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2024年9月 4日 (水)

沖縄と奄美のマングースは渡瀬庄三郎が導入したものではない

 昨夜放送のテレビ朝日《報道ステーション》で,奄美大島のマングースについて根絶が宣言されたとのニュースを伝えた.
人間の手で持ち込まれ人間の手で…苦節20年超 奄美大島で「マングース根絶宣言」》[2024/09/03 23:30] である.
 その記事の中に次の記述がある.
 
■ハブ駆除のため沖縄→奄美に
 外来種のマングースは、1870年代から世界で農業被害の対策として導入が進めらていて、日本でも1910年に沖縄へ持ち込まれました。当時の東京帝国大学教授・渡瀬庄三郎氏が、沖縄を悩ませていた野鼠やハブによる被害を防ぐと期待してのことです。
 
 だが,これは俗説である.渡瀬庄三郎が沖縄本島に導入したマングースは,実は定着しなかったのである.
 このことを,テレビ朝日の放送の前に遡って昨年の報道から説明する.
 時事通信《外来マングース、奄美で根絶目前=希少種の天敵「元の自然に」―駆除にジレンマも・環境省》[掲載日 2023年5月4日 14:30] から下に引する.
 
世界自然遺産の鹿児島県・奄美大島で、環境省が駆除を進める外来種マングースの根絶が目前に迫っている。島の希少な固有種を捕食する問題が起きたためだが、もともとは人を襲うハブの駆除を期待して持ち込まれた経緯がある。関係者らは「人の都合でこうなった」とジレンマを抱えつつ、世界有数の多様な生態系を守る活動を続ける。
 奄美群島国立公園管理事務所の阿部愼太郎所長によると、マングースは1979年、約30匹が同県名瀬市(現奄美市)で放され島に定着した。しかし、ハブ駆除への効果はなく、より捕食しやすい希少種を襲うことが判明。アマミノクロウサギなど島固有の絶滅危惧種はさらに減っていった。
 
 日本にマングースが最初に外来したのは沖縄本島で,1910年のことだった.
 これは外来というより導入と言うべきか.Wikipedia【フイリマングース】によると以下の事情であった.
 
日本の南西諸島でもネズミ対策に加えて、ハブ対策を目的として導入された。その時点ではマングースが素早い身のこなしでハブを攻撃するだろうと考えられていた。沖縄本島では1910年に、動物学者の渡瀬庄三郎の勧めによって、ガンジス川河口付近で捕獲された13〜17頭の個体が那覇市および西原町に放たれた。また、続いて1979年には沖縄本島から奄美大島へ導入が行われた。2009年には鹿児島市でも生息が確認されたが、実際は30年以上前から生息していたと考えられている。渡名喜島、伊江島、渡嘉敷島、石垣島にも導入されたが、定着しなかった。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 上の引用文中の《沖縄本島では1910年に、動物学者の渡瀬庄三郎の勧めによって、ガンジス川河口付近で捕獲された13〜17頭の個体が那覇市および西原町に放たれた 》という記述によれば,沖縄本島でマングースが定着繁殖したのは《動物学者の渡瀬庄三郎》のせいだと読み取れる.
 そこで Wikipedia【渡瀬庄三郎】を読むと,次の通りの記載がある.
 
実験用としてウシガエルをはじめて輸入し、1910年にはハブやノネズミの駆除を目的として沖縄島へフイリマングースを移入した。これらは結果的にウシガエル、アメリカザリガニ(ウシガエルの餌として輸入されたが野生化)、マングースといった有害な外来種を、日本に招来し生態系に影響もたらすことになってしまった。ことにマングースはハブやネズミの駆除に役立たなかったばかりかヤンバルクイナやアマミノクロウサギなどへの影響が疑われるほか、養鶏に対する深刻な被害も発生しており駆除対象となっている》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 ここでも渡瀬庄三郎 (文久二年~昭和四年) のせいで《マングースはハブやネズミの駆除に役立たなかったばかりかヤンバルクイナやアマミノクロウサギなどへの影響が疑われるほか、養鶏に対する深刻な被害も発生しており》と書かれてしまっている.
 渡瀬庄三郎について Wikipedia【渡瀬庄三郎】には次の記述もある.
 
