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2022年7月 9日 (土)

料理をしない女が嘘を書くとこうなる

 AERAdot.《なぜ梅干しは甘くなったのか? “しょっぱい派”作家が理由を考察》[掲載日 2022年7月8日 07:00] から下に一部引用する.
 
以前はどこの家でも梅干しを漬けた。わが家でもこの時節、母とねえやが庭の片隅にござや新聞紙を敷いて梅を並べて干していた。たしかその後、黒い壺にしそと一緒に漬け込んだはずだ。
 子供の私はそれが楽しみで、すっかり漬かるまでいじってはいけないといわれても、早く食べたくて、まだ青い梅をこっそり一粒宝物のように持ち出して、自分の部屋に隠しておいた。
 梅干しは、祖母、母、義母、姉など家族の思い出につながる。
 この頃は男性が興味を持って、在宅勤務のつれづれに楽しんでいる。
 その味は様々である。酸っぱいのも塩辛いのもある。梅干しと聞いただけでしょっぱい顔になってしまう。確か梅干しを想い浮かべるだけでごはんを食べるというケチな男の落語があった。
 しかし、しかしである。今時の梅干しは違う。梅の産地も和歌山をはじめ多くあり、しょっぱいどころか仄(ほの)かに甘い。
 かつて梅干しは薬がわりに重用された。お腹をこわした時に食べ、熱や頭痛、歯痛にも貼った。その上で祖母が何やら怪しげなおまじないの文句を唱えてくれるとすっかり治った気になった。
 私は今も、お気に入りの梅は赤黒い、しょっぱいものに限るし、梅を黒く煮つめた梅エキスを愛用している。それを一さじなめるだけで、体調がたちどころに快復する気がするのだ。友人はコロナ予防には人に会ったら梅エキスをなめるのが一番と信じている。
 いつから梅干しは柔らかく優しく甘くなったのだろう。いわばスウィーツ。お菓子感覚で食べられるものになってしまった。
 私なりにその理由を考えてみると、戦後、物のない時代に甘いものは貴重だった。砂糖は手に入らず、サッカリンやズルチンなど代用品で間に合わせた。
 その延長で、今でも甘いものはいいものという考えがこびりついている。
 日本に限らない。私はエジプトで半年暮らしたことがあるが、アラビア語で砂糖など甘いものを「ソッカル」という。ラマダン(断食月)明けや、結婚式などのお祝いの席では甘い菓子と紅茶が出る。
 アラブではお酒を飲まないから、おめでたい時には「ソッカル、ソッカル」。甘いほど重用される。
 日本人もいまだに「ソッカル」がいいのだろうか。私は断然しょっぱい梅干し派。昔から言う。「甘いわなに注意せよ」と。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 上の文章は,下重暁子さんが週刊朝日に連載しているエッセイの最新回である.
 下重さんが幼少の頃の梅干しは,塩っぱいものだった.今でも彼女にとっての梅干しは昔ながらの塩っぱいものだ.
 そのことを書いた後に,上の文章が続く.
 
ウソの1.《わが家でもこの時節、母とねえやが庭の片隅にござや新聞紙を敷いて梅を並べて干していた。たしかその後、黒い壺にしそと一緒に漬け込んだはずだ。
 
 梅干しには必ず完熟した黄色い実を用いる.少し緑色が残っているようなら,そのまま暫く追熟させて黄色くする.
 完熟した実を,干さずに,塩漬けにする.(下漬け)
 下漬けのあいだに,実から水分とクエン酸が滲出してくる.
 下重さんは紫蘇と一緒に漬け込む前に,庭で梅を干したと書いているが,これはウソである.梅干しは,天日で干さずに塩に漬けて脱水する加工法なのである.
 干す (これを「土用干し」という) のは下漬けが終わった「梅漬け」だ.梅漬けを干したものが梅干しである.ただし梅干しにせずに,梅漬けのままで食べてもよい.
 
