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2023年6月19日 (月)

ライカ犬の悲劇 /工事中

 NHKに《天然素材NHK》という番組がある.番宣サイトに《思い出と共に明日を生きる力がよみがえる… ありのままの映像をあなたに》と書かれている.
 たまたま最終回の放送《わたしたちのくらし》 (6/14) を観たら,「ライカ犬」の古いモノクロの短いフィルム映像が流れた.ナレーションはなかった.
 高齢者諸兄は「ライカ犬」を記憶しているだろう.本来は「ライカ犬」は犬種名であるが,1957年,ソ連の人工衛星に乗せられて地球周回軌道に到達した犬の名でもある.ソ連共産党第20回大会でフルシチョフが,スターリンの個人崇拝と独裁を批判した演説 (スターリン批判) を行った翌年のことであった.
 その「ライカ犬」に関する古い記事を下に引用する.(AFP BB《「ライカ犬」搭乗の人工衛星「スプートニク2号」打ち上げから50年》[掲載日 2007年10月31日 04:43])
 
【10月31日 AFP】モスクワ(Moscow)の通りで拾われた雑種犬「ライカ(Laika)」が人工衛星「スプートニク2号(Sputnik 2)」に乗って、地球上の生物として始めて大気圏を飛び出し宇宙に突入してから、11月3日で50年を数える。
 1957年11月3日午後10時28分(日本時間4日午後4時28分)、ライカは心拍数、血圧、呼吸を確認するためのセンサーが組み込まれた宇宙服に身を包み、監視カメラが取り付けられたスプートニク2号に乗って、帰還予定のない宇宙の旅へと出発した。
 公式には、1600キロ上空で1週間のミッションを完了したライカは、計画通りミッションの最後に毒を混ぜたえさを食べて安楽死したことになっていて、そして45年間そのように信じられていた。
 しかし、ライカが酸素不足で死んだとのうわさが流れ始め、最終的には2002年に米国で開かれた会議で、モスクワの生物医学研究所の研究員でスプートニク2号の打ち上げに携わっていたDimitry Malachenkov氏によって真実が語られることとなり、ライカが、発射後たった数時間で、ショックと熱による極度の過労で死んでいたことが明らかとなった。
 発射時の爆音とエンジンの振動におびえたライカは、スプートニクの上昇中に体を自由にしようと必死にもがき、脈拍は通常の3倍の速さになっていたという。
 宇宙船が軌道に到着するとライカは一時的にいくらか落ち着きをみせたが、ブースターとの分離の際に断熱材が一部損傷したため、数時間で船内の気温はセ氏15度から41度に上昇し、打ち上げから5時間後、ライカは生命反応を示さなくなった。
 ライカの死がいを乗せたスプートニクは軌道を回り続け、大気圏への再突入で焼失した。
 打ち上げから40年後、ライカとほかの2匹の犬が訓練を受けた、モスクワ郊外・スターシティー(Star-City)の航空宇宙医学研究所にライカの記念碑が建てられた。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 上に引用したAFPの記事が,私たち高齢者が記憶している可哀そうなライカ犬の,人間に虐待されて死んだ生き物の,簡単な記述である.
 ところが,AFPの記事とは異なる記述がある.いくつか下に列記してみよう.
 Wikipedia【ライカ犬】にはどのように書かれているか.
 
1957年11月3日、ライカを乗せたソ連のスプートニク2号はバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、地球軌道に到達した。それ以前にも米ソが動物を宇宙に送り出していたが、弾道飛行のみで軌道を周回するまでは至っていなかった(宇宙に行った動物を参照)。実験にオスではなくメスの犬が選ばれたのは、排泄姿勢の問題からである。
 スプートニク2号は大気圏再突入が不可能な設計だったため、1958年4月14日、大気圏再突入の際に崩壊した。ライカは打ち上げから10日後に薬入りの餌を与えられて安楽死させられた、とされていた。
 しかし、1999年の複数のロシア政府筋の情報によると、「ライカはキャビンの欠陥による過熱で、打ち上げの4日後に死んでいた」という。さらに2002年10月、スプートニク2号の計画にかかわったディミトリ・マラシェンコフは、ライカは打ち上げ数時間後に過熱とストレスにより死んでいた、と論文で発表した。センサーによればライカの心拍数は打ち上げ前には103だったが、加速初期には240まで増加した。無重力状態になってから3時間をかけて通常の脈拍に戻ったが、これは地上実験時の3倍の時間であり、ライカの受けたストレスの大きさを示している。この間、断熱材の一部損傷のため、船内の気温は摂氏15度から41度に上昇し、飛行開始のおよそ5 - 7時間後以降、ライカが生きている気配は送られてこなくなったという。結論としては“正確なところはわからない”ということである。
 打ち上げから40年後、宇宙犬たちが訓練を受けた、モスクワのペトロフスキー公園 (Петровский парк) の南西にある航空宇宙医学研究所にライカの記念碑が建てられた。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 上の記述はわかりにくい.しかし整理すると下の三説があることになる.
 
