単にロレツが回らぬのは稽古が足りぬ
今朝がた,拙宅の周りを少し散歩してから帰宅し,朝飯を食べながらテレビを点け,予約録画したNHK《日本の話芸》を視聴した.
出演は林家たい平,演目は「幾代餅」である.
この噺は,日本橋馬喰町の搗米屋六右衛門に奉公している清造が,人形町の絵草子屋で吉原の幾代太夫の錦絵を見て恋煩いになったという筋書きである.
《日本の話芸》の放送冒頭で,たい平は,「幾代餅」を初めて聴いたのは志ん朝の高座であったと自演解説をした.
それ以来,この噺を演じてみたいと思い,志ん朝の弟子に稽古をつけてもらったとのことである.
そして志ん朝の語りの通りに演じますと述べた.
さて,たい平の「幾代餅」だ.
寝込んで十日も経ってしまった清造を心配して,女将さんが医者を呼んで清造を診てもらうと「心の病」だという.
そこで女将さんは清造に,心の内を話してごらんと言うと,これこれしかじかのことで幾代太夫のことが忘れられず,恋煩いで寝込んでしまったと打ち開けた.そしてどうしても幾代太夫に会いたいと言う.
そこで女将さんの台詞は次の通り.
会ってみたいって言ったって,会えないものは会えない
まぁほんとに弱っちまったねぇ.
えぇ,こういう時に,まじま一辺倒,堅物一辺倒てのは困るんだよう.
これを耳から聞いて私は一瞬「?」と思った.
「まじま一辺倒」て何だ?
録画を何度リピートして聞いても,たい平は「まじま一辺倒」と言っている.
これは「まじめ一辺倒」の意味だろうとしか思えぬ.
そこで「まじめ」の意味で「まじま」と言う用例があるかと調べたが,見つからない.
次に江戸言葉の語彙を調べたが,「まじ」はあるが「まじま」はないようだ.(根拠は神永暁《江戸生まれの「まじ」》[掲載日 2014年12月8日];神永暁は日本国語大辞典編集者)
最後に,YouTubeを検索すると,あな嬉しや,志ん朝の「幾代餅」があるではないか.
こうして,林家たい平が鑑として稽古を積んできたという,志ん朝の「幾代餅」を聴いてみた.
すると驚いたことに,
会ってみたいって言ったって,会えないものは会えない
まぁほんとに弱っちまったねぇ.
えぇ,こういう時に,まじま一辺倒,堅物一辺倒てのは困るんだよう.
というくだり (件) 自体がないのである.番組冒頭のたい平の自演解説に反して,たい平の「幾代餅」には志ん朝の噺に対するリスペクトがないのである.
こうなると,たい平が《まじま一辺倒》と言ったのは,間違いであると断じてよい.
しかもこの間違いは単語の言い間違い (←つい別の単語が口から出てしまった) ではなく,ロレツが回っていないために「め」を「ま」と発音してしまったのである.(「NHKプラス環境」をお持ちの諸兄は,それでご確認いただきたい)
かつて昭和の世に,ロレツが回らぬことを芸の極みに高めた噺家がいた.言わずと知れた古今亭志ん生である.
であるとすると,林家たい平は,志ん朝を手本とするといいながら実は志ん生の芸を追うことにしたのか.
しかしながら,たい平の話はただもう,うるさいだけだ.たい平のロレツ芸wは志ん生に遠く及ばない.
もっと稽古をして,ちゃんとした「幾代餅」を高座にかけられるようにして欲しいものだ.
ちなみに,志ん朝の「幾代餅」は,YouTube《古今亭志ん朝:幾代餅:1986年2月》で鑑賞できる.
これを聴いてしまうと,志ん朝とたい平の芸の格の違いはあまりに歴然として呆れるほどである.たい平は《日本の話芸》に出演すべきではなかろう.
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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