男たちの自分探し
NHKの《街角ピアノ》とか《駅ピアノ》などを観ていると,年輩の男性が登場して演奏することがある.
そういう人たちの中に,定年後の趣味としてピアノを楽しんでいるというかたが,たまにいる.
もうかなり昔のことになるが,私と同年同月 (昭和二十五年三月) の生まれである残間里江子さんが『それでいいのか蕎麦打ち男』(新潮社, 2005年) を出版して評判になった.アマゾンに載っている同書の内容紹介は次の通り.
《「蕎麦打ち」「NPO」「陶芸」「世界遺産巡り」「ヨン様の追っかけ」「孫転がし」―団塊世代よ、そんなものに興じている暇はない。主役に踊りでる最後のチャンスを逃がすな!女性による初の本格的「団塊論」。》
かつて『それでいいのか……』を書いた残間さんは最近のブログ記事《【12/13】そういえば血気盛んだった「団塊男」たちは、今どこで何をしているのでしょう。》(2021年12月13日掲載) で次のように書いている.
《当時の感覚では、2007年から2010年までの間、ざっと300万人の、団塊世代のサラリーマン男性が定年を迎え、退職金市場は80兆円とも100兆円とも、言われていました。
当時は定年までに住宅ローンは、完済している人が多く、「瞬間的リッチ層」が出現したため、そのお金を狙って、さまざまなプロジェクトが始動しました。
ところが実際には、思ったほどには市場は動きませんでしたが、それでもまだ「高齢者」には程遠い彼らは、(……と、当事者たちは思っていました)旅行に行ったり、習い事を始めたり、まだまだ「自分探し」をしていたものです。
習い事の中でも、蕎麦打ちと楽器習いは、他者の目を意識している団塊男の、シンボリックな行動で、実際に蕎麦屋を開業した友人もいましたし、親父バンドも続々誕生しました。
コロナ禍の影響もあるのでしょうが、最近彼らの活発な動きは伝わって来ません。
調べてみると蕎麦屋は、閉店や廃業した人が少なくありませんし、親父バンドの発表会や個人の演奏会に、招待されることもなくなりました。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
残間さんは団塊男の自分探し的行動として,蕎麦打ちと楽器習いを挙げている.
実にその通りで,会社では役員にまで出世した知人が,会社をリタイアして暇になってまず手掛けたのは蕎麦打ちだった.
思うに,団塊男たちが我も我もと蕎麦打ちを始めたのは,蕎麦打ちはうどんに比較すると非常にハードルが低いからである.
道具を買って,自治体がやっている「蕎麦打ち講習会」にでも行けば,すぐそれなりの蕎麦 (ノビた茹で麺の駅蕎麦よりは絶対うまいやつ) が作れてしまう.
道具は,通販の「蕎麦打ちセット」が一万円ちょっとで買えるのでお手軽だが,会社員時代にずっと夢見てきた「自分探し」が一万円ちょっという事実が,男たちは気に入らなかった.(アマゾンの「星野工業 そば打ち 5点セット」は¥12,980)
そこで男たちは道具選びを始めた.
のし台は,無垢のヒバ柾目材だと五万円以上する.
こね鉢は,木製漆塗りの工芸品クラスだと三十万円くらい.
麺棒は真っすぐでなければ使い物にならない大切な道具だが,樫材でもそんなに高価ではなく数千円で買える.
問題は麺切り包丁だ.プロ用の銘入り品だと二十万円前後が売れ筋らしい.(包丁ではなく業務用の自動麺カッターだと数万円で買えるが,それは邪道である)
あとは粉箒と篩などの小物があればいいかと思いきや,衣裳が必要なのである.本格的には渋い紬の和服に襷がけが定番だが,いくら何でもそこまでしなくても,と思う向きには作務衣というテがある.本藍染で十万円はしないと思われる.
さあ何はなくても形から入るのが男というもの.初心者でも以上のように五,六十万円ほどかけて身支度整えれば,そこら辺の蕎麦打ち同好会に入会しても恥ずかしくはない.
しかしいきなり蕎麦打ち同好会に入会しても,麺道三段とか四段の先輩たちの足手まといになるだけであるから,通販で「旨い蕎麦の打ち方 DVD付」みたいな書籍を購入して修行を開始.
