録だったと思われる.
さてその『清水次郎長伝』の三十三演題の中で最も有名なのは「石松三十石船」である.
YouTube《広沢虎造 石松と三十石船 曲師・森谷初江》がそれだ.
冒頭に以下の文句が謡われる.(文字に着色強調を施した箇所には註を付した)
秋葉路や花橘も茶の香り (註1)
流れも清き太田川 (註2)
若鮎踊る頃となり
松の緑も色もさえ
遠州森町良い茶の出処 (註3)
娘やりたやお茶摘みに
ここは名代の火伏の神 (註4)
秋葉神社の参道に (註5)
産声上げし快男児
昭和の御代まで名を残す
遠州森の石松を
不弁ながらも勤めます (註6)
上に示したリンクのYouTubeを聴いて頂くと,虎造は《ここは名代の火伏の神》を「ここは なだいの しぶせのか~み」と謡っている.
虎造は,師匠は関西の浪曲師だったが,自身は現在の港区白金の出身でちゃきちゃきの東京人だから,「火伏 (ひぶせ)」を「しぶせ」と発音している.
私 (七十四歳) よりも一世代上の,戦前戦中派の東京人たちは「ヒ」と「シ」の発音をうまく区別できないのである.
逆に言うと,「ヒ」と「シ」の発音をうまく区別できないことが江戸っ子の証になるわけで,三代前からの江戸っ子を自慢している私の知人は本当は朝日新聞を「アサヒシンブン」と言えるのだが,人前では敢えて「アサシヒンブン」と発音している.たまに間違えて「アサヒシンブン」と言ってしまった時は「もとい,アサシヒンブンだ」と言い直している.どういうプライドなんだかよくわからぬ.
それはともかく中学生の私は虎造の浪曲で「名代」は「なだい」と読むことを知り,今に至るわけである.
今の若い人たちは「名代」という言葉を使う機会は「名代富士そば」の他にはないと思われるが,齢七十過ぎの私ら老人は「名代」と聴くと虎造の『清水次郎長伝』を思い出すのである.よかったよかった.
(註1) 「花橘」は橘の花のことで,夏の季語である.《秋葉路や花橘も茶の香り》は芭蕉の「駿河路や花橘も茶の匂ひ」を下敷きにしている.元禄七年五月十七日,五十一歳の芭蕉はこれが最後となる西上の旅の途中,大井川の増水のために島田宿で四日間の足止め (舟止め) をくった.この時に世話になった塚本如舟に詠み贈った句が「駿河路や花橘も茶の匂ひ」である.「駿河路では本来は馥郁とした匂いの橘の花でも新茶の爽やかな茶の香りがすることであるよ」ほどの意.ちなみに塚本如舟は芭蕉よりも年上で島田の「川庄屋」だった人.「川庄屋」は,近世の街道で橋や渡船の設備のない大井川,安倍川などで川越 (かわごし) の事務を行った役所「川会所」の役人のこと.幕府道中奉行の支配下にあった.
(註2) 太田川は一級河川である大井川と天竜川にはさまれた地域を流れる二級河川.流域は茶の産地.
(註3) 「出処」は「でどこ」と読むのが江戸っ子.「でどころ」ではない.同様に台所は「だいどこ」と言う.江戸言葉のうちでも「べらんめえ口調」では「でーどこ」というのだろうが,もはや東京生まれの高齢者でも日常は共通語を使うから,「べらんめえ口調」の話者は絶えたと思われる.
(註4) 「火伏」は「火を伏せる」の意で防火,火防,火除けのこと.秋葉神社は火伏の神として有名.現在の遠州「秋葉山秋葉山本宮秋葉神社」と越後栃尾秋葉山の「秋葉三尺坊大権現別当常安寺」が二大霊山である.静岡県の「秋葉山秋葉山本宮秋葉神社」の秋葉山は「あきはさん」であるが,新潟県の「秋葉三尺坊大権現別当常安寺」の秋葉山は「あきばさん」である.ややこしい.
(註5) 全国至る所に掃いて捨てるほど秋葉神社はあるが,ここでは浜松市から北上した山中の「秋葉山本宮秋葉神社」を指す.静岡県の秋葉山は「あきはさん」であるが,言いにくいので静岡県では「あきわさん」と言うひとが主流派だ.しかも「さん」を「山」ではなく敬称の「さん」だと勘違いしているひとが多い.伊勢神宮を「お伊勢さん」と呼ぶのと同じである.
(註6) 「不弁」とは《ことばの使い方がじょうずでないこと。巧みに話せないこと。雄弁でないこと。また、そのさま。訥弁》(出典は精選版日本国語大辞典).「ふべんながらもつとめます」と耳で聞いても「不弁」を知らないと「不便」と勘違いしてしまう.だから知識は大切.

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