ジュリー・ロンドンの水色のドレス
昨朝放送のNHK《あの人に会いたい 八代亜紀 (歌手) 》[初回放送日:2024年7月6日] を観て,昨年亡くなった彼女を懐かしんだ.
橋本明代は昭和二十五年八月生まれで,義務教育の学年は,早生まれである私よりも一学年下であった.
彼女が「なみだ恋」の大ヒットで一躍世に知られたのは昭和四十八年 (1973年) のことであった.
レコード歌手としてのデビューはその前々年の昭和四十六年 (1971年) の「愛は死んでも」であったが,後にNHKの番組で自ら語ったところによればこれは全く売れなかったそうだ.
橋本明代は小学校五年生の頃,ジュリー・ロンドン (Julie London,1926年9月26日 - 2000年10月18日) のアルバムを父親に見せてもらった.(これについては後述)
このアルバムのジャケット写真では,ジュリー・ロンドンはピッタリとフィットしたロングドレスを着ていて,それを見たとたんに彼女は「私はこういう仕事をするんだ」と決めたという.
早熟な少女であった彼女は,中卒で就職した会社をすぐ辞めて,年齢を偽って地元のクラブで歌い始めた.
だがこれはすぐに親にバレて勘当されてしまった.
しかし家を追い出された彼女は単身上京し,アルバイトをしながら歌唱の基礎を学び,やがて銀座のクラブで歌うようになった.
彼女自身の希望はクラブ歌手だったが,同じクラブで歌っていた五木ひろしの紹介で芸能プロダクションに入り,やがてレコード・デビューする.上に記したようにデビュー盤は「愛は死んでも」で,芸名は八代出身の明代から八代亜紀とした.
NHKの番組で八代亜紀が思い出を語ったところによれば,彼女が父親に見せてもらったアルバム,すなわち昭和史に名を刻んだ歌手八代亜紀を生んだジュリー・ロンドンのアルバムは,初期の名盤“Sophisticated Lady”である.これは彼女のアルバムを代表する一枚だ.(現在はCD化されたエディションが入手できる)
このアルバムの最初のプレスがリリースされたのは1962年であり,《あの人に会いたい 八代亜紀 (歌手) 》の中で彼女は小学校五年生頃だったと語っているが,実際には彼女は小学校六年生であったから記憶違いと思われる.
オリジナルのジャケットに使われたジュリーロンドンの「ピッタリとフィットした」水色のドレス姿は,後年にリリースされたベスト盤や現在のCDジャケットに継承されている (《あの人に会いたい 八代亜紀 (歌手) 》ではベスト盤のジャケットが画面に映しだされたが,これは八代亜紀が父親に見せてもらったアルバムではない.放送時にテロップでその旨の断りを入れるべきだった).
昭和四十七年に東大農学部を卒業し,同じ講座の先輩に 騙されて リクルートされて,豊年製油という万年赤字のボロ会社 (後に他社に吸収されたため現存しない) に就職した私は,入社前には研究所に配属されるという人事課長との口約束があったのだが,研究員採用という約束は見事に反故にされて,ド田舎の静岡県清水市 (現静岡市清水区) の工場に配属された.
その先輩 (私をリクルートした数年後にがんで亡くなった) も人事課長も嘘つきなのであった.
後にこの人事課長は役付き役員にまでなったが,自分が退任する時に私のところに来て「あの時は君を騙して申し訳ないことをした」とわざわざ詫びた.嘘つきだが,人事の管理職は新卒採用の際は嘘をつくものなのであり,悪いひとではなかった.
私は,工場では毎日朝八時に実験室に出勤し,一日中,頭を使わないルーチンワークに従事した.
先輩社員に,私がこの小さな実験室に配属された理由を教えられたのだが,実験室アシスタントの若い女性が退職するので本社に補充を申請したら,私が配属されてきたのだという.つまり若い女の子の穴埋めだったのである.
今日やったことが知識経験となって明日の役に立つという仕事ではなかったから,俺は何のために大学を出たのかと,正直なところ精神的に参った.
その日暮らしの生活に腐った私は,夕方の四時に仕事が終わると,そのあとは飲み屋に直行するようになった.
清水市という人口の少ない田舎町は,商店街は今でいうシャッター商店街で寂れていたが,しかし赤提灯が並ぶ飲み屋の横丁は一丁前にあった.
給料は,初任給が四万三千円で,独身寮費が八千円 (食費込み) だったが,寮費を払った残りで,丸善出版から出ていた『実験化学講座全32巻』を買い揃えようと思って数冊を書店に毎月注文し,残りはすべて飲み代になった.
そんな荒んだ日々が一年過ぎた頃,行きつけの飲み屋の有線放送で特徴的なハスキーボイスの歌手の歌がよく流れるようになった.
店の女将さんに聞いたら,その曲は「なみだ恋」で,歌手は八代亜紀だという.
その年の紅白歌合戦に登場した八代亜紀は華やかな容姿と大人びたハスキーな声で,とても私と同い歳には見えなかった.
以後,私は八代亜紀の大ファンとなった.ボーナスをはたいてソニーのステレオを買って「なみだ恋」を聴いた.
後年に私は思ったのだが,少女時代にジュリー・ロンドンの水色のドレスを見て「私は歌手になる」と決め,ひたすらそうなるべく生きた八代亜紀と,仕事が詰まらないくらいのことで挫折し,赤提灯で飲んだくれていた私とでは人間のデキが違うのであった.
そんなことを思いつつ,NHK《あの人に会いたい 八代亜紀 (歌手) 》[初回放送日:2024年7月6日] を観て,昨年亡くなった彼女を懐かしんだ.
*********************************************
ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
| 固定リンク
「新・雑事雑感」カテゴリの記事
- 米がなければブリオッシュを食べればいい(2025.03.16)
- 朝ドラを第一話から最終話まで観る(2025.03.13)
- 古里を追われ もはや帰る希望もなく(2025.03.11)
- ロシアの真空管 /工事中(2025.03.11)
- 手袋を買ったが(2025.03.11)
最近のコメント