かなり前のことだが,Wikipedia に読売新聞が関西進出する際のことが書かれていたのだが,現在は消えてなくなっている.
私の同世代がこの世を去ると,読売新聞の黒歴史は忘れ去られるだろう.それは抗い難いことだが,少しは誰かが書いておいて欲しいものだと思う.
大正十三年 (1924年) に読売新聞社 (のちの読売新聞東京本社) の経営権を得た正力松太郎は,警視庁の警務畑をでキャリアを積んだ時代に東京の裏社会に影響力を持ったとされる.
戦前には東京の一地方紙に過ぎなかった読売新聞が関東で大きく部数を伸ばし,全国紙へ展開する基礎を築くのに大きく貢献したのが,東京のヤクザだった.
彼らこそが悪名高い (高かった) 読売拡張団である.
これについて私は,このブログに付けられたコメントへの返信として《読者コメントについて》と題した記事を掲載した.
元の記事は四つに分割掲載したのだが,不要部分を省いて一つにまとめ,下に再度掲載する.
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読者コメントについて
2015年8月21日
この四ヶ月の治療中は,面倒くさくて自分のブログをチラ見もしなかったのであるが,さーてと腰を上げてココログに接続してみたら,あ~ら不思議あら不思議,書き殴り言い放しのこのブログにコメントがついているではありませんか.
当該記事「サン・クロレラ販売に鉄槌 (2015年1月22日掲載)」のコメント欄では読みにくいだろうから,以下に転載する.
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[コメント]
中身は法律家やロースクール生顔負けの分析力ですが、なんとなく朝日新聞や読売新聞を全部善良な人々だという前提に立っていると思います。
読売新聞の拡販員が問題を起こしても「あれは別会社だから」
販売所に聞いても「あれはうちがやっているところじゃない」
現実に拡販員は契約関係をもっている。なかったら報酬が受け取れませんから。
クロレラやア○リ○スは広告役が別でそれが勝手に研究者や医者の肩書きをもっている人に都合よく広告や本を書かせているだけとも言えます。
ところが、新聞社は直に近いし昔は亡きよみうりランドや巨人戦の優待券をもってきたんですから。
政治でも気にくわない政治家の時は、無茶苦茶な学者でも
「叩け」と指令したら叩く人を揃えて叩かせる。
放送法と違って責任をとらなくてよいと勘違いしてる気がします。
そういう超大手新聞社は全体としてクロレラ以上のことをやらざるを得ないのでしょう。
昨日の東京新聞だって東京新聞の1面で櫻井よしこさんの「正義の」嘘という本が広告されていました。「平和、弱者、隣国、原発・・・戦後正義の暴走が一目瞭然!」というコピーで。
あと、11面で鈴木穣という人が「先送りされた年金改革」というタイトルで社会保障切り下げを主張されてました
基本的にそういう人たちで例外的に受け狙いで違うのが出ると考えた方が良いと思うことがあるのです。
投稿: tak | 2015年4月29日 (水) 10時57分
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★読者コメント「中身は法律家やロースクール生顔負けの分析力ですが、なんとなく朝日新聞や読売新聞を全部善良な人々だという前提に立っていると思います。」
tak さんのお歳は存じませんが,私くらいの年齢の人間ですと,頂いた上のご意見とは逆に,《朝日新聞や読売新聞を全部善良な人々だという前提に立っている》者はほとんどいないと思います.むしろ圧倒的にアンチ朝日新聞だろうと思います.私もそうです.
よく朝日,岩波,NHKと,三つ並べて,その権威主義的な世間の評価を嘲笑します.
これは無理やりな語呂合わせなので岩波書店がちょっとかわいそうですが,しかし朝日新聞が好きだと公言するのは昔からいささか憚るところがありました.昔は朝日文化人という言葉もあって,知識人でそのように呼ばれるのは少々恥ずかしいことでありました.
その理由の一つに,朝日新聞の思想的無節操ということがあります.
先の戦争では朝日も毎日も読売も,こぞって皇国の聖戦断固遂行を主張し,日本国民一億総火の玉,ポツダム宣言なにするものぞと徹底抗戦の旗を振ったわけでありますが,朝日と毎日は敗戦直後に掌をかえしました.反省したといえば格好いいが,あまりにも鮮やかな掌返しだったので,また戦争になれば必ずや再び掌返しをするに違いないだろうとの疑いを国民に抱かせたのであります.
余談ですが,朝日新聞社旗は旭日旗 (参照 Wikipedia【旭日旗】) です.
戦時中の戦局報道宣伝映画では,旭日旗が翻り,軍艦マーチが流れる画面が定番中の定番でありました.もっとも有名な旭日旗は大日本帝国陸軍軍旗です.海軍軍艦旗も旭日旗でした.
