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2022年4月24日 (日)

侵略戦争に対して学問は何ができるか (4/28追記)

 十日も前のことは忘れがちになる今日この頃,四月十二日に行われた東京大学学部入学式で映画作家の河瀬直美氏が述べた祝辞が物議を醸した,あるいは強い批判を招いた,という話を書く.
 物議を醸したというのは,祝辞中の次の箇所である.
 
例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 河瀬氏は,「ロシアの正義」に「ウクライナの正義」を対置させている.相容れない複数の「正義」が存在するなら,日本語として「正義」を使う意味がない.大仰に「正義」とすることなく単に「言い分」とすればいいのである.
 で,河瀬氏と同じく「ロシアもウクライナも,両方悪い」「どっちもどっちだ」という意見がメディアで散見される.
 この風潮に対する批判として,国際政治学者の細谷雄一氏 (慶應大学教授) が投稿した連続ツイート (3/26) が評判を呼んだ.河瀬氏が式で祝辞を述べる前である.
資料1.細谷氏の連続ツイート
資料2.HUFFPOST《「ロシアもウクライナも両方悪い」は不適切。細谷雄一教授の連続ツイートが「WEBで読める決定版と言える論考」と反響》[掲載日 2022年3月30日 14:58]
資料3.HUFFPOST《河瀨直美監督の東大入学式での祝辞、国際政治学者から批判相次ぐ。「侵略戦争を悪と言えない大学なんて必要ない」》[掲載日 2022年4月13日 12:52]
資料4.Forbes《ウクライナ、ケンカ両成敗論はなぜ現れるのか》[掲載日 2022年4月17日 11:00]
資料5.河瀨監督の祝辞に対する細谷雄一氏の連続ツイート
ロシア軍が殺戮している多くは妊婦や子供など罪のない一般市民。他方でウクライナ軍は、自国の国土を蹂躙して、市民を殺戮するロシアの侵略軍を撃退している。この違いを見分けられない人は、人間としての重要な感性の何かが欠けているか、ウクライナ戦争について無知か、そのどちらかでは。
これだけテレビや雑誌や、ネット動画など、多くのところで優れた専門家が、ウクライナ情勢について丁寧に実際に起きていることを解説しながら、それらをきちんと読んだり視聴したりせずに、また理解し吸収する努力をせずに、安易な言葉で道徳的な優越的立場に立つことは、単なる知的な怠惰では。
結局の複雑な現実の国際情勢や、軍事情勢を理解する努力をせず、「戦争はいけない」というマジックワードであらゆる問題に関して思考停止することが、戦後平和教育の成果なのか。その次に、それでは現在の和平協議のどこに問題があり、双方がどのように譲歩する必要があるか、何が障害かを知るべきだ。
それが最高学府における入学生へのメッセージだとしたら、これからの四年間、国際政治を学んだり、欧州国際政治を学んだり、国際法や安全保障を学んだり、外交史を学ぶことにどのような意味があるのか。「戦争はいけない」→「戦争を学ぶことはいけない」→戦争や安全保障については無知が最良?
少なくとも、国際ニュースをもう少し見ていれば、ブチャ虐殺以降に国際世論が完全に変わっていっていることに気づくはずで。そうであればあのような発言はできないのでは。ロシア兵にレイプされた女性や母親を殺された子供の前で、「ロシアの正義」について同じ言葉を告げられるのでしょうか?
ウクライナ軍はロシア国内で、ロシア女性をレイプしたり、病院を爆撃したりしていません。社会においてあらゆる善悪の観念を取り払い、相対主義に陥るのは恐ろしいこと。なぜその前に、弱者や犠牲者の悲しみの声に寄り添う愛情や優しさを示せないのだろうか。悲しい。
 
 細谷氏は河瀬氏に対して《ロシア兵にレイプされた女性や母親を殺された子供の前で、「ロシアの正義」について同じ言葉を告げられるのでしょうか?》と述べた.
 さらに細谷氏は,よほど怒りを抑えることができなかったのだろう.「人間としての重要な感性の何かが欠けている」「無知」「知的怠惰」「思考停止」「相対主義に陥るのは恐ろしい」「弱者や犠牲者の悲しみの声に寄り添う愛情や優しさを示せないのだろうか。悲しい」と記して,最上級の非難を河瀬氏に対して行った.
 以上の経緯 (資料1~5) をみるに,どうみても河瀬氏の完敗と言わざるを得ない.細谷氏が指摘するように,河瀬氏は国際ニュースはあまり観ていないように思われるのだ.
 それなのに,なぜ自分が知識を持っていないことについて,大学の入学式と言う公式行事で見解を述べる気になったのか.友人知人との会話であれば「ロシアの正義」を擁護することに何の問題もないのだが,細谷氏に指摘されたように人並以下の知識しかないのであれば,公式行事で登壇して語ってはいけなかったのだ.なぜなら,河瀬氏の見解を聴いた学生は質問もディベートも許されず黙って拝聴するしかないのであり,従って河瀬氏の祝辞は,学問の府で大切にされる「フェアネス」を損ねること甚だしいからである.
 さらに言えば,細谷氏が《ロシア兵にレイプされた女性……》と厳しく諫めているのも,河瀬氏の「アンフェアネス」なのである.
 
