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2022年4月12日 (火)

英国は最後まで戦う

 Wikipedia【ジョン・ブル】に《ジョン・ブル(John Bull)は、擬人化されたイギリスの国家像、もしくは擬人化された典型的イギリス人像のことである》とある.
 しかしこれだけでは何のことやらわからぬ.Wikipediaにおけるダメな解説の典型である.
擬人化された典型的イギリス人像》とは何か.Wikipediaは英単語集じゃないのだから,それを書かなきゃお話にならない.
 で,ジョン・ブルとは「不撓不屈」を擬人化したものである.例えばW.チャーチルをイメージするのがよい.
 
 先日,英国のジョンソン首相がウクライナを電撃訪問して世界を驚かせた.(NHK《英 ジョンソン首相 ウクライナ訪問しゼレンスキー大統領と会談》[掲載日 2022年4月10日 10:01]) 
 これは先日,ウクライナのゼレンスキー大統領が英国議会で演説した時,第二次大戦時に首相に就任したチャーチルの演説を引用したことに対する返礼を意味している.
 従ってジョンソン首相はウクライナ訪問にあたって,当然のことながらチャーチルのその演説を強く意識していたと思われる.
 ナチス・ドイツに対する不撓不屈の戦いを英国民に訴えたチャーチルの演説 (1940年6月4日の英下院における演説) は既にこのブログで紹介したところであるが,下に最も有名な箇所を再掲する.(翻訳文の引用元)
 
我々は気力を失うことも仕損じることもない。我々は最後までやる。我々はフランスで戦う、我々は海と大洋で戦う、我々は日々自信を強め、力を強め、空で戦う。我々はいかなる犠牲を払おうとも、自らの島を守る。我々は海岸で戦う、我々は水際で戦う、我々は野原と街頭で戦う、我々は丘で戦う。我々は決して降伏しない。そのようなことを私は一瞬たりとて信じぬが、たとえこの島やその大部分が征服され、飢えに苦しむとも、神の御加護のある時に、新世界がその全力をもって旧世界の救助と解放に向かうまで、海の向こうで英国艦隊が武装し保護する、我らが帝国は闘いを続けるだろう。
 
【原文】 We shall not flag or fail. We shall go on to the end, we shall fight in France, we shall fight on the seas and oceans, we shall fight with growing confidence and growing strength in the air, we shall defend our Island, whatever the cost may be, we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills; we shall never surrender, and even if, which I do not for a moment believe, this Island or a large part of it were subjugated and starving, then our Empire beyond the seas, armed and guarded by the British Fleet, would carry on the struggle, until, in God's good time, the New World, with all its power and might, steps forth to the rescue and the liberation of the old.
 
 元空将補の横山恭三氏によると,近代戦争に関する有名なクラウゼビッツの「戦争論」では,戦争行為の目標は敵の抵抗力を奪うことであるという.
 抵抗力には三つの要素すなわち,(1) 戦闘力 (航空機,艦船を含む兵器),(2) 国土,(3) 戦意,の維持がある.そして敵の抵抗力を奪えば,講和に持ち込んで戦争に勝利することができる.
 逆に言うと,戦闘力を失い国土を失っても,戦う意思が挫かれなければ敗北にはならないのである.
 第二次大戦中,ドイツの電撃侵攻の前に英仏連合軍は北フランスを失い (1940年5月17日~),英仏連合軍はダンケルクからドーバー海峡へと追い落とされた.この時の英国軍の撤退作戦が名高いダンケルクの戦いである.
 Wikipedia【ダンケルクの戦い】から下に引用する.
 
イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは、イギリス海外派遣軍とフランス軍からなる約35万人をダンケルクから救出することを命じ、イギリス国内から軍艦の他に民間の漁船やヨット、はしけを含む、あらゆる船舶を総動員した撤退作戦(作戦名:ダイナモ作戦)が発動された。その一方、ブレストに在泊していた強力なフランス艦隊は、混乱の中で何もしようとしなかった
 ドイツ軍はアラスの戦いでの連合軍の反撃を、近く行われる連合軍の本格的な反攻作戦の端緒と誤認し、酷使した機甲部隊の温存をはかり、また空軍大臣ヘルマン・ゲーリングの大言壮語もあって、ドイツ空軍による攻撃でこれを阻止しようとした。
 しかしイギリス空軍の活躍と、砂浜がクッションとなって爆弾の威力が減衰したことなどもあり、連合軍のほとんどは海からの脱出に成功した。なおこのとき、カレーで包囲されていたイギリス軍部隊はドイツ軍を引きつけておくために救出はされなかった。この部隊の犠牲もダイナモ作戦の成功の一因であった
 この戦いで、イギリス軍は約3万人の兵員を捕虜として失い、880門の野砲、310門の大型火砲、約500門の対空砲、約850門の対戦車砲、11,000丁の機関銃、700両近くの戦車、20,000台のオートバイや45,000両に及ぶ軍用車両とトラックなど、重装備の大半の放棄を強いられた。数十万の兵士がほぼ丸腰で帰還、イギリス軍は深刻な兵器不足となる。しかしこの撤退はイギリスにとって人的資源の保全と、戦意の維持という意味では大きな成功を収めた》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 英国軍はカレー残留部隊の他に,脱出作戦を援護した多数の英空軍 (RAF) 機を失った.Wikipedia【ダイナモ作戦】から引用する.
 
ドイツ空軍機が132機の航空機を失ったのに対し、RAFの損失は474機だった。しかし、撤退兵たちはこの大きな支援に関してほとんど気づかなかった。なぜなら、霧が深くて彼らには見えなかったからである。多くの報われない航空兵は、何の支援もなく任務を遂行した。
 
 チャーチルは著書『第二次大戦回顧録』の中で,英空軍が独空軍から撤退兵を守るもっとも重要な役割を担っていたと述べ,英空軍の支援なくして連合軍はこの撤退を成功裏に終わらせることはできなかっただろうと記した.
 また,チャーチルは1940年5月31日,英軍も仏軍も平等に撤退させよと軍に命令し,実際に英軍が撤退の最後尾を務めた.
 英国に逃れた仏軍十万は英本土各地のキャンプに配置され,のちに英船舶で運ばれて半数がドイツ戦線に展開した.
 このように,連合軍の最終的な勝利を支えた不撓不屈の戦意はチャーチル率いる英国のものであった.ジョン・ブルが象徴するのはこれである.
 今回のプーチンの戦争に対する制裁については,ドイツはエネルギーをロシアからの輸入に頼っているため,ドイツ政府の腰が重い.
 フランス政府も,ルノーがロシアでの営業を続け,ゼレンスキー大統領に非難されてようやく営業停止する始末.ロシアのために酷い目に遭ったポーランドはフランスの弱腰を厳しく非難した.
 しかも今,中道の現職マクロン大統領は,極右のルペン候補に肉薄されて危うい.ルペンは親ロシアであるから,ルペンが当選した最悪の場合,フランスはロシア制裁から離脱する可能性が出てきた.NATO離脱もあり得る.
 
 第二次大戦のときもそうだった.ナチスの支配が始まると,フランス国民の多くはあっと驚く掌返しをしたのである.
 1940年6月17日にはドイツとの和平を望むフィリップ・ペタン元帥が首相となった.ペタンはフランス国民の熱狂的な崇拝対象となった.
 フランス政府は同年7月1日に臨時首都のボルドーから中部の都市であるヴィシーに移転した.これがヴィシー政府である.
 政府主席兼首相にはペタンが就任し,副首相にはピエール・ラヴァルが就任した.ラヴァルは議会制民主主義の放棄と露骨なナチズム礼賛を宣伝し,反英感情をあおった.こうしてフランスはナチズムの一翼を担うこととなったが,これに驚いたのはヒトラーで,次のように語った.
 
国防軍最高司令部長官カイテル元帥と次のような会話をしている。「フランスが我がナチズムを信奉しているとは知らなかったな」「そうと知ったら攻撃の必要はありませんでした。まるで同士討ちをした想いです」》(Wikipedia【ヴィシー政府】)
 
 ところが,ヒトラーをして呆れかつ大いに喜ばせたフランス国民は,ドイツが敗北すると,またもや豹変する.
 
