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2021年12月24日 (金)

朝ドラ耳年増 (爺だけど)

 私はウェブのポータルサイトをmsnにしているのだが,NHKの朝ドラの粗筋を紹介する記事が居座っている.
 何かの拍子に,今放送している《カムカムエヴリバディ》の記事を読んだもんで,それ以後,ポータルサイトに居座ったものと思われる.
 つい読んでしまう私も悪い.w
 で,そういうわけで,《カムカムエヴリバディ》を一度も観ていないのに,ストーリーに詳しくなった.
 
 私はいわゆる団塊の世代である.この世代の者たちは親が戦中世代だから,物の考え方や感性に戦争の強い影響を受けて育った.
 今の現役会社員の人たちは「戦争花嫁」なんて言葉は聞いたことがないかも知れないが,今の高齢者世代はそうではない.
 放送や紙媒体のメディアによって,私たちは自然に「戦争花嫁」という言葉を知ったのである.Wikipedia【戦争花嫁】に次の記述がある.
 
米軍兵士との婚姻
 第二次世界大戦後、日本の連合国軍占領のために駐留していた米軍兵士と結婚し、米国に渡った日本人戦争花嫁は、戦後すぐから1950年代末までで合計約40,000人に達するといわれている。1947年の日本人戦争花嫁法制定以降に渡米する戦争花嫁数は増加傾向にあったが、多くは1950年の朝鮮戦争勃発後に渡米している。アメリカ赤十字社は日本人戦争花嫁向けに、アメリカ文化を教授する花嫁学校を1951年以降日本全国に100校以上開校し、1957年までに約4,000人の戦争花嫁に教育を行った。当時の日本のマスコミはこうした戦争花嫁に対し、売春に従事していた等の否定的なイメージを付与する報道を行っており、それがアメリカの日系人社会にも影響を与えていたため、戦争花嫁は1970年代ころまで、日本でも、移住先においても、偏見に悩まされることとなった。2015年、渡米した約5万人の戦争花嫁の運命をたどるドキュメンタリー映画『七転び八起き - アメリカへ渡った戦争花嫁物語』が製作された。
 
 この人数は調査資料によって数万人としているものから,約45,000人とするものまである.NHKはWikipedia【戦争花嫁】と同じく約40,000人としている.(《「戦争花嫁たちのアメリカ」》[初回放送日: 2020年1月29日])
 NHKの番組内容紹介では次のように書かれている.
 
進駐軍兵士と結婚しアメリカに渡った4万人を超える「戦争花嫁」。差別や偏見を乗り越え、アメリカ社会に根を張って生き抜いた戦争花嫁の知られざる歴史を証言を通して描く
 終戦後、進駐軍兵士と結婚しアメリカに渡った「戦争花嫁」。その数は4万人を超える。今、その娘たちの間で、埋もれた戦争花嫁の歴史を発掘し記録しようという動きが広がっている。浮かび上がってきたのは、古い日本社会に反発し、強い意志で海を渡った女性たちの姿。起業しアメリカンドリームを追った女性や、黒人の夫とともに人種差別と闘った女性もいた。激動するアメリカ社会に根を張り生き抜いた、知られざる戦争花嫁の物語
 
 四万人の女性たちには四万通りの人生があったろう.確かに,NHK《戦争花嫁たちのアメリカ》が語るように,強い意志のもとに新天地を求めて渡米した花嫁たちも多かったろうが,しかしまた戦争で夫を失い,戦後はこれでもかこれでもかという不幸に耐え,《カムカムエヴリバディ》のヒロイン・安子のように娘にまで捨てられ,前半生を捨てて傷心のままに海を渡った女性たちもいたに違いない.
 ドラマ作法の観点からすれば,物語の前半に布石として置かれた戦争花嫁安子の人生は,《カムカムエヴリバディ》の最後に回収されることになる.いや,回収されねばならない.そうでなければ,あの駄作《ひよっこ》のように,嘘で固めた軽薄なドラマになってしまう.
 伏線の回収がどのような形になるか.安子は再び故国の地を踏むのか.視聴者は楽しみに待つことになる.
 ついでにいえば,「戦争と人生」という観点では,中国残留孤児の女性が朝ドラとしては積み残しになっている.
 ぜひとも来る戦後八十年には,中国残留孤児の人生を描いて欲しいと思う.

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