重信氏のこと
日本赤軍が1974年にオランダのハーグで起こしたフランス大使館占拠事件 (ハーグ事件) への関与をめぐって逮捕監禁罪・殺人未遂罪などで起訴され,最高裁で懲役二十年の判決により服役した重信房子氏が刑期を満了して出所した.重信氏のことは,高齢者はよく記憶しているだろうが,二十代,三十代の若い人たちは全く知らないだろう.日本赤軍もハーグ事件も,既に半世紀前のことだからである.
氏は刑期満了に当たって手記を発表し,産経新聞が全文を掲載した.他紙は手記の要約は掲載したが,全文掲載には追随していない.俗な言葉を用いれば,重信房子はオワコンだとの判断が産経を除く各紙にはあると思われる.
彼女の手書きの手記は,タイトルを「再出発にあたって」とし,健康状態のことがあるからと思われるが,記者会見における長時間の質疑応答を避けるために手記と別に,予めメディアから受けた質問に対する回答集も配布した.
にもかかわらず手記および質問回答集と重複する質問をするメディアがあった.「出所された現在のお気持ちはいかかですか?」という陳腐も極まる質問だ.たぶんテレビ局の芸能記者だろう.
さて,新聞各紙の記事の見出しに「武装闘争路線」とか「謝罪」とかあるが,それはもう過ぎ去った昔のことだ.誰の関心も呼ばないだろう.そんなことではなく,私が重信氏の質問回答集を読んで感じ入ったのは,次の箇所である.
【手記から】
《更に獄中で癌に罹患した私の治療に携わって下さった方々、4回の開腹手術で9つの癌を摘出し、命を助けて下さった大阪医療刑務所、八王子医療刑務所、東日本成人矯正医療センターの主治医ら医師・看護師・刑務官らスタッフの皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。》
【質問回答集から】
《又、公判の最終段階の2008年に癌が発見され、手術を繰り返し、生きてこの出所の日を迎えることが出来たのは、医療刑務所の主治医をはじめとする方々の尽力のお陰です。感謝しております》
《--刑務所、獄生活について何か考えたことはありますか?
「それは大いにあります。日本の司法、刑務所行政は、先進国ばかりか、発展途上の国々よりも、たちおくれている点が多々あります。国連人権理事会などから、改善を求められている死刑制度は、最たるものですが、先進国では、もう、日本と米国位しか死刑を行う国は残っていません。又、『無期刑』が、終身刑化している現実も益々既成事実化されているのを実感します。更に私自身、実感したのは、刑務所の処遇・制度の抜本的改革の必要性です。それなしに、日本は、国際的な人権水準には、とうてい並びえないと思いました。具体的に言えば、その第一は、刑務作業に対する『報奨金』のあまりの低さです。刑務労働に対する国際的な水準とは桁違いです。私も治療の治まった2020年夏から民芸品作りの刑務作業に就きましたが、時給、7円50銭が最初の時給です。一年後の時給は、20円90銭で、一年間にやっと約一万二千円貯まりました。一般的に、受刑者の方々が、「刑務所帰り」という厳しい目のある社会の中で、自立して生きていくための資金を持つことが出来ないのです。他の世界の国々の水準に見合う時給であってほしいと思います。再犯率は、それによって大きく下がると思います。第二は『国民皆保険(国民健康保険)』の日本で、受刑者には、それが適用されていない点です。厚生労働省ではなく、法務省の管轄に受刑者たちの医療がおかれているためです。刑務所の医療は酷いもので、当センターに移監されてきても、手遅れのケースが少なくありません。それに、歯科治療は、当センターを含めて、刑務所医療から義歯作りは除外されているために、何十万円という自己負担で治療するしかありません。困窮下にある受刑者に、まったく医療が届いていません。幸運にも、私は、刑務所でも良い条件に恵まれ医療も適切に受けることが出来ましたが、全受刑者への国民健康保険の適用を願っています。更に第三には、受刑者の処遇に関する規則があまりに詳細に一挙一投足を縛り人間らしい生活を著しく損っていることです。明治時代の監獄法は、その精神・法・矯正教育として生き続けています。現在の、人権を重視する国際社会にふさわしく、受刑処遇や拘留中の規則の抜本的改善が必要だと実感しました」》
既報道であるが,重信氏は2008年にガンを発病し,以来四度の開腹手術を経て,刑期満了で出所時は東日本成人矯正医療センターで闘病中であった.
重信氏が,手記と質問回答集の両方に,医療関係者への感謝の辞を述べたのは,そういう事情があったからである.
ただし氏は上の引用文中に,日本の刑務行政は国際水準から大きく立ち遅れていると述べている.それは《幸運にも、私は、刑務所でも良い条件に恵まれ医療も適切に受けることが出来ました》との思いがあるからであろう.
おそらく重信氏は社会的な関心の高い重要な受刑者であるから,政府は重信氏に充分な医療を施したものと推察される.
従って私たちは「受刑者には適切な医療が届いていない」との重信氏の指摘をきちんと受け止める必要があると考える.
私の父親は刑務官で,刑務所では医務課という部署にいた.そのことがあるため,受刑者の待遇と,与えられる医療について私は関心を持ってきたからである.
我が国の受刑者はほぼ二人に一人が再び刑務所に戻る.刑期を終えて出所しても仕事がなく,飯を食うにも困るからである.貧困は犯罪の大きな原因だが,このままでは刑務所は矯正施設ではなく福祉施設化してしまう..
重信氏は刑務所で民芸品を作る作業に従事したという.他には家具の製作などもあるが,いずれも職業教育訓練とは言い難い.
(受刑者の作業でどのような物が作られているかは《第62回全国矯正展 (全国刑務所作業製品展示即売会) 開催のお知らせ》を参照のこと)
受刑者という前歴は就職の障害である.しかしそれを承知の上で,元受刑者を雇用したいと雇用主に思わせるような人材に訓練する必要がある.あるいは刑務所における受刑者の作業の付加価値を格段に高める必要がある.
そしてそれを原資にして全受刑者を国民健康保険に加入させる.(我が国の建前は国民皆保険であるが,受刑者はその適用から排除されているのが実態である)
そういうことを含めて,受刑者の待遇改善を重信氏は提唱しているのである.
これは刑務所だけではない.他の刑事施設も医療の埒外に置かれている.
例えば昨年三月,名古屋出入国在留管理局 (名古屋入管) に収容されていたスリランカ出身の女性が,体調が悪化して衰弱状態になったにもかかわらず,入管当局は放置し,女性は死亡した.(BBC《名古屋入管に収容中の女性が死亡、遺族が局長ら刑事告訴》[掲載日 2021年11月10日])
被収容者処遇規則 (昭和56年法務省令第59号) に,
《第30条
所長等は,被収容者がり病し,又は負傷したときは,医師の診療を受けさせ,病状により適当な措置を講じなければならない。
2 収容所等には,急病人の発生その他に備え,必要な薬品を常備しておかなければならない。》
と定められているにもかかわらず,実態はこのような状態なのだ.(資料《出入国在留管理庁「入管収容施設内の処遇に関する現状」令和元年12月12日》)
二十年の刑期と闘病は,重信氏の人生観に影響を与えた貴重な経験だったろう.その観点から,刑事施設における医療の問題に取り組んで欲しいと私は思う.(資料《犯罪白書 2020 第5編 再犯・再非行》)
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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