悪徳経営者の心得 /工事中
朝日新聞デジタル《高級洋菓子店、シール貼り替え賞味期限先延ばし 熊本の保健所が調査》[掲載日 2024年10月14日] から下に引用する.
《高級洋菓子の製造販売会社「シェ・タニ」(熊本市)が、売れ残った商品のシールを貼り替え、賞味期限を先延ばしにしていたことが分かった。同社は取材に大筋で事実関係を認め、熊本市保健所が調査を始めた。谷誠志社長は「私は一切指示していない」と話した。
同社や複数の元従業員によると、賞味期限が改ざんされた商品はアーモンドにチョコをかけた「アマンドショコラ」。商品が売れ残ると、賞味期限を記したシールをはがし、期限を数カ月延ばしたシールに貼り替えていたという。元従業員は「賞味期限は製造日にかかわらず、店頭に並ぶ直前に印字されていた」と証言。今回の改ざんは、食品表示法に触れる可能性がある。
同社では2022年9月ごろ、23年2月のバレンタイン用にアマンドショコラの製造を開始。だが、大量に売れ残り、4月下旬、賞味期限が5月末で切れる商品のシールをはがし、7月末に延長したものに替えた。約1千個のうち約200個で貼り替えられたという。日付を「好きにして下さい」との指示もあり、23年5月末から24年2月末にしたケースもあった。
取材に応じた谷社長は「結果的に私の責任だ」と述べた。同社は1995年7月の設立。熊本や千葉、大分で計8店舗を展開し、オンライン販売もしている。》
朝日新聞デジタル《チョコ賞味期限「1027個」不適正表示 高級菓子店、保健所が確認》[掲載日 2024年10月17日] から下に引用する.
《高級洋菓子の製造販売会社「シェ・タニ」(熊本市)が売れ残ったチョコ菓子のシールを貼り替え、賞味期限を延長していた問題で、熊本市保健所は16日、食品表示法に基づき原因究明の徹底や再発防止策の実施などを同社に指示し、発表した。保健所は「科学的・合理的根拠なく賞味期限を表示して一般消費者に販売した」と指摘している。
市保健所によると、不適正表示があった商品は、アーモンドにチョコレートをかけた「アマンドショコラ」。2023年12月1日から24年9月19日にかけ、同社の熊本市内の5店舗とオンライン通販で、根拠がない賞味期限を示した商品計1027個を販売。また、商品の製造場所についても、異なる店舗の表示を行っていたという。
公益通報を受けた保健所が9月18日から今月10日まで立ち入り調査を実施していた。現時点で健康被害は確認されていないという。
同社の谷誠志社長は朝日新聞の取材に、「私が指示したことは一切なく、保健所の調査で知った。いけないことだと思っており、結果的に私の責任だ」と述べていた。
同社は1995年7月の設立で従業員は約50人。熊本や千葉、大分県に計8店舗あり、オンラインでも販売している。》
インチキ「高級」洋菓子の製造販売会社「シェ・タニ」(熊本市) の今回の食品表示法違反を整理すると以下の通り.
・食品表示法は,食品の賞味期限を《科学的・合理的根拠》に基づいて (つまり科学的な試験を実施して) 決定しなければならないと定めているが,「シェ・タニ」では試験を実施せず《日付を「好きにして下さい」との指示》が従業員に対して行われ,日付の印字は製造日にではなく販売直前に印字して《根拠がない賞味期限を示した商品計1027個を販売》を販売した.
・こうして賞味期限表示を偽った商品は1027個であるが,このうち約200個は売れ残ったため,ラベルを剥がして賞味期限を偽装した.
・食品表示法は,商品に製造場所を表示することを定めているが,「シェ・タニ」では店舗Aで製造した商品が売れ残ると,店舗Bの製造数を減らして,売れ残りを店舗Bに運んで売っていた.こうすると,「シェ・タニ」全体の売れ残りを減らすことができるからである.新聞記事の《商品の製造場所についても、異なる店舗の表示を行っていた》の記述がわかりにくいが,これはそういう操作をしていたこと意味している.