ですから,戦時中ならいざ知らず,朝日新聞社がなぜ戦後の思想的掌返しのときに社旗を新たなデザインに変えなかったのか.大変に不思議です.このような疑問を持つのは,隣国政府ならずとも,もっともなものだと思うのですが,朝日新聞社はこれについてノーコメントを貫いています.旭日旗と訣別できない事情でもあるのでしょうか.
(中略)
閑話休題.上述した朝日新聞社の編集局ですが,戦後民主主義の牙城たる新聞社といえども汚れ仕事はあるもので,発行部数拡張もその一つ.
朝日新聞社は,会社経営者の他に「社主」が存在するなど複雑な内部事情もあって,企業としての朝日新聞社の経営責任から編集局トップを隔離するという姑息な手段により,紙面の中立性を取り繕うという体裁をとってきました.
★読者コメント「そういう超大手新聞社は全体としてクロレラ以上のことをやらざるを得ないのでしょう。」
ですが,新聞社が洗剤などの景品を使って新聞の部数を拡張することが「クロレラ以上のこと」にあたるとは私には思えません.
クロレラなど薬効が認められない健康食品のバイブル商法は,歴とした薬事法違反でありますが,例えば朝日新聞社の購読勧誘員 (ほとんどは販売店の者) が洗剤を配って部数拡張活動をするのは (していたのは) 新聞社各社が集まって決めた業者間の取り決めに違反するに過ぎないからです.
読売の購読勧誘員が巨人戦のチケットを配ろうが朝日のそれが洗剤を配ろうが,それは大した問題ではないのです.
では何が問題か.
新聞の購読勧誘は,組織暴力団の資金源,いわゆる「シノギ」になっているのです.
上には穏やかに「購読勧誘員」と書きましたが,一般には「拡張団員」(参照 Wikipedia【新聞拡張団】)
といいます.
Wikipedia【新聞拡張団】にこう書かれています.
《新聞拡張団(しんぶんかくちょうだん)とは日本の新聞販売において、新聞社や新聞販売店とは別の団体で新聞の訪問勧誘を行う団体をいう。「拡販団」や「新聞ヤクザ」といわれることもある。一部新聞社や新聞販売店から委託を受けているものもある。》(当ブログの筆者による2022/8/27の註;文字色を変えた箇所は,現在は削除されて存在しない)
この新聞拡張団は,朝日・毎日・読売・日経・産経・東京の六新聞社の合計で一万人弱だといわれています.
私が小学生だった昭和三十年代,うちに読売の拡張団員が来ると,ほんとに恐ろしかったですね.
木造平屋のあばら家 (公務員官舎) の玄関引き戸を壊れんばかりに叩いて「読売でーす」と言う.
応対は父親がしますが,母と子供たちは奥に避難します.奥といっても六畳と三畳と台所のネズミ小屋ですから,団員の声はそのまま聞こえます.ほとんど恐喝です.
「なにぃ,一ヶ月とりますだと~,俺をなめてるんか,新聞ってのはなぁ六ヶ月とるもんなんだよオッサン」
とまあこんな雰囲気で,当時の (現在はさすがにこれほど酷くはないでしょう) 読売新聞の購読勧誘は行われていたわけです.
で,押し問答の末になんとか三ヶ月購読で話がまとまり,「んじゃあ三ヶ月で許してやらあ,ハンコ出しな」と言われて認めの印鑑を小さな購読契約書に押そうとすると,団員に印鑑をもぎ取られ,ペタペタと勝手に六ヶ月分を押されてしまいます.
「ありゃあ間違ったよ,六ヶ月分押しちゃった,わるいなオッサン」
彼らの報酬は歩合制で,六ヶ月契約を一つよりも三ヶ月契約を二つの方が実入りがいいこともあるらしく,二枚の契約書に捺印されてしまうこともありました.
相手が気の弱そうな人物である場合は,読売の拡張団員は巨人戦のチケットも洗剤もくれないわけで,いつも何ももらえない私の父は,団員が引き上げると肩を落として暫く無言でありました.
読売新聞拡張団員の暴力的な購読強制に屈する父親の姿には哀しいものがあって,私は死んでも読売は購読しないと心に決めました.そして,どんなに脅されても,家族に読売新聞拡張団員に屈する姿は見せないと誓ったのであります.(笑)
他人を責めるのは好きだが自分には大甘な人間というのは嫌われ者です.
全国紙の新聞がこれと同じで,御存じのように新聞は他紙の不祥事を好んで報道します.
例えば読売新聞関係者の暴力沙汰を朝日新聞が報道すると,朝日新聞関係者の盗撮事件なんてのを読売新聞が伝えて報復したりします.
