先日,所用で外出する折に自宅の近くのバス停でバスが来るのを待っていた.
バスを待っていた列の先頭は夫婦と思われる若いカップルであった.男性はスラリと身長高く均整のとれた体格の若者で,妻と思われる女性は,栗色の長い髪の美人だった.
男性は肩ベルトタイプの抱っこ紐を装着し,小さな赤ちゃんを抱いていて,女性は赤ちゃんグッズを入れていると思しきトートバッグを手に持っている.二人ともノース・フェイスのロゴが目立つ高そうなジャケットを着ていて,いかにもファッショナブルな最近の若い人たちであった.
その次に列に並んでいたのは,時折このバス停で見かける中年の男性で,片脚が不自由で杖を持っている.
その後ろは白髪の小柄な女性で,たぶん八十歳は越しているだろうと思われた.
これがダンジョンRPG なら,パーティの先頭は強い勇者だが,その後ろに負傷者と老婆と爺さん σ(^^) が続いている構成で,地下一階に潜ってすぐに全滅しかねない.w
暫くするとバスがやってきた.
中扉が開いて,待っていた乗客たちはステップをあがった.
ドアの反対側に優先席が並んでいるのだが,一つを除いてすべて中年の女性たちが腰かけていた.
先頭のカップルの女性が「優先席があいてるよ」と言うと,赤ちゃんを抱っこした青年はためらいもなくその優先席に腰かけた.
彼らは,バス停に並んでいるときに,自分たちの後ろは杖を持った障碍者と高齢女性だと知っている筈だ.
それなのにパーティ先頭の我らが勇者は,戦闘力の低いメンバーを置き去りにして真っ先に優先席に腰かけたのである.
優先席の横の窓ガラスには,優先席であることを示すピクトグラムが貼ってある.
それによく似たネット上のフリー画像を拝借して下に載せる.

左から高齢者,妊婦,赤ちゃん連れ,体の不自由な人,である.
もちろんそれぞれに優先順位があるわけではないが,優先席が一つしか空いていないのであれば,自ずと優先の度合いがあって然るべきだと私は思う.
まず,第一優先は,バス停で列の二番目に並んでいた脚の不自由な中年男性だろう.
次は,列の三番目にいたかなり高齢の女性.
それから赤ちゃん連れの勇者ということになろう.
私はというと,頭髪こそ真っ白であるが,見た目が爺さんぽくないので,普段からバスや電車で席を譲られることがないから,立っていても構わない.
優先席に腰かけた赤ちゃん連れ勇者にも驚いたが,それにも増して呆れたのは,いくつもある優先席を占拠していた中年のモブ女たちが,障碍者男性に席を譲らなかったことだ.
学生さんたちは,車内が込んでいる時は最初から席に腰かけずに立っているから,弱者に対して心優しいと思うが,中年クズ女たちは,まことに図々しい.障碍者に優先席を譲れ,と言いたい.
[追記]
この記事の結びのセンテンスに《学生さんたちは,車内が込んでいる時は最初から席に腰かけずに立っているから》と書いた.
私が大学を卒業した頃までは《車内が込んで》と書くのが正しい表記だった.もちろん入試などの試験答案に「道が込んでいた」とか「人込み」と書かずに,「道が混んでいた」「人混み」と書いたら,間違いであるから減点された.
明治大正から昭和の後期に至るまでは,新聞でも文学作品でも「混む」という用例はない.
ところが昭和の終り頃に「込む」を「混む」と誤字を書く無教養な者が増えてきて,遂に広辞苑など一部の国語辞書が「混む」という項目を立てるまでになった.これは「混雑」からの連想で「混む」と書いたのであろう.
悪貨は良貨を駆逐するとかで,現在では「混む」のほうが普通だろう.というか,ウェブ上には<「電車が込む」は間違いです.混雑しているのだから「電車が混む」と書くのが正解です>と言い切る馬鹿サイトまで存在している.こういう馬鹿サイトは,鴎外も漱石も誤字を書いていたと主張しているわけで,まことに情けない.馬鹿につける薬はないのである.
というわけで私は未だに《車内が込んで》と書く.雀百まで,というやつである.
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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