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2022年9月15日 (木)

悪の記号とファンタジー /工事中

 スポーツニッポン《パックン「ロード・オブ-」非白人俳優起用に私見「社会問題がなければどんな配役でも構わないけど」》[掲載日 2022年9月14日 22:30] から下に引用する.
 
英作家J・R・R・トールキンによる原作は、1954年から55年にかけて出版された。世界で多様性が尊重されるよう前の時代になる。パックンによると作品には、現在の感覚では人種差別とも取れるような表現も見受けられるという。
 一方でパックンは、作品の壮大なメッセージ性にも触れた。「トールキンのメッセージが、“いろんな人種はあるけれど、悪と戦うためにはみんな協力し合って、友情、愛、愛国心を持って戦わないと勝てないぞ”という、人種差別よりはるかに大きな、壮大なメッセージを持って原作を書いて、それがうまく今までの作品の中で表されているかなと思うと指摘。「今の時代でそれを表せるのは、むしろ人種差別的な構成を乗り越えて、今風にアレンジした方が、そのメッセージが生き残ると思う。そう変えていかないと、逆に廃れていってしまうんじゃないかな」と、今回のキャスティングに理解を示した。
 人種問題がさまざまな歪みを生み出している昨今。パックンは「社会問題がなければ、どんな配役でも構わないけど、それをすごい意識した方が、今の社会問題を改善しようとしている世の中に合うんじゃないかなと思います」と持論を語った。
 
 楽天的かも知れぬが,世の中は進歩していくという思いを私は持っている.
 私が義務教育年齢だった頃,有名人で同性愛者であるのを公表していたのは丸山明宏ただ一人であったが,平成を経て令和になった今ではセクシャル・マイノリティはごくありふれた存在になった.政府のサイトでもNHKの番組でも性の多様性について啓蒙が行われている.
 その一方で,ルッキズムは一向に衰えない.例えば歌手に必要な才能が歌唱力ではなく,人並以上の容姿と優れた身体能力になってから久しい.容姿に特に秀でたわけではない美空ひばりが戦後歌謡の女王と称された時代は,年号が平成となった時に終わった.そして第二の研ナオコはもう現れないだろう.
 かつては「男は顔じゃないよ」と言ったものだが,それは「女は顔だよ」と同義だった.ところが今は「男も顔だよ」になった.どうみても退歩だ.くやしい
 昭和の昔,イケメンの花形満は飛雄馬の美しい姉・明子を娶ったが,不細工の伴宙太は伴侶を得ることができなかった.だが,同じく不細工の左門豊作は京子と結ばれたので,一勝一敗一引き分けだ.何言ってるかわからぬが,そういうことだ.
 最近では,ネット時代の寵児である ひろゆき氏が,下のように容姿差別丸出しの発言をした.(YouTube《【ひろゆき】前田敦子って●●だよねの巻》[掲載日 2022年9月7日])
 
前田さんって別になんか どこにでもいそうな女の子で 別にめちゃくちゃ可愛いわけでもないし 歌が上手いわけでもないし ダンスが上手いわけでもないしっていうのなんですけど あの 能力,実力もないけども,異常な負けず嫌いな感じが 見てる人たちにはなんとなく伝わってくるっていうキャラクター性が……》
 