1943年1月、フランスの指導者を決める為のカサブランカ会談が開催されたが決着しなかった。5月にフランス国内のレジスタンス組織全国抵抗評議会はド・ゴールをレジスタンスの指導者と決定したが、6月にアルジェリアで結成されたフランス国民解放委員会(英語版)はド・ゴールとジローを共同代表とした。この二頭体制は11月にジローが辞職するまで続いた。委員会は翌1944年にフランス共和国臨時政府に改組され、ド・ゴールが代表となった。
 1944年6月、連合軍によるヨーロッパ大陸への再上陸作戦・ノルマンディー上陸作戦が成功した。その後ドゴールは祖国に戻って自由フランス軍を率い連合軍と共に戦い、同年8月25日にパリを解放した。翌26日にエトワール凱旋門からノートルダム大聖堂まで凱旋パレードを行い、シャンゼリゼ通りを埋め尽くしたパリ市民から熱烈な喝采を浴びた。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 ヒトラーがくれば傀儡のペタンを崇拝し,ド・ゴールが戻ってきたら唐突にシャンゼリゼでド・ゴール万歳だ.ラテン系の面目躍如である.
 昨日まで鬼畜米英,撃ちてし止まんと言っていたのに,敗戦したら教師が「これからは民主主義です」と言って教科書に墨を塗らせ,子供は進駐軍のジープに群がって「ギブミーチョコラ」と言い,ラジオを聴いて「カムカムエヴリバディ,へいわになーれ,へいわになーれ」と掌返しをした日本人と同じだ.大和民族はラテン系だったのである.
 余談だが,私は幼稚園児のとき (今なら年長さんだ),前橋市内を通過して米軍相馬ヶ原演習地 (群馬県) に向かう米軍ジープの車列に歓声をあげて手を振ったら,陽気なGIがチョコレートと夏ミカンをばら撒いてくれた.しかし園児たちは,駄菓子屋の店から飛び出てきたばばあに張り倒され,せっかく手に入れたお菓子を取り上げられた.あのばばあ,今でも顔を覚えているぞ.
 それはともかく,今のフランス人は,自由と平和とか,民主主義と人権とか,そういった諸々の価値観を人生の大義として生きるのが嫌いだと思われる.それらの価値観の源の国なのに.
 その点では,イギリス人は立派だ.全欧州がロシア=復活ソ連の属国になっても,エリザベス女王とチャーチルの古い録音演説を聴いて奮い立ち,最後まで悪魔の国ロシアと戦うだろうと思うのである.
 
 青年たちは銃をとり,女たちは銃後を守る.侵略に挫けない心を歌った第一次大戦時の流行歌がある.
 
Keep the home fires burning
[歌詞]
They were summoned from the hillside,
They were called in from the glen,
And the country found them ready
At the stirring call for men
Let no tears add to their hardships
As the soldiers pass along,
And although your heart is breaking,
Make it sing this cheery song:
Refrain
Keep the Home Fires Burning,
While your hearts are yearning.
Though your lads are far away
They dream of home.
There's a silver lining
Through the dark clouds shining,
Turn the dark cloud inside out
Till the boys come home.
Overseas there came a pleading,
"Help a nation in distress."
And we gave our glorious laddies—
Honour made us do no less, [or Honour bade us do no less]
For no gallant son of Freedom [or For no gallant Son of Britain]
To a tyrant's yoke should bend, [or To a foreign yoke shall bend]
And a noble heart must answer [or And no Englishman is silent]
To the sacred call of "Friend".
 
留守を守りなさい.
いま戦地の若者たちは故郷に思いを馳せているでしょう.
黒雲の裏にある光を信じましょう.
若者たちが帰ってくるまで.
 
 ウクライナから逃れた人々がこの歌を思い出し,夫の,息子の生還を祈ってくれますように.
The D-Day Darlings - Keep the Home Fires Burning (Official Video)
  
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ウクライナに自由と光あれ
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(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)

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