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2022年2月22日 (火)

戦時の犬や哀れ

 とても評判のよい猫マンガのようなので,ねこまき作『ねことじいちゃん (1)』(初版リリースは2015年) を読んでみた.
 作者のねこまきさんは,経歴を明らかにしていないが,作中人物の言葉が三河弁と思われる (ex.帰ろまいか) ことからすると,愛知県東部の出身ではないかと想像される.
『ねことじいちゃん』のメイン・キャラクター「じいちゃん」である大吉さんは元小学校教員で,この物語が始まった時点で既に七十五歳の戦中派である.
 大吉じいさんの少年時代 (昭和二十五年),子供のおやつはタコ (蛸) だったという思い出が語られる (第6話「夏の思い出」).
 テレビ朝日《ナニコレ珍百景》で紹介されたのを見たことがあるが,愛知県の三河湾に浮かぶ日間賀島はタコで有名な島だという.
 それがあってか,『ねことじいちゃん』の舞台を,wikipedia【ねことじいちゃん】は《作品の舞台は愛知県の篠島・佐久島・日間賀島をモデルにしている》としている.
 Wikipediaで作品舞台のモデルの一つであるとされている篠島のことは,第7話「犬ぎらいの神様」で語られる.
 厳さんは,大吉さんの隣家に住んでいて,大吉さんの幼馴染だ.
 大吉さんと厳さんが暮らしている島には神社があるのだが,この神様は犬が嫌いだと言い伝えられきた.
 昭和二十年,戦況の厳しさが増し,島から出征した若者の戦死が伝えられるようになる.
 すると島人達は,若者の戦死は島の神様の怒りのためではないかと考えた.島の中で犬を飼う者がいるので,それが犬ぎらいの神様の怒りを呼んだのだと.
 おかげで厳さんは飼っていた子犬を大人たちに取り上げられた.厳さんの犬は島の外のどこかに連れていかれた.その子犬がどうなったかはわからない.
 それ以来,源さんは今に至るまでの数十年,頑なに犬ぎらいの神様のお祭りに近寄ろうとしない.
 第7話はそういうお話だが,実は篠島にある八王子社が犬ぎらいの神様なのだ.八王子社の祭神は犬ぎらいだという言い伝えを記載したウェブページは多数あるが,篠島にある大舟という旅館の公式サイトの記載から下に引用する.
 
八王子社の由来
 篠島では新年3日の夜に八王子社の神オジンジキサマが神明神社に渡るとされており、部屋の明かりを消し物音も立てずに島の人々はみんな家にこもるのが風習になっていた。
 ある年に、そのお渡りの最中に犬が吠えた。
 神事は無事終わったものの、それ以来海が荒れてしまい漁業ができなくなってしまった。
 海を沈めて欲しいと八王子社へ祈願へ行くと狛犬が台座から転げ落ちた。拾って置き直したのだが、翌日行くとまた落ちている。
 それが続いたので、八王子の神様は犬が嫌いで怒って海を荒らしていると考えられた。そして島から犬を追い出すことが決まった。
 狛犬も医徳院へ移すと、ようやく海は静まって漁業ができるようになったという。
 
 八王子社の神は男神で,神明神社の祭神は女神である.つまり篠島の神事は,年に一度,男神が女神のところへ一夜の「まぐわい」を行いに訪問するという形の祭りである.まぐわいは豊穣を意味し,神事が滞りなく行われればその年の田畑は豊作となり,海は大漁となる.この形の祭りは各地に残っているが,最も有名なのは諏訪湖の御神渡りである.
 篠島の正月祭礼は「大名行列」といい,篠島町づくり会が運営するサイト《正月祭礼・大名行列》に詳しく紹介されている.また,論文 [折戸耐次「篠島の旧正月行事と祭礼」(南知多町郷土研究会発行『みなみ』通巻6号,p5-10,1968年)] があるらしいが,原著論文はウェブにはないようだ.
 で,篠島のオジンジキサマは,まぐわいの最中に犬に吠えられたので,犬が嫌いになったというのであるが,まあそりゃそうだろう.そんなことをされたら私だって犬嫌いになる.ヾ(--;)
 で,犬を忌避するその言い伝えが発生したことについて民俗学的研究があるのか調べてみたが見つからなかった.もしかすると「犬神」あるいは「犬憑き」と呼ばれることと関係があるのかもという気がするが,そう思う確たる根拠があるわけではない.
 この八王子社の「篠島では犬を飼ってはいけない」との言い伝えは,先の戦争の頃には廃れていたらしい.上に述べたように終戦の直前に厳さんは子犬を取り上げられたと第7話に描かれているからだ.しかし「犬を飼ってはいけない」という島の掟は,島の若者の戦死を機に復活してしまったのである.
 作者のねこまきさんは,実際に篠島に住んでいた老人の戦争体験を,作中の厳さんに投影して描いているように私には思われる.
 だが,飼育していた動物との別れを体験したのは,篠島の人々だけではなかった.
 