 ひろゆき氏は,蓮舫参院議員や辻元清美参院議員がツイッターに安倍晋三元首相の国葬儀の招待状の画像を掲載し,欠席することを表明したことに関して「人の葬式に行かない人は黙って行かなければいいだけです.『行きません』とわざわざ言う必要はないと思います.遺族と参列者に失礼です」とコメントした.(デイリー《ひろゆき氏 葬儀に「行きません」を言う必要無し 蓮舫&辻元氏は国葬儀欠席表明》[掲載日 2022年9月10日 12:24])
 ひろゆき氏が前田敦子さんを高く評価しないのであれば黙っていればいいだけです.《別にめちゃくちゃ可愛いわけでもないし 歌が上手いわけでもないし ダンスが上手いわけでもない》とか《能力,実力もないけども,異常な負けず嫌い》と「わざわざ言う必要はないと思うおいらです」.w
 それはともかく,人間はなかなかルッキズム (Wikipedia【ルッキズム】) から逃れられない.実社会でルッキズムの束縛から自由になれないとしても,束縛の無い創作物の中でも,うっかりすると外見至上主義に陥ることはある.
 古い例を持ち出せば,私たちの祖先は,眼には見えない天変地異,疫病など人に仇なすものを「鬼」の姿に描いた.下の画像は有名な「春日権現兼験記」(鎌倉時代;Wikipedia【春日権現験記】) の第八軸の一場面である.粗末な庶民の家の屋根に赤鬼が居座っている.家の住人は疫病に冒されている.
 
20220916a
国立国会図書館デジタルコレクション「春日権現験記」第八軸から引用
(パブリック・ドメイン)
 
 人々は疫病に対する憎しみと恐怖を,「鬼」の醜い姿として描いた.
 二十世紀の作家,トールキンも『指輪物語』で,邪悪な勢力に従う種族であるオーク (Wikipedia【オーク (トールキン)】) を醜く汚らしい存在であるとした.
 そしてそれ以後のファンタジー作品はこれに倣った.オークを他の種族と似た姿に描いた作品は,ほとんどない.
 またオークの対極にある種族であるエルフは,美しい姿かたちであるとされた.
『指輪物語』が,「善=美」であり「悪=醜」というステレオタイプを強化したのは疑いない. 
 しかし『指輪物語』はあまりにも文学的評価が高いために,この作品の根底にあるルッキズムの存在を正面から批判する者はいない.
 だが私は,『指輪物語』を現代の物差しを用いて批判しなくてもよいのではないかと思っている.それが書かれた時代の制約を受けていることを読者が承知していればよいことだ.過去の文学作品を出版する際,巻末に「この作品には,今日からみれば不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます.その旨をここに記載した上でそのままの形で作品を公開します」(青空文庫の但し書き例) と断り書きをすることがあるが,それと同じである.『指輪物語』にも差別的表現はあるが,文学作品としての価値を考慮すれば,そのことをもって葬るわけにはいかないのである.
 ではあるが,『指輪物語』の世界を実写化した映画『ロード・オブ・ザ・リング』は原作に改変を加えてシナリオが書かれているのだから,原作の欠点を修正してもよかったはずだ.
 ところが,映画『ロード・オブ・ザ・リング』は,エルフや人間と敵対する種族であるオークの姿形の醜さを原作よりも強調してしまった.この映画に登場するオークは,まるでホラー映画に出てくる怪物のようである.
 なぜかくも醜い姿にオークを描いたのか.その理由はきっと,オークを醜悪な怪物として映像にすれば,「善」の種族に大量殺戮されても映画の観客はショックを受けなくても済むからである.こうすれば,「悪いやつは,醜い怪物は,殺されてもいいのだ」と自分に言い訳することができるのだ.
 これについてタレントのパックンは,冒頭に引用したスポーツニッポンの記事中で次のことを述べている.
 
トールキンのメッセージが、“いろんな人種はあるけれど、悪と戦うためにはみんな協力し合って、友情、愛、愛国心を持って戦わないと勝てないぞ”という、人種差別よりはるかに大きな、壮大なメッセージ
 
 パックンは,「悪=醜悪=敵」に何の疑問も感じていない.また《いろんな人種はあるけれど》は根本的な誤解だ.なぜなら,そもそもトールキンが創造した世界における「種族」は「人種」ではないからである.これはトールキンのファンタジーについての基礎知識だ.従って間違いなく,パックンは原作を読まずにコメントしている.読んでいれば,「愛国心」なんていう言葉が出てくるはずがない.
 
今の時代でそれを表せるのは、むしろ人種差別的な構成を乗り越えて、今風にアレンジした方が、そのメッセージが生き残ると思う

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