生成AIはペリーの黒船ではない
松尾芭蕉が説いた俳諧の理念,というかモノの考え方に「不易流行」がある.
色々な解釈が可能であるが,ごく簡単には「変わらないもの (不易)」と「変わるもの (流行)」の両方が大切だという意味だ.
言い換えれば「伝統」の上に立って「新しさ」を追及するということ.
しかし芭蕉の文芸感とは無縁に,「流行」のみをもてはやす人々がいる.山本康正氏 (京都大学経営管理大学院客員教授) もその一人だ.
一例として山本氏の主張を紹介した集英社オンライン《”AIクリエイター”の増殖がもたらすアーティストへの圧迫…人間かAIか区別がつかず、米SF小説誌が新人賞の募集を打ち切りにも》[掲載日 2023年8月25日] から下に引用する.
この集英社の記事の冒頭は以下の通り.
《まるで人間が応答しているかのような自然でなめらかな文章を数秒で自動生成し、対話をすることもできるChatGPT。驚きの進化を遂げている生成AIは、我々の仕事を奪っていくのだろうか。『アフターChatGPT 生成AIが変えた世界の生き残り方 』(PHPビジネス新書)から一部抜粋・再構成してお届けする。》
このイントロに続いて,山本康正氏の著書《アフターChatGPT 生成AIが変えた世界の生き残り方》の要旨が紹介される.
同記事の小見出しを列記すると以下の通りである.
クリエイターの仕事は生成AIに奪われるのか?
「人間が100%書いた応募作」と「生成AIが書いた応募作」を見分けられない
法務の仕事もAIが代替する
今よりも必要とされる人員が少なくなる展開
知的生産性の高い職でも生成AIへの代替が進む
要するに,生成AIによって私たちの仕事は代替されるだろう,というのが山本氏の主張だ.
この主張は山本氏のオリジナルというわけではなく,ウェブ上には同一趣旨の記事がたくさんある.一つ一つ紹介しきれないくらいだ.
で,それはそれとして,記事中に《クリエイティブ系の業種においては、生成AIの普及によって、破壊的イノベーションが引き起こされるかもしれません》とあるのだが,山本氏が例示する《クリエイティブ系の業種》は,マンガ作家のアシスタントだ.
《日本が世界に誇るカルチャーであるマンガの業界でも、これからは、長年にわたりマンガ家の片腕となってくれたアシスタントの業務の一部を、生成AIが代替してくれるかもしれません。
マンガ家が思い描く背景やキャラクターの動きを、アシスタントよりも正確に、生成AIが描くことができるようになるかもしれないからです。》
山本氏はそういうのだが,マンガ家のアシスタントという職業は《クリエイティブ系》なのだろうか.
私には,単純肉体労働だと思われる.だって,彼らは「創造性」の発揮を禁じられている.雇ってくれているマンガ家と同じ絵を描かねばならないのだ.
従ってアシスタントは作画工房から独立したのち,自分の作風がマンガファンに受け入れられて初めてクリエイターになるというのが一般的理解ではないのか.
ただし山本氏のいう《クリエイティブ系の業種》とクリエイターとは異なるというのであればその通りだとは思うが,しかし小見出しは《クリエイターの仕事は生成AIに奪われるのか?》となっているから,山本氏は《クリエイティブ系の業種》をクリエイターとを同一視しているに違いない.
続いて山本氏は《楽曲制作やデザインの世界でも、同じ展開となっていくでしょう》と書いている.
しかし独創性のかけらもないミュージシャンは掃いて捨てるほどいるし,演歌というジャンルは丸ごと創造性なしだ.手垢のついた歌詞に聞き覚えのあるメロディをつけた「楽曲」が毎日生産されているという.
そういうミュージシャンや演歌の生産者たちを,私たちはクリエイターと呼ばないぞ,普通.
山本氏はさらに,ウェブサイトのデザイナーも《クリエイティブ系の業種》としているが,ウェブサイトのデザインはただの賃仕事だ.むしろ何の独創性もないサイトが閲覧者には歓迎される.例えば中央官庁の公式サイトのように,膨大な中身がトップページで一覧できるデザインがありがたい.(バカな企業はトップページに大きな画像一枚を貼り付けて,どこからどこに入れるのか皆目わからんようにしているが,迷惑この上ない)
こうしてみると,山本氏が《クリエイティブ系の業種》と呼んでいる職業はほんの一握りしかいないことがわかる.いてもいなくても日本には何の変化も生じない.
《クリエイティブ系の業種》が生成AIに置き換えられるなんていう聞き飽きた話は,重箱の隅を突くようなことだと山本氏も承知であると見えて,氏は次のように話を展開する.
