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2021年12月23日 (木)

猫啼温泉の伝説

 昨日の記事に,ヒサヤ大黒堂のことを書いた.同社は痔の殿堂とも言われている.
 誰が言っているかというと私だ.
 昔々,古今亭志ん朝だったかが「あるところに痔によく効く飴がありまして,飴食って痔固まるなんてぇことを申したものですが」と噺のマクラを振ったのを聞いたことがある.昭和四十年頃のことだ.
 その当時は痔がどんなものかよく知らなかったが,就職した会社の工場勤務となり,暫くして上司が入院した.四十歳くらいの課長だった.
 少し年上の先輩社員に課長の病状を訊ねたら,痔の手術だと教えてくれた.そして,退院してきても手術の件には触れぬようにと言われた.
 痔は,かなり辛く苦しい病気で,「いやあこのあいだ腰をぎくっとやっちゃってねー」などと明るく雑談するような種類の病気ではないんだなーと知った.
 
 深谷かほる作『夜廻り猫』第二巻の107話に,痔猫というキャラが登場する.こんな話だ.

 昔々,福島県中通りの南のあたりに猫がいた.
 飼い主が都会に行くときに置いていかれて,泣いて泣いて,鼠がいなくなってホメられるほど泣いたら痔になってしまった.
 そこで爺様から聞いた話を思い出した.
「あの山の陰さ温泉が湧いでる どんな傷も治っから傷ついたらはいれ」
 そしたら,ほんとうに治った.
 そういう話が福島県石川町の猫啼温泉に伝わっている.
 この猫,痔猫は長生きして,いまは夜廻り猫の平蔵と一緒に温泉に入ったりしている.
 
とまあ,それが107話.
 第七巻619話になってこの猫は再登場し,飼い主とは和泉式部だったと明かされる.
 第八巻677話で,痔猫は,猫啼温泉の湯から,痔に効く成分の抽出に成功したという.
 そこで痔猫は福島中通りの猫啼き温泉から都会に出てきた.痔の薬を売って稼ぎ,妻子に土産を買って帰るつもりだ.
 こうして痔猫は,夜廻り猫平蔵に再会し,『夜廻り猫』のお話の準レギュラーとなった.
 ちなみに『夜廻り猫』作者の深谷かほるさんは,福島県石川郡石川町の出身.
 
 で,私は最初,猫啼温泉は作者の創作だと思った.しかし調べてみたら猫啼温泉は実在したので驚いた.
 しかも,『夜廻り猫』に描かれているように,和泉式部の猫が痔になったという伝説がご当地に伝えられているというのだ.
 私は和泉式部については昏いので,ウェブの資料を読んでみた.
 Wikipedia【和泉式部】によると,越前守・大江雅致と越中守・平保衡の娘の間に生まれて,幼い頃は御許丸と呼ばれていたことまでは確からしいが,出生地が不明.そのため和泉式部が生まれた土地についての伝説がいくつか生じているらしい.
 母方の祖父の任地が越中で,父が越前守だから,何となく父の任地である越中生まれのような印象を与えるが,それは考えにくい.
 和泉式部が生きた十世紀には,行政官たる国司は都にいたまま任地に行かないことが普通になってしまった (Wikipedia【遥任】) ので,彼女は父方母方の一族みんなが住む京都で生まれ育ったとするのが妥当だろう.
 考えにくいことではあるが,和泉式部の出生地は肥前だとする伝説がある.
 国土交通省九州運輸局が設置および運営していると思われる (調べたが確証なし) 九州物語委員会という組織がある.URLは go.jp なので組織的には九州運輸局の下にある政府機関であることは間違いないが,この委員会自身が作成した考えられる資料《九州物語委員会について (観光交流促進における九州の物語の活用に関する検討委員会》は,九州運輸局を後援組織としている.この委員会は九州観光推進機構会長 (JR九州会長) が委員長だけれど,自治体首長は佐賀県知事だけが参加している.特別扱いの理由は不明.全体的にいかにも「官」という印象を与える機関であるが,わずかに文化人枠で筑紫哲也氏,芸能人で南こうせつ氏が委員に任ぜられている.
 後援は九州運輸局,九州観光推進機構,九州旅客鉄道,西日本鉄道,西日本新聞社,NHK福岡放送局,日本航空,全日空,西日本旅客鉄道福岡支社,日本旅行業協会九州支部,全国旅行業協会九州地方協議という錚々たる顔ぶれだ.佐賀県知事が特別扱いなのはなぜかわからない.
 さてその委員会のサイトのコンテンツ《九州物語》に《福泉禅寺の和泉式部生誕伝説》が掲載されている.そこから引用する.
 