「日本犬保守運動」の中心人物でもあり、急速に失われつつあった日本犬の保護に尽力したが、秋田犬をはじめとする日本犬の天然記念物指定の実現(1931年)を見ることなく世を去った。渡瀬の研究を引き継ぎ、積極的に推進した後進はほとんどなく、彼の没後、その学統は自然消滅した》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 生態系破壊の張本人とされた学者の研究を引き継ぐ後輩がいるわけもなく,渡瀬は失意の晩年を過ごしたことだろう.
 しかし,Wikipedia の執筆者たちは完全無視しているが,日本獣医畜産大学の安倍愼太郎らによる論文「奄美大島におけるマングース (Herpestes sp.) の定着」(哺乳類科学, 31 (1) : 23-36, 1991) によれば,実は1910年に渡瀬庄三郎の指導により沖縄本島に導入されたマングースは定着せず,失敗に終わったというのだ.この安倍らの調査報告は詳細で,確かであると考えられる.
 安倍論文は,渡瀬が沖縄本島に導入したのは,インドのガンジス川河口付近で捕獲されたハイイロマングース (Herpestes edwardis) であったと述べている.
 これは渡瀬を知る岸田久吉  (農林省畜産局) の寄稿「渡瀬先生とマングース輸入」(動物学雑誌,43:70-78;国立国会図書館デジタルコレクション収蔵) を根拠としている.
 岸田の寄稿によれば,渡瀬が沖縄本島に導入したマングースは渡瀬自身がインドに赴いて捕獲したものである.当該箇所の一部を下に引用する.
 
明治四十二年十二月二十四日東京出発……カルカツタ着の上ガンヂス河口附近の三角洲に於いて捕獲に着手せらる。……さて其の捕獲方法に就きては毎日人夫十四五人も雇い入れ網又は罠等にて行はれ……始め六頭を得る迄は左迄困難とは思はれざりしも、其の以後は容易に捕ふるを得ず、殆んど閉口せられたりと云ふ。夫れは其の筈、我が國にて鼬や貂を四五頭も捕ふると假定せよ。果して出來得べき業なりや如何。之を思へば博士の苦心察するに餘りあり。斯くして三十二頭を得られたり……(後略)》
 
 しかし,安倍らが沖縄本島と奄美大島において実施した調査研究によれば,渡瀬による放獣の後,沖縄本島と奄美大島 (現在は根絶した) において繁殖したマングースはジャワマングース (Herpestes javanicus) である.
 ただし安倍らが研究当時にジャマングース (Herpestes javanicus) とした種は現在,分子系統解析によって独立種とされ,和名はフイリマングートとなっている.(このようにマングースの分類学は混乱しているため,特定外来生物法ではジャワマングース (Herpestes javanicus) が種名として当分使用されることとされている;Wikipedia【フイリマングース】)
 すなわち,渡瀬が放獣したハイイロマングースは沖縄本島において定着せず,渡瀬の試みは失敗したのである.
 では現在,沖縄本島に繁殖しているフイリマングース (ジャワマングース) はどこから来たのか.
 安倍らの調査では明らかにできなかったが,安倍論文では次のように述べている.
 
当時の放獣はたとえ事実であっても,そして小湊以外の地域でも放獣されていたとしても,定着は失敗に終わったと考えるのが妥当であろう.その後の目撃情報はここ十年ほどのものであり,1979年から名瀬市,赤崎鳥獣保護区で目撃され始めていることから,このころに誰かが放獣し,これが定着して現在に至っているという可能性が非常に高い。
 
 文中《当時の放獣はたとえ事実であっても,そして小湊以外の地域でも放獣されていたとしても,定着は失敗に終わったと考えるのが妥当であろう》は渡瀬による放獣を指す.
 そして安倍らは《1979年から名瀬市,赤崎鳥獣保護区で目撃され始めていることから,このころに誰かが放獣し,これが定着して現在に至っている》としている.
 この安倍の見解「沖縄のマングースは,渡瀬庄三郎が放獣したハイイロマングースではなく,他の誰かが放獣したジャワマングースである」に対して,これを否定する論文は少なくともウェブ上には見つからない.
 渡瀬が外来生物を放獣しようとしてことは事実であるから,渡瀬の当時の行動は現在の生態系保護の観点から批判されるべきであるが,しかし彼の試みは失敗したのである.
 従って,渡瀬の死後に再び沖縄本島にジャワマングースを放獣し,さらに奄美大島にまで拡散したことの責任まで渡瀬に負わせる俗説は,渡瀬に酷というものである.
 私のブログの読者には,埋もれてしまった安倍らの論文「奄美大島におけるマングース (Herpestes sp.) の定着」(哺乳類科学, 31 (1) : 23-36, 1991) をぜひ読んで頂きたいと思う.
 
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