(a) 《ライカは打ち上げから10日後に薬入りの餌を与えられて安楽死させられた
(b) 《ライカはキャビンの欠陥による過熱で、打ち上げの4日後に死んでいた
(c) 《ライカは打ち上げ数時間後に過熱とストレスにより死んでいた》《飛行開始のおよそ5 - 7時間後以降、ライカが生きている気配は送られてこなくなった
 
 この三つの説があるから,《結論としては“正確なところはわからない”》とWikipedia【ライカ犬】は主張しているのだ.
 だが,犬を飼ったことのある人にとっては常識だが,犬は高温に非常に弱い.犬の皮膚には汗腺がないため発汗によって体温を調節することができないからである.
 従って信じるに足るのは (c) である.周囲の温度が40℃以上なら,わずか数時間で熱中症のために死に至るはずだ.
 ではなぜ (a) や (b) の如き嘘がまかり通っているのか.
 
 もう一つ,Wikipedia【スプートニク2号】から引用する.(下の引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
スプートニク2号(スプートニクにごう、ロシア語: Спутник-2)は、ソビエト連邦が1957年11月3日に打ち上げた人工衛星・宇宙船である。イヌを乗せており、世界初の宇宙船となったものである。この成功により有人宇宙船の可能性が開けるものとなった。
 
スプートニク2号はライカを乗せるために宇宙船として気密が保てるようになっており、内部に生命維持装置を備えていた。地上への帰還は当初より考慮されず、大気圏に再突入し安全に着陸するための装備はなかった。計画では打ち上げ7日後の餌により安楽死がされる予定で、生き延びても10日後に酸素が尽きてライカは死ぬだろうと考えられていた。実際は打ち上げ約5時間後の時点で断熱材の不備により船内が高温になり、パニックにより激しく動くライカの反応が見られたが、それから約1時間後の情報ではライカの生体反応は止まっていた。
 
スプートニク2号は1957年11月3日にバイコヌール宇宙基地よりR-7ロケットによって打ち上げられた。軌道投入当初の衛星の軌道は、近地点212km・遠地点1,660km・軌道周期103.7分だった。スプートニク2号打ち上げ計画の責任者は、スプートニク1号の時と同じくセルゲイ・コロリョフであった。
 軌道投入までは順調だったものの、軌道投入後に行われるはずだったロケット本体と衛星の分離に失敗し、スプートニク2号はロケットと結合したまま軌道を周回することを余儀なくされた。さらに衛星の断熱材も一部が損傷した。これらのトラブルにより熱制御が妨げられ、船内の温度は40℃にまで上昇した。
 ライカが実際にどれだけ生きながらえたかは正確には分かっていない。初期のデータではライカが動揺しつつも食事を取る様子が窺われた。その後は上記の熱制御の問題で異常な高温に晒されたため、1日か2日程度しか持たなかったと考えられている
 
 上に示したWikipedia【スプートニク2号】は,小項目毎の記述に矛盾があり,そして矛盾がそのまま放置されている.
打ち上げ約5時間後の時点で断熱材の不備により船内が高温になり》《それから約1時間後の情報ではライカの生体反応は止まっていた》のであれば,打ち上げ約6時間でライカ犬は死んだことになる.
 それなのにWikipedia【スプートニク2号】は,本来なら「1日も持たなかった」と書くべきところを《1日か2日程度しか持たなかったと考えられている》と,計算の合わぬことを平気で述べている.
 そしてさらに《ライカが実際にどれだけ生きながらえたかは正確には分かっていない》のであれば,《打ち上げ約5時間後の時点で断熱材の不備により船内が高温になり》《それから約1時間後の情報ではライカの生体反応は止まっていた》が事実でないことを示さねばならない.
 それをせずに《ライカが実際にどれだけ生きながらえたかは正確には分かっていない》と,情報源を示さずに書く (=執筆者の個人的見解とみなされる) のは,もはや支離滅裂である.
 
 なぜこんな無茶苦茶な状態になるのかと言えば,そもそもWikipediaは,複数の執筆者が好き勝手なことを書いた文章の寄せ集めであり,内容の論理的一貫性を整える責任編集者がいないという致命的なシステムの欠陥があるからだ.
 加えて,Wikipedia【スプートニク2号】の冒頭にある文章《この成功により有人宇宙船の可能性が開けるものとなった》は明らかに事実に反する.
 一般に受け入れられているライカ犬の悲劇は,打ち上げ数時間でライカ犬の生体反応が停止したというものである.
 つまりライカ犬は,軌道に乗った人工衛星における犬の生体反応に関する科学的なデータを残さずに死んだのであり,スプートニク2号は失敗だったのだ.
 しかし失敗の事実は完全に伏せられた.もしこれが国際社会に知られることになったら,有人宇宙船の可能性に重大な疑問を突き付けるものになったからである.
 そもそもソ連がスプートニク2号にライカ犬を乗せたのは,1950年代の宇宙開発競争において,ソ連がアメリカよりも優位にあることを世界に示すためだった.
 だからソ連は,打ち上げ直後にライカ犬が死んでも何の痛痒もなかっただろう.
 もし死んでしまったら,「ライカ犬はミッションを果たしたのちに

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