物語の概要
 平安時代のある朝、赤子の鳴き声で目を覚ました福泉禅寺の僧たちが周囲を探したところ、お堂の裏で白鹿が赤ちゃんに乳をあげていた。そこに塩田(現在の嬉野市)から大黒丸という夫婦がやってきて、「私たち夫婦は子供がいないので、常々このお寺の薬師如来さまに『どうぞ子供をお授けください』と祈願しておりました。するとゆうべ、『おまえたちの信心に応え、福泉寺に女の子を預けたので明日にでも寺に行き、つれて帰るがよい』と薬師如来の夢のお告げがありましたので早速こちらへ参った次第です」と言った。大黒丸夫婦にもらわれていった女子はとてもかしこく美しく成長し、縁あって宮廷に仕えることになった。それが後の和歌の名手和泉式部である。
 福泉禅寺には和泉式部が故郷を忍んで詠んだという「故郷に帰る衣の色くちて 錦の浦や杵島なるらむ」という和歌の掛け軸が伝わっている。ただし、和歌の下に描かれていたという和泉式部の肖像は剥落してしまっている。
 
 大黒丸夫婦に育てられた養女は御許丸という.和泉式部は幼少時に御許丸とよばれたことは史実であるから辻褄は合っている.
 この由緒にある福泉禅寺を探して見ると,佐賀県杵島郡白石町にある立派な山門の古刹だが,残念なことに公式サイトはなく,和泉式部伝説の情報はない.しかし観光情報サイトには和泉式部生誕の地と紹介されている.
 なぜ町起こしに和泉式部伝説を用いないかというと,どうやら白石町は農業地帯にあり,これまで観光振興に熱心ではなかったと思われる.町議会の議事録 (平成28年第2回白石町議会定例会会議録) には次のような発言が記録されている.
 
町内に、この中に書いてありますけれども、福泉禅寺には平安時代の女流歌人、和泉式部の生誕伝説で有名とうたってありますけれども、これはうたってありますけれども、もう和泉式部は塩田町に先を越されておりますし、ムツゴロウも芦刈のほうにとられてしまっております。潟は芦刈は余りないんですよね。白石が多いんです。それで、ムツゴロウはとられております。そして、ワラスボもこっちはよく食べておられますけれども、佐賀市にとられております。先を越されています。》(引用文中の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 干潟のムツゴロウもワラスボ (有明海特産の不気味な風体の魚) も和泉式部も一緒くたで,みんな他の市町村に取られてしまったと嘆いている.w
 そこで,町会議員に《塩田町に先を越され》といわれている塩田町をみてみる.
 塩田町とは佐賀県嬉野市塩田町である.市役所の公式サイトには嬉野観光マップ・スポットと題したコンテンツがあるのだが,マップ上に「和泉式部公園」はあるが説明は全くない.白石町も塩田町も,全然やる気がないのである.
 もしかすると,観光資源としては弱すぎて,地元でも和泉式部の生誕地なんて話は人気がないのかも知れない.
 では次に,やはり和泉式部出生伝説のある地,長野県下諏訪を調べてみる.
 こちらは山口素堂という人が書いているブログの《下諏訪に残る和泉式部伝説》に伝説が紹介されている.山口素堂氏の説明によると,貧しい百姓の娘「かね」が地蔵尊の助力で美しい容貌を得て,都に昇って大江雅致の養女となった述べている.
 
