« 巣ごもり飯がうまい | トップページ | もてなしの茶菓を曲解 »

2021年12月19日 (日)

連載「お箸の国の人なのに」(十六)

 一年くらい前のことだったろうか.録画したテレビ番組を観ていたら,吉永小百合様が御出演なさったパイロット万年筆のCМが映っていたので,テレビ画面をカメラで撮影し,万年筆を持つ小百合様の手元をトリミングした.下の画像がそれである.
 
20211219b
 
 今はもう,万年筆をメインの筆記具にしている人はほとんどいないだろう.
 だが日本近代文学の作家は,例外なく付けペンか万年筆で原稿箋や便箋に文字を書いた.文学資料館のようなところに行くと,作家の肉筆原稿が展示されているが,少ない例外を除けば万年筆で書かれている.
 例えば漱石は,「吾輩は猫である」(明治三十八年) は付けペンで書いたが,その後は万年筆を使うようになった.最初はデ・ラ・ルー社のモデル「ペリカン」(輸入は丸善/このモデル名はブランド名の「ペリカン」ではない)を使ったが,次に同社製「オノト」を使い始め,以後はオノトを愛用した.(オノトは製造終了して久しい.漱石が愛用したオノトは漱石の棺に入れられた)
 漱石とは異なって鴎外は新しいものを嫌い,付けペんで執筆を続けたが,やがて万年筆は作家たちに広く使われるようになり,明治期の文豪に始まる我が国における万年筆普及は,昭和の中頃まで続いた.
 
 余談だが私の少年期のことを思い出すと,中学とか高校の入学祝は万年筆が定番 (家が富裕であれば腕時計ということもあった) だった.教室で授業を受ける時はノートに鉛筆書きだが,手紙など改まったものはインク書きするのが当たり前だったからである.
 もちろんビンボーであった私の親は私に万年筆を買い与えなかった (親父に可愛がられた姉は,メタリックなピンク色のセーラー万年筆を買ってもらった).
 そこで私は昭和四十一年に日本発売された中国製万年筆「英雄」を小遣いを叩いて買った.国産万年筆の数分の一と言う破壊的価格で売り出され,瞬く間に全国の高校生のあいだに普及した.
 Wikipedia【英雄 (筆記具ブランド)】に次のような記述がある.
 
万年筆戦争
「英雄」は昭和41年に日本で売り出され、新聞各紙は英雄の品質の高さと価格の安さに着目して「赤いバーゲン」(毎日新聞)などと大々的に記事にし始めた。一例として、昭和41年6月6日、『日本読書新聞』のコラムは「英雄」万年筆について次のように述べている。
三百五十円の『英雄』が私たちの編集部を席巻している。一週間前に登場した『英雄』はペリカンやシェーファーやもろもろの国産品を駆逐してしまった。『英雄』は外貌はアメリカ製パーカーと百%類似しているのだ。違いといえば『HERO』の刻印だけ。そして書き味たるや、滑らかさ、たわみ、ペン先のまろやかな感触、すべて真正パーカーに優るとも劣らぬことを一人残らずとなえている。宣伝めくが、質においても三百五十円のしろものではない。私たちの半数以上は『英雄』を使い始めている」
 英雄万年筆と同じ品質の製品は、国産では小売り価格1000円以上つけなければならないほどコストがかった。これについて当時のセーラー万年筆の阪田正三社長は「中国製のペンは減りが早く、また中国は人件費が安いうえ外貨獲得のため採算を度外視している」と述べていた。
 中国製万年筆は、昭和42年度には約46万本を売り、輸入万年筆の39%を占め、国産万年筆メーカー各社に対する大きな脅威となった。これを一層煽りたてた毎日新聞はじめマスコミ報道について、昭和41年11月28日の『帝都日日新聞』は「毎日は朝日についで社内に共産党分子が多く潜入している新聞社だといわれており、これが巧妙に作りあげられた中共宣伝記事であったとしたら由由しき問題である。この点今回の毎日の報道は、なんとも不可解な報道姿勢であったといえる」とし、英雄を手放しで賞賛する報道は、政治的動機に基づく左翼メディアの宣伝ではないかとした》(引用文中の文字の着色は当ブログの筆者がおこなった/下記の註を参照されたい)
 
