« オリンピックは似非「平和の祭典」である /工事中 | トップページ | パレスチナ問題の責任は米英が負うべきなのに »

2024年8月 6日 (火)

デスマッチ柔道がいいんじゃないか

 パリ・オリンピックの競技を観戦していると,スポーツにも色々あるなあと思わざるを得ない.
 例えばパリ時間昨夜の男子棒高跳びは,他のすべての競技が終了したあと,観客が固唾をのんで見守るなか,世界陸上のチャンピオンでもあるアルマント・デュプランティス (スウェーデン) が6.25mの世界新記録で金メダルを獲得するという劇的なフィナーレだった.
 デュプランティスは二回試技を失敗したあと,三回目で成功したのだが,解説者によると,三回目の成功は一回目と二回目の失敗からただちに助走などの修正を行ったものだという.
 テレビ中継を見ていると,彼は助走に入る前に,頭の上に両手を上げて叩く動作をして,観客に拍手を要請した.
 そして競技場に満杯の観客は盛大な拍手でデュプランティスを激励した.
 大きな拍手の中で,三回目の試技が成功したのを視た時,私は思わず「おおっ」と声が出てしまった.
 この棒高跳びという競技は,陸上短距離走や競泳などのようなドーピングによる不正は意味がないから,素直にこの競技のアスリートたちに拍手したくなる.
 彼らは超人だ.
 
 フェンシングの選手たちも超人だ.
 彼らの一瞬の勝敗は超精密な電気的計測によるから,勝った負けたに文句のつけようがない.
 アーチェリーは対戦型競技ではないが,フェンシングと同様に競技結果が実に爽やかだ.
 マラソンも不正が行われない競技だ.筋肉を付けたら長距離は走れないからだ.
 ゴルフも凄い.七メートルのロングパットを成功させたゴルフの選手も感嘆に値する.
 こうしてみると,筋肉不正と採点&判定不正がない競技は,A級スポーツと呼んでもいいのではないか.
 ならばB級スポーツとは,審判に「オフサイドだ!」と言われるとゴールが取り消されてしまうサッカーとか,審判の判断だけで選手が退場させられてしまうバスケットボールあたりか.
 
 ついでに言うと柔道は,一本負けした選手が会場中に響き渡る声で大泣きして他の試合進行が止められてしまう体たらくで,これはC級スポーツだ.
 力を尽くしてなお敗れて落涙嗚咽するアスリートの姿は見る者の胸に感動を呼ぶ.しかしながら完璧に負けたのにも関わらず,まるでスーパーで菓子を買ってもらえないだだっ子のように,競技場の床にしゃがみ込んで絶叫するのは恥さらしだ.
 この恥さらしの号泣を「武道家としていかがなものか」とテレビで批判したコメンテーターがネットで炎上に晒されたが,炎上理由が「号泣選手が愛されキャラ」であるからという.
 愛されキャラであることが必要な競技であるなら,柔道はD級スポーツかもな.
 試合直後のSNSではその号泣選手が絶賛されていたが,巨大掲示板では「負けて大泣きする豆腐メンタル」だとボロクソに嘲笑されていた.
 しかしこの絶叫選手は,翌日にはケロっとした顔で試合を観戦していたから,豆腐メンタルではなく鉄板メンタルだと私は思った.
 で,要するに,オリンピック競技を,不正のない純粋スポーツ (多くの競技はこれだ) と,不正が入り込む余地のあるその他スポーツに分けて開催したらいいのではないかと私は思う.
 
 余談だが,柔道は,審判という存在が余計だ.
 今回のオリンピックでは柔道を全くしたことのないやつが審判をやっているという.なーにがエラソーに「指導」だ.
「指導」三回で反則負けになるというルールは,勝敗を選手の戦いに関係なく「柔道経験のない審判」が恣意的に決めることが可能だということを意味している.
 そういう理不尽な事態を回避するために「偽装攻撃」というおよそスポーツらしからぬ卑怯な手段が発生した.
 その諸悪の根源である「指導」が生じるのは,試合のマットが広すぎて,組み合わずに逃げ回ることができるからだ.
 だからマットを四メートル四方くらいにしたらよい.そうすれば審判が「指導」なんかしなくても否応なく選手は組み合う.
 組み合えば技量に劣る選手はほとんど負けることになる.
 また「技あり」も審判の恣意が入り込むからよくない.
 技による勝利は「一本」しか認めず,狭いマットの上で「技あり」なしの時間無制限死闘にしたらいいのではないか.
 互いに全力で戦い,それでも実力伯仲のために技で勝負が決まらないのなら,力尽きて起き上がれなくなった選手を敗者,最後に畳の上にすっくと立った選手を勝者とするのだ.そのようなルールなら,審判の「待て」で無念の騙し討ちに遭うことはなくなる.
 なんなら畳の周りに四角く有刺鉄線を張りめぐらす電流爆破デスマッチ (by 大仁田厚) 柔道てのはどうだろう.
 逃げ回れば鉄条網に絡まって血だらけになるし,電撃で体力を消耗する.
 こういう試合なら敗けて泣いてなんかいられない.戦うしかない.
 戦わない柔道がスポーツではなくショープロレスと同じであることを,かつて私たち老人は力道山vs木村政彦の試合で理解した.
 
*********************************************
ウクライナに自由と光あれ
Pics2693_20220307154501
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)


|

« オリンピックは似非「平和の祭典」である /工事中 | トップページ | パレスチナ問題の責任は米英が負うべきなのに »

新・雑事雑感」カテゴリの記事