スターリンの人工洪水
ウクライナの東部を流れるドニエプル川でダムが破壊され,両岸で大洪水が起きている.
スポニチアネックス《辛坊治郎氏 ウクライナのダム決壊で露とのメリット比較「白黒付いていない」けど「すべての責任はロシア」》[掲載日 2023年6月7日 18:23] から下に引用する.
《ドニエプル川から黒海へ注ぐカホフカ水力発電所のダムが決壊し、下流地域では1万7000人が避難するなど、市民生活に大きな影響が出ている。ウクライナ、ロシア双方とも相手側の攻撃によるものと主張している。
……
破壊されたダムは、ロシアが実効支配している地域でもある。「そこにウクライナが爆破しようと思うと、工作員等を送り込んで爆弾を仕掛けないといけないけど、そう簡単にウクライナが入り込んで爆薬仕掛けられるか?外からミサイルで攻撃したという痕跡がないので、内側から爆破したということになると、それは実効支配しているロシアは簡単にできるけど、ウクライナの側はそう簡単にできないよね?」と、ウクライナ側による破壊工作の難しさを指摘。また、「ロシアは同じようなことを第2次大戦中にスターリンがやっているんです。ダムを爆破して10万人くらいが死んでるんです」と、ロシアの過去にも言及した。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った;ドニエプル川は,最近はドニプロ川と呼ぶことが多い)
辛坊治郎は《ロシアは同じようなことを第2次大戦中にスターリンがやっているんです。ダムを爆破して10万人くらいが死んでるんです》と述べているが,情報ソースが不明である.
ただ,関連すると思われる情報を東スポが掲載している.
東スポWEB《プーチン大統領 ダム破壊は「スターリンの人工洪水」を参考にしたか=英紙》[掲載日 2023年6月7日 14:54] から下に引用する.
《エクスプレスは「プーチン大統領のダム攻撃はナチスに対するスターリンの人工洪水に触発された可能性がある」と報じ、ロシアが破壊した可能性を指摘した。
1941年8月、独ソ戦で、ドイツ軍がソ連に進軍。スターリンはドイツの進軍を止めるため、ドニエプル川のダム破壊を命じ、秘密警察が実行し、人工洪水を起こした。ドイツ軍はドニエプル発電所を占拠し、電力を確保しようとしていた。進軍を止め、電力も渡さないスターリンの作戦は一石二鳥だったといわれる。人工洪水ではドイツ軍よりも、ソ連軍と民間人の死者の方が多かったという。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った;「エクスプレス」はイギリスの大衆紙「デイリー・エクスプレス」のことかと思われる)
第二次大戦の独ソ戦史に関心ある向きは,この《1941年8月、独ソ戦で、ドイツ軍がソ連に進軍》に首をかしげるだろう.
ドイツ軍は《1941年8月、独ソ戦で、ドイツ軍がソ連に進軍》どころか,1941年8月までにはウクライナを突破してドニエプル川に到達していたからである.以下に少し詳しく解説する.
ナチス・ドイツと同盟国のスロバキアは1941年6月時点で,ポーランドを侵略していたソ連と境界を接していた.
ところが6月22日にナチス・ドイツ (以下,ドイツ) は突如としてソビエト連邦に宣戦布告し,ソ連が侵略した占領地に奇襲進撃した.これが独ソ戦の開始である.(作戦名は「バルバロッサ作戦」)
同時に,ムッソリーニ率いるイタリア王国と,ルーマニア王国もソ連に宣戦布告した.
独ソ戦開始当初のドイツ軍は三つの軍集団 (北方,中央,南方) に分かれて進軍し,開戦一ヶ月で北方軍集団はレニングラード州の入口であるルガ川に到達 (7/13) し,中央軍集団はモスクワから360km離れたドニエプル川上流のスモレンスクを占領した.
これに対して,作戦地域が広大であった南方軍集団は進撃が遅れ気味だった.
そこでドイツは8月,スモレンスクを陥落させた中央軍集団の主力部隊を南部に移動し,南方軍集団を支援した.
