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2023年8月25日 (金)

言い過ぎである

 もう既に老人たちの記憶にしか残っていないことであるが,かつて日大闘争 (1968年~1969年) と呼ばれた学生運動があった.
 日大の経営体制 (組織,役職) は何度も変更がなされたが,日大闘争時の日大トップは古田重二良会頭であった.会頭は現在なら理事長に相当する.
 古田会頭は法人経理を私物化して不正かつ莫大な使途不明金を出していた.
 トップがこうだから,教職員は右へ倣い,裏口入学,経費使い込み,脱税などが横行した.
 この有様に最初,少数の学生たちが大学の正常化を求めて学内で集会を開いて,古田派の教職員を指弾した.
 この時,古田会頭は体育会系の指導者に命じて,反古田を訴える学生たちに暴力を加えた.
 柔道部,相撲部,アメフト部,応援団など,体格と腕力で一般学生を圧倒する者たちが,殴る蹴るの暴行を欲しいままにしたのである.
 経緯をWikipedia【日大紛争】から引用する.
 
日大紛争は、1968年 (昭和43年) から1969年 (昭和44年) にかけて続いた日本大学における大学紛争である。学生運動の立場からは日大闘争と呼ばれる。
……
背景
 1960年代後半に日本では18歳人口の急増と大学進学率の向上により大学生の数が急伸し、大学教育の性格は大衆化しつつあった。
 日大は、極めて強い保守思想の持ち主である古田重二良[注釈 1]の経営のもと、その潮流に乗って急速に膨張した。1968年(昭和43年)には学生・教職員総数15万を数える日本最大の大学となり、全国大学生総数の約1割を占めるまでに至った。
 一方で、学習環境や福利厚生、教職員数はこれに追いついておらず、教育条件の劣悪さに学生たちの不満が高まっていた。当時の大学の講義は500人から2000人程度の学生を入れた大教室で教員がマイクで話す形式(いわゆるマスプロ方式)が中心であり、教員の質も低く、それにも関わらず授業料はしばしば値上げされた。その時の日大の学費は、当時の日本の大学の中でも特に高額であった。日大の学生たちは教育環境の改善を求める自治運動や学園の民主化、自治会の全学連加盟などを求める運動を行ったが、大学当局は「学生の指導を徹底強化する」「学内における政治運動は禁止する」と方針を打ち立て、これを抑圧した。また、当時の古田重二良会頭は日大柔道部出身であることから、大学当局は、日大学内の運動部や応援団の体育会系学生を優遇して、学内の学生活動を監視・弾圧する実行部隊として利用した。
 
大学当局は、日大学内の運動部や応援団の体育会系学生を優遇して、学内の学生活動を監視・弾圧する実行部隊として利用した》と書かれているが,随分と穏やかな表現である.当時,私たち他大学の学生が日大闘争の現場で目撃したのは,上に書いたように《殴る蹴るの暴行》だった.
 日大文理学部の学生だった友人から当時耳にした話によると,反古田会頭派の学生が学内で集会を始めるとすぐ,大学当局から指示を受けた体育会系学生がバットや竹刀を持って襲ってくる.それを見た反古田派の学生たちはてんでん散り散りに逃げる.毎日これの繰り返しだったという.
 日大闘争はその後,紆余曲折あって結局学生側の敗北に終わったのだが,運動部の学生を具体的な「暴力装置」として使役する大学側実力者の体質は温存された.
 そのことが国民の目にあきらかとなったのが,前理事長田中英壽による不祥事 (反社との関係,脱税,業者との癒着) であった.(Wikipedia【田中英壽】)
 これはいつか来た道であり,私のようなかつての日大闘争を目撃してきた世代の老人からに見れば田中英壽は古田重二良の再来である.
 再来とは,昭和,平成,令和の三時代を通じて日大は権力者による具体的な暴力支配が続いてきたという意味である.
 その意味で,権謀術数や暴力と無縁の世界に生きてきた林真理子理事長は,最初から「お飾り」として迎えられたのである.
 影の日大支配者は誰なのか林理事長は触れようとしないが,先日の記者会見で林理事長は「アメフト部などのスポーツ部門に遠慮があった」「手を付けられなかった」と述べた.
 また林理事長は,前理事長派の大学支配があるのではないかと問うたメディアに,「前理事長派は存在しない」「あるとすれば反林派だ」とも漏らした.
 このことから推測するに林理事長は,日大内部権力の埒外に置かれていて「私はお飾りだ」と言うことすら許されていないのではないか.
 この状態について一部の識者は林理事長に同情を示しているが,それが実情であると思われる.
 権力と暴力の方法論を知らずに伏魔殿に飛び込んでしまった林理事長は「言いたいことを言う」作家のプライドも奪われている.そのことに私も同情する.
 