一般市民にとってはどうでもいいそんな事件を,各紙ニュースサイトのトップページに置いたりして,まことに見苦しい限りであります.
だがしかし,両紙がお互いに触れない相手の恥部があります.それが拡張団の存在です.我が国におけるタブーの一つであるといっていいでしょう.
私は学生時代から現在までに十数回の転居をしましたが,そのたびに読売と朝日の購読勧誘員の訪問を受けました.そして何度か読売の拡張団員に,玄関先で大声を出されたりドアを蹴られるなどの脅しを受ける目にあいました.
毎日と日経の勧誘員がきたことはありません.日経は各戸訪問して部数拡張する必要がない新聞だからであろうし,毎日新聞はそういう部数拡張競争をやってこなかったから現在のような状態になったといえます.
従って部数拡張競争,つまり拡張団の問題は読売と朝日の問題といえます.
ネット上には朝日新聞拡張団員による暴力的勧誘に関する記事もありますが,私の体験に基づく印象では,暴力団構成員は読売拡張団に多いのではないかと思います.
なぜ暴力団構成員が読売拡張団に多いのか.実は読売拡張団の問題の前に,読売新聞社そのものと闇社会との関係に注目しなければなりません.
Wikipedia に詳しく記述されているように,読売と組織暴力との関係は,読売中興の祖と呼ばれる正力松太郎社長の時代に始まります.
Wikipedia【正力松太郎】に以下のようにあります.(当ブログ筆者による2022/8/27の註;現在の記述とは異なる)
《東京帝国大学法科大学卒で内務省に入り、警視庁警務部長になったが、虎の門事件の警備責任から引責辞職した。
翌年、経営難で不振の読売新聞を買い受けて社長に就任し、新聞界に転じた。以後、政財界に影響力を拡大。1940年(昭和15年)の開戦時は大政翼賛会総務であったためにA級戦犯の第三次戦犯指名となり、逮捕されたが、起訴はされず、巣鴨プリズン収容者の1人となった。このためしばらく公職追放処分を受けた。
戦後は、MLB選手を日本に招聘して日米野球を興行するなど野球界で尽力したが、一方で長期にわたる中央情報局(CIA)への協力(非公式の工作活動)をおこなっていたことが、アメリカで保管されている公文書により判明している。》
また Wikipedia【読売新聞】には次のように書かれています.
《社務を統括する総務局長に警視庁特高課長の小林光政、販売部長には警視庁捜査係長の武藤哲哉、のちの読売巨人軍代表の品川主計など、警視庁人脈を中枢に入れて社内の労務支配をおこない》
《後の法務大臣、秦野章の証言によれば、販売にも警視庁の刑事あがりを使ったというんだな。あの当時は、“オイコラ警察”の時代だから、刑事あがりにスゴまれりゃ、新聞をとらざるをえない。そうやって片っぱしから拡張していったんだって、正力さんは自慢そうによく言っていたな。》
《競馬の予想記事や漫画欄を作ったりして、庶民向きの読みやすい紙面作りを進めたが、その推進役は編集局長になった柴田勝衛である。…この柴田が正力社長の下で起死回生を狙ったのが、日本各地に縄張りを持って君臨していた、素性の知れたヤクザの親分衆36人を選んだ企画であり、『人物の森』風の人物評伝に仕立てて連載すると、それが評判になり売り上げを大いに伸ばした。
連載が終わった年の正月のことである。紋付きハカマに正装した36人の親分衆が市電を止めて数寄屋橋の大通りに並び、読売新聞社の正面玄関に向かい土下座して一斉に頭を下げると、「柴田編集長にご挨拶したいので、読んで頂きたい」と申し入れた。…柴田は悠然と正面玄関に現れたのであり、その前にひれ伏した親分衆の代表が、「われわれのような日陰者を、こんな晴れがましい紙面で世間様に紹介くださり、光栄の至りに思う次第であります。このご恩は孫子末代まで忘れることはせず、…、われらの血筋が続く限り読売新聞の進展に死力を尽くすことを、ここで一同で誓約いたします」と言って、粛然と引き上げていったそうである。》
《田辺則雄発行名儀人(昭和27年頃)の話によると、読売新聞の社会部は大躍進を遂げ、親分衆の協力による物凄い特ダネ続きとなり、下町衆の支持を受け売り上げを伸ばした。…社会部長の田辺則雄も、読売の名物男で、戸籍にバツ印(×)が11も付いており、幾ら日本の新聞界に人材がキラ星でも、前科11犯はそうザラにある話ではない。…親分衆から一目を置かれる存在だったという。こんな伝統があることが大きく影響して、朝日を始め他社は暗黒街の取材が仲々出来ないのに、読売の社会部だけはスクープを記録し続け、新聞界では未だに一頭突出するのだそうだ》
このようにして警察出身者によって作られた読売新聞社と闇社会の関係は,関東のローカル新聞に過ぎなかった読売新聞が全国紙化するにあたって大きな戦力となりました.
