言語能力がない政治家を持て囃す人たち /工事中
昔々の話だが,「記者会見でも講演でも,原稿なしで話したことを速記や録音を用いて文章に起こすと,そのまま見事な日本語になっている政治家」が二人いた.
第78代内閣総理大臣宮澤喜一と,我が国において戦前から戦後の出獄まで転向しなかったただ一人の共産主義者として知られる宮本顕治である.
この二人に比較すると,戦後の政治家の言語能力はダダ下がりに下がってきた.これは非常に大きな問題である
なぜ政治家の言語能力が低下すると問題なのか.
政策立案能力とか法学あるいは経済学の知識見識等の,政治家として必要な他の知的能力要件は幾つもあるが,言語能力は最重要な能力だ.
なぜなら,政治家は,自分の目指す国家像を言葉で国民に示さねばならぬ.また諸外国の首脳とマン・ツー・マンで対話しなければならぬ場合がある.
別として,言語能力に限っていえば,劣化し続けてきたのは国民誰しも認めるところであろう.
特に酷かったのは安倍晋三と菅義偉の二人だ.
この二人は,記者会見などにおいてメディアの記者が質問する場面で,質問に立った記者が何を言っているのかをその場で理解することができない (できなかった).
そのため,勢い質問に対する回答を拒否することが多かった.
国会答弁でも全く同様で,野党議員の政府批判には「批判には中 (あた) らない」と一言だけ述べて席に戻るというワンパターンで質問を門前払いした.
菅義偉も同じで,記者会見のシーンでは実質的に質問拒否,というか回答回避が異常に多かったのである.
さて,およそ論理的な言語能力は,高校から大学,大学院にいたる「読み書き」の教育によって獲得される.
一番鍛えられるのは,大学院生になってからトレーニングを受ける学術論文の執筆である.海外の著名な英語の論文誌に投稿して,その論文が採用されるには,かなりの英語力が必要だ.
これに比較すると,小中学校程度の教育では日常会話しかできるようにならない.
この点を考え違いをしている文科省が目論んでいることだが,小学校でいくらネイティブのスピーカーを教師にして英語を教えても,旅行に行って困らない程度の日常英語しか身に着かないのである.
安倍晋三や菅義偉は,有体に言ってその点で無教育であった.
難関大学を出ても日本語力が人並以上になる保証はないが,しかし彼らの母校レベルの大学では日本語力の基礎教育を受けることができないのは確かだ.
もちろん高卒あるいは大学中退でも,作家として優れた文章を書く人はいる.
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