 日本の軍部と昭和天皇は,工業資源の枯渇と食糧危機を回避するために中国大陸に侵出し,さらに太平洋に戦線を拡大したのであるが,それは国民に一層の窮乏をもたらした.
 軍部は科学的な戦争遂行能力に欠けており,兵站は自給自足と現地調達とした.開戦直前の御前会議において天皇の「食糧は大丈夫か」との下問があり,これに対して農林大臣の不在のまま鈴木企画院総裁が誤りのある資料を基に「食糧も大丈夫也」と答えたと記録にある.(海野洋著『食糧も大丈夫也―開戦・終戦の決断と食糧』)/(講演録;「開戦・終戦の決断と食糧」について)
 しかし後方から前線に送り出す兵の軍装はいくらなんでも現地調達は不可能であるので,皮革と金属を民間に供出させた.
 金属は昭和十六年に金属類回収令 (昭和十八年八月十二日改正勅令第667号) が公布され,寺からは梵鐘,自治体や学校からは軍人像と偉人像,庶民家庭からは鍋釜が召し上げられた.ただし公共空間に置かれた軍人像撤去は,GHQの占領下でも行われた.撤去された銅像はおよそ千体だったとされる.
 余談だが,戦後,日本の街の中にやたらと女性裸体像が置かれるようになった契機は,東京・三宅坂にあった陸軍出身の首相寺内正毅元帥の騎馬像が供出されて残った台座に,東京藝術大学彫刻学科教授・菊池一雄の手になる「平和の群像」(電通創立五十周年記念事業碑,昭和二十六年;Wikimedia Commons File:037 広告記念像と最高裁判所) が設置されたことであるという.かつて軍人の像が置かれた台座は上部が除かれて低くなり,花が彫刻された.新装の台座に置かれた女性像たちは,敗戦から再起する「愛情」「理知」「意欲」を表し,平和の象徴と捉えられた.
 ここに,女性の裸体像に平和という意味が付与されたのである.
 だが「平和の群像」の建立後,全国に乱立した女性裸体像によって「平和の群像」の意図は忘れられた.
 どこの地方都市に行っても,公共空間には必ず裸婦像があることを私たちは知っている.この現象の意味するところを彫刻家・小田原のどか氏が《彫刻を見よ──公共空間の女性裸体像をめぐって》[artscape誌,掲載日 2018年4月15日号] で次のように述べている.
 
ただし《平和の群像》以後、街頭に乱立した裸体彫刻群にそのようなコンセプトが継承され、裸体が衆目にさらされることの意味づけが個別になされたかといえば、そのようなことはなかったと思われる。そればかりか、公共空間における女性裸体像のはじまりは忘れられ、街頭に裸体を置くという形式のみが踏襲されて現在に至っている。
 
 しかし現在,公共空間に女性裸体像を置こうと考える自治体はもうないのではないか.その代わりに宇都宮の駅前には餃子像が建てられた.亀有駅周辺には多数の両さん像がある.鳥取県境港市には妖怪像が乱立している.これらの他にも,町おこし銅像はあちこちにあるだろう.電通は軍人像の台座の上に女性の裸体像を置いて《裸体が衆目にさらされることの意味付け》を行ったが,宇都宮の餃子像は何を意味しているのか.小田原のどか氏の論考を基に考察してみるのもおもしろいだろう.《彫刻を見よ……》は,私には戦後史の勉強になった.
 余談が長すぎた.金属の供出と同時に,軍装品生産のために国民は生き物を供出させられた.
「戦争×犬×供出」「戦争×馬×供出」でウェブを検索すると,たくさんの資料がヒットする.その中の《戦争にペットまで動員されたってホント?》(国立公文書館アジア歴史資料センター公式サイト) から下に引用する.
 
全国的な皮革不足のなか、1944(昭和19)年に軍需省化学局長と厚生省衛生局長の連名による通牒が全国の地方長官(知事)へ出され、通達された「犬原皮増産確保並狂犬病根絶対策要綱」に基づいて、軍用犬・警察犬や登録されている猟犬、天然記念物の指定をうけた日本犬を除いた畜犬は、献納もしくは供出買上することになりました。[西田秀子2016]
 これにより地方自治体では畜犬(=飼い犬)を供出させる「献納運動」を展開し、東京都では回覧板で飼い犬の献納を勇ましく呼びかけました。
 この時期になると食糧不足に加え、空襲も激しくなっており、飼い犬が野良化すること、さらには狂犬病が流行ることを恐れた当局が、人びとに半ば強制的にペットを献納させ、次々に撲殺・薬殺していきました。
 一部は毛皮や食肉に加工されたようですが、多くは利用されること無く廃棄されたと言われています。
 回覧板に「決戦下犬は重要な軍需品として立派な御役に立ちます」と書かれておりましたが、実際は犬死だったと言わざるをえません。
 
 敗戦の年,『ねことじいちゃん』の厳さんはかわいがっていた子犬を取り上げられた.
 篠島の外でも,たくさんの犬たちが屠殺されて軍服に加工され,あるいは食肉となった.
『ねことじいちゃん』を読んで,私は悲しい昭和の戦争裏面史を改めて学んだ.このマンガの作者に感謝する.

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