私の誤字センサー (8)
「享年」は意味にも用法にも混乱があって,いささか困る言葉である.
そもそも「享年」は日常語ではない.訃報あるいは,墓碑銘や墓誌など刻む文章でのみ使用される特殊な言葉だ.用法は伝統的に「享年七十八」と言い切る形をとり,「享年七十八であった」とは普通は書かない.
ましてや会話で「お前の爺さんはいくつで死んだ?」「享年七十八だったよ」は違和感ありまくりである.単に「七十八だった」でよい.
そこでまずは「享年」の語義から.
ウェブを検索すると上位に葬祭業者の企業サイトがずらりと並び,それだけならいいが,業者によって正反対の語義が書いてあるのが情けない.「享年」の類語の「行年」と取り違えていたりするのだ.
であるからして,以下は辞書事典に頼って記す.
「享」は 「受ける,受け入れる」が主たる意義である.「享受」がその熟語例.
では「享年」の語義はというと,「享 (う) けた年」となる.「年」は年齢ではなく「年月」である.誰から享けたのかというと.「天」からである.
精選版 日本国語大辞典「享年」の解説
〘名〙(天から享 (う) けた年の意) この世に生存した年数。寿齢。年齢。よわい。行年 (ぎょうねん)。
※碧山日録 ― 応仁二年 (1468) 一二月一六日「是日立春、余既享年四十九」〔晉書 ― 安平献王孚伝論〕
大辞林第三版
[天から享 (う) けた年の意] 人の生きていた年数。死んだときの年齢。行年。「― 六五」
Wikipedia【享年】
《享年 (きょうねん) とは、死亡時の年齢を表す漢語。人が「天から享 (う) けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。「行年 (ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行 (時が進むの意味) の年数」の意味。》
上に大辞典 (日本国語大辞典,大辞林) と Wikipedia の解説を引用したが,この解説からして納得しがたい.
日国も大辞林も Wikipedia も,「享年」は《この世に生存した年数》《人の生きていた年数》《この世に存在した年数》としていながら,同時に《年齢》《死んだときの年齢》《死亡時の年齢》であるとしている.
当然だが,《この世に生存した年数》《人の生きていた年数》《この世に存在した年数》は年齢の数え方に依存しない.しかし《年齢》《死んだときの年齢》《死亡時の年齢》は数え方,すなわち「満年齢」か,それとも「数え年」かで異なる.
すなわち《この世に生存した年数》《人の生きていた年数》《この世に存在した年数》と《年齢》《死んだときの年齢》《死亡時の年齢》は意味が全く異なるから,日本国語大辞典,大辞林および Wikipedia の説明は矛盾しており,誤りである.
享年を《この世に生存した年数》《人の生きていた年数》《この世に存在した年数》としたときの問題点はもう一つある.半端な月数をどう丸めるのか,という問題である.切り捨てるのか,切り上げるのか,それとも四捨五入するのか.
しかし,これは考えるまでもない.「享年」は中国の漢の時代からある言葉 (漢代の墓碑銘に文例がある) で,それがこの国 (以下,便宜的に「日本」とする) に伝わって使われるようになったのであるが,これは私見だが,その時に《この世に生存した年数》《人の生きていた年数》《この世に存在した年数》を「数え年」による年齢で代用するという意図的な誤用を始めたのである.
こうすれば「享年」を正しい意味の《この世に生存した年数》《人の生きていた年数》《この世に存在した年数》としたときに,半端な月数をどう丸めるのか,という問題を曖昧にしてしまうことができる.生まれた年 (例えば「仁和元年」とか) が明らかであれば故人の年齢ははっきりしているから,元号一覧表のようなもので難しい計算をする必要がないのである.
これはタテマエとホンネの使い分けに似ている.
年齢の単位は「歳」だが,「享年〇〇歳」と書くと正しい意味の「享年」と矛盾が生じるので,あくまで「享年〇〇」とかくことにしておいて,実際は「〇〇」は「〇〇歳」のことだというわけだ.
こうして「享年」は《この世に生存した年数》《人の生きていた年数》《この世に存在した年数》であると辞書に載せておきながら,実際はそれとは異なる「数え年」で代用するということが,実に明治時代まで続いたのである.
ところが明治三十五年に「年齢計算ニ関スル法律」により,年齢は満年齢とすることが法的に定められた.
しかしこの法律は実効性がなく,満年齢の使用は普及しなかった.
そこで政府は昭和二十四年の「年齢のとなえ方に関する法律」により,満年齢の普及に努めた.
その甲斐あって現在ではほぼ「数え年」の使用はなくなった.
そしてその結果は「享年」の用法に影響した.
昔は「享年〇〇」の〇〇は「数え年」だったが,現在では満年齢を用いるのが大勢である.墓誌に刻まれる先祖の「享年」と最近亡くなった人の「享年」とでは意味が異なるのだが,それは歴史的事情があるから致し方ないことだろう.故人の親族でそれを咎める人はいないだろう.
それに,「享年〇〇」の〇〇に満年齢を使えば,「享年〇〇」は《この世に生存した年数》《人の生きていた年数》《この世に存在した年数》になるので矛盾がなくなる.
こういう歴史的経緯があって,辞書によっては,従来は誤用とされてきた満年齢を用いる「享年〇〇歳」という用法を認めるようになっている.(広辞苑など)
私は古い人間なので,文章中につい「享年七十八」などとかいてしまうのであるが,「七十八歳で亡くなった」と書けば平易で,これがいいように思う.
さてながーい前置きに続いてようやく本題.
今の若い人たちは知らないだろうが,私たち高齢者には忘れがたい名女優ジーナ・ロロブリジーダが先日亡くなった.
それを BANG Showbiz というメディアが報じた.下のスクリーン・ショットは,Microsoft Edge のニュースフィーダーに掲載された見出しの画像である.

(動画ではない記事本文と見出しは,ここ)
もちろんこの報道では,「享年95歳」に満年齢を用いている.
それはうっかりすると正しいように見えてしまうが,そもそも日本人ではないジーナ・ロロブリジーダの逝去年齢に「享年」を使うことは誤用である.漢字で書きたければ「ジーナ・ロロブリジーダが死去、95歳没」とすればいいのであるし,もっとよいのは「ジーナ・ロロブリジーダが95歳で死去」である.(私なら漢数字で「ジーナ・ロロブリジーダが九十五歳で死去」と書くが)
以上,今回の記事は,誤字のことから少しはみ出て,「享年」の誤用について書いた.
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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