「シェ・タニ」の谷誠志社長は《「結果的に私の責任だ」と述べた》《「私が指示したことは一切なく、保健所の調査で知った。いけないことだと思っており、結果的に私の責任だ」と述べ》ているが,稚拙な嘘である.私は何十年も食品会社で働いて,経営者の犯罪を見てきたから断言するが,これは嘘っぱちである.
《私が指示したことは一切なく、保健所の調査で知った》は明々白々なトカゲの尻尾切りである.社長の名前は「誠志」だが,どこが誠の志なんだか.w
従業員に内部告発されるほどの悪質な会社ぐるみの法違反を,社長が知らない筈がないのだが,仮に知らなかったとすれば谷社長は企業統治ができていなかったということになり,経営者失格で無能の烙印を押されてしまう.
谷社長にとっては「悪徳経営者の烙印」と「無能の烙印」のどちらを取るか,という選択である.
「シェ・タニは悪徳会社」と消費者に認知されたのでは会社がつぶれる.そこで谷社長は敢えて屈辱の「無能の烙印」を選んだのである.
無能社長と呼ばれても,悪質企業の悪徳社長の常套句「この危機において全力で会社を再建することが私の任務です」と言い張ればいい.
人の噂もなんとやら,そのうち世間は忘れてくれるし,もしも再建がだめなら別会社を設立してロンダリングするというテもある.
この社名ロンダリングは非常に有効で,食中毒等の食品衛生法違反で営業停止をくらった飲食店がよくやる手口だ.
食中毒を出した焼鳥屋が閉店してそのあとにお洒落なイタリアンができたが,調べてみたらオーナーが同じだった,なんてことがよくあるのだ.
熊本市民は,谷社長がこれからどうするか,追跡調査してみたらどうだろう.もし「シェ・タニ」を潰して新会社を作るようなことがあったらネットに上げて叩くとよい.
さて平気で法令違反をする悪徳経営者は,昔も今もそこら中にいる.
もう昔のことになったが,私は現役会社員だった時にコンプライアンスに関する業務を担当していたので,その経験から,勤務先の経営者が指揮した法違反事例を一つ紹介しよう.
今はもう存在しないが,家庭用マーガリンの分野で「ラーマ」というマイナーなブランドがあった.
「ラーマ」の製造者について,Wikipedia【豊年製油】,Wikipedia【ユニリーバ・ジャパン】などから「ラーマ」関係の箇所を抜粋整理して下に示す.
1964年 - 豊年製油はユニリーバと合弁で,豊年リーバ株式会社 (初代) (後のユニリーバ・ジャパン) を設立する.
1966年 - マーガリンの「ラーマ」を販売開始.
1977年 - 豊年リーバ株式会社は,日本リーバ・インダストリーズ株式会社へと社名変更し,ユニリーバの子会社となる.
1982年 - 日本リーバ・インダストリーズ株式会社は,日本リーバ株式会社へと社名変更.
1989年 - 豊年製油は株式会社ホーネンコーポレーションに社名変更.
2000年 - 株式会社ホーネンコーポレーションは,日本リーバ株式会社と合弁で豊年リーバ (2代目) を設立し,製菓製パン材料など業務用加工油脂と家庭用マーガリンの「ラーマ」など家庭用油脂事業を行う.
2003年 - 味の素製油株式会社,株式会社ホーネンコーポレーション,吉原製油株式会社の3社が統合して株式会社J‐オイルミルズが設立された.
2005年 - 日本リーバ株式会社は,ユニリーバ・ジャパン株式会社に社名変更.
2007年3月 - ユニリーバ・ジャパン株式会社は,豊年リーバ株式会社 (2代目) を株式会社J‐オイルミルズへ売却.
2007年7月 - ユニリーバ・ジャパン株式会社は,「ラーマ」ブランドを含む家庭用マーガリン事業を株式会社J‐オイルミルズへ譲渡.
2024年3月 - 株式会社J‐オイルミルズは,工場機械の老朽化などの理由から「ラーマ」ブランドで展開していた家庭用マーガリンの製造・販売を終了する事を発表した.
以上が,1966年から2024年まで存在した「ラーマ」の略年表である.
豊年リーバ (初代) は1966年の「ラーマ」販売開始に先立って,豊年製油清水工場の隣接地にマーガリン製造工場を建設したが,人材は豊年製油から転籍し,マーガリン原料の植物油も豊年製油からパイプラインで供給した.
