いい大人がスプーンでロングパスタを…… (追記あり)
DIAMOND online《彼氏がスプーンを使わず「フォークだけでパスタ」これってマナー違反ですか?》[掲載日 2024年6月18日] から下に引用する.
《ビジネスパーソンにとって、言葉は頼もしい武器。どんな言い方をすれば、相手の気分を害さずに真意を伝えられるのか。クイズに挑んで、ワンランク上の「大人の言い換え力」を身につけましょう!(クイズ制作/石原壮一郎)
クイズ
付き合い始めたばかりの彼と、お高めのイタリア料理店へ。彼がパスタをフォークだけ使って食べ始めた。自分は、パスタの食べ方は「スプーンを添えて巻くのがマナー」だと教わった。
彼は穏やかなタイプではあるが、いきなり「それ、お行儀悪いよ」と指摘するのはさすがにはばかられる。さて、どうしたものか?
(A)「スプーン使ったほうが食べやすくない?」と遠回しに聞いてみる
(B)「次からデートは箸を使うお店にしようか」と提案して違和感を示す
(C)うるさいヤツだと思われたくないので、何も言わない
正解は……
A
◎ (A)「スプーン使ったほうが食べやすくない?」と遠回しに聞いてみる
× (B)「次からデートは箸を使うお店にしようか」と提案して違和感を示す
× (C)うるさい女だと思われたくないので、何も言わない
解説
じつは、パスタをフォークだけで食べてもマナー的にまったく問題ないという説も有力。どう指摘するかの前に、「自分の知識が『正解』とは限らない」という謙虚さや慎重さを持つことも大切です。
自分は「スプーンを使うべき」と思っていても、まずはAの言い方で探りを入れてみましょう。きっと彼は自説を披露してくれて、見聞が広まります。Bは意図が伝わらない上に嫌味。何も言わないCは、モヤモヤがたまって今後の交際にいい影響を与えません。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
映画『北京の55日』(1963年公開) で柴五郎中佐を演じた伊丹一三 (後に伊丹十三) がエッセイ集『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』で颯爽と登場したのは昭和四十年 (1965年) のことだった.
大学生協の図書部でも街中の書店でも,彼のエッセイ集は平台に山積みされ,ベストセラーとなった.
そのエッセイの中で彼は「スパゲッティは饂飩ではない」と強く訴えた.
日本人がまだロングパスタをずるずると啜って食べていた頃のことだ.
私を含め当時の青年たちは伊丹の「スパゲッティは饂飩ではない」に強い影響を受けた.(参照;伊丹十三記念館《スパゲッティのおいしい召し上がり方》[掲載日 2012年8月27日])
パスタの話に限らず,彼のエッセイに書く「ヨーロッパの雰囲気」に憧れたのである.
だから今の高齢者たちは,ロングパスタを食べる時に,決してスプーンを使わない.伊丹十三が記した通りの流儀で食べる.
なぜなら,いい歳をした大人が,スプーンとフォークを使ってロングパスタを皿から巻き取るのは,子供みたいで恰好悪いことだからだ.
「マナーとして認められていればどんなやり方で食べてもいい」というわけではないのである.
ところが,ウェブ上の資料によるとバブル経済期に突如起きたパスタのブーム (「イタ飯」と俗称された軽佻浮薄な流行は,イタリア料理のブームというよりもパスタのブームであった.日本人は炭水化物が大好きなのである) が起きたときに,スプーンとフォークを使ってロングパスタを食べる人たちが出現したのである.
昨日まで箸で饂飩をずるずる啜っていた連中が大挙してレストランに押し掛けたのだが,連中はフォークでロングパスタを巻き取るやり方がわからない.
そこで彼らはフォークの先っちょでロングパスタを数回クルクル巻くと,そのまま持ち上げて口に運んで食べた.
上手な食べ方は,巻き終わったロングパスタの量がピンポン玉くらいの大きさになるようにするのだが,俄か「イタ飯」ファンは鶏卵ほどの量をフォークの先に引っ掛けて口に運んだのである.
当然のことに,麺はフォークから十センチくらい垂れ下がる状態になってしまい,必然的に,ずるずるとラーメンを食う時のように啜り込む有様となる.
料理を作る側としては,これではたまらない.
料理人を目指してイタリアにまで出かけて修行し,ようやく東京でお洒落なイタリア料理レストランを開いたというのに,店の中はあっちでもこっちでも,ずるずると音がして,これではまるでラーメン屋だ.
そこで店のシェフや経営者は一計を案じた.
スプーンを使ってロングパスタをフォークに巻き取るやり方を勧めたのである.
皿の横にフォークと一緒にスプーンを置いたり,カトラリ籠にフォークとスプーンを入れたりして客に「これこれこのようにすると,ちょうど一口分のスパゲッティを巻き取ることができるんですよー」と客を教育したのである.(これは当時の私の実体験と見聞)
このやり方は日本人料理人の考案ではなく,イタリアの家庭で実際に幼児がロングパスタを食べるときの食べ方だと,ものの本に解説されている.小さな子供は上手にフォークを扱えないから,そうするように親が教えるのだという.