Wikipedia【読売新聞】には次のように書かれています.
《1952年11月25日、大阪読売新聞が創刊。読売新聞は、まだ宝くじの1等が400万円だった時代に、最高500万円、総額1億~2億にものぼる「福引き」をおこない、新聞業界の常識を打ち破る熾烈な拡販競争をおこなったのである。このとき関東から送られた読売新聞の拡販団は、「人相の悪い暴力団…ヤクザ風の若者」。読売新聞は、1人住まいの女性や主婦を集中的に狙い、「お届け物です」と声をかけてドアを空けさせた後、ヤクザ風に凄んで新聞を取らせる、勝手に半年契約のハンコを押す、クレームを入れると謝罪し、今度はもみ手戦術で新聞をとらせる等々、現在でも続いている拡販団による悪名高い新聞拡販方式の原型を作った。この方式は、現在では他紙に模倣されている。ただ、拡販や読者つなぎ止めで他紙と違うのは、プラチナ・ペーパーとされた巨人戦チケットを使うことである。大阪進出当時、甲子園球場の阪神タイガースと読売ジャイアンツの試合のチケットは、ほとんど読売新聞が引きうけ、阪神にとっては「読売さまさま」だった。巨人戦チケットを使った拡販は、読売の全国進出にあたって広く使われた。巨人軍が負けてはならない、強くならなければならないのは、読売拡販のためという。》
正力松太郎が闇社会との関係を用いて築き上げた読売拡張団は,上に引用したような暴力的手口によって,関東地方における発行部数で朝日新聞を圧倒しました.そして全国紙化したのちに読売と報知の合計部数で朝日を抜いたのは昭和三十年代後半,私が中学に入った頃です.そして昭和五十二年 (1977年) に読売新聞本体の発行部数で朝日新聞を抜き去りました.
読売新聞は発行部数第一位の全国紙ですが,これは組織暴力との協力関係のもとに達成されたのであります.
読売新聞の暴力的拡販は,今も続けられているようです.
二ヶ月ほど前に,消費者庁の特定商取引法専門調査会が開かれ,訪問販売の規制を強化するという議論が行われました.
この調査会では新聞の暴力的購読勧誘の規制が焦点となっています.
消費者庁の調査によると,国民生活センターに寄せられた新聞勧誘に関する苦情は年間一万件くらいあり,苦情件数は一位が読売新聞社(発行部数約920万),次が朝日新聞社 (同約710万),毎日新聞社 (同約330万)となっています.
そこで調査会の議論に日本新聞協会の理事である読売新聞東京本社の山口寿一社長が招かれました.
現在は特定商取引法で,一度断られたら再度の勧誘は違反となる規制がありますが,これについて山口社長は「一度断られても,やはり取っていただくということも現実には多々ある」と発言しました.これは新聞業界が法律違反を行っていることを,堂々と公式に認めたことを意味します.恥を知らぬとはこのことであります.
(ちなみにこの六月の調査会において山口社長の発言を嘲笑した委員がいたとして,読売新聞社はグループ本社の永原伸社長室長名で,山口俊一消費者庁担当大臣,板東久美子消費者庁長官,河上正二消費者委員会委員長に内容証明郵便で抗議書を送付しました.社会の木鐸を気取っておきながら裏で法違反をしている新聞社が,その鉄面皮を嘲笑されて逆ギレし,抗議するとは何様のつもりなのでしょう)
消費者保護の観点からして重大なこの山口発言を報じたのは週刊誌メディアであり,新聞はだんまりを決め込みました.いかにも新聞というものの手前勝手な体質が露呈した事件でした.
さてブログ読者のコメントへの回答としては長文になり過ぎました.
稿を改めて書くことがあるでしょうから,いったん筆を置きますが,私が《なんとなく朝日新聞や読売新聞を全部善良な人々だという前提に立っていると思います》との tak さんのご指摘は全くの誤解だということをご理解ください.朝日や読売の人間が全員悪人だとは思っていませんが,読売については目に余るものがあるため,何度もこのブログで批判をしてきました.
私は駅売りの新聞は毎日新聞を買います.全国紙の中では記者の質が高い方だと思うからです.ほんとにページ数の少ない新聞ですが,同じお金を払うならコスパの高い新聞がいいですね.朝日新聞とか読売を読んでいたら世の中を見誤ります.全国紙,特にこの二紙は拡張団を必要としないビジネスモデルを構築しない限り,信用してはいけないと考えるものです.
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上に記したWikipedia【読売新聞】の記述に示唆されているように,
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