《「自分の仕事はクリエイティブ系ではないから安心だ」と思っている人もいるかもしれません。
しかし、言葉や文書を多く使うホワイトカラーの業種である限り、誰もが無関係ではいられません。生成AIの進化は、すべてのホワイトカラーが着目すべきだと言えるでしょう。
わかりやすい例を挙げるのであれば、弁護士、税理士、会計士、社会保険労務士などの士業です。
これらの職種はいずれも、文書やルールがベースにある職業です。それならば、各分野のデータを生成AIにインプットして、さらに業界特有の言い回しなどを覚えさせてしまえば、生成AIが人間に代わってアウトプットをしてくれます。
AIは、時間が経つと「あれ、なんだっけ?」と記憶が薄れる可能性がある人間とは違って、一度学習した情報は消さない限り残ります。業務補助の事務員を雇うよりも、AIのほうが人件費を抑えられることも多くなるでしょう。
すでに法務分野ではAI活用が進んでいます。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
《自分の仕事はクリエイティブ系ではないから安心だ》という表現は,《クリエイティブ系》の仕事は生成AIによって脅かされるという趣旨である.
しかし非《クリエイティブ系》の例として挙げる《弁護士、税理士、会計士、社会保険労務士などの士業》は,文書を扱いはするが,文書を扱うことが仕事の本質ではない.言うまでもないことだ.
単に文書は彼らの仕事のツールに過ぎない.生身の人間の行為である法廷での弁護を生成AIは行ってくれないし,他の士業も同じだからである.
こうやって山本氏はいつの間にか「《クリエイティブ系》の仕事は生成AIによって存在を脅かされる」という話から「文書作成に生成AIを使うと《AIのほうが人件費を抑えられる》という話にすり替えを行っている.見慣れたペテン師のテクニックだ.
話をすり替えたついでに山本氏は次のことも書いている.
《すでに淘汰が始まっている業種もあります。
生成AIと直接には関係ありませんが、コンビニやスーパーマーケットで増えた無人レジ、ファミリーレストランで見かけるようになった配膳ロボットを思い浮かべてみてください。
今は物珍しさという一面もありますが、もしこの無人化やロボット化が社会に受け入れられると、今後はあらゆる店舗の店員は必要最低限の人数に抑えられていき、人間のスタッフはより高度なことを任される方向にシフトしていきます。その波のなかで、効率化を考える店舗では、レジ打ちの募集は、これから減少していくでしょう。
店員の業務内容も、これまでメインだった接客対応から機械の管理、メンテナンスにより重心が移っていく可能性もあります。
塗装や組み立てなど、工場で行なわれるような作業が、人間から自動で決まった作業をするロボットに置き換えられていった歴史を振り返れば、これは自然な流れです。》
コンビニやスーパーの無人レジ (セルフレジ) は登場当時に騒がれたほど普及しなかった.
というのは,セルフレジ固有のトラブル (客がスキャンを忘れたために結果的に万引きになってしまう,店員より客の操作が遅いために渋滞が発生する,など) に対応するための人員が必要であることや,やがて国民の三分の一を占めるだろう高齢者たちはセルフレジを断固拒否することなどの理由から,セルフレジではなく,セミセルフレジが現在は主流になっている.
例えば私の行動範囲のスーパーでは,セルフレジを導入したダイエーは閑古鳥が鳴いている.大賑わいなのはセミセルフレジをズラーッと並べて人海戦術を採用しているOKストアだ.
都市部各所の大きな商店街ではもちろんロボットではなく店員が接客していて,それがスーパーにはない商店街の強みであることは疑いない.
山本氏はファミレスでは配膳ロボットが普及して《店員の業務内容も、これまでメインだった接客対応から機械の管理、メンテナンスにより重心が移っていく》と主張しているが,その場合,配膳をするフロアスタッフと機械の管理・メンテナンスをする技術スタッフとでは職能が全くことなるから,従前からの非正規雇用フロアスタッフをたくさん人員整理して,新たに少数の技術スタッフを雇い入れることになる.
そうやって人件費を削減することが本当にいいのか,日本の企業経営者の多くは心の隅に人員整理を良しとしない意識がある (例えば,有名なのは山一證券の小澤社長の涙の記者会見における「社員は悪くありませんから!」) から,そう簡単には山本氏の主張 (これは自然な流れです) のように非情なことはできないと思われる.
実際には,ガストが配膳ロボット三千台を導入済だが,他は個別店舗への導入例に留まっているようだ.あるいはサイゼリアのように「配膳作業の品質低下」を避けるために個別店舗で「下げ膳ロボット」を導入した飲食企業もある.
「配膳ロボット同士がぶつかっている姿がかわいい」と客には好印象であるとする見解 (《日本国内の配膳ロボット導入店舗13選!導入後の実際の声も紹介》[掲載日 2023年7月18日]) があるが,私には「かわいい」とは思えぬ.そんなのを喜ぶのは,お●●こど● (差別語のため自主規制) だけだ.
配膳ロボットのことはさておき,生成AIによって淘汰される職業はそれほど多くはないだろう.
既に述べたように,フリーランスの職業的ライターなどを別にすれば,文書の作成などは職能のごく一部に過ぎないからである.
もっと本質的なことを言えば,生成AIは肉体を持たないから,生身の人間の営為を代替することはできないのである.
つまりどこまでも生成AIはツールなのであり,例えば外回り営業に走り回る営業マンを駆逐することはないのだ.
労働は人間の行為であり,これを「不易」とすれば生成AIは「流行」だろう.人間社会の変わらぬ在りかたを見据えつつ,生成AIの発展を取り入れていけばよい.
山本氏のように,生成AIを幕末の黒船であるかのように言うのは軽薄であろう.
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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