恥ずかしいことに東陽証券の杉野光男は大卒で著書もあるのに無知だ どんな本だよ
中国の古い格言に「下井投石」がある.これは「井戸に落ちた者に石を投げつける」という意味で,欧米流のフェアプレイ精神なんぞには価値を認めない中国人の国民性を示している.
もしそうでなければ,格言として今に伝えられてこなかっただろう.つまり中国人にとってフェアプレイ精神は建前に過ぎず,ホンネは「勝負事は勝ちゃいい」のである.花より団子,勝ってナンボ,儲けてナンボだ.そしてそれは日本人だって同じである.
しかし中国人全員がホンネ主義者かというとそうではないようで,評論家の林語堂は,中国の週刊雑誌「語絲」(1924~1930) に「フェアプレイ (費厄溌頼) とは下井投石を肯定しないことだ」と書いて,中国人のアンチ・フェアプレイ精神を批判した.
ところがこれに魯迅が横やりを入れた.というか,林語堂の文章を歪曲して反論した.
林語堂の元の文章は「フェアプレイ (費厄溌頼) とは『不下井投石』だ」なのに,魯迅はこれを「林語堂は,フェアプレイとは『不打水落狗』だと言っている」と書いたのである.
私は中国語ができないので,林語堂と魯迅の論争の詳しいことはわからないが,識者の解説によると,魯迅は「不下井投石」を「不打水落狗」にすり替えたのである.
相手の言葉を別の言葉にすり替えて叩くのは論争の常套手段だから,魯迅は林語堂の言葉を意図的にすり替えたのであろう.まことにフェアプレイ精神に反するアンフェアな手口であるなあ.魯迅は論破王かよ.w
つまり,誤解している向きがあるらしいが,「打水落狗」は中国の古い言葉とか故事格言ではなく,魯迅が勝手にこしらえた言葉である.
さてこれに私の註釈を加えると,魯迅の言葉「打水落狗」の「狗」は,シーズーとかトイプーなどの実際の犬ではない.
「権力の走狗」の「狗」である.革命の敵だ.
林語堂も魯迅も,動物の犬の話をしているのではない.革命論争をしているのである.
つまり魯迅は,革命闘争においては暢気にフェアプレイ精神などと言っている場合ではない,敗北して水に落ちた走狗 (階級敵) は二度と立ち上がれぬように完膚なきまでに叩けと言っているのだ.
そうしないと,死に損なった走狗は息を吹き返して再び噛みついてくるぞと魯迅は言っているのである.
これに対して林語堂は「私たちが攻撃すべきは思想であって,人それ自体 (革命闘争の敗北者) ではない.敗北者を追い詰めるのはフェアでない」と言ったのである.これが魯迅と林語堂の「打水落狗」論争の骨子だ.
と,ここまで述べて,魯迅の言葉「打水落狗」に関する最近目にした一つの誤解について書く.
小池知事が圧勝した今回の都知事選挙に関する,ひろゆき氏の発言のことである.
下にひろゆき氏の投稿のスクリーン・ショットを示す.
実は私たち年寄りは学生時代に「打水落狗」を日本語化した「水に落ちた犬を叩け」を,学生運動活動家のアジテーションでよく耳にしたから,割とよく知っている.この「犬」は政府だったり対立するセクトだったりするが,要は敵とは徹底的に対決しなければいけないという意味だ.
だから,上に引用したひろゆき氏の《池に落ちた犬は叩け》は,米山隆一氏のおかげで無知無教養がバレて論破王の座から失脚したひろゆき氏らしい間違いだなあ,と思ったのだが,一応調べてみた.
すると,ひろゆき氏の他にも,正しくは「水に落ちた犬を叩け」を,勝手に言い換えて「川に落ちた犬は叩け」とか何とかウェブに書いている無教養者がいることがわかった.水があるところには違いないが,原文は水だ.それなのに池とか川とか,そんな語がどこから出てきたのか不思議だ.
そういうやつは書く前に「調べる」ことをしないから,きっとこの言葉が魯迅のものだなんて知らぬに違いない.
たぶん,ひろゆき氏も無教養者の一人だから,魯迅の言葉がソースだなんて知らないだろう.ああ恥ずかしい.
だが世の中は広い.
ひろゆき氏よりもっと無知なのがいるのだから面白い.
それは,東陽証券のサイトで「中国株コラム」を執筆している東陽証券株式会社主席エコノミストの杉野光男という人物である.
同社のサイトに掲載されているプロフによると,氏は一橋大学商学部卒 (1974年) で, 三菱信託銀行 (現三菱UFJ信託銀行) 入社,上海華東師範大学へ留学,同行北京駐在員,上海駐在員事務所長,理事中国担当部長を経て2007年から現職だとのことである.
著書に「日本の常識は中国の非常識」(時事通信社),「中国ビジネス笑劇場」(光文社) 等がある.
年齢非公表のようだが大学卒業が1974年だから,私とほぼ同世代だと思われる.
中国関係の仕事一筋に生きてきた杉野氏がどんなことを書いているか,同社サイト掲載の《ひと息コラム『巨龍のあくび』第197回:水に落っこちた張さん》から下にテキストとスクリーン・ショットで引用する.
