もしも,は無意味だけれど (一)
万年筆のカートリッジインク (プラチナ万年筆のブルーブラック) を買いに,藤沢駅に隣接する名店ビルに出かけた.このビルに入っている有隣堂の文具売り場で購入するためである.
最初はアマゾンで注文して買えばいいと思ったのだが,ふとユーザーのレビューを読んでみた.すると,あるユーザーが「送られてきたインクを使ってみたらとてもブルーブラックとは思えぬ黒っぽい色に変色していた.すごく古いインクではないか」と書いていた.
アマゾンの通販というのは,使用してしまった商品は返品できない.できないことはないかも知れないが,安い商品のわずかな返品返金のために多大な労力をかけるのはばからしい.結局,悪質業者が不良在庫処分の古いインクを送ってきたら,泣き寝入りするしかない.
万年筆のインクに関して,過去にそういうトラブル実例があるのなら,やはりここは信用できる文具店で買うのがよいだろう.そう思って有隣堂に出向いたのである.
さて文具のフロアから階段を使って文庫・新書のフロアに下りて,歩きながら文庫の平台を物色していたら,長谷川眞理子『私が進化生物学者になった理由』が目についた.
長谷川先生の著作はかなり前に一冊読んだことがある.記憶が不確かだが『ヒト、この不思議な生き物はどこから来たのか』(編著,ウエッジ,2002年) だったかと思う.
『私が進化生物学者になった理由』は奥付を見ると昨年末の出版だ.進化生物学の最近の知見はどうなんだろうと興味をひかれて,この文庫を手に取ってレジに向かった.
さて帰宅してベッドに仰向けになって読み始めた.
すると,この本には長谷川先生の自叙伝的な記述のあることがわかった.それを少し長く引用する.
先生は1972年に東大の理科Ⅱ類に入った頃,動物の行動の研究をしたいと思った.しかし当時は分子生物学が華々しく立ち上がった時期で,長谷川先生はその分野への興味を掻き立てられはしたが,しかしきっぱりと踏み切ることはしなかった.次のように,p.47に書かれている.
《大学で出会った先端の生物学は、こうしてどんどん個体から遠ざかり、細胞に、分子に、遺伝子に、とミクロな話になっていった。普通なら、ここで分子生物学にのめり込み、図鑑やドリトル先生の世界は過去のものになるのだろう。しかし、先に述べたように、本当に小さいころから図鑑やドリトル先生に惹かれて動物の研究がしたかった私は、心のどこかで丸ごとの個体としての動物の研究への興味を捨てることはできなかった。
ところが、そういうマクロな生物学は、東大では存在が見えてこなかった。ミクロの生物学もおもしろかったし、一生懸命理解しようとはしたが、二年生になって進路を決めるとき、生物学を選択しようとする決定打には欠けていた。そこで、地球物理学にしようかな、それで海洋をやって、海の底にでも行こうかな、と漠然と考えていた。海洋というところに、生物に対する未練が垣間見られるのである。》
私はここまでをベッドに寝転んで読んでいたが,次のページをめくって三行目を読んで,がばと起き上がった.
《ついにマクロの生物学へ
ここで、私をマクロの生物学に決定的に揺り戻す大転回が起きた。それは二年生の後期に受けた菅原浩先生の講義である。先生は動物学教室のご出身で神経生理学がご専門だったが、その年は退官の年であり、先生の最期の授業だった。そこで、先生が「今もっともおもしろいと思う分野」ということで、動物の行動と進化に関する講義をなさったのである。自分の専門では全然ないが、「私が今二〇歳だったら、これをやりたい」とおっしゃって、それはそれはおもしろい講義シリーズだった。
おりしも一九七三年、分子生物学が真っ盛りのときであるにもかかわらず、動物行動学の祖である、カール・フォン・フリッシュ、コンラート・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲンの三人が、ノーベル医学・生理学賞を受賞したのだ。ときは、遺伝暗号解明の興奮の時代であり、分子生物学によって初めて、生物学が物理学のような理論の解明に入ろうとしていた時代である。動物の行動と進化の研究は決して主流ではなかったのだが、このノーベル賞によって、それが生物学の一つの分野として公式に認められた。これは画期的なことだった。》
《……》
《神経生理学をご専門とされていた菅原先生は、行動を引き起こす基礎である神経のミクロな研究をされていた。そこで、神経系の活動のマクロな結果である個体の「行動」というものが、その個体の生きる生態環境との関係でどのような意味を持ち、それゆえにどのように進化してきたのかを探る動物行動学は、先生にとって新鮮でおもしろく、そして重要な分野に感じられたのだろう。「これは自分の専門ではないので、私自身、いろいろ勉強した受け売りである」と断りをつけられたが、今もし自分が二〇歳だったら、この分野の研究をしてみたいとおっしゃり、先生自身、わくわくしながら授業の準備をされただろうことがよく伝わってきた。
この授業で、私は初めて、ガン・カモ類のヒナが、孵化後数分の間に見た動くものを親と思ってどこまでもついていくようになる「刷り込み」という行動があることを知った。また、動物は人間と同じように世界を認識しているのではないことや、渡り鳥が渡りをする仕組み、信号とコミュニケーションなどについて学び、自然淘汰と性淘汰という進化の理論の基礎を教わった。
それまでの生物学の授業で習った、細胞内の細かい代謝の仕組みやDNAの構造もおもしろかったが、行動の話はそのようなミクロな話とは異なり、まさに丸ごとの個体が生きて行くことにかかわる話であり、目を奪われるようだった。それは目に見えない話ではなく、実際に生きて動いている動物の暮しの話だった。つまり、ドリトル先生の世界が、本当に学問として存在したのである。》
この箇所 (p.47~50) は,長谷川先生が御自身の学問の方向を決めるにあたって、菅原浩先生の動物行動学の講義が大きく影響したという,本書の重要な部分なので、途中を省きつつ、かなり長く引用した。
私がベッドで本書のこの箇所を読んだとき,やおら起き上がって姿勢を正したのは,私が駒場で教養学部の学生だったとき、クラス担任の教授が菅原浩先生だったからである.
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ウクライナに自由と光あれ
(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)
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