然るにその頃、京都の貴い方がこの別当の宿にお泊りになり、「かね」の容顔美麗に心奪われ、京に連れ帰ったことから、大江雅致の息女となり、天延二年(974)には橘の道真の妻となった者が、和泉式部その人であると言うのである。
20211223b
 引用文の下の画像は山口さんの記事のスクリーン・ショットである.この箇所,削除されるかも知れぬのでスクショを残しておく (2021/12/23).
 佐賀に伝わるお話では,比較的裕福な家に育った賢い幼女御許丸が大江雅致の養女に出世したというのだが,諏訪の「かね」の場合は,最下層の娘が美貌一発で人生逆転勝利したということのようだ.よかったよかった.
 しかし山口素堂さんは《天延二年(974)には橘の道真の妻となった》と言うのだが,和泉式部の生年は天元元年 (978年) 頃だから,「かね」が結婚した時はまだ和泉式部は生まれておらぬ.しかも「かね」の夫は橘道真だとしているが,和泉式部の夫は一字違いの橘道貞である.というか橘道真って誰だよ.これじゃあ諏訪の「かね」と和泉式部は全然別人じゃん.w
 山口素堂さんのおかげで,諏訪の和泉式部伝説が辻褄の合わぬお笑いになってしまった.もうちょっと落ち着いて記事を書けぬものかと思う.
 というわけだが,塩田の御許丸も諏訪の「かね」も,伝説としては今ひとつの出来である.
「肥前塩田の御許丸がのちの和泉式部である」伝説についても,テキトーなことを書く人がいるもんだから,ダメダメな話になってしまっている.
 個人が何を書こうと構わぬが,伝説の御当地である塩田町の商工会が次のようにテキトーなことを書いているのだ.(商工会公式サイトの《和泉式部伝説》)
 
肥前の国の天才少女のことは宮廷にも聞こえ、御許丸は宮中に召し上げられることになりました。
 御許丸が九歳の時のことでした。
 都での御許丸は、歌人としての素養をすっかり身につけ、黒髪の美しいとても魅力的な女性として成長して行きました。
 やがて、宮廷へお仕えするようになった御許丸は「和泉式部」と名づけられ、歌人として多くの秀歌を詠むようになりました。》(引用文中の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 いうまでもなく平安の世の一般貴族女性は「誰々女 (ex.藤原孝標女;○○のむすめと読む;更科日記の作者)」「誰々妻」「誰々母 (ex.藤原道綱母;蜻蛉日記の作者)」で片づけられているが,女官は父親の官職名を通称として呼ばれることがあった.紫式部や和泉式部がその例である.(レファレンス協同データベースの質問と回答事例)
 特に和泉式部の場合は,夫となった橘道貞の任地が和泉 (八世紀に河内国から分かれた和泉国を指す) だったために,これも合わせて和泉式部と呼ばれたのである.
 塩田町商工会は《宮廷へお仕えするようになった御許丸は「和泉式部」と名づけられ》と書いているが,阿呆なことを言うものではない.「和泉式部」と呼ばれたのは,宮廷に仕えるようになった時からではなく,橘道貞と結婚した後である.それまでの通称は知られていない.
 
 さていよいよ猫啼温泉のことだ.Wikipedia【猫啼温泉】には次の記述がある.
 
歴史
 平安時代中期の女流歌人、和泉式部に縁があるとされる温泉である。開湯伝説によれば、和泉式部が京に上る際に、愛猫を当地において行ってしまった。その置いていかれた猫は、主人である和泉式部を探して啼き続けたと言われている。このことから、温泉名に猫啼温泉とつけられたといわれる。この猫は、その後に病にかかるものの、当地の温泉に浸かった事により元気を取り戻した。このことで、鉱泉の効能に地元の人たちが気づき、湯治場として発展することとなった。
 
 ウェブ上の資料では,和泉式部に置いていかれた猫は「病にかかった」とされているだけである.
 猫啼温泉は観光温泉ではなく元々は湯治場だったということで,旅館は井筒屋と西田屋の二軒があるらしい.
 西田屋には公式サイトはなく,ウェブ上に情報がほとんどない鄙びた旅館のようだが,辛うじて痔疾と婦人病が効能らしい.和泉式部伝説はほぼ無関係の立場のようだ.
 しかし井筒屋のほうは立派な構えの日本旅館の佇まいである.「式部のやかた 井筒屋」と称し,和泉式部感をそこはかとなく出している.
 公式サイトのコンテンツ《猫啼温泉の由来》から,この地の和泉式部伝説を引用する.
 
