気力体力みなぎって
「急に衰える」ということがあるのだなあ.
石破自民党総裁が,今回の総選挙敗北について記者会見を開いたNHKテレビの中継を観たのであるが,総裁の左側つまり報道記者席から見て右手側に,党役員たちが椅子に腰かけていた.
その席の石破総裁側に近いほうの奥に,菅義偉副総裁がいた.
それを見て私は驚いた.菅副総裁は,椅子に腰かけているのも難儀のように見えたからである.
いかにもだらしなく,衰えた姿であった.
選挙中から,菅氏の異変がささやかれていた.
歩く姿がよぼよぼで,今にも倒れそうだったのだ.
しかし総裁選の時はまだ元気だった.
決選投票で石破氏が高市氏を圧倒したのは,背後で菅氏が動いたからであると国民はみんな知っている.
選管が石破氏の勝利を告げた時のテレビカメラは,高市氏の呆然たる様子と,麻生氏の憮然とした表情,そして菅氏と石破新総裁がにやりと笑みをかわす瞬間を捉えていた.
これこそキングメーカーの地位を麻生氏と争った菅氏が勝った瞬間であった.
あれからまださほどの時間は経っていない.
にもかかわらず,菅副総裁は表情にほとんど精気がなくなっている.言葉も不自由のようだ.
選挙は本人が思っていた以上に過酷だったのだろうか.
神奈川2区選出の菅義偉自民党副総裁は1948年 (昭和二十三年) 12月6日生まれ,神奈川12区選出の阿部知子 (立憲民主党) は同じく1948年 (昭和二十三年) 4月24日生まれで,二人は同年の生まれである.
阿部知子氏は藤沢市が地盤で,自分の選挙以外の時でも藤沢駅前でよく街頭演説を行っている.
今回の衆院選でも安部氏の演説を聴いたが,以前と変わらず実にパワフルであった.
彼女が東京大学理科3類に入学したのは昭和四十三年で,二歳年下の私 (理科2類) と同じ年であった.
昭和四十三年七月に全学共闘会議が結成されると駒場キャンパスは無期限ストライキに突入した.
それから連日,井の頭線駒場東大前駅から駒場キャンパス正門までの道と学内は集会とデモの学生で溢れかえった.
阿部知子氏は,駒場では少人数セクトだった社会主義同盟フロント派の活動家だったので 語学クラスは私とは別だったが,うっすらと彼女のことは記憶している.
あれ以来,彼女はずっと左派であり続けている.
しかも,かくしゃくとしていらっしゃる.
私はといえば,社会から完全にリタイアした今はもう半分ボケて朝ドラなんかを観て涙ぐんだりしている.えらい違いだ.
ヨレヨレの菅副総裁は引退が迫っているようだが,安部知子氏はまだ当分活躍されるだろう.どうかご自愛を.
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