その結果,ウクライナ地方に展開していた数十万のソ連軍部隊は壊滅し,キエフ,ハリコフなどが陥落し,8月末にドイツ軍はドニエプル川に到達した.このドイツ軍南方軍集団によるウクライナ制圧は,Wikipedia【ウーマニの戦い】に詳しいが,ソ連軍がドニエプル川のダムを破壊してドイツ軍の進撃を阻止したという記述はない.
ウクライナを制圧したのち,ドイツ軍中央軍集団は予定していた作戦展開に戻り,約一ヶ月遅れでモスクワ攻略を再開した.
しかし天候の季節変化はドイツ軍を不利に導いた.
難航するモスクワ攻防戦で,スターリン率いるソ連軍は「人工洪水」戦術を採った.Wikipedia【モスクワの戦い】から下に引用する.
《人工洪水
一部の歴史家は人工洪水がモスクワ防衛において重要な役割を果たしたと提唱している。彼らは軍と重装備がボルガ川とイワンコフ貯水池を渡れないようにするために氷を破壊した。1941年11月24日、ソ連軍はイストラの貯水ダムを爆破した。1941年11月28日、ドゥブナ近くのダムを使ったイワンコフ貯水湖と同様に6つの貯水湖の水 (ヒムキ、イクシャ、ピャロフスコエ、ペストフスコエ、ピロゴフスコエ、クリャージマ貯水湖) をヤフロマ川とセストラ川に排水した。その結果、厳しい冬の気候にもかかわらず、30から40の村が浸水した。》
東スポの報道では《スターリンはドイツの進軍を止めるため、ドニエプル川のダム破壊を命じ、秘密警察が実行し、人工洪水を起こした》とあるが,人工洪水戦術は,モスクワ攻防戦においてドイツ軍がボルガ川を渡河するのを阻止するために行われたもので,ドニエプル川のダム破壊ではない.上に引用した東スポの記事 (イギリスの三流紙記事の受け売り) は誤りである.
それはいいとして,問題は辛坊治郎の《ダムを爆破して10万人くらいが死んでるんです》のソースが不明なことである.
人工洪水戦術で《10万人くらいが死ん》だと主張しているが,それはドイツ軍の死者なのか,独ソ両軍の死者なのか,それとも非戦闘員を含むのか,全くわからない.
こういう情報くらい有害なものはない.さすがは辛坊治郎だ.
ちなみに,第二次大戦中のダム破壊作戦としては,1943年にイギリスが行ったチャスタイズ作戦が,ソ連の人工洪水よりずっと有名である.
Wikipedia【チャスタイズ作戦】から下に引用する.
《チャスタイズ作戦は、第二次世界大戦中の1943年5月17日に実行された(作戦自体は同年3月10日より始まる)、イギリス空軍第617飛行中隊による、ドイツ工業地帯のダムの破壊を目的とした作戦。この作戦には「反跳爆弾(Bouncing bomb)」が使用された。作戦後、同中隊は「ダムバスターズ(ダム攻撃隊)」として知られるようになる。》
Wikipedia【チャスタイズ作戦】に,この作戦の結果が下記の通り記載されている.
《この作戦により決壊したダムからは、3億3千万トンに達する水が下流のルール峡谷一帯に流れ出し、ダム下流域80kmにわたって被害を及ぼす水害を引き起こした。この水害による被害は、次のとおりである。
死者:1249名
死亡家畜数:6500頭以上
流失した橋梁:25箇所
操業不能に陥った軍需工場:125箇所
一時的に耕作不能となった農地:約3000ヘクタール》
このダム破壊攻撃による死者は1249名であった.
今回のドニエプル川のダム破壊では死者5名とされる.
これらに対して,辛坊治郎は《ダムを爆破して10万人くらいが死んでるんです》と述べたが,異様に死者数が多い.桁違いだ.
辛坊治郎は死者《10万人くらい》説の説明責任があるが,しないだろうなあ.だって辛坊治郎だから.w
ついでだが,英国空軍第617飛行中隊の活躍を描いた映画『暁の出撃』(The Dam Busters,1955年公開) が有名で,この作品の主題曲 (YouTube《行進曲「ダムバスターズ」(E.コーツ)The Dam Busters March / Eric Coates》) も超有名である.
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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