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2023年8月 4日 (金)

生きてすることがあるか

 婦人公論《94歳、認知症の父が、食事や水を摂らずに弱り始めた。嫌がる父を病院へ連れて行ってみると…》[掲載日 2023年8月3日] から下に引用する.
 
高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、94歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。
 
私は父の背中に手を差し込み、体を起こしてベッドサイドに座らせた。ところが、着替えの用意をしている隙に、父はまたベッドに横になってしまった。
 私は父に聞いた。
「起きているのがこわいの?」
 北海道の方言で、体が辛いことや疲労感が強いことを「こわい」という。
「いや、そうでもないけど、起きてもすることがないから…‥起きる意味がない
 こうなったら、食べ物で釣るしかない。
「茨城の赤肉メロンが売っていたから買ってきたの。食べてみようよ」
 ようやく父はその気になったらしく、自力で体を起こしたものの、甘えた声で私に言う。
「着替えさせてくれ」
……(以下略)》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 上に引用した介護記の筆者の森久美子さんは,森公美子さんとは別人.
 森さんは私よりも六歳年下であるが,ご自身が高齢者であり,上記の介護記はいわゆる老々介護を記したものである.
 
 さて時々考えるのだが,私はいくつまで生きられるだろう.
 大抵の男は,なんとか八十までは元気に生きたいと思う.私もそうだ.ほぼ自立して八十まで生きれば「父は天寿を全うしました」と葬式の時に喪主が言ってくれる.
 ところが八十まで生きると,それですぐ死ねるわけではない.
 寝たきりとか認知症とかガン闘病なんかがあって,そこから一人また一人と枯れ葉が枝から落ちるように死んで行き,八十代後半で男たちは遂に力尽きるのである.
 日本人男性は八十歳を天寿とし,そこから十年経たずにほとんどが死に絶える.
 日本人男性の平均寿命 (余命) 八十一歳とはそういうことである.「人生百年時代」は嘘っぱちだ.
 
起きてもすることがないから…‥起きる意味がない》は,「生きていてもすることがないなら…生きる意味がない」ということかも知れない.
 私たち高齢者男性のほとんどは八十代後半で死ぬのだが,そこまで生きるにしても,いや生きるために,生きる意味は必要だと思われる.
 生きる意味とは生きる気力と同義だ.
 
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ウクライナに自由と光あれ
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(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)


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