今を去る千年の昔、平安中期の女流歌人「和泉式部」は、 当地石川の在に生れ、少女の頃、この里にこんこんとして沸く、清水のほとりに来ては、 水鏡で顔を洗い、髪を梳ることを楽しみとし、美しい乙女となった。
その時、式部が櫛を置くことをつねとした石を「櫛上げの石」と称し、今なお、当温泉地内に残っている。 式部の美しさは遠近に聞え、都へ上り、情熱の歌人として、その名を後世に遺した。
故郷にとり残された、式部の愛猫は病み衰えていたが、式部を慕い、 この泉に来ては啼き、泉に浴しているうちに、病体は癒えて、美しき猫となった。 猫を憐れんで見守っていた里人達は、はじめて泉が霊泉であることを知り、 泉水を汲んで入浴したら、諸病に効顕があり、この里を猫啼と名づけ、湯治場を設けた。 霊泉「猫啼」の名は年とともに広まり、名湯として今日に及んでいる。
 
 公式サイトで井筒屋は,和泉式部が飼っていた猫を置いていったという伝説を紹介してはいるが,その猫が痔疾をわずらったとは述べていない.
 では猫が泣きすぎて痔になったというのは深谷かほるさんが『夜廻り猫』の中で創作したことなのだろうか.
 実はそうではないようで,井筒屋に泊まった人が次のように書いている.(《痔の散歩道》)
 
また、井筒屋のホームページには、上記の趣旨のほかに、次のことも記載されている。
「和泉式部は当地では『玉世姫(たまよ姫)』と呼ばれ、愛猫は『そめ』という名が付けられていました。」
 この式部の愛猫の病とは何か。答えは、痔疾である。
 井筒屋の大浴場の脱衣所の壁に、その記載がある。
 以下、こちらも長くなるが引用する。 
「猫啼温泉の由来
 今を去る千年の往時、一条天皇の御代平安中期の女流歌人として其の名を萬世に残せし和泉式部が京に上りし折、此の地に至り滾々と湧き出ずる清水を見つけ髪などを梳り、旅の疲れを癒したり、其の際櫛を置きし石を『櫛上げの石』と称し今なお猫啼温泉地内に残り居ると伝えられる。
 又、旅のつれづれに連れ来たりし愛猫を置き去りしに、式部を恋慕の余り日毎に啼き続け、日一日と痩せ衰い朝な夕な通る狩人達の憐れみも一入なりきこれ猫啼の地名の由来なりと。
 この猫は病体なりしに附近より湧き出ずる泉に浸り、数日にして重態なりし猫の痔疾は治り元気に快復したるとみた狩人達は試みに清水を汲みて入湯せしに其の効果の顕著なるに驚き、広く痔疾の人々に宣伝し其の霊効を今に伝え来る次第なり。」
 
 上記の記事の筆者氏の他にも,「浴室に猫の痔のことが書かれている」とだけ記した旅人もいるが,浴室に書かれている原文を引用した《痔の散歩道》筆者氏に感謝する.
 というわけで『夜廻り猫』に描かれている痔猫のお話は,井筒屋が出どころだと考えられる.
 ここで疑問なのは,井筒屋は浴室の掲示に和泉式部の猫は痔をわずらったと書いているのに,なぜ公式サイトの温泉由緒書きにはそのことを伏せているのか,ということだ.
 一つ推測されるのは,この痔猫の伝説は井筒屋に代々伝わる話ではあるが,福島県の民話伝説として出版されていないということである.
 そのため,公式サイトに記載するのを遠慮しているのかも知れない.
 
 私は以前,滋賀県の民話にまつわる調査を行って,このブログに論考を載せたことがあるが,古書資料を集めるのが一苦労だった.
 猫啼温泉に係る民話伝説を調べるのも大変そうなので,『夜廻り猫』に登場する痔猫のことは,井筒屋に伝わる民話としておくのがよいと思われる.

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