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2022年1月 3日 (月)

戦中派のもうろく

 東洋経済ONLINE《「大吉」のおみくじで喜ぶ人が知らない本当の意味 現代人はおみくじに刺激を求めすぎている?》[掲載日 2022年1月3日 17:00] を読んで,あーあ,こうはなりたくないなあと思った.
 
最後に、おみくじを引く際の作法を聞いた。
「おみくじを引く前に厳守することは、かならず神さま・仏さまに祈念することです。大切なことですので繰り返しますが、まずお参りして、その後で、おみくじを引くのが正しいやり方です。また、おみくじを引いて大凶が出たので、吉が出るまで二度も三度もおみくじを引く人もいますが、これは神さま・仏さまを疑っていることになり、とても礼を欠くことになりますので厳禁です。
 引いたおみくじは境内の『おみくじ結び所』に結ぶといいでしょう。境内の樹木に結びつける人もいますが、これは木々を傷めますので避けたいものです。また、おみくじは聖なるメッセージなので、手元に置いて、時々読み返すことをお勧めします」》(引用文中の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 引用した記事は,東洋経済のライターが,三橋健という神道学者に,おみくじについてインタビューしたものである.
 三橋氏は昭和十四年生まれの戦中派で,もう八十歳を越している.
 それなのにこんないい加減なことを書いていると呆れた.
 
(1) 《引いたおみくじは境内の『おみくじ結び所』に結ぶといいでしょう。
(2) 《また、おみくじは聖なるメッセージなので、手元に置いて、時々読み返すことをお勧めします
 
 (1)と(2)は,日本語の文法上,全くの同格である.
 しかるに(1)と(2)は矛盾している.両立しない.境内のおみくじ結び所に結んでしまったら,手元に置くことは不可能だからである.
 支離滅裂とはこのことだ.
 つまり三橋氏は,歳を取ったせいか自分が何を言っているかわからないのである.こうはなりたくないものだ.
 それに,次の箇所は,この人の「神道」がどんなものかを示している.
 
また、おみくじを引いて大凶が出たので、吉が出るまで二度も三度もおみくじを引く人もいますが、これは神さま・仏さまを疑っていることになり、とても礼を欠くことになりますので厳禁です
 
 おみくじに有効期限という考え方はない.すなわち,三橋氏の主張に従えば論理的に,一度大凶を引いたら二度とおみくじを引くことは許されぬことになる.三橋氏によると,大凶くじを引いてしまったのに,うっかり忘れて次の月にまた引いたりすると何故か神仏を疑うこととされ,これはえらいことだ.
 しかしおみくじというものは,神仏を疑うとか,そんな大層なものではない.
 当たるも八卦.当たらぬも八卦.ということは,三橋氏の主張が間違っているのである.
 同じ日に引いてもいいし,翌週あるいは翌月にまたおみくじを引いても全く構わない.二度引くのは神仏に無礼だという理屈が,私のような常識人にはわからない.
 
 また三橋氏の主張は神道を一神教と見做す考え方である.一神教だとすれば,天照大神も天神 (怨念をもって天孫に仇なす怒りの神だが) もすべての神は同一の存在であるから,複数の神社でおみくじを再び引くのは 皇祖神の神託を疑う《礼を欠く》行為だというわけだ.(それにしても,礼を欠くとか無礼だというのは人間社会の礼儀の話である.神は人と同列の存在ではないのに,神に対する礼儀とはまた妙なことを言うものである)
 八幡神社と神明神社 (伊勢神宮) はかつて国家神道として祀られた神であるが,一般国民の信仰は八百万神を祀ってきた.
 例えば天神信仰(天神神社)は菅原道真が死後に天満大自在天神として神格化された信仰であるし,その他に稲荷神社,諏訪神社,八坂神社,白山神社,日吉神社,浅間神社,春日神社,鹿島神社などがある.
 そのため例えば私の場合,鎌倉の鶴岡八幡宮で凶くじを引いてしまったら「もしかすると日頃の行いが悪いので,そのせいで何かよくないことが起きるのかも知れない」とよく反省し,このくじを境内のおみくじ結び所に結ぶ.これを古くから「結び捨てる」という.
 それから八幡宮の近くにある佐助稲荷に行き,「先ほどは八幡様に御叱りを頂きましたが,よーく反省しましたので,もう一度占ってくださいませ」とお願いして再びおみくじを引く.反省という行為が運命を変えるかも知れないからである.これは観測という行為が電子などの粒子の軌道をかえてしまうという物理学の基礎知識「観察者効果」に似ている.ような気がする.
 再び凶を引いたら,もっと深く深ーく反省して,今度は江ノ島の弁才天でおみくじを引く.もし吉くじをひいたら,おみくじには生活の指針が書かれていることが多いから,これを紙入れ (財布) にでも入れて肌身離さず携帯し,行いを正すのである.
 それでもまだ凶くじであれば,まだ鎌倉長谷の観音さまがお助け下さるかも知れぬ.
「まだ最高裁がある」は映画『真昼の暗黒』(監督今井正,昭和三十一年) の有名な台詞であるが,最後の手段として藤沢の時宗総本山遊行寺でおみくじ (仏籤) を引く.
 それが凶くじなら「神も仏もないものか」と天を仰いで悪運を慫慂と受け入れるがよい.
 この庶民の融通無碍な態度こそ,おみくじの本来の在り方なのである.w
 昔から湘南界隈には正月に七福神巡りをする庶民のならわしがある.私なんぞはおみくじを日に七度も引くぞ.ww
 三橋氏の思想は,すべての神仏を天皇の神格性に統一し,太平洋戦争開戦は止む無しとする聖断は変えられぬと絶対視する危険思想である.ような気がする.www
 ともあれ,こういう老い方はしたくないものであるなあ.

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