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2022年4月 9日 (土)

判断を他者にゆだねて,自分は文章の責任をとろうとしない人

「オトナのエンタメ教養バラエティー」を標榜するウェブメディア「大人んサー」に,ウクライナで行われているロシア兵の凶行について,近畿大学生物理工学部准教授 (心理学) の島崎敢氏が寄稿している.
 大人んサー《ロシア兵が「残虐行為」に走ったのはなぜ? ナチスとの共通点を心理学で解き明かす》[掲載日 2022年4月9日 08:10] から下に引用する.

この結果は、「普通の人」であっても、役割が与えられ、権威ある人から命じられるなどの状況がそろえば、容易に深刻な暴力行為をしてしまうことを示しています。そんなバカな、と思われるかもしれませんが、この実験の参加者は、家族を人質に取られたり、自分の命に危険があったりしたわけではありません。そんな状況でもこういう結果が出ているので、もし軍人として戦闘に参加させられ、命の危険を感じるような状況下で、上官から「蛮行」を命令されたら、あなたは毅然(きぜん)と断ることができるでしょうか。
 
「ごく普通の人」だった大量虐殺者
 ミルグラムの実験には「アイヒマン実験」という別名があります。アイヒマンはナチスドイツの軍人で、ユダヤ人大量虐殺の実行責任者として、戦後、その責任を問われた人物です。これだけ聞くと大変な極悪人だと思われるかもしれませんが、平時のアイヒマンは、職務に忠実で家族を愛する、ごく普通の人だったそうです。
 アイヒマンは裁判の中で「私は命令に従っただけだ」と発言したとされます。ミルグラムはこれを聞き、「普通の人が、命令されただけで本当にそんな蛮行をできるのだろうか」という疑問を持ち、先述の実験を行いました。結果は先ほどお示しした通りですが、筆者には、ロシア兵によるウクライナでの蛮行も、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺も、同じ構図のように思えてなりません。
 ミルグラムの実験は、それまでの人間観を大きく変えるもので、大変な話題になりました。一方で、実験参加者にも深い心の傷を追わせることになり、多くの批判もあって、心理学の研究倫理を見直すきっかけにもなりました。従って現代では、このような実験を再現することはできませんが、この実験によって、戦争が人に与える役割や状況は、普通の人の「内なる悪魔」を容易に引き出し、蛮行をさせてしまうことが明らかになりました。ロシアが戦争を始める前に、この貴重な知見を生かせなかったことが、悔やまれてなりません。
 繰り返しますが、ロシア軍の蛮行は許されることではありません。しかし、ミルグラムの実験結果に従えば、蛮行をしたロシア兵も、役割や状況がそろってしまっただけで、普通の人なの かもしれません 。 もしそうだとすれば 、私たちが憎むべきなのは、人間に蛮行をさせる役割や状況を与えてしまう「戦争」そのものであるべきです。
 国レベルでは、戦争には勝ち負けがあります。しかし、勝とうが負けようが、当事者は(今回のロシア兵も含めて)深く傷つきます。国際社会がこの戦争を止められなかった時点で、人類が戦争に敗北したのだ、と言えるの かもしれません 。この戦争が早く終わることを、そして、普通の人を悪魔に変えてしまう戦争が二度と起きないことを願ってやみません。》(引用文中の文字の着色と下線による強調は当ブログの筆者が行った)
 
 まずこのブログ記事の読者のために,島崎氏の文章に出てくる言葉の解説を掲げる.
 Wikipedia【アイヒマン】
 Wikipedia【ミルグラム実験】(ミルグラム実験=アイヒマン実験)
 このWikipediaの記述通りのことを島崎氏は述べている.つまりミルグラム実験に関する限り,全く問題のない文章である.
 ところが,文章の後半は,極めてアクロバティックな主張となっている.
 まず島崎氏は,ロシア兵が《普通の人なのかもしれません》という仮定の条件を立てているが,仮定から導かれる結論は推定形の「私たちが憎むべきなのは,人間に蛮行をさせる役割や状況を与えてしまう「戦争」そのものであるべきかもしれません」のはずである.
 それなのに氏は《戦争そのものであるべきです》と断定している.うっかりすると騙されてしまうが,このように仮説にすぎないことを事実のようにすり替えるのはデマゴーグの論法である.
 こういう種類の論者は,自分の主張が間違っていた場合,誤りを指摘する他者に対して「だから私は“普通の人なのかもしれません”と仮定形で言ったのだ.それを勝手に“普通の人です”と変えて受け取ったのはあなたじゃないですか」と反撃する.
 誰かの文章中に「かもしれません.だとすれば……」や「かもしれません」という表現が出てきたら,それは読者を騙す気満々のインチキである.心したいものである.
 
 ついでに言うと,戦争犯罪を「戦争」のせいにすることは,戦争犯罪者を免罪することだ.「戦争」という抽象概念を処罰することはできないからである.
 上に引用した文章で島崎氏は「アイヒマンは命令に従っただけである.普通の人だったのだ.アイヒマンは悪くない.憎むべきは戦争なのだ」と主張する.
 そうだろうか.
 島崎氏の論理に従えば,東条英機は処刑されるべきではなかった.悪いのは戦争だったのだ,ということになる.
 同様に,プーチンが「私がウクライナの人々をロシア兵に虐殺させたのは,戦争のせいです.私が悪いのではありません」と言ったら,島崎氏は納得してプーチンを許すだろう.しかし健全な常識を有する人々は,そんな言い逃れを許さない.私たちが憎むべきは概念である戦争ではなく,戦争犯罪者なのである.概念は処罰できない.
 戦場で行われるすべての犯罪すなわち虐殺も拷問も略奪も強姦も,すべて「戦争のせい」で済まされるのであれば,そもそも戦争犯罪が成立しない.
 島崎氏の論理は「もしヒトラーがナチス・ドイツ敗戦後も生きていたら,無罪放免にすべきだ」である.「悪いのは戦争であって,ヒトラーは普通のひとだったのだ」と島崎氏は言う.それを世界の人々に向かって言う度胸があるなら言うがいい.
 しかし,昔々,自分がやった連続殺人を「みんな貧乏が悪いんだ」と言って世間の反感を買った男がいるが,あれと同じで「みんな戦争が悪いんだ」はただの言い逃れであると私は思う.
 
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ウクライナに自由と光あれ
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(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)


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