このようにして,フォークだけで上手にロングパスタを巻き取ることができない みーちゃんはーちゃん 若者たちはスプーンとフォークでロングパスタを食べる習慣を身に着けた.
スプーンとフォークでロングパスタを食べるやり方が定着すると,食事マナーのカルチャー講座なんかで講師が生徒に「スプーンとフォーク」方式を実演したりした.
この「幼児がロングパスタを食べるやり方」の流行,すなわちパスタ食文化の日本的変容を嘲笑したのが,誰あろう伊丹十三であった.
バブル景気が始まる直前,日本中が好景気に浮かれていた昭和六十年 (1985年) 秋に公開された作品『タンポポ』の中に,伊丹監督はイタリア料理の食事マナー講習会のシーンを挟んだのである.
YouTube《Tampopo -- Spaghetti scene》がその場面だ.
このシーンは,イタリア料理レストランに外国人男性客がやってきて席に着くところから始まる.
折しもこのレストランで,食事マナーの講習会が開かれている.
その講習会の光景を見た男性客はウェイターに「あれはなんだい?」と訊ねる.
ウェイターは「あれはイタリア料理の食事マナー講習会でございます,お客様」と答える.
その講習会では女性講師 (岡田茉莉子) が女性の生徒たち (下の註1) に,スプーンとフォークでスパゲッティを食べるやり方を「マナー」だと教えていた.
それを耳にした件の男性客は,いたずら心を起こして,講習会の女性たちをからかうことにした.
小さな子供みたいにスプーンとフォークでロングパスタを食べるのは,マナー違反とまでは言えないものの,みっともなくて大の大人がすることではないからである.
そこで男性客は,講師がスプーンにスパゲッティを巻き取るやり方を実演したときに,わざとスパゲッティを盛大な音を立てて啜ってみせた.
その時までは神妙に講師の説明を聴いていた生徒たちは,外国人が音を立ててスパゲッティを啜るのを目撃して,講師の蘊蓄より,外国人の食べ方を信じる.生徒みんなで盛大にずるずると麺を啜り込む (下の註2).
そして最後は講師自身がヤケクソになってスパゲッティずるずる啜り食いを始めるのであった.
[追記;下の註1,2]
(註1) 死語に等しいが,戦後の昭和,一般に「花嫁教室」と呼ばれたカルチャー教室のようなものがあり,生徒は若い女性だけであった.この教室では,料理や食事マナーの習得,茶道華道,あるいは和服の着付けなど,当時の言葉で「花嫁修業」,今の言葉では「女子力」を付けるための講習を行っていた.ちなみに昭和四十年代の初め,東京の中野区あたり中央線沿線に「花嫁学校」という赤色青色のネオンサイン看板を屋上にきらめかせたビルがあったが,これは大衆キャバレーであった.今はない.私は通学時に電車の窓からそのネオン看板を眺めて,本当に花嫁さん志望の女性たちがお作法などを学んでいるのだと思っていた.
(註2) YouTube《Tampopo -- Spaghetti scene》の中に,スパゲッティを啜り込む時に,頭を大きく上下させる女性が出てくる.この啜り込みスタイルは,ラーメン屋でたまに見かける.実見すると笑ってしまうこと確実だ.
さてこのシーンの解釈は色々あるだろう.
・伊丹十三が若い時にエッセイに書いて主張した「スパゲッティは饂飩ではない」が遂に日本人に受け入れられず,これを日本的に変容させた「スプーンとフォークでスパゲッティを食べる子供の食べ方」が「マナー」として広まっていることへの皮肉.
・日本人の言うことを信用せず,外国人のすることは正しいと思い込んでマネをする日本人の国民性.これはよくあることだ.
・小さな嘘「スプーンにスパゲッティを巻き取るのがマナー」が,大きな嘘「外国人でもスパゲッティを啜り食いする」にぶち壊されてしまうドタバタギャグのおもしろさ.
・若気の至りで「スパゲッティは饂飩ではない」と大見得を切った伊丹十三だが,結局のところ日本人は啜り食いが好きで,できればスパゲッティを饂飩のように啜って食いたいと思っている.それはもうどうしようもないのだなあ,という彼の感懐.
このシーンについては,まだだ色々な見方ができるだろう.
例えば,余談だがバブル経済期に「スプーンとフォークでロングパスタを食べる」やり方が流行ったずっと前に,札幌ラーメンのブームがあった.
このブームが,日本で「スプーンとフォークでロングパスタを食べる」やり方が流行ったことの起源だというのだ.
もう少し詳しく説明する.