《中国の故事に曰く、「打落水狗(=溺れる犬は石もて打て)」と。一説によると、本来のことわざは「“不”打落水狗(水に落ちた犬を打つな)」、つまり卑怯な真似はやめようと云う格言を、魯迅先生が「論『費厄溌頼』応該緩行(“フェアプレイ”はまだ早い)」と云う題名のエッセーのなかで、皮肉を込めてひっくり返して使ったのが由来だとか。最近中国や北朝鮮・韓国が執拗に日本を批判しているが、日本は野蛮国で、自分たちは悠久の儒教文化を有する立派な文明国と思っているようだ。だから、水に落ちた犬を小突きまわす伝統が、あの国々にはあるはずがないと、つい先日まで思っていたのだが・・。年の瀬に突然飛び込んできた北朝鮮ナンバー2の張成沢国防委員会副委員長の粛清事件には驚いた。(以下省略)》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った/以下も同じ)
杉野光男氏は,中国関係のコラムを堂々と執筆公表しておきながら,まるっきりの嘘デタラメを書いて平然としておるなあ.どういう神経なのか.
まずその嘘の第一は《中国の故事に曰く、「打落水狗(=溺れる犬は石もて打て)」と》だ.
杉野氏が書いている《打落水狗》は間違いで,正しくは「打水落狗」だ.原典を知らないのがモロバレだし,銀行で中国担当部長だったのに,中国語を間違うって,どういうことだよ.
しかも魯迅の言葉だから,《故事》ではない.もしかすると日本語も不自由なのか.
Wikipedia【故事】には《故事(こじ)とは、大昔にあった物や出来事。また、遠い過去から今に伝わる、由緒ある事柄。特に中国の古典に書かれている逸話のうち、今日でも「故事成語」や「故事成句」として日常の会話や文章で繁用されるものをいう》と解説されている.
近代人の魯迅の言葉が「故事」であろうはずがない.馬鹿なことを言うな,この無教養者めが.
杉野氏は《一説によると、 ……が由来だとか》などと出所不明の伝聞形で曖昧な書き方をしているが,《だとか》とか書いてる暇があったら,とっとと岩波文庫を買ってきてちゃんと調べんかい,このあほんだら.あ,そうだ.あほんだらに氏を付けるのは日本語としてよくないから,以下は杉野と書く.
で,嘘の二つ目.杉野は《本来のことわざは「“不”打落水狗(水に落ちた犬を打つな)」、つまり卑怯な真似はやめようと云う格言》と書いているわけだが,そんな格言は存在しない.
あるのは魯迅の「打水落狗」だけである.しかもそれは昔からある格言なんぞではない.魯迅が林語堂を批判するために新たに作った言葉である.杉野は中国関係の仕事を生業にしてきたのに,そんな知識もないのか.これまでよくそれで商売ができたな.私は理系学部の出身の技術者だが,魯迅の「打水落狗」は知っている.杉野は一橋大学卒業だそうだが,学生時代に何を勉強してきたのだ.一橋大卒とか,聞いて呆れるぞ.
ひろゆき氏は中国関係のことを商売にしたことはないから,中国の近代史について無知でも他人に迷惑をかけたわけではない.だから魯迅の言葉を間違ってSNSに書いても責める人はいないだろう.
だが杉野は違う.魯迅のことは知らないし中国語も怪しい.それなのにこれまで中国の専門家のようなフリをして顧客を信用させてきたのは罪が深い.大いに責められるべきである.
そんな杉野だが,今からでも罪滅ぼしに勉強したらどうか.
メディアが蓮舫氏を「打水落狗」のように叩いていることについて調べていたら,最新の論文をみつけた.
工藤貴正《周氏兄弟研究第1号 「五四」後の知識人の責任―「フェアプレイ」論を巡る魯迅・周作人・林語堂の言説を視座に》[掲載日 2023年年3月] がそれだ.論文の冒頭を下に引用する.
《論文摘要:本稿では、「五四」後の知識人が社会に負うべき責任という観点から、中国の「文化伝統」に大きな闘争と動揺を巻き起こしたとされる「ボルシェヴィズム」と「自由主義」に関わり、『語絲』派の知識人の周作人が投げかけた「水に落ちた犬を打つ」(打水落狗)と「フェアプレイ」(費厄溌頼)という二つの用語の波紋は、表面的には魯迅と林語堂の論争という形式を通して、前者が「反自由主義・反中庸主義」の戦闘精神を比喩した「ボルシェヴィズム」(共産主義)陣営を鼓舞する標語として、後者は「自由主義的中庸主義」の曖昧な精神を風刺した「自由主義」(資本主義)陣営を批判する標語となるも、その後は、「二つの階級」「二つの路線」の闘争を表す標語となるに至った。そこで、殷海光の「知識人」論と「自由主義」「ボルシェヴィズム」論を援用しながら、この二つ用語が中国の知識人に投げかけた問いへの考察を試みた。
キーワード:「水に落ちた犬を打つ」(打水落狗)、「フェアプレイ」(費厄溌頼)、魯迅、周作人、林語堂、殷海光理論
(以下本文)
はじめに
……》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った/以下も同じ)
ひろゆき氏も,「水に落ちた犬は打て」は《大人の日本人の考え方じゃない》とかいう問題ではなく,隣の国における《「反自由主義・反中庸主義」の戦闘精神を比喩した「ボルシェヴィズム」(共産主義)陣営を鼓舞する標語》なのだということは覚えておこう.
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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