ウソの2.《まだ青い梅をこっそり一粒宝物のように持ち出して、自分の部屋に隠しておいた。
 
 上に記したように,梅干しには完熟した黄色い実を使用する.
 もし青梅しか手に入らないのでやむなく青梅を使う場合はアク抜きをする.しないとエグい.
 下重さんの実家は,青梅を庭先で干し,これを漬けたというのだが,私が調べた限り,このような特殊な梅干しの作り方をする地方は見当たらない.これはたぶん記憶の捏造だろう.隠しておいたのは完熟梅だったはずである.
 下重さんの家は「ねえや」がいたというから,下重さんは梅干しの漬け方などの家事を覚えずに育ったのだろう.しかしそうであっても,自分がやったこともないことを知ったかぶりしてエッセイに書く前に,ネット情報をよく調べれば,ウソが簡単にばれずに済むのになあと思う.
 
ウソの3.《酸っぱいのも塩辛いのもある。
 
 下重暁子流の嘘梅干しではなく,正しい漬け方をした梅干しは必ず酸っぱくて,同時に塩辛い.酸っぱくない梅干しはあり得ない.梅の実にクエン酸が含まれているからである.塩辛くない梅干しは存在しない.梅干しは塩漬けだからである.
 
ウソの4.《その延長で、今でも甘いものはいいものという考えがこびりついている。
 
 下重さんたち,戦前生まれの世代は「甘いものはいいもの」という考えがこびりついているだろうが,戦後世代の私たちはもうそんな考えは持っていない.
 和菓子も洋菓子も,昭和三十年代に日本経済が成長を始めた頃には,既に菓子は「あんまり甘くない」のをよしとする方向へ変化を始めていた.
 歯がジリつくような羊羹は,年寄りの好物だとして敬遠されるようになった.
 砂糖を鯛や鶴亀の型で打ちぬいた砂糖菓子は,砂糖が貴重品だった時代には祝いものとして喜ばれたが,いまや絶滅危惧種だ.
 下重さんは,サッカリンズルチンが使われた時代に甘い梅干し (ハチミツ漬けのことを言っているのだろう) ができたように書いているが,それは違う.
 昭和の終わり頃,厚労省が国民の栄養健康に積極的に取り組むようになったが,その背景には,医療費の増大があった.
 まず最初に,高血圧症対策が取り上げられ,食生活における減塩の重要性が国民に浸透した.
 塩鮭は甘塩が好まれるようになり,塩辛い梅干しは売れなくなった.
 そこで梅干しの産地で生まれたのが,塩抜きしてから鰹節で風味付けした梅干しであった.これは白飯がなくてもそのまま食べられるのでヒットした.今ではこれが市販品梅干しの主流である.
 続いて,さらに減塩を進めてハチミツ漬けが登場した.いずれも,米の飯なしでも食べられる点が消費者に喜ばれた.これらの「調味梅干し」は,酸っぱくて塩辛い梅干しひとつで米の飯を大量に食う時代が終わってから世に現れた食品である.(ちなみに,私はハチミツ漬けの梅干しは好きでない)
 つまり減塩の梅干しは,サッカリンや毒性のあるズルチンでも「甘いものはいい」とされた下重さんたちの時代とは無縁の食品である.今では高齢者でも忘れかけているサッカリンなんぞを,ハチミツ漬け梅干しを貶すために持ち出すのは,酷いいいがかりである.そんなデマが書かれた下重さんのエッセイを読んだ若い人たちは,信じてしまうかも知れない.私くらいの年輩の者たちは,下重さんの書く文章に嘘が多いことを承知しているので騙されないが.
 
 下重さんは《昔から言う。「甘いわなに注意せよ」と》と書いているが,その文脈では,ハチミツ漬けの梅干しが「わな」であるということになる.
 ハチミツ漬けの梅干しに,例えば健康に悪いなどの「わな」が仕掛けられていると言いたいのであれば,証拠を示せと言いたい.
 梅干しのデタラメな作り方を書いて原稿料を稼ぐような人間がなーにを言っておるのか.いい加減にせよ.
 
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ウクライナに自由と光あれ
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(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)


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