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2022年2月13日 (日)

戦後のヒット曲“Pretend” の歌詞は

 昔,中学校二年生の秋に,盲腸炎で市内の外科医院に入院した.
 一日中何もすることがないし,傷口が開かぬようにベッドの上で仰臥したままで暇を持て余した私に,父親が小さいラジオを買ってくれた.葉書くらいの大きさのポケットラジオで,筐体に NIVICO と刻印されていた.
 父親の言うところでは,当時の一流音響メーカーであるビクターの最新ラジオだと言う話だった.
 ビクターなのにどうして NIVICO になるのか当時の私には知るよしもなかったが,ビクターとは日本ビクター (Victor Company of Japan, Limited) のことで,ブランド名称は JVC (Japan Victor Company) であった.JVC の輸出製品ブランドが NIVICO (Nippon Victor Company) だったのである.
 余談だが,昭和の中頃の日本は小型家電,特に半導体ラジオの輸出国だった.また市販されている真空管ラジオも真空管テレビもすべて国産だったはずである.それが今では,ラジオはソニーの一機種を除いてすべて海外製品の輸入になった.
 家庭用の中型ラジオといえばまだ真空管式だった昭和の中頃,入院を機に買ってもらった NIVICO のポケットラジオはその後,大学の卒業まで私の愛用品となった.
 
 さて入院中に私がラジオで聞いていたのは音楽番組だった.
 一週間だったか十日後だったかに退院したあとも,私は夜になるとラジオの音楽を聴いた.
 翌年に三年生となり,高校受験の勉強を始めたが,いつもクリスタル・イヤホン (圧電素子を用いるラジオ用イヤホン) でラジオを聴きながらだった.
 当時のラジオの音楽番組は,リスナーから電話や葉書で寄せられたリクエスト曲をDJがかける番組が主だったが,DJ自身が選曲する形の番組もあった.
 DJで人気があったのは高崎一郎 (「オールナイトニッポン」を立ち上げたことで知られる),ケン田島 (同時通訳者として知られた) のお二方で,いずれもバイリンガルでかつ音楽情報に精通していたから,放送を聴いていると勉強になることが多かった.
 お二人の番組は中高校生が中心的なリスナーだったから,曲のタイトルや歌詞の解釈なんかをよく解説してくれたものだ.
 
 さて英語の歌詞の話.
 高齢者にはお馴染みのポップス曲に“Pretend”がある.この歌は1952年のリリースだが,翌1953年にナット・キング・コールの録音が大ヒットした.その後多くの歌手がカバーして,スンダード曲となった.昭和三十年代当時のラジオ音楽番組では,こういう懐メロ洋楽をDJが割とよく選曲してくれたから,私のような世代の者でも,戦後すぐのヒット曲をよく知っているわけだ.
 さて“Pretend”は有名な曲だから,歌詞を和訳しようという試みがネット上にいくつもある.(英語の歌詞は,ここ)
 中にはあまり語学の得意でない人が頓珍漢な日本語をつづっていたりしておもしろい.
 その中でも《ジャズ歌詞の日本語訳 PRETED》という個人サイトのコンテンツに載っている和訳は酷い.でも自分でヘンだと思わずに堂々としているところは偉い.
【歌詞解説・和訳:Pretend】》を書いている片岡さんは,自分の“pretend”の解釈に疑問を持ちつつ結局,あと一歩なのにそのまま訳文を載せてしまっている.
 この二人の和訳が失敗している理由は“pretend”の意味を辞書通りに「ふりをする」と訳したことである.
 なぜなら,「ふりをする」にはネガティブなニュアンスがあるからだ.
 例えば「警察官のふりをする」「宅配便配達員のふりをする」「銀行員のふりをする」.これらは軽く犯罪の匂いがする.
 また例えば「四十二歳なのに,アラサーのふりをする」.店のお客をだましてはいけない.
 さらに例えば,「馬鹿のふりをする」なんてのもある.(「利口のふりをする」はない.すぐばれるからだ)
 必ずしも常に「ふりをする」が悪い意味の使い方をされるわけではないが,「ふりをする」目的が「他人の目を欺く」ためのことが多いことは確かだ.
 そこで,この歌の実際上のオリジナルであるナット・キング・コールの歌唱を聴いてみよう.(MP3Tube《ナット・キング・コール"プリテンド"》)
 どうだろうか.これはうまく行かない恋をして失意の友を,優しく励ます歌だ.だから,歌詞中に繰り返される“pretend”のどれにも機械的に「ふりをする」という言葉を充てるのは,どうにも違和感がある.もっとよい表現はないだろうか.
 実はある.
「人生って,考え方ひとつだよ.気分が落ち込んでいる時は,私は幸せなんだって思い込めばいいんだ.
 そうすればいい方に転がっていくもんさ」
 この歌の“pretend”はこんな風に,「悲しい時は楽しいことでもかんがえようじゃないか」とまあそんなことを言っているわけだ.
 そういうニュアンスで,こなれた言葉に和訳しているのが《Pretend / プリテンド [日本語訳付き] ブレンダ・リー》だ.
 昔々のDJ氏たちが“Pretend”という歌をそのように解説してくれたのを思い出す.

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