 テレビには能天気なコメンテーターがいて,杉村太蔵はその一人だ.
 日刊スポーツ《杉村太蔵氏、日大の林真理子理事長の対応に「田中前理事長とやっていることはあまり変わらない」》[掲載日 2023年8月24日] から下に引用する.
 
元衆院議員の杉村太蔵氏は23日、テレビ朝日系「大下容子ワイド!スクランブル」に出演し、日本大(日大)アメリカンフットボール部の薬物事件に関し、同大の林真理子理事長の対応について触れ「今の状況は、前任の田中(英寿)理事長とやっていることはあまり変わっていないのではないか」と指摘した。
 杉村氏は「(日大に対しては)文科省も、かなり対応が問題だとして、来月15日までに報告書を出すよう求めている」とした上で「林理事長には申し訳ないですが、今の状況は前任の田中理事長とやっていることはあまり変わっていないのではないか」と指摘。22日の寮の再家宅捜索を受けても、林氏が報道陣の取材に一切応じなかったことを念頭に「きちんとメディアに状況を説明する(ことが必要)。僕なら(自宅や大学の)出入りで、毎日記者に状況を説明する」と持論を述べた。
……
 また「報道を見落としているかも知れない」としながらも、林理事長が今月8日の記者会見で、大学の改革を進める上でスポーツ部局に「遠慮があった」と発言したことに触れ「この2週間どのくらいスポーツ部の方に、寮を視察に行かれたのか。現場を見られたのかどうか」と指摘。「アメフト部にどのくらい接触し、ご自分でどのくらい状況を把握しようと努められたのか。そういったところの行動が見えてくるといいんじゃないかなと思う」とも訴えた。
 
きちんとメディアに状況を説明する》《この2週間どのくらいスポーツ部の方に、寮を視察に行かれたのか。現場を見られたのかどうか》と杉村は簡単に言うが,日大内部の具体的な暴力支配を目前にしたら,それは普通の人間には無理だ.林理事長には無言を貫く自由しか与えられていないのであろうからだ.
 すなわち杉村太蔵は軽々にモノを言い過ぎる.自分にできぬことを他者に強いるのはよくない.
 
 先日の記者会見で日大側は,逮捕された学生に関して「警察関係者に相談した」との虚偽を口にした.
 これを警視庁はただちに否定した.(東京新聞《日大「相談」、警視庁幹部が否定 「立証困難との見解伝えず」》[掲載日 2023年8月9日 00:53])
 このことについて古館一郎は「日大は警察を怒らせてしまいましたね」とテレビ番組でコメントした.
 おそらくそうだろう.恥をかかされた警視庁は,日大における薬物汚染の実情を,立件できるかどうかに関わらず追及するだろう.
 その挙句,日大側は林理事長に詰め腹を切らせて収拾を図るのではないか.
 林理事長は理事長クビを奇貨として作家業に戻り,彼女のプライドを回復するべきだと思われる.
 
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ウクライナに自由と光あれ
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(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)


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