ネアンデルタール人の伝説 /工事中
人類学とか考古学と聞くと眉につばをつける人は多いだろう.
とにかく胡散臭い.
時々テレビ番組で,発掘調査の現場の映像が放送されるのだが,人々が地面をヘラのような道具で掘っている.
どういう基準で発掘作業が行われるのか全く説明がないままに地面の土が取り除かれて,いつの間にか堀や穴が出現する.
「ここに穴があるといいなー」という希望的観測で掘っとるんとちゃうやろな,という疑問がわく.
そして穴がいくつも発掘されると,その穴には柱が立てられていたはずだとして,建物が復元される.
例えば三内丸山遺跡に復元された「六本柱建物」だが,実物がこうであったと,その目で見たやつはいるのか?
この構造物が,想像ではなく「復元」であるという根拠を訊きたい.
三内丸山遺跡の六本柱建物 (復元物)
パブリック・ドメイン画像 (File:Reconstructed Pillar Supported Structure.jpg)
私たちが考古学を全く信用しなくなったのは,あの「旧石器捏造事件」があったからだ.(Wikipedia【旧石器捏造事件】)
そのWikipedia【旧石器捏造事件】には《縄文時代以降では明確な遺構が地下を掘削して造られており、土の性格から直ちに真偽が判断可能なため、捏造は不可能である》と書かれている.
しかしWikipedia【三内丸山遺跡】には次の記述がある.
《六本柱建物跡の復元に当たっては様々な意見が出された。建設する場所は六本柱建物のあったと推測される場所のすぐ脇に決まったものの、ただ柱が立っていただけなのではないかと言う意見や、逆に装飾具などもある非常に凝ったものだったのではないかと言う意見も出された。
考証と施工は小山修三の監修の下、大林組のプロジェクトチームが行った。結局、中間を取って屋根のない3層構造の建物になった。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
《ただ柱が立っていただけ》という想像と《装飾具などもある非常に凝ったものだった》という想像のどちらも根拠のない単なる想像なのに,《中間を取って屋根のない3層構造の建物になった》と書いてある.これは常軌を逸脱している.
かつて存在した六角柱建物の構造は,ただ一つであるのに,考古学では複数の説の《中間を取って》という方法で構造を決めることができるようだ.
科学的な見地からは構造不明とすべき縄文の建築物を,学会の大御所 ( 国立民族学博物館名誉教授) とゼネコンが想像に基いて建築し,これを「復元」と称している.だが,これは「復元」ではなく,捏造された観光施設だ.どうせならLEDのイルミネーションで飾り立て,看板に「なんちゃって縄文建築」とでも書けばいい.
自然科学の論文は「仮説を立ててこれを論理的に証明する」という形式をとる.
ところが自然科学以外の学問では,仮説にすぎない説が学説として扱われる傾向がある.
証明なしに「私はこう思う」だけで学説になってしまうのだ.
三内丸山遺跡に復元された「六本柱建物」がその悪しき例である.
あれを目にした観光客は,縄文時代にああいうものが実際に存在したと勘違いしてしまうではないか.あの観光施設の地上部の構造は完全に希望的な仮説にすぎない.
考古学が,大学では文系学部に置かれているのは,証明のない仮説だけで学説とされる学問だからである.
自然科学においては,「査読付き論文誌」以外のジャーナルに掲載された主張は「証明が不充分である」との理由で学説として認められないが,人文科学ではそうではない.
その最悪例の一つが,上に述べた旧石器捏造事件であるが,ピルトダウン事件 (1909年) (Wikipedia【ピルトダウン人】) も,何者かが悪意に基いて捏造した化石を材料にして,「学者」たちが寄ってたかって二百五十編もの論文をでっち上げたのであった.
(東京大学総合研究博物館・西秋良宏《先史考古学における真と偽——石器のコピーをめぐって》)
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