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2023年5月13日 (土)

沖縄と奄美のマングースについて /工事中

 時事通信《外来マングース、奄美で根絶目前=希少種の天敵「元の自然に」―駆除にジレンマも・環境省》[掲載日 2023年5月4日 14:30] から下に引する.
 
世界自然遺産の鹿児島県・奄美大島で、環境省が駆除を進める外来種マングースの根絶が目前に迫っている。島の希少な固有種を捕食する問題が起きたためだが、もともとは人を襲うハブの駆除を期待して持ち込まれた経緯がある。関係者らは「人の都合でこうなった」とジレンマを抱えつつ、世界有数の多様な生態系を守る活動を続ける。
 奄美群島国立公園管理事務所の阿部愼太郎所長によると、マングースは1979年、約30匹が同県名瀬市(現奄美市)で放され島に定着した。しかし、ハブ駆除への効果はなく、より捕食しやすい希少種を襲うことが判明。アマミノクロウサギなど島固有の絶滅危惧種はさらに減っていった。
 
 日本にマングースが最初に外来したのは沖縄本島で,1910年のことだった.
 これは外来というより導入と言うべきか.Wikipedia【フイリマングース】によると以下の事情であった.
 
日本の南西諸島でもネズミ対策に加えて、ハブ対策を目的として導入された。その時点ではマングースが素早い身のこなしでハブを攻撃するだろうと考えられていた。沖縄本島では1910年に、動物学者の渡瀬庄三郎の勧めによって、ガンジス川河口付近で捕獲された13〜17頭の個体が那覇市および西原町に放たれた。また、続いて1979年には沖縄本島から奄美大島へ導入が行われた。2009年には鹿児島市でも生息が確認されたが、実際は30年以上前から生息していたと考えられている。渡名喜島、伊江島、渡嘉敷島、石垣島にも導入されたが、定着しなかった。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
沖縄本島では1910年に、動物学者の渡瀬庄三郎の勧めによって、ガンジス川河口付近で捕獲された13〜17頭の個体が那覇市および西原町に放たれた 》という記述によれば,沖縄本島でマングースが定着繁殖したのは《動物学者の渡瀬庄三郎》のせいだと読み取れる.
 そこで Wikipedia【渡瀬庄三郎】を読むと,次の通りの記載がある.
 
実験用としてウシガエルをはじめて輸入し、1910年にはハブやノネズミの駆除を目的として沖縄島へフイリマングースを移入した。これらは結果的にウシガエル、アメリカザリガニ(ウシガエルの餌として輸入されたが野生化)、マングースといった有害な外来種を、日本に招来し生態系に影響もたらすことになってしまった。ことにマングースはハブやネズミの駆除に役立たなかったばかりかヤンバルクイナやアマミノクロウサギなどへの影響が疑われるほか、養鶏に対する深刻な被害も発生しており駆除対象となっている》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 ここでも渡瀬庄三郎 (文久二年~昭和四年) のせいで《マングースはハブやネズミの駆除に役立たなかったばかりかヤンバルクイナやアマミノクロウサギなどへの影響が疑われるほか、養鶏に対する深刻な被害も発生しており》と書かれてしまっている.
 渡瀬庄三郎について Wikipedia【渡瀬庄三郎】には次の記述もある.
 
「日本犬保守運動」の中心人物でもあり、急速に失われつつあった日本犬の保護に尽力したが、秋田犬をはじめとする日本犬の天然記念物指定の実現(1931年)を見ることなく世を去った。渡瀬の研究を引き継ぎ、積極的に推進した後進はほとんどなく、彼の没後、その学統は自然消滅した》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 生態系破壊の張本人とされた学者の研究を引き継ぐ後輩がいるわけもなく,渡瀬は失意の晩年を過ごしたことだろう.
 しかし,Wikipedia の執筆者たちは完全無視しているが,日本獣医畜産大学の安倍愼太郎らによる論文「奄美大島におけるマングース (Herpestes sp.) の定着」(哺乳類科学, 31 (1) : 23-36, 1991) によれば,

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