それからというもの,来る日も来る日も蕎麦打ちに没頭する.
そしてある日気が付くのだが,男が作務衣を着ると,妻は必ず買い物にでかけ,娘は友達の家に行くと言って出かけてしまう.
そりゃ誰だって毎日毎日蕎麦を食わされていては,飽きる.
だから家族は懇願した.お父さん,お願いだからもう蕎麦は打たないで.
こうして蕎麦打ち男たちの自分探しは終わった.
蕎麦に比べると楽器は良い趣味である.
オカリナとかウクレレなんかはハードルが低いが,しかし自分探しにはどうかと思われる.
男たちは「お手軽」が嫌いなのである.
そんなのでは,せっかく探し当てた自分が「お手軽なひと」みたいだからだ.
若い時にバンドをやっていた人は,ギターやドラムということになるだろうが,楽器に無縁の仕事一筋だった人が,これから始めるならピアノが魅力的だろう.蕎麦打ちはただの習い事だが,ピアノは才能が必要だ.
「もしかしたら自分には音楽の才能があったかも知れない.今からでも遅くはないかも」と思うだけで,わくわくするではないか.
現代ビジネス《大人になってピアノを始める難しさ…せっかく見つけた「相性の良いピアノ講師」の教室を辞める原因になった「ヤバすぎる大事件」》に,年輩になってからピアノを志したひとが紹介されている.
《相性の合うピアノ講師と出会うことの難しさ
ピアノ選びよりもピアノ講師選びのほうが、よほど大変なようだ。
かつて「子どもの習い事」といえば、真っ先に思い浮かぶのがピアノだった。時代は進み、今やピアノは「大人の習い事」としても広く定着しつつあるという。
……
カワカミさんがピアノを習い始めた切っ掛けは、勤め先の大手企業を早期退職。自営業へと転じたことだ。土日・祝祭日のみならず、平日も時間の自由が利く。同僚らと酒、麻雀、夜の男の遊びといった類とは縁を切った。》
きっとカワカミさんは,早期退職して酒も麻雀やめて,夜の男の遊びもやめて,自分探しをやろうとしたのだ.
誰でも会社員生活の終わりが見える頃になると,少年時代に抱いた夢や希望を思い出す.ほんとは何々になりたかった,と.
カワカミさんは子どもの頃,ピアノを習いたかった.でも家の経済事情で叶わなかった.
カワカミさんが大手企業を退職して安定した生活を手放したのは,やり残したことがある,という思いがあったからだろう.
こうしてカワカミさんはピアノの先生を探すことから自分探しを始めた.そのいきさつが現代ビジネスの記事に書かれている.
カワカミさんは,まず自分探しにかかる費用について調べた.
ピアノは中古で三十万円あれば買えるようだ.蕎麦打ち道具よりもずっと安いし,蕎麦とピアノのどっちが人生を豊かにしてくれるか,考えるまでもない.
次はレッスン料と諸費用.これについてカワカミさんは次のように述べている.
《大人がピアノ講師からレッスンを受けるには、年間のレッスン代、その他発表会やコンクール参加費を合わせて概ね15万円から20万円程度、そしてピアノ本体》
《クラブどころかキャバクラと比べても安いですよね。えげつないキャバクラだと1回あたり10万円くらい払ったこともあります。もちろんそれなりのサービスを受けているわけですが……》
《でもピアノを習い始めてつくづく思いました。ピアノの先生方は、多くは音楽大学の卒業生です。知的に富んだ会話、そして何よりピアノ技量が残ります。これは大きいです》
《下手なキャバクラに行くよりも楽しいです。会話、接客上手な先生もいましたね》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者がおこなった)
ピアノを習うことで自分探しに踏み出したカワカミさんは,ピアノはキャバクラよりも安くて楽しいと言う.
夜の男の遊びをやめて始めた自分探しのはずなのに,カワカミさんの思考の基準は,やっぱりキャバクラなのであった.
ピアノの先生との知的な会話はともかく,接客上手な先生っていうものの考え方は,それでいいのか.w
ほんとの自分は,探さなくても既に過ごしてきた人生の中にある,ということなんだろう.ww
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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