しかし豊年製油はマーガリンの製造技術を全く有していなかったために,工場の製造技術面はユニリーバが主導した.
後に2007年当時に豊年リーバ (2代目) の工場長だったS氏に私 (このブログ筆者) がインタビューしたところによれば,ユニリーバは,世界各地のマーガリン製造子会社に関しては,各国の法律は無視するということをポリシーとしていた.
そのため,豊年リーバ (2代目) は,最初から非合法な操業を行うことにした.
具体的には,日本の食品衛生法で使用が禁止されていた触媒 (*註) を用いて「ラーマ」を製造したのである.
(*註)
Wikipedia【マーガリン】から下に引用する.
《マーガリンは精製した油脂に発酵乳・食塩・ビタミン類などを加えて乳化し練り合わせた加工食品で、その製造過程において水素を分子に付加して(水素付加、水素化)、常温で固体にしている。バターとの大きな違いは、バターの主原料は牛乳だがマーガリンの主原料は植物性・動物性の油脂である点である。》
《19世紀末に、ニッケル触媒を用いる水素添加反応が発見され、さらにこの反応により植物油が硬化すること (硬化油) が見出された。20世紀に入るとこの硬化植物油を用いる“合成”マーガリンの製造が始められた。》
Wikipedia【水素化】から下に引用する.
《水素化とは、水素ガスを還元剤として化合物に対して水素原子を付加する還元反応のことである。水素添加反応 (すいそてんかはんのう)、略して水添 (すいてん) と呼ばれることもある。この反応は触媒を必要とするため、接触水素化とも呼ばれる。文脈によっては水素化反応を使用した実験手法・技術のことを指す場合もある。より広義には還元剤が何であるかを問わず、化合物に水素原子を付加する還元反応全般のことを指す場合もある。》
上記の註に記したように,マーガリンは,ニッケル触媒で原料油 (戦後昭和では主として大豆油) に還元反応を行って製造する.
豊年リーバ (初代) は「ラーマ」の製造を開始するにあたって,ユニリーバのマーガリン製造の仕様に従い,ユニリーバが世界各国のマーガリン工場で使用していたニッケル触媒を使用したのだが,この触媒は日本では使用が認められていなかった.
しかし,上に述べたS氏の証言によれば,たとえ非合法でもユニリーバが定めた仕様に従えというのがユニリーバのポリシーだった.
そのため,このニッケル触媒を使用するには,厚労省 (当時) に新規な食品添加物としての認可を申請しなければならなかったが,申請に必要な毒性試験などを実施するには多額の費用と時間を要し,しかも確実に認可が下りる保証がなかった.
そこで,豊年リーバ (実質的にはユニリーバが経営権を持っていた) は非合法にユニリーバ仕様のニッケル触媒を無認可のまま使用することにした.
法に定めのある業態の新規食品工場が操業するに際しては保健所に食品営業許可を申請しなければならない.
その際,製造方法の概要を記載した書類 (製造品名,原材料の種類及び配合分量,製造工程,製造数量等を記載したもの) を申請書に添付することになっている.
この添付書類に,違法なニッケル触媒を記載したのでは申請が通るわけがないから,添付書類を偽造 (不実記載) したのは間違いない.
しかし後年,この文書偽造に関する調査が行われた時に,豊年リーバ (2代目) の文書保存書庫を調べても,工場建設時の営業許可申請書一式を発見できなかった.おそらく廃棄隠滅したのであろう.
年表に示したように,豊年製油は1977年にユニリーバとの合弁を解消し,豊年リーバ (初代) は日本リーバ・インダストリーズへと社名変更してユニリーバの子会社となった.
次いで1982年に日本リーバ・インダストリーズは日本リーバ株式会社へと社名変更した.
豊年製油がユニリーバとの合弁を解消してマーガリン事業から撤退した経緯は公表されていないが,後に1989年,豊年製油からホーネンコーポレーションに社名変更した時に社長に就いた嶋雅二が当時の在京幹部職員を集めた会議で「豊年リーバはユニリーバに乗っ取られた.いつか取り返す」と語ったことがある.
