就活のトラウマ
連続ドラマNHK《わたしの一番最悪なともだち》をずっと視聴している.
番宣サイトから粗筋を下に引用する.
《【あらすじ】就職活動で連戦連敗中の大学4年生・笠松ほたるには、ある“天敵”がいる。
小中高も一緒、そして、今も家の近くに住んでいる同級生の鍵谷美晴(かぎや・みはる)、そのひとだ。
クラスのもめ事にも正論で返し、さまざまなアクシデントも創意工夫で乗り越える。いつも自分の前でまぶしいスポットライトを浴び続ける存在。そんな幼なじみのキャラで自分を装い、入社試験に臨んだとしたら・・・
「わたしにとってこんな自分だったらいいのには、鍵谷美晴だった」
美晴の個性を自分のものとして偽り、提出したエントリーシートは、なんと通過。どう受け止めたら良いのかわからぬまま、次の面接、次の面接と、笑顔で嘘をつき続けていく・・・。》
昨夜の放送では,主人公の笠松ほたるが,就職試験の最終面接で《笑顔で嘘をつき続けていく》ことができずに窮地に陥った場面が描かれた.
面接担当者の,思いがけない質問に動揺したからである.
そのシーンを観ながら,もう半世紀少し前の私の「就活」を思い出した.
昭和四十三年 (1968年) 一月,医学部の無期限ストライキから始まった東大闘争は,翌年年明けに全学部のバリケードが続々と解除されて終息した.
ストライキが終わったその後暫くのあいだ,農学部の活動家だった私の頭の中は意気消沈してカラッポになったまま,先行きのことなんか何も考えられなかったのだが,四年生の初夏になってようやく「就職しなけりゃいけない」ことに気が付いた.(その頃のことを《運の悪さを》[2021年3月7日] に書いた)
学科の事務室に数社の採用公募が来ていたので,その中から昭和電工を選んだ.
特に志望理由はなかったのだが,何となく大企業っぽいといういい加減な動機であった.
「『いちご白書』をもう一度」は「就職が決まって髪を切ってきた時」とあるが,当時は就職活動中は長髪のままでも咎められず,私も昭和電工の試験は髪を切らずに受けた.
書類選考とか筆記試験は免除され,次の一次面接で,昭和電工阿賀野川事件 (Wikipedia【第二水俣病】) について訊かれたので,会社に迎合した返答をした.
卑屈なことに,活動家だった前歴がバレぬよう,ここは迎合するほうがいいと思ったのである.
しかし面接に私は落ちた.
せっかくこの私が迎合してやったのに落としやがったのである.ヾ(--;)オイ
こんなことなら面接の場で,落ちてもいいから昭和電工を公害企業の代表としてきちんと批判すりゃよかったと,自分の腰抜けさ加減を恥ずかしく思った.
この時のことは,トラウマとでもいうのか,情けなくていまだに覚えている.
で,結局私は豊年製油 (今はもう存在しない) という食品業界のボロ会社に就職したのだが,昭和の終わりごろ,嶋雅二という当時の専務から企業犯罪の実行を命じられた.
どんな犯罪だったかは別稿に書くことにするが,私は嶋の命令を拒否した.
しかし結局,私の抵抗にもかかわらず嶋雅二の犯罪は密かに行われた.当時,これがもし発覚していれば嶋は業務上過失傷害罪に問われたはずである.
社内の事情に疎かった私は知らなかったのだが,嶋専務は,嫡流ではない創業者一族の人間だった.
彼が非嫡子であることは公然の秘密であったとあとで耳にしたが,それが理由か,やがて嶋雅二は社長に昇格し,私は社長が命じた犯罪の実行に抵抗した罪で,その後二十年間近く嶋のパワハラを受け続けた.
同期入社の男が役員になったり,嶋の犯罪を嬉々として実行した後輩の無能社員も執行役員になったが,私は管理職で会社員人生を終わった.
あれもこれも全部過ぎたことではあるが,しかし嶋の犯罪は文字にして残しておきたいと思っている.
昭和電工の入社試験で,公害企業に迎合した腰抜けの私としては,その時の恥を雪ぐためにも,その後就職した会社の犯罪を知りながら黙ってあの世に行きたくない.
NHK《わたしの一番最悪なともだち》は,就職試験で自分を偽る嘘をついた主人公の心の動きを描いて秀逸なドラマであると思う.
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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