(註1) 上の引用文中には《三百五十円の『英雄』》とあるが,これは「定価 (があったとすればの話だが)」ではないか.私の記憶では,切りの良い百円だった.日本上陸のしょっ端からむちゃくちゃな叩き売りだが,これについて私以外にも「百円だった」とブログに書いている人たちがいるので,実勢価格は百円であったはずだ.
(註2) 上の引用文中にある「帝都日日新聞」は,戦後の新右翼である児玉誉士夫や四宮正貴らから師として仰がれている右翼ジャーナリスト野依秀市が創刊したニッチな右翼紙である.昭和四十三年の野依の死後は,児玉誉士夫が経営を引き継ぎ紙名を変えて現在に至る.
(註3) Wikipediaが野依の書いたゴミみたいな新聞記事を歴史の隅から発掘してきた意図はよくわからないが,「英雄」の叩き売りを《万年筆戦争》だとか,帝都日日新聞の記事に《左翼メディアの宣伝》と書かれていたなどとわざわざ記述するのは,この箇所を書いたWikipedia執筆者の独自研究だとしてよい.なぜなら発売当初の「英雄」は,日本製万年筆に戦争を仕掛けるなんてことは妄想の極みであり,品質的に全く太刀打ちできない粗悪な代物だったからである.
 しかし粗悪とはいえ全国のビンボー高校生にとっては夢のアイテムである万年筆が百円なのであるから,私も同級生たちも絶賛購入した.私の母校である群馬県立前橋高校では,学校が斡旋販売を行い,「英雄」を持たずんば人にあらずという有様であった.私も意気揚々,「英雄」でノートに字を書いたものである.
 しかし驕る平家は久しからず.ちょっと違うな.まいいや.「英雄」を胸ポケットに挿した者は,その服に盛大なインク染みを作った.周囲の温度が上昇すると「英雄」は内部の空気圧上昇を逃がすことができず,ペン先からインクが噴出するからであった.
 筆箱に入れておいてもインク漏れ事故は多発した.また「英雄」のペン先はメッキを施した粗悪な鉄製であり,つまり付けペンと同じ消耗品なのであった.
「英雄」は元々細字用ではない (中国には細字のペン先を作る技術がなかったのだと思う) のだが,使用を続けていると次第にペン先のスリットが開いてきて太字となり,続いて極太字しか書けなくなる.さらにはスリットがパカーと開いて遂にインクが出てこなくなる.国産万年筆は修理が可能であるので大切に長く使い続けるものであったが,「英雄」はディスポなのであった.発売して数年でこの品質が明らかとなり,「英雄」ブームは終わった.こんな体たらくでも,何しろ百円だから誰も怒らなかった.w
 そして昭和の中頃になると,ボールペンが筆記具界を席巻し,万年筆を使う学生はいなくなった.
 
閑話休題
「英雄」が販売開始された当時,既に吉永小百合様は日本映画界を代表する女優の一人であり,女性の気品と清純可憐とは彼女のことであるとサユリストたちの憧れであった.
 ここで冒頭の画像に戻る.
 万年筆には,清く正しく美しい持ちかたというものがある.この画像に示されている小百合様の万年筆の持ちかたが,まさに気品と清純可憐なのである.
 周知のように,万年筆の持ちかたは,日本式の箸の持ちかたと同じである.小百合様の親指,人差し指,中指はソフトに万年筆の胴に添えられている.このようにすると指には無駄な力が入らず,従ってペン先は微細な動きが可能となり,また筆圧も自由自在に加減できる.その結果,書かれた文字は美しくなるのだ.
 同じことが箸にも言える.一膳の箸の片方を万年筆と同じ形で保持すると,箸先は細かな動きが可能となり,米や小豆の一粒はもちろん,粟一粒でもつまむことができるのだ.
 逆もまた真なりで,箸を伝統的に正しい形で持てる人は,万年筆の字もきれいである.優れた万年筆は筆圧を操ることで,毛筆のような書き味を得ることができるという.実際にパイロット万年筆のCМでは小百合様のお書きになった文字を拝見できたのだが,それはもう凛とした文字でありました.
 
 それでは反対に,全くダメな万年筆の持ちかたを紹介しよう.ある女優のCМ画面を撮影した画像である.
 
20211220a
 
 まず指摘しておかねばならぬのは,キャップに胴軸をテキトーに挿しているため,ペン先とキャップの方向が九十度もねじれていることだ.クリップはペン先と方向を合わせるのが万年筆の作法である.これは,吉永小百合様の持ちかたと比較して頂きたい.こういうところに性格があらわれるのである.
 次に,胴軸を巻くように保持している人差し指の見苦しいことといったらもう,なんというか.酷い.
 本来は親指と人差し指,中指の三本の指で胴軸を保持しなければいけないのであるが,人差し指と中指だけが胴軸に接している.
 親指はというと,胴軸の保持をせずに人差し指を上から押さえつけている.
 こういう持ちかたでは,指は固定されてしまっているので,文字を手首の動きを使って書くことになる.筆圧の加減なんぞは全くできない.
 これがいわゆる金釘流である.
 金釘流は字が見苦しいだけではない.万年筆を壊すおそれがある.
 上の画像の万年筆は,モンブランのマイスター・シュテュック (実勢価格はモデルによって六万~十万円) であるが,金釘流の人が使う安物ではない.三色ボールペンで充分である.
 翻って,こういう万年筆の持ちかたをする人は箸遣いが見苦しい.女優としては少々困るのではないかと思う.(元の動画は《日本郵便CM「手紙の部屋」第4弾「手紙の部屋 年賀状」編》)

|

« 巣ごもり飯がうまい | トップページ | もてなしの茶菓を曲解 »

新・雑事雑感」カテゴリの記事