ホーネンコーポレーション (嶋雅二社長) は2000年に日本リーバと合弁で豊年リーバ (2代目) を設立し,その後の2007年,ユニリーバ・ジャパン (日本リーバの後身) 会社は,豊年リーバ株式会社 (2代目) をJ‐オイルミルズ (嶋雅二社長) へ譲渡した.
こうして嶋雅二は「豊年リーバを取り返した」のであるが,この工場がとんでもない代物であった.
豊年リーバは初代から2代目に至るまで親会社が転々と変わったが,工場はずっと同じ敷地にあり,十年一日の如く進歩も改善もない操業が行われていた.
操業開始以来,食品衛生技術者が一人も置かれず,設備投資もなされなかったために,工場内部は荒れ放題だったのである.
恐ろしいことにネズミとゴキブリが床を走り回り,ベルトコンベアはカビだらけで,衛生的であるべきマーガリン製造設備は内部で菌が発生し,製品に混入するという体たらくだった.
それらは新たに設備投資すれば改善が可能だが,設備投資では改善できない重大な問題があった.このマーガリン工場は,使用が禁止されているニッケル触媒を操業開始以来ずっと違法に使用し続けていたのである.
しかも弱り目に祟り目,これまでこのニッケル触媒を輸入してきた商社Mから,今後はこの触媒の輸入を行わないという申し入れがあったのだ.
この商社Mは,ユニリーバ仕様のニッケル触媒でマーガリンを製造することが日本では違法であると認識しており,豊年リーバの親会社がユニリーバ・ジャパンからJ‐オイルミルズに変わったのをよい契機として,この違法行為への加担はもう終わりにすると決めたのであった.
触媒が輸入されなくなったら工場操業は不可能である.
この事態に際し,コンプライアンス的には,J‐オイルミルズの嶋雅二社長は子会社となった豊年リーバ (2代目) を廃業し,マーガリン製造から撤退すべきであった.
だが嶋雅二はそうしなかった.
非合法な工場を買収してそれをただちに廃業したのでは,社長の責任を問われる.
それにこの違法操業は,そもそも豊年製油の子会社だった豊年リーバ (初代) が始めたものである.
このことは消費者に絶対に知られてはならない.知られたらJ‐オイルミルズ本体の事業が打撃を受ける.
嶋雅二は側近のT部長に,なんとかしろと秘密裏に命じた.
T部長は,これまでも加工澱粉をタイから密輸して販売するなど,嶋が企んだ企業犯罪の実行責任者として側近の地位に登った男である.
Tは,ユニリーバ仕様のニッケル触媒の代替品を探せと研究所に指示し,代替品が見つかるまでは違法操業を続けるように,マーガリン製造課長のFに命じた上で,関係者に緘口令を敷いた.
製造部門のトップであるN執行役員は,Tの指示はすなわち嶋社長の指示であることを知っていたから,F課長が違法操業を続けることに賛同した.
やがてユニリーバ仕様のニッケル触媒の代替品が見つかり,豊年リーバ (初代) に始まる違法操業行為は闇に葬られた.
その後,F課長は工場長に昇進した.Tは執行役員になった.Nは取締役になった.悪事加担の報酬である.
嶋雅二の指示下にT,F,Nらが違法行為を働いたことを私は知らなかった.
しかしその後,J‐オイルミルズ品質保証部の責任者に私が就いた時,私あてに内部通報があり,「ラーマ」を巡るT,F,Nらの違法行為を知った.
私は,嶋雅二,T,F,Nらに知られぬよう,豊年リーバ (2代目) の書庫を調べ上げた.
製造部門に不正行為の疑いがある場合,立ち入り検査を行う職務権限を私は持っていたのだ.
この権限は強力だった.
J‐オイルミルズはホーネンコーポレーション (旧豊年製油),吉原製油,味の素製油の三社が統合して発足した会社だが,吉原製油,味の素製油出身の取締役の皆さんはコンプライアンスについて高い見識を有し,社内の不正を摘発する私の活動を支持して頂いたことが大きかった.
| 固定リンク
« 青春の蹉跌 | トップページ | 最近来た不審人物 »
「新・雑事雑感」カテゴリの記事
- 日本語としておかしい(2025.11.07)
- クマ,維新,イソジンの三題噺(2025.11.04)
- 糖質によってサルがヒトになるはずはない(2025.11.04)

最近のコメント