札幌ラーメンがまだ北海道のローカルな食べ物だった時代,札幌など北海道の人たちは,丼から箸で麺をいったんレンゲに乗せ,それをまた箸でつまんで啜って食べていたのである.
私がその食べ方を知ったのは昭和四十三年の四月,大学に入学してすぐだった.
札幌から上京してきた同級生と仲良くなり,連れ立って大学裏の札幌ラーメン屋で味噌ラーメンを食べた時,彼が丼から箸で麺をいったんレンゲに乗せてから食べるので「猫舌なの?」と訊ねた (そのようにすると麺が少し冷める) ら「札幌ラーメンの本場ではこうやって食べるんだ」との答えであった.
その時は「めんどくさい食べ方だなあ」と私は思ったのだが,今では札幌ラーメン以外のラーメン店でも丼にレンゲが添えられることが増えた.
これについて最近調べてみると,箸とレンゲを使う麺の食べ方のルーツは中国の食事作法だという説がある.
下のスクリーン・ショットは,横浜中華街の人気店「皇朝」(人気店だが店の格式は低い) の公式サイトに書かれている記事《これが中華料理のマナーです!正しいレンゲの使い方》[掲載日 2016年10月3日] である.
上の引用文中に《ラーメンをはじめとした汁物料理》とあるが,周知のように日本のラーメンのように細長く引き伸ばした麺 (麺線) を汁物に仕立てるのは,中国の料理ではなく「日式」(日本風) だ.
横浜中華街の中国料理店はほとんど日中混淆で,店名が例えば「広東料理○○楼」なのに単品の日式汁麺があったりする.(さすがにコース料理には日式の麺は出てこないが)
というわけで,「皇朝」のサイトに《ラーメンはレンゲを使って食べよう》と書かれていてるように中国ではスプーンと箸を使うので,これは日本のラーメンの食べ方と同じであるが,日本人が「スプーンとフォークでロングパスタを食べる」のとは少し違う.
韓国はレンゲではなくスプーンと箸を使うが,基本的には中国と同じスタイルだ.(韓国農水産食品流通公社《韓国の基本的な食事マナー》)
だが,中韓ではなく東南アジア各国ではスプーンとフォークで食事するのが普通のスタイルである (彼らは箸の遣い方が下手くそであるためフォークがよく使われる) のを見ると,これが日本の「スプーンとフォークでロングパスタを食べる」やり方に影響したように思われる.(右手でスプーンを持つので丁度逆のやり方だが)
この余談はともかく,いずれにせよ「スプーンと箸」または「スプーンとフォーク」を使って食事する中国,韓国,東南アジア各国では,日本人のように口からみっともなく垂れ下がった麺を,ずるずると音を立てて啜るようにして食べることはない.これはスプーン使用のよい点である.
それじゃあ「スプーンとフォークでロングパスタを食べてもいいじゃないか」と言えそうだが,伊丹十三が書いているやり方に従えば,フォークだけで見た目がスマートにロングパスタを食べることができるわけだから,これは牽強付会の気味がある.スプーンは余計だ.
それに,これは私だけの感覚かも知れぬが「スプーンの凹面にフォークの先端を当てて回転させる」時のような,金属の尖端が金属表面とこすれ合う音や感触が大嫌いだ.歯が浮くあるいは背中に鳥肌が立つ.他には,滑らかなガラス表面を釘でキーとひっ掻く音なんてのもそうだ.生理的に受け入れられない.
そして自分の手で「スプーンの凹面にフォークの先端を当てて回転させてこすり合わせる」のはもちろん,一緒のテーブルで目の前の人がそれをやるのも耐え難い.
そういうこともあって,ロングパスタはフォーク一本で食べるものだと若き日の伊丹十三に教えられ,半世紀もそうやってスパゲッティを食べてきた私は「スプーンとフォークでロングパスタを食べる」人を見ると,「カトラリをうまく使えない幼児じゃあるまいし,大の大人がみっともない」と思う.青年期に『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』の影響を受けた高齢者諸兄もこの見解に賛同して頂けるだろう.
冒頭に引用したDIAMOND online《彼氏がスプーンを使わず「フォークだけでパスタ」これってマナー違反ですか?》に,
《クイズ
付き合い始めたばかりの彼と、お高めのイタリア料理店へ。彼がパスタをフォークだけ使って食べ始めた。自分は、パスタの食べ方は「スプーンを添えて巻くのがマナー」だと教わった。
彼は穏やかなタイプではあるが、いきなり「それ、お行儀悪いよ」と指摘するのはさすがにはばかられる。さて、どうしたものか?
(A)「スプーン使ったほうが食べやすくない?」と遠回しに聞いてみる
(B)「次からデートは箸を使うお店にしようか」と提案して違和感を示す
(C)うるさいヤツだと思われたくないので、何も言わない》
とあるが,正解は《何も言わない》だ.
理由は「スプーンとフォークでロングパスタを食べる」のは,子供じゃあるまいし《お行儀悪い》からである.
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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