« 第六波はいつ | トップページ | 腿ハムとは,腿とハムストリングのことだ »

2021年12月28日 (火)

序列は本来一元的である

 私は上野千鶴子先生を尊敬しているが,NEWSポストセブン《上野千鶴子氏に聞いた「美しい人に『美人』と言ってはいけない理由」》[掲載日 2021年12月25日 07:00] に一部承服しがたい箇所がある.そのところを以下に引用する.
 
上野氏は「美人」発言の問題点について「すでに『ブス』という言葉がタブーになりましたから、その対極にある『美人』も言っちゃダメというのは、論理的にも当然のことですよね」と指摘したうえで、次のように説明する。
「近年、ルッキズム(外見至上主義)という言葉が登場しました。この“イズム”というのは、セクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)などの言葉にも使われているように、“差別”という意味です。ルッキズム(外見差別)という新しい概念の言葉が登場し、イズムがついているということは、外見についてとやかく言うのは差別であり、“やってはいけないこと”に認定されたということです。それは、“褒める”という行為でも同じこと。
 たとえば妻やガールフレンドと一緒に歩いている男が、前から来る別の女を見て、『お、美人だな』とか『お、ブスだな』とか何気なく言ったりするでしょ。その瞬間に、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。そんなこと頼んでもないのに。当然、不愉快ですよね。男というのは、そうやって女をランキングする権力が自分にあると無邪気にかつ傲慢に信じているのです。それが近年になってやっと『そんな権利、アンタたちにはないよ』ということが浮かび上がってきた」》(引用文中の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
(1) 《たとえば妻やガールフレンドと一緒に歩いている男が、前から来る別の女を見て、『お、美人だな』とか『お、ブスだな』とか何気なく言ったりするでしょ。
 
 妻や恋人が横にいる時に,そんな阿呆なこと,ほとんどの男は「何気なく」言ったりはしない.
 頭の中で思うだけである.
 あるいは雨夜の品定めをする.(源氏物語の帚木の巻で,五月雨の一夜,光源氏や頭中将たちが女性の品評をする場面のこと.転じて女性のいないところで女性を……以下略)
 口に出すのは余程の馬鹿 (男性全体の1%/当社比) であるが,意図的に言う場合がないわけではない.それは,男もその恋人も,全くルッキズムに染まっていない場合だ.その条件下では「美人だな」は,着ている服のセンスがいいと言っているのと同レベルの雑談なのである.
 ちなみに,道を歩いている時に前のほうから美人が歩いてくると,上級者 (同20%/当社比) はその美女が数メートル先に来たら視線を外し,前方を見たまますれ違う.自慢ではないが,私は上級者である.
 中級者 (同75%/当社比) はすれ違う時に美人方向に視線が動いてしまうので,妻または恋人に感づかれてしまう.(隠しても,内なるルッキズムが発覚する)
 下級者 (同4%/当社比) は,美人が通り過ぎたのに振り返ってしまう.これは本格的な馬鹿なので,男性一般の習性として論ずるに値しない.
 
(2) 《その瞬間に、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。
 
 上野先生は「一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまう」と否定的に述べているが,しかしすべての評価は,一元的な序列に位置付けられることである.
 例えばピアノの才能は,コンクール優勝者から習い始めたばかりの初心者まで,「一元的序列にサッと位置付け」られる.ここで一元的序列という意味は,絵画の才能と同一の評価軸には乗らないということだ.つまりピアノ初心者は,どんなに絵がうまくても,ピアノの才能の序列では下に位置付けられるのだ.ピアノと絵画の才能を合計してランキングするということはない.(俳句と絵手紙の才能を合計する企画はテレビ番組《プレバト》がやってやれないことではないが)
 これと同じことが,すべての才能について成立する.
 もしも上野先生が主張するように,女性にとって容姿が唯一無二の評価軸だったり,男性にとって金を稼ぐ能力が唯一つの評価軸だったりするのなら,そりゃ否定されるべきだろう.
 しかし今はもうそんな時代ではないと思われる.現代社会のキー・コンセプトは「唯一」ではなく「多様化」だ.
 例えば『お,美人だな』『お,ブスだな』は,福島県相馬市の立谷秀清市長とか森喜朗などの高齢者を除けば,もう大して重要な評価軸ではなくなったのだ.
 日本の女性たち (最近では欧米の女性たちも) は,「美人」の代わりに「かわいい」を物事の評価軸として用いている.
 これは大した発明であって,なにしろ「かわいい」には序列,一元的尺度がほとんどないのである.
 すなわち評価は「かわいい」か「かわいくない」の二択である.
 おまけに「かわいい」は,メイクでも整形でも小顔マスクでもなんでもありだ.
 その上さらに「かわいい」は,女性の容姿とマンチカンやトイプー,お洋服も一緒くたにする.
 そのためこのカオス的に大雑把な「かわいい」は,細かい数値評価をする意味がない.程度を表現するにはチョーを付けて「チョーかわいい」とすればよい.
 これがあまりにも革命的なので,若い男たちも「かわいい」を表現に用いるようになった.(*脚註)
 上野先生,今でも男たちが,美人かどうかで女性を一元的に評価すると考えるのは時代錯誤ではありませぬか.
 
 余談だが,大久保佳代子さんがたまーに見せるかわいらしさは抜群で,私は彼女の大ファンである.
 
(*脚註) MANTANWEB《風間俊介:朝ドラは「分岐点となった作品」 「カムカム」で共演の深津絵里 「これ以上ないくらい可愛かった」》に,《撮影で深津さん演じるるいが僕のところに駆け寄ってくれるシーンがあるんですが、そのときのるいは、これ以上ない!と思うぐらい可愛かったです》とある.
 註のついでに全くの余談だが,「朝ドラ×るい」で検索すると,深津絵里さんが十八歳の乙女を演ずることにネガティブなコメントが多い.風間俊介と同じように「るいは,これ以上ない!と思うぐらい可愛かったです」と思えない人は朝ドラを観るのをやめなさい.

|

« 第六波はいつ | トップページ | 腿ハムとは,腿とハムストリングのことだ »

新・雑事雑感」カテゴリの記事