 ところでついでに,昨年末にNHKが放送した《河瀬直美が見つめた東京五輪》において,五輪反対デモに参加しているという男性が「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」という字幕が付けられた「捏造」事件に触れておく.
 事件の経緯は東京新聞《NHK五輪番組の虚偽字幕問題 河瀬直美さんは市民団体の公開質問状に回答せず》[掲載日 2022年2月15日 20:09] に書かれているが,河瀬氏は市民団体の公開質問状を黙殺することで,自らのアンフェアネスを世間にさらけ出してしまったのである.
 
 さて大学の入学式に招く来賓を,大学当局はいつ頃決めるのだろう.河瀬氏くらいの有名人になると,半年前とか一年前とか,スケジュールを抑えるのには,それくらいの余裕を持って依頼したのだろうと想像される.
 それなのに河瀬氏の祝辞は,いま現在起きている戦争であるロシアによるウクライナ侵攻を取り上げている.
 この辺りが,私のような高齢者には違和感がある.
 大学学部の入学式祝辞なのだから,ウクライナで現在進行中のホットな話題ではなく,学問に対する学生という存在の在り方とか,あるいはもっと哲学的な提言などを語って欲しかった.
 例えば,現在社会に生きる若い人たちに問題提起するなら,むしろ古いテーマはどうだろう.かつてのサルトルに倣って「飢えた子供の前で学問は (あるいは映画は) 何ができるか」を新大学生たちに問うて欲しかった.直接的にプーチンにも正義があると学生に訴えるのではなく,一般化して欲しかった.それなら学生に贈る言葉として相応しかったろう.
 
 最後に,河瀬氏は《自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性がある》と述べたが,日本の自衛隊が他国を侵攻するための兵器を所有していると信じているのだろうか.もしそうだとすれば,いま国会で行われている与野党の論戦を聴いたことがないことになる.映画作家以前に,一人の国民として怠惰だということになるが,いかがか.
 
[4/27追記]
 本日発売の週刊文春が報道したところによれば,河瀬氏は2019年5月の映画「朝が来る」の撮影に,撮影スタッフの腹を蹴るという暴行を働いていた.
 文春オンライン《東京五輪公式記録映画・河瀬直美監督 撮影中の暴行でカメラマンが降板》[掲載日 2022年4月27日 16:10] から下に引用する.
河瀬監督は「週刊文春」の取材に対し、事実関係を否定はせず、次のように回答した。
 「3年前に既に、当事者間、および河瀬組内において解決をしていることでございます。当事者同士、および組のスタッフが問題にしていない出来事についての取材に対して、お答えする必要はないと考えます」
 上記のNHK《河瀬直美が見つめた東京五輪》における虚偽字幕の件に,実は河瀬氏が関わっていたが,NHKはそれを隠蔽するために身内を処分する形で強引に幕引きをした,という疑惑がある.そして河瀬氏は公開質問状を無視することで保身を図っている,そう考える人たちがいる.ならば身に覚えがないことでも,何度でも繰り返してきちんと説明すればいいではないかと,私のような常識人は考える.
 今日週刊文春が報道した暴行事件でも同じこと.河瀬氏は取材に対して説明を完全拒否するが,それをアンフェアというのである.
 
[4/28追記]
 上に記した週刊文春の報道に関して,河瀬氏とそのプロデュース会社は文書《文春オンラインの記事に関しまして》を発表し,文春記事の内容を否定した.
 公人 (公式記録映画を撮る監督は公人である) として,メディアに対する姿勢は一歩前進である.
 何を言われても一切無視では河瀬氏の立場が悪くなる一方だからである.
 しかし,昨日の文書では,「暴行」はスタッフの腹を蹴ったのではなく《アシスタントの足元に自らの足で抵抗しました》(意味不明だが,足払いをかけて転倒させたのか) との説明はしたものの,その結果,撮影監督とスタッフ全員が河瀬氏から離れたことについては,相変わらず説明を拒んでいる.自分に都合がわるかろうとよかろうと,説明拒否はよい結果を生まない.
 私は企業社会にいた時にコンプライアンスを担当する部署の責任者だったことがある.その経験からすると,会社が不祥事を起こしたときは,何はともあれ正確な説明を社会に対し行う必要がある.それをやらないと結局は経営者の辞任に発展するのが常である.
 河瀬氏は,東大の入学式の祝辞中で「ロシアの正義」と「ウクライナの正義」を対等のものとした.この「正義の相対化」について,世人の評価の高い論客から厳しい批判を浴びた.しかし河瀬氏は批判を黙殺したままである.ならば今後もう河瀬氏に祝辞を頼む大学はないだろう.それが学問の府の矜持というものだからである.
  
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ウクライナに自由と光あれ
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(国旗画像は著作権者来夢来人さんの御好意により
ウクライナ